備忘録
MEMORANDUM4(2021/2月〜2021/5月)

  日々の瞑想や霊的なことなどを綴っていきたいと思っています
私はクラッシック音楽がとても好きなので、クラッシック音楽を取り入れた形の自由な瞑想をしております。
(マーラー作曲:交響曲9番の4楽章を2回聴く)
写真と内容は関係あるものとそうでないもがあります。(写真は主に私が撮ったものを載せてます)
私自身の記録用なので、参考程度に読んで頂けたらと思います。
下記の(アコーディオン形式)日付をクリックしてください。


 
過去の瞑想(2020/10月〜2021/1月)  過去の瞑想(2020/10月〜2021/1月)
MEMORANDUM3へ                                          MEMORANDUM5へ
ペットのおうち

459回目の瞑想

柔らかい光
 
「貴方はまず第一に霊です、肉体はしんがりです。貴方の霊を光り輝かせなさい。人々が貴方を見て、そこに神性を感じるほどに。」
 
今日の「真実の価値」と題された内容に、このお言葉を信じる切ることが必要だと思った。私達人間が霊であるなどということを、理解している人はどれほどいるだろうか。殆どの人は霊という言葉を聞いただけで、煙たく思うだろう。それをどの様にして伝えて行くのかは至難の業と言ってもいいほどだ。今のコロナ禍にあっても、それは変わらない。もちろん、今の世が不安や恐怖で覆われていて何かにすがりたいという思いになっている人は多いと思う。だからと言って、容易く霊という言葉を出せば、いぶかしがられる。このお言葉にある自分の霊を光り輝かせて、周りの人にそれを感じてもらうということが出来れば一番いいのだが、至難の業であることには変わりはない。どちらにしても簡単にはできないということなのだ。ただ言えることは、自分自身がこの事を固く信じて、少なくとも実践していなければいけないということだ。でなければ、他人を説得することなど、どだい無理なのだと思う。今はただ努力するのみである。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、深かったり、浅かったりの呼吸だった。そして光りの瞑想に入る。身体に光りを当てていく段階で、意識が遠のいていた。その間、宙を浮いているように感じた。気がつくとヒーリングの時間も少し過ぎていたので、慌ててヒーリングをさせて頂いた。ヒーリング中は最後まで意識はハッキリとしていた。

460回目の瞑想

飛行機
 
「皆さんは人の上っ面だけしか見ておりません。しかし、もしそういう表面の皮を剥ぎ取ったら、その下に眠っている王女の姿が目に入りましょう。チクチク肌を刺す雑草の下に、隠れている王女を発見するように努めなさい。私達はすべての内部に光を持っています。誰しもその内に至高の我、王女を持っています。それ故に、私達はお互いに愛をもって対さねばなりません。常に最善を求め、出来る限り美しいものを堀り起こしていかねばなりません。」
 
今日の「眠れる王女」と題された内容は、確かに言われる通りなのだと思う。頭では理解できる。だが、なかなかその人のその下に眠っている姿まではわからない。他人どころか、自分の至高の我さえ見出せないでいるのだから、当たり前なのだと思うが。書いてある事が出来れば、この世はどれだけ住みよいものになるかわからない。お互いの至高の我を見出せれば、自ずと愛をもって接することが出来るからだ。それが出来ない故に争いも起きるのだ。ある一定の人にだけではなく、すべての人に対して例え至高の我が見い出せなくても、愛を持たなくてはいけないのだろう。だが今の私には無理難題のように思える。もちろん、憎んだり、嫌ったり、恨んだりすることは誰に対してもないが、愛を持てるかと言われたら、かなり難しく思える。それが今の私の偽らざる気持ちである。それにはやはりまず、自分の至高の我を見出すことが先のようにも感じる。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、深い呼吸に集中した。そして光りの瞑想に入る。なかなか光りのイメージが出来なかったが、やがて綺麗な一筋の光りが現れ、身体全体をその光りで当てて、浄化するイメージをした。するとジンワリとした温かさを感じる。この間は意識がある程度はっきりとしていたが、いつの間にか遠のく。そして、ヒーリング時には意識も戻り、しっかりとヒーリングさせて頂くことができた。

461回目の瞑想

飛行機
 
「皆さん、私共は肉体に巣食う物質生活の悲哀や困苦を知っています。神の世界の美を塞がれたまま生きねばならない苦しさを。暗闇の道を進むことがどんなに辛いことかは存じております。皆さんは闇の中を歩かねばなりません。自分が置かれている状況を受け入れねばなりません。神の愛を信じながらですね、これは容易なことじゃありません。それは分かっています。しかし忍耐と信をお持ちなさい。決して次のことを疑っちゃいけません。すべてのものは善に向かって働いているということです。すなわち、神の力と英知と愛を、決して疑ってはいけません。」
 
今日の「辛抱して、信じなさい」と題された内容を読んで、涙が出た。励まされているように感じて、とても有難かった。もちろん、神様を疑うなんていうことはない。けれど、自分の力のなさに情けなく、生きている意味を見失うことがある。ちょうど、今日はそのような気持ちでいたので、尚更身に沁みた。霊界の方々にはお見通しなのだという事も感じられた。こういう気持ちの時こそ、前向きに明るい気持ちに切り替えないといけないのだということを、今回の内容のお言葉で勇気付けられたのだ。頑張って行こうと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、深い呼吸をし終わると、なぜか無性に涙が出た。これと言って困難なことがあるわけでもなく、悲しい出来事もないのに、涙が流れてくる。神様にお祈りした。ただただ救って頂けるように懇願していた。しばらくすると、映像はないものの、身体が柔らかい布に包まれているように感じ、光りに包まれているようにも感じた。かなり気持ちが落ち着く。お祈りも普通のお祈りに変えて祈っていると、かなり穏やかな思いにさせて頂けた。その後ヒーリングをさせて頂くことで、更に穏やかな気持ちになった。そして、今日のお題の内容を読み、有難くて涙が出たのだ。生きていれば良いときばかりではない。けれど、苦しみや悲しみがあっても、その中に浸りきってしまってはいけないのだと思った。感情はあるので、すぐには無理でも、出来るだけ早く気持ちを切り替えることが大事だということ、また切り替えることが出来ることに感謝したいと心から思えたのだ。

462回目の瞑想 

飛行機
 
「心を神の上に置きますと力が湧いて来て、後向きから前向きに変わり、闇は光に転じます。光が流入することによって、その光で調和が生じるので、完全な健康が生まれるのです。」
 
今日の「神に心をすえて生きなさい」と題された内容は、神様と同調することができれば、可能なのだと思う。瞑想している時の光りには確かに前向きに気持ちが変わるということを実感してきた。だが日々の生活の中で常にその状態でいるというわけには行かない。それができればこの世の卒業ということになるのではないだろうか。けれど、昨日も記した事だが、気持ちの切替えの早さはとても大事なことだと思う。後向きの思いから前向きな思いに出来るだけ早く切替えることで、霊界からの援助も受けやすくなるからだ。それが光が流入することなのだと思う。マイナスな思いでいるうちは、その思いが邪魔をして、霊界からの働きかけが届かなくなる。それをいつも肝に銘じておく必要があると思うのだ。私自身も常に穏やかな心持ちでいるわけではない。だからこそ、気持ちの切替えの早さが必須だと思っている。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、深い呼吸をし、光りの瞑想に入った。身体の浄化もし終わると、下方から全体が光の雲のようなものがモクモクした感じで上へ上へとあがってくる。上がってくると大きな光の円になった。上がって来る時にも、上がって大きな光の円になった時にも、心が浮き立つような高揚感を感じて心が一杯になる。光の存在は力なのだと改めて実感する。その思いを強く持ったまま、ヒーリングもさせて頂いた。ほとんど意識はハッキリとしていたが、時折、別空間にいるような感覚にもなっていた。

463回目の瞑想

飛行機
 
「何事も正しくうまく進まなければ、笑いとばしなさい。思い切りよく吹きとばしなさい。だが、目はしっかりと神にすえておき、万事は正しく進むんだと。こう心得なさい。何事も正しく進みますーーーこれが真理です。」
 
今日の「笑いとばしなさい」と題された内容は、今の日本の状態を言われているようでならない。けれど、それさえも笑いとばせと言われている。神様を信じて、すべては正しく進むということを固く信じて行くことが肝要だと。これこそが真理だとも言われている。どんな状況にあろうとも、神様のご計画通り正しく進んでいるとの絶対的な信心を持つことが最も大事なことなのだと改めて強く思わされた次第である。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想は、深い呼吸を終えて、光りの瞑想に入る。画面全体に白い光が現れ、身体の浄化をした。しばらくすると『今生は儚き、幻のごと』という言葉が浮かんだ。誰かのお言葉なのだろうか。確かにそうなのだと思う。それをすぐにノートに書き写し、ヒーリングをさせて頂いた。
 
今朝起きる直前にやはりとてもリアルな夢を見た。しかもあまりいい夢ではなかった。かなり沢山の仔猫達が、大きな入れ物の中に入っており、その仔猫達にはサランラップのような薄い膜のような物が覆い被さっている。要するに息が出来ないのだ。次々に亡くなっていくという夢。仔猫達の一匹一匹の顔も表情もはっきりと見えていた。ただどの子も苦しんでいる様子は見受けられなかったのだ。それだけが起きてから救いのように思った。このような内容の夢占いはない。ただ仔猫=未熟、幼いという意味があり、死は転機でもあるいう。ということで自立を意味するようなことも書いてあった。だが私は虐待されて死んだ子達ではないかとも思ったのだ。どの子もどこか安堵感がある表情に見えた。シルバー・バーチ霊の言葉で、人間の犠牲になった動物達は必ず埋め合わせがあると言われていたのを思い出した。
私自身は猫を飼ったことは一度もない。そして猫よりも犬の方が好きなのだ。なので猫に対しての特別な感情は持っていなかった。それなのにこのような仔猫の夢を見たことにちょっと驚きでもあった。もし人間の犠牲になった仔猫達だとしたら、霊界で幸せになって欲しいと願わずにはいられなかった。

464回目の瞑想

飛行機
 
「私共は皆さんに忠告します、愛するのは他者だけではなく、自分の生活環境をも愛しなさいと、怒りの思いなどミジンも持たずに。何事も法からそれて、または、偶然に起こることはありません。大いなる法によって、貴方は貴方の現在の状況に置かれているのです。その状況が貴方の成長のために必要なのです。ですから、愛をもって起こることのすべてを受け入れなさい。経験の中に学習しなければならない教訓を求めなさい。毎日、しばしば神の方を見上げなさい。そうして聖なる光と愛で満たされなさい。それは黄金の光線のように、貴方の心臓と頭のチャクラに注ぎ入り、貴方を浄化し、癒やし、向上させ、安定させ、心身の統制を与えてくれます。」
 
今日の「受け入れなさい、愛をもって」と題された内容は、魂が得心できる内容だと思った。すべては神様の摂理によって、私達人間の魂の成長のために用意された生活環境なのだということ。それ故に、その環境の中で起きることはすべて克服していくことが、この世に生まれた意味なのだということを言われているのだと思う。更にその経験の中に教訓として学習しなければならないことを求めろと言われている。それが唯一魂が成長することなのだろう。そしてそれと同時に神様を信じ、神様の愛のお光りで、自分自身を浄化し、癒やし、向上させ、安定させることで心身の統制が与えられると言われる。ただこの事は簡単にはいかない。それはシルバー・バーチ霊も言われていることだが、簡単に価値あるものが手に入るならば、霊性の進歩はなく、苛酷な試練を乗り越えるからこそ霊性の進歩があるのだと。兎にも角にも、今自分達の置かれている環境に感謝し、どんな状況にあろうとも神様を信じて前向きに生きるということが肝要なのだということだ。心して行こうと思う。

今日の瞑想でも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、いつものように深い呼吸して、光りの瞑想に入る。身体の浄化をし終わる頃に、意識は遠くなる。そして、ヒーリング時には戻り、させて頂いた。
 
今朝もリアルな夢を見た。ただ不思議な夢だった。いきなり病院の受付けのような場所が現れたのだが、誰もいない。そこで私は大きな声で人を呼ぶ。けれど、誰も来ないので、別の場所で時間を潰していると、先生らしき白衣を着た人が私の名前を呼んだようなので、受付けの場所に戻る。そして誰もいなかったことを告げると、そこにいた看護師さんなのか受付けの事務の人なのかが、かなり興奮した状態で弁解する。けれど、先生はその人を制止し、私の話に耳を傾けてくれた。ただ先生とは対面していたが、起きた時には言葉を交わしていたのかいないのかよくわからなかった。だが、そのお医者様のお顔ははっきりと覚えている。柔和な面長なお顔で、頭の毛は薄かった。この世では会ったことがない人だったが、安心してお任せできるような雰囲気であり、人格者のように見受けられた。年齢は60歳後半から70歳くらいの感じだったのだ。起きてから思ったのだが、心のケアをしてもらっていたのではないかと感じた。またヒーリングのご協力もして下さっているような気もしたのだ。話の内容をもっと詳細に覚えていれば、ハッキリしたのだと思うが、仕方ない。

465回目の瞑想 

飛行機
 
「人生にあって迷うことがあったら、貴方の胸の内奥に聞きなさい。慎ましく神の前にひざまづきなさい。世俗の心を働かせてはなりません。神法に自己を委ねなさい。その時、平和と喜びがありましょう。貴方はもはや疑念を抱きません。すべてが公正で、すべてが良いということに。もし、神に貴方が同調していたら、神が愛であり、神の道が常に公正であることが分かりましょう。神を信じなさい。神に忠誠でありなさい。」
 
今日の「世俗の心を働かせてはならない」と題された内容は、私に言われているように思えてならなかった。というのもページ数まで感じてしまったのだ。なので、今回はランダムに本を開くのではなく、その指定のページの内容を記したのだ。しかも瞑想時「神様に同調させて下さい」とずっと祈り続けていたこともある。その時の心の平穏な有り様をお伝えしたいのだが、言葉では無理がある。そんな心持ちが瞑想が終わっても続いてくれればいいのだが、そうは行かないのが辛いところだ。けれど、瞑想時だけでも感じられることの喜びは感謝しかない。本当に有難いと思っている。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想は、いつも通りに深い呼吸をし、光の瞑想に入る。身体を浄化していくと共に、前方に大きな光が見えた。素晴らしい光に包まれている感覚になる。その時に「神様に同調させて下さい」と祈り続けたのだ。そして言うに言われぬ心地となっていたのだ。しばらくすると次第に意識は遠のいていた。意識が戻るとその光は消えていたが、まだ残像は残っていたので、そのままヒーリングをさせて頂いた。
 
今朝も凄い夢を見た、という思いがあり、おぼろげながら、部分部分を垣間見えるというか思い出せそうになるのだが、結局はっきりとはわからないままだった。けれど、壮大な夢を見たという感覚は確かにあったので、残念でならない。

466回目の瞑想

飛行機
 
「すべての疑念を越えて、こう知りなさい。神は愛であること、神を愛する者にはすべての事がうまく作用する、ということ。貴方の人生にも、全人類の生活の上にも、神法が働いていることを見なさい。常に善を望み、神を待望しなさい。そうすれば、神の大いなる愛が人類進化の目的のために、実にうまく実に美事に、働いていることが分かりましょう。」
 
今日の「すべては良し」と題された内容は、この域にまで達するにはどれ位の時間が必要なのであろうか。頭ではわかっていても、魂で分からなければ、やはり本当の意味で神様を愛する者にはなれていないように思う。神法の働きを見て、実感することも出来ないように思われる。内なる魂を顕現させられるように努力して行きたいと思っているが、遅々として進んでいないようにも感じる。けれど、信じて行く以外にはない。必ず神法の働きを魂として実感できる日が来ることを信じたい。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸をし、光りの瞑想に入る。光りを身体に当てながら、『神様に同調させて下さい』というお祈りもさせて頂いた。そしてヒーリングをさせて頂いた。
 
今朝の夢で、亡くなったわんこのシェリー(ゴールデン)に会うことができた。元々とても綺麗なわんこで、癒やしわんこであったが、更に磨きがかかったようで、美しかった。会えただけで癒やされ感が半端なかった。起きてからも温かいぬくもりと高揚感で一杯だった。

467回目の瞑想

飛行機
 
「貴方は自分の権利を断固守ろうなどとする必要はありません。神が狂いのない法をもって物事を正しておられます。だから、平和は貴方の手に返ってくるのです。この事をよく胸の中にすえておきなさい。事が困難な時に空騒ぎしないことですーーー平静にしておいでなさい。」
 
今日の「法は正義であり、完璧で真実」と題された内容は、頭ではわかるものの、実際に困難な事に出会った時に、平静な心のままでいられるのかどうかは自信がない。もちろん、神様の摂理に狂いがないということは信じている。けれど、いざという時に実践出来なければ、信じているということにはならないのではないか。とも思う。真の意味で信じるためにも、今は実践できるように努力して行くことを心がけて行きたい。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、深い呼吸をした後、ゆっくりとお祈りした。ただただお祈りさせて頂いた。その内に意識は遠くなりながらも、時々宇宙空間らしき映像が見えたようにも思えた。そしてヒーリング時には、意識はハッキリとしたので、しっかりとヒーリングをさせて頂くことができた。

468回目の瞑想

飛行機
 
「貴方が求めれば援助を受けます。それは心での求めではなく、貴方の存在の真底からの、静寂の中での願い、これによってです。救いを求めて内在の神に祈りなさい。そうすれば、自分の仕事を完成するための力に、何の不安がありましょう。」
 
今日の「上方からの援助」と題された内容は、今朝の瞑想で気づかせてもらえた事と一致したように思う。それは後述したいと思う。確かに援助を受けていたことを実感させてもらえたのだ。これは上っ面での感謝とは違い、それこそ真底からの感謝の思いで一杯になった。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、深い呼吸を終えると、やはり『神様に同調させて下さい』とのお祈りをずっと唱えていた。今のこの世の状況にある意味、私の心は揺れていたと思う。唱えていると温かい涙が溢れてきた。そして気づかせて頂いた。それはこの世は陰陽の世界であること、すなわち、善もあれば悪もある、けれどそれはすべて神様が統括されていることなのだと。ということは善悪をすべてひっくるめて受け入れなければいけないという事を。それにはやはり地球上のすべての出来事を、人を、動物を、植物を幸せになれるようにとお祈りすることなのだと思ったのだ。その時にも温かい涙は出続ける。 そして、ヒーリングはいつも通りさせて頂き、更に地球のすべての生きとし生けるものにお祈りと同時に微力ながらもヒーリングもさせて頂いた。その時に瞬間ではあったが、過去の巫女時代にもこのような事をしていたのではないかと感じた。全世界のすべてことに愛をもつことの素晴らしさを今回本当に感じさせてもらえたのだ。善も悪も何かもが神様の支配下にあり、その神様と繋がれていることにただただ真から感謝の思いで一杯になった。ホワイト・イーグル霊が言われている事が体感として感じられたように思った。この思いが長続きすることを願う。
 
実は昨日、ある方のブログの言葉に衝撃を受けていた。魂に響いたお言葉だったのだ。
『人の魂は波動がとても高い。なので思いも言葉も行動も波動の高いものにすることが人間は真から幸福を感じる。波動の高いものにするためには自然の摂理を優先し、内なる魂の声を聴き、素直に自然体で生きること。また地球ではさまざまなことを学ぶため、それ故にさまざまな事が起きるが、その起こったことがどんなことであれ「価値あるものに変容する力」が私達の魂には備わっている。その力は思いと言葉と行動を波動の高いものにする時に最大限の能力を発揮する。その力を使うために地上にいることを忘れてはいけない』と締めくくられていた。とても有難いお言葉に読んでいて涙がこぼれてきた。そして霊界の方がそのお言葉に導いて下さったとその時思ったのだ。

448回目の瞑想

柔らかい光
 
「幸福とは己が心の中に神を顕現することです。幸福とは、神の賛美と神への感謝、神への信、すなわち神を受け入れることの結果です。それはまた神の愛を静やかに平穏に完成することです。これにより、魂には言葉に尽くせぬ完全な幸福が訪れます。神とは幸福です。」
 
今日の「幸福」と題された内容は、ただただ癒やされる。神様のお光りの中へ入りたい気持ちに更に強まってしまう。そんな幸福を味わってみたいものである。瞑想でも平穏や安心感は得られると思う。だが、真の意味での幸福を感じられるのは、瞑想時だけでなく、日々の生活の中でも感じられなければ意味がないと思う。焦ってはいけないが、早くそのような心境になりたいものである。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、かなり深い呼吸ができた。そして光りの瞑想に入る。身体に光りを当てていくイメージの途中で意識があるようなないようなおぼろげな状態になる。一応終わり、ヒーリングもさせて頂いたが、ヒーリング中も意識が遠のいたり戻ったりを繰り返していた。
今朝はまたリアルな夢を見た。背泳ぎの水泳選手に選ばれて厳しい特訓をしている夢だった。(私自身、泳ぎが得意ではなかったし、初めて泳ぎの夢を見てびっくりしている)早速、夢占いを見ると、『厳しい現状を乗り切るために頑張っている。絶望感を感じそうになっても、やる気を出して必死に現状を良い流れに変えたいと努力している』から、このような夢を見たとのこと。また背泳ぎについては、『今まで経験しなかった事にチャレンジしたいと考えている』とのこと。今までこれと言った夢はたまにしか見られなかった。また見れたとしてもほとんど覚えていなかったのだ。だが、こうやってリアルな夢を見て、覚えていられることに感謝しかない。

449回目の瞑想

飛行機
 
「皆さん、神は計画をお持ちです。神は常に計画を立てておいでになります。従って、物事が自分のもくろみ通りにいかない時は、ジタバタせずに、身を状況に合わせなさい。これは自分の責任を放棄せよということじゃありません。自分に出来るだけのことをやって、あとは神に任せなさいということです。人間の手を離して、神様のなすがままに任せなさい。」
 
今日の「神よ、み心のままに」と題された内容は、今の私には何よりのお言葉だ。人間の浅知恵で考えてもどうにもならないこともある。けれど、今のTVの報道は一方的で、公平な内容を報道していない。煽るようにワクチンを進めている。果たして本当にワクチン接種は正しいのだろうか。TVでは報道されないYouTubeの動画だけでワクチンの危険を訴えた事実が流されている。しかも削除されることが多いという。
新潟大学の名誉教授の岡田正彦先生の動画はYouTubeだが、奇跡的に削除されずに残っているとのこと。この岡田先生はmRNAや、各種ワクチンの効果と副作用を研究されており、悪玉(LDL)コレステロールの測定法を開発し、特許を取得された第一人者ということだ。動画コロナワクチンの仕組みよその問題点について
この動画の内容を要約してくれているin DeepさんのURLも貼っておくので、併せて読んで頂けたらいいと思う。新潟大学名誉教授が訴える「新型コロナワクチンの危険性」
更に、世界最大の慈善家であるビル・ゲイツ氏の財団でワクチン開発のトップクラスの位置にいたギアート・ハンデン・ボッシュ氏という科学者が「このままでは人類の大量死が起きてしまう」とコロナワクチン接種の「緊急停止を要請」する内容の書簡をWHOと欧米各国政府に送ったのだそうだ。そのリンクも貼っておく。元ゲイツ財団のワクチン開発局長ボッシュ氏のワクチン使用停止の主張その中の少し下に「ワクチン惨劇が間近に」というのが、ボッシュ氏の主張の動画だが、とても恐ろしいものだった。もしこれが事実だとすると、世界中でワクチン接種した人がいるので、この話が事実なのかどうかも知りたいところだ。なぜこのような内容のものが、TVでは一切報道されないのかもあり得ないことだと思っている。
どうか、ここへご訪問下さる方々は、両方の事実を調べた上で、ワクチン接種を考えて頂きたいと思っている。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
だが今朝の瞑想では、このワクチン接種のことで頭がいっぱいになり、中止せざるを得なかった。今朝のニュースでTVの報道だけが頼りの高齢者が、ワクチン接種のために長蛇の列をなしていた。それを見て、もし、ボッシュ氏のいう事が事実ならば、世界中のワクチン接種した人達のことを考えると、居たたまれない思いで一杯になってしまったからだ。そうして、開いたお題が上記だった。神様にお任せする以外ないのだと思うが、TV報道以外知らない方のためにも少しでも情報をお届けしたいと思っている。

450回目の瞑想

飛行機
 
「大切なものは日常生活、このことを分かって下さい。毎日の出来事、その場の状況にあなたがどう反応するか、これが物事がうまくゆき成功するための、肝心なポイントです。自分がうまくコントロール出来なくて、いくらホワイト・イーグルの話を聞いたって、また別の先生の話に耳を傾けたって、何にもなりません。このことの第一歩は、内在の静かな小さな声に気付くことです。すなわち貴方の中に徐々に増していく光りに気付くことです。この光りが人生のいろいろな環境や局面に対して、あなたを優しい兄弟として反応させてくれるものなのです。」
 
今日の「優しい兄弟」と題された内容は、お題ではピンと来なかったが、内容を読んで、またまた昨日の夢と今朝の瞑想に通じるものだったことに、鳥肌が立ってしまった。確かにどれだけの高級霊の方々の話を読んだり聞いたりしても、自分が日々の生活を上手にコントロール出来なければ、単なる話であって、何の意味もなさない。それには、やはり内なる魂と向き合える時間を持つ他ないように思う。もちろん、向き合ったからと言って、すぐにコントロール出来るわけはないが、毎日少しの時間でも続けていくことで、必ず何かしらものを得ることができると思っている。少しずつでもゆっくりでも、進むことができれば、いつかコントロールできる日が来ることも夢ではないと思う。ホワイト・イーグル霊は日常生活の出来事にどう対応するかということは、物事がうまくいき成功するための肝心なポイントと言われている。肝に銘じて頑張りたい。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、深い呼吸をし終わると、今朝の夢に現れた神々しい金色のお光りが同じように出現した。夢でも心が洗われるようだったのだが、瞑想でも神々しさを放ったお光りに全身が包まれているように感じて、護って下さっていることを実感させえてもらえたのだ。瞑想ではそのお光りから更に細かい光りが降ってくるようだった。今日はそのお光りで身体の浄化をしていくイメージはしなくても既に浄化して頂いたように感じた。ヒーリング中もずっとそのお光りは見えていたので、そのお光りが相手にも届くようにお祈りしながら、心は穏やかに終えることができた。また有難い体験をさせて頂いたことに、ただただ感謝の思いで一杯だった。

451回目の瞑想 

飛行機
 
「一人の人の魂が全世界を助けることが出来ます、皆さんはこう言われる『私は何かをしたい、私を使って下さい、私はここに居ります』と。しかし皆さん、わざわざ我々のと頃へそれを言いに来る必要はありません。奉仕とは貴方の足元にあります。毎日毎日、貴方のハートの中でそれが待っています。誰にだって出来る最大の奉仕とは、正しくものを常に考えることですーーー途絶えることなく愛を発現することです。人を許すためにです。」
 
今日の「最大の奉仕」と題された内容は、全世界をたった一人の魂でも助けることができると言われている。しかも私達の足元にあると。全世界を救うなどという大それたことを成し遂げるには、それ相応の魂でなければ出来ないと思うのが普通だ。だが、誰にでも出来るその最大の奉仕とは、常に正しく考え、常に愛を発現することだと言われているのだ。ひいてはそれが人を許すことになるいう。それならば、自分にも出来そうな気がする。毎日の生活の積み重ねの中で、少しずつでも、努力して行くことは私達人間にとって、それほど難しいことではないと思う。一人一人が実践することによって、いつしか世界が変わって行くことになるのだ。霊的真理を知った人から、先ずは実践あるのみ。いつの日か、地上天国の到来を信じて。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、深い呼吸をし、光りの瞑想に入った。身体の浄化もし終わり、しばらくすると、目の前に立ち上がる雲の中から、燦々と光輝くお光りが出現した。ただただその神々しさに惹きつけられる。涙もこぼれて来た。有難い思いを身体中で感じる。そして何時ものヒーリングに加えて、新しい方のヒーリングもさせて頂いたのだが、その時にも、先ほどと同じようなお光りが目の前に広がった。すぐにそのお光りで、お相手の方を包むようにイメージして、少しでも快方に向かうようにお祈りをさせてもらった。

452回目の瞑想

飛行機
 
「貴方のまわり、少し上の方でしょうか、そこに美しい園が、無窮で永遠の霊の園があります。それは美と平和の園、愛に満ちた住人達の園。そこから私 共は物質界にいる皆さんを助けるために、皆さんがたの方へと近づきます。私共が来るのは、苦痛と嘆きの檻の中から、この真実の家へと皆さんを引き上げるためです。そここそ、皆さんがそこから出て、再びそこへと旅して行く天界の生命の家です。」
 
今日の「無窮の永遠の園」と題された内容は、素晴らしい内容だ。私も早くそこへ行きたいと思っている。もちろん、この地上でのお役目を終えてからでないとそこへは行けない。この地上をきちんと卒業することが第一条件なのだと思う。だからこそ、どんな環境であろうと、どんな困難に出会そうと、その試練を乗り越えた暁には、レベルアップして、真実の家へと戻れるのだ。私達人間は皆それを目指すべきなのだと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想は、深い呼吸を終えた時点で、ヒーリングをさせて頂いた。いつもさせて頂いている方と更に難病を抱えてらっしゃる方(この方は夜もさせて頂いている)のヒーリングを長くさせて頂きたいと思ったので、自分の瞑想は早めに切り上げた。そして、この方のヒーリングをしている時に次のお言葉が浮かんだ。『病気の状況や苦痛などは、カルマに基づき、自分自身が作り出しているもの。魂の成長のためには必要なのである』このお言葉に、自分自身の生き方を顧みて、神様の摂理に合った生き方に変えて行くことで、病気自体も変わっていくのだと感じた。ただ、この事を相手に伝えることはかなり難しい。自分自身が病気を作っているなどとは、思いもしないだろう。更に神様を信じていない人には、馬の耳に念仏状態で、聞く耳を持たないと思われるからだ。自分の身体は、自分自身で治せる力を持っているのだ。それに早く気がついてくれるよう、魂に響いてくれるよう、ヒーリングさせてもらいながら、心を込めてお祈りもさせて頂いた。

453回目の瞑想

飛行機
 
「皆さん、死はありません。肉体が疲れるということもありません。魂が全能である太陽の栄光に十分浸っていれば、疲労ということはないのです。どうか、どんな疲れも衰えも、しみ入る生命の源泉である太陽によって、退散させられるように。」
 
今日の「生命の賦与者」と題された内容も、核心を突いている。けれど、多くの人達には、死がないなどとは思わないし、思えない。ここが一番の問題なのだと思う。多くの人が死後も永遠に生き続けることがわかれば、それだけでもこの世は変わるのではないかと思う。死んだら終わりと考えるからこそ、自分の利益しか考えない。自国の利益しか考えない。利己主義がはびこっているうちは、この世の平穏はあり得ないのではないか。そのためにも、霊的真理の普及の大切さがあるのだと思う。信じない人に伝えるのはかなり難しい。けれど、頭の片隅でも、心の片隅にでも残ってくれれば、いつの日か、信じる日が来るのかも知れない。それを願うばかりである。

今日の瞑想でも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、いつものように深い呼吸して、昨日に引き続き、ヒーリングに時間をかけた。だが、途中から身体の痺れの強さを感じながら意識が遠のいていった。意識が戻ると、更にお祈りしながら、ヒーリングを続けた。私自身の疲れは一切なく、それどころか気が充満しているように感じる。そのエネルギーがお相手の方に届くよう、ただただ祈りを捧げていた。

454回目の瞑想 

飛行機
 
「貴方の中にある神性は王様です・・・貴方の肉体の分子も、細胞も一つ一つが、この神である力に従っています。貴方の中にある神の魔力を発揮しなさい。その光がすべての闇を克服します。」
 
今日の「魔力があります」と題された内容は、私達人間の内なる魂のことを言っている。神様と繋がった内なる魂を目覚めさせ、発揮できれば、不安からも恐怖からも払拭することができる。それどころか、心はいつも平穏で安定しているのだと思う。(この魔力という言葉は、私はあまりしっくりとはこないが)

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想は、いつも通りに深い呼吸をし、光の瞑想に入る。するといきなり、斜めに平行して並んだ光線二本がクッキリと浮かび、その威力の凄さに圧倒された。またその光線のあちこちから、電流のようなものも流れている。そしてその周りにも短いながらも電流の光りが見えたのだ。凄い光景だった。
しばし、茫然と眺めていた。しばらくするとすべてが消えた。次に現れたのは少し大きい丸い形をした光りが(輪郭線はボケていた)下方から、次から次へと上がっては消え上がっては消えを繰り返した。迫ってくるような感覚もあったが、決して恐く感じるわけではなく、むしろ包まれたい衝動に駆られた。その後、高揚感の中で身体を浄化する光りのイメージをし、ヒーリングをさせて頂いた。

455回目の瞑想

飛行機
 
「次のことを知れば心が慰められましょう。苦痛や苦悩を伴う体験は、磔の刑とも言えましょう。これを耐え忍ぶ者は全世界のために何かをしているのであると。何となれば、イエス大師が受けた(これと比べれば小さくはあっても)同じく毅然としてまた平静な心で、魂の試練を受け取る者は、全地球の波動を高めつつある者、それに貢献しつつある者です。」
 
今日の「磔刑」と題された内容は、私達を励まして下さっているのだと思う。私達の苦痛や苦悩はイエス様が受けたものとは雲泥の差があるにも関わらず、同じように全世界のためや全地球の波動を高めつつあると言われている。本当にお優しいお心を感じる。けれど、少なくとも、苛酷な試練を耐え忍び、前向きに気持ちを切り替えられることは、神様の摂理に適った生き方なのだと思う。このお言葉に励まされて、一人一人が苦難を克服して行くことで、ひいてはこの地球の波動を高めることに繋がって行くのではないかと思っている。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸をし、光りの瞑想に入る。キラキラした光りを身体に当てるあたりまでは覚えていたが、いつの間にか不覚にも寝落ちしてしまっていたのだ。情けない。ヒーリングする頃にハッとして起きて、すぐにヒーリングはしっかりとさせて頂くことができた。(寝落ちは2回目だったと思う)

456回目の瞑想

飛行機
 
「苦しんだり損をしたりすることがよくありますが、それは貴方が手控えしなければならない事に執着するからです。だが、ひとたびこれを放棄する気になったら、今度は新しいチャンスと大きい幸せを手にすることになります。私共はこう申して置きたいのです、『その時大師は弟子の頭に手を置いて、うまくやりなさい幼い友よと、こう言っておられるのですよ』と。
 
今日の「幼き友よ、うまくおやり」と題された内容は、まさに私達は目先の出来事に執着しすぎる。やり過ごすということがなかなか出来ない。それを放棄することができれば、新しいチャンスが、大きな幸せを手にすることができると言われている。自分に起きたことにいつまでも執着することなく、気持ちを一新し、前へ進んで行けば、必ず次の新しい出逢いがあるということだ。しかも大きな幸せと共に。努力して行きたいと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸をして、光りの瞑想を始めようとしたその時に、形容しがたい形の光輝く光りが現れ、ゆっくりと点滅を繰り返す。ただ点滅を繰り返しているだけではなく、光りが現れる毎に大きな形となって行き、光りの放ち方も益々神々しさが増していったのだ。ただただそのお光りを浴びさせて頂いているようだった。それだけで心身共に浄化されているような感覚になった。それも意識がはっきりしている中での事だったのだ。そのお光りを感じている間にとすぐにヒーリングをさせて頂いた。少しでもそのお光りのエネルギーがお相手の方に届いて欲しいと願いながら。
 
今朝の夢は、不思議ではあったがとても嬉しい夢だった。
部屋の扉の真ん中辺りから、いきなり二の腕までの手が出現したのだ。私はその手を見て、息子の手だと直感した。なので、その手を握ってみたのだ。すると息子の手の感触(温もりや厚み)を感じて確信する。息子の名前を叫びながら、懐かしさと嬉しさで一杯になり、握り合った手を上下に激しく振ったのだ。(よくぞ戻って来てくれたという気持ちだった)すると息子も一緒に強く振り返してくれた。特に言葉はなかったが、お互いの気持ちをしっかりと感じることができたと思った瞬間に涙がこぼれてきた。っとその時に起きたのだが、実際に涙がこぼれていたのだ。しばらくは茫然として、ただただ幸せな余韻を感じていた。
その後、夢の間は全く不思議だとは思わなかったのだが、なぜ二の腕までだったのか、なぜ全身ではなかったのかという思いになったのだ。息子の全身、顔も見ることが出来たら、とも思った。が、その時は二の腕だけであっても、息子本人を感じることができたので満足だった。ちょうど、飼い犬のレディと幽体離脱した時に会った時のような感覚だった。見えるのは鼻先だけだったのだが、全身尻尾を振っていることまで感じたので、それとよく似ていた。今も息子と会えたという実感はあるので、本当に有難い思いである。

457回目の瞑想

飛行機
 
「神を信頼し、信仰をもちなさい。もしこれまで反抗的だったとしたら、謙虚に許しを求めなさい。人には親切であり、愛をもちなさい。右はひとえに人間の自由意志の選択にかか っていることを、心にとめておきなさいーーー右にするか、左にするかということではありません。まことの愛と謙虚さで人生を生きる者となるか、反抗と怒りとひねくれ感情のままでいくか、どうかということです。キリスト人間(神人)になろうと志しなさい。」
 
今日の「柔和な者は幸いである」と題された内容には、いつになく厳しい口調で、諭されている。しかもはっきりとどちらの道を選択するのかと言われている。もちろん、人間には自由意志があるので、どちらの道を選ぼうとも自由だ。だが、最後に念を押すように、キリスト人間になるように志を持てと言われている。もちろん、それが私達人間がこの世に生まれてきた意義であり、意味である。この世で少しでも魂を成長させて、元いた場所に戻るのだ。そのためには、内なる魂を目覚めさせて発揮することが私達の使命なのだと思う。そのための困難であり、艱難辛苦であるのだ。それを克服する力は人間はみな持っているのだから、必ず乗り越えることが出来ると信じること、それが何よりも大事なことなのだと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、深い呼吸をし終わると、いきなり宇宙空間が現れる。小さな星が無数にある。そんな中で、宇宙エネルギーを心に感じると、穏やかな平和な思いで満たされて、不安や恐怖などの思いが一切なくなってしまった。そのような状態をしばらく味合わさせてもらえた。このような心持ちで日々を過ごせたらどんなに幸せかと思った。その後意識が遠のいたが、ヒーリング時には、やはり戻って、ヒーリングをさせて頂いた。
今朝は洗濯機で洗濯する夢を見た。心の浄化を求めているとのこと。確かに心身共に浄化したい思いは常にある。その思いが夢となって現れたことに有難く思った。

458回目の瞑想

飛行機
 
「キリストのようになりたいという意志が心中に強くなると、肉体の中で大我が意識される糸口が生まれます。人は肉体を自分と考えますが、それはほんの自分の微小部分にすぎません。もし貴方が真我に触れたいと思うなら、心の中の貴方の創造主との交流を求めて、静寂の境に入っていくことです。すると、貴方の中に知覚が芽生えます。貴方の知覚に触れる大いなる光り、(貴方は目にもしよう)神の人ーーーこれぞ貴方、貴方自身、貴方の神性、真実の貴方です。この神我の意識が目覚めれば、全心身の波動が高まって、肉体も浄化されます。」
 
今日の「貴方の大我」と題された内容は、やはり霊的な核心部分だと思う。肉体は自分の微小部分にすぎないと言われている。そこがそもそも私達人間の間違いなのだ。自分の肉体を大事にすることはもちろん必要だが、自分の肉体のみを考え、過度になると執着になる。肉体は幽体や霊体の洋服のようなものだとも言われている。結局物質に執着していることになるわけだ。私達の本来の姿はイエスキリスト様と同じ魂なのだ。キリスト様と同じく、私達の内なる魂は神様と繋がっている。それをキリスト様はこの地上にいながらにして、神様の摂理に適った生き方をされて、そのお力を顕現させたお方なのだ。だからと言って、すぐにキリスト様のようにはなれない。けれど、内なる魂を目覚めさせられるようにと顕現できるようにと努力はできる。その努力が実れば、神我の意識が目覚めることが可能になるかも知れないのだ。私は努力は必ず報われると信じて日々楽しみに(時には苦しみもあるが)暮らしている。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、深い呼吸をし終わり、光りの瞑想に入る状態の時に、映像はなかったのだが、日差しが差し込んで来たような身体の温かさを感じた。すると林のような森のような中を歩いている感覚になる。先ほどの日差しは木漏れ日だったのだと思った。さわやかな澄んだ空気の中を歩いているだけで心身共に軽やかになり、心地良い。(実際の私は林や森の中を歩くのはどちらかというと苦手なのだが)更に今度は滝を感じて、マイナスイオンまで感じたのだ。その途端、全身リラックスでき、心がホッとする。緑豊かで、澄んだ空気に触れ、マイナスイオンまで、部屋にいながらにして実感することが出来るなんて夢にも思わなかった。至福の時間を頂けたようで感謝の気持ちで一杯だった。そのままの気持ちでヒーリングをさせて頂いた。今日は意識は最後まではっきりとしていた。だが終わってからもなお、心地よさは続いていたのだ。

437回目の瞑想

柔らかい光
 
「個人的にも国家的にも、悲観的・否定的なものの考え方はせぬことです。良い事をのみ考えることです。『神を考えよ』これです。貴方の悩みが何であっても、その問題の箇所に神を置きなさい。神の考え方を置くことです。神のようにもの事を考えなさい。相手がそうは見えなくても、その相手は神に向かって歩く努力をしているのだと見なさい。世界は霊的に進化成長しつつあるのだと見なさい。」
 
今日の「神を考えなさい」と題された内容は、ホワイト・イーグル霊の訓えの根幹部分だと思う。けれど、神様を信じることはできても、神様のように物事を考えろと言われても、なかなか難しい。すべてに完璧である神様のように考えることが出来るのなら、もうこの世にはいなくても良いという事だ。もちろん、訓えの内容は理解できる。すべては神様によって、良きに計らわれていると信じて、悲観的・否定的にはならず、個人も国家でさえも、正しき方向へ進めと言われているのだ。まさに今のコロナ禍についても言えることだと思う。すべては神様のご計画の中でのことと思って、恐怖や不安もなくさなければいけない。一番の私達人間の敵は他ならない恐怖や不安なのだから。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸をして終わると、大事な内容を心に思い、瞑想に入った。そして確信たる思いになると、有難くて涙がこぼれた。その後、ヒーリングもさせて頂いたが、有難い思いが更に強くなると、背後にいつも護って下さっているお方を感じることができたのだ。自然と涙が流れ出る。本当に有難くて、心から感謝申し上げた。

438回目の瞑想

飛行機
 
「人間関係の中には、皆さんの目からは、どうにも筋の通らない事が多々あります。これは筋が通らないと思っても、じっと我慢せねばならぬことがよくあります。しかし、霊界の者は長い目で物を見ているので、皆さんにこうお伝えしたい、曲がった所は必ず真っ直ぐにされます、不正はすべて正されますと。」
 
今日の「長い目でものを見なさい」と題された内容は、確かに、日々の中で、筋の通らない事はいっぱいある。我慢しなければいけないこともいっぱいだ。けれど、私達が我慢したこと、していることは、必ずいつか正される時が来るとのことなので、それを信じて、日々を過ごして行きたいものである。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸をし、光りの瞑想に入る。今日も光のイメージに少し時間がかかっていると、いきなり宇宙空間が出現する。その中に光りが見えた。その光りで身体を浄化していった。いつの間にか、意識が遠のいていた。だが、またヒーリング時には意識は戻り、微量なバイブレーションを感じながら、それぞれ相手の方のヒーリングを終えた。

439回目の瞑想

飛行機
 
「自分の人生の先行きを心配しなさるな。神は皆さんを、その全人生を今まで見守って来て下さっていますからね。皆さんの方ではビクビクしていも、神はあらゆる試練を通じて、皆さんの人生の悲しみを越えて、ここまでつれて来て下さっていますからね。ですからこの後も、皆さんを暗い谷間を越え、光明の中へと神は必ずつれて行って下さいます。」
 
今日の「恐れなさるな」と題された内容は、神様は常に私達人間を身守っていて下さるということを教えて下さっている。私達には先行きのことを見通せる力がないので、不安がつきまとうが、神様が必ず試練を越えて、光明の中へとつれて行って下さると言われている。例え、どのような困難があろうとも、この事を信じて前向きに生きていれば、きっとまた日は昇るということなのだ。それは今の世のコロナ禍にあっても同じこと。恐怖や不安にならず、明るい気持ちで日々を過ごすことが、何よりも大事なことなのだと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸をし終わると、イメージする前にキラキラした光りが出現した。その光でまた身体の浄化をしていく。するとまたいつの間にか意識が遠のいていた。そしてまたヒーリング時には意識が戻り、すべて終わった直後に、いきなり庭に出ているような感覚になり、2匹のクロアゲハが仲良く飛んでいる様子を見ていた。これは何を意味しているのであろうか。黒い蝶は神の遣いとも言われているらしい。これから、何か変化があるのか見守りたいと思う。

440回目の瞑想 

飛行機
 
「平和と癒やしは神のみ心の中にあるものです。神のみ心の中に住みなさい・・・怖れなどはそこにはありません。」
 
今日の「平和の在所」と題された内容は、短い内容だが、端的である。これを実践し得ることが出来れば、この世に生まれて来た意味が価値がある。日々の生活の中では、なかなか実践することができない。神様を信じてはいても、常に平和や癒やしの心でいることはできないからだ。けれど私が体験する如何なる時にも神様のお光りの中の末端に入れて頂くことができるように、精進して行きたいと思っている。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、かなり深い呼吸をすることができた。その間は真に無になれる。そしてまた光りのイメージをする。今回はキラキラした光りだった。光の瞑想に入り、身体の浄化をしていく。この浄化を続けているおかげなのか身体の調子がずっと良好なのだ。本当に有難い。今日は意識ははっきりとしていた。そして、ヒーリング時もしっかりとさせて頂けた。

441回目の瞑想

飛行機
 
「人は誰でも選ばれています。一人一人の魂には、その魂の為すべき仕事があります。誰しも人の仕事を代わってするわけにはいきません。ひとり一人が自分自身の仕事をするのです。それ故に、私共はそれを受け取りなさいと、こう申します。皆さん、貴方の前にある仕事を受容し、大神霊にうまくそれがやれるようにと祈りなさい。」
 
今日の「自分の仕事を受け入れなさい」と題された内容は、私達人間には誰もが選ばれていて、為すべき仕事があると言われている。それはこの世での仕事でもあるし、また生まれる前に決めてきた自分の魂を向上させるべき事でもあると思う。この世の如何なる仕事であっても、また如何なる困難に遭おうとも、神様の摂理に適った生き方をして行けば、必ずやうまく事は運び、前へ進んで行けるのだ。日々の生活で迷ったり、行き詰まった時には、今日のお題を思いおこしたい。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想も、かなり深い呼吸ができた。光りのイメージをすることなく、光りが現れた。すぐに光の瞑想に入り、身体の浄化のイメージをする。その際、虹が映像として出現した。心の中まで浄化されるような思いになると、身体が上昇するような感覚になった。このまま昇天してもいいとまで思えた。だが間もなく、元に戻り、そしてヒーリングをさせて頂く。今日はヒーリングをさせて頂いている時の方が意識が薄れていたように感じる。

442回目の瞑想

飛行機
 
「人間の進化を進められる神のご計画に、どうしたら貴方は貢献できるかというと、いつも神の愛に目を向けて生きることです。すなわち、いつも光りをしっかりと見すえることです。されば、万人に神の善なるものが働いていることを見極められるようになることです。」
 
今日の「光りを見なさい」と題された内容は、私自身、遅々としてだが、実践していることではある。常に神様と共にあることを念頭に置いている。だが、日々の生活では、時々神様不在になる。それを絶対的に「常に」にして行かなければいけないと思っているだが、どうしても人間的な感情は出て来てしまう。更に瞑想を強化し、精進して行かなければいけない、と強く思う。
実は今朝の起きがけの夢がそれを物語っていたのである。

今日の瞑想でも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、いつものように深い呼吸して、光りの瞑想に入る。身体に光を当てていくイメージをしていく。その光りは今朝起きがけの夢の前に出現した神々しい金色の光りをイメージしたのだ。その神々しい金色の光りが出現した時に、はっきりと愛を感じた。更に温かく包容力のあるエネルギーに包まれ、心が洗われるようだったのである。因みに光の夢占いでは力や直感、或いは運勢の転換期の意味があるという。また神々しい金色の光については、幸運期に突入する表れ、思わず驚くような嬉しいことが次々に起こってその流れについていけなくなることもあるかも知れないなどと書かれていたのだ。だが、喜んでもいられない。
実は起きがけの夢はあまりにもリアルであり、かなりはっきりと覚えていたのだ。詳細は省くが、元々私は正義に対しての意識が高い。だがその正義に照らし合わせて、違っていると感じると、正したくなる性分なのだ。それは相手に対しても同じこと。それが夢に出て来たのだ。その時に感じたのは、正義に対しての相手に対する執拗なまでの追い詰めだった。(正義を振りかざして人を責め追い詰めることは間違っている)これが私のカルマなのではないかと思った。けれど、そこにその相手とは全く無関係なある女性がいて、私に話かけてきたのだ。「私は松波◯◯の妻です。」と名乗られた。続きの言葉にびっくりする。「私は以前からあなたの大ファンなのです。」と。その言葉にそれまでの行状についてとても恥ずかしい思いになったのだ。ここで目が覚めた。この松波という名字には全く覚えがないし、名前も言われていたのだが、覚えていない。またその女性のお顔をちゃんと見ていたが、この世の知り合いにはいないお顔だった。今回のこの夢は私自身が乗り越えなければいけない課題がはっきりとしたように感じたのだが、最後のこの女性についてはどういう意味なのかがわからない。私自身が恥ずかしい思いになり、反省せざるを得ない意図があったということなのか。おわかりになる方がいらしたら、ぜひ教えて頂きたいところだ。
今回は途中から夢の話に終始してしまったが、それだけインパクトのある夢だったのだ。神々しい金色の光りに対し、自分自身が戒めなければいけない課題という両極端ではあったのだが、起きてからジワジワと有難さを感じたのだった。

443回目の瞑想 

飛行機
 
「長老方は、皆さんのため、すべての者達のために休みなく働いておられます。長老達は怒るということはなく、未熟な者達を裁いたりしません。彼等は人間内在の神性を発現させていく神法、神のご計画を知っているからです。霊的に若い者は他者を裁くに急です。だが長老方は辛抱強く、過大な要求はしません。」
 
今日の「長老達は人を裁かない」と題された内容は、私達人間にとって、とても耳が痛い話だ。感情的に怒る、人を裁く、は常のように思う。でなければ、あれだけニュースで騒がれることもない。人間の感情は本当に厄介なものである。だが、人間として肉体がある限り、煩悩はなくならない。なくならなくても、コントロールできるようになれば、感情的になることかなり少なくなっていくのではないかと思う。それにはやはりお祈りと瞑想なのではないかと思う。もちろん、お祈りと瞑想をしたからと言って、直ちににコントロールできるようにはならないが、続けて行くことで、少しずつ変わって行けるのだと思う。これが自体が辛抱強くなければできないし、忍耐がいることだ。けれどいつか向こうの世界へ戻った時に恥じない魂でいたいと思うから、精進して行きたい。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸をし、光の瞑想に入る。光りのイメージはもちろん、昨日の神々しい金色の光りだ。その光りを身体に当てていく。イメージした箇所がそれぞれ温かくなる。今日は腸の状態が良好のようだ。今までは特に感じる事もなく過ごしてきたが、光を身体に当てるイメージをするようになってからは、部分部分を感じられるようになって来ている。また血液が浄化されていくイメージもかなり効果があるように思う。身体全体がほんのりと温かくなるのだ。その後ヒーリングをさせて頂き、気持ち良く終えることができた。

444回目の瞑想

飛行機
 
「人々の兄弟として生きるために、一番はじめに学ぶべき肝心なものの一つは、利己主義の克服です。利己主義を克服すれば、霊の花が開きます。貴方に聖者の花が開きます。聖者はもの分かりが良くて、人間味があります。すなわち人の気持ちがよく分かります。人の喜びや悲しみに入って行くことが出来ます。聖者とは愛そのものです。」
 
今日の「利己主義を克服しなさい」と題された内容は、今コロナ禍にあって、急務なように感じている。世界中に利己主義がはびこっている。自分だけが良ければ、という思い、自国だけが利益を得ればいいという思い、そのためならば、人を押しのけても達成させる。これでは地上天国は叶わない。コロナウィルスの感染は、人間の調和と協調によって、終息するのではないかと思っている。なぜなら、神様のご計画の中でのことだと思うからである。遠い未来には地上天国が適うと私は信じている。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも。深い呼吸をし、光りの瞑想に入る。身体に光りを当てるあたりまでは覚えていたが、意識が遠のく。ヒーリング時にはまた意識は戻り、一応終えることができた。
実はまたリアルな夢をはっきりと見た。ピアノの音色を聴いている夢と、知人からお箸をもらう夢なのだ。夢占いを見ると、ピアノの夢自体は、努力が認められるとか、苦労が実るというよりも生まれ持った才能が見出される予知夢だという。更に自分の才能を伸ばしたくて努力していると実力がアップするというメッセージでもあるようだ。またピアノの音色を聴く、というのは運気が高まり、大きな助けを得て、自分が求めていることをやり遂げられる予知夢とのことで、吉夢だったようだ。だが私はピアノの音色を聴いた時にもっと練習しなくてはと思ったのだ。これはもっと高みを目指しているということなのか。
次の知人(はっきりとわかった)からお箸をもらうということは、お箸は経済面に関わることらしいが、経済面での良い出来事が期待できるという。また交友関係に新しいメンツが加わる可能性もあるようだ。更に日常の安定感があり、体調も良くなるとのこと。運気も好調、家族関係も経済も順調とのことらしい。こちらも吉夢だった。
最近、リアルな夢を見ることができている。しかもそれをはっきりと覚えていられるようになってきた。実は少し前から、寝る前に「私は夢を見てそれを覚えている」という暗示をかけるようにしているのだ。これは最近読んでいる本に夢を活用することで自分の生き方を示唆できるという事が書いてあったのだ。そこには自分が夢を覚えておきたいという態度を示すと、潜在意識もそれに応えようとしてくれるということが書いてあった。もちろん、どこまでのことができるかわからないが、書かれたご本人はリアルな夢を見て、それを実践することで、道が開かれてきている。導かれていることがわかる。とりあえず、私も試してみようと思っている。だが、なかなか夢本来の意味がわからないと実践しようにもできない。これから頻繁に夢を見るようになれば、夢の本来の意味がわかる本も紹介されていたので、試してみる価値はあると思っている。

445回目の瞑想

飛行機
 
「皆さん、どんなに貴方の道が険しくても、毎日、神の生命の栄光を求めなさい。高く飛び上がりなさい。高い心をもって、思いの限り。霊的太陽のキラメク光の中に立つのです。この光こそ、貴方の中に流れる創造力であると知りなさい。この光こそ、すべての病気を癒やし曲がったものを真っ直ぐにする、創造的エネルギーであると知りなさい。」
 
今日の「太陽の中に立て」と題された内容は、常に話されていることだ。どんな状況にあろうとも、神様を信じ、神様の摂理に適った生き方をしていれば、私達人間の内なる魂が目覚めて、創造的エネルギーを発することができる。もちろん、簡単ななことではない。けれど、人間が生まれてきた意味は意義は、この事にあると言えるのだと思う。この世で例え、そこまでのことが適わなくても努力して行くことで、正しい道を進んでいることだけは確かなことだと思っている。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸をし、光りの瞑想をする。意識はほとんどはっきりとしていた。いつものように身体に光りを当てていくイメージをして行くが今回はかなり具体的な感覚があった。細胞が活気づいているような感覚だった。これは言葉で伝えることは難しい。そして、そのままヒーリングをさせて頂いた。
 
今朝もはっきりとした夢を見た。詳細は省くが、演奏会会場に行く場面から始まる。だが、途中で道に迷ってしまう。辺りを見回すと高い建物があり、なぜかその建物が会場だと思う。だが現代の建物とは程遠く日本の建物でもなかった。古めかしい洋風な建物だったのだ。けれど懐かしくも感じていた。今、もしその建物の写真があったら、わかるくらいにはっきりしていた。その建物を見ながら、そちらの方角に歩いていく。やっとのことで近づくと、中世のヨーロッパの人が着るようなドレスを着た女性がゾロゾロとその建物に向かって歩いていたので、この会場で間違いないと確信して、向かおうとしたその時に、バックがないのことに気がつく。そのバックに演奏会のチケットも財布も入っているので、自分の服を両手で触ると同時に見ることができた。すると私の着ている服は庶民の服のようで、白一色のシンプルなかぶり物のようなストーンした服だったように感じたのだ。そこで夢は終わった。これは私の前世なのか。私自身は瞑想で日本の巫女だった前世を知ることができたが、こんな夢は初めてであったし、考えたこともなかった。だがもしこれが過去だったとしたら、やはりこの時代から音楽を愛していたのだとその事は嬉しく思えたのだ。

446回目の瞑想

飛行機
 
「精力の保全を学びなさい。日常生活でたえず起こる感情や精神の使いすぎや、そのコントロールの仕方を学びなさい。大師はエネルギーの保全について卓越した道を修得しています。ですから、決して自分のエネルギーを、活力を、すなわち神の生命を無駄遣いしません。人生の嵐の中にあっても、彼は落ち着いて静寂を守るように、自らを鍛えます。」
 
今日の「浪費せぬこと」と題された内容には、本当に考えさせられる内容だ。確かに私達人間は日常生活において、たえず何かしらの感情で心の落ち着きをなくしている。特に今のコロナ禍にあっては、精神的に不安や恐怖などで、エネルギーを使いまくっているのかもしれない。それを神の生命の無駄遣いと言われている。人生の嵐の中にあっても、心を落ち着けて、冷静に物事の判断をしなくてはいけないということなのだと思う。それにはやはり内なる魂をより発揮できるようにしておくことが肝心なのだと思う。今この時こそ、試されているのかもしれない。心を落ち着けて静寂を守るように肝に銘じたい。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも深い呼吸をし、光りの瞑想に入っていく。今回の光は球体でその光に強さがあった。その中心から光が四方八方に放たれていて、とても美しかった。また全身を浄化していくようにイメージする。漠然としたイメージが今回はとても詳細な感じでイメージできた。すると、『光りは元の自分の姿』との言葉が浮かんだ。何とも言えない気持ちになった。有難かった。そうしている内にいつの間にか意識が遠のいていた。そしてまたヒーリング時には意識が戻る。その光りを感じながら、ヒーリングでもその光りが相手に届くようにお祈りした。

447回目の瞑想

飛行機
 
「きっぱりと棄てなさい。思いを尽くし、魂を尽くして神を愛しなさい。そうすれば奇跡が起こります。肉体だけじゃありません。生活の上にも、仕事の上にも起こります。」
 
今日の「決して疑わぬこと」と題された内容は、今の私に必要な言葉であった。もちろん、疑ったりはしていない。けれど、心配な事があるのだ。今朝の瞑想でも、払拭しようとできるだけ冷静に心をいつも以上に落ち着けるように試みた。そうして開いたお題が上記の内容だったので、改めてすべてを神様にお任せしなければという思いにさせて頂けたように思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、長い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、気持ちを落ち着かせるように長い呼吸をした。何度か心配事が頭を過るが次第に薄れていき、頭は空っぽ状態になった。すると、いつの間にか意識が遠のき、無の状態になる。気がつくとヒーリングをさせて頂く時間だったので、しっかりとさせて頂いた。その間も頭の中は何もなかった。そして、本を開いてお題を見た途端に、ハッとさせられたのだ。常に神様は見守っておられるのだと。霊界の高級霊の方々がおられるのだと。心に温かいそよ風が吹いたような思いになれたのだった

426回目の瞑想

柔らかい光
 
「貴方個人の問題や心痛に対する答えは、万事を神に委ねること、これです。内心の平静を保ち、心静かでありなさい。ガムシャラに人生を駆けようなどとせぬことです。平静であって、自分の仕事を静かにやっていきなさい。花が生きるように生きることです。心を神である太陽の方に開きながら。」
 
今日の「落ち着いて働きなさい」と題された内容は、もう何度も説いて下さっている内容だ。常に神様を信じてお委せすること、与えられた自分の役目を果たしながら、心静かにいろいろな物事を淡々と処すこと。私達人間が生きて行く中で心がけて行かないければいけないことを何度も説かれている。更に例えとして、ゆっくりと開花していく花のようにとある。また花は太陽に向けて伸びていく。今まさに我が家の庭の薔薇はいっぱいの蕾をつけながら、太陽に向かってゆっくりと開花の時を待っている。私はそれを毎日見ているので、今回花に例えられたことが妙に得心がいった。神様の創られた自然に教えてもらえているのだと強く感じることができた。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸をし、光りの瞑想に入る。キラキラ光る光りをいつものように浄化していくようにイメージしながら、身体の各部所に当てていく。今回は意識があったままだった。そしてヒーリングもいつもようにさせて頂き、終える。すると、「心の中の光りを外に向けると、その光りは自分にも注がれる」との言葉が浮かんだ。その途端に身体の奥の方から重みのあるバイブレーションが徐々に身体全体に広がっていったのだ。いつもとはちょっと違っていた。更に目の前に炎のような光りのような映像が出現し、私に向かって何度も何度も覆いかぶさるように迫ってくる。それを見ているうちに次第に涙がこぼれてきた。そして神様に霊界の方々に感謝の言葉を口にしていた。真の心の静寂というものを得たように、心の平和が感じられたのだ。

427回目の瞑想

飛行機
 
「貴方が真剣に愛や光の想念を放出している時は、自分を光で包んでいるのですーーー貴方が愛と光を出せば出すほど、それを自分に受けているのです。貴方のハートから放出される光は、他者の唯物的な間違った思想を消散させるだけではありません。自分の周りに保護膜を創っているのです。このことは次のような言葉で言われています。『神の十全なる鎧を身に着けなさい』」
 
今日の「神の鎧」と題された内容は、昨日の瞑想時に浮かんだ言葉を詳しく教えて頂いたように感じた。要するに私達人間一人一人が、愛と光をもってお祈りしてする時には、他者を光で包むだけでなく、自分をも光で包んでいて、それが保護膜になり、強力な鎧となるのだ。この鎧は神様の鎧なので、何があっても壊れることはない。従って、恐怖も不安もなくなる。正しい強さが身に付くのだ。この正しい強さがあればこそ、真の愛を実行できるのだと思う。目指べきものであることを確信する。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸をし、光りの瞑想に入る。今日は光をイメージするのに時間がかかってしまった。しばらくしてやっと光をイメージすることができた。そしてまた身体の浄化をしていく。浄化が終わる前から意識が遠のき出すが、何とか最後まで終えることができた。その途端に意識はほぼなくなる。が、またヒーリング時には意識は戻り、それぞれ相手の方のヒーリングを終えることができた。その間には映像で、色のない万華鏡のような模様が出現した。また微量ながらバイブレーションも感じた。

428回目の瞑想

飛行機
 
「次のことを知っておいて頂いて、ストレスや困難の折に、慰めとなってくれますように。すなわち人の苦しみ、人の我慢、自己鍛錬、これはみんな身のためになることです。これは無駄じゃないのです。そのおかげで貴方は進歩し、栄光と幸福と完全な生へと向上していくのですから。勇敢に勇気を出して希望をもって、自分の人生を進んで下さい。貴方の今おかれている環境、今おかれている状況は、過去の自分のカルマが創り出したということを心得て、感謝をもって、今貴方が置かれているチャンスを受け入れねばなりません。常に神を待ち望むこと、そうすれば道が貴方に示されます。貴方の内部に、私どもは貴方と共に、貴方を見守りながら一緒にいます。私達すべては一つの同胞団です。全ては一つであり、一つはすべてなのであります。」
 
今日の「ストレスや困難がある時に」と題された内容は、まさに核心部分であると思う。今、私達のおかれている環境は、過去の自分のカルマが創り出したことだと。それに感謝して受け入れて行かねばならないと。と言うことは今世界中にコロナ感染があるということは、世界全体の過去のカルマが創り出したものなのではないだろうか。今までも今現在も人間の利己主義は蔓延っている。それを正すためのものとしか考えられない。利己主義から利他的になるように、自国だけが救われればいいのではなく、他国にも愛を持ち、更には地球全体のことを考えて行くべき時期に来ているのではないかと思う。一人でも多くの方がこの真理に気づき、行動をおこして行くことが急務なのではないだろうか。コロナを怖がるのではなく、人間がこの世での生きる意義を霊的真理を真剣に考える時間を神様が下さっているように思えてならない。この訓えにもあるように全ては一つであり、一つはすべてなのだから。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸をし、光の瞑想に入っていく。それを終えた直後に映像が出現した。今日は何人もの人が出て来たのだ。しかも顔もはっきりと見えた。けれど、知った顔はひとりもいなかった。かなりリアルに数人もの人が出て来たのは初めてだった。それもほとんどが女性だったように思う。今となってはもうおぼろげでしかないが、その瞬間は実体として感じられたのだ。その後はヒーリングをさせて頂き、終えることができた。

429回目の瞑想 

飛行機
 
「自分が誤りを犯しているとはっきりしても、ベストを尽くしなさいーーーそれが誤りかどうかを、どうやって貴方は判断しようとするのですか?人間に出来ることは、自分のベストを尽くして人類と天使らのお役に立とう、その思いに生きることです。こうすれば、人は神の光の通路として一歩一歩大きくなっていくのです。」
 
今日の「ベストを尽くしなさい」と題された内容は、私達人間が誤りを犯しているとしても、ベストを尽くせと言われている。確かに私達は善悪はこの世的にしか判断できない。けれど、霊的に見た場合、誤りと思ったことが正しかったりもする。もちろん、この世的にはっきりと分かる悪について、やってはいけないことは明白だが。けれど自分としては正しいと思ってしたことも霊的に見たら、間違っている場合もあるかも知れない。それでも、自分のベストを尽くすことが大事だと言われているのだ。但し、そこに人類を思う心、神様や霊界の方々のお役に立つ思いがなければならない。その思いに生きることで、神様の光の通路となるべく、成長していくとのことだ。有難いお言葉だと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸をして、光の瞑想に入る。今日の光りは十字型の光だった。それを今回は身体の各部所に外から当てる感じにイメージしてみた。けれど、全部終わる前に意識が遠のいていた。そして、いつもヒーリングする時間よりも少し遅れて意識が戻り、ヒーリングをさせてもらった。だが途中でやはり意識が薄れたり、戻ったりの繰返しだったが、一応ヒーリングを終えることはできた。また微量なバイブレーションも身体に感じていた。

430回目の瞑想

飛行機
 
「貴方が求めさえすれば、貴方の発見を待っている素晴らしいものがあります。美しいものに目を向けなさい 。反対に美しくないものはいけません。この人生に対しても人々に対しても前向きで愛に満ちた態度、これこそ、私達が皆さんに教えて上げたいと思っている神の魔力です。この魔力を発揮しさえすれば、神の力を受け易くなります。癒やしの神秘力を働かせ易くなります。」
 
今日の「癒やしの魔力」と題された内容は、素晴らしい内容だが、求めたからといって、すぐに叶うわけではない。この神様の魔力というものを発揮できるまでには、今までのような心がけや生活態度では到底無理なのだ。人生に対しても人々に対しても前向きで愛に満ちた態度、口で言うのは簡単だが、実際に実践するのはかなり難易度が高い。もちろん、日々努力して行くことが肝心なのは肝に銘じているのだが、まだケースバイケースでしか出来ていないと感じている。早くこのような心境になりたいと強く思っている。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸をして、光の瞑想に入る。光をイメージしていると今日は丸い形でお月様のような光だった。その光を見ていると、心が落ち着き安心できるような気持ちになった。そしてまた身体の浄化をしていく。この間は意識ははっきりとしていた。そしてヒーリングをさせて頂く。させて頂いている中で意識が薄れたり、戻ったりを繰返していたが、一応最後まで出来た。その途中に少し重みのあるバイブレーションも身体に感じた。

431回目の瞑想

飛行機
 
「もしも貴方が内在の神性を高める努力をするなら、それは全人類を向上させることになります。貴方が天に向かってする一つ一つの努力は、全世界のためになり、地球そのもののためでさえあり、地球を向上させます。皆さん、皆さんがもっている責任に目を向けなさい。何と素晴らしいチャンスを皆さんはお持ちのことか。地上の暗いものに目をくれて、貴方の生得の自由と幸福、奉仕と名誉の権利を無にされぬよう、安らぎが皆さんの上にあれ。平和と大いなる喜びが皆さんの上に。」
 
今日の「私が、もし私が向上すれば・・・」と題された内容は、大いに勇気をもらえる。日々私が努力していることが、そこまで大きな事として広がって行くのだとしたら、それこそこの上もない喜びである。私が実践していることは、とても地道で忍耐の連続だ。このような内容に触れることができることに感謝しかない。内在する魂を目覚めさせ、神様と同調できることが唯一の願いである。それが全世界のためにもなり、ひいては地球の向上のためにもなることに大いなる力をもらえる。これからも更に身を引き締めて精進して行きたいと強く思った次第である。

今日の瞑想でも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、また素晴らしい体験をさせてもらえた。いつものように深い呼吸して、光りの瞑想に入る。順々に身体の各部所に光を当てていくイメージをしていき、目に当てている時だった。いきなり、目の前にドアのようなものが出現し、それを開けてみた。するとアーチ型をした先にまばゆいばかりの神々しい光りが目に飛び込んできたのだ。あまりの凄さに圧倒されながらも前に進もうとするが、その光りの威力に前へ進むことができなかった。ただ、進んだ先には素晴らしい世界があることは間違いないと確信した。今でもその光りを思い出すと何とも言えない心持ちになる。この体験は今まで瞑想をしてきたからこその体験だと思えて本当に有難かった。またヒーリングを終えると同時に右の方からかなりの明るさを感じると光りが差し込んできた。その光りが真正面に見えた時に、またまた有難い気持ちで胸が一杯になったのだ。
この度の素晴らしい体験は自分にとって記念すべき日と思っている。(画像のような光りが真正面に出現した。またこの画像をジッと良く見て欲しい。動きがあるのがわかるだろうか)

432回目の瞑想 

飛行機
 
「幸せな気持ちでありなさい。喜びで満たされ、前の方、光りを見つめていなさい。この金色の無窮の光に生き、その中で活動しなさい。貴方を害するものなど何一つないと知りなさい。唯一の真実なるものは光です。神です。愛です。」
 
今日の「唯一の真実なるもの」と題された内容は、昨日の瞑想で見た神々しい金色の光のことを言われているようで、確信めいたものを感じさせてもらえた。その中で活動しなさいと言われているが、それが出来ているかどうかはわからないが。けれど、私にとって、昨日見た光りは忘れることはできない。唯一の真実なるものは光です。と断言されていることにも、とても勇気をもらえる。私の進んでいる道は間違ってはいないのだと、励まされているように感じて心強く思えた。毎日同じことの繰返しだが、頑張る気持ちを後押しして下さったようで、有難かった。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸をし、光の瞑想に入る。光りのイメージはもちろん、昨日の神々しい金色の光りだ。その光りに身体の各部所が包まれるようにイメージしていく。包まれているようにイメージした箇所がそれぞれ温かくなるように感じた。特に心臓の温かさは今まで感じたことがないほどだ。また血液も浄化されて身体全部に行き渡るようにイメージしていくと、身体全体がほんのりと温かくなっていく。その間も光りを感じている。また映像も真っ白な背景に真っ白な雲が下から上へと天を突き抜けるようにあがって行った。すると今度は画像のような宇宙に浮かぶ地球が現れた。画面を引いて見ようと思ったが、そのままの状態で動かせなかった。その後ヒーリングをさせて頂いたが、いつもに増して光りが流れて行くように感じた。

433回目の瞑想

飛行機
 
「賢い人は論争しません。沈黙して静かに己れの道を進みます。唯、大師の足跡に従うそのことだけを心にかけながら。」
 
今日の「大師の道」と題された内容は、霊的に高い人の話なのだと思う。凡人にはなかなか難しい。けれど、やはり難しくても努力していく姿勢が大事なのだ。シルバー・バーチ霊も言われている。簡単に成就できたら、価値あるものとは言えないと。この内容のような事を目指して日々努力して行くこと。これがこの世に生まれた意味なのだと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝は早朝での瞑想であった。深い呼吸をし、光りの瞑想に入る。身体に光りを当てることで、また温かくなる。また右下方に大きな丸い形のものが(地球にも似ていたが少し違う)光輝いていた。更に全体が星のようなものが散らばり、キラキラとしている。つい見とれてしまう。慌ててまた身体に光りを当てるイメージの続きをして、ヒーリングをさせて頂いた。

434回目の瞑想

飛行機
 
「祈りの道とは、愛の精神に自らを完全に同調させることです。その中にありなさい。その中に生きなさい。自分のことや世俗のことを思っては駄目です。神を思いなさい。一人では人間は無に等しいものです。しかし、光明の星の中心、すなわち天界の光りの中に住めば、人間は偉大となります。そのとき人は心が神につながり、神は人と一つにつながりますから。こうして人が善、すなわち神と一つになる時、万事がうまく運んでいくものです。」
 
今日の「祈りの道」と題された内容は、祈りの真髄だと思う。祈りによって神様と同調できるようにと真から願うということなのだと思う。ただ、お祈りしている時や瞑想している時には出来ているように思うが、やはり普通に日常生活を送っている時に出来ているかと言われれば、正直イエスとは言えない。やはりその時々で心は揺れ動く。努力しているつもりだが、意識している時には出来ていても、無意識の時に出来ることが肝心なのだと思う。今回の内容も諭されているように感じて、頑張って行くしかなと強く思った。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸をし、光りの瞑想をする。意識ははっきりとしている。いつものように身体に光りを当てていくイメージをして終わると、例えとして、快晴の浜辺にさざ波が打ち寄せているという穏やかな光景のように心が平静そのもになった。そして、そのままヒーリングをさせて頂く。いつもと変わらないのだが、気持ちが違っていた。
実は昨日我が家には嬉しい出来事があったのだ。過去の備忘録にも記して来たが、主人は6年前に脳出血をしている。なので退院後は年に2回ほど脳外科に検査しに通っているのだ。昨日はその脳検査日だった。もちろん、検査のみで薬の処方も治療もない。MRIを撮って、医師に変わりないかを診てもらい説明を受けるのだ。半年前の(去年9月頃)検査では、かなり小さいものではあったが、ハッキリと出血の後が一箇所あったのだ。医師曰く「通常1,2箇所程度なら問題はないが、増えてくると危険生が高まる」と。けれど防ぎようもないとのこと。その結果を聞いた主人が私にヒーリングをして欲しいと言ってきたのだ。確か9月も終わり頃だったと記憶している。それから毎日ほとんど決まった時間にヒーリングをさせて頂いてきたのだ。それが功を奏したのかは定かではないが、昨日のMRIの検査では、全く問題ないと言われたのだ。しかも前回の出血の後も薄らとしか残ってなかった。その上、脳の病気になった人のリスクが高い認知症やアルツハイマーの検査もして下さっていたのだが、それも全く問題ないと太鼓判を押して下さり、その数値も見せて下さり説明もして下さった。主人は、ヒーリングのおかげだと、感謝してくれて、とても嬉しそうだった。ヒーリングの力だとしたら、それはすべて神様の力なのだ。私は単なる通路でしかない。神様に心から感謝の気持ちを述べたのは言うまでもない。本当に有難く、護られていることを強く感じさせてもらえた。

435回目の瞑想

飛行機
 
「神が子等をお見捨てになることは決してありません。自分の我意のままに事を行おうとしてはなりません。自分の環境も、自分の現世的欲求の通りになれかしと、求めてはなりません。そうではなくて、神は究極において幸福になる道を導いて下さるのだと、この信頼をお持ちなさい。」
 
今日の「神はお見捨てにならない」と題された内容は、心強いお言葉である。私達の思い通りにならなくても、またそれを求めなくても、神様は必ず幸せになる道に導いて下さるということ絶対的に信じることが大切なのだと思う。とかく人間は、自分の思い通りにならないとイライラしたり、焦ったりして行動をおこしてしまいがちだが、やはり神様を信じて待つ、または辛抱することを身につけて行くことが肝要なのだと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも深い呼吸をし、光りの瞑想に入っていく。イメージすると今日は形容し難い光りが現れた。けれどとても美しかった。また全身を浄化していくようにイメージする。そうしている内にいつの間にか意識が遠のいていた。そしてまたヒーリング時には意識が戻る。昨日、毎朝ヒーリングしているお相手の方からお礼のご連絡をもらった。鬱と診断されて数年苦しんで来られた方なのだ。今まではなかなか快方に向かわなかったらしいが、私がヒーリングを始めてからは少しずつ良い兆しを感じて下さっていたのだ。今回はかなりいい状態になって来ているということで、とても感謝して下さっていた。本当に有難い。神様に何度となくお礼のお言葉を述べさせて頂いた。今日もお相手の方を思って微力ではあるが、ヒーリングをさせて頂いた。主人のことと言い、今回の方のことと言い、とても励みになるし、力をもらえた。

436回目の瞑想

飛行機
 
「足を大地に着け、顔は天へ向けて上げておきなさい。何となれば、これによって、天から降りて注ぐ光が貴方の足を安定させ、真っ直ぐに歩む道を導いてくれましょう。この聖なる光に確信を置きなさい。平静心と、この無限の叡智への満腔の愛を込めて、身を委ねなさい。」
 
今日の「大地に足を、頭は天に」と題された内容は、やはり神様を信じて、確信を持ちなさいと言われているのだと思う。信じているつもりでも、いざ何かあった時には、心は揺れ動く。けれど、何があっても動じない心にするためには、やはり日々の瞑想なのだと思う。必ず、何かしらの変化はあるはずなのだ。その体験を通して、信じる心は強くなっていくのだと思う。私自身もそのような心境になるべく精進している。皆様にもぜひ、瞑想をお薦めする。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想は深い呼吸をする前に、すでに映像が出現した。それは海なのだが、その水の美しさはこの世の比ではなかった。澄んでいるとか透き通っている、というような形容で現せるのだが、けれどこの世の美しさはひと味もふた味も違っていた。なので深い呼吸をした後は、光りの瞑想に入ることを忘れてしまっていたのだ。その後ヒーリングさせて頂いた。
 
昨夜、主人が録画してくれていたNHKの「ドラマ 星影のワルツ」を観た。題名だけではどんなドラマかわからなかったが、いきなり漂流している男性が助けを乞うているシーンだった。東日本大震災の実話に基づくドラマだったのだ。津波にのまれた男性が屋根の破片に乗って福島沖の海を3日間も漂流していたというお話。しかしそこには夫婦愛が根底にあり、人間の生き死にがはっきりと浮き彫りにされていたのだ。
津波にのまれる直前、自宅で妻と一緒に避難しようとしていた時だった。スーツケースに必要なものを入れて閉めると、妻が小瓶のビタミン剤を持ってきた。しかしもう一杯で入らないので、その男性であり夫のポケットに3瓶ほど入れたのだ。そしていよいよ津波が押し寄せてくるその時に、二人はしっかりと紐で二人を結わえ、抱き合うと妻が愛唱歌である「星影のワルツ」のメロディーをずっと口ずさんでいたのだ。そして画面は変わり海の中。しかも夫一人。必死にもがき、ある屋根の破片にしがみつき登ると、その屋根は自分で白いペンキを塗っていた自宅の屋根だったのだ。しかし、それからは耐えがたい寒さと渇き、更には飢えと孤独と戦うこととなる。けれど妻がポケットに入れてくれた小瓶で渇きを潤すことができた。更に布団が流れ着いて、寒さもしのげたのだ。妻に生きろと言われているように感じた夫は、途中では駄目だと思いながらも必死で頑張り、ついにイージス艦に助けられたのだ。当たり前の日常がどれほど尊いものだったかということを感じたのだ。
 生かされる人間は奇跡のようなことが起きる。もちろん、この世には奇跡はなく、すべて必然なので、生きて行くことを生まれる前に計画していたからこそのことなのだと思う。また妻は亡くなってしまったが、潜在意識ではわかっていたように感じる。夫を助けるべく、ポケットに小瓶を入れたりと、布団も妻が流れ着くようにしてくれたのではないかとさえ、思えるのだ。この様にいつ何時私達人間は危険にさらされるかもわからない。今の世もコロナ禍にあって、世界中が体験している。けれど、しっかりと神様を信じて行くことで、その難を逃れられることもあるのだと強く思った。

415回目の瞑想

柔らかい光
 
「皆さんは他者を助けるために何かをしたいと願っておられる。私共から申しますと、一番大事な仕事とは、自分の魂の中の神光を開発することです。何となれば、それが神の子の誕生です、貴方の内部に、また、万人の内部にです。皆さんのなさる格別な仕事とは、私共の仕事もそうですが、地上の無明の中にこの神光を差し入らせる方法を学ぶことです。」
 
今日の「神の子が貴方の中に誕生している」と題された内容は、他者を助けることの前に自分の魂の中の神光を開発することだと言われている。確かにそれを強く望んでいる。その方法を学ぶことが大事なのだと思うが、それはやはり瞑想や奉仕なのではないだろうか。静寂な中での真に求める気持ちと奉仕の実践をして行くことが、いつか内なる魂が目覚めるのではないかと私は思っているのだが・・・もちろん、簡単なことでないのはわかっている。目の前の小さいことからコツコツと積み上げて行くしかないのだと思う。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸の間は意識ははっきりしていた。しかし光りの瞑想に入ると、徐々意識が薄れていく。だがそれもその時には、意識はあると思っているのだが、ヒーリングする時になぜかちゃんと意識が戻る。その時に意識が遠のいていたことを知るのだ。ヒーリング中、昨日と同じように身体に微量なバイブレーションを感じていた。時折、光の映像も出現していた。

416回目の瞑想

飛行機
 
「日常生活にあって、どんな状況であろうと、内在の神の意志をきく努力をすれば、たちどころに心の平静が得られます。どんな状況であってもです、貴方は嵐が静められるし、静寂を知ることが出来ます。皆さんは、自由で神聖で幸福で健康で、楽しい人生を知りたいと望んでおられる。奉仕ができて神の国が見える、そういう人生をお望みである。よろしい、そのポイントを示してあげましょうーーー第一に、魂の静寂、これです。何事によっても自分を乱してはなりません・・・何事かで自分が乱れれば、生命源から貴方の魂につながっている美麗な光の糸を、みんなもつれさせ、こんがらかしてしまうことになりますーーー現実に、貴方は電線を遮断するわけです。だから、貴方は何でこんなに事が上手く行かないのだと、不思議に思うのです。電線を遮断してはいけません。貴方が接続している通り道をきれいにしておきなさい。静かで穏やかでありなさい。大師は決して乱されるということがありません。」
 
今日の「何ものにも乱されぬこと」と題された内容は、私達人間が目指さなければならないことだと思う。私自身も瞑想では魂の静寂を実施していて、その間は出来ているように思っている。けれど、日常生活の中では、常にその心持ちを維持できていない。できる限りその様にと思ってはいても、実際は心が乱れることはある。それが電線を遮断しているということのようだ。簡単にはいかないが、今後もできる限りの努力はして行きたいと思っている。精進あるのみ、これ以外には方法がない。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングの前に、先日お話しした本を読んでいた。するとその本の内容に感動し、既に心が洗われるようになっていたのだ。涙も出てきた。その澄み切った心のまま瞑想に入ると、何を思う事もなく、無の状態となり、ほとんど意識は遠のいていた。また、ヒーリングの際に意識は戻ったが、やはりすぐに、身体の微量なバイブレーションを感じながら意識は遠のいていた。言葉では表現できない心持ちの変化を感じたのだ。

417回目の瞑想

飛行機
 
「光を燃やし続けなさい。内部にある神性の光を絶やさずに守ることにより、大事なことはありません。これだけが大師が皆さんに求めておられる奉仕の仕事に、必要な力を与えてくれるものです。貴方が貴方の持ち場で、勇気と忍耐をもって働けば、それに応じて貴方に返ってくるものがあります。見えない友等が与えてくれる友愛の心と、及び、現実の物質生活上での助力、これらです。」
 
今日の「光明を燃やし続けなさい」と題された内容は、今の私には心から、得心できる。確かに瞑想を続けることによって、必要な力に導かれていることを感じている。特に今回はそれを痛感していて、有難い思いの極みとも言っていいくらいのことが得られそうなのだ。これからは更に前に進むべく状態になって行くように感じている。少しずつでも変わって行けたらと願って止まない。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、深い呼吸もかなりスムーズにできるようになってきた。光りの瞑想も続けているが、心が少しずつ微妙だが変化してきているのを感じている。今日は最後の最後で、霊光のようなものも映像として見えた。素晴らしい光りだった。ただただ有難い気持ちで一杯になった。

418回目の瞑想 

飛行機
 
「私達には人を許すことが沢山ある、このことを覚えておくのは良いことです。人を裁くことなく、人を許すようになることは良いことです。私達には人の魂のことはよく分かりません。人の中に神の火花を見ようと求めることは、私達の義務であり、またこれにすぎる喜びはありません。」
 
今日の「私達の罪を許したまえ」と題された内容は、何度も繰り返し言われている。人を許すということが、とても重要なことなのだと思う。ただ私達人間にとって、人を許すということは最も難関な課題である。人の中に神様のお心を見ようと努力することは義務とまで言われている。だが、自分に対して良からぬ態度をとる人にそれができるかと言われると、なかなかすぐに「はい」とは言えない。ただ、この難関を乗り越えてこそ、神様の摂理に適った生き方なのだと思うので、できる限りの努力はして行きたいと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想やヒーリングでは、深い呼吸をしているうちに、意識が薄れて、光の 瞑想はできなかった。そんな中で、またギリシャのパルテノン神殿がハッキリと映像として出現した。前にも一度映像として出たことがあった。私の過去生ではギリシャ時代もあったようなので、それでなのかとも思うがなぜ出現するのか意味を知りたいものである。その後ヒーリングをさせて頂いている時にまた微量なバイブレーションを身体に感じた。

419回目の瞑想

飛行機
 
「皆さん、カルマとはまだ学習していない教訓のことです。この学習は平静な精神で対処せねばなりません。貴方のカルマを喜びなさい。神に感謝しなさい、学習のチャンスが与えられたことを、カルマを処置する機会が来たことを。これこそ、貴方が大白色霊団の館へと登って行く階段なのですからね。」
 
今日の「カルマを喜びなさい」と題された内容は、この様に言われると、カルマは有難い存在のように感じる。カルマというと、前世に悪い行いをしてきた事のように感じていた。けれど、確かにカルマを処置する機会を与えて頂いた事は、本当に有難いことなのだと思う。霊的真理を理解し、神様の摂理に適った生き方をすることで、カルマはどんどん昇華して行くように思う。だが、神様の摂理に適った生き方とは、今までの観念とは違うので、神様や霊的な存在を信じていない人にとっては、大変な苦労が伴う。もちろん、神様や霊的な存在を信じていても、信じる気持ちだけではやはり、まだまだなのだ。そのためにこの世に生まれて来たのだから、克服するのは簡単ではないと思うが、努力して行くことはできる。神様と同調できるよう、神様の偉大なお光りの中に入って行けるよう、努力を惜しまず、頑張って行きたい。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想やヒーリングでも、かなり深い呼吸ができるようになってきている。ただ集中していると、徐々に意識が遠のいていく。昨日ものだが、光りの瞑想ができなかった。またヒーリング時には、流れている曲の音に共鳴するかのように、美しい別の音が聴こえてきた。最後曲が終わるまで、その音はずっと聴こえていたのだ。何とも心地良い思いで終えることができた。

420回目の瞑想

飛行機
 
「祈りや冥想で、神と自己との静かな毎日のつながりを作るように深めていきなさい。自分の霊からの光を常に与えることですーーー暗い気持ちじゃなく、光をのみ与えるのです。そうして、辛抱強く謙遜に自分の道を歩いて行くことです。そうすれば、間違いなく神のエネルギーを受ける者、神愛を反映する者に貴方はなりましょう。」
 
今日の「神と自己との毎日のつながり」と題された内容は、現在私が実践していることだ。できる限り、神様と同調できるようにと、神様の光の中に入っていけるようにと、いう思いでお祈りしている。何度が暗い気持ちとまではいかなくても、沈んだ面持ちだったこともあった。紆余曲折しながらも、今はただただ神様を信じて、神様だけを思ってお祈りも瞑想もしていこうと思っている。そしていつか神様のエネルギーをしっかりと受けられるようになり、神様の愛の心を反映できる魂になることを切に願って止まない。私の望みはそれしかないと言っても過言ではないのだ。神様と一体になれる日を夢見て、耐えて行こうと思う。

今日の瞑想でも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸に集中して、光りの瞑想に入る。その光りはキラキラとしていてダイヤモンドのようだった。その光を身体中に行き渡らせて、頭の中で一杯にすると、意識が遠のいていった。しばらくして意識が少し戻った時に、目の前が明るくなり、素晴らしい光りの映像が出現した。これまた全く違う光りだったが、説明が困難なのだ。この世のものとは思えなかったからだ。身体中が熱くなり、かなり強いバイブレーションも感じた。そのままヒーリングへと進み、この素晴らしい光が相手の方に届くようにと祈った。心が洗われたような清々しい気持ちで終えることができた。いつもこの様な思いでいたいものだ。

421回目の瞑想 

飛行機
 
「皆さんは些細な事、小さな問題で騒ぎ立てたり、取り乱したりします。それはお止めなさい。自分自身の主となるように祈りなさい。自分の城を愛と真理と叡智と美をもって治めるように努めなさい。」
 
今日の「自らの主となれ」と題された内容は、私達人間にはやはり耳が痛い内容である。もちろん、些細な事などではなく、深刻な事に対しても取り乱すことは止めなければいけないのだと思う。常に神様を信じて、平静な心でいられるように、自分自身を律して行くことが肝要なのだ。そこにはやはり、瞑想がなければ得られないのではないかと思う。普通の生活の中で、得るにはかなり至難の業と言えるだろう。理想は神様を信じ、瞑想し、自分を律し、更には奉仕に至るまで出来るように努めて行きたいと思っている。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸をし、光の瞑想に入る。光りのイメージはいつもキラキラしているのだ。その光りに身体の各部所が包まれるようにイメージしていく。意識が薄れて行く中、目の下全体が明るくなる。更に中央には菱形のような光りが動きながら輝いていた。そしてその周りを流れ星のような光リがあちこちで流れて行くのだ。まさに荘厳そのもののようだった。身体のバイブレーションも感じ、力強いエネルギーも感じられた。

422回目の瞑想

飛行機
 
「心に疑念がある時は、静かにして、待ちなさい。疑念がなくなったら、勇気を出して前進しなさい。モヤが貴方を包んでいる間は、じっとしていることです。陽光が射して、モヤを追い払うまで静かにしていることですーーモヤは必ずはれるのですから。はれたら勇躍前進です。」
 
今日の「心に疑念があれば、何もしないこと」と題された内容も、なかなか私達人間には難しいことだと思う。疑念やモヤがある時ほど、ジタバタしてしまう。何か解決方法はないかと動き回る。けれど、ホワイト・イーグル霊はじっとしていなさいと言われている。ここでもやはり忍耐ということなのだ。忍耐することの重要性を常に教えて下さっている。人間にとって、難しい問題ではあるが、少しずつでも努力して行くことが、最も大切な事なのだと思っている。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想での深い呼吸は、少し苦しかった。かなりスムーズに出来る時とそうでない時がある。ただ意外にも無呼吸状態が心地良かったりするのだ。なのでつい無呼吸状態を長く維持してしまうと、息が苦しくなってしまうのだ。光の瞑想にも入り、光のイメージする。今日は綺麗な光だったが、そこまでキラキラはしていなかった。手の平の痺れ感もとても強かった。いつの間にか意識は薄れ、気がつくとヒーリングの始まる時間だった。そのままヒーリングへと進み、意識はハッキリした状態で、終えることができた。

423回目の瞑想

飛行機
 
「愛することは、神の中で生きることです。愛に生きるとは、神の中で生きて動くことです。その思いその行為の一つ一つが神の中にあってーーー世俗の中には一つもないほどにです。人が愛を抱く時、決して破壊と死の波動に感応することはなく、生命に溢れた波動に感応します。」
 
今日の「神の中で生きること」と題された内容は、愛というと対象が人間と思ってしまうが、愛をもつことは神の中で生きることだと言われている。しかも思いや行為も神様の摂理に適った思いであり、行為でなくてはいけない。この世の思いや行為であってはならないと。中には愛と言いながら、怒ったり、憎んだり、果ては殺すこともある。それは愛ではなく、執着なのだ。真実の愛とはただただ与えるのみである。それが生命に溢れた波動、神様に感応するという事なのだ。もちろん、すぐに出来ることではないが、やはり努力して行く姿勢が大事なのだと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、深い呼吸に集中する。意識ははっきりとしている。無呼吸状態の時の心地良さは相変わらずである。ただ徐々に意識が遠くなっていく。そして光の瞑想に入ると、十字の光が現れた。その光をまた身体にあてていくイメージをする。だが、途中で意識はなくなっていた。そしてヒーリング時には意識が戻り、ヒーリングをさせて頂いて終えることができた。

424回目の瞑想

飛行機
 
「皆さんをしっかりと抱いている神の愛に確信をおきなさい。恐れることは何一つありません。もしどう進んだらよいか分からない時は、今いる所に立っていなさい。じっと静かにしていさえすれば、状況が貴方のためになるように動いていくのがよく分かります。何かでうまくいくようにとせっかちになるから、沢山の困った事が起こるのです。こうして人は騒ぎにはまり込むだけです。人は同じ所で足踏みばかりしています。平静でありなさい、神を信頼しなさい。」
 
今日の「平静でありなさい」と題された内容は、今まさに体験したことであった。時にはどうしたら良いかわからなくなる時がある。けれど、ジタバタしたところで何も変わらない。瞑想で乗り越えさせて頂く事をお祈りすることが最善だと思った。すると、言われるように状況が私のためももちろんのこと、相手にとっても上手く行くように動いたのだ。状況が改善されるだけでなく、前へ進むきっかけにもなる。本当に有難かった。神様を信じることの重要性を改めて実感したのだった。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも深い呼吸をし、無呼吸状態を堪能する。そして光りの瞑想に入っていく。イメージすると丸い光りが現れ、全身を浄化していくようにこれまたイメージする。悪い部分はその光りで溶かし、流れていくようにイメージするのだ。そうしている内にいつの間にか意識が遠のいている。そしてまたヒーリング時には意識が戻る。だが今回はその意識が戻ったと同時に魂が抜けるような感覚になり、軽やかな心地良い、そんな状態で空間の中を漂っているように感じた。更に心も軽くなり、爽やかな気持ちで一杯になる。これは初めての体験であった。その後、ヒーリングをさせて頂いて、終えることができた。

425回目の瞑想

飛行機
 
「人間の中の神がありとあらゆるものを新しく生まれ変わらせます。人が内在の神性を悟るとき、その人の人生は一変するのです。その時、人は醜いものを見ずに美を見るようになり、憎しみをもたずに愛を感じるようになるからです。すなわち、病気はなくなり健康となるからです。世界のすべてが新鮮で新しいものに変化するからです。丁度、雨が上がった後の、洗われ清められた大地、太陽にキラメク大地を見るようになります。」
 
今日の「新生」と題された内容のように、早く、このような心境になりたいものだとつくづく思う。それが私達人間の目指す境地なのだから。すべての人がこのような心境なれたのなら、地上天国も夢ではないのだ。だがその道は険しく、遠い。例えの雨が上がった後の太陽にキラメク大地とは、ちょうど今日のような日を言われているのだ。昨日の雨が上がって、太陽がとても気持ちいい。常にこの天気のように清々しい心持ちでいたいものである。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想も深い呼吸に集中して、光りの瞑想に入る。今日はかなりはっきりとイメージできたように思う。各部所が光で輝く状態を感じられた。そしていつの間にか意識が遠のいていた。ヒーリングの時に意識が戻り、ヒーリングを終えた時に、光りが上方へと放たれると映像は一変して満天の星が広がったのだ。星のきらめきがとても美しく魅了されてしまった。この世の星のきらめきとはやはり、違っていた。また身体のバイブレーションも多少感じた。

404回目の瞑想

柔らかい光
 
「忍耐の本当の意味は、神は常に私を見守っていて下さる、この確信です。偉大な白光の霊であられる神は常に貴方の傍に、貴方の中に居られて、貴方の魂に賢にして美なる目的を遂行しておいでになります。目的地点に行くのに出来るだけ早く行かねばならぬなどと、そんな気持ちで人生を生きないことです。毎日、毎時、毎分を、神がお守り下さるその愛の中で、心静かに生きることです。その時その時の現在を生きること、また一時に一つの事を平静にすること、これです。」
 
今日の「心静かに神の中にあって生きなさい」と題された内容は、やはり目から鱗であった。忍耐の真の意味は神様に護られていることを確信することだと言われている。胸にストンと落ち、腑に落ちた。私自身、今まで神様に見守られて来ているということや神様を信じる気持ちはかなり強いものと思っていたが、それが忍耐に繋がるとは思いもしなかった。けれど、今日の内容を読んで、益々その気持ちが強くなって行くと思う。
実は昨日、ホワイト・イーグル霊の「天使と妖精」の本を購入していたのだが、読まずに置いてあった。それをなぜか読まされるように本を開き、読み進めて行くうちにどんどんとのめり込んでいったのだ。そしてその中の言葉で、私は最近感じていた負の感情をすべて蹴散らすことができた。本当に有難いと思った。ただこの内容は基本である霊を信じられない人にとっては、夢物語となってしまうので、ここでは詳細に記すことは遠慮しようと思う。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも、最初は意識ははっきりしていたものの、徐々に意識が薄れ、映像が出現した。黒煙が一気に噴き出す感じで、目の前一面に広がる。それが何回か繰り返されていると、今度は白い雲のような水のようなものがその黒煙を消すように、同じように噴き出してきた。しばらくすると黒煙がほとんどなくなった真ん中辺りに太陽のような光輝く球体が現れたのだ。そしてその時に、私は昨日読んだ本の内容が私の目的だったのだと心から悟ったのだ。今までのことを振り返っても、私の原点とも言えることだったので、確信できた。これからは神様はもちろんのこと、そのことも踏まえた上で、これから先の人生を邁進して行こうと、新に心に誓っていたのである。

405回目の瞑想

飛行機
 
「安心しなさい。心安らかでありなさい。神を愛する者、愛である魂にはすべて永遠の生命があります。愛のあるところ、別離はありません。心を安らかに、ゆったりとしておいでなさい。」
 
今日の「心安らかであれ」と題された内容は、常にこのような気持ちでいることが肝要なんだと思う。神様を信じる人にとって、当たり前となるようにして行かなければいけないと強く思う。またこのように常に思えたら、幸せこの上ないことである。
昨日はまた、素晴らしいサイトに出会うことができた。引用のご許可も頂いたので、これから少しずつその内容のご紹介できたらと思っている。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、ほとんど意識は遠のいていた。時折、キラキラした光りが見えたり隠れたりしていた。手の平の痺れ感や身体のバイブレーションも感じていた。今回のバイブレーションはお腹の中からの振動を感じたのだ。昨日記すのを忘れてしまったが、瞑想中、地震があって結構に揺れた。けれど、私は動じることなく、瞑想を続けられたことに、少し自信をもらえた。もちろん、震度7とかであれば、そうは行かないと思うが。。

406回目の瞑想

飛行機
 
「『じっと見つめて祈りなさい』これは怠け者の言葉ではありません。光が心に射し入ったら、その光に従いなさい。つまり、内部の霊の声に従いなさい。自分が正しいと思うことをしなさい。」
 
今日の「一言」と題された内容は、瞑想することで、得られることなのだと思う。だが瞑想したからと言って、簡単には得られない。どのくらいの時間を要するかは、神のみぞ知るということだ。なので、我慢しきれなくなって、途中で止めてしまう人も大勢いるようだ。けれど、続けていくことに意味があるのだと思う。必ずや内部の霊の声が聴こえる日が来ると信じて。。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、瞑想の準備段階での呼吸を、昨日お話ししたサイトの方の本に書いてあるやり方に変えてみた。最初はかなり大変だったが、少しずつだが慣れて来たように思う。それから瞑想に入ったのだが、その瞑想も光りの瞑想という方法を試みる。すぐに『表面に非ず。心の奥底を探検されよ。それが真の意味を成す」とのお言葉が浮かんだ。更には目の前がパ〜っと明るくなり、瞬間お釈迦様のお顔が見えたような気がした。画像のようなお顔がボンヤリとだったが、見えたのだ。(すぐに消えてしまったが・・・)すると身体中の血液が熱くなって、細胞も活気付いて光りに包まれているのを実感した。更にその光りをヒーリングする際も活用させて頂いた。すべて終わると、今までにないような心の平和を感じたのだ。またまた素晴らしい体験をさせて頂けた。

407回目の瞑想 

飛行機
 
「貴方は光の妊婦です。聖母のように、貴方は自分の中に息子である光を、身ごもっていますから。この光を取り出して、世界の中に置きなさい。世を幸福にするために、世界を癒やすために、全地球の波動を高めるために。」
 
今日の「神性は王様」と題された内容は、今まさに光の瞑想として実践しているところだ。ただ瞑想の前の深い呼吸がとても大事だということが、まだ何日も経ってないが実感している。深い呼吸をすることで、真の静寂を引き出すことができるように思う。しかも瞑想は心身を強化する科学的な手法だそうだ。まだ瞑想をされてない方には、ぜひお薦めしたいと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想やヒーリングでは、瞑想の前に深い呼吸に集中する。少しずつ慣れては来たが、なかなか大変なのだ。ただ深い呼吸をして行く中で既に意識が薄れて行く。すると今日もいろいろな映像が出現した。しかも今まで見たこともない映像が出現したが、その映像の描写を上手く伝えることが出来るかどうか。光の瞑想として、光をイメージした時のことだ。透明なものが(透明だが形があり、美しかった)一定のリズムで動いている。その動きに合わせて色が少しずつ付いていく。紫、青、ピンクなどの色が徐々に混ざり合って、最終的にはシンプルで上品で気品ある何とも言えない色合いになったのだ。それを眉間からハートへ、血液へと流れて行くイメージをする。またそれぞれの臓器へと身体の各部所に拡げて行き、浄化されていることをイメージした。すると身体はどんどんと熱くなり、高揚感で一杯になる。心の満足感も得た思いになった。今日も素晴らしい体験をさせて頂けて、本当に有難い思いしかない。今日のお題とも共通しているように感じた。だが少しずつ自分自身だけではなく、自分の周りの人達にそしてすべての人へ、すべての生き物へ、更には地球全体へ、宇宙全体へと光が拡がるようにイメージして行きたい。

408回目の瞑想

飛行機
 
「身も心もくつろがせなさい。そうして、ゆっくりと深い呼吸をしなさい。息を吸いながらこう思いなさい。いま自分の身体の分子の一つ一つが、神で、神の息で満たされつつあると。この愛が貴方の心にもハートにも原子にも満ちると、肉体の全細胞は完全な生命で満たされます。」
 
今日の「生命の呼吸」と題された内容は、またもや今私が実践していることだ。深い呼吸がかなり大事なことだという事が、実際にやって行く上において、わかってくる。単なる呼吸とは全く違う。呼吸はただ酸素を取り込むだけでなく、心身のリラックス、エネルギーの供給、身体の浄化、特に神経系や循環器系の浄化に優れているようだ。この深い呼吸をして瞑想の準備をすることは欠かせないと今では思っている。その積み重ねが、今回のお題の内容のように肉体の全細胞が完全な生命で満たされる時が来るのだと信じている。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中し、時間をかける。その間の意識ははっきりとある。そして光の瞑想に入るのだが、今試みている光の瞑想のように意識的にイメージを用いる瞑想法を瞑視法とも言われるようだ。常に光を意識して、身体中を浄化して行くイメージを思い浮かべるのだ。そうして行く内に、自分が光となっているような感覚になる。その感覚がある状態でヒーリングも行う。するとどんどんと身体中の細胞が活気づいていくようになり、身体が熱くなる。そして目の前にも光が拡がる。これだけの効果がすぐに現れることに驚いている。更に続けて行きたい気持ちに強くなった。

409回目の瞑想

飛行機
 
「貴方が接している人達を裁いてはいけません。裁けば、貴方そのものや、貴方の人生に崩壊作用が起こるからです。これに反し、愛と感謝をもって、宿縁(カルマ)によって貴方が接触している人達を見るようにしなさい。」
 
今日の「自分のカルマに感謝しなさい」と題された内容は、私達人間にはなかなか達成することができない。確かに人を裁くのは良くない。良くないとは思いながらも、自分に害が及ぶような事態になると自然と裁くまでには至らないまでも、いい感情は持てない。愛と感謝をもつなど以ての外となってしまう。けれど、これがカルマたる所以なのであろう。これを乗り越えることが出来なければ、高みには決して上ることはできないのだと思う。先ずはそのような事態になった時は、この一回だけ試みるという気持ちで愛の実践をしてみようと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中する。この深い呼吸とは、呼気と吸気の間に無呼吸を取り入れたやり方なのだが、私は初めて知ったのだ。更に呼吸法で大切なことは、呼気と吸気に意識がいきがちだが、この無呼吸の状態に意識を集中することが何よりも大切と言われている。確かに無呼吸に集中すると、心の奥に入って行く事ができそうなのだ。
今朝はその無呼吸にかなり集中を高めてみた。すると前にも体験していたが、それとは比べられないくらい、目の前がピカピカっと凄い勢いで光ったのだ。光り方が凄くてびっくりしていると、二回目が光る。やはり光リ方の凄さに圧倒され、しばし固まってしまった。少しして落ち着きを取り戻し、瞑想に入る。しばらくすると金色の曼荼羅が画面一杯に拡がった。とても美しかった。今まで曼荼羅が映像として出て来た事もないし、お恥ずかしながら、どんなものかも知らなかった。けれど、瞬間的に曼荼羅と感じたのだ。(画像のような感じで金色だった)

410回目の瞑想 

飛行機
 
「神は貴方の肉体の、魂の、霊の要求のすべてをご存知なのです。安んじて静かに、衷心からの愛をもって、自分の最善を尽くすようになりなさい。貴方がベストを尽くせば、その余のことは神がなさいます。己は最善を尽くすことに信を置きなさい、そうして神を信じなさい。」
 
今日の「神はすべてをご存知です」と題された内容は、神様の存在を信じている人にとっては、得心できる内容だと思う。神様を信じる気持ちを持ちながら、自分の最善を尽くすこと、これがこの世に生まれて来た意味なのだと思う。ただ口で言うのは簡単だ。いろいろな出来事が私達人間を待ち構えている。だがその出来事がどんなものであろうと、最善を尽くして乗り越えて行く事が最も肝要なことなのだと信じる他はない。必ず、道は開けるのだと信じる気持ちを強固にすることで、実際に叶うと私は信じている。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に時間をかけ、そして光の瞑想に入っていった。光の瞑想自体も光をイメージしながらなので、時間はかかる。意識ははっきりしているはずだったのだが、次第に薄れて行ったようだ。そんな中で、オレンジ色の光りが目の前に拡がった。自然と感謝する心になり、見つめていると吸い込まれて行くような感覚になった。それと同時に手足の痺れ感も強くなり、身体も温かくなっていく。そして意識が戻る直前のほんの一瞬だったのだが、素晴らしい光景が現れた。それは富士山の頭上にオーラのような巨大な光りが現れた。その光りが下界の地上を覆うように包むようにと流れて行ったのだ。その見事な素晴らしい光景に感動と共に意識が戻った。ただただ有難くて涙が出ていた。富士山の強大なエネルギーを垣間見られたというか見させて頂いたことに、有難い気持ちで一杯になった。そして私達人間がいつの時代であっても富士山に惹かれるのはこの強大なエネルギーがあるからだと思ったのだ。今思い返しても鳥肌が立ってしまうほどだ。

411回目の瞑想

飛行機
 
「愛に関することは、急いではなりません。一歩一歩です、大地をしっかりと踏みしめて。時が実れば、チャンスが来ます。大師が貴方のために計画された貴方の為すべき仕事が。」
 
今日の「一歩一歩」と題された内容は、常に言われていることだ。神様は決して急がれないと。ゆっくりと地に足をつけて神様の摂理に適う生き方をしていれば、きっとその機会は来るのだと思う。私はそのことを堅く信じている。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、少しずつ深い呼吸に慣れてきている。無呼吸状態もそれなりに長く保てるようにもなってきた。その状態を意識すると心の奥に行けそうな感覚になる時とそうでもない時とがあって、安定には程遠い。
今朝は羽衣のような衣が、波打つように動いていた。やはり透明なのだが、ダイヤのように煌めいており、部分部分に色が付いているだが、動きに合わせて変化するのだ。その美しさ足るや言葉では到底表現できない。いつまでも見ていたい思いに駆られた。最後はまたオレンジ色の光りが現れて、全身包まれているような感覚になり、心地良い温かさで癒やされる感じであった。

412回目の瞑想

飛行機
 
「大師は優しく愛に満ちています。大師は皆さんの求めるところを知り、皆さんの困難や失意を心得ていてこう申します。「来なさい、友よ、モヤを出て私の方へ来なさい。そうすれば貴方に、貴方が望む内的平和を差し上げましょう」
 
今日の「平和をあげます」と題された内容のように、霊界の方々は皆さん、そう思っておいでなのだと思う。人間側が信じる事ができなくて右往左往しているだけのことなのだろう。私達人間が霊的真理を理解し、高級霊の方々が言われていることを実践して行くことができれば、地上天国となるのだと思うが、世界の情勢は未だ怪しい雰囲気がうごめいている。すべては自国の利益ばかりを重んじていることが原因だ。この利己主義を廃絶しない限り、この世の天国はほど遠い。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中する。意識ははっきりとしている。無呼吸状態の時に、意識が遠くなるような感覚にもなるが、また呼吸に戻ると意識も戻る。そして光りの瞑想に入って行くと、徐々に意識が遠のいていく。光りが常に映像として見える。更に自分自身が光りとなって行くような感覚にもなる。その時に自分以外の家族、ご近所、と言うようにどんどんと領域を広げていく。今日はミャンマーに聖なる光りが降りてすべて覆われるようにと神様にお願いもした。更に自国のみを重んじる国々対しても、聖なる光りが降りますようにとお祈りしていた。このような思いが一人でも多くの方と共有できることを強く願っている。

413回目の瞑想

飛行機
 
「もし進みが悪ければ、つまり自分の仕事が思ったように捗らないように見えたら、がっかりしたり意気消沈したりせずに、前よりもっと大きな進歩のための試みを受けているのだと感謝しなさい。偉大な仕事、良い仕事というものは、忍耐と辛抱の賜物でないものはありません。魂がやった仕事はすべて、一つ残らず結果が出るものです。ですから、仕事には忍耐が肝心、毎日の生活の一つ一つの出来事に辛抱しなさい。なかんずく、仲間内に対する辛抱が大切です。」
 
今日の「日々を耐えなさい」と題された内容は、何という力強い励ましなのかと思う。自分の思い通りに行かない場合、とかく私達人間は気落ちする。そして自暴自棄になったりもする。そうなると結局すべては水の泡だ。だが、気落ちするのではなく、先の未来の希望のために忍耐や辛抱することで、道は開けて行くのだ。但し、神様の摂理に適っていなくてはならない。毎日の生活に対する辛抱は、本当に大変だと思う。しかもごく身近な人間関係には、とかく余計な感情が入って来る。けれどそれを抑圧することなく、辛抱するには、やはり瞑想が必須なのではないかと想っている。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸、更には無呼吸状態に集中する。そして光りの瞑想に入っていくのだ。全身を光りで浄化していく。悪い部分はその光りで溶かし、流していく。どんどんと身体全体が綺麗になって行くような感覚になる。そしてその光りを次第に拡げていく。これを毎日続けているのだが、終わった後の爽快感は今まで以上のように感じる。(その間に映像や言葉などあったように感じているが、はっきりとしない)
とにかく続けることに意味があると想うので、頑張って続けて行こうと思う。

414回目の瞑想

飛行機
 
「静かにしていることです。皆さん。平静であって、自分の道に対する指示を待つことです。こうしていれば決して誤りを犯すことはありません。だが、無茶に突進していけば、悲劇が起こります。そんなことをすれば、間違いなく痛い尖った物にぶつかりますからね。人が失敗するのはこれです。辛抱して待つことを学ぶまで、人は痛い目にあいましょう。」
 
今日の「じっと待ちなさい」と題された内容は、何時もながら耳の痛いお話しである。辛抱して待つことほど、耐え忍ぶ辛さがないのではないかと思うほどだ。いつまでという期限もない。けれど、辛抱して待つことを学ばなければいけないと言われる。それができない人は辛さを味わう事になるのだろう。その待つ間もかなり辛くはあるが・・・耐えるしかない。いつか指示が下るまで。

今日の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも、深い呼吸に集中して、光りの瞑想に入るや否やいつの間にか意識が遠のいていた。ヒーリングの時に意識が戻り、心が引き上げられるような感覚と身体はバイブレーションを感じていた。今日はとても短い時間のように思えた。

393回目の瞑想

柔らかい光
 
「光を外に放つとはどういう意味があるのでしょうか。貴方の心から愛を他に与えてごらんなさい。すると、愛は光となって前進します。もし、貴方が実際に光を放射している時に、自分の姿を見ることができたら、自分のハートから偉大な光輝が流出しているのが見えましょう。オーラはどんどん光っています。際限もなしに光線が流出して行くのが見えます。すなわち貴方から出る光が、人々のハートに、知力に、肉体生命にさえも触れつつあるのが見えます。」
 
今日の「光を外に放ちなさい」と題された内容は、やはり素晴らしい内容だ。愛は光となって、前進していくと言われる。本当に実際にそんな自分の姿を見ることが出来たら、どんなに励みになることか。けれど、この様に教えて下さっていることで、愛を他に与えることは、見えなくとも自分の心から偉大な光輝が光線が流出しているのだと、それを信じることがとても大事なことだと思う。それだけに、奉仕の大切さがあるのだと確信せざるを得ない。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも、最初は意識ははっきりしていた。徐々に意識が薄れていく中で、またもや宇宙空間の雄大な光景が出現する。その中にあると、この世の悩みは悩みでないことがわかる。すべては神様にお任せすればいいという気持ちに自然となる。いつまでもこの宇宙空間に漂っていたくなる。しかし、それはほんの束の間で、また現実の世界に引き戻される。こういう時に早く霊界に行きたいものだと思ってしまう。この宇宙空間の素晴らしさを多くの方に体験して欲しいものだと思うが、瞑想のみでの体験なのではないかとも思う。

394回目の瞑想

飛行機
 
「常に常に、神霊が目の前に居られると、心にとめておくことです。その限りない平和と静けさを、世俗の雑事の中にあっても思うことです。神への道を学ぶ皆さんは、群衆の中にあっても、静寂と優しさの場を見出そうと努めねばなりません。一人でいる時に、神に近付くことは易しいことです。しかし、群衆の中にあっても、神を知る者とならねばなりません。」
 
今日の「神霊の現前」と題された内容は、一人でいる時でさえも、神様に近付くことは簡単ではない。更に群衆の中にあっても、神様を知る者とならねばいけないと言われている。だが、今朝のニュースで緊急事態宣言が解除になるという報道に、昨夜の渋谷の街は大賑わいだったようだ。路上で大勢でお酒を酌み交わし、酔い潰れて寝てしまう人、大声で喧嘩をする人達などの映像に呆れる思いだった。こういう人達にも優しさを見い出さなければいけないのかと思うと、神様を知る者になるには程遠いと思わざるを得ない。まずは一人でいる時に神様に近づけるようにすることだと思っている。それが今朝の瞑想では素晴らしい体験をさせてもらえたのだ。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、前出したように素晴らしい体験をさせてもらえた。ある程度意識があった中で、今までよりも私にフィットとしたお祈りの言葉を唱えていた。『神様のお役に立つ魂となる』この言葉を唱えていると、罪科汚れが下へ下へと落ちるような感覚になり、心は上昇して行くように感じた。そしてどんどんと集中する気持ちが強まり、手の平から放出しているエネルギーが見えるような感覚になる。キラキラと光輝く光線が上へと真っ直ぐに棒状に天まで伸びているようだった。その間の手の平の痺れ感は物凄いものがあった。有難くて涙がボロボロと流れっぱなしであった。そして幸せな気持ちが心は勿論のこと、身体中の細胞にまで行き渡っているようであった。本当に本当に素晴らしい体験をさせて頂けて、有難い限りである。

395回目の瞑想

飛行機
 
「霊力が身体の状況や物質的な環境をつくり出すのです。だが、霊力は急ぐということはありません。皆さんは性急に事が進むことを望みます。しかし、神は決して急ぐことをなさいません。あるのは永遠です。その中で事をなし、生きる。されば喜びあれ、です。」
 
今日の「神は決して急がれない」と題された内容を読んで、今置かれている状態が自分の霊力とイコールしているということだ。身体に関しても同じことが言えるようだ。ただ人間である以上、完璧になることはあり得ない。今の自分の環境を少しでもより良くして行く努力が必要なのだと思う。それは霊力が向上すると共にでもあり、霊的真理の理解と実践なのではないかと思う。但し、神様は急がれないと言われる。私達人間は仰る通りに、早くその域に達したいと思ってしまう。でも、この人間世界だけに生きているのではなく、向こうの世界へ行っても私達は生き続けるのだから、慌てる必要はないと言うことだろう。地道にしっかりと神様の摂理に適った生き方をして行くということ、これしかないのだと改めて思った。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、意識があるようなないような・・・その中で私自身の微妙な身体の変化や心の状態の変化があった。だが、それは記しても伝わらないと思う。更にいきなり宮殿の映像が出現する。その中を歩いている自分がいた。その宮殿の名前も出現したと同時に浮かんだのだが、瞬間にわからなくなってしまっていた。バという文字がついていたようにも感じていたが、定かではない。またなぜ宮殿などが出現したのかもわからない。もう少し具体的なものを提示して頂けると有難いのだが、まだそこまでなのだということなのだろう。

396回目の瞑想 

飛行機
 
「人から害を受ける破目になったら、自分を至高なるお方、すなわち輝く太陽の中に鎮座する金色の方に、心を同調させようとしなさい。その姿を心に描きながら、争っている人のことをお考えなさい。そうすると、光の矢がその人の方へ進んで行って、状況に変化が生じ、万事がスムースに進行します。曲がりくねった道はこうして真っ直ぐになるものです。」
 
今日の「人と争っている時に」と題された内容は、理想だと思う。だが、こんなに簡単には行かない。例え、神様を思い描いて同調するようにしても、(この同調がまずできないが)争っている人のことを考えたら、すぐにその人への感情がむき出しになってしまうと思うからだ。簡単に光の矢が相手に向かって行き、状況が一変することができるのなら、それこそ、映画のような話になってしまう。これが簡単にできるようになるための道のりは険しい。けれど努力して行かなければ、到達もできない。この様になることを信じて、邁進して行くのみである。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想やヒーリングでも、ほとんど意識はなかった。映像もあったようななかったような・・・ただ、終わった時の満足感だけは常にある。やはり瞑想の素晴らしいところだと思う。
明け方、メスライオンの夢を見た。何頭かいたそのうちの一頭が後ろ向きの私の首を爪で優しく撫でてくれていた。早速、夢占いを見てみると、ライオン自体は守護者という意味らしい。メスライオンは母性と調和の象徴の意味もあるという。そして、ライオンが夢に出て来た意味は二つあり、一つは「心の解放」でいろいろと我慢しているということだった。二つ目は夢の中でライオンがあなたの身体に触れた場合のみ暗示される意味で「あなたに力を与えました」ということらしい。夢の中は霊界と人間界を繋ぐ場所の一つで神や霊が出現するということもあり、ライオンが身体に触れた夢を見れた場合は非常にラッキーと言っていいとも書いてあった。私は生まれて初めてライオンの夢を見たと思う。なかなか有難い夢だったので、安心した。我慢しているということについて、人の事ばかりを考えているので、自分のことも大事にしないといけないとも書いてあった。奉仕のことばかり考えているからなのかも知れない。

397回目の瞑想

飛行機
 
「まわりのものが何事も幸せに進んでいる時は、機嫌良くしていることは易しい。しかし、まわりが暗く闇に閉ざされている時に、機嫌良くしているのは易しいことではありません。こんな時は、貴方の試練の時です。人が皆親切にしてくれる時、人に親切であることは易しい。相手が愛に満ちている時に、愛をもつことは易しいことです。しかし、ここには殆ど信というものが不在です。賢者は闇が深い時にも、光が天上に輝いていることを知っています。ですから、皆さんも意識を暗い雲の上方に掲げなさい。そうすれば、太陽が輝いていることを、また、神の生命は不滅の唯一の生命であることが分かりましょう。」
 
今日の「暗い雲の上へ」と題された内容は、体験以外に得ることはできないように思う。言葉でどれだけ思いを尽くそうと、自分が体験して会得する以外に方法はないのではないかと思う。実際、私は体験して、一時は暗闇の中でもがいていた。けれど、その時であっても神様は信じていたので、辛さ苦しさ悲しさと共に、なぜそんな試練が起きなければいけなかったのかというその意味を探し続けていたのだ。やはり信じる気持ちは何よりも強いのだと思う。苛酷な試練であっても逃げることなく、向き合い乗り越えることの大切さを学ばせてもらえた。今では感謝しかない。闇が深い時にも光が天上に輝いているという事実を身を持って体験させてもらえたことで、更に神様を信じる気持ちが揺るぎないものとなったことは言うまでもない。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、ほとんど意識はあり、雑念が頭を覆い、集中出来ずに仕方なく途中で終わりにした。こんなことは初めてであった。
ヒーリングでは、その思いを吹っ切るように集中し、相手を想いながら唱えているうちにいつの間にか意識は遠くなっていった。そして光が眼前に広がった。するとやはり前に感じたバイブレーションを身体に感じ、手の平の痺れ感も益々強くなった。神様のエネルギーの通路として道具として徹底するように自分を律し、ただただお任せすることに終始した。

398回目の瞑想

飛行機
 
「自分を神にお委せして、神の愛を信じて揺るがぬ心になっていくと、神の愛が絶えずその人に働きかけて、その人の生活の中に現れます。人が霊的法則に従って生きるなら、その人は他者を傷つけることなく、他者もその人を傷つけることは出来ません。」
 
今日の「神を信じること」と題された内容は、私達人間が目指さなければいけないことだと思う。これが実現できれば、世の中に争い事は起こらない。皆平和を満喫できるのだ。霊界での生活と同じようになるのではないだろうか。シルバー・バーチ霊は人間の霊格がレベルアップして争い事がなくなれば、肉食動物であるライオンが小羊と一緒に並んで寝そべるようになると言われている。現に霊界での動物の王国は襲ったり襲われたりせずに、一緒に暮らしていると言われているのだ。それが実現できれば地上天国ということなのだろう。そのために霊界側がどれだけ苦心されているかは言わずと知れる。一人でも多くの方に霊的真理の理解と実践が必要不可欠なものだということを知って頂きたい思いでいる。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、徐々に意識は遠のいていった。遠のきながら、広大な宇宙空間が広がる。その宇宙空間には光りが散りばめられているのだが、その美しい光景の中を進んでいくのだ。進みながら、目の前の景色がいろいろと変化して見たこともないような景色が繰り広げられる。特に素晴らしかったのは、散りばめられている光りが一気にいくつもの塊となった途端に、その光りがあちこちで破裂するように(どう表現すればいいのかわからないが)砕け散り、小さな光りとなってまた輝き出すのだ。その光景の美しさには、自然の美=神様の美というものを感じることができたように思えた。

399回目の瞑想 

飛行機
 
「毎朝の目覚めの時、また一日の中で何回でも、特に物質生活のあれこれで悩んだり打ちひしがれたりしている時には、一歩止まって思い浮かべなさい、悩んでいるのは小我だ、試練を受けている人格の方だと。それから、自分の上には、見えない世界に大いなる真我が、神我があるのだと理解しなさい。その栄光の色と、光輝く生命をのぞき込みなさい。そうすれば、貴方の人格の中に無限のエネルギーが流入して来るのが分かりましょう。自分の人格の上には、限りない、神にあって生き続けている自己があることが、意識されましょう。」
 
今日の「人の真我(神我)」と題された内容は、私達人間は、悩んでいる時には、その渦中にあって、その外へ出ることができない。一歩止まってこのように冷静に物事を考えられるということが、そもそも凄い事なのだ。けれど、これは感情的に気持ちが高ぶっている時にこそ、必要だと感じる。悩みの中で迷っていては、決していい結果など生まれない。常に自分の内なる魂を意識していくことが肝要なのだと思う。そこには神様と繋がっている真我であり、神我が存在しているのだ。このことを信じて、この世を生きて行くこと、これが悩みの解決にも繋がることなのだ。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、最初は意識がはっきりしていたが、次第に意識は薄れていった。だが、今回は音楽だけは聴こえていた。音楽の波動を感じ、その中に身を投じると音楽と一体となる感覚になった。私は昔から曲の中で感応する部分が流れると、霊界を垣間見れるように感じていたのだ。なので音楽は私にとっての救いの神とも言えるものなのだ。これはもう言葉では表現できないし、感じるものというしか言いようがない。

400回目の瞑想

飛行機
 
「人の批判や人を裁くことは差し控えなさい。人間の道は他者の行為を憎んで裁くこと、神の道は静かに黙して愛すること。人は人間であると共に神です。従って、この地上に在っても、神性を発揮するように学ぶことです。」
 
今日の「人間の道、神の道」と題された内容は、出来そうでいてなかなか出来ないことだ。要するに許すということに繋がる。許すことは最も難しい問題だと思っている。だが、神の道を目指す者は、その茨の道を歩まなければ行けないということだ。少しずつでも努力して神の道に近付きたいと思っている。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、ほとんど意識は遠のいていた。お祈りの言葉を唱える時くらいであっただろうか。意識があったのは・・・音楽も全く聴こえて来なかった。映像は時折、金色の光りが広がっていた。眩しいはずなのに眩しくはなかった。その中にいると温かさと癒やしを感じる事ができて、戻った時には心が晴れやかであった。

401回目の瞑想

飛行機
 
「皆さんは、自分のなすべき仕事をいつも正しく選んでいるとは限りません。皆さんは大師の前に立ってその命令を待っておいでだ。だが、折々辛抱しきれなくなることがあります。すぐに何かしようと求めたり期待したりします。そのため、天なる父もその使徒らも信じないのです。つまり、父が皆さんのために、指導するように守護するように助けるようにと、お定めになっている方々をそっちのけにするのです。」
 
今日の「皆さんは自分の道を正しく選んでいるとはいえない」と題された内容は、確かに、私達を守護して下さっている方々が見えないだけに、神様はもちろんのこと、守護して下さってる霊、指導して下さってる霊を信じない人がほとんどである。しかも信じたとしても、やはりすぐに何か素晴らしいことが起きるのではないかと期待もしてしまう。ホワイト・イーグル霊の仰る通りだ。辛抱して待つということは、忍耐を習得するためにも最も大切なことなのだと思う。もちろん、結果を早く知りたい気持ちは人間であれば誰もが期待するところだ。だが、そう簡単に結果が出てしまえば、努力する気持ちも忍耐する気持ちもなくなってしまう。神様の守護霊の指導霊の存在を信じ、必ず道は開けると信じて、耐え忍ぶしかない。今私はそのことを実感している。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、意識があるような、ないようなそんな中で、自分の心の奥へと入って行くような感覚になる。すると腕から手の平にかけての痺れ感がかなり強まる。そして『高貴なる神よ。私をお捧げします』という言葉が浮かんだ。更にエネルギーが手の平からだけでなく、腕からも放出しているように感じたのだ。その時に身体中が微量なバイブレーションを感じ、細胞自体の活気がみなぎるように感じた。

402回目の瞑想

飛行機
 
「魂はすべて大きな圧力に耐えて、十分に試みを受けねばなりません。もし大師が、多数の魂が参加する重要な仕事に貴方も参加するようにとお薦めになったら。だが、貴方がその前に、十分に試みを受けて力を付けていなかったとしたら、どうでしょう。おそらく貴方はその仕事の圧力に潰されてしまいましょう。我らがこう申しているのは、貴方がどんなテストにも失敗にも耐えて、光明の道を進む努力をなされるようにと、そのためです。」
 
今日の「試みと失敗」と題された内容は、今の私に対するお答えのように思った。まだまだ葛藤のさなかにある私には、力が足りていないのだと思う。そのためにも辛抱強く、光明の道をひたすら進むしかないのだ。今日はお久しぶりにナーバスになってしまっている。こういう気持ちになっている時こそ、神様を思い、明るい気持ちに変えて行かなければいけないと自分の心を奮い立たせている。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、なぜか最初から涙がボロボロと流れて来た。悲しいのか辛いのか有難いのか、その理由もハッキリとはわからない。けれど涙が溢れてくる。前出したが、時折葛藤する気持ちが出て来るのだ。それが今日は色濃かったのかも知れない。そして開いたお題に得心したのだ。まあこんな日もあると思って、意気消沈するのではなく、前を向いて行きたいと思う。何度かミディアムの方に言われていたが、根を詰めすぎているのかも知れない。

403回目の瞑想

飛行機
 
「大白色同胞団の団員達は幸福です。暗い出来事に乱されることなく、やすらぎの中にあるからです。皆さんは『暗い出来事に乱されなければ、それは正しいのか』と言われるでしょう。そうです。皆さんも内的平和を守り、内に光明をしっかり燃やしておけば、不愉快な状況に興奮したり、ガミガミ言ったりするよりは、ずっと善い事をしていることになるのです。安定を保ちなさい。道にしっかり足を付けておいでなさい。」
 
今日の「安定」と題された内容は、こうあらねばならないと心から思った。また私はミディアムの方から、地に足をつけて行くことが大事だとも言われていた。同じことが書いてあり、まさに私に足りないものなのだと思う。自分ではそのようにしているつもりだが、まだまだ足りないのだと思う。人間の感情とは本当に厄介なものであるが、それを克服して行こうとする努力が少しずつでも、前に進んでいるのではないかと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、最初はやはり雑念が頭を覆う。けれど湖を思い浮かべ、そこに泡を作り、その中に雑念を入れて、上へと上がって行き泡が消えるというイメージを何度もしているうちに、意識は遠のいていった。すると光輝く球体が現れて、その光りに包まれるような感覚になると、ただただ有難くて涙が出た。意識が戻るとスッキリした思いになっていた。本当に有難い限りである。

382回目の瞑想

柔らかい光
 
「人は自分の肉体の原子を浄化させることが出来ます。正しい思考、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、そして人を裁くことをしなければです。このとき、自然にある意識が高まってきます。それは夢想だにしなかった幸福感です。こうして、しなやかで柔らかいある力が自分の中で育ってきて、曲がったものも真っ直ぐになり、戸が開かれ自分の道が開かれますーーーそれはちょうど、天使がペテロの牢獄の戸に触れて彼を自由にした、その様にです。」
 
今日の「夢想もしない幸福」と題された内容は、私が目標にしていることだ。確かに瞑想中は幸福感に満たされる。だが、日常生活となるとなかなか簡単には行かない。すべて正しい思考、言葉、行為で生活を送れているかというと、正直難しい。もちろん、努力しようとは思っているし、できる限り近づけるように頑張っているつもりではあるが・・・完璧には程遠いと思っている。けれど、いつか戸が開かれて道が示されることを夢見て、完璧に近づけるように頑張りたい。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも、ほとんど意識はなかったし、映像もなかった。時々、意識が戻ると、音楽に共鳴するように身体のバイブレーションは感じた。また手のひらが痺れ感で、かなりジリジリとしていた。

383回目の瞑想

飛行機
 
「皆さんは熱心に祈っておいでだ。自分の問題が取り除かれるようにと。つまり、皆さんは光へと、素晴らしい霊的歓喜へと入って行きたいと思っておられるからだ。だがお分かりにならぬかな、こうしたいろいろの外的問題を通過しなければ、貴方の目は開かれることなく、天界の真相を見る目はつくられないということです。この鍛錬過程を通過して初めて、人の目は開かれ、味をあじわうことが出来るのです。それ故に、試練と痛みを神に感謝しなさい。これによって今貴方の魂は鍛錬されつつあります。やがて天界生命の美を理解し吸収する者となる、その日のためにです。」
 
今日の「貴方は光を待望している」と題された内容は、まさに私が望んでいることだ。私に言われているのではないかとさえ、思ってしまう。今までいろいろな外的問題を通過して来たとは思っている。その最大のものが息子の死だ。それさえも今では神様に感謝している。なので、今はアセスメントでも言われたように魂磨き、魂の鍛錬の段階にあるのだろう。それがどれくらいの時間かかるのかはわからないが、それこそ、やがて天界生命の理解ができる日が来るであろうその日のために、耐えて行かなければいけないと思っている。その日が来ると信じて頑張りたい。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、意識があるようなないような感じであった。そんな中で、茜雲の映像が画面一杯に広がる。何とも言えないその美しさにただただ見入ってしまっていた。また身体のバイブレーションはまたもあり、座っているソファにまで、その振動が伝わっているようだった。

384回目の瞑想

飛行機
 
「知恵は、心が平静で静寂な人を訪れます。神に従う人達を訪れます。そのハートに愛が増していくにつれて、人は知恵をもつものです。」
 
今日の「知恵は訪れるもの」と題された内容の知恵とは、智慧のことだと思う。仏陀の瞑想という本には、智慧の完成は悟りであると書いてある。要するに悟りを得るには、この内容のような人にならなければいけないということなのだろう。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、またもや意識はほとんど遠のいていた。ただ、意識が遠のいていく中で、煌めく星が密集している映像が出現した。(画像よりももっと密集していたし煌めいていた)キラメキがとても綺麗で、いつまでも見ていたい衝動に駆られた。そうしているうちに別空間にいたようだった。それはやはり意識が戻った時に感じるのだ。

385回目の瞑想 

飛行機
 
「人間は霊ですーーーこれが、人が知らねばならないすべてのことです。また霊とは物質の支配者であります。」
 
今日の「勝利者」と題された内容は、このことを知らない人間が如何に多いかと言わざるを得ない。実際、私もそうだった。ただ、未だに実感はないのだ。それはまだ内在する魂を顕現できていないからだと思う。霊だという実感を得たいと切に願っている。だが、この世の物質を統御下におけるようになるには、まだまだなのであろう。頭ではわかっていても、それを実感し、実践できなければ、わかっているとは言えない。このお言葉を胸に刻み付けて精進して行きたい。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想やヒーリングでも、意識はほとんどなかった。ただ、その時にやはり、その瞬間はわかっているのに、意識が戻った瞬間に何だったかがわからなくなる。実際、その少し前にははっきりとどなたかと話していたのだ。そのことだけは覚えているのに、その内容もどなたかということも全く思い出せない。これはやはり霊界に行っていたということなのだろうか。まるでその瞬間だけ記憶喪失になったようだった。

386回目の瞑想

飛行機
 
「すべて、素直さと自己放棄の問題です。すなわち人生を安定して心静かに生きる、この問題です。これは努力をしないという意味ではありません。正しい努力をする、即ち神の光を自分の感情と想念と行為にあらしめる、そうした絶えざる努力を続けるという意味です。これは一つの立場を維持しつつ、次のように言うことを意味します。「神のみが偉大である。私は無である。わが人生にあったすべての良きことは、神の御業である」と。
 
今日の「神の御業」と題された内容は、簡単なようで、最も難しい問題だと思う。正しい努力、神の光を自分の感情や想念、行為などにあらしめる。これができたら、どんなに有難いかわからない。瞑想している時以外、この世のことに振り回されている事が多い。特に動物虐待については、憤りを感じてしまう。この度イクミ様のブログに「ドリームボックス」について書かれている。素敵な名前とは裏腹に、このドリームボックスはそれぞれの県に動物愛護センターや動物管理センター呼ばれる施設の中にあることが多いとのこと。各保健所に収容されている犬猫たちがその施設に集められ、期日が来ると自動追い込み炭酸ガス装置、俗称「ドリームボックス」に入れられて最期を迎えることになるという。これは動物を命として見ていないからに他ならない。こう言った話を聞く度に、怒りが溢れ出す。(更に食肉に関しての事も記載されているので、ぜひ読んで頂きたい) LinkIcon シルバー・バーチ霊訓とともに歩む
動物を飼うにあたり、最後まで面倒をみる覚悟がない限り、飼って欲しくない。動物は玩具ではない。物ではないのだ。人間同様に命がある。このことを肝に銘じて欲しい。っと動物に対しての思いには私の心は尋常ではなくなってしまう。この事も神様にお任せしなけばいけない事はもちろんだが、けれど人間の努力で、改善できることだとも思う。一人一人の愛の行いが必ず事態を急変させられると信じている。
微力ながら「リンクを貼って助けよう!」というバナーを貼らせてもらうことにした。ペットのおうち 
殺処分0になることを切に願う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、徐々に意識が遠くなっていった。そして意識が戻って朦朧としている時に、オレンジ色の球体の光りが出現した。するとただただ感謝の気持ちで涙が出る。ジッと見ていたその光輝く球体から光りが輪っかのような形で真っ直ぐに私に向かって進んで来ると、その瞬間に身体中がビリビリと凄い感応があり、手の平のジリジリ感もとても強くなった。その時に放射エネルギーという言葉が浮かんだ。調べてみると、放射エネルギーとは、発生源から自由空間に移動するエネルギーのこととあった。やはりエネルギーが私の身体に入ってきたということなのだと思う。本当に有難いことである。

387回目の瞑想

飛行機
 
「神のみ心は常に総体の善を目指しておいでになります。ですから、現実問題の場合も、自分の個人的な問題が解決できればそれでよいという行き方をとらず、それを解決するための原理を求めることです。もし、貴方が自分の問題を原理の上に置くことが出来たら、つまり、神のお考え方に則って自分の問題を取り扱うことが出来たら、いつも貴方は真実の問題解決の道を発見するのです。」
 
今日の「問題解決の道」と題された内容は、要するに自分のことに終始してはならないという事だと思う。原理とは基本法則のことで、神様の法則ということなのだろう。神様の摂理に適った生き方、考え方ができれば、真の意味での問題解決ができるということだ。だが、これが難しい。自分としては、神様の摂理に適った生き方をしているつもりでも、果たして本当にそうだろうかと、思ってしまう。信じる気持ちはありながらも、疑心暗鬼がつきまとう。これを瞑想やお祈りで確固たるものにして行かなければいけないのだと強く思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、やはりほとんど意識は遠のいていた。遠のきながらも、白い雲のようなものが、画面一杯に縦横無尽に動いている。それを見ている内にどんどんと意識はなくなり、気がつくと音楽が終わる直前だった。
 
あの東日本大震災から今日で10年の月日が経った。その悲惨な話の中で、今朝のニュースはとても明るい内容だった。
大震災で三陸の牡蠣が壊滅状態になってしまった時に、フランスからの支援で、牡蠣養殖に必要なもの7トン相当が送られてきたとのこと。それは、50年前にフランスで牡蠣が疫病になり、絶滅しかけた時に、三陸の養殖産業者の方達が、三陸産の牡蠣を大量寄贈したそのご恩返しということだった。フランスの牡蠣養殖者の方が「遠く離れていても、海での仕事をしている人の気持ちは同じだ。お互いに助け合って、未来に希望を繋いで行きたい」と話されていた。素晴らしい話に、感動してしまった。
また、大震災で、ご両親やご家族の方を亡くされた当時15.6歳の学生の人達の今を追った内容だった。その時の苦難を乗り越えて、皆立派に希望する仕事についておられた。やはりお一人お一人にご守護霊様がついておられて、護られて来たのだと感慨深かった。
朝から、心が満ち足りた想いにさせてもらえた。常にこういう話題がニュースとして流れて欲しいものである。

388回目の瞑想 

飛行機
 
「貴方は貧乏を恐れますか。生活の資に事欠くことが恐いですか。皆さんに食を与え、着る物を与えているのは誰でしょうか。それは大神霊。この方の外にございません。神は決して貴方を見捨てた りはなさいません。もし、貴方の方で神の生命に調和し、神の愛と叡智に身を任せるならばです。神は皆さんの必要のすべてをご存知です。そうして、その必要を満たすことで、いささかも誤ることはありません。その供給を断ち切るのは貴方の方です。神はあらゆるものの源泉なのですが、貴方が霊的にも精神的にも、また物質生活の上でもこの事実を忘れるからです。」
 
今日の「一羽の雀も落ちません」と題された内容は、私達人間には耳が痛いのではないだろうか。誰もが貧乏を恐れ、生活の質を求める。そして裕福こそがこの世の幸せと思っている。だが、本当の幸せとは、物に頼ることではない。神様にすべてをお任せすることこそが、幸せになれる最高のことなのだ。その事を忘れて、自分の欲のために物事に執着する。それが供給を断ち切ることになるのだと思う。真実の幸せを得たければ、やはり、神様にすべてをお任せすることしかない。そして霊的真理の理解度を増して行くことなのだと思う。世界中の人達にこの事が浸透して行くよう願って止まない。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも最初は意識がはっきりしていたと思う。そして少し意識が薄れ出した時に、「星降る夜」という言葉があるが、実際に体験させてもらえた。と言ってももちろん、映像でのことだが。私は仰向け状態で、夜の空へと飛んで行き、そこで実際に星が降ってくる状態を感じたのだ。その降って来る星の光りの美しさと言ったらなかった。その美しい星が辺り一面あちこちから降って来るのだ。その美しさの中で心が神様と一つになれたような感覚になり、身体中の細胞が活気づいて行くようだった。有難い体験をさせてもらえて感謝の想いしかない。

389回目の瞑想

飛行機
 
「人生のある状況を正確に達観したいと思ったら、鼻先で、近視眼的に見ぬことです。高所から、霊的立場から眺めることです。こうすれば、まるきりその問題が違って見えてきて、びっくりされるでしょう。」
 
今日の「遠近法」と題された内容は、目先の問題をこの世的に見てはいけないということだと思う。すべては神様を信じて、霊的に物事を考えていけば、思わぬ解決に行き当たることもあるのだ。それは私自身、体験済みなので、得心できる。そして瞑想もお薦めしたい。本来の自分と向き合う時間はとても大事なことだと痛切に感じている。その時間を得ることで、霊界との関係も密接になって行くのだと思う。これは言葉でいくら説明しても、わからないと思うが、一度体験すれば、自らが納得できることなのだ。それを私は一人でも多くの方に体験して頂きたいと思っている。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは意識があったと思っていた。が、やはり無の状態になっていたようだ。今朝は映像のオンパレードだった。あまりに沢山だったので、印象に残ったものだけを記したい。最初は宇宙空間(と一言で言ってしまうとその雄大さ、無限な広さ、美しさなどが伝わらないと思うが)の中に大きな美しいお月様が出現した。気品と優しさが漂うその雰囲気に慈悲と言う言葉がぴったりだった。更にその宇宙空間を流れるように光りがあちこちに移動する。時にはその中の光りが大きな塊となってエネルギーを放出しながら、流れて行く。その見事さに圧倒されてしまった。またしばらくすると目の前がパ〜っととても明るくなった。すると優しい温かい光りが画面一杯に広がり、心身共に癒やされて行くのがわかった。ちょうどヒーリングをしている時でもあったので、相手の方々にもその光りは流れて行ったように思う。腕から手の平にかけての痺れ感が半端なく、エネルギーが充満しているように感じた。

390回目の瞑想

飛行機
 
「神に受け入れられる時というものがあります。これを覚えておいて、神に従うことを学びなさい。神の皆さんの人生に対する目的とは、霊的成長、霊性の進歩です。貴方の準備ができた時に、神は用意なされたものを貴方の前に置かれます。」
 
今日の「貴方の準備ができた時に」と題された内容は、私が最も待ち望んでいることだ。私自身は常に神様にすべてをお任せする気持ちでいる。けれど霊的成長や霊性の進歩がまだまだなのであろう。日々の生活の中で、自分自身が感じている。神様に認められるには、もっともっと精進しないといけないと思っている。どんなことがあっても動じぬ心になりたいものである。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、ほとんど意識は遠のいてた。その中で、やはりどなたかと話しているような感覚が残っている。今朝の夢でもそうだが、確実にどなたかと話しているというその感覚だけはあるのに、思い出そうとしても思い出せない。これこそが、霊的成長と共にその事実をきちんと覚えていられるようになるのだと思う。

391回目の瞑想

飛行機
 
「『私達に逆らう者を私達が許すように、私達の罪をお許し下さい』この言葉は皆さんに愛をもたらします。困った時に、悩みのある時に、皆さんを助けてくれます。感情で心がどうにもならない時、人を許しなさい。その時、すべてのことが許されます。神が貴方を、子供である貴方を祝福して下さいます。」
 
今日の「優しい霊」と題された内容は、この許しということが、できるようになったら、人間卒業なのではないかとさえ、私は思っている。自分の感情が激しく苛立つのような事があった時に、その相手を許せる人は、この世にどの位いるだろうか。許せないからこそ、酷たらしいニュースが横行しているのだ。この許しということは一朝一夕には行かない。けれども、少しずつでも実践して行かなければ、霊的真理を理解したとは言えないのだ。理解するとは実践してこそ、だと思う。できる限り努力して行きたい。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、意識が遠のいている時間が多かった。いつも以上に腕から手の平にかけての痺れ感が強かった。映像はやはり宇宙空間の雄大かつ広大な空間が出現した。時折ピカッと光る。その光景は何度見ても素晴らしいものだ。更にいくつか映像は出て来ていたようだったが、よく覚えていない。

392回目の瞑想

飛行機
 
「愛するとは、その見返りを何も思わずに、内在の神性を捧げることです。人は愛にはお返しがあるものと、あまりにも感じがちです。愛とは与えるものであることを、魂は学ばねばなりません。愛は心から、生命から溢れ出る内面の美しさです。」
 
今日の「愛は内面の美しさです」と題された内容は、読んだ時に、ただただこうあらねばならないと心から思った。私達人間の愛とは、あまりにも身勝手な思い込みであると感じる。愛とは生命から溢れ出る内面の美しさ、とは何という素晴らしい言葉の響きなのだろう。愛、愛と言ってはいるものの、この真実の愛を私達人間はどれだけ行えているのだろうか。私はこのお言葉に諭された思いだ。感動で胸が一杯になった。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、お祈り以外、意識は遠のいていた。そんな中で、はっきりしない映像も浮かんだように思ったが、意識が戻ると全くわからなかった。ただ心だけは満たされた思いでスッキリとしていた。

371回目の瞑想

柔らかい光
 
「人のカルマは神性の力をもってすれば、解消できるものです。私共はよく次のような言葉を耳にはさみます。『あーあ。これは私のカルマだ、身に背負わねばなるまい』と。神法を誰しも避けて通ることはできません。しかし神法とは愛です。ですから、人の心の中に神性である愛が成長していけば、その人の魂からカルマの足かせが解けていきます。」
 
今日の「神の慈悲」と題された内容は、私達人間にとって、希望である。カルマは内容にもあるように一生背負って行かなければいけないと思っている。けれど、神性である愛が成長していけば、カルマは解けて行くことができるのだと言われる。但し、神性である愛とは、他人に対する奉仕でもある。またどんな困難が降りかかろうと神様を信じて前向きに明るく乗り越えて行く心にもあると思う。それは決して楽ではないし、大変なことではあると思うが、一生カルマに苦しめられるとしたら、こんなに有難いことはないのではないかと思う。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも、ほとんど意識はなかった。音楽がかすかに聴こえていたようにも思う。だが、ヒーリングのお祈りの時には意識が戻り、祈りの言葉を唱えることができた。これはいつものことだ。通しで意識がないということはない。今回も両手の痺れ感が強かった。また身体のバイブレーションも何度か感じた。

372回目の瞑想

飛行機
 
「不調和な状況に接して、心が騒いだり、感情が動転したりするのは易しいことです。しかし、内在の神性が成長してきますと、その神性が感情を統御して静止させ、正しく働くように教えてくれます。こうして、感情は霊的奉仕のために働くようになり、動転して魂に嵐を起こさせるようなことはなくなります。」
 
今日の「嵐を静めること」と題された内容は、人間がこの世の感情に振り回されていることを案じておられるのだと思う。もちろん、困難な状況になれば誰しも心が騒ぐし、感情の起伏も激しくなる。それが人間だと思っている。けれど、内在の魂が目覚めることで、その感情でさえ、統御下におけるということを教えて下さっている。それは瞑想でも、とても大事なことで、今回のミディアムシップでも教えて頂けた。また今朝の瞑想でもリアルにその事を感じたのだ。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、意識はほとんどあった。お祈りをして「私は神様の分身です」という言葉をゆっくりと唱えた。しばらくすると、宙に浮くような感覚になる。そして身体の細胞が統御下にあると言うことが、瞬間わかったように思った。ヒーリングもゆっくりと一通り終えると、両手が肩の辺りまで上にあがり、左右に開く。しばらくして、元の位置に戻る途中で、その両手が急にものすごく重くなった。余りにも重くて、その重さ故に自然と下に置かれる形になった。その時に、その重さとは人のこの世の感情だということがわかったのだ。リアルに重さを感じたので、人の感情とはこれだけ自分自身に負荷がかかるものなのだと実感した。だからこそ、今回のお題のように内在する神性で感情を統御できれば、それが負からプラスに転換でき、人のための奉仕ができるのだと、心から感じる事ができた。多分、魂で感じられたのだと思う。
 
また、今朝は夢を二つ、はっきりと見た。それは雪が降って積もるシーンを見ていた夢と、他人の大便を見る夢だった。雪が積もる夢占いは、物事が上手く運び、何もかも順調に進み願いが適うことを暗示しているとのこと。更に他人の大便を見る夢占いは、夢における他人は自分自身ということで、自分の中にあった悪いもの、古いものが出てしまい、新たな始まりを迎える事を表しているとのことだった。どちらもとても良い夢だったようだ。夢占いのようになるためにも、更に精進して行こうと思う。

373回目の瞑想

飛行機
 
「皆さん、人を許すということは難しいことです。しかし、人を許せば自分の霊は解放されます。それはちょうど、鎖につながれていた魂が解放されるようにです。恐らく十字架にかけられた魂は二度とはかけられませんが、そのようにです。人が愛や美しいものに反応しますと、その程度に応じて、地上の美を増加させます。ちょうど同じことですが、この人は秤の反対のものーーー暗闇、無知、残忍、利己主義を減らしていく働きをしているのです。」
 
今日の「人を許せば鎖が解ける」と題された内容は、私達人間にとって、最も難しい課題なのではないだろうか。人を許せば自分の霊を解放できると言われる。それだけに難題なのだと思う。自分にされた屈辱的な想いを、相手にも味あわせたいと思ってしまうのが常である。復讐の気持ちは必ず持つ。特に大切な人が殺されたような場合は、その相手を許すことなど到底できない。けれど、この場合も因果律の働きによるものなのである。偶然ではなく、必然なのである。人を許すという行為ができるようになるためには霊的真理を理解すること以外にないと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、またもや意識はほとんど遠のいていた。覚えているのは、最初のお祈りとヒーリング時のお祈りだけだった。音楽もほとんど聴こえていなかった。
ところで、先日お話したミディアムシップの内容を「亡き息子との交信記録」に記載したので、ご興味のある方はぜひご覧頂ければと思う。またアセスメントという、ガイドスピリットからのメッセージを次回受ける予定なので、その内容も後日記載しようと思っている。

374回目の瞑想 

飛行機
 
「私共は人類のすべての問題のなり行きを、確信をもって語ることが出来ます。それは我々が、人類の全生活が、その働き完全な神法により支配されていることを、承知しているからです。この神法の目的は、男も女もすなわち全人類家族を導いて、神の自覚にまで至らしめることです。後ろを見なさるな。後ろを見るなら、「わが過ぎ来し道の何たる美しさよ」と、こうお言いなさい。過ぎたことを悔やみなさるな。皆さんは前進を続けているのです。もう一度幸福を見出すために、生命の道を旅し続けながら。このたび発見する幸福は、倍加し高まった途方もない幸福です。」
 
今日の「先行き」と題された内容は、やはりすべて悟っているからこそ、言えるものだと思う。ここまでの事を思えるなら、本当に人生は明るいし、道は開かれる。だが、これは実現できるからこそ、教えて下さっているのだと思う。霊的真理を理解するためにも、シルバー・バーチ霊の霊言集やホワイト・イーグル霊の訓えなどの本を読むことが一番である。そしてできれば瞑想と併用されれば、自分の内なる魂に響いてくるはずなのだ。いつか自分達のいた住処に帰った時に少しでも成長していたいと切に願う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想やヒーリングでは、ミディアムの方に教えて頂いた、自分の感情は極力脇に置いて、できるだけ崇高な心でやってみた。意識はしっかりとしていたが、エネルギーが充満するかのように、胸の辺りからどんどんと膨らむ感覚になり、身体の細胞が活気づいているように感じた。そしてヒーリング時では、一通り終えると、「この神様の愛のお光りが、必要な人へ流れるようにお導きください」と唱えていた。
昨日はまたとても有難い事があった。
ミディアムシップを紹介して下さったT様はミディアムの道を進んでおられる。この度、息子のメッセージを教えて頂いた。思い当たることばかりで、息子の言葉だと確信できた。更に私に対しての「これからまだまだ沢山の人の役に立てる機会があるから、楽しみにしている。でも根を詰めないで。」との言葉に有難い思いで一杯になった。そして今朝の瞑想で、私にも息子からのメッセージが・・・「心が純粋で、とても綺麗な魂なので近づきやすかった。霊と繋がりやすいので協力を惜しまない霊達が力になると思う」との言葉が自然と浮かんだのだ。これは紛れもなくT様のことだと直観した。突然のことで驚いたが、有難い想いに涙がこぼれた。神様に感謝の気持ちで溢れていた。

375回目の瞑想

飛行機
 
「疑念がある時は、何もしなさるな。静かにして、辛抱して、お待ちなさい。平静になるように、静寂を守るように努めなさい。そうして神を待ちなさい。神が貴方を見捨てられることはありません。」
 
今日の「神が貴方を見捨てられることはありません」と題された内容は、私達人間は、頭ではわかっていても、待ちきれなくなって、行動に起こしてしまう。無論、ほとんどの人間は神の存在自体を信じてはいないので、自分本意の考えで行動してしまう。それがまたカルマを作ってしまうことにもなりかねない。もちろん、神様は人間の自由意志を許して下さっているが、だからこそ自分の行動には責任が伴う。この世の自分の使命を全うするには、やはり、何と言っても霊的真理を理解することが必要なのである。その基本がわからなければ、何を言っても聞き入れてはもらえない。馬の耳に念仏である。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、お祈りの段階では意識があったものの、いつの間にか遠のく。そしてその中で、いろいろな場面が出て来ては消えていった。その時は覚えているのだが、意識が戻ると、やはり思い出せない。中でも特に漠然と印象に残っているものがある。大勢の人達(霊達)と明るい場所で、とても楽しい雰囲気で話をしていたというものだった。もっとはっきりと覚えていられたら、と思った。

376回目の瞑想

飛行機
 
「人間が手にすることの出来る生命の糧、大いなる活力は神から来るエネルギーです。病気したり、心が疲れたり、落ち込んで希望を失くしたら、自分の事から心を切り離すことです。思いを神に向け、神に向かって祈り、神の賛美に心を向けなさい。あらん限りの思いと精神をこめて神に集中しなさい。ふらついたりハラハラせず、ひとすじの信を神に堅持しなさい。そうすれば神の光の中にあって貴方は発見します。自分の人生で必要なものがすべて与えられるということを。」
 
今日の「思いも精神も神に向けなさい」と題された内容は、神様を信じ、霊的真理を理解している人ならば、実行することは難しいことではないと思う。だが、ほとんどの人間は神様の存在や霊的真理の理解は信じてもいないし、理解してもいない。けれど、人間の力には限りがある。行き詰まってしまったら、どうにもできないと思い、自殺をしてしまう。その時に神様の存在、霊的真理の理解があれば、生きる意義を感じ、生きる希望が出て来て救われるのに。だからこそ霊的真理の普及をする必要がある。一人でも多く、この事実を得心できる人が増えて欲しいと切に願っている。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、ほとんど意識は、はっきりしていた。そして昨日アセスメントを受けさせてもらったのだが、その時にお話しして頂いたガイドの方のお顔が突然に出て来てびっくりした。またアセスメントの内容については後日、「亡き息子との交信記録」に記載しようと思っている。 そしてヒーリングを一通り終えると、次のお言葉がいきなり降りてきた。
「心の貧しき人に太陽の光りを与え給え」と。心貧しき人とはどういう人なのかとネットで調べてみると、聖書に「心貧しき者は幸いである」という言葉があった。その心貧しき者とは、霊的な事を必要と自覚している人のことだという。ということは、霊的な事を必要としている人に太陽の光り=神様の光りを与えるということなのだ。これはやはりヒーリングに通じることなのだと思うし、昨日のアセスメントにも通じることなのだと思う。これからそういう方が来られるのではないかとも思った。

377回目の瞑想 

飛行機
 
「一般に祈りというと、自分の望みとか、自分のためになることばかりを祈ります。「おお神よ、下さい、下さい、下さい。健康にして下さい、幸福にして下さい、これこれの物を下さい、欲しいものは何でも下さい。おお神よ、そうすれば私も神のお望みどおりに致します。」と。そんなことを祈らず、次のように祈りなさい。『父よ、愛する神よ、私を御身に委ねます。神のご意志のままに私をなし給え』と。
 
今日の「祈り」と題された内容は、確かに一般のお祈りは、神社やお寺などで、自分のためのことをお祈りしたり、御利益があるということで手を合わせたりしている。また神社やお寺側の方でも、こうすれば長生きできるとか、健康になるとかと言って、まことしやかに巻き込んでいる。そういうことを目の当たりにすると、本当に残念でならない。このホワイト・イーグル霊の訓えのように、祈るべきなのである。すべては神様に委ね、お任せする気持ちが大切なのだということ。そして心から人のため、この世のためを思っての祈りが聞き届けられる。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも意識がほとんどはっきりしていたと思う。そして今朝は映像がいろいろと出現した。まず清い川の流れが出てきた。その時に澄んだ空気感も感じる。そしてその川の流れが逆方向にどんどん進むと滝が現れて、マイナスイオンを感じ、エネルギーを頂く。また激しい噴火のシーン、青空高く飛翔し、雄大な景色を眼下に見下ろすシーンなど、次々と現れたのだ。
 
先日のアセスメントの内容を「亡き息子との交信記録」に記載したので、ご興味のある方はご覧頂けたらと思う。

378回目の瞑想

飛行機
 
「皆さん、悲観的な気持ちになってはいけません。人は喜びの運搬人です。ですから、がっかりしたり、世の中を陰気に考えたりしてはいけません。人類の進化は堅実に進行しています。ですから、皆さんはいつも進歩に目を向けていなればなりません。その美、その善が働いていることに目を向けねばなりません。」
 
今日の「喜びの担い手であれ」と題された内容は、常に前を向いて明るい気持ちで過ごして行かなければいけないということだと思う。けれど、この世にはいろいろな困難があり、常に前向きにばかりは思ってはいられない。ただホワイト・イーグル霊はそのことも承知の上でのこのお言葉なのだ。と言うことは、どんな困難に遭遇しようとも、常に明るい気持ちで乗り越えて行かなければいけないということなのだ。もちろん、簡単にできることではないが、神様を信じ、霊的真理を頼りにできる限りの努力して行かなければいけないということだ。そうすれば、「必ず道は開けて行く」という、この事を疑わず、信じる以外にはないのだと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では意識があった。だからなのか、雑念と集中する気持ちとが交互に繰り返され、それに終始してしまった。けれどヒーリングでは、一通り終えると、また身体にバイブレーションを感じた。だがこれは音楽とのエネルギー交流なのだということが、ミディアムの方に教えて頂いたことで、得心できた。バイブレーションと共に、鳥肌が立つような感覚も身体全体に感じた。

379回目の瞑想

飛行機
 
「貴方が困難にぶつかって、どうしてよいか分からなくなったら、貴方の一番奥の聖所に行きなさい。そこで優しい神のお出ましを求めなさい。そうして、貴方が置かれている状況の中でどうしたらよいか、神のご意志を尋ねなさい。」
 
今日の「悩みある時」と題された内容は、私達人間にはなかなか簡単にはできない。例え、どれだけ神様のお出ましを望んでも簡単にはお出ましになって下さらないからだ。神様にお出まし頂けるのは、やはり私達のたゆまない努力があってこそだと思う。また何度も言わせて頂いているが、やはり霊的真理の理解、これに尽きるのではないかと思っている。そして一度でも祈りが通じていると思える体験をすれば、更に神様の存在、霊的真理の意義が強固になる。一人でも多くの方にそんな心境になって頂きたいと切に願う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも、意識は覚醒している状態と遠のいている状態とで半々だった。最初に透明な絹の布ような厳かなものが舞っていた。見ているだけで、心が洗われるようだった。そして、光のシャワーを浴びる感覚になる。すると身体全体の痺れ感が強くなった。更に下方に太陽のような燦々と輝く光りが目の前で放射されている状態になり、それを全身に感じるとエネルギーが充満してくる感覚になる。身体も熱くなり、力がみなぎってきたのだ。こんな体験は初めてであった。ただただ神様に感謝の言葉を唱えていた。

380回目の瞑想

飛行機
 
「大きな総体的な目で生命を考えなさい。貴方が無限を理解しようとしても出来ることじゃありません。しかし、次の単純な事実なら皆さんにも分かります。すなわち、天界の方々への祈り、想い、熱望、これらは決して失われないということ。貴方が祈ったり瞑想したりして接触するや否や、天使らが集まり、貴方の熱望を満たそうと、真実の祈りに応えようと致します。その答えは必ずしも貴方の望み通りのものじゃないかもしれません。しかし、もっとずっと良い形で返って来ます。もし貴方が安んじて自分の祈りの仕上げを、神や天使らにお任せするつもりなら。」
 
今日の「仕上げは神に委ねなさい」と題された内容は、私としてはしているつもりでいる。常にお祈りし、瞑想し、熱望している。そして少しずつではあるが、良い方向へと進んでもいると思う。望みは今や一つしかない。神様の道具として、通路として、世のため人のためにお役に立ちたいという思いだ。神様は決して急がれないと言われる。ゆっくりとした歩みの中で、着実に進歩して行きたいと願わずにはいられない。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、ある程度意識はあったように感じている。お祈りしていると、いきなり、左脳片方だけに、下から上に鳥肌が立つ感覚があった。右脳ではなく、左脳だった。これには何か意味があるのだろうか。そしていつの間にか別空間にいるようだったが、それは意識が戻った時に感じたことで、その時にはわからなかった。別空間にいる時に「青空のように澄みきった心持ちがすべてに反映して行く」という言葉が浮かんだ。

381回目の瞑想

飛行機
 
「貴方がまず何にもまして求めるべきものは、神からくるもの、霊からくるもの、換言すれば貴方の高我から出る叫びです。貴方の正体とは光輝く霊です。貴方は何よりもまず、この光輝く霊に真実でなければなりません。どんなことがあっても、貴方の魂の要求である、真理と光と永遠の愛の追求から、貴方の目をそらせてはなりません。」
 
今日の「貴方の真我」と題された内容は、読んだ時に、鳥肌が立ち、感動さえ覚えた。私達は光輝く霊だと言われている。そしてこの光輝く霊に真実でなくてはいけないと。本当に心から得心できる。この世の欲に負けてはいけない。常に霊的真理に照らし合わせて、自分を律して行くことが肝要なのだ。私達の使命は、神様のお役に立つこと。神様のお役に立つということは、人に奉仕し、霊的に成長することにある。愛を持って生きることにある。その思いは誰にでも潜在的にはあるのだ。その思いに目をそらさず、自分の使命を果たしていくことが最も大切なことなのだということを教えて下さっているのだと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、お祈りの段階では意識ははっきりしていたが、その内境目がわからなくなった。そして次のお言葉が浮かんだ。「一人一人の魂はすべて繋がっている。故に人に対して寛容であらねばならない。これは理想ではなく、今この世において為さねばならないことなのである。心清き者が、先導して行くのです。」と。今回のお題と符合しているようにも感じる。
ヒーリングでは、その間中、身体の痺れがビリビリするほどの感じと共にエネルギーが充満していく感覚になる。その瞬間、神様との繋がりを感じた。
 
今朝「人助けをする猫の絵」という夢を見る。これは夢を見ている時には、完全にストーリーになっていたのは記憶している。確か、この猫の絵を見ることで、救われるということだったと思うが、その内容を完全には思い出すことが出来ない。ただ、この題名めいた言葉だけは起きてすぐにずっと浮かんでいたのだ。

360回目の瞑想

柔らかい光
 
「皆さんの前には、どなたにも素晴らしい未来があります。日常生活のささいな出来事、失望したとか、ちょっとした悩みだとか、痛手を受けたとか、それはすべて小さな小さな事です。それは自分で大変な事と思い込んでいるだけです。みんな捨てなさい。貴方の全存在を神の愛に集中しなさい。神の子でありなさい。我意をしずめ神意に身を従わせなさい。」
 
今日の「広い視野」と題された内容は、私達人間にとって、頭を悩ませていることはこんな簡単なことではないと思い込んでいる。それで自殺してしまう人もいる。けれど、高級霊の方々から霊の目でご覧になれば、書いてある通りのことなのだろう。やはり神様を信じ、霊的真理を理解することで、私達の悩みは解決してしまうのだと思う。まずは自分本意の考え方を改めるところから始めなければいけないのだと思う。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、やはり徐々に意識が遠くなる。けれど、部屋が薄暗くしているにも拘わらず、目の前が急に明るくなる。黄金色に光り輝いていたのだ。そのお光りを浴びるような感覚になり、心身共に洗われるようであった。そして、そのお光りがヒーリングのお相手に流れて行きますようにと心から願った。本当に素晴らしいお光りであった。自然と顔がほころび、心も柔軟になっているように感じた。感謝の気持ちで一杯であった。

361回目の瞑想

飛行機
 
「すべての治療の基本と申しますのは、永遠の太陽である光を身体に摂取することにあります。もし、貴方がこの光を呼び起こして吸入し、意識的にこの光の中で生きることが出来れば、肉体細胞を実際にうまく統御することになります。肉体は鈍重で、物質の力は頑固、だから人は神の力を忘れてしまいます。しかし本当に組織をよみがえらせ、新しく身体細胞を創り出す力は神の力なのです。」
 
今日の「太陽による病気治療」と題された内容は、神の光による病気治療と言うことだと思う。これはヒーリングに通じることだ。神の光がヒーラーを通路として、ヒーリングを受ける方に流れて行く。その神の光の量や質は通路であるヒーラーの霊格、また受ける方の霊格にも左右される。その結果、病気が治る人、治らない人、また何らかの効果の出る人、また何も効果が出ない人とに別れる。また大事なことだが、受ける方のカルマの問題もある。病気を通して魂の成長が為される場合は、どんなヒーラーでも治せない。ここに神様の摂理が厳然として存在する。ただホワイト・イーグル霊によると、カルマは神の愛の手に委ねれば軽くなると言われている。このことを皆さんに保証できるとまで言われているのだ。ということは神様を信じて、すべてをお任せする境地になることが肝要だということだ。一人でも多くの方にこの事実を知ってもらいたいと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想もヒーリングでも、意識はほとんどなかった。ただ、またバイブレーションだけは身体に感じていた。それ以外特に記述することはなかった。

362回目の瞑想

飛行機
 
「強くなっていく魂は、つまり内部で炎が明々と燃え上がっている魂は、平然としてすべてを投げうって顧みません、哲人のように喜びに満ちて、このような賢明な魂は分かっているのです。失われるものはもう目的を果たしたということ、この先にもっと良いものが待ち受けているのだと。その善い事とは、霊的な事だか物質的な物だか分かりませんが、平静心をもって、この十字架に直面するようにしなさい。過去の灰の中から、新しい生命は生まれるのものです。」
 
今日の「放棄」と題された内容は、過去に囚われるなと言うことなんだと思う。失われたものに固執するのではなく、目的を果たしたからこそ失うことになったという解釈だ。とても前向きな発想だと思う。そう考えることで、この先にはどんな形であろうとも、自分にとって善い事が現れるということだ。暗闇の先には光があるように、苦難を乗り越えた先には善い事が待っているということなのだと思う。すべては何事も神様を信じてお任せすれば乗り越えて行けるということに尽きるということなのだ。実際に体験したので納得である。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、意識がはっきりしている中で、ただただひたすらに「私は神様の分身です。」と唱える。しばらくすると温かいオーラに包まれたような感覚になり、涙が自然と流れて来た。そして「神様のお役に立てるよう、私を存分にお使い下さい」という想いが、内から湧き出て来るようだった。更にそのためにこの世に生まれて来たということを感じたのだ。
ヒーリングでは、一通り終えると、言葉で表現するのがかなり難しいが、精妙な薄青色(と言っても何色にも重なっているが、全体が青色に感じた)の映像が最初は斜め前方に出現した。徐々にゆっくりと動いて正面に画面一杯になると、どんどんと引き込まれるような感覚になる。すると別空間に移動したようにも感じて、一瞬どこにいるのかわからなくなった。不思議な体験であった。
昨夜の地震はかなり揺れた。その時間ヒーリングをさせてもらっていたのだが、少しびっくりしたが、そのままヒーリングは続行した。何でも10年前の東日本大震災の余震だったということだ。これも地球進化の中の一コマなのだろう。

363回目の瞑想 

飛行機
 
「大いなる霊であられ、光明であられ、生命の根源であられる神は、貴方が向上しようとしさえすれば、必ず貴方を進歩向上させて下さいます。貴方が自分を鎖に繋ぎとめているのですよ!無明であるその鎖を投げ捨てなさい。あるがままの真実の自分に目を向けなさい。金色の光燦然たる太陽の子である自分自身を見なさい。」
 
今日の「貴方の鎖を投げ捨てなさい」と題された内容は、今回瞑想しているときに浮かんだ言葉と符合していた。自分自身に自信がないとなかなか自分を認めることができない。私もかつてそんな時があった。劣等感を持っていると自分を見下げてしまう。けれど、霊的真理を理解することによって、払拭できると思う。神様と繋がった内なる魂を一人一人秘めている。よって私達人間は神様の分身であるということは紛れもない事実なのだ。このことを信じるか信じないかでも道はわかれてしまう。自分の力ではなし得ないことも、神様ならそれがおできになる。その神様を求めることで、必ず払拭できるものと私は確信している。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも「私は神様の分身です」と何度も唱えていた。唱えているうちに「私は内なる魂を顕現することができます」と自然に唱えてしまっていたのだ。その間もヒーリング中も、両腕や胸辺りの痺れ感がかなり凄かった。すると「自縄自縛」という言葉が浮かぶ。これは亡くなった霊能者の母が生前良く言っていた言葉なのだ。自分の作った縄で自分を縛るということで、自分の言行などで身動きが取れなくなり、苦しむということだ。私に降りて来た霊もほとんど自分の思い込みで苦しんでいたので、私自身もそれは痛感している。この解決法はただ一つ。自分自身でその縄を解くより方法がない。今回のお題の内容にもあるように、自分を鎖に繋ぎとめているのだから、その鎖は自分で投げ捨てる以外にはないのだ。だが自分一人でと言ってもなかなか渦中にはまってしまっていると抜け出せない。だからこそ神様を信じてお任せすることで、徐々に縄も解け、鎖も投げ捨てることができるようになるのだ。
ぜひ、自分自身の縄で鎖で苦しんでいる人は実践して頂きたいと思う。
 
明け方、息子の夢を見た。とてもリアルだった。我が家で私と何やらいろいろと話し込んでいた。(内容はわからない)けれど、「やらなければいけない仕事があるから、もう行くね」という言葉だけは、はっきりと聞き取れた。身支度をしてまた霊界に戻って行ったようだった。お久しぶりに息子に会えて、起きてから、とても温かい気持ちになれた。感謝しかなかった。

364回目の瞑想

飛行機
 
「表面だけを見て物事を判断してはいけません。霊的な因果を見抜く内的視力を開発しなさい。そうなれば、人を裁くことができないことが分かりましょう。」
 
今日の「上っ面の下を見なさい」と題された内容は、とかく人を見るときには表面で判断してしまうことが多い。そして批判する。けれど霊的に見ることによって、表面ではない内面がわかると、批判することができなくなるということは、霊的に見ることができなくても、他人を批判したり裁いたりはしてはいけないということになる。なかなか難しい課題だが、できる限りに試みようと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、意識が遠のく中で、音楽のバイブレーションに感応していた。何度も音楽に合わせて身体の中からの振動を感じていたのだ。
そして今回の映像はなぜ出て来たのかわからないが、瞑想からヒーリングへと移行する直前に黒い雨が降って来る映像が出現した。すると、すぐに原爆が落ちた瞬間の黒い噴煙がモクモクと上がる映像が続けて出現したのだ。その時にすぐに「長崎」という言葉が浮かんだ。だがこの黒い噴煙という映像が、私が知っている原爆のキノコ雲はテレビで見ていた灰色っぽいものだったので、ネットで調べてみた。するとなぜか長崎で原爆を体験した人の投稿が目に付き、読んで見るとこんなことが書いてあったのだ。
「ピカッと光ってドンと衝撃音の後、一瞬静寂に包まれた。おそるおそる顔をを上げてみると、どす黒い噴煙がとぐろを巻くように猛烈な勢いで上昇して行くのが見えた。後にそれがキノコ雲の茎の部分だったとわかった。」とあった。まさしく私の見た映像はその状態だったのだ。本当にびっくりしてしまった。今見た映像があの75年も前の原爆だったことに。。けれどなぜこの映像が出現したのかはわからない。

365回目の瞑想

飛行機
 
「真実でありなさい。真実であることは霊的生活の本質です。霊の調べは天界高く響くものです。貴方が日常生活でたてる音は、貴方が真実の音を鳴らせるかどうかを試すテストです。真実の音を鳴らすために、貴方に内在している神の調べを、善の音を、いつも響かさねばなりません。」
 
今日の「真実の音を鳴らせ」と題された内容を初めて読んで、感動を覚えた。音楽が大好きな私にとって、日常生活で真実の音を鳴らせるかどうかという例えは心にストーンと入ってきた。こうあらねばならないと言う強い思いにもなった。神様の調べを鳴らせるように頑張る以外に道はない。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、完全に意識が遠のいていた。かろうじて、最初の祈りとヒーリングのお相手のことを祈ることができたくらいだった。けれど、不思議と音楽が終わる頃には意識が戻った。充実感が半端なかった。そして今回開いたお題に更に高揚感を上乗せさせてもらえたようで幸せな気持ちで終えることができた。

366回目の瞑想 

飛行機
 
「貴方の心を尽くし生命を尽くして、神の生命と神の栄光を思いなさい。そうすれば、もうどんな恐怖もありません。感謝しなさい。感謝をすれば、それがまた恐怖を追い出すことにもなりますから。感謝しなさい。そうして、天なる父が貴方の必要をご存知であることを思い浮かべなさい。そうすれば、貴方の必要とする一切が与えられましょう。」
 
今日の「感謝しなさい」と題された内容は、当たり前のことを言われているのだが、それが難しい。もちろん、自分がすべて上手く行っている時や、幸福感で満たされている時の感謝は、至って簡単である。だが、不幸や悲しみ、苦しみなどの苦難の最中に感謝できるかと言ったら、それはかなり難しい。けれど、その時にこそ、神様に感謝することが肝要なのである。それができるようになれば、それこそ、自分の必要とする一切が与えられるのだと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも意識がほとんど遠のいていた。その合間合間に意識が戻ると、目の前がパ〜っと明るくなり、金色の光が見えた。そしてまた身体の中からのバイブレーションを感じるのだ。言葉では表現できない振動の体感に細胞がみなぎってくる感覚がある。そして終えた後は充実感で一杯になる。それこそ自然と感謝の想いが募ってしまうのだ。

367回目の瞑想

飛行機
 
「いつも光と共に働きなさい。こうして、人が光を外に発揮している時には、すべての他者の中にある光を、かきたて目覚めさせつつあるのだということを知りなさい。うつむいたり、後ろを向いたりしないことです。貴方の精神を乱し悩ませる、細々したくだらぬ事で、たじろがぬことです。光の方を真っ直ぐに見ていなさい。そうして次のことを知りなさい。神はご自身の目的に向かって着々と進んでおいでになる。万事は神を愛する者達のために、狂いなく良い具合に進行しつつある、このことです。」
 
今日の「たじろがぬこと」と題された内容は、神と共に生きなければいけないということを教えて下さっている。神と共に生きるということは、どんな辛い事、苦しい事、悲しい事があろうとも、いつも真っ直ぐに神の光を見ていかなければいけないということだ。そういう姿を見ている周りの人達にも影響して行くということなのだと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも、ほとんど意識は遠のいていた。時折意識が戻ったが、その時に光の輪が私を包んでくれているように感じた。温かく心地よかった。また強いバイブレーションも感じていた。画像のような映像も出現した。

368回目の瞑想

飛行機
 
「苦痛や損害を受けて、プリプリ怒るのは小我の常です。だが、神の計らいの英知を信じて、満腔の愛をもって神に身を委ねる者は偉大な進歩を遂げます。現世のものなど及びも付かぬ深甚の平和で彼は満たされます。」
 
今日の「受容」と題された内容は、私達人間には耳が痛い。まだまだ人間的な小我はあって、瞑想の時のような穏やかな気持ちのまま過ごす事がままならない。日常生活のいろいろな場面で、やはり小我は現れる。情けない話であるが、少しずつでも、小我が現れないように精進して行くほかない。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも、意識が遠のいていた。時々、映像のようなものが出ていたような気もするが、はっきりと認識できるようなものではなかった。

369回目の瞑想

飛行機
 
「神の上に重荷を置きなさい。言葉をかえれば、貴方の問題から手を放し、お任せして、それを下に置きなさい。結び目をほどこうとしてはいけません。引けばひくほど固く締まります。下に置きなさい。想いのすべてを込めて、やさしく愛である方、神に心を集中しなさい。そうすれば、結び目はすべてほどけて、問題は残らず解決します。」
 
今日の「重荷をおろしなさい」と題された内容は、やはり私達人間にとって、難しい内容だと思う。難題を抱えた時に、問題を自分の手から放して、神様に心を集中させたところで、難題が解決するわけがないと思っているからだ。これは一度体験してみないと、言葉だけでは伝わらないと思う。ダメ元で一度試みてはどうかと思う。もしそれで今回の内容のような事が実際に起きれば、得心出来るはずだからだ。けれど、これにはかなりの神様に対する信心がないと難しいのではないかと思う。そのためにも霊的真理の理解が必須となってくる。難題を抱えた時こそ、霊的真理が網羅されているシルバー・バーチ霊言集をぜひ読んでもらいたい。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、ほとんど意識はあったように感じている。実は昨日、ある方の紹介でミディアムシップを受けたのだ。詳細は後日記そうと思っているが、息子のミディアムシップだったのだが、私自身のこともかなり要めの部分を教えて頂けた。もちろん、息子のメッセージも教えて頂いた。
そこで、今朝の瞑想、ヒーリングでもそのことを肝にやってみたのだ。するとやはり素晴らしい感覚を覚えた。これは今までの自分の感覚との違いなので、言葉で表現しても伝わらないと思う。有難い思いで一杯だった。

370回目の瞑想

飛行機
 
「肉体を身に着けて生きておいでのこの人生では、貴方の職業が何であろうと、それは奉仕のあり方なのです。それが賤(いや)しくて自分にはどんなにつまらないものにそれが見えても、貴方の使命です。人は地上での自分の仕事を通じて、すべての人の幸福に貢献できるものです。神と手をたずさえて一心に働きなさい。貴方の前に置かれている、奉仕の一つ一つの機会に感謝しなさい。」
 
今日の「神と手をたずさえて」と題された内容は、自分のおかれている立場を一心に生きろと言われている。それが奉仕であり、使命だと。けれど、自分のおかれた環境に不平不満を持つ人は多い。そしてもっと高みでの仕事がないかと模索する。けれど、今できることを必死に努力し、感謝して生きることが肝心なのだと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、目を閉じると岩のようゴツゴツとした岩肌とでもいうものが両脇に続いており、その先には丸い(少しいびつだったが)ポッカリと空いた穴のようになっていた。その穴の景色は明け方のようだったり、朝焼けのようだったりと変わる。だがかなり長い間その映像に(と言っても今までの映像とは違って映像という認識ではなかった)見入ってしまっていた。

349回目の瞑想

柔らかい光
 
「真理に至る道は霊の中にあります。外的世界には騒がしさと、混乱と、不幸があります。人は肉体の心で、すなわち地上の物質の片割れの心で、ものを考えます。内的な心でものを考えるべきです。内的自我、すなわち直観によって、問題に迫ろうとせねばなりません。言葉そのものが、自らの意味を語ってくれます。直観ですーーー内在の自分自身を鍛錬することです。皆さんは救いを求めて外の方へ目を向けています。人の求める救いとは常に内部にあるものです。皆さんが信じ、いつも口にし、触れたいと切望している霊の世界とは、すべて内部に存在します。」
 
今日の「直観」と題された内容こそ、私達人間が求めて行かなければいけないことだと強く思う。何事も内在の魂を目覚めさせてこそ、叶うことなのだ。
その時に自分の正しい道が開かれる。素晴らしい教えだと感じる。外に救いを求めても、意味がないということを教えて頂いているのだ。自分の内在の魂を信じ、鍛錬していくことが、自分を救済するただひとつの道であると。。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今日は瞑想を始めてからちょうど一年経った。長いような短いような不思議な感覚である。
今朝の瞑想では、神様の摂理を感じて、あることに思いを馳せ、涙涙であった。更に神様と一体になりたいという気持ちが強まり、その様に唱えると神様を信じる気持ちに実体があるように感じた。(これが今日のお題でもある直観なのではないかと思う)その瞬間、自然と涙がこぼれる落ちる。
ヒーリングではいつものように神様の偉大なるパワーが個々の方達の内在の魂に届くようにと唱えると、腰の少し下辺りが、今まで感じたこともないようなバイブレーションを感じた。しかも、中から外に広がるようにだった。何度も間隔をおいて繰り返された。最初は意識も遠のいていたので、地震かと思ったが何度目かで、自分の身体の中からということをハッキリと感じたのだ。どういうことなのかわからないが、チャクラに関係しているのではないかと頭を過った。いずれ、わかるのではないかと思っている。

350回目の瞑想

飛行機
 
「皆さんの背後には、皆さんの思いもよらぬ大きな力が存在しています。神は神の子らが進んで神の通路となってくれるのを、ひたすら待っておられます。自分ひとりでは無であることを皆さんが知って、神に仕えてくれるのを、ただただ待っておられます。その通路が大きく開かれ、光明が溢れ注ぎ出すように!皆さんの心の向け方次第では、国々の民を癒やし、全世界をも癒やす、そうなります。」
 
今日の「全世界を癒やすために」と題された内容は、私自身も実行していることである。常にその事だけを願って、瞑想中お祈りしている。いつか神様がよしと思われた時に私という通路が大きく開かれるのを夢見て。。それがその先には全世界をも癒やせる力に繋がるということに、改めて身の引き締まる思いである。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
瞑想して間もなく、光りが渦巻き状に現れ、時計回りでゆっくりと廻る映像に魅了された。その中に引き込まれるような感覚になった。そうしているうちに自然と意識は遠のいていた。
ヒーリングでも意識が遠のいていたが、昨日と全く同じバイブレーションを感じる。バイブレーションを感じると共に両手の痺れ感も強まり、エネルギーが増しているようにも感じた。有難い思いに胸が一杯になる。 

351回目の瞑想

飛行機
 
「疲れや衰えを感じたら、必ず神がおいでになるように求めなさい。そうして神の愛、神のやさしい美、その生気を魂の中に吸収しなさい。神との確かな接触さえ保てれば、人生に悪い事など起こりません。右にするか左にするか、あれかこれかなど、思い煩う必要はありません。あなたがこうしたいと思えば、それが貴方のためになされているのです。但し、魂の目を覚ましていねばなりません。霊は敏感でなければなりません。内在の万能の霊の優しい指示にすぐ反応するように。」
 
今日の「接触を保て」と題された内容は、私の求めるものに他ならない。今までを振り返ってみると、自分で決めたというよりも、導かれた道を歩いていたようにも感じている。その中にはもちろん、良いことばかりではない。苦しく辛い事もあったが、それはすべて私の魂の成長に役立っていたのだ。特に息子の死については、霊的真理の本意を理解するに至り、微力ではあるが人の為に奉仕することができるようになった。見ず知らずの人に対しても心からのお祈りをすることができて涙まで流れる。これには自分でもびっくりである。そこまでできるようになったのは、やはり息子のおかげである。生まれる前に霊界で息子の魂と約束していたのだと今ははっきりとわかる。息子の魂が私の魂の成長のために買って出てくれたのだと。ただただ感謝の想いで一杯である。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
瞑想して、しばらく意識ははっきりしていた。そうしているうちに閉じた目の下方一面にキラキラした光りを感じ、真正面には雲海が広がった。その雲海の上を光の玉が私に向かってコロコロと転がりながら進んで来た。それを見ているうちに意識が遠のいていた。
ヒーリングでもそのまま意識が遠のいていたが、やはり昨日と同じようなバイブレーションを感じる。だが少し昨日よりはバイブレーションが弱く感じた。ただエネルギーの強さは変わらないようにも感じたのだ。 

352回目の瞑想 

飛行機
いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
「法の働きに狂いはありません。それ故に、自分のベストを尽くしたら、そのあとは神の慈悲に、英知に、愛にまかせなさい。私には自分の良い道が分かっているなど、決して思わぬことです。神のみがそれをご存知です。神は貴方の必要に応じて送って下さいます。謙遜であれ、忍耐しなさい。信じなさい。」
 
今日の「あとは神にお任せすること」と題された内容は、やはり私の求めるものに他ならない。神様にお任せすること、これは前にも書いたが、簡単なようで難しい。すぐに応えが出る場合もあるが、たいがいはかなりの時間を要することが多いからである。それこそ忍耐するしかない。信じるしかない。でも待ちきれなくなって、自分本意に進んでしまう。良い結果になるはずもなく、更に苦しむことになる。その繰返しである。
今のコロナ禍を思えば、それが如実としてわかるのではないだろうか。神様にすべてお任せしていれば、ストレスを感じることも恐怖を感じることもない。自分のベストを尽くすだけだ。信じることで忍耐することで、必ずや道は開ける。そう固く信じ続けること。これが最も肝要なことなのである。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今日は不思議な体験をした。瞑想すると意識が遠のいたり、戻ったりしつつしていた。そんな中で、目はもちろん閉じているのだが、目の前が急に明るくなったり、戻ったりを繰り返したのだ。その差は歴然としていた。更に女性の声が聞こえたと思った途端に意識がもうろうとしていた状態から、はっきりと戻り、確かに何かを言われたようだったことはわかるのだが、内容までは認識できなかった。その間も明るくなったり、戻ったりを繰り返していた。
ヒーリングでもその状態は続いていた。そして意識が遠のく。
 

353回目の瞑想

飛行機
 
「神に仕える天使たちが貴方のそば近くにいます。貴方の人生のどんな一コマも、一挙手一投足も、その心に思うことも何一つ逃しません。しかし、天使らは裁くことなくただ愛するだけです。深い憐れみと深甚の理解をもって。このことを心にとめて、こう祈りなさい。天使らのような愛が貴方の心にも満ちるようにと。光の使徒らが貴方にするように、貴方も同じいとしみの愛と親切をもってすべての人に臨むようにと。」
 
今日の「天使たちの愛」と題された内容は、天使という存在を取り上げている。天使は人間に生まれたことがないという。それだけに悪感情というものは元々持っていないのだと思う。守護天使は誰にもついてくれているらしい。そうして、私達人間の事を心からただただ思ってくれているのだ。本当に有難い存在だと思う。そしてこの内容のように、すべての人にこの天使のような心で接したいものである。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、意識が遠のいたり、戻ったりしている中で身体全体にバイブレーションを感じたのだ。やはり中から外に広がるように。そして神々しく散りばめられた光輝く光線の映像が出現した。それを見ているうちにまた意識が遠のく。ぼんやりとした状態の中で、こんなことが浮かんだ。他人に対して許せない思いや憎しみの思いなどの悪しき感情を持つことは、自分の積み上げて来た徳をマイナスにしてしまうということを。負が加算されてしまうということだ。そして今回開いた本の内容がすべての人に愛と親切を持てと言われている。またもや符合しているように感じた。私達人間にとって、このことはとても大事なことなのだと痛感する。

354回目の瞑想

飛行機
 
「愛はどんな問題、どんな困難、どんな誤解に対しても、偉大な解決法です。愛を使いなさい。どんな人間の問題にもしんからの愛を使いなさい。理屈を言う心はわきへ置きなさい。自分の中に清らかな愛を働かせなさい。心の奥底から、神の愛を与えなさい。貴方は驚きますよ、きっと・・・問題がみんな解決されてしまうので。結び目がすべてとけてしまうのです。」
 
今日の「愛を自分の問題に適用しなさい」と題された内容は、こうあらねばならないと言う思いになる。神様は愛の光でもあられる。その愛を持って問題を処せば、解決に繋がるということだ。このことはまた今日の瞑想で浮かんだ言葉とも符合しているように思った。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも意識が遠のいたり、戻ったりしていた。ただ平静で心穏やかな気持ちになり、無心にもなれた。本当に心地よかった。そしてヒーリングを始めると、やはり身体全体にバイブレーションを感じた。感じながらも一通り終えると、次の言葉が浮かんだのだ。『コロナを愛で包む』と。
最初はどういうことなのかと思ったが、コロナは人に感染することによって、人の体内に存在している。故にコロナに感染するしないに関係なく、人間同士分け隔てなく、愛を持って接することが、コロナをも愛で包む事になるということなのではないかと思ったのだ。そして今日のお題の内容も愛を与えることで人間のどんな事も解決できると言われている。これこそが神の摂理ということなのだと確信した。

355回目の瞑想 

飛行機
 
「永遠は今であること、未来とは今であることを知りなさい。時間は過去、現在、未来と分かれていませんーーー魂の内部に、そのすべてが含まれています。未来などということは、現在に対する反抗です。決して未来ということに目を向けてはいけません。あれとか、これとか、それとか予期したりしてはいけません。そうすることは、恐怖をもって生きていることですから。神と共に今日を生きなさい。そうあれば、貴方の未来には喜びだけがあることになります。」
 
今日の「永遠とは今です」と題された内容に、目から鱗であった。確かに私自身、未来を思い煩うことが多々あった。特に息子が亡くなってからというもの、主人と二人、いつかはどちらかが残り一人になる。そのことに恐怖を感じることもあった。けれど、今回の内容にとても得心できた。今日一日充実した一日を過ごせばいいということに。未来に目を向けてはいけないということに。未来を思うことは、やはり恐怖が伴う。それはどうなるか先が見えないからだ。見えないものは信じるしかない。神様を信じ、必ず良きに計られると、そう信じて今を生きること、それが肝要だということを教えて頂いた今回の内容を肝に銘じて行こうと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでも意識がほとんど遠のいていた。意識がハッキリしている時には、身体全体のバイブレーションは依然感じる。感じながらも意識が遠のき、戻るとまた感じるという繰返しであった。

356回目の瞑想

飛行機
 
「力で戸を押し開けたり、力で状況を変えようとせぬことです。待つのです。そうすれば必要な一切の力が保持できましょう。貴方の一番よい時に、その仕事を完遂するにふさわしい、その力がですね。」
 
今日の「道を無理強いせぬこと」と題された内容は、とても短い文章ながら、大切なことがきちんと網羅されている。もちろん、無理強いしたところで、本当の意味での力ではないことは歴然である。やはり待つことしかないと思っている。必ずその時が来ると信じて。。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、すぐに雪を被っていない富士山の映像が出現した。かなり間近で見ているようにかなりクローズアップされた感じでリアルだった、(夢占いだと大吉夢のようだ。目標が達成されるとか現実に素晴らしいことが起きるようだ)
ヒーリングでは、両手の痺れ感がかなり強く、徐々に身体にまで感じると自然と気持ちが高まり、高揚感を全身で感じるような感覚になった。バイブレーションも感じていたが、いつもよりは微弱だったように思う。

357回目の瞑想

飛行機
 
「自分勝手な道を進もうとせず、謙遜にへりくだって、こう言いなさい『神よ、貴方の道を私にお示し下さい。私は神を信じております。貴方の道を歩ませて下さい。神だけが全知であられ、神の愛は私の思いも及ばぬものでございますから。』こうすれば、貴方の進む道ははっきりとしてきます。」
 
今日の「御心が成りますように」と題された内容は、また今回の瞑想でのことと符合していた。本当に有難い思いで一杯になった。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、神様を信じるという想いの強まりをこれほどまでに感じたことがないほど、感じさせて頂けた。これはもう理屈ではなかった。内から湧き出てくる並々ならぬ想いであった。涙も止めどなく流れて来る。そして、心からの安堵感、穏やかな気持ち、天にも昇るような心地にさえなれたのだ。すると
『心清まれば、正しき道が見える。その道をただただ進むべし』とのお言葉が心に浮かんだ。その道とは神様を信じて止まない心、神様と共にあるという強い想いを持つことなのだと感じたのだ。
またヒーリングでは両手の痺れ感がかなり強かった。そして一通り終えると、相手の方に対して神様の偉大なるパワーが内在する魂に流れていくこと、更に心からの癒やしが授かるようにと真摯にそれだけを望むことが肝要なのだと改めて感じさせてもらえた。

358回目の瞑想

飛行機
 
「皆さんは何かの折には、大師の仕事に使われるやも知れません。だが、そのお召しは必ずしも皆さんが期待している事とは限らないので、自分が大師の仕事に選ばれて召されていることが理解できないことがあります。ですから、心にいつも準備をしておくことです。いつの日、いつの時、大師の召喚があるか皆さんには分からないのですから。」
 
今日の「大師に使える仕事」と題された内容は、この内容のようになって欲しいと願っているが、自分が考えている事とは限らないとのことなので、理解できないこともあると言われている。それは今なのか、それとももっとずっと先のことなのかはわからないが、常にいつお仕えするようになってもいいようにだけはしておきたいので、日々の努力を怠らずに過ごして行きたいと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、しばらくすると意識が遠のく。遠のいている中で、トンネルの中を懐中電灯を照らしながら前へ一生懸命に歩いている。本当に歩いている感覚だったので、映像だったのかどうかわからない。ただ私はまだトンネルの中にいるのだろうか。また私自身が何やら意見を言っている言葉で、意識が戻った。言っていた時の内容はかなりシビアだったように感じるのだが、意識が戻った途端に思い出そうとしたが、無理だった。
ヒーリングでは、ヒーリング中ずっと、身体の中が(表現に限界があるが)細胞が動いているような感覚になった。

359回目の瞑想

飛行機
 
「大師は完全な愛を実行するために、貴方の行う努力の一つ一つに注意を払っておられます・・・大師は貴方の失敗も成功もすべて承知しています。そうして貴方に愛を注ぎ続けているのです。霊的にかくも偉大、かくも美しい大師が、万難を排して貴方を愛し続けているのですから、貴方が兄弟である人々や生き物たちに、自分のささやかな愛を注ぐことが難しいでしょうか。しかし、人を愛するには学ぶべきことが多々あります。賢さのない愛は、これは愛ではないということ、これを心にとめておくことです。本当の、公平無私の、相手に憐れみをもつ愛と、感傷主義とでは違うということです。感傷だけの愛は貴方の足をすくい、愛を駄目にします。愛するとは他者に、貴方の中にある最高の一番真実なものを与えることです。すなわち、愛するとは、神の白光である貴方の魂から光を与えることです。これが愛です。」
 
今日の「賢い愛」と題された内容の賢い愛を与えるということは、本当に難しいと思う。人間の私達にはささやかであっても、簡単にできることではない。
やはり、霊的真理を理解し、瞑想していくことで、徐々にそのような気持ちになって行けるのだと思う。愛を与えていると思っていても、独りよがりである場合もある。自分本位での愛はやはり間違いなのだと思う。神様の愛(なかなか会得することができないが)すなわち、内在する魂を顕現できて、初めて本当の意味での愛が為せるのではないかと思う。

今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、ほとんど意識が遠のいていた。ただ両手の平や身体の痺れ感は感じていた。ヒーリングでの個々の方に対しての言葉を唱えているうちに意識が遠のき、いつの間にか2回目の曲が終わる直前に気がついた。けれど、充実感は半端なく、高揚感で心が一杯だった。
Please mail me
MAIL

ご感想・ご意見をお気軽にお寄せ下さい