備忘録
MEMORANDUM3(2020/10月〜2021/1月)

  日々の瞑想や霊的なことなどを綴っていきたいと思っています
私はクラッシック音楽がとても好きなので、クラッシック音楽を取り入れた形の自由な瞑想をしております。
(マーラー作曲:交響曲9番の4楽章を2回聴く)
写真と内容は関係あるものとそうでないもがあります。(写真は主に私が撮ったものを載せてます)
私自身の記録用なので、参考程度に読んで頂けたらと思います。
下記の(アコーディオン形式)日付をクリックしてください。


 
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338回目の瞑想

天使


「許すとはどういうことか考えたことがありますか。貴方は、すなわち現実の自己である貴方の人格は、貴方の許しを必要とします。貴方の霊は神性です。しかし、貴方がしっかりするまでは、貴方の現実の人格の方には人間じみたものが残っていて、貴方の霊の許しを必要とします。あなたの霊が現実の貴方の人格を許しているように、貴方が許すにつれて、貴方は他者の罪を許すようになっていきます。人がもし人生の刻一刻を、愛と寛容を念頭において生きるように自己を鍛錬すれば、完全な癒やしが貴方の上に現れましょう。」
 
今回の「許し」と題された内容は、私達人間にとって、最も難しい課題である。自分を許し、他者も許す。これが出来れば、人間である必要もないとさえ、思える。どうしても許し難き人間というのはいるものだ。今のコロナ禍であっても、いろいろな人間がいる。マナー違反は以ての外だが、わざと嫌がらせする人間もいる。そういった人間をどういう気持ちで許すことができるのか。それを更にホワイト・イーグル霊にお聞きしたいものである。
  
  今朝の瞑想やヒーリングでも、呼吸に集中して、精神統一していく。
瞑想、ヒーリングと意識がありながら、神様にだけ集中するようにしていた。しばらくすると、キラキラした細かい光りの粒がシャワーのように降ってくる映像が出現した。その光りの粒に包まれる感じになると、感謝の気持ちで心がいっぱいになる。このような気持ちの時には何もかも許せるのかも知れない。

339回目の瞑想

天使
 
「どんなに厳しい試練にあっても、神が居られることを思い出しなさい。神は片時も傍を離れられることはないのですから、そこに平和があり、勇気が湧きます。『見よ、我れは汝と共に在り』です。」
 
今回の「我れは汝と共に在り」と題された内容は、まさしく、息子の死で体験したことだった。生きて行く気力もなくなるほどの衝撃だったが、神様を信じる気持ちはいささかも無くなることはなかったのだ。そのことは今振り返ってみても、そこまでの信心は私自身誇りに思えることだと思っている。だからこそ、乗り越えることができたのだと固く信じている。これだけの穏やかな気持ちになれるとは、当時の私には考えられなかった。それにはいろいろな方の助けがあったことも事実だ。それを神様が用意して下さっていたのだと思っている。神様を信じる強い気持ちは必ず、良い方向へと導いて頂ける。それを体験したので、益々その思いは強くなるばかりだ。本当に有難いと思っている。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、精神統一する。
今朝の瞑想とヒーリングでは、ほとんど意識は遠のいてた。そんな中で、映像として、宇宙空間をロケットが飛んでいるその後ろを見ながら、自分も飛んでいるような感覚になった。また両手の平の痺れ感が強まったり弱まったりを繰り返していた。我に戻るとなぜか目に涙が溜まっていた。

340回目の瞑想

天使
 
「病気とか暗いものに頭を向けてはいけません。調和と光に顔を向けなさい。思いのすべてを主なる神に、優しい大師に集中しなさい。そのとき肉体の衰えは消えます。それは貴方の内的努力によって、闇の原子を光の原子に貴方が変えているからです。もし貴方がいつも光の中に生活することが出来たら、貴方は外からの治療の手をわずらわす必要はありません。ーーー光そのものが貴方を癒やすからです。」
 
今回の「愛は光です、光は生命です」と題された内容は、これを地上の人間が皆出来るようになれば、地上天国となり得る。日々の生活を光の中で生活する、言葉では言えば簡単だが、一朝一夕にはいかない。だからと言って、無視するわけにもいかない。私達は今この世に生きているだけではなく、死後も生きて行くからだ。今この世にあって、その努力を怠れば、死後の世界で楽しく暮らすことはできないのだと思う。神様を信じ、少しずつでも内的努力をして行くことが実現に近づけるのだ。やはり精進あるのみ、である。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をした。
今朝の瞑想でもヒーリングでも、ほとんど意識は遠のいていた。ただそんな中で、何度も優しいそよ風のような感じで顔にフワ〜っと吹きかかる。部屋の中だし、もちろん、エアコンもつけてはいない。どなたかが、いらしていたのだろうか。
終了後は身体全体が緊張から解放されたような自由と安堵感を感じ、それと共に心地よい気だるさのような感覚にもなった。

341回目の瞑想 

天使
 
「真実の愛とは光です。ですから、私達が神を心に描きながら、世の苦難に深い憐れみの心を覚えますと、そこから偉大な光が放射されます。その光は疲れた人や、悲しむ人や、病む人の心の中に来てとどまります。やがて時が来ると、その光は新しい生命と新しい身体を創り出します。」
 
今回の「愛の治癒力」と題された内容は、私達人間には到底知り得ることができない。愛が光となって、人間を癒やすことができるということは、それはやはり神様と繋がっているからこそなのだと感じる。更に光は新しい生命や新しい身体をも創り出すことができるとは、ただただ神様の偉大さを改めて感じている。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一する。
今朝の瞑想もヒーリングも、ほとんど意識は遠のいていた。だが、瞑想でその意識が遠のいている中で、緑溢れる自然の中に佇む美しい洋館の映像が出現した。そこを歩いているようにも感じたが、意識がもうろうとした状態なので、はっきりとはわからない。またそれ以外にもいくつかの映像が出現していたが、洋館の美しさがあまりにも印象的だったので、思い出せない。

342回目の瞑想

天使
 
「過去を振り返り、物事の結果を見てから「よくまあ、疑ったもんだ」と言うことは易しいことです。しかし、神が自分の人生を英知をもって導いて下さることを、信頼しなければならないのは、物事が進行中の今なのです。経験をへてみれば、天界のテーブルに並べられた果実を味わってみれば、何一つ変更できるものはなかったことが分かるでしょう。もし人が我意をもてば、大きな混乱と苦痛を生み出します。しかし、憐れみをお持ちの神は、その人をも守っておいでです。」
 
今回の「神の英知」と題された内容は、とても大事なことだ。だが、心から神様を信じていなければ難しい。やはり体験することで心から信心できるのだと思う。私はその体験があまりにも多いので、信じざるを得ない。だからこそ、揺るぎのないものになっているのだとも思う。今何かの苦難に遭遇している人は今こそ、神様を信じてみてはどうか。もちろん、霊的真理を知ることもとても大切である。自分の力ではどうすることもできない状態の時に、そのチャンスは訪れるのだ。そのチャンスを生かしてこそ、真の意味で生きることになるということを知って欲しい。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一する。
今朝の瞑想では、すぐに薄い赤紫の立体的な模様が現れる。時折、そこに白色の筋のようなものが入る。するとなぜか目に涙が・・・そして「明るい方を向いて行きます。神様だけを心に生きて行きます」と心で唱えていたのだ。
ヒーリング中にはあることを思いつく。そうしているうちに意識が遠のいて来ると、神様と一体となった感覚になる。そして思いついたあることを更に教えて頂いたように感じて、ただただ有難くて感謝の気持ちを述べていた。

343回目の瞑想

天使

 
「すべての事は神がよしとされる時に、正しい瞬間に起こります。地上の皆さんは、それがいつかは必ずしも分かりません。しかし、もし皆さんが霊の指導に従うなら、つまりじっと辛抱して、いつ行動すべきかその時の指示を待っていたら、皆さんは正しく導かれましょう。」
 
今回の「導きを待ちなさい」と題された内容は、私自身、願って止まないことだ。いつかその時が来て欲しいと常に思っている。まだよしとされていないのだろう。けれど今後も謙虚に神様にすべてお任せして行くだけだと思っている。いつも正しく導かれて行きますようにと強く思っている。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、わりと早めに映像が出現した。海面にキラキラと光る場面、静かな波の場面、荒波の場面と移り変わって行った。まるで人生模様のようだった。それを淡々と受け止める事が大事なのだと感じた。
ヒーリング中の意識はほとんど遠のいていたが、両手の平の痺れ感がかなり強かった。
 
今朝とてもリアルな夢を見た。今はもうない実家に熊がいる夢だ。その前に熊がいることがわかって、小さい兎2頭を逃がして助けた。そして、襖一枚隔てた間近に熊がいたのだ。だが、その襖がなぜか開くと、そこには大人しそうな温かい目をした熊がこちらを見て座っていた。そこには亡くなった母と息子もいた。
そこで夢占いを見てみた。熊は昔から、神の遣いの象徴だったようだ。熊を間近で見た時には目に見えない存在に守護されているという暗示とのこと。(但し、大人しくこちらを見ている場合のみらしい)
また兎自体の夢は月の使者ということでツキを呼び込む吉夢らしい。そして兎を助けるというのは、今、困っている人を放っておけない気持ちを意味するらしい。(これは実際に今の私の気持ちに符合している)
どちらにしても有難い夢だったようだ。

344回目の瞑想 

天使
 
「怖れも心配も持ってはいけません。貴方の命も物事も神の御手に委ねなさい。まず何はさておき、神の王国を求めなさい。すなわち、神との交わりの聖餐台を求めて、貴方の心に貴方が日々の物事に立ち向かう力を得なさい。もし神を信頼するなら、神の力が貴方の全心身に流れ入ります。貴方の全人生の出来事の中に流入します。こうして、貴方は心の平和をしるものとなりましょう。」
 
今回の「まず、神の国を求めなさい」と題された内容は、神様を信じることから始めなければいけない。そして更に信じ切るというところまで行かないと神様にすべてお任せする気持ちにはなかなかなれないのではないかと思う。このことは簡単にはできないことと思う。けれど、シルバー・バーチ霊しかり、ホワイト・イーグル霊しかり、霊界の高級霊の方々が口を揃えて教えて下さっていることなのだ。多くの方に神様を信じる心が芽生えて欲しいと切に願う。
  
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想、ヒーリング共に、ほとんど意識はなかった。だが、そんな中で、海の中や桜の花びらが舞い散る中、月夜を見上げている場面などの映像が次々と出現していた。

345回目の瞑想

天使
 
 
「人が貴方を怒らせ、貴方はケシカランといらいらして、その人に刃向かっていってはいけません。気持ちの中ででもいけません。貴方は神の愛に身を捧げたのではありませんか。妥協ではいけません。道ははっきりしています。愛の道です。優しさと平和と、これが道です。」
 
今回の「妥協は無用」と題された内容は、こうであらねばならないと理性ではわかっている。だが、実際に相手があり、その相手に対して、刃向かっていくことはなくても、気持ちの中は、そう簡単にはいかない。けれど、神様を信じるということは、そこまでのことが出来ないといけないと言うことなのだ。肝に銘じていかなければと強く思った。どんな相手にも愛と優しさを持って接するということを・・・
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でもヒーリング中でも、ほとんど意識は遠のき、映像もなかった。気がつくと曲も2回目が終わっていた。だが、心は充足感で満たされていた。

346回目の瞑想

天使
 
「時には、皆さんは精神でも物的手段でもどうにもならない問題にぶつかって、行き詰まってしまうことがあります。そういう場合には、心から謙虚になり、大神霊に身を委ねなさい。霊の手に自分を任せるのです。人間の力ではどうにもならなくても、神の力がたじろぐ事は何一つないのです。」
 
今回の「神には解決ができます」と題された内容は、今までの人生を振り返ってみても、そういうことが度々あった。けれど、私は神様を信じていたので、この内容のように、すべてお任せする思いでいると、必ず解決の糸口が見つかったのだ。人間の力には限りがある。むしろ神様にすべてをお任せしてしまった方が、ある意味、楽なのかも知れない。但し、どんな結果になろうともそれを快く受け入れる気持ちがあって初めて叶うのだと思う。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、呼吸に集中し、心を落ち着けた。最初は意識があるようでないようなそんな感じだったが、一旦意識が遠のいて、戻った時にはほとんど夢のような感じになる。もちろん、はっきりとリアルに覚えている時もあるのだが、今日はやはり夢のようであった。
ヒーリングでは、身体の中からのバイブレーションを感じていた。だがやはり意識が遠のく。戻った時には心は穏やかだった。

347回目の瞑想

天使
 
「愛に支配をさせなさい。何も恐れることのほかに恐れるものはありません。恐怖は人間の敵です。最後に打倒しなければならないものは、これです。怖れなさるな。一切を神法の中にある英知と愛とに委ねなさい。ベストを尽くしなさい。人間関係においては、真実で誠実で親切でありなさい。心にも生活にも愛を支配させなさい。」
 
今回の「愛の支配を」と題された内容は、乗り越えることが難しい。恐怖心を持つなと言われても、何かにつけてその心がもたげてくる。ただこれも神様を心から信じることで、ある程度の恐怖心はなくなるように思う。神様を信じるとは愛をもって生活することにも繋がる。信じるだけで実行が伴わないでは意味がない。信じる心とその実行をもって、恐怖心に打ち勝てるのだと思う。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想とヒーリングでは、ほとんど意識は遠のいていた。そんな中で、オレンジ色した光り輝く映像が画面いっぱいに現れる。崇高な気持ちになり、心から内なる魂に目覚められるよう、導いて頂きたいと願った。(画像のような感じだった)

348回目の瞑想

天使
 
「大師が現れると、怒りや憤怒は消えてしまいます。人は平和で満たされ、敬慕と愛の気持ちで一杯になります。意識はたちまち高まり、俗界のしがらみや、いらいらから離れます。」
 
今回の「大師の面前で」と題された内容は、私は実際の姿を見たことはまだないが光として感じた時に感謝の思いで一杯になる。今朝の瞑想でも一段と感じさせてもらったように思っている。本当に有難い思いで一杯である。
  
今日の瞑想も、呼吸に集中して、精神統一をする。
今朝の瞑想もヒーリングでも、両腕の肩辺りから手の平までの痺れ感が凄かった。そして映像として光のシャワーが現れたが、今回は実際に浴びているような感覚になる。すると何か確信めいたものを感じて(言葉では到底言い表すことができない)神様を信じる気持ちが一段と強くなった。これは心の内から湧き出てくる想いなので、表現することは難しい。

327回目の瞑想

天使


「群集の頭上に、大師の幻を見るように訓練しなさい。ハートの中に大師のお声が聞けるように鍛錬しなさい。その声をこそ、貴方のなすべきことを、勇気と安心をもってするように優しく、導いてくれるものですね。その時、貴方には、喜びと希望だけがありましょう。もしも貴方の望みどおりに物事が運ばないときは、もっと良い具合にそれは進んでいるのだと知りなさい、信じなさい。決して忘れてはなりませんぞ、本当の道とは愛の道であるということを。花は無理やりに花を開こうとはしません。太陽の中に、ゆっくりと、満開の花を開いていくものです。」
 
今回の「花はゆっくり開く」と題された内容に、ただただ有難く、感激し涙が流れた。っというのもまた今朝の瞑想と符合していたからなのだ。
いつも瞑想とヒーリングが終わった後に、心を落ち着けて「今日の記するページをお願いします」と唱え、ランダムに本を開いている。
それだけに符合していた時の想いは言葉ではつくしがたい。
  
  今朝の瞑想も、呼吸に集中して、精神統一していく。
瞑想、ヒーリングと意識がありながら、心を神様に集中するようにしていた。しばらくすると、込み上げてくる想いになり、「神様のお心を顕現させて下さい。神様のお心を顕現させて頂けるようにお導き下さい」と強く唱えると、涙が滂沱とこぼれ落ちる。そして涙ながらに何度も何度もその言葉を唱えていた。すると、「時を待ちなさい。実る時が必ず来ます。例えば演奏家が長い修練の後に開花するのと同じなのです。貴方なら、わかりますね。貴方の心はわかりすぎるほどわかっています」と。
更に『急ぐは神のお心にあらず』と。
そして、開いた本の内容が上記だったのである。たった今瞑想で心に浮かんだそのことと同じような内容が書いてあり、その時の驚きは禁じ得ない。けれど書かれてあるように喜びと希望に満ちた気持ちになっていた。しかも良い具合に進んでいることを知りなさいとのお言葉に、有難い想いで満たされ、涙涙だった。

328回目の瞑想

光り輝く
 
「いささか申しておきたいことですが、皆さんはどうも地上の価値を、余りに大きく見ておいでのようです。と申しても、地上でなすべき事を軽んじてもよいと言っているのではありません。そうではなくて、霊的なものと地上的なものと、この二つの価値のどっちが大きいか、そういう事にもっとハッキリ目を開きなさいと言っているのです。と申すのは、自分にはこれが必要、これはすごく大切と、人は余りにも考えすぎますが、そうした事はそれほど重要ではないのです。もし、皆さんが常に平静心と、神の平和の中にあることを求めるなら、貴方の魂はひらかれ、神の光が魂や生活の中に差し入りましょう。そうなると、心を煩わしたり今まで取り越し苦労していた事が、その光の中で溶けてしまうのです。」
 
今回の「大所高所に身を置きなさい」と題された内容は、やはり地上の人間には耳が痛い。確かに地上の価値を重く受け止めて、何かにつけて深刻に考えてしまいがちだ。ただ、やはり霊的真理を知ることで、如何に霊的なことが主であるかということがわかる。この世のことはみなその影だと言われる。本当に必要なことは、私達人間はみな霊である、ということを知ることだ。それは神様から繋がっている神の分身であるということを常に念頭においておくことが肝心なのだと思う。そのためにも内なる魂を目覚めさせるべく、日々の行いが重要になってくる。個々の試練はいろいろだが、神様の愛の光の中で溶けて行くようにしたいものである。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、精神統一する。
今朝の瞑想とヒーリングでは、意識が遠のいたり戻ったりしていた。その中で手の平がとても温かく感じた。しばらくその温かさに心地良い思いでいると、下に置いていた両手がどんどん上がっていき、顔の真横まで上がってくると手の平の向きが真正面になり、更にエネルギーの放出の感覚が強くなったように感じた。しばらくの間はそのままだったが、徐々に胸の辺りまできて止まり、その後元の位置に戻った。と同時に心が晴れやかになる。

329回目の瞑想

光り輝く
 
「落胆しないことです。何事も否定的にものを見たり考えたりしないことです。そうやって、何一つ良いことはありません。いつも建設的な力を働かせておきなさい。良いことがあると信じなさい。一番良いものが今起こりつつあると、それは必ず起こるんだと、こう信じなさい。私達は貴方を見捨てることはありません。私どもは神の子供達であって、神の使徒です。私どもが貴方を見捨てることは決してありません。兄弟たちよ。」
 
今回の「一番良いものを見よ」と題された内容は、やはり地上の人間にはなかなか出来ないことだ。落胆せず、否定的にものごとも考えず、良いことがあると信じることができる人とは、やはり霊的に高い方なのだと思う。だが、この信じる思念こそ、最も必要なことではないかと思う。すべてはイメージしてそれが叶うと信じることは、霊界においても大事なことだと認識している。その訓練をこの地上にありながら、して行くことが、霊界での生活に早く馴染めることではないかと思う。良いことをイメージして必ず起こると信じれば、それは現実として実現される。私は何度か体験してきたので、自信をもって言えるのだ。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をした。
今朝の瞑想でもヒーリングでも、ほとんど意識は遠のいていたが、そんな中で、走馬灯のような感じで、影絵のようだったり、風景だったりの映像がぐるぐる廻るのではなく、右から左へとどんどん流れていったのだ。かなり早い速度だったので、覚えていることは出来なかった。
また、時折、身体の中からのバイブレーションを感じて、自分の身体が身体でないような、不思議な感覚になる。今までもバイブレーションは感じたことはあったが、今日のような感覚は初めてだった。

330回目の瞑想 

光り輝く
 
「私達は地上生活の悲しみや悩みを知っているし、理解もしています。理解しておればこそ、皆さんの意志や欲求を、神意に委ねるようにと、皆さんに求めるわけです。私共は、人生には何一つ偶然に起こるものはないことを承知しています。すなわち、すべての出来事は確然たる霊的法則に従って生起しています。皆さんが恐怖や心配で気が張って疲れるのは、それは自分の霊が辿るべき道筋は先の方まで読めないからですね。神には皆さんの必要のすべてが分かっています。神の使徒たちも奉仕をせんがために常に地上にあり、人類の幸福と進歩のために働いているのです。この天使達が必要としているのは、人間の側における愛の協同であります。」
 
今回の「同胞団の我らには分かっています」と題された内容は、今コロナ禍におけることをも意味していると思う。人生には何一つ偶然に起こるものはなく、すべての出来事は必然で霊的法則に則っていると。ということはこのコロナで、人間に何を問うているのかを、人間はもっと思慮深く考える必要あるということに他ならない。変異種も出現し、感染の勢いは益々広がるばかり。人間の力では及ばないことを知ることで、神に想いをはせる。霊界の皆様方は「なぜ気がつかないのか、早く目を覚ましなさい」と言われているように思えてならない。人間がそのことに気がつかない限り、終息は難しいのではとさえ思えてしまう。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一する。
今朝の瞑想もヒーリングも、ほとんど意識は遠のいていた。だが、瞑想でその意識が遠のいている中で、いきなり心に浮かんだっと言うよりも、そのお言葉で我に戻ったのだ。今までは意識がもうろうとしている中でお言葉が心に浮かんでいたのだが、意識が遠のいている中での、お言葉を頂くのは初めてであった。そのお言葉とは「神の巫女として学んだことを存分に発揮しなさい」と。そしてその直後雲の上に太陽という、このHPの画像のような映像が目の前に広がった。このお言葉は瞑想が終わってからも考えたが、巫女としての時代があったことは瞑想で教えて頂いたが、私自身その当時のことは何も覚えていない。もちろん、私の内なる魂にはちゃんと記録されているのだと思うが。
なのでどのように存分に発揮できるのかはまだわからないのだ。
ヒーリングでは、音楽のバイブレーションが身体に伝わってきて、一体感を感じた。そして右側上方から太陽のような光りが差し込み、どんどんと動いて真正面で、はっきりと見ることができた。眩しいはずなのに、全く眩しくなく、その神々しい光りを見続けることができたのだ。感謝の想いで心は満たされていた。

331回目の瞑想

光り輝く
 
「貴方は霊です、貴方は不死です、貴方は輝く者です、神の子です。霊として生きなさい。何ものをもっても貴方の目を塞がせてはいけない。制約などをさせてはいけません。」
 
今回の「光りの子として世界を歩きなさい」と題された内容は、短いけれど、肝心要なことを教えて頂いている。地上の人間の多くは、このことを知らない。特に自分自身のことを霊と言われても実感がないからだ。また霊としてどのように生きればいいかもわからないからだ。そのためにもシルバー・バーチ霊言集やホワイト・イーグル霊の訓えなど、高級霊からの交信の本を読んで、霊的真理の内容を理解する必要がある。一人でも多くの方がこの事実を理解し、行動して行くことが、この地球を救うことにもなるのだ。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一する。
今朝の瞑想、ヒーリング共に、意識はほとんどあった。そんな中で、今度は海の上に太陽という映像が出現する。するとすぐに、無限に広がる澄んだ空気感の中で、心は何の制約もなく自由だという感覚になる。解放感とはこういう事を言うのだと実感した。
ヒーリングでも、両手の感覚がなくなり、痺れ感のようなものだけを感じていた。しばらくすると愛・優しさ・温かさといった感覚に包まれ、何とも言えない心穏やかな気持ちになって行くのと同時に顔もどんどんと柔和になって行く。更に音楽に乗っかるようなイメージで、どこまでもどこまでも上昇して行ける感覚にもなった。この時の心の状態は平穏そのものであった。

332回目の瞑想

光り輝く

 
「貴方は平和を希求しておられる。貴方は平和とは、お互いの善意、国家間の善意、武器を使わない事だと考えておられる。だが、平和とはそれ以上のものです。それは心の中でのみ理解できるもの、またその内部で実現できるものです。平和は俗世の雑音、騒音、ゴタゴタのその下にあります。感情や思考のその下にあるものです。それは魂の深い深い沈黙と静寂の中にあります。それは霊です。それは神であります。」
 
今回の「世の騒音の下に」と題された内容も奥が深い。私達人間は国家間が争わない、戦争が起きないことが平和だと思っている。確かにそれも平和であるとは思うが、真実の平和とは個々の内なる魂が目覚めてこそ、ということなのだ。地上にありながら、その苛酷な試練に耐え、克服していく力は内なる魂が顕現してこそ実現できる、ということを教えて下さっているのだと思う。その時に正真正銘の平和が訪れる。これは瞑想でも感じられることなのだ。より深く入って行くことで、心の安らぎを覚える。瞑想中だけでも、このような心地になれることは本当に有難いことだと思う。更に日々の生活の中でもこのような境地になれることが今の私の課題である。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、ほとんど意識はあった。そんな中で、オレンジ色した光りが縦横無尽に光り輝いていた。
ヒーリング中の意識はほとんど遠のいていたが、気がつくと身体中、エネルギーがみなぎるような感覚になって、力が湧いてきた。今回は私自身にも効果があったように感じたのだ。
 
昨日、主人のヒーリング時には、万華鏡のようなまばゆい模様が現れて、その模様の中の一つ一つがキラキラしていて動きがあったのだ。あまりの美しさに集中して魅入ってしまっていた。

333回目の瞑想 

光り輝く
 
「暗い出来事の背後には、苦難の背後には、その一つ一つに祝福が隠されています。そのように神を信じ切るところまで、神を信じねばなりません。神がよしとされる時、正しいその時には、神の魔術が働くのです。その時、暗い屍衣(しい)が落ちて、輝く天使が待ち受けている、そう知りなさい。すべての背後には、神の生命の栄光があります。ーーーすべての生活の出来事に光あらしめ給う神の魔術が。」
 
今回の「隠されている祝福」と題された内容は、神を如何に信じ切ることができるかと言うことだと思う。だがこれはやはり体験すること以外に信じることはできないのではないかと思うのだ。私が幼い頃から神様を信じて来たことは何度も書いている。そこには実際に信じ切れる体験があるからなのだ。それがなければ、単に信じるということは言えても、信じ切るところまではなかなか難しいのではないかと思っている。苦境に立った時にこそ、それが問われる。ただ苦しい時の神頼みだけでは全く意味をなさない。どのような状態であっても神様を信じる気持ちが大事なのだ。
蛇足だが、魔術という訳は如何なものだろうか。魔術というと怪しいもののように感じてしまう。神様の愛の光りとかパワーとかに代えたいように思う。
  
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、はっきりと意識があり、今のコロナ禍で、一人でも多くの方に霊的真理を知らしめることはできないものかとそればかりが頭にあった。なので深く入っていくことはできなかった。
ヒーリングでは、意識が遠のくこともあったが、そんな中で、この世で治せるものがあるかも知れないと言う事に気付かせてもらった。今までなぜそのことに気がつかなかったのかが不思議である。

334回目の瞑想

光り輝く
 
 
「『天なる父よ、お導き下さい、私に道をお示し下さい』と祈りなさい。だが、心中に火山があるようでは、外だけ静かになってもそれでは駄目です。内心の静寂を開かねばなりません。貴方の魂の内なる、神の在所である静寂の中心を、毎日毎日求めていきなさい。」
 
今回の「平和の中心」と題された内容は、今瞑想で最も実行していることだ。言葉で祈るのは簡単だが、内なる魂を、内心の静寂を開くことほど難しいものはないと痛感している。私自身、毎日毎日求めているつもりだが、簡単にはいかないことを実感している。もちろん、焦ってはいけないし、急いでもいけない。今護られていることに、心からの感謝が大事だと思っている。改めて、今回のお言葉で、その思いを強く持つことが大切な事だと感じている。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でもヒーリング中でも、呼吸にかなり集中してみた。最初、意識ははっきりしていたように思う。特に瞑想では、今回のお題のような内容が頭を占めていた。
ヒーリング中は、瞬間意識が遠のいた時に『今際の際こそ、汝、神を知る』という言葉が浮かんだ。しばらくすると、光り輝く球体からエネルギーのようなものが出ている映像が出現する。それと同時に両手の平の痺れ感が凄くなった。するといきなり込み上げてきて『神様、有難うございます』という気持ちで溢れていた。

335回目の瞑想

光り輝く
 
「神のご意志を受け入れるように、貴方の前に置かれる道を受け入れるように、いつも準備しておきなさい。このほかに道はないと知って、柔和にその道に従いなさい。大いなる栄光の神霊を信頼しなさい。」
 
今回の「用意していなさい」と題された内容は、私の最も望んでいることである。いつでもどうぞと言いたいくらいだ。神様にすべてお任せし、神様のお役に立つ魂になりたいと切望している。それだけが今の私の叶えたい願いである。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でも、呼吸に集中し、心を落ち着けていた。意識があるようでないようなそんな感じだった。そんな中で、『木花咲弥姫命』という言葉が浮かんだ。なぜこのような言葉が浮かんだのか全くわからない。
ヒーリングでは、両手の平の痺れ感が強かった。全身が光りに包まれているような感覚になる。優しい気持ちになり、心が穏やかになる。

336回目の瞑想

光り輝く
 
「死の世界では、人は光り輝く顔つきをしていて、静寂そのものです。その仕事はどれをとっても完璧で、努力のすべてが全体の幸福の増進に役立っています。人が内在の我に住めば、静寂の時間に住めば、いつだってこの完璧な人生に昇華できるのです。そうして、光りの世界にある諸霊から、地上で同じように生きるための霊感を受け取れます。人間は単に人間だなどと、そんな考えを持っちゃいけません。我らが知り得た真理のすべての力をこめて、こう申します、人間は神です。」
 
今回の「人は神」と題された内容は、素晴らしい内容だと思う。ただやはり本当にそうなれるのかとつい疑いたくもなってしまう。内なる魂に目覚めるということが静寂の時間に住むということなのだと思うが、瞑想でそういう時間を持てたと思っても、なかなか完璧とはいかない。でも疑いを捨てて信じるのみ、そう信じることが大切なことなのだと思う。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、この世的なことの諸問題があり、考えることが多くて、つい精神統一をしていても、いつの間にか思いがそちらに傾いて、なかなか深くは入っていけなかった。残念である。
ヒーリングでは、二の腕から両手の平までジリジリ感が凄まじく、痛いくらいだった。ヒーリングではかなり集中できて、意識が遠のく瞬間もあった。そして終わり間近に、頭上でピカピカッと2回ほど光った。だいぶ前にもこのような現象があったが、どんな意味があるのだろうか。

337回目の瞑想

光り輝く
 
「物事というのものは、必ずしも人が予期したとおりの結果にはなりません。しかし、神の道は正しいという知識だけは胸にたたんでおかねばなりません。神を愛する人には、万事が良い方へと働くものです。これでやっていけば、事は必ずうまくいきます。このような人は自分を神に結び付けているから、何事もうまくいくわけです。」
 
今回の「万事が善へ向かって働いている」と題された内容は、私自身も体験してきたことなので、得心しかない。確かに息子の死は予期した結果ではないが、それでも乗り越えることができたことは、神様を信じてきたからに他ないと思っている。もちろん、寂しさや思い出せば涙も出る。けれど、苦しさ辛さはもうない。きっとこれから先もこの世では不幸に見えることも、実は自分の魂のために起きていることだと受け止めることで、道はどんどん明るい方向へと導いて頂けるものと信じている。
  
今日の瞑想も、呼吸に集中して、精神統一をする。
今朝の瞑想もヒーリングでも、左手の肘から手の平までの痺れ感が半端なかった。しかも何か今までとは違う感覚だったのだ。また意識はほとんど遠のいていた。だが、その合間合間にお月様のような静かに光輝いている大きな球体や宇宙空間の映像が出現していた。その間も痺れ感はずっと感じていた。

315回目の瞑想

天使


「人は毎日の生活で、その行動が自然に愛の人であるようにならねばなりません。愛とは感傷や感情じゃありません。愛とは善を見ること、神を見ること、生活を通して因果の理法を理解することです。愛するとはすべての人に寛容であること、日常生活のすべての出来事に我慢があることです。即ち辛抱・思慮深さ・親切と柔和、そうあることです。
以上のすべての性質を一言で包含した言葉がーーー愛、これです。 
 
今回からはホワイト・イーグル霊の「自己を癒やす道」の中から、抜粋してみようと思う。
今日の内容は愛について、この言葉は誤解を受けやすい。私達人間は、男女の愛や肉親の愛のように思ってしまう。愛と言うと、個人に対しての意味になる。だが、愛は寛容であることだと言われる。しかもすべての人にだ。なかなか出来ることではないが、このことをしっかりと胸に刻みつつ、実現できるようにして行きたいものである。
  
  今朝の瞑想も、呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝はしばらくすると、いつもの宇宙空間の映像が出現する。その壮大さ荘厳さに、感動しているうちに意識が遠のき、いつの間にか気がつくと曲は終わり間近になっていた。心の安住を感じる。瞑想の有難みをつくづく思う。

316回目の瞑想

光り輝く
 
「皆さんの失意と苦しみ、皆さんを捉えている苦しみ、これを我らが知らないとお考えなさるな。霊である私共には、皆さんには試練があることが分かっています。肉体はいつでも調子よく働くものではないことも知っています。物質生活とは厄介なもんだということもわきまえています。皆さん、私共は皆さんにピタリと波長を合わせているので、皆さんの気持ちは手に取るように分かります。皆さんの困難と問題が何であるかは分かっています。しかし、私共は改めて皆さん方お一人ずつに保証しておきたい。もし皆さんが心の中の光に従うなら、万事うまくいくのだということ、この事です。」
 
今回の内容は、少し複雑な気持ちになる。私達のことを何もかもご存じでいらっしゃるということは得心できる。また心の中の光に従えば、万事うまくいくということも。だが、その事が簡単にできないからこそ、皆人間は苦しみから抜け出せないでいるのだ。心の中の光に従うことを切に望んでいるが、簡単にはいかない。人間の業の深さを感じている。けれど、挫けず望み続けなければいけないと痛感している。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、精神統一する。
意識がありながらも、心は別の場所にあると感じるのは、我に戻った時である。その時の状態は、ただただ無の境地である。
今朝は朝なのか、昼なのか、夜なのかも一瞬わからなくなる。途中、地震の揺れで一旦、我に戻った。けれどすぐに引き続き、ヒーリングさせて頂いた。ヒーリング中は、両手の痺れが強く、意識も遠のいていった。

317回目の瞑想

光り輝く
 
「人の霊とは神の分身です。従って、知識の一切は貴方の内部にあります。もし貴方が瞑想をして、自分の内部に深く入っていけば、そこに貴方の待っている真理と無限の力の中心を発見しましょう。貴方は、幸福と健康のすべての源泉に触れることになるのです。」
 
今回の内容は、今年最後となるお言葉で、霊的真理の基本中の基本である。このことを一人でも多くの方々に知って頂きたいと切に願う。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をした。
今朝の瞑想ではすぐに薄紫色のような色が一面に現れると、いきなり込み上げてきて、涙がこぼれる。神様の光りに包まれているように感じて、『神様〜』と心の中で叫んでいた。やがて次第に薄赤紫色に変わっていった。すると、手の平にそよ風のような風を感じると同時に、息子だと思う。今度は温かい涙が滂沱と流れ出す。そして息子に思いを心で話す。『寂しさはあるけれど、お母さんは大丈夫だよ。向こうの世界で充実した生活を送っているのがわかっているから、安心しているよ。おばあちゃんと◯◯(息子)の処へ行けるようにこちらで努力して頑張るからね。見守っていてね』と言いながら、とても穏やかな気持ちになっていた。
ヒーリングでは、いつものようにヒーリングさせて頂いていると、『全世界の人々に神様の偉大なパワーが流れていきますように』と唱えていた。そして、『神様の絶大なるパワーでこの地球を覆って下さい』とも唱えていた。
最後に『前進あるのみ』との言葉が浮かんだ。
 
皆様へ
 今年の2月から瞑想を始めて、今日まで沢山の方に読んで頂けて、とても有難かったです。誠に有難うございました。来年もどうかよろしくお願い致します。
大変な世の中ではありますが、心だけはいつも穏やかに平和でいられるように、神様を信じて参りましょう。
皆様、良いお年をお迎え下さいませ。

318回目の瞑想 

光り輝く
 
「大師の弟子たる者は、自分の想念を統御する物差しを持たねばなりません。先ず、自己自身に目を配ることです。そうして、日常生活の一つ一つの出来事に自己統御をしようとすることです。肉体の言うがままに任せてはなりません。脳髄の命ずるままでもありません。肉体と心に自己統御力を及ぼすことです。このような鍛錬はだんだん身に付いてくるようになります。」
 
今回の内容は、思想の力と題されている、私達人間は自己統御することの難しさを知っている。だからこそ、この自己統御できる力が自分の内在する魂を覚醒させることができるのだと思う。心はもちろんのこと、肉体をも統御できなければいけないのだ。本能のままに任せていては、いつまで経ってもその境地から抜け出ることはできないのだろう。鍛錬することで、身に付いてくると言われている。日常生活の中で少しずつでも小さなことからでも、自己統御していくように努力して行きたい。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一する。
今朝は始める前から、心地良さがあった。しばらくすると、大草原の映像が出現する。広大なその景色をまるでドローンで空撮しているように進んで行く。更には大海原が一面に広がり、同じように進んで行った。その映像が消えた途端、目の前が明るく光輝く黄金色が広がった。すると、身体全体にさざ波のようなバイブレーションを感じ、神様の光と一体となったように感じた。その高揚感たるや言葉で表現することができない。至福の時である。

319回目の瞑想

光り輝く
 
「落胆しないことです。何事においても、何人に接しても、失望しないように心がけなさい。貴方がたが失望するのは、自分の意志や願望とかが、思い通りにならないからですね。神の意志に委ねるように勉強しなさい。神のご意志は全知ですから。されば、神のご指示を待ちなさい。その道を賢く落ち着いて歩むすべを学びなさい。」
 
今回は「神の指示」と題された内容である。ただやはり、人間である以上、落ち込むなと言われてもなかなか簡単にはいかない。これは神の存在、霊の存在を信じていなければ無理なこと。そのまま自分の想いがすべてと思って生きて行けば、必ずどこかで壁にぶち当たる。その時こそ、神の存在、霊の存在を知り、霊的真理を受け入れるチャンスが訪れる。だが、霊的真理を受け入れる受け入れないも個人のタイミング次第なのだ。しかも神様にすべてお任せする、委ねるとは口で言うほど簡単ではない。人生にどんなことが起きようと、それを魂の向上のためにすべてを受け入れて、前向きに生きるということなのだから。
ただ、 今の私は神様にすべてお任せする心境になっている。どんなことがあろうとも。。
神様を信じる気持ちは幼い頃から持ち続けているので、それが今は更に強固になっていると思う。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一する。
今朝の瞑想、ヒーリング共に、ほとんど意識は遠のいていた。

320回目の瞑想

光り輝く

 
「気持ちが落ち込んでいる時、暗い影がそばにあるように感じる時は、頭を上に上げなさい。霊の世界のかの高みに在るキラメキ輝く星を見ようとしなさい。そうして、その星の力と、安定と、光輝を感じとり、自分の心の中に注ぎいると感じなさい。頭上に輝くこの星の光を全身に感じ、確信しつつ前進しなさい。」
 
今回は「星に顔を向けなさい」との題名だったが、その内容が今朝の瞑想と符合しているようで、びっくりであった。鳥肌が立ってしまった。この内容そのままを今朝の瞑想では感じていたのだ。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、映像として満天の星が一面に広がっていた。その光景に我が家へ帰った時のような安堵感、心が落ち着き、安らかな気持ちになる。この安らいだ心持ちはこの世ではなかなか感じられるものではないと思う。
 
そして、次の言葉が浮かんだ。
・心の曇りをとること。(これは今日の内容のように顔を上げて、星に力を
            もらうことなのではないかと思った。私の見た
   映像とも符合している)
・簡単なことでいい。ひとつでいい。人の為に役立つことを毎日続けること。
  ・決して人を羨んだりはしないこと。
  ・一歩ずつ確実に前進あるのみ。
そしていつものようにヒーリングをさせて頂いた。

321回目の瞑想 

光り輝く
 
「神と共に神の中で心静かに生きなさい。毎朝目覚めた時、毎晩眠る前に、神に思いを向けることです。それでよろしいのです。そうして、神が自分の心の中に居ますこと、自分は生命である神の子であることを感じなさい。すなわち、貴方の願いは何なりと神はご存知であることを、感じ取りなさい。」
 
今回の「神と共に生きなさい」と題された内容に、今朝の瞑想後に読んで、有難さで一杯になった。私は毎日の中で、神様を思わない日はない。というか、幼い頃から、神様を思って生きて来たと言っても過言ではないのだ。それだけ私の心の中で、神様という存在は大きなものであった。だが、今ほどその存在に一体感を感じたことはない。それだけに有難さも人一倍なのである。
  
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想時には、しばし、日々の雑念が頭をかすめる。すぐに気持ちを集中させて、神様に「内在する魂に目覚めさせて下さい」と懇願する。
そしてヒーリング中に、いきなり、込み上げて来て、胸が膨らむような感覚になると同時に、涙が止めどなくボロボロとこぼれて来た。
「神様、ありがとうございます」と唱えずにはいられなかった。
そしてお言葉が・・・ 「忍耐せよ」と。
瞑想後、今日の本の内容を読むと、更に涙が溢れて来て、尚一層、有難い想いでいっぱいになった。「それでよろしいのです」というお言葉に、私の行っていることを肯定して頂いたようにも感じて、心が充たされていた。

322回目の瞑想

光り輝く
 
 
「神の召使いたる者は、決して勇気を失ってはいけません。勇気を失うことは誘惑にやられることです。暗い影は人を疲れさせ、自信を失わせます。暗い影はこう言わせます『私は役立たずだ』と。そうして、いわゆる劣等感を持たせようとします。貴方の中に働く神の力を疑ってはいけません。自分を駄目なものと思うことは、神の力を疑うことです。」
 
今回の「影が貴方を取り囲む時」と題された内容は、勇気をもらえる。生きて行く過程で劣等感を持つ人は少なからずいる。実は私も小学生入学時から劣等感の塊になったのだ。それまでは物怖じせず、ガキ大将で活発で積極的だったのだが、小学校に入学する前の三者面談の時に、相手の先生に徹底的に劣等感を植え付けられる衝撃的なことを言われたのだ。更に三つ違いの姉は頭が良く何でもできる人だったので、学校ではいつも比べられて益々劣等感は増大するばかりだった。けれど、亡くなった母がそんな姉とも分け隔てなく育ててくれて、私の良さを認めてくれたこと、姉自身も私を馬鹿にしたりはしなかったことなどのお陰もあり、高校、大学と進む内に変な劣等感はなくなって行ったのだ。だから劣等感を持つ人の気持ちは良くわかる。ただ今回の内容で、劣等感を持つことが神を力を疑うことになろうとは思ってもいなかった。有難いお言葉だ。知らなかったこととは言え、これからは何があっても、神様の力を疑うようなことは決してしないと劣等感は持つまいと心に誓った。
  
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でもヒーリング中でも、意識ははっきりしていた。映像として反射する光が現れた。光輝ききらめいていた。有難い想いに胸がいっぱいになる。
 
今朝の夢なのだが、最初、立山連峰のような壮大な素晴らしい景色を見ていたのだが、急にこの世のものとは思えないほどの雄大な荘厳な光景に変わった。(その光景はこの世に例えるものがないので、どうやって伝えたらいいかわからない)その光景を立ちすくんで見ていたが、ただ立ってもいられないくらいリアルでその凄さに圧倒された。いつの間にか観客席のようなものが現れて、貸切状態で見ることができたが、今思い返しても何と表現すればいい光景なのか言葉がみつからない。幽界や霊界の景色なのだろうか。それにしても荘厳華麗な景色は見事だった。

323回目の瞑想

光り輝く
 
「真実の道を求めるなら、絶えず善意と愛と同胞精神を外へ発揮することです。善いものに常に目を向けること、かりに他に比べてその善が豆粒みたいに見えてもです。愛の想念と善意をまきちらしなさい。人が高尚な精神で人生を生きれば、それがどんなに多くの善事をすることになるのか、人はこれを知らないのです。」
 
今回の「善を見なさい」と題された内容は、やはり耳が痛い。善を行う時はそれなりの奉仕として考えてしまう。ただ豆粒のように見える善でも行えとのことは、心にゆとりができる。何か奉仕をしなくては、というせき立てられるような想いが、そんな小さいな善をすることでも役に立っていると考えられれば、小さなことから少しずつ広げて行けばいいということに気持ちが楽になるからだ。私自身も常に奉仕という言葉が頭にある。できる限り、人の役に立つことをさせて頂きたいと思っていた。だが、今回の内容で、そんなに大層に構える必要はないと言うことを教えて頂いた。豆粒くらいの善はあちこちにある。それを気持ち良く行うことが大切なのだと思った。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
瞑想では、心を落ち着けて、曲に集中する。時々意識がもうろうとなる。
ヒーリングでは、始めるにあたって、お祈りをさせて頂いていると、一瞬意識が遠のくような感覚になる。すると『素人ではありますが、お手伝いさせて頂きます』という言葉が聞こえた、と同時に右側上方で大きなラップ音がなった。どなたかわからないが、霊界での初心者の方なのか、お手伝い下さるお役目を担われたのであろうか。有難い限りである。

324回目の瞑想

光り輝く
 
「何事も正しい時に、神が受け入れられる時に起こります。その時がいつかは、地上にある皆さんには必ずしも分かりません。しかし、もし霊のお導きに従うなら、忍耐して行動の明確な指示を待つなら、正しく人は導かれるのです。」
 
今回の「神のよしとされる時」と題された内容は、私自身がいつも願って懇願していることだ。霊のお導きに従っているつもりだが、まだまだなのだろう。忍耐あるのみ、と言うことをまた教えて頂いたようである。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想では、長毛の白い猫が、真っ直ぐに私めがけて走って来て、足にくっつく形で懐いてくれていた。(夢占いで白い猫が懐くという意味は信頼を現しているそうだ。またその上で良い人間関係を築けるとのことだった)
意識も少し遠のきながら、神様にお礼を申し上げると、右側から明るい光が入ってきて、前面を覆った。更に有難い想いが募った。ヒーリングでは、ほとんど意識は遠のいていたが、終わる直前に微量なバイブレーションを感じた。
 
また今朝の夢なのだが、いくつか見た。その中でもはっきりと覚えているものを記そうと思う。
主人の母方の兄弟4人は母も含め、もう他界しているのだが、更にそのお父さん(主人の祖父)と面会している場面を私は遠巻きにして見ていた。「お久しぶり〜」と言って、とても嬉しそうなお爺様のお顔が印象的だった。
そして次は私が壇上に立って、体育座りしている大勢の人の前で、協調性についてお話しをしていた。低い階層だと思うが(一番低くはないと思う)薄暗かった。「お互いの意見が違う時に、対立したり、排除したり、従わせようとするのは間違っているのです。お互いに意見を尊重する気持ちが最も大事なことです。例えば、相手の意見を取り入れてみて、なおしっくり来なければ、自分と相手の意見をもう一度総合的に考え直し、新たな視点で物事を練り直すという気持ちを持って頂ければと思います。その協調性を持つことこそ最も大切なことなのです。」と。
更にそこに曲が聴ける機械のようなものがあったのだが、そのままだとなぜか聴けないようだった。そこで息子が変換器のようなものを差し込むと曲が流れ出した。しんみりと心打つとても良い曲だった。聴いたこともあるようなメロディーだったが、曲名は思い出せなかった。ただその大勢の人達の中には座ったまま、真剣に聴き入っている人もいれば、立って大騒ぎしている人、また喋りまくっている人もいた。そこで夢は終わった。こんな事を私が言っていることにびっくりだった。(瞑想している時にその大勢の人達は刑務所で亡くなった方達なのではないかと思った)
また、夢の中で普通に息子と共に行動していたことに感無量であった。

325回目の瞑想

光り輝く
 
「私共は皆さんを助ける目的で来ています。皆さんから出る想念、祈りと希望、これらを皆我らは存じているし、我らは常に皆さんと一緒にいます。しかし、我らは皆さんの自由意志を奪い取るわけにはいかないし、皆さんがなめた経験を盗み取るわけにもいかないのです。つまり、我らは皆さんのカルマの負い目を取り除いてあげることは出来ないのです。皆さんは自分が身に招いた負い目の支払いは自分で引き受けねばなりません。ですから、神の無限の愛の手の中に、気持ち良く身を委ねなさい。しかし、カルマは神の愛の手に委ねれば軽くなります。我らはこのことを皆さんに保証できます。人間は楽しくカルマの教訓の務めを果たすことが出来るものです。これがカルマ錬金術です。人が、カルマが本人に教えたがっている教訓を学びとるや否や、カルマは消え去ります。もう二度とカルマは存在しません。」
 
今回の「カルマの錬金術」と題された内容は、愛の溢れたお言葉だと感じた。誰しもカルマを持って生まれて来る。カルマと言うと、なぜか重く受け取ってしまいがちである。けれど、このカルマでさえ、神様にすべてをお任せすることで軽くなると言われる。確かに振り返ってみると、それなりの苦労がありながらも、軽くして下さっていたように感じる。息子の死という苛酷な試練でさえ、早い段階で乗り越えることができたように思う。これは今まさにコロナで不安や恐怖を感じている人に声を大にして言いたい。神様にすべてお任せすれば、心が安定し、穏やかに過ごせることを。。私は日々それを感じて感謝しかない。
 
今日の瞑想も、呼吸に集中して、精神統一をする。
今朝の瞑想もヒーリングも、ほとんど意識は遠のいていた。戻る直前にご来光のような映像が出現し、澄みきった心持ちにさせて頂けた。

326回目の瞑想

光り輝く
 
「皆さん、心の安らぎをもちなさい。緊張した神経をゆるめて・・・5分間だけゆったりしなさい。神がそこにおいでになることを心を込めて思いなさい。光輝く中に神が見えると、そう思いなさい。貴方に注ぎ入る神の愛を感得しなさい。神は善であられることを信じなさい。そうすれば善のみが貴方の方へ来ます。但し、心配したりくよくよしたりして、善が来るのを止めないことです。」
 
今回の「緊張をゆるめなさい」と題された内容は、今最も必要なことではないかと思う。コロナ禍で、皆心身共に疲弊している。どこか緊張感で神経がとがっている。そんな心を静めるのは、まさしく今回の内容通りにすることなのだと思う。私は瞑想でその恩恵に浴している。なので、ここに書いてあるように5分間だけでも、毎日の瞑想をお勧めする。
  
今日の瞑想も、呼吸に集中して、精神統一をする。
今朝の瞑想もヒーリングも、ほとんど意識は遠のいていた。時々我に戻った時に、両手の平が痺れ感とは違う感覚になり、エネルギーが流れるのがわかったように感じた。
今朝も夢を見ていた。夢を見ていた時にははっきりとしていたのは覚えているが、起きがけにはおぼろげになり、今は全く思い出せない。でも確実に内容のある夢だったということは、自分の中にはあるのだ。これも向こうの世界へ行けばわかるのだろうが、残念である。

304回目の瞑想

天使


「高い世界、かの天上世界から人間は再生するのだが、そこでの生活のうちに、人はある種の要素の必要を感じるようになる。つまり、彼は自己の神殿に飽き足りぬものを感じるのである。それを身につけたい、そのためには、もう一度形をもった世界に帰って、体験を積む外に方法はない、かように悟るのである。天上体には不要な一切の要素は脱落し消滅しており、僅かに必要なもののみ残っている。これを吾等は不滅の種原子と呼んでいる。この種原子こそ、次に再生した時に入る媒体を創るための準備なのである。霊の声に従うことがいかに大切か、肉体素に身を委せぬことがどんなに肝心か、お分かり頂けたか?
祈りは、誠実さと謙虚さをもってする、極めて有力な手段である。ただ一つのことを祈れ、神の愛を。神の光のいや増さんことを祈れ。己のためにでなく、他者がその光によって祝福されんがために。これが祈りの道である。神のために祈れ、善のために祈れ、他者のために祈れ、その余は神に委せよ。『神よ、吾が道でなく、御身の道を。私の愛する者すべてを、御身の御手に委ねます。御心が天において行われるように、地においても行われますように」
 
この内容をもって、「人間のオーラ」については終了する。
  
  今朝の瞑想も、呼吸に集中して、精神統一していく。
しばらくすると、神様とつながっている感覚になり、涙がこぼれる。更に曲とは別の音が、ヘルペスで耳鳴りしている左耳から聴こえてくるのだ。心地良い音についそちらに集中してしまう。その瞬間に私の母と息子がいる気配を感じて、大粒の涙がボロボロとこぼれ始める。また協力してくれていることもわかると涙があふれ出る状態になり、滝にように流れ出てきた。そして両手に温かさを感じて、手を握ってもらっているように感じたのだ。有難くて有難くて、神様に何度も何度もお礼を述べた。
更には内なる魂を瞬間ではあったが感じたのだ。それは慈悲の心に溢れた光輝く存在であった。そして私自身の使命もその時わかったように感じた。
今日の素晴らしい体験は忘れることはできない。それだけ強烈であり、印象的であった。
その後ヒーリングをさせて頂いたが、世界のすべての人に力の限り流れて行って欲しいと心から希求していた。 そう思えることにも感謝しかない。(画像は昨日見た光景の映像に近いのでUPしてみた)

305回目の瞑想

光り輝く
 
「霊の世界とは、人が死後に行く処、つまり天界のことと人々は思っている。だから、霊の世界とは、地上の外側にある世界ではなく、魂の中の意識の状態だと言われると、人はすぐにはこれが理解できないらしい。霊の世界に時間と空間はないとか、いやそうではなく、霊の世界では此処から彼処へ、この境からあの境へと訪れると、聞かされたりする。それは地上を取り巻く世界であるとか、いや、それは内部にある世界だとか告げられる。いったいどう考えたらよろしいか。
心の中に目を移してみよう。目を閉じ、内に思いを向けてみよう。やがて内界に真実なものの姿が目に映って来よう。意識の世界と申すか、そのような世界に気付き、思いの向け方によって、それが変化していくことに、気付くであろう。美しい思いを抱けば、内に映る光は輝きを増す。醜悪な思いをもてば、内の世界はくすんでしまう。そのように、霊の世界とは、自分の魂の鏡の反映、そのようなものなのである。また、別の例でお話ししてみよう。何人かの人が田園を歩いているとしよう。彼等の目には殆ど何も映らない。彼等の心が周囲に何の反応も示さないので、自然の美しさに気付かないのである。他の一人が同じ道を歩くとしよう。彼は生垣や野のさまや、小鳥の姿に、光と影のつくる綾に、ことごとに心を躍らせる。彼は肉眼でものを見ているだけではない、霊眼によっても、ものを見ているのである。第三の人が同じ道を歩くとしよう。彼がもし、現象の奥の霊的生命に、一層敏感になっているとすれば、彼の見る世界は一層変わったものとなっているのである。彼は一切の物質世界の美を目にするだけでなく、物体に差し入る生命の鼓動までも感じとっている。彼の魂は霊界を反映しているのである。
人間が肉体を去った時も、同様なことが起こる。ある人が物質に溺れきったまま死ねば、その同じ状況が続く。つまり、他界しても、物質界と殆ど違わない濃厚な幽界に入るのである。彼自身はそれで満足なのだが、美しさなどはみじんもそこにはない。第二の人はもっと目が見え、物の味わいの分かる人だとする。彼は一層美しい世界に入るのである。第三の人物、この人は霊的に進歩しており、心の目の見える人だとする。彼は素晴らしい霊界に入ることになる。
何度地上に再生してきても、上記のことは変わらない。人が肉体を脱ぎ、幽体をまとうに至っても、よく地上経験を身につけ、人格の成長も十分でその魂に輝きが出て来なければ、決して霊界の美を見また其処に入るものとはならない。しかし、いつかはいずれの魂も、幽体を脱ぎ捨てる時が来る。思い鈍重なものから脱落していくー幽体、精神体と旅路は続き、遂に清浄となった魂は天界へと入っていくのである。」
 
今回からは「他界での生活」という題名の内容を一通り記しておこうと思う。地球上の人間は、他界がどんなところなのか全く見当もつかないで生活している人が多い。もちろん、他界などないと断言する人もいる。けれどこのような真実に足る通信から、私達が何を学ぶかは自由である。この内容をどのように感じ、どのように受け取るかは、個々の魂の段階によっても違うのだと思うが。なので信じるか信じないかも自由である。
ただ私は今回の内容の「霊の世界とは、自分の魂の鏡の反映」という言葉に目から鱗であった。だからこそ、自分の内なる光輝く魂を顕現させるべく努力することが重要なのだと確信できた。
今コロナ禍にあって、人々が死に直面している。霊的真理を知らないまま亡くなるとどうなるのか。もう人類が魂の真実に目覚めてもよいのではないかと思ってならない。せめてこの備忘録を見に来て下さっている方達には、強く申し上げておきたいと思う。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、精神統一する。
しばらくはいろいろな思いが出て来ては消え、出て来ては消えを繰り返していた。けれどそのうちに意識は遠のく。ヒーリング時もほとんど意識は遠のいてた。
ただ最近は、心地良さを感じる事ができて有難い限りである。

306回目の瞑想

光り輝く
 
「なお、人は地上生活中に、人格の力と魂の偉大さをよく開発しておかなければ、天界に入ってからも、その視力と環境の点で、限界が出てくるものである。地上では、成功は知的な知識いかんにかかっている。しかしながら、他界での成功は、生命的経験や魂の知識の深さ、また他界波長にどれだけ感応できるか、これいかんにかかっている。これらの事は、その霊が器の大きさを増すこと、及び霊の謙虚さ、これによって達成される。これはその人の環境の問題ではない、その人の物質的な事情とか知力の問題ではない。ただただ、愛とか忍耐とか同情とか、その人の心の問題である。換言すれば、心の器の大きさ、人格の美しさの問題である。
ここで、霊界の「場所」について一言しておきたい。皆さんは「しかし、霊界に場所があるとすれば、地球の外側のどこかに違いない。また貴方はこうも仰った、それは内部にあると」こう言われるだろう。
さて、皆さんに一番近い幽的物質は、物質の中に滲透している。もし霊が皆さんの家屋に入ったとすれば、現実の壁や家具は目に入らない、その幽体ないしエーテル体が見えるだけである。それは、霊とは第三次元で生きていないからである。霊にとって物質は存在していないのと同じこと、存在しているのは幽的物質のみ、霊の目に見えるのはそれである。これは風景の場合も同じ、霊に意識されるのは風景の幽体の部分である。
物体はすべて幽体をもっている。霊にとり、その目に映るすべてのものには、明るさと透明感とがある。皆さんの霊友達の家は、皆さんの家に重なっているといえるほど、身近に存在している。そこに空間というものは存在しない。霊のすべての境域は互いに滲透し合っているのである。これすべては波長の問題である。貴方の目に幽界が見えるか、霊界が見えるか、それは貴方の発動する波長の能力いかんによる。貴方は死ななければ、内的世界に入って行けないということはない。」
 
この内容も本当に奥が深い。霊の目で見ると物質は存在しないのと同じという下りは、初めて知ったことであった。だからこそ、物質に固執してはならないということなのだと得心できた。波長の問題もすべては自分が発動する波長にかかっているということ。できる限りの上との波長に合わせられるようにすることが肝要なのだということも肝に銘じたい。そして更には亡くなった愛する者の家は私達の家に重なっているほど、身近な存在だということに鳥肌が立ってしまった。そんなに近くにいながらにして、私達の目にはその姿が映らないが、このお言葉で、更に身近に感じられるように思えた。
今を生きているこの時から、常に魂としての自覚を持ち、波長を上げる努力をして行くべきなのだと心から思った。人間はいつか必ず向こうの世界へ移行するのである。その事が真実であるのだから、自分勝手にこの世を終えたらどうなるかは想像するよりも結果は見えているのである。
皆さんには、ただただこのことを共有したい思いでいっぱいである。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をした。
しばらくすると、宇宙空間の中に星がきらめく映像が出現し、大いになるその力にただただ委ねたい気持ちになる。更に太陽のような光りを放った球体が現れる。眩しいようで眩しくはなく、はっきりと直視できた。その後は意識が遠いていたが、戻ると同時に幾重にも重なった光線のようなものが流れている映像を見ることができた。また素晴らしい体験ができて有難い限りである。
 
 
 昨日も毎年聴きに行っている恒例のベートーヴェンの第九を聴きに行った。前回の演奏会よりも人の入りが多かったが、やはり私達の周りの席だけは空席だった。もちろん感染予防はしっかりとして行った。そこでも主人はいろいろな方と話す機会があったが、スムーズに話せていた。本人もびっくりしていた。ここまで話せるようになるとは、とヒーリングの力を改めて感じていたようだった。
神様のお力の偉大さにはただただ感謝しかない。

307回目の瞑想 

光り輝く
 
「『死後の世界では、何を食べていますか。食べることが出来るのですか。いったいどんな生活をしているのですか。』など、いろいろな質問されることが多い。左様、幽界には美事なおいしい果実がある。そこの住人達はこれを摘み取ったりする。また、望む食物なら何でも手に入れられる。しかし、高い境域では食欲は消えてしまう。但し、皆さんに理解して貰いたいことは、霊の世界とはいえ、それは堅固で実体をもったものである。そこの住者達は食事を楽しむことだって出来るーー但し、それを望むならだが。彼等は実に美味しい食物を食べ、ブドー酒に相応する飲物を飲むことも出来る。それは霊的実質である。あちらの世界での飲食物はすべて、その本質が霊的である。それは霊の世界に住んでいるから。そういうことになる。しかしながら、その真実さにおいては、地上の食物が皆さんに実体をもつのとまさに同様である。
高い境域の霊達は、思いのままに実に美しい柔らかい素材の衣類を身にまとっている。そのような美しいものは地上には存在していない。我々がこのように申しているのは、霊の世界の生活が地上と同様に実体をもっていること、但し、美しさにおいては比を絶しているということ、これを伝えたいためである。
また時には、次のような質問されることもある、『霊の世界でも年をとりますか。私達は老人の霊を見ることがありますが、それは何故でしょうか』と。幽界に年齢は存在しない。成熟の時があるのみである。熟年に見える人がいても、老衰のためではない。その者は常に生命に満ちており、健康、健全である。霊は望みのままに外容を変えることが出来る。そこで、地上を訪れる時は死ぬ直前の姿で出現することが多い。それは自分であることを判って貰うためである。さて幽界に戻って来ると、再び立派な本来の自分にかえる。」
 
今回の内容は、幽界での暮らしぶりが詳細に描かれている。とても興味深い内容だと思う。その中でも特に食欲が消えてしまうという部分、食べなくても良くなれば、どんなに楽になるかと思う。今でさえ、食事は重荷である。霊的世界のことを知れば知るほど、食べ物自体に気持ちがなくなっているように感じる。ただ肉体がある以上、維持しなければいけないので、食べているといった感じである。このことが良いのか良くないのかはわからないが。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一する。
ほとんど意識は遠のいていた。映像もいろいろと出ていたが、覚えていない。

308回目の瞑想

光り輝く
 
「地上の皆さんはいろいろ違った衣類を持ちたがる。我々の衣類はただ一着、但しそれは意のままに様々に変化する衣装なのである。例えば、白衣でターバンを巻いて、東洋人の姿をとることもある。また、羽の冠を着けたアトランティス人の姿をしたりする。あるいは、鷹の羽の冠を被って、アメリカ・インディアンの姿をとったりすることもある。時には、思いのままに古代エジプト僧侶のような姿をすることもある。皆さんも同じ姿をすることも出来よう。貴方がいま何であろうと、これまでにどんな前生を送ったにしろ、その時の姿をすることは、これは別に何と申すこともない。依然として貴方は貴方である。貴方はその衣装にピタリ。また衣装も貴方にピタリ。
霊の世界の建物は美しい。科学者のためには大きな研究所がある。天文学者のためには、すばらしい観測所がある。音楽愛好家のためには音楽堂があり、園芸家のためには、得も言えぬ美しい庭園がある。他界では、考え得る限りの望みや願いを満たすに足るものが揃っている。空の遙かな彼方には、霊の生活を遮る何ものもない。
生と死を別個のものと考えてはいけない。此処とか彼岸という考えは禁物、永年の生命、そう考えることである。つまり、生命とは永遠の現在、これを知ることが肝心なのである。貴方の伴侶が死ぬと、魂の世界、内的世界へと入っていく。それと共に、肉体につきものの重苦しさ、倦怠感、やりきれなさ、そういう感覚が失 くなってしまうのである。地上では、ただ日常の糧のためだけに、せっせと働かねばならぬ人が多い。彼等は金儲けのためには、正しくないことでもやらねばならないのである。こういう人達が死ぬと、もうこんな金儲けはしなくてもよい。好きな仕事に没頭できるのである。いろいろな制約、多くの恐怖の一切から自由になって働けること、もう好きな仕事のためだけに働けばよいということ、これが一体どういうことか考えてみなさい。死後の状態とはこれである。彼等は四六時中活動を続ける。そこには焦りもなければ、いらだちも一切ない。その仕事とは、魂の表現これである。彼等が好きなことのためだけに働いているのである。そこには安らぎがあり、平和があり、愛がある。」
 
今回の内容のように、死後の世界とは霊的なことを生前から信じて、内なる魂を顕現させる努力をして行くことで、自分のレベルに見合った階層に行けるのだ。ただ、普通一般の人はまずは幽界へ行くらしい。幽界は地球とそっくりらしいが、霊的知識を持った人達はそこで自由を満喫できるらしい。だが、霊的に無知だった人や増して悪い事を行った人が行く場所は同じ幽界でもかなり低い処(そこがその人に見合った場所ということになる)へ行くことになるらしい。幽界で自由を満喫できることを考えたら、今この地球で何を為して行くべきなのかは自ずと判るはずである。だからこそ、霊的真理の普及の大切さがあるのだと思う。一人でも多くの人にこの真実を伝えて行きたい思いでいっぱいである。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一する。
瞑想、ヒーリング共に、ほとんど意識は遠のいていた。時折、光りの映像が浮かび、心地良い思いになり、戻った時には穏やかな心で満たされていた。

309回目の瞑想

光り輝く

 
「若い日が過ぎていけば悲しくもなろう。しかし、ご承知のとおり年齢とは真実のものではない。年をとれば心労が増す、白髪が増える、病気にもなり易くなる、そういう考え方を改めて貰いたい。それは真実ではないからだ。断固として恐怖と弱気を捨てなさい。自らの内に深く目を向け、そこに力をーーそれは地上の、肉体の力ではないーー年齢も病気も悲しみも恐れも知らない力と生命を、永遠の希望をそこに発見しなさい。人はこの内在の霊である生命の成長と発現に努めねばならない。
皆さん、生きとし生けるものの目的は進化と成長である。生命の精とは霊である。霊はこのように申しておるーー『人とは、朝、日が昇るごとく確実に、永遠の生命である』と。皆さんは、吾々からも何も証拠を期待する必要はない。貴方さえ自己に真実であるなら、世の騒音を超えて、一つの声が聞こえる『私は生命、私は不滅、死はどこにもない』と。
ただ今より、内在の霊が、恐怖も疑念も超えてあるように。世間には、霊媒から死後生存の証拠を受け取っている者が多い。霊魂から死後も生命は続きますと伝えられるだけでは十分でない。体験が必要なのである。真理というものは内的なものだ。外部から来るものではない。霊性の進化が大事なのであって、進化につれ、日々時々刻々、貴方の確信は増していく。生命とは拡がるもの、進化するもの、無限のものと。
皆さんは言う『耳にタコが出来るほどそれは聞きました。しかし、人間の心は証拠を欲しがるのです』と。内在の霊、この真実の我が目を開く時、人の心はその求める証拠を手に出来るもの。この真我こそ心よりも大なるものであるから。この時、人は物質的なこころの牢獄を出る、日々その生活を通じて、霊のいのちをその心に感じとるものとなる。霊は年をとることはない。霊は病むことを知らず、霊は髪に霜を置くことを知らず、霊は不滅の生命である。
ある種の人の中には、美と申すか、真実と申すか、純粋さと申すか、何ともいえぬ雰囲気をもっている人がいる。このような人には年齢というものがない。そこにあるのは、年齢の制約を飛び越えた力をもつに至った霊光、それである。このような魂が霊界に入れば、その生活は晴朗で調和に満ちたものとなる。そこでは時間など気にしないですむ仕事ばかり、霊の世界に時間など存在しないからである。吾々は地上と霊界とが違ったものとは思っていない、両者の間には密接な関係が存在しているから。霊界ではすべて魂が天界への道を辿る、どの魂もその機会をもたぬものはない。しかし誰も統制されはしない、花が開くように、魂は進化の過程を辿るのである。」 
 
今回の内容も奥が深い。肉体が年をとったとしても、魂は年はとらない。そのことを肝に銘じたいと思う。どうしても若い頃とは肉体の衰えはあるので、つい年のせいにしがちだ。でも内なる魂を顕現させることが出来れば、年は関係ないということなのだ。やはり精進あるのみ、これしかないと改めて感じる。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。 今朝はほとんど意識はあった。
そしてヒーリング中のこと、シャボン玉のようなものが映像ではなく、感覚としてだが、上へ上へとあがって行くのと同時に自分の身体も浮き上がって行くように感じた。更に両手も下から持ち上げられるというのではなく、何かに引っ張られるような感覚になると、エネルギーの放出が強まっているように感じたのだ。
 
また昨夜のことだが、寝る前にはやはり呼吸に集中し、精神統一している。すると三つの映像が立て続けに出現した。
一つ目は、個々の形はわからなかったが、キラキラキラキラと画面いっぱいに広がっている光りがあちこちで光輝き、目の前がその光りで埋め尽くされるようであった。
二つ目は、幅1㍍はありそうな布のようなのだが、すべて光りで、それが波のようにうねるような動きを繰り返していた。
三つ目は、画面下方に光りを感じながら、中央にはグリーン色したオーロラのような光景でゆっくりゆっくりと動いていた。
この映像の素晴らしさにしばし、我を忘れて見入ってしまっていた。消えてほしくなかったが、しばらくするとすべて消えてしまったが、録画できたらと冗談ではなく、本気で思った。

310回目の瞑想 

光り輝く
 
「霊性進化の基本は愛である。吾々は誰しも愛し愛されることを好む。それは自然であり、人生を楽しく心地良くするものである。しかしながら、人を愛したことのない者が、愛を知ることは少ない。かつてイエスもこう申された「目の前の兄弟を愛さぬ者に、どうして未だ見ぬ神を愛することが出来ようか」と。しかし愛とは申せ、情愛とか好きとかいうものは、余りに個人にかたよってしまうことがある。これでも愛はよろしいかというと、その愛が真実の愛の入り口の役をするのならば、よろしいとしよう。
愛の源を知るには、吾等は人間性の裏へ目を向け、世間一般の生活のあり方まで考えてみねばなるまい。吾々が真の愛に達すれば、そこには何の分離も存在しない。つまり真の愛があれば、神の子等は一つとなり、誰一人他から分離しているものは存在しないから。しかしこれは難しいことである。と申すのは、皆さんはかように主張するから、つまり人間の生活では愛というものは個人に向けられるものであると。夫とか妻、子供、友人、恋人達、これら身近のいとしい者達にこそ、一番強い愛が感じられるのであると。またこのような愛は、他者に向けられる愛とは異質のものであると。
皆さんは身近のいとしい者達にこそ、心の通じ合うものを、親しさや喜びを覚えるだろう。それが普通のこと一般の気持ちであろう。と申すのは、これらの者達は、皆さんの身体のために役立つこともあり、心を慰めてくれるものがあるから。また、これらと別れることは大変な痛手でもあるから。しかし、ひとたび皆さんが霊界の友等との交流を得、霊の愛情に接し、愛の全容に触れるに至れば、個人の愛に等しい愛が全人類の中に感じられること、また存在することに気付くであろう。
個々の魂の中に、神の生命がこもっている。この生命こそ万人に等しくあるもので、この生命のゆえに人は愛という情を見出さねばならぬ。また愛を一人だけに限るという過ちも犯してはならぬ。しかし、これは逆説と思うかも知れない。人は個人を愛することを通じて、神愛に触れるのであり、外に道はなく、またこの道を通らねば、人が真実の愛を知るには至らぬのであるから。ただ、吾等は、個々の魂の内に輝く光を見ている、それは深い真実の愛である。但しそれは個人を愛しているのではなく、その人を通じて輝く光を愛しているのである。どんな師もいやしくも一人を愛せよとは申すまい。主イエスも弟子達にこの真理をいつも申されたではないか『私が語る言葉は、私が語るのではなく、私の内になる神が語り給うのである』と。人間の中の神の火花が、人間に神の存在を感じさせるのである。」
 
今回の内容は、今朝の瞑想でリンクした内容だった。私自身、まだまだ個人に対しての愛しか持っていないように思っていた。けれどヒーリングをさせて頂けるようになって、見ず知らずの方に対しても愛と呼べるのかどうかわからないが、思いやりの気持ちが出て来ていることは事実だ。少しずつでも、今回の内容のように、人間の輝く光を見出し、愛せるようになりたいものである。
  
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
しばらくすると、別の空間にいるような感覚になり、内から込み上げてくる高貴な想い、また内からの歓喜(心からの悦び)で身体が膨らむような感覚になった。これは言葉で説明してもなかなか伝わらないのではないかと思う。
それと同時に、愛は個人に向けてではなく、普遍的愛を持つべきであるということも感じたのだ。今日の内容とあまりにリンクしており、びっくりした次第である。

311回目の瞑想

光り輝く
 
 
「再び、実際問題にかえるとしよう。どうしたら吾等は良い世界を創り出せるか。それはですな、皆さんが心魂をつくして、人類に対し、また一人一人に対し、親切であろうと決意することーー唯この一事その他に何があろうーーさすれば、驚くほどの平和が生まれることに、皆さんは一驚しよう。
単純きわまる道ですな「親切であれ」単純ではあるが、しかと心に銘ずることです。新年が来れば、人は新しい年に目を向け、新しい決意をする。しかし、たちまちそれはどこかへ吹き飛んでしまう。実行は中々難しいものだから。誰しも思うように、皆さんは奉仕やら人生の活用やら、それ以上のことをやろうと考えてしまう。人というものは、未だせねばならぬ仕事がある間は、他界するものではない。従って、皆さんが本日、神の忠誠なる僕たらんと決意するなら、吾等は皆さんにもう一度新しい第一歩を与えよう。
親切であれ・・・・互いに親切であれ。
この単純な言葉をよくそしゃくしてみなさい。いかに吾等は親切とは程遠い仕草をしているか、驚くばかりである。心は尊大なもので、次のようにつぶやく『私にはもの申す権利がある。あの男は、あの女は、間違っている』などと。しかしですな、間違っているのは自分かも知れませんね。かりに、人が貴方に害を加えても、どうぞものの見方を変えて頂きたい。どんな場合も、どんなにその害が痛くても、人生には何の害もないのである。貴方は自分のカルマ(業)を辿っているにすぎないのである。つまり、自分の播いたものを刈り取る、これなくして、人は人生から価値あるものを学びとる道はほかにないのである。もし貴方がその痛みに感謝し、学び得た教訓を大切に思うなら、人生に大きな一歩を印すものとなる。吾等の教えがどんなに難しく思われても、他界に入った時、一切の事情が貴方にこう教えてくれる『神様、皆さん、本当にありがとうございました』と。
この故に、吾等は、皆さんが人生に処する態度を正されることを望む、何事においても親切であれ、その思想、その言葉、その行為において。もし貴方に、万事を嘉しとする姿勢がとれないなら、批判はお止めなされ。これは主の言葉である。また、偉大な魂は皆そう申された。人類の山頂に立った魂も、浄化の限りをつくされた霊師達も、皆そのように申された。永遠の真理というものは、年を経ても変わるものではない。
希望を皆さんにお渡しする。人生に怖れるものは何もない、怖れることの外に。恐れを捨てて、希望をもって前途を見なさい。それも心中のぼんやりした希望ではなく、心臓の鼓動高鳴る希望、即ち、すべてを嘉しと貴方に語りかけてくる確かな希望を。更にはまた、神は愛である。死は別離ではなく、人の進歩の道は無窮に終わることはないと、貴方に語りかけてくる希望を。もし、いとしい子供や伴侶が亡くなっても、その不在を怖れてはならぬ。いま貴方はその愛する者の方へ行くことも出来る。その者はこの地上にいる貴方を導いたり、また貴方と共にいることも出来る。愛する魂を引き裂くものは、人間の唯物主義のみ、死は人を引き離せるものではない。されば、吾等はかように祈ります、すべての人が希望の日で燃え立ちますよう、霊性の進化に決意を新たにされるよう、永遠の真理を更に知る者となりますように、と。そうなった暁には、皆さんはもはや一切の病気と貧困を知らぬものとなる。何となれば、みなさんは神と一つ、神の愛と一体、それ故にこそ、皆さんはその内部に生命の必要な一切を満たすものとなるからである。」
 
今回の内容も、簡単なようで実に難しい問題である。何の関係もない人には上辺の親切はできる。けれど、人間関係が入り組んだ人とは、そう簡単にはいかない。特に相手に心を許している場合、甘えていることも多いので、我が儘が出る。自分の思い通りにならないと、相手を責める。それはやはりカルマに依るのかも知れないが・・・自分の播いたものは過去だけでなく、今現在も播いているのである。だからこそ、善い行いを播けば、この先は自ずと知れる。わかってはいてもなかなか実行できないが、けれど、それがこの世に生まれて来て為さなければいけないことの一つであることは間違いないので、心して行動していきたいと思う。
  
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝の瞑想でもヒーリング中でも、意識ははっきりしていて(とその時は思っていた)宇宙空間が出現した。土星のようなものもボンヤリと見えた。
今回は宇宙空間を漂っているのではなく、見上げて眺めているような感じだった。星が辺り一面に煌めいて美しい。途中、右側上方から太陽のような黄金色の光りが入って来る。眩しくはなかった。そして画面が切り替わると、今度は真っ白な雪で覆われたように一面白銀の世界の景色になった。意識がはっきりとしていたと思ったが、終わると夢を見ていたような感覚になる。もっといろいろ映像が出ていたと思うが、やはりもうろうとしている感じだったので、覚えている限りを記してみた。

312回目の瞑想

光り輝く
 
「心の内奥の静寂の境こそ、一切の真理の在所。霊師は貴方の心臓の内奥の心を通じて教示を伝える、知性ではない。もし、イエスの次の言葉に思いを致せば、このことわりがよく理解できよう、即ち『幼児のようでなければ、天国に入ることは出来ない』幼児のようになるとは、意識を頭からハートに移すことである。
通常、人は頭でものを考える。いまも脳で貴方は本を読むように吾々の言葉を受け取っている。だから、人は信頼できる真理の判断は知性でするものだと、間違った考えを持ちがちだ。実際に脳は、人間の霊的成長の上で、大事な役割を受け持っている。しかしながら、心が心臓にあることを忘れてはいけない。心臓というものは、今日の医学ではなお分からない、多くの秘密をもった驚くべき器官なのである。心臓にはエーテル心臓がある、これは身体の成長、生と死に重大な関わりを持っている。また心臓には霊的心臓がある、これを吾々は心臓チャクラ、心臓中枢と呼んでいる。これこそ神霊の光、宝石である。
人間は西欧の唯物主義によって多くを失った。その知力の進歩によって、魂を失ったのである。過度の知的活動のゆえに、何か災難でもない限り、心が無視されてしまうのである。あくことを知らぬ知力は、人間の心の痛みをやわらげるすべを知らず、悲しみや淋しさを慰めることも出来ない。
人間の心の空白を埋めてくれるものは唯一つ、それは山頂から人間の心に射し込む光、心の目を開き道を照らす真理を運んでくる光。これによって、人はその悲しみの心に希望と喜びを見出す。この『至楽の木の中なる殊玉』、この小さなる尊い種子。それは芽を吹き成長していくもの。このゆえに、吾等は常にかように申しておる。もし真実の光が欲しければ、瞑想なされ、これが肝要と。書物も結構、比較宗教を学ぶのも結構、知能訓練も悪かろう筈がない。しかしながらこれらは、内的光が与えるものを少しも与えることは出来ない。知能の陶冶も、内在の光に導かれてこそ、正しい知性に進むことが出来る、しかし、何度も繰返すようであるが、魂にとり肝心要のことは、心臓の内奥にある心を発現すること、つまり、神の真正の光、神の子である内在の光、これが問題である。『幼児が汝等を導くであろう』・・・これぞキリスト神霊(これはイエスではなく、大霊のこと)心臓のうちにひそむ神の子である。
その故に、知をのさばらしてはならぬ。常に外的事象の背後にある永遠の生命と一つになることに努めなされ。神の宇宙の輝きに心して思いを向けよう、されば、心は生き生きとなるものである。とりとめもない些細で低級な心を充たしてはならぬ。たくみにそれは処理なされよ。同時に、心を美しく、楽しく、心やわらげるものの上に向けて思いを深めなさい。心に問いかけなさい。自分が一番同胞に尽くせることは何かと。心は答えてくれよう、同胞の立場に立ってみれば分かると。人間は、神の大宇宙の一部なのである、このことを忘れてはならぬ。されば、心臓中枢を目覚めさせること、愛を放射すること、魂の内に大いなる火を燃え立たせること。自分のためには生きてはならぬ、自分の栄光を求めてはならぬ。人々の為に奉仕をしなされ、病者を癒やし、悲しむ者に慰めを、飢えた人には食を与えなされ。宗教とは地上における現実の奉仕、このことである。」
 
今回の内容を書きながら、涙がこぼれて来た。霊的真理の真髄に触れて、私の内なる魂に響いたのだと思う。このような境地になれたら、本望であるし、この地球上から向こうの世界へ行けるのだろう。益々瞑想の意義を感じて、やる気がみなぎってきた。本当に有難い限りである。更に世のため人のためにお役に立てるようにと願うばかりである。
 
今日の瞑想とヒーリングでも、呼吸に集中し、精神統一をする。
瞑想では、ただただ心を落ち着けて、曲に集中すると音楽と一つになるような感覚なり、心地良かった。
ヒーリングでは、身体中の痺れ感を感じ、特に両手の平の痺れ感が強かった。また、温かいオーラで全身が包まれているような感覚になり、心が平和で穏やかになる。瞑想のこの時間は、心の安らぎを得られて、至福の時である。

313回目の瞑想

光り輝く
 
「死によって肉体を去った魂は、多くの場合、この近接の幽境を通ることになる。この間に、魂には過去の諸々の記憶が、走馬灯のようによみがえる。しかし、これは幻であって永くは続かぬ。しかし、生前、物質に執着の強かった魂の場合は、死後も物質の幻にとりつかれており、その分だけ上の真実の世界に行くのが遅れてしまうことになる。
人は誰しも、他界居住者と真実の交通をする能力をもっている。人は皆、霊魂と交感できるという意味では霊媒である。しかし、受け取る通信は、その人の魂の器量によって違う、幻夢境との接触を通じて、人は真義を見分ける眼力を獲得する。地上生活は偽瞞に充ちていて、必ずしも人も物も見える通りのものではない。貴方の霊性進化において大事なことの一つは、この真偽識別の目をもつことである。
嘘と思える通信が、必ずしもその意図において、悪いとは限らぬ。その目的が、本人を力づけ本人を立ち直らせる、そういうものであるかもしれぬ。頭から悪いと決めてかからず、聡明によく自ら判断して受けるようにされよ。指導霊が貴方に通信を送る場合、何よりも意図することは、相対的に見た霊性進化である。指導霊の貴方への愛は、純粋で個人の枠を超えている。その一つの考え一つのもくろみにも、単に一人を目的とせず、全体の善を目途としている。貴方にへつらった通信、個人的、利己的な性格の強い通信は、貴方を試みるためのものかもしれない。
心霊主義者は、人々の目を開き真理を受け入れるようにする準備段階として、霊交を行った。実験を通じて心霊主義者が知ったことは、地球の周りの諸界にあるさまざまの霊魂と交通出来ること、これらの霊魂はすべてが良いものとは限らず、中には邪悪なものもあること。優秀な霊界通信を受けるには、人間の方で利己を去る努力をすること、人格の陶冶と完成が必要なこと、これらである。幻夢境から来る亡魂も、人間の方にこれと波長を合わす暗い影がない限り、決してそのオーラの中に入り込むことは出来ない。重ねて言うと、いかなる邪悪な悪念をもった霊魂といえど、本人が断固としてこれを寄せ付けぬ決断をもつ限り、一歩もそのオーラに入り込む余地はないのである。それはこの時入り口に封印がなされ、本人が自家の主人となったからである、何者といえど、本人に弱さ・愚かさ・つけ込む隙がない限り、一歩もこれを犯すことは出来ない。」
 
今回の内容は、私自身も体験してきたことなので、感慨深い。また邪悪な霊に対して、波長が合わなければ入り込む余地はないということは知っていた。だから、除霊をしたところで、本人が変わらない限り、また波長の合う霊魂が取り憑くということだ。自分自身を変えるためにも、霊的真理を知り、真偽識別の目をもつようにして行くべきだと思う。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、精神統一をする。
今朝は、美しいエメラルドグリーン色した大きな形のものが、(いびつな形だった)変動しながら大きくなったり、小さくなったりしていた。そしてその周りを光りが流れたり、煌めいたりしていて、荘厳だった。初めての映像に見入ってしまっていた。時間もいつもの映像よりも長く感じられた。
昨日のホワイト・イーグル霊の内容に 昨晩から、寝る前に心臓に手を当て、自己ヒーリングしてみる。心臓がジュワジュワ(なんと表現していいかわからないが、今まで感じたことがない感覚だった)とした感じになり、更には温かくなって行った。内なる魂が目覚めて欲しいと願わずにはいられなかった。

314回目の瞑想

光り輝く
 
「貴方の守護の天使(守護霊とは違う存在)は、貴方の傍を離れることはない。誕生の時から死の日まで、いや死の後も、常に貴方と共にいる。その仕事は貴方の業に関することで、カルマの主の支配下にあって、貴方の人生を指導することである。ある意味では、この天使は非個人的存在といえる。と申すのは、その仕事は、貴方が業を消すチャンスの方に進むか、良い宿縁を加えるチャンスを握るか、それを見る役目であるから。このように人の経験とは、一つの機会である。しかし、人の低い我はこう言う『そんな事、いちいちかまっておれない、煩わしい、迷惑千万、そんなことやりたくない』と。もう一つの声がささやく『しかし、これはやるべきだ』と。低い我がもう一度言う『それはそうだ。だが、私はやりたくないのだ。やりたくない』と。結局、貴方はそれをしない。貴方の元帳には、その通りの事が記録される。
心に愛のある人は、決して落胆したり、心くじけたりすることはない。自分のこと、健康のこと、愛する者達のこと、いずれにおいても決して無用な心配はしない。というのは、彼は神の光や力によって、常に心が励まされているからである。その故にこそ何事もうまくいくのである。人の心がいらだったり、事に処するにあたって自分の心に枠をはめたりすると、物事はすべてうまくいかぬ。人は言う『がっがりだ、万事がうまくいかぬので』と。だからこそ、接触が切断され、災いが起こり、混乱が起こるのである。常に神の平和の中に生きるよう。真理の中に生きるよう、勇気をもたれよ、即ち『神よ、御心がこの地上に、私の人生の上に行われますよう・・・神の御意志です、我意ではありません』と。
しかし、現に失敗し、万事が混乱している時、貴方の傍に、一人の救いの手があることを思い出されよ。貴方の守護の天使は貴方の失敗を見ている、とがめだてたりはしない。『だからよいか、言ったではないか』などとは言わぬ。こうささやいてくれる『勇気を出せ・・・もう一度立ちあがれるようにして上げよう、目を上げなさい、目を開きなさい、神は今日も天に在り、何事もなし』と。
この考えを決して失われぬよう、特に一撃また一撃と、貴方がまさに打ち倒されそうになった時、心にユーモアをもって、膝にしっかり力をこめよ。起き上がれ、大地にもう一度しっかり足をすえなさい。そして心に思いなさい、自分の傍に、いま自分を助けようとしてくれている人がいることを。しっかり、決して投げ出してしまわぬこと。思い通りに物事がいっている時は、誰しも心楽しい。しかし万事がうまくいかぬ時に、ニコリと笑えるなら、その時こそ霊の力が発揮される。心に記して貰いたいことは、人が人生の階段を一歩登るのは、この時、この地上での経験を通じてのみであると。神への憧れ、高い世界への願い、これを大切に。
肉体を脱した霊魂も、肉に包まれた人間と同じく、霊界の美が見えないことがあるのをご存じか。いま地上で、誠実に霊的な事を行えば、その帳(とばり)が上げられる、貴方はやがて、美の世界へ入って行く者となろう。」
 
今回の内容は守護霊ではなく、守護の天使のお役目を教えて頂く内容だった。カルマの主の支配下にあって、私達人間を導いて下さっているとのこと。けれど人間である私達はその存在を意識することはないのだ。更に人間には耳に痛いお話しでもある。苦しいことや辛いことは避けて通りたいのが心情である。霊的なことをわからないまま、向こうの世界へ移行すれば、避けて通ったことが記録されていて、後悔となるのだ。しかもせっかく霊界入りしても美の世界が見られないのは、何のための人生経験だったかわからない。そんな後悔などをするよりも、今この世に生まれて来たチャンスを生かすことを考えた方が得策であろう。守護の天使がお一人お一人についていて下さることを信じて生きて行くことが肝要なんだと強く思った。
皆が神様の摂理に適った生き方をすることで、今の危機的状況をも乗り越えることもできるのだ。と思う。
  
今日の瞑想も、呼吸に集中して、精神統一をする。
しばらくは、いろいろと考えることがあり、そちらに気持ちが移っていたが、呼吸に更に集中することで、心が落ち着いて来る。それと同時に顔が柔和になっていくのがわかった。
またヒーリングでは、更に気持ちを集中させていくと、右足の膝辺りの肉が盛り上がるように動く。そして今度は膝から腿の間の肉も盛り上がるようにして動いた。不思議な感覚であった。
ヒーリングの相手への健康を願い、内なる魂が目覚めるようにと心の叫びにも似た想いで祈ると涙が溢れてきた。更に今の世界の危機的状況に苦しんでおられる方達にも、内なる魂に目覚められますようにと、神様に霊界の皆様に心からお願い申し上げると、涙が止まらなかった。

293回目の瞑想

天使


「我等が呼吸法を述べるとしよう。先ず、鼻孔を清めること、出来れば窓を開けて、立つ。吸気の度に、神を思え、神が吾が内に入り給うという気持ちで。次に吐気の時、息を全生命に向かって放つこと。この吸気により、霊的太陽光線はその人の内を満たし、その人に光を与え、眉間のチャクラつまり心霊中枢に集まる。このチャクラから、心でこの光を心臓チャクラに導くことができる。これで霊的太陽光線が、心臓にある種子原子(これについては後述する)に、届くことになるから。出来るだけ毎日これを実習すること、時間は好きなだけで良いが、無理があってはいけない。中略 背筋を伸ばし、正しい姿勢で、直視する霊光を呼吸せよーーーすなわち、この光明を吸引せよ。更に、地上の悩める者に向かって、自然に放て。この呼吸が調和をもって行えるようになった時、きわめて自然の心安らぐ呼吸であることが自得できる。」
 
早速、呼吸法のページが開かれた。かなり難しいと思うが、少しずつチャレンジしていこうと思っている。今日の瞑想でも取り入れてみた。
  
  今朝の瞑想も、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
お祈りの途中から、いつもの感覚ではなくなる。そしてヒーリングが始まると、金色の光りの映像が現れ、その中に仏像のお顔も現れる。だがぼんやりとしていて、はっきりとはどんな表情をされているのかはわからなかった。ただひたすらにその映像に集中していた。ヒーリングが終わると更に瞑想状態になり、座っている空間がその場所に居ながらにして別の空間のような感覚になる。すると心が一点の曇りもない穏やかな平和な気持ちになった。そして護られているということを実体として実感すると、内から込み上げてくるものがあり、涙がこぼれる。言葉にすると、この素晴らしく有難い体験がどこまで伝わるかわからないが、心は満ち足りていて、有難い想いでいっぱいである。

294回目の瞑想

光り輝く
 
「新しく死んだ者と残された者との間に、橋を架けてやることは、場合によっては正しいことである。それは長旅に出たままの身内の者が、何とかして、無事と健康を伝えるメッセージを送ろうとするのと同じことなのである。ただ具合の悪い点は、死者の方がしきりに健康の回復を求めていること、また残された身内の方が、手助けや慰めが必要な状況にあること。いずれにしろ、霊媒を通じて交通を求めることは正しい事である。しかし、交通できて、両者が共に慰めと安らぎを得た後に心すべきは、死者の方も生者の方も、肝心な仕事が待っているということ。即ち、自分自身の生活をちゃんとして、なすべき責任をしっかり果たすこと。自分で考え自分でやらねばならぬ事を、いちいちお伺いをたてて、霊界の世話になったり霊界に責任をとって貰ったりしてはならぬ。勇気を出して、もう一度立ち上がれ、これにより、人は以前より一層、他界の愛する者の傍に近づくのである。」
 
今回の内容は、私にとって、とても心に沁みる内容だった。私自身も私に降りてきて、息子が主人と話ができて、息子の様子が分かったことは、本当に有難かった。また霊能者の方にも息子の様子を教えて頂いて、私に降りて来た時の様子と符合していたことで、心から信じることができた。更に今息子が霊界で楽器を吹くことで、新たに霊界に入って来られる霊の方々の魂を癒やすお役目を担っていることに、有難い想いで一杯である。向こうの世界とこちらの世界でお互いに切磋琢磨しながら、大好きな音楽でご奉仕できることは最も幸せなことなのだと思っている。もちろん、霊的真理の普及やヒーリングでご奉仕させて頂けることにも感謝の気持ちでいっぱいである。誠心誠意心をこめてご奉仕させて頂こうと、今回の内容に身が引き締まる想いであった。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングも、神様のお光りを感じながら心穏やかに行うことができた。気持ちが高揚してくると、身体からいつでも魂が抜け出られるような感覚になる。このままお迎えが来てもスーッと行けそうな想いにまでなっていた。だが我に戻ると、やはり4匹の愛犬を残してはまだ逝くことできないという想いになる。まだまだやらなければいけない使命が私にはあるのだと思った。

295回目の瞑想

光り輝く
 
「皆さんは、守護霊や指導霊など、霊界の高い霊の感応を受けることを希望している。皆さんの中には、自分の守護霊を既にご存知の方もあるが、霊師達の指導を受けられることは、未だご存知ないようだ。皆さんの守護霊は、この霊師達の指導下で活動していること、また霊師達は皆さんを使いながら、皆さんの霊的成長を促進させることも出来ること、これが未だ皆さんには分かっていない。
人類への啓示、治病、指導、祝福などのため、もし人が無私の気持ちで使われることを望むなら、その人のオーラには秀れた霊光が注ぎ込まれる。その時、光の使徒として守護霊が身近に来ているのである。何人も霊媒であり得ることを銘記されよ。皆さんはすべて特質に応じて役に立ち得る。治病家、教師、音楽家、文筆家。画家、皆さんはそうかも知れぬ。何をもって人類に役立とうと、自己を見えぬ世界に同調させようとするとき、貴方は他界の英知の通路であり、霊媒であり得る。(中略)であるが故に、統御につとめられよーー肉体の統御、感情の統御、心の統御ーーー意気張って行う統御ではなく、日常の清浄高貴なる世界に触れることを願う希求、この統御である。
霊は光である。人間の高級自我のことを「原因体」と呼ぶ人々もあるが、これは光の媒体である。人が光の世界へ希求の目を向けている時は、人は諸媒体の心臓・頭・喉の心霊中枢から、これら光の生命を吸入しているのである。」
 
この内容も本当に奥が深いと思う。上を見たら切りがないし、下を見ても同じである。だからこそ、今自分にできる精一杯のことを為して行き、その中で常に霊界の高い霊と同調出来るように心の統御をして行くことが肝心なのだということを改めて確信した。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のお祈りとヒーリングでは、意識があるようなないような・・・
その中で光の映像が現れていた。最近は普段でも目をつぶると映像が出現するようになって来ている。宇宙空間だったり、金色の光りが一面に現れたりと。
 
  昨日の主人のヒーリング中、やはり意識があるようなないような中で、人の話す声がずっと聞こえていた。どこか別の空間にいるような感覚だったが、我に返ると曲が流れているだけでシーンとしていた。だが確かに人が何かを話していたことだけは、感覚として残っていたのだ。話の内容をなぜ覚えていないのかとても残念である。

296回目の瞑想 

光り輝く
 
「皆さんの中には、睡眠中に、霊界の学習殿堂へ連れて行かれる者達がいる。そこで英知の師の講義を受け、特殊な仕事の訓練を受けたりする。そこで教えられた真理を、記憶の中にたたんで戻って来る。もし天界との波長が合ってさえいれば、睡眠からさめた時、突如、新しい観念が心に閃く。貴方は思う「おお、ヒラメキだ、どうしてこんな考えが湧いたのだろう」と。それは、貴方の肉体の心が、貴方の高級の心からのインスピレーションを、受け取り易く成長したので、貴方が天界の学習殿堂で習った真理を知覚するようになっていた、こういうわけである。またある時は、ものを書いている時、インスピレーションの波が沸き起こることがある。貴方はこれを、潜在意識のせいかしら、それとも守護霊からの通信かしら、と考える。真理というものは、人がこれを語ったり書いたりする前に、脳がこれを言語化する必要があるのだが、貴方の守護霊はこの真理を、貴方の高級の心を使って組み立てることが出来る。こうして貴方は受ける通信の知恵のエキスの部分は、守護霊から来ているのである。」
 
今回の内容は、なるほど〜っと合点がいく内容であった。やはり閃きのようなものはご守護霊様からのものだったのだ。常に高度なインスピレーションを受け取れるようになるには、日々の生活の中での姿勢である思う。益々精進しなければいけないという想いになった。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
ヒーリング中、ほとんど意識は遠のいていたが、気がつくとお祈りのお言葉は唱えていた。
 
今朝起きた時に、明るい場所で楽しい会話をしていたという漠然としたものではあるが、そんな想いが強く残っていた。内容も思い出せそうで思い出せない。残念であるが仕方ない。瞑想やヒーリング中にもそういった感覚にしばしばなるのだが、直後であっても、その内容を思い出す事ができないことが多い。
今回の上記の内容に照らし合わせると、内容を記憶できるようになるにはまだまだなのだろう。
記憶できるようになるためにも、これまた精進あるのみなのだと思う。

297回目の瞑想

光り輝く
 
「人は誰しも、霊との接触のための準備が出来ているわけではない。現世の物質的な仕事があって、そのため自分の性格も型にはまり、霊との感応には向かなくなっているように思える。しかし、皆さんは既に霊性進化の道についており、内面生活の面でも、外的生活の面でも、指導をうけ、啓示を受け、身守られている。歩一歩皆さんは進歩している。また機会が次々と与えられている。ただ皆さんの信念を試すためのもの、自分の高級我の声に耳をかすかどうかの試金石、また皆さんに備わる霊力のテスト、これらである。もし、物質生活の上で困難があったら、それこそ、忍耐とか、信念とか、勇気、善意など、貴方に欠けているものを開発するために与えられた機会なのだと、そう考えなされよ。
皆さんのうち一人として忘れられている者はいない。かように固く確信されることだ。神の通路として使われる魂は、一つとして、高い世界から見過ごされることはない。目覚めた魂は光である。光は見ればすぐ分かる。吾々が見るところによると、地上は常に霧に包まれている。処によりかすかに光った処もあるが。しかしながら、霊性進化を志す道にある者達は、暗夜の中の星のような存在、その光により見分けられる。」
 
今回の内容も艱難辛苦を体験し、霊的真理を知り、神の摂理に適う生活を望んで実行することが如何に大事なことかということを、改めて肝に銘じた次第である。一人でも多くの方が、霊界からのこの訓えを受け入れて行動して行って欲しいと切に願う。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
ヒーリング中、ほとんど意識は遠のいていた。時折、映像が浮かんだのだが、はっきりと覚えていない。ただ戻った時には穏やかな心で終えることができた。

298回目の瞑想

光り輝く

 
今日は最近ニュースになった「世界で初めて小惑星(リュウグウ)内部の岩石の採取に成功したとみられる日本の探査機『はやぶさ2』」から関連したことを記してみたいと思う。
岩石を格納したカプセルの中に生命の起源に迫るヒントが含まれているのかどうかということを、地球に帰還した成功はもちろんのこと、プロジェクトチームの方々は期待している。プロクジェクトマネージャは「新しい科学がここからスタートする」と述べ、「太陽系の成り立ち」や「生命の起源」の新た発見につながるかどうか、今後の分析が注目されるということだ。
だが、私が今回書きたい内容は、このはやぶさ2に因んで、先日『はやぶさ』という映画を観た時のことである。その時の宇宙空間の映像にふとある事が蘇ったのだ。それはアポロで月面着陸した宇宙飛行士のことであった。自分の記憶が正しいかどうか調べてみると、もっと詳しい内容が記述してあったのでそれを紹介させて頂こうと思う。
月面着陸した宇宙飛行士の多くは、そこで人間を超えた「何か」を感じ、確信し、世界観が大きく変わったと語っている。科学のまさに最前線に立つ彼等は「非科学的」な神秘体験を語り始めたのだ。
ジーン・サーナン(1934~2017)は、ジェミニ9号で地球を、アポロ10号で月を周回、そしてアポロ17号で月面を探検した。その際サーナンは、神の存在を認識したと語っている。
サーナンによると、同じ宇宙飛行体験でも地球軌道から見る地球と月面に立って見る地球では全く違うと話している。地球軌道からの地球はあくまで地表であるが、月面からの地球は説明できないという。
そこには我々がどれだけ写真や映像を見ようが及ばない「何か」があるのだろう。
 
アポロ15号で月に着陸したジム・アーウィン(1930~91)は、月面で「神の臨在」を実感したと語る。
「宇宙飛行までは、私の信仰は人並み程度のものでした。それと同時に、神の存在に人並み程度の疑念も持っていました。しかし宇宙飛行によって、それらの懐疑は吹き飛びました。神がそこにいるということが如実に分かるのです。こんな精神的な内的変化に私自身も驚きました。 その臨場感は知的認識を媒体にするのではなく、直接的な実感でした。私がそこにいて君がそこにいる。そんな感じでした。神に何を祈っても、神は無言です。それが当然であると私は考えていました。しかし、そのとき、確かに神が声を出して答えてくれるわけではないのですが、まるで超能力者同士のコミュニケーションのように、神がそこに在るのが分かり、パーソナルな関係の中で語り合ったのです。姿が見えないことの方がおかしくて、私は振り返って神の姿を探したほどでした。しかし神は超自然的にあまねく遍在しているのです」
その後、アーウィンはキリスト教系伝道師となった。驚くことにその活動に、アポロ15号の アル・ウォーデン、アポロ16号のチャーリー・デューク、スカイラブ4号のビル・ポーグなどが加わっているのだそうだ。
 
アポロ16号のチャーリー・デューク
「1978年4月、ハイウエイを走っているとき、突然私はイエスが神の子であり、神であるという確信が持てたのです。 目的を持って創造されたものであり、その目的とは、あらゆる生命が神に仕えることだと考えるようになりました。それまでの私の人生はすべてなにかを『得る』ことを目的としてきましたが、それ以来、『与える』ことが私の人生の目的となりました」
 
アポロ14号のエド・ミッチェル(彼は航空宇宙工学博士でもあります)
「私は科学的真理と宗教的真理という二つの相克をかかえたまま宇宙に行きました。宇宙ではほとんど一瞬の内に、この長年悩み続けた問題の解決を見ました。人間はただの知的動物なのか、宇宙は物質の偶然の集合に過ぎないのか、我々はどこに行こうとしているのか、宇宙や人間は偶然に創生されたのか、そんな疑問であります。こんなああでもないこうでもないという考えていた疑問が、宇宙では、瞬間的に解決されました。問いがあり、答えがあるという二段階のプロセスがあったというより、すべてが一瞬でした。宗教学でいう神秘体験とはこういうことなのでしょう。瞬間的に真理を知ったという思いでした。
世界は有意味です。私も宇宙も偶然の産物ではない。すべての存在がそれぞれの役割を担っています。それぞれに神的プランが働いているのです。生命はその神的プランに従って進化しつつあるのです。個別的生命は全体の部分です。個別的生命が部分を成している全体がある。すべては一体です。一体である全体は、完璧であり、秩序づけられており、調和しており、愛に満ちている。この全体の中で、人間は神と一体なのです。自分も神の目論見に参与している一人なのです。
神とは、宇宙霊魂あるいは宇宙精神(コスミック・スピリット)であると言えます。宇宙知性(コスミック・インテリジェンス)とでも表現しましょうか。ともかくその大いなる思惟に従って進行しているプロセスがこの世界なのです。人間の思惟はそのスペクトラムに過ぎない。宇宙の本質は、物質ではなく、霊的知性であります。この本質がいわゆる神なのです。」
そして彼は最後に警告を発する。
「現実の人間はエゴの塊であり、様々のあさましい欲望、憎しみ、恐怖などにとらわれて生きています。自分のスピリチュアルな本質などはすっかり忘れて生きています。そして、総体としての人類は、まるで狂った豚の群れが暴走して、崖の上から飛び降りようとしているのも同然の行動をしています。それが集団自殺に等しい行動であると気付かないほどに愚かな状態なんです。」
 
最後は スカイラブ4号船長のジェリー・カー
「神は、天から地上を眺めているような全知全能の存在ではないと思います。人間が自由意志を持つ存在である以上、それはありません。私は神は、宇宙の万物の秩序を司るパターンであると思います。万物は調和し、バランスがとれており、ある秩序のもとに存在しているのです。そのことに気付いた人類は、この秩序の背後にあるものを人格的存在として、様々な名を与えた。このあるパターンによって調和しているという現実を理解しやすく案出された名辞が『神』というものなのです」と、冷静な発言だった。
だが、宇宙の体験がなんの意識変容ももたらさなかったと公言したディーク・スレイトンやポール・ワイツの発言を「うそ」だと非難していたとのこと。
 
今回改めて、宇宙飛行士の方々のお話を聞いて、まさに宇宙空間では神様を体感できるのだと感じた。そして大変に羨ましくもあった。だが、この方達とは真逆にアル中になったり、離婚されたりと不遇な状態になった宇宙飛行士もおられる。これは霊的真理を知るタイミングということと同じなのだろうか。タイミングが早すぎるのは却って、道が外れてしまうのかとも感じる。やはりその人その人の霊的真理を受け取れる時期というものが間違いなくあるだと思う。
この宇宙飛行士の方々が語ったことを、皆さんはどう思われるであろうか。
シルバー・バーチ霊言やホワイト・イーグル霊のお言葉と同じとは思わなかっただろうか。
私は霊的真理の確証につながるように感じて、心の高揚を感じた。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングでは、かなり穏やかな心持ちで行えた。やはり意識はあるようなないような・・・だったが。。
時々、神様とのつながりを感じさせてもらい、涙が流れた。

299回目の瞑想 

光り輝く
 
「霊交を推進する大きな障害の一つに、いわゆる「証拠」の要求がある。皆さんは証拠には一定の規準をつくっている。例えば、皆さんの守護霊が通信を送っている時、貴方の小我が証拠を要求する。「ハイハイ、しかし、貴方はどなたですか。その証拠を見せて下さい。いま、私の祖母はアメリカで何をしているか、答えられませんか」などと。聞かなくてよいことを聞くのは、愚かである。貴方の守護霊について馬鹿な質問は止めなされ。これを疑い、愚かな詮索をすれば、波長を低い幽界に合わせることになり、すぐに邪悪霊に結び付いて、玩具にされる結果になる。
主の言葉を思い出しなさい「その果によって、その者を知れ」と。すると、中にはこう言い返す者もあろう。「ですが、聖ヨハネは言いましたね、その霊を調べなさい、神から来ているかどうかを」と。左様、彼等を調べなさい、しかし、貴方の規準ではいけない。その通信を検証しなさい。その通信に、真理、謙虚、愛のしるしがあれば、それ以上の詮索は無用。その果によりその者を知れ、である。ここで一言付け加えておきたいことは、守護霊も指導霊も、決して命令をしない、ということである。それは霊的法則の一つを破ることになるからである。神は、すべての子等に自由選択の力を与え給うた。最も、この選択や意欲にさからう衝動もあるが。この衝動が起こるとき、その責任は貴方の魂と霊にある。高級霊は決して人間の自由意志を妨害することをしないものである。指導を求められれば、彼等はその方向を示し、可能性にまでも触れる。しかし、最後の決断は必ず本人に委ねる。」
 
今回の内容は耳が痛い。やはりどうしても証拠がないと信じることができないという想いになってしまっていた。だが、瞑想することでだいぶその想いは変わっては来ている。今回の内容で、誰がということよりも、内容に注視し、内容に真理、謙虚さ、愛などが網羅されていれば信用できるということを改めて肝に銘じたいと思った。だが真理については自分自身が真理についてわかっていなければ吟味できない。やはり通信をするからには、少なからず霊的真理を知っておく必要があるということなのだと思う。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングでは、意識はほとんどあった。そんな中で、ヒーリングを終えると宇宙空間の映像が出現し、「今肝心なのは、内在の魂に帰依すること」というお言葉が浮かんだ。
このお言葉で、今こそ自己の魂と向き合う時なのだと心底思えたのである。

300回目の瞑想

光り輝く
 
 
「自分の苦しみは、必ずしも耐えなくてもいいのだと、そう思っている人達がいる。そういう者達は、状況が違ったら、もっとうまくやれるのだと、考えている。例えば、もっと自由でもっと暇があったら、ずっとうまくやれるのにと。暇と金に恵まれた連中は、自分達とはまるで条件が違うのだと、こう弁解する。しかし皆さん、人はすべて法の支配下にある。人はまさにその置かれている場が自分にふさわしいものであり、それは自分で選びとったものである。「冗談ではない。こんな人生を私は選んだ覚えはない」と、その人は言う。それは我の声であって、本当の自我、つまり内在の霊は、本人に何が必要であるかを知っているものである。この神慮ともいうべき、人の人生行路を導く光のあることを、よく考えてみられよ。人生の一瞬たりとも、無駄でなく、間違ったものはない。人の経験、人生の目的、これらすべて、魂の成長と内在の自己顕現のためである。経験の下をよく掘り下げて、知恵と知を求めるなら、その進歩と自己顕現の速度は早まる。大切なことは、表面の出来事ではない。その境遇だとか富のあるなしではない。本人のその境遇への反応の仕方、隣人と神に対する自己の関わり方、これである。人生航路の一つ一つは、その者が日々通過する悟りへの門である。」
 
今回の内容も、霊的真理そのもので、とても優しく訓えて下さっていると思う。この地球に生まれてきたのは、魂の成長のために、自分の境遇は自分で選び、それを克服するためだということ。すべては神様の摂理に適っているということなのだ。それを信じて、自分の人生を全うする以外方法はないということだ。
ただこのことを悟るためには、艱難辛苦の体験が必須なのだろう。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
ただ、宇宙飛行士のお話にもあったが、言葉ではなく、インスピレーションで神を感じ取っていたということを教えて頂いたようで、私自身も試してみた。呼吸に集中し、宇宙空間を思い描いた。しばらくすると、ものすごいエネルギーが両手から流れて行くのがわかった。これだ!これなんだと心の高揚を抑えられないくらいだった。
これからは、この方法で瞑想もヒーリングも、行っていこうと思った次第である。

301回目の瞑想

光り輝く
 
「人間のオーラについてお話ししよう。吾々霊界人が皆さんと交通できるのは、このオーラの媒体があるからである。左様申しておこう。
人間の諸媒体の呼称はいろいろあり、皆さんが使用している他の学派のものと、吾々の呼称とは違っているかもしれぬ。しかし、できるだけ簡単に話をすすめたいと思う。
十分な知識がない場合は、オーラを読み違え易い。例えば未熟な霊視者の場合、肉体から数インチ出ている青みがかったオーラだけしか見えないが、これを全オーラだと思いこんでいる。彼が見ているのは、肉体に滲透している活生力であって、これは霊的生命と肉体生命との媒介者である。このオーラ、即ち、エーテル体ないし活力体は、神経組織に密接に関係しており、後日病気の原因となるものを蓄積する。即ち、低い自我が間違った思想、食事、生活でつくり出した毒素を、ここでしっかり保持しているわけである。
肉体に密着して、肉体素と思われるある種のものが存在する。これは悪いものではない。これは人間だけでなく、それ以下の生命体にも備わっている。吾等はよく次の質問を受けたことがある。人間が肉体の中にいる間は、なぜ悪の誘惑の方が、善への志向より強いのかと。それはこの欲望素が存在するからで、大抵の人はこれが非常に強いのである、進化の途上にあっては、人は高級我(それは未だほんの萌芽にすぎない)が、肉体素を完全支配することを学ばねばならない。人間の自我の在所は天上体、即ち至高純潔のオーラの中にある。この我は直観として現れ、人はこれを意識と呼ぶ。しかし、肉体素も人間の進化を助けるもの、これは人を地上につなぎとめる錘(おもり)の役目をしている。人はこれを足枷のように感じるが、悪とみなしてはいけない。それがあるが故に、人は神性意識を発言できるようになるのである。そのためにこそ人は地上に生きて いるのだから。
以上で活力体についての話は終わるが、これは実はオーラではない。肉体からの発出物なのである。死とともにこれは去るが、その一部は至高のオーラ、いわゆる天上体の中に吸収される。その理由は、地上生活で獲得した経験を、未来の生活に活用するために保管するということである。未来といっても、天界生活の意でなく、以後の地上再生生活のためという意味である。」
 
今回は「人間のオーラ」について書かれている内容をすべて何日かかけて記して行こうと思う。難しい内容ではあるが、真実を知るためには必読する価値があると思う。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、宇宙空間を思い描いてという方法で試みた。ヒーリングも同じである。
そんな中で、ふとイエスキリスト様やお釈迦様の死に方について思った。するとこんな言葉が心に浮かんだ。「死は、どのような形であろうと意に介さず受け止める。それは単なる通過点に過ぎぬのだから」と。また今度は全く違う言葉が浮かぶ。「音楽を魂で感じる時、それは神を感じるのと同じである」
今回二つの言葉にとても有難い想いになっていた。また両手の平のジリジリ感と熱さは、やはりすごいものがあり、たくさんのエネルギーを頂けているということにも感謝の想いでいっぱいだった。

302回目の瞑想

光り輝く
 
「次の媒体は幽体であるが、幽体は霊視能力者によって霊視され、それにはオーラがあり、色彩がある。この幽体のオーラの奥に精神体がある。精神体の奥に天上体がある。この天上体のことを、他の学派では原因体と呼ぶこともある。
幽体のオーラは下品なものもあれば、綺麗なものもある。これは人間の意識と関係があるのである。肉体要素が強ければ、幽体のオーラは下卑ていて、色は美しいとは言いかねる。魂が霊的生命の存在を知り、地上生活の意義を知るようになれば、幽体は浄化され、色彩は美しいものとなる。オーラの色の不変性は、霊的熱望の強さ、優しい美しい志向の強さいかんにかかっている。
オーラは目まぐるしく変化する。色は一瞬美しく光ったかと思うと、消えて鈍い色になったりする。従って、オーラは青いとか、赤いとか、黄色だとか、その時によっていろいろな色に言われるので、人は迷ってしまう。幽体のオーラの色は変化し続けるが、魂がしっかりしたものになると、変わらなくなる。それは魂が自己を知り、献身や愛や霊的熱誠など、不変の波動をオーラに導入するに至るからである。こうなると、高級媒体のオーラにも、不変の色彩が見られるようになる。即ち、精神体や天上体が、下位のものから吸収するからである。天上体は天界にある不滅の媒体であって、古代の神秘学派では、これを「神殿」と呼んでいる。フリーメーソン派の 神殿は、天上体を象徴したものである。」
 
今回の内容は、漠然と感じていたものだったが、こうやって詳細な内容を知ることができたことは、有難く幸せなことだと思う。魂がしっかりしたものになるとオーラの色は変わらなくなるとのことだが、私の場合は光ったり、鈍くなったりしているのだろうと、つい苦笑してしまった。目指すは不変のオーラになることだと、改めて得心した。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、宇宙空間を思い描いてという方法で試みた。
だが、今回は宇宙空間は全く現れず、ほとんど一面が眩しいくらいの黄金色であった。
その中での瞑想とヒーリングは気持ち穏やかにできた。日常生活でも、いつもこのような心境でいられるとオーラの色も鈍くなったりはしないのであろうが・・・まだまだである。

303回目の瞑想

光り輝く
 
「オーラの張り出す範囲は変動する。未発達の人の場合は、5,6,7インチから12インチくらいまでなり、霧状に見える。進歩した人の場合は、オーラはしっかりしたものとなり、ふわふわしたり漂ったりしない。霊的生命について無知な大衆の場合は、オーラは不安定で、主として暗い赤、褐色、強いオレンジがかった褐色が見られる。欲望素から出る本能は、褐色と黒色の色をとってオーラに現れるのである。普通一般の人の幽体は、不安定霧状の鈍い暗い色から、しっかりとしたオーラをもった卵形で、安定した調和のある色彩のものまで、いろいろである。更に、この幽体から張り出して、同じ卵形では あるが、ずっと美しく精妙なオーラが見える。これは精神体のオーラである。これは思想の変化に応じて迅速に変化する。これに滲透しつつ、これから張り出して、美しい形をした天上体のオーラがある。その色彩は何とも口では表現しにくい、地上にはこれに比すべきものがないからである。人間の我が、地上生活、幽界生活、霊界生活を終えた後、最終的には、この天上体に鎮座することになる。上記諸階での生活の有り様は、それぞれ対応するオーラが織りなすものである。
誤解しないで頂きたいが、ごく普通の善良な人達のオーラは、見た目には心地よいが、不変で強いというわけにはいかない。底部には暗い色彩があり、太陽神経叢あたりにはきれいな色彩がある。
高く進歩した「我」のオーラは、数フィートに及ぶ。達人とか霊師とかの場合は、一マイル以上にも及ぶ。従って、高級な「我」が近づくと、その姿は見えなくても、オーラの存在を感じたり、香りを感じたりする者が多い。オーラには香りがある。だから、それが霊師であるか達人であるか、見誤ることはない。高級我の場合は、その周りに独自の調和が漂っている。瞑想の時、秀れた「我」が近づくと、音楽を奏でるような響きで、その接近を感じとるかもしれない。恐らく、皆さんの中には、この経験がおありの方もあると思う。地上生活中に、皆さんは自分の諸媒体のオーラを創りつつある。貴方の欲求は貴方の幽体に刻み付けられる。それは更に幽体を経由して、精神体と天上体に影響を及ぼす。人はその行為と反応、思想と欲求によって、自分の天上体を創りつつあるのである。いや、皆さんはそれ以上のことをしている。皆さんは、再生した時、地上で表現される貴方を、高級な諸エーテルをもって、いま創りつつあるのである。従って、多少の不満はあろうが、現在の貴方の肉体を創ったのは、貴方自身、このことを知って頂きたい。」
 
今回の内容に得心した箇所がある。それは香りと音楽である。瞑想時、何とも言えないいい香りがする時があった。それと同時に涙が出ていた。ただそれが何なのかわからなかったのだ。オーラに香りがあるとは知らなかった。また音楽もいつもかけている曲とは別の音が聴こえた時がしばしばあった。これはどちらも高い方が来られたということの確信を得た思いにさせて頂けた。
  
今日の瞑想も、呼吸に集中して、心を無にするように試みた。
しばらくすると、ペガサスが現れ、最初は顔のアップだったが、その後大きく羽を羽ばたかせて飛ぶ様子を見ることができた。
ヒーリングが終わる直前には、夕焼け、朝焼け、どちらなのかわからないが、素晴らしい光景が現れた。
日の光りのキラキラ感が今も頭に焼き付いている。

282回目の瞑想

天使


「低級な魂には高級なことは分からない。高級な魂には低い段階のこともよく分かる。あらゆるものの調和を支えている法は、自動的に働いていて、人はその魂が成長して、法に触れる域に到達するまでは、法を自家薬籠中のものとすることはできない。」
  
  今朝の瞑想も、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
ヒーリングが始まると、意識がはっきりしながらも、内から全身に微量なバイブレーションのようなものを感じた。すると内から込み上げてくる想いで、ただただ神様、ご守護霊様、ご指導霊様、霊界でお見守り頂いている、ご協力頂いている皆様に、楓様に心から感謝申し上げていた。
 
昨日の主人へのヒーリングでも、手の動きが自分で動かしているというよりも、やはり、動かされてある場所で止まったのだ。その場所は前回と同じ辺りの場所だった。(この時には自分でもその場所から手を留めておきたい気持ちになる)その間には手の熱さとチリチリ感が凄かった。そしてやはり手の平で何かが動いている。今回ははっきりと手に当たり、動きがあるのがわかった。その時である「細胞」という言葉が浮かんだのである。その言葉にそんなことが実際に起こるのかどうかわからなかったが確かに動きがあるのを感じたのだ。そして、その後夜に読んだホワイト・イーグルの「自己を癒やす道」という本の内容に符合しているようなお題目に目が止まり鳥肌が立った。
「太陽による病気治療」と題された内容だった。
『すべての治癒の基本と申しますのは、永遠の太陽である光を身体に摂取することにあります。もし、貴方がこの光を呼び起こして吸入し、意識的にこの光りの中で生きることが出来れば、肉体細胞を実際にうまく統御することになります。肉体は鈍重で、物質の力は頑固、だから人は神の力を忘れてしまいます。しかし本当に組織を蘇らせ、新しく身体細胞を創り出す力は神の力なのです。』
これを読んだ時に、細胞という言葉が浮かんだ意味を教えて頂いたように思った。そして間違いなく霊医の方が実際に神の力である光りを当てて下さったからこそ、主人の頭の細胞が動き出したのだということを確信したのだ。本当に素晴らしい体験をさせて頂けた。
ただ当の主人は手のチリチリ感は凄かったらしいが、頭は温かさだけ感じたとのことだった。だが今後どのように変わるか楽しみである。

283回目の瞑想

光り輝く
 
「一歩進歩しては、さて次の進歩はどうするか、自ら選択する。だが、その選択は遅らせることもできる。貴方が時々刻々に何に何を行うか、これは貴方と法との相互作用で決定されるのであって、しかもその相互作用は自動的に行われる。また、どの程度の進歩を選ぶかは、進歩の現時点での本人の意識の反応、それによって決定される。」
 
今回の内容には改めて神様の摂理の完璧なことを痛感させられた。自分自身と法との相互作用で決定され、それが自動的に行われるという。更に進歩の程度や意識の反応によって、先の進歩が決定されるということに、奥が深いということと同時にすべてが完璧なのだと思わずにはいられない。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングは、少し気落ちすることがあったのだが、お祈りしているうちにどんどん気持ちが前向きに変わり、いつもの自分に戻って行うことができた。本当に有難い。気持ちの持ち方を切り替えるということは、かなり難しいと感じていただけに、今回自分自身が体験して、こんなにも早く気持ちを切り替えることが出来た事に、ただただ有難い想いで一杯だった。

284回目の瞑想

光り輝く
 
「皆さんからシルバー・バーチと呼ばれている私は、霊界の無限の知識のほんの一小部分を代表しているにすぎない。皆さんが成長するにつれて、私よりもっと偉大な霊師達は、私を使ってもっと高級な知識と知恵を皆さんに伝える事ができる。もうこれでおしまい、ということはない。完全は留まるところを知らない。皆さんは進歩しつつある、そうして私もまた。私より高い所にいる霊達がこう言っている、彼等の背後には、更に高級な霊達があって働いていると。上には上と、そこに終わりはない。もし人がその終点に到達するなら、それが創造の終わりということになるから。」
 
この内容を読んで、本当に奥が深い、深すぎるのだと思った。この地球上にいる人間のレベルが知れるということになる。でも、それでも一歩一歩着実に進むしか上にあがることはできない。だからこそ、今この時に霊的真理を知り、神様の摂理に適う生き方をすることこそが、再びこの地球に再生し、艱難辛苦を味わう必要がなくなるのではないかと思う。そう願いたいものだ。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のお祈りとヒーリングでは、お祈りをした後はほとんど意識はなかった。
 
ところで、昨日は本当にびっくりすることがあった。
新しく備忘録をご覧になっている方もいるので、簡単に事情を書いておく。
主人は5年前に脳出血をして、最初は二言しか話せなかったのだ。手術、リハビリなどで、日常生活にはほとんど支障がない程度に回復させてもらったが、後遺症である読み書きについては依然としておぼつかない状態だった。単語もすぐには出てこない。そんな状態なので、退院してから今まで、電話にはほとんど出ない。特に知らない番号からの電話は皆無であった。また他人との会話も極力避けていた。ということで、すべて私が一切を担っていたのである。だが、何日か前のヒーリングで細胞の活性化ができたのではないかと楽しみにしていたことが現実に起きたのである。
それは昨日のこと、主人が知らない番号からの電話に出て応対したのである。出ただけでも大変なことだったのに、キチンと応対までしたのだ。これは我が家にとって画期的なことであった。決して大げさではない。また大事な用件があってお昼間外出したのだが、その時にも今まで主人は言いたいことを私に話して、私から相手に話していたのだが、昨日は違ったのだ。自分から相手に大切な用件を伝えたのだ。もうもう私は目が飛び出そうになるほど驚いた。しかもそれを相手が違う状態で2回も積極的に自分から話をしていき、単語もスラスラと出ていたのだ。感激だった。こんな主人を何年ぶりかで見られることになるとは思いもしなかったので、涙が出た。
病気前は仕事上で5000人もの前で講演するほど話術に長けていた人だったし、部下の結婚式には必ず祝辞を述べて皆さんから好評を頂いていたのだ。なのでどれだけの葛藤があっただろうと、その胸の内を想像する度に私も苦しくなっていたのである。
ヒーリングの威力というものを間近に感じさせて頂き、現実に起きて体験出来た事に、夫婦で心から神様に感謝した。もちろん、まだまだ完璧ではないが、必ず良くなると確信が持てた。改めてヒーリングの効果が出た時には、やはり奇跡(奇跡はないが)のようなことが起きるのだと思わずにはいられなかった。

285回目の瞑想 

光り輝く
 
「一切が神の息である。たとえば地上最低の生命形式も神とつながっており、また過去地上生活を終えた最高の聖者とも結ばれている。それはすべての内部に神が在り給うからだ。従って、地上最悪の人間と至純の魂の人とも兄弟である。互いの内部には、同じ神の息がこめられているから、誰も皆、神の法を超える事はできない。お互いは皆、深い縁で結ばれた間柄だからだ。」
 
今回の内容は、なかなか受け入れ難い内容ではあるが、真実なのだから、受け入れるしかない。ただ、いろいろな残虐なことをニュースで見る度に心を痛めて来たし、特に動物虐待する人に関しては、やはり受け入れ難いし、許す事など到底できない思いだ。そういう人とも深い縁で結ばれている間柄と言われても感情が納得できないでいる。これを受け入れるには時間がかかりそうだと思う。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
ヒーリング中、ほとんど意識は遠のいていた。1回のみ映像が出現した。稲妻のような光りがあちこちで光っており、その真ん中に光輝く大きな星があった。
 
生まれてから今まで、私は神様に護られているということを実感しながら、生きて来ている。昨日もそのことを実感できることがあった。その前にちょっと 前置きを・・・・
結婚前の実家での暮らしは音楽がメインの暮らしであった。私は母のお腹にいた頃から姉のヴァイオリンを聴いていたし、生まれてからも姉のヴァイオリンと共に育ったようなもので、ヴァイオリンの音色は私にとって唯一無二の音色でなのである。また家族が揃うと歌を皆で合掌したり、姉のヴァイオリンと私のピアノで演奏したり、と常に音楽と共に暮らしてきたので、私とって音楽は欠かせないものであり、必須なものなのだ。そして姉がプロオケに入団すると私はそこの定期会員にもなって、月に一度、生の音楽を聴きに行っていたのだ。それは今もなお続いている。
そこで本題に入るのだが、今はコロナ禍で、今年の演奏会は初めから開催側のキャンセル続きで、生の音楽は全く聴くことができないでいた。だが、今月の演奏会は普通に開催するとのハガキを頂き、行くべきかどうかを悩んでいた。けれどなぜか行くことに決めて、昨日行ってきたのである。主人はとても心配していたが、決められた席に着き、演奏時間は刻々と近づいてくる。それと同時に人も続々と会場に入って来て席に着く。コロナ禍ではあるが、皆やはり生の音楽を所望していたのであろう。そして演奏が始まる直前に感じたのだが、私達夫婦の席の周りだけ、囲われたように空席だったのだ。その時の護られ感は半端ない思いで一杯だった。心の中で感謝し、心からお久しぶりの生の演奏を楽しませてもらったのである。

286回目の瞑想

光り輝く
 
「いろいろな種を含んだ類魂がある。かつて猿であり魚であり鳥であったのは貴方ではない。それは今、貴方の身体を通じて働いているこの類魂である。貴方はその類魂の一部。」
 
この類魂の概念もかなり奥が深い。簡単には人間には理解し難いことだと思う。霊的真理を学ぶ過程で、しっかりと身につけたいものである。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
ヒーリング中、ほとんど意識は遠のいていた。穏やかな気持ちで我に戻った。今日は知人が手術をするので、そのお祈りとヒーリングもさせて頂いた。また主人はその方にLINEで応援のエールを送っていて、やはりびっくりだった。今までは私が主人の代わりにLINEも送っていたので、それも出来るようになったことに、本当に有難かった。日々出来る事が増えて行っているように感じる。

287回目の瞑想

光り輝く

 
「(問) 生まれつき跛者とか盲目とか、自分の罪でもないのに、どうしてこういう子供が生まれるのか。
(答)魂のことは、外側から見ては分からない。魂の進歩の問題と、その道具である肉体の問題とを混同してはいけない。たしかにいわゆる不具はある。それは両親かまたそのどちらかからの、遺伝という自然法則に基づくものだが、しかしそのために、魂の進歩に支障をきたすということはない。
生まれつき肉体に欠陥のある人は、一般に魂のどこかに、償わねばならない点があるのであって、この障害を通じて、これらの人達は、以前よりも親切で、寛大温和な性質を獲得するのである。この宇宙には、償いという永遠の原理があるのであって、何ものもこの因果の法を免れるものはない。」
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングでは、やはりほとんど意識は遠のいてた。
だが、ヒーリングが終わり、曲のクライマックスが近づくと同時に神様とのつながりを強く感じさせてもらい、気持ちが高揚する。更に身体の感覚がなくなり、ただ胸の辺りだけが、神様の愛のエネルギーを吸入したかのように、胸いっぱいに膨らんだ感覚になった。そして感謝の気持ちが込み上げてくると、自然に神様、ご守護霊様、ご指導霊様、霊界の皆様、そして楓様に母と息子に感謝の言葉を唱えていた。このような気持ちになれる時は、最高の悦びに心が躍るのだ。瞑想を終えると嬉し涙がこぼれてきた。

288回目の瞑想 

光り輝く
 
「(問)私達は死ぬと皆、地上経験を耐えた自分の人格で評価されるわけだが、精神病者で自分で責任をとれない人は、どういうことになるのか。
(答)貴方は物質の事と霊の事を混同している。脳細胞が狂っていれば、地上では混乱を引き起こす。だが魂の方は、仮に機械の狂いのために、地上では自己表現できなくても、自分の責任はちゃんと心得ている。
神法は、本人の魂の進歩の程度に応じて働く。魂は永遠の英知の物差しで評価され、決して地上の規準で計られる事はない。地上の規準に違反する魂は、地上の物差しでは悪い評価を受けるだろうが、魂にその事の責任をとるだけの資質がなければ、霊界では問題にされることはない。このことは、いわゆる狂人が人を殺し、自殺をした場合も同様である。機械が故障なのだから、これは非難するわけにいかない。他界における裁きの規準は、常に魂の動機による規準、これである。これによる限り、誤謬というものはない。」
 
今回の内容はいささか衝撃であった。精神病患者は例え人を殺しても、霊界では何のお咎めもないということに理性が納得できないでいる。ではなぜ機械が故障した状態でこの世を生きるのだろうか。そこに意味はあるのだろうか。っと疑問だらけになる。霊界では動機がすべてということだが、機械が故障している場合は動機というものがないということになるからだろうか。でも魂自体は責任をちゃんと心得ているとも言われている。ということは機械が故障していたとしても魂自体に責任をとれる資質があれば霊界での裁きがあると解釈できるのか。どうなのだろう。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。今朝のヒーリングでは、ほぼ意識が遠のいてた。曲の3回目が始まった時に我に戻った。

289回目の瞑想

光り輝く
 
 
「(問)肉体の故障のために、魂が地上生活の教訓を学べない時は、霊界ではどんな位置を占めますか。
(答)機械が故障だから、魂には経験が記録されない。だから、こういう魂は地上経験を損したことになる。つまり肉体的経験の価値をもたなかったことになる。しかし償いの原理は絶えず働き続けている。」
 
では何のためにこういう魂は地上に生まれてくるのか。地上経験が魂に記録もされず、地上経験を損をし、価値ももたないというのに。それでも魂にとって必要なことなのだろうか。更に質問してお答えが欲しいところだ。
 
今私はホワイト・イーグルの「霊性進化の道」という本も読んでいる。更にはホワイト・イーグルの「天使と妖精」「カルマの法則」、偉大なヒーラー・ダスカロスと著者である社会学者であるマルキデスという方との対話が収録された「メッセンジャー」(3部作の第1作目)を読む予定である。その中で今の人間に大事であろう内容を記して行きたいと思っている。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングも、ほとんど意識は遠のいてた。ちょうど二回目の曲が終わる頃に我に戻った。すると目には涙が溜まっていたらしく、目を開けると涙がこぼれ落ちてきた。

290回目の瞑想

光り輝く
 
「調和と真理と愛のふる里へ、皆さんの意識を高めてあげたいもの。すべての者にそなわる内在の力を目覚めさせてあげたいもの。貴方がたが霊に目覚め、霊界の調和と真理を享受できるように。
真理とは霊的な法であり、神法を反映した実態である。しかし、人は霊界の真理を身に行えるようになる前に、先ず肉体的、精神的、霊的に身を整えねばならない。
吾々はこれまで多くの心霊談や死後生存の証明の話を耳にしてきた。いずれも科学的見地ということを強調しながらも、どちからかというと、心霊の立脚点は科学的ではないというようなものだった。しかし、これは間違っている。吾等は霊的な法則に非科学的なものは一切ないということを明言しておきたい。科学の学説は、ほとんど時代と共に移り変わる。今日真理とされたものは、明日は誤りとされ忘れ去られる。しかし、霊的法則は永遠の真理である。霊的法則の場合は、人間の進化成長のほかはなんの変化もない、即ち、人間の内的我の自覚が進むにつれて、その知り得る真理は増大していく。しかし法そのものは不変なのである。」
 
今日はホワイト・イーグルの「霊性進化の道」からの内容を記した。
今日の瞑想の最後にあるお言葉を頂いた。
真義のほどは定かではないが、しばらくホワイト・イーグルの本の内容を記して行きたいと思う。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングとお祈りは、最初は意識があったものの、やはりいつの間にか意識が遠のく。終わり間近に全身の感覚がなくなるのだが、熱さだけは感じ、両手の平のジリジリ感と熱さも感じた。そして身体から抜け出しそうな感覚に襲われた時に、直感し、お言葉を頂いたのだ。今は夢のようである。

291回目の瞑想

光り輝く
 
「人生の窮極の目的は、人間の内在我の働きによって真理を発見すること、これである。この真理は人間の内部に深く埋もれているのであって、人がこれを求めていくにつれ、今までそびえ立っていた小我の障壁は取り除かれ、人は諸種の自由を獲得するに至る。他界に在るいとしい者達と交通する自由、生命の力であり人を癒やす力である宇宙光線との接触、この力を使って人々に奉仕するための自由、また、人類救済のために働いている諸霊と交通する自由、これらである。
天頂に至る道は険しく長い。前途の栄光を一べつするまで、人は物質界の産みの苦しみをなめねばならない。痛み・病気・孤独・制約、これらの苦しみ。また恐怖・怒り・心配、これらは後を絶たず、矛盾や闘争で心身は苛まれる。しかし、肉体から解放されなければ、幸福も真実の生活も得られないというわけではない。事実、肉体から解放されても、地上で霊を求めることをしなかった者は、依然として完全な自由と喜びを見出すことはないのである。」
 
今回の内容でも、霊的真理に目覚めることの大切さを教えて頂いていると思う。生きとし生けるものは必ず身体を脱ぎ捨て、向こうの世界へ移行する時が来るのだ。今生で霊的な知識を知る事は、向こうの世界へ移行した時に自由を満喫できる手かがりでもあると思う。まずは霊的真理を学ぶことが必須であると思われる。
 
今日の瞑想では、ホワイト・イーグル霊の呼吸法を試みた。息を吸う度に神がわが内に入り給うという気持ちで、吐く時には全生命に向かって放てとのこと。(呼吸法についてはいづれ詳しく記す機会もあると思う)
すると、ただただ心身共に有難い思いになる。こんな感覚は初めてであった。有難くて有難くて涙もこぼれまくる。その想いにしばらくは茫然としていた。そして慈悲のお祈りをして、いつものようにヒーリングとお祈りをさせて頂こうとしたのだが、いつもと何だか身体の様子がおかしい。ソファに座っているのだが、のけぞるような姿勢になって行く。するといきなりお言葉が
「心静かに聞かれよ。悩める心はわかる。霊的真理の普及を志す者の通るべき道である。だが焦りは禁物である。
そなたは遙か遠くの時を経て、神を求め信じて来た。その信心はとても深い。今生も何事があっても、神を信じる気持ちを失わず、最愛の我が子を失ってもその心が動じる事はなかった。その信心の深さは尊い。これからもその信心の深さをもって何事も対処されよ。」と。(すぐには書けなかったので、一言一句同じかどうか自信はないが、このようなニュアンスではあった)
この後は涙が流れる中、しばらく放心状態であった。すぐにはヒーリングとお祈りができる状態にはならなかった。やっと我に戻り、ヒーリングとお祈りを始めたが身体中に電流が流れているように感じ、両手の平の強さはかなりなもので痛かった。

292回目の瞑想

光り輝く
 
『知る人・知らぬ人』
「ある賢者が言った、この世には唯二つの種類の人々がいる。つまり「知る人と、知らぬ人」前者は、神が常にいずこにも居ますことを知っている。それは心の慰めであり、心をひきたてるものであることを。この者達は、英知と美の高い世界から、指導と啓発が得られることを承知している。後者は、上記のことは何も知らず、これらを無視ないしは嘲笑しており、当然のことながら、暗室の中の囚人のような具合に生活をしている。これを知る者、少なくとも知り始めている者は、たゆまぬ努力、体験、苦しみを乗り越えて、これを学びとったのである。彼等はこの知を逃さぬよう、なお慎重であり、且つ努力しているに違いない。と申すのは、霊の光を成長させる切願が存在する反面、心中の光に疑念をもたせ、これに反目し、滅ぼそうとする世俗の心も存在するからである。人間の闘いは厳しく、永く続けられねばならない。内心の光が、疑念を食い滅ぼして、再び頭を持ち上げぬほど強力にたくましくなるまで。
吾々はたえず外界からの誘惑に襲われている。それにも拘わらず、吾々は霊の声に耳傾ける努力を一向にしていないのではないか。霊界はないとか、霊癒はないとか言う人々に、丸め込まれてはいけない。彼等は暗闇の住人「知らぬ人々」である。このような人々には愛の光を送られよ。彼等もいつかは知る時が来ることを心得ておかれよ。この者達に貴方の意見を強制してはいけない。言い争いが実を結んだり、相手に信を呼び起こしたりすることはめったにないから。皆さんは自分の選んだ道にあって、霊の声から耳をはなしてはいけない。」
 
今回の内容にもあるが、だからこそ霊的真理の普及の難しさを感じる。知った人にとっては、知らない人に何とか伝えたいと思っているのだが、その真意のほどが伝わらない。絶対的な証拠を前にしても信じない人は信じないのだ。これは身内であっても赤の他人であっても同じだ。信じられる人は何の証拠もなくても信じる。やはりタイミングがとても大事なのだと思う。そして宣伝して伝えることなく、霊的真理を受容できる人は、その人の方から来られるのだそうだ。焦りは禁物と言われたが、一人でも多くの方にこの霊的真理を受け入れる状態になって欲しいものだと切に願う。
  
今日の瞑想も、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングも、意識があるようなないような、そんなフワフワとした感覚だった。
昨日の朝の夢だったのだが、低い界(煽り運転をして怒鳴っている人もいた)に連れて行かれたようだった。最初は自分がその界から抜け出せないでいるように感じていたが、ある方のある声で(内容はわからない)そこに見聞しに来たのだということがわかり、自分がそこから離れたいと思った瞬間に離れていたというリアルな夢だった。寝ている間にも、いろいろと勉強させられているように感じた。

271回目の瞑想

天使


『神を喜ばせるものは
「神はどんな建物の中にも閉じ込められるものではない。神はいずこにも在り給う。しかるに彼等は考える、石を築き大きな尖塔を造り、窓には色ガラスをはめるが故に、神を喜ばせていると。神は何を喜び給うか。太陽が人々の心を明るし、雨が穀物の実りをもたらす時、神は喜び給うのである。」
 
永い間、神を帝王のように人類は祭り上げてきた。そうすることで、儲けたり高い尊敬を得たのが、神を高価な建物の中に飾り立てた神職・僧侶達である。神は万人と共に在りたいと思われる。神は万人の胸の中に一人ずつおいでになる。そのことを知れば、神を敬うのに金銭は無用、神と一つになるのに、建物も高い布施も不要、愛の布施の外は。
 
  今朝の瞑想も、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
ヒーリングが始まると、最初こそは意識がはっきりとしていたが、徐々に意識は遠のいていった。時折戻ると、身体全体が微量な電気が流れているように感じた。また「神様の偉大なるパワーと愛のエネルギーが流れて行きますように」と唱えると感謝の思いで涙が流れた。そして一人でも多くの人が内在する魂に気付いてほしい、感じてほしい、神様の分身だということをわかって欲しいという想いが強まる。
昨日の主人へのヒーリングでは、頭の温かさはもちろんのこと、今回は顔全体も温かくなったと言っていた。ただほとんどは気持ち良くて寝てしまっていたらしい。

272回目の瞑想

光り輝く


『通信の目的』
「私達が地上に降りて来たのは、人々に霊的生命の秘義を伝えるためである。この真理が地上に広がれば、戦争や革命にもまして、一大変革が地上に起こる事になる。それは魂の変革である。その時、世界のあらゆる所で、人々は天賦の賜物に目覚めて、魂の自由を限りなく追求することになる。その時、初めて世界から鎖が消える、今まで人々を縛りつけていた足枷が。」
 
目を閉じて目を開いたら、私達は別世界の地球を見ることになろう。そんな変革が今地球に起ころうとしている。誰がそんなこと信じよう。でも戦争も流血もない地球がもうすぐ目の前にある。一滴の血をコップに落とせば、水はピンクになる。その一滴の血が高級霊がもたらす霊的生命の秘義である。その秘義は貴方の中にあると、シルバーバーチは伝えに来ている。地球人が忘れていた天賦の賜物、貴方の中の神からのプレゼント、それが目を覚ます時、地球上の鎖がすべて解ける。それが革命である。バーチはこれから言葉のラッパを吹き鳴らそうとしている。地球にこれから魂の変革が始まる。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝はお天気同様に清々しい気持ちでヒーリングを行わせて頂けた。やはりほとんど意識は遠のいていて、音楽が三回目に突入していたのだ。終わってからも満ち足りた想いだった。
今日のお題ような日が早く地球に訪れて欲しいものだと切に願う。

273回目の瞑想

光り輝く
 
『人は囚人』
「(問)物質界は私達の目に映るように、霊的な目には、霊界は自然であり、かつ物体のように見えるのですか。
(答)それははるかに実体をもったものに見える。皆さんは、現在いわば囚人である。貴方の周囲には、肉体という壁がそびえ立ち、貴方を閉じ込めている。だから、貴方は本当の自分というものは、ほんのわずかしか発揮していないのだ。」
 
神の目から見ると、人間は牢獄に入った囚人であるそうな。きっと中にいる囚人の姿がピカピカの神々のように見えるからだろう。それなのに人間は、牢獄の中から出たがらない。壁を高くしてその中の楽しみに恋々とし、極度に死を怖れている。神の目からご覧になると、早く外に出ればいいのにと思っておいでだろう。外に出るとは肉体を捨てる事ではない。妙手がある。壁の中に居たままで外に住むのである。他人と他人を区切っているものが肉体という壁だから、その区切りをサッサと壊せばよい。神はきっと高い所からご覧になりながら、やっと人間の本当の身体から出る光が、肉体という壁を通過して、隣の人の身体へ届いたことを確認なさり、満足なさるだろう。「愛」というのは壁を壊す妙手。私達が肉体と思っているものは「他人」と思っている心の壁にすぎない。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のお祈りとヒーリングでは、何とも形容しがたい感覚、微量な電気が流れ、それによって身体が浮くような感覚になる。気持ちも高揚し、ただただ神様やご守護霊様、ご指導霊様に感謝の想いで心か満たされる。すると目の前に光が現れる。それがまた素晴らしい光景なのだ。その時の高揚は言葉では現せない。そしてまた個々の相手に感じる想いも自分自身に起きていることとして感じることができるようになってきた。素晴らしいことだと思う。有難いと思わずにはおられない。感謝の想いで毎日を過ごせることにまた感謝している。

274回目の瞑想 

光り輝く
 
今日はヒーリングさせて頂いている時のお祈りについてお話ししたいと思う。ヒーリング時のお祈りは、もちろん神様、ご守護霊様、ご指導霊様、そしていつも護って下さっている霊界の皆様方、またいつもご協力頂いているご霊医の皆様方、そして楓様に感謝のお言葉とお力添えのお言葉を述べさせてもらっている。その後、相手の方の症状の改善をお願いしてきた。私自身ヒーリングができるようになって、シルバーバーチのお言葉やハリーエドワーズ氏またヒーリングされてきた方のお言葉などを読み、どのようにすれば功を奏するのかを模索してきていた。そして、最近になって、個々の症状ではなく、魂に訴えかけるようなお祈りに変えている。相手のご守護霊様、ご指導霊様に相手の内在する魂に働きかけてもらえるようにお力添えをお願いし、そして神様の偉大なるパワーと愛のエネルギ−が相手に流れて行きますようにお力をお貸し下さい。更に内在する魂に届きますように、伝わりますように、響きますように、そしてどうか内在する魂が輝き発揮できますようによろしくお願い致します。というようなお祈りに変えたのだ。これはシルバーバーチのお言葉に「魂への祈りは、その人から心霊エネルギーが放射され、支配霊はこれを利用できる」とあったことに他ならない。
 
早速昨日、ずっとヒーリングを続けている知人のご夫婦の奥様からお電話があった。その方は過去にかなり過酷な状況に遭い、うつ病で何年も苦しまれていたのだ。しかもその間いろいろな事を試されたようだったが、良くならなかったとのこと。けれど、お電話でのお話しは、寝たり起きたりの生活だったのが、横になる時間も回数も減ってきているとの感謝のお言葉だった。前はベッドを見る度に横にならずにはいられなかったらしいが、最近はベッドを見てもまだ横にならなくも大丈夫と思えるようになってきたとのことで、それが本当に有難いとお話しして頂いた。私としても、とても嬉しかった。またご主人も身体の症状はあまり変わらないらしいが、人として変わって来ているとの事。身体の症状でイライラが酷かったそうだが、最近はそのイライラの感じが変わってきているとのこと。また顔つきも穏やかになり、人に対する奉仕にも関心を示しているようだ。以前では考えられないと言われていた。このようなことからも魂に訴えかけることは知らず知らずのうちに心の持ちようが変わって行くのではないかと、今回のお話しを聞かせてもらえて確信めいた気持ちになれた。これからもヒーリング時のお祈りは内在する魂に伝わるようにして行くつもりである。

275回目の瞑想

光り輝く
 
『革命が必要』
「教会の扉にはどこにも『我等は真理のみ忠誠を誓う』とは書いてない。むしろこう書いてある『我等は信条を説教する、我等は教義を支持する、我等は儀式をとり行う、我等は祭典を頼みとする』と。これではまことに、教会は真理に反対するための手段でしかない。」
 
教会もお寺も、神を建物の中に閉じ込めてしまった。人間の作った教義や自分の都合のよい信条の中に封じ込めてしまった。神はどこにでもおいでになる。今、人間と共に神の解放戦争が始まっている。神は貴方の中にいる。貴方が間もなく神の人となって歩く時代を開くために、教会や教義や信条の古い垣根を、人間の理性と、人々と地球への愛で、静かに破ろうとしている。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
ヒーリング中、ほとんど意識は遠のいていた。穏やかな気持ちで我に戻った。時折、目の前が明るくなったように感じたが、特に映像はなかった。

276回目の瞑想

光り輝く

 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングでは、最初すぐにハッキリとした宇宙空間の映像がしばらくの間出現する。その後、いろいろな映像が立て続き出現した。あまりにも早いテンポだったので何の映像なのかは認識する暇もなかった。その後、今度はあぐらをかいて座っている人の影が出現し、その頭に稲妻のような光りが上から流れる映像が、今度ははっきりと見えた。これはヒーリング時の様子を教えて頂いたのだろうか。瞑想やヒーリングをしていて、初めて出現した映像であった。その間も時折、意識は遠のいていた。
 
今までお題目として「シルバー・バーチに聞く」という本の内容を記してきたが、今度は「シルバー・バーチ霊言集」という本の内容を記そうと思う。これは当時シルバー・バーチの交霊会にも出席されていたトニーオーツセン氏(サイキック・ニューズ(週刊心霊紙)の編集長)が何百回に及ぶ交霊会の通信の中から問題別に一貫した思想となるように意図し、構成編集した内容である。前回の内容と重複する場合もあると思うが、大事な内容なので再度熟読して欲しいと思う。(今度はシルバー・バーチのお言葉のみの記載)

277回目の瞑想 

光り輝く
 
『人間の成長』
「種子は暗い土の中に置かれ、十分な力を養って生命を吹き出す。ちょうどそのように、人もやがて霊的生命を吹き出すために、予め暗い地上に置かれ、人間の経験を重ねて力を蓄える。人の最も嫌がる悲しみ・苦しみ・涙・失望・災い・苦痛・これらも実は魂にとり、極めて価値ある経験である。しかし、苦しんでいる時にはその事は分からない。後になって過去を振り返ってみると、それが初めて分かる。その場その時その事だけで、人生を判断してはいけない。逆境によって、人格は試練を受け、涙と悲しみによって、魂は力を得る。」
 
今日から「シルバー・バーチ霊言集」という本の内容を記している。だが本の順番ではなく、今人間にとって最も大切な内容から、記して行こうと思っている。最初は「人間の成長」と題された中からのシルバー・バーチのお言葉である。
 
今世界中がコロナ禍で人間は試練を受けている。これをどのように感じて行動するかが、とても大事なことなのだと思う。これを霊界からのものと信じて恐怖や恐れを感じず、お互いに相手を想い、愛と奉仕で必ずや乗り越えられるとの想いが世界を地球を救えるのではないかと思う。コロナ禍の中で混乱や暴力などは神の意図している事ではないし、他人を気遣うこともなく、自分だけという利己的な想いは以ての外だと思う。今こそ、神様の分身である世界中の人間が協力しあう時なのだと思う。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。今朝は、最初は意識がはっきりしていて、両手の(特に左手で胸の辺りまでも影響するほど)痺れ感が半端なかった。その間、映像というよりも、目の前が眩しいくらいの光りに覆われ、ただただ有難い想いになり、涙がこぼれた。その後はやはり意識が遠のいていた。二回目の曲が終わりに近づいた頃に戻り、清々しい気持ちで終わる事ができた。

278回目の瞑想

光り輝く
 
 
「私達は人生を見るに、肉の目をもってしない。生命の真実の姿を見通す霊の目をもってする。賢明な人とは、人生のあらゆることを、魂の成長のために生かそうとする人。こういう人はどんな試練にあっても、背中を見せようとはしない。内在の力を働かせて、困苦に直面しようとする。何となれば、人格の成長と強化は、実にこの精神にあるから。」  
 
この世は、見えることだけに重きを置いている。けれどシルバー・バーチのお言葉で、私達人間は霊であり、内在する魂は神様と繋がっており、神様の分身なのだということを教えて頂いた。そのことを信じられる人から、まずは霊の目で見えざるものも見るようにして行くべきである。例えそれが自分にとって過酷なことであっても、魂の成長のためには必須なこととして、有難く真摯に受けることが肝要なのだと思う。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングとお祈りの中で、(相手の方の)「内在する光輝く魂を発揮させて頂き、神様のお心を顕現させて頂けますようにお力添えをお願いします」という言葉を唱えると、それに比例するかのように、両手の平が強い電流が流れているような感覚になった。そして下方から光輝くように明るくなって行き、全体が眩しいくらいの明るさに包まれたのだ。素晴らしい体験であった。心から感謝の気持ちで一杯になった。
また明け方のことなのだが、ふと目を覚ましたが、すぐそのまま寝ようとすると宇宙空間が目の前に現れた。あまりにリアルで宇宙空間にいるような感覚になる。更にまた流れ星のような光りがあちこちで移動しながら光っているのだ。その荘厳な光景に圧倒されていた。夢なのか現実なのかわからないまま、またいつの間にか寝入ってしまったのである。(瞑想中以外で宇宙空間が出現するのは初めてであった)

279回目の瞑想

光り輝く
 
「人の自由意志は、自分が現在達している進歩の器量に応じて発揮できるにすぎない。人の行為もまた自己の器をこえて何事も為すことは出来ない。すべてその魂の進歩の段階によって、限定されているのである。」
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングとお祈りは、ほとんど意識があった。それぞれのヒーリングに気持ちを込めてさせて頂いた。その後の瞑想で、自分の想いを神様に申し上げていると、右側の後頭部から微妙な痺れような感覚が頭全体に、更に身体にも感じるように広がって行くのを何回か感じた。最後にお言葉を頂いたが、まだ確信できないので、確信できるようになったら、記したいと思う。
 
昨日の主人のヒーリング時に不思議な体験をする。
ヒーリングの際、主人はソファに横になり、私はイスに座って、肘置きを支えにして、主人の頭に手を当てている。いつも通りに手を当てていると何か変な感じになる。自分で手を動かそうとしても動かない。しばらくすると、動かされている感じで手が動いて行く。しかも肘置きを使っても、腕がだるくなる途中の箇所で止まった。今まではだるくなるので絶対に手を置かない場所だった。そこで止まったきり動かない。けれど、腕は全くだるくならなかった。その間、私自身は意識があると思っていたが、(曲も聴こえていたので)けれど、曲が終わるのがいつもよりもかなり早かったので、意識があるようでなかったみたいだった。また手の平に何か動きがあるように感じ、主人が動いているのかと見たが、全く微動だにしていなかった。けれどその動きはしばらく続いていた。何が動いていたのかはわからない。そして曲の終わる数分前くらいに、やっと手が自由になった。しかも腕のだるさも疲れもなかった。
主人はというと、いつもはほとんど曲が終わると先に「どうもありがとう」と声をかけてくれるのだが、昨日は曲が終わってもしばらく動かなかった。 起きてからの主人の感想を聞くと「頭の中が止まっている感じだった」と。また右手のジリジリ感が凄かったらしい。
  これは一体何を意味するのだろうか。どなたか霊医の方が私の手を使ってパワーを入れて下さったのだろうか。もしそうなら、本当に有難いことである。 

280回目の瞑想

光り輝く
 
「人は神の一部であり、無限の神性が発揮できるようになっている。人はその神性が発揮されるにつれ、髙遠な法が分かるようになる。この法は、他の法と矛盾するものではなく、人の進歩に応じて、初めて感得できるものなのである。」
 
「 進歩に応じて 」ということを、最近は本当に痛感している。無限の神性が内在にありながら、それを発揮するには、その人の霊格に左右される。
どれだけ、神を信じ、お願いしても、やはり奉仕の実践がなければ達成されないのだとつくづく感じている。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングとお祈りは、意識があり、相手の方に対して真摯に内在の魂に働きかけて頂けるようにお祈りした。また瞑想では自分の内在の魂を目覚めさせて頂き、発揮させて頂けるようにお祈りした。神様の摂理に適う生き方ができること、それが唯一の願いであるから。

281回目の瞑想

光り輝く
 
「人間の可能性は限界はなく無限である。美の極限、音楽の輝き、いずれも際限はない。魂が高く進歩の枠を広げていけば、美と調和の世界は、ますます大きく魂の前に展開される。貴方が向上するにつれ、一層広大な調和の世界が、貴方をそこで待ち受けている。」
 
人間の可能性は無限であると言われているが、これまた進歩に応じてというのことなのだと思う。なのでこの境地に辿り着くには、まだまだ遠いと痛感する。けれど、この目的と目標だけは常に失わないように自分を律して行かなければいけない。それは日々の行いを律するということ。何気ない言葉、何気ない行動、何気ない思念、これはすべて自分で責任を負わなければいけないということだ。明日は今日の自分の行動の結果だと言う。ひいては未来は今現在の自分自身が創っていることになる。そのためにも早く自分自身が霊であること、神様に繋がっている内在する魂が存在していて神様の分身であるということを知らなければいけない。
  
今日の瞑想も、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングも、意識がはっきりとしていた。相手の方に対してのお祈りを唱えていると、また光輝く明るさが目の前を覆った。それと同時に両手のビリビリ感も強くなる。明るさを感じさせてもらえる時は自分の心も高揚する。ヒーリングに必ず良い効果が得られると信じている。

260回目の瞑想

天使


『死は悲しいことではない
「死ぬことは悲しいことではない。地上で生きること、それこそ悲劇である。利己主義と強欲と貪欲の雑草が生い茂り、まさに息絶えそうな神の国を見ること、それこそ悲劇である。」
 
所変われば品変わるというが、これはまあ見事に品が変わっている。「死ぬことは悲しいことではない」そうな。「地上で生きてることが、悲劇である」そうな。それなのに人間は反対のことを考えている。「死にたくない」そのために、人を千人殺したって自分は生きていたい。これだから地上は「強欲と貪欲の雑草が生い茂り、まさに息絶えそう」になっている。こんな国なら住みたくない、だからバーチの見解の方が正しい。地上をこんなふうにしたのは「利己主義」である。いま反対に裏返して見ようではないか。利己主義から愛へ。そうすれば皆が住みたい「神の国」になる。どっちが得か?単純な小学校一年生の計算が出来ずに、まだマゴマゴしてるのが私達地上の現状である。
 
 
今朝の瞑想も、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
ヒーリングが始まると、ほとんど意識はない状態だった。時折戻ると、両手の痺れ感(と書いたが単なる痺れとは違うような感覚)が物凄く、身体にまで影響するような強さだった。特に「神様の偉大なるパワーと愛のエネルギーが流れて行きますように」と唱えた時の強さは半端ない。私のこの状態に比例して相手に届いて欲しいと思わずにはいられなかった。
主人へのヒーリングも同じような感覚になる。最近寝ることが多くなっているが、その間お腹がキュルキュルと鳴ったりもしている。終了後起きて感想を聞くと「頭がとても温かくて、フワ〜っとしている。スッキリ感もある」と。だからなのか、最近では主人から、率先してヒーリングする時間を設けるようになっている。

261回目の瞑想

光り輝く


『神は完全、生々発展の意念』
「(問)神も進歩しつつあるのですか。
(答)いや、神は法であり、法は完全である。だが、地球に現れる神の部分ということなら、その現れは地球の進歩に応じて進化しつつある。よろしいか、地球は進歩しつつある。地震などの諸現象はその進歩のしるしである。」
 
神が進歩するなら、不完全から完全へ進むということです。神はどの瞬間においても完全です。しかし、神は生々発展の意念です。だからその意念の表現である宇宙は進化します。人間はその神の意念の体現者です。自分も進化しながら宇宙も進化させるために、神の生々発展の意念を肉体の衣に包んで、物質界に下り、小さい神となっています。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
ヒーリング中に個々に「神様の偉大なるパワーそして愛のエネルギーが相手に流れますように」と唱えるのだが、今回は不思議な体験をした。実はある方の不調の原因となる「想い」がどんどんと浮かんで来た。心の解放がやっと出来る時が来たと思っていた。そしてある程度で終わりしようとしたが、終わりに出来ず、延々と想いは浮かぶ。浮かんでは消えを繰り返すことで終わると思っていたのだが、ある言葉が出て来たときに、それが原因ということを直感した。こんなことがヒーリングで、出来るのかどうかわからないが、その言葉が出てきたことで、終わりに出来た。また、ワンちゃんなのだが、今回は今までのお祈りと共にワンちゃん自身に語りかけていた。すると涙が流れてきて、気持ちが温かくなったのだ。今日のヒーリングはいつもと違っていたように思った。

262回目の瞑想

光り輝く
 
『最大のバイブルは宇宙』
「皆さんが聖書と呼ぶもの、あれは偉大な書だ。しかし世にはもっと偉大な聖書がある。それは神法によって支えられている宇宙、これである。」
 
バイブルも仏典も啓示の書である。但し二千年前の民衆の知的レベルと、民族カラーに合わせて伝えられたもの。聖書の原点は宇宙。宇宙の法則が聖書のエキス。その法則をスピリチュアリズムは近代人に合わせて、合理的に簡潔に捉えている。しかし、これを読むのは魂の目。魂の目は日常の愛と奉仕からしか生まれてこない。愛の目、浄らかな幼子の目だから。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のお祈りとヒーリングでも、過去の苦しい想いを手放す方法を教えて頂いた。
これがスムーズに出来るようになれば心の解放になるのではないかと思う。
昨日のことを、相手の方にお話した。日々、少しずつだが、快方に向かっていると言う。
(今まで色々と試して来ているが、良くなるかも知れないという気持ちに初めてなれたとも言って頂いた)
今回のことで益々気持ちが明るくなったようだった。有難いことだ。
主人も後遺症である諸症状が少しずつ変化してきているようだ。ヒーリングを続けて行くことで、
いつかその諸症状がなくなることを願っている。

263回目の瞑想 

光り輝く
 
『人は霊(神の分身)と知れば差別は消える』
「皆さんは正しいもののために立ち上がらねばならない。盲いた者達が霊の事業を阻害するに任せておいてはならない。皆さんはご存知ないが、いま進歩と平和と調和を目指す事業を隠そうとする、組織的な努力が進行している。人と人とを差別する、そんな考えを地上は一日も早く捨てねばならない。すべてが同じ神の子供である。このことを早く学びとって貰いたい。垣根を作るのは神ではない、人類自らである。神は人間一人一人にその分身を与え給うた。その故に、人は皆同じ神の部分である。」
 
これは戦争についてのバーチの教えの一部です。ここで注目すべき言葉は「いま進歩と平和と調和を目指す事業を隠そうとする、組織的な努力が進行している」これです。これは何か。サタンの地球支配計画がこれです。またサタンの地上代理人である陰の政府もこれです。バーチは暗にこの二つのものの存在を指摘しているのです。ハッキリ言えば、その当時としてはショックを起こすし、また必ずしも信じられない。でもそういう力や計画があって、神の「進歩と平和と調和を目指す事業」つまり地上天国化の事業を阻害するガンになっていることを言ったのです。戦争は人がみな神の子(神の分身)である真理を知らないことから起こります。それでもサタンも陰の政府も、人はみな能力や地位や財産や皮膚の色で違うのだという差別意識を煽ります。皆さん、皮膚の色はもちろん、能力や財産や地位や、外形で人を見ることはサタンの術策にはまることです。そうではなく、霊の存在を知り、霊は神の分身であるという スピリチュアリズムの真理をどうしても地上に広げましょう。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングも、ほとんど意識は飛んでいた。いつの間にか二回目の曲が終わる直前になっていて、気がついた。(一回目の曲が終わるのではないかと時計を見たが時間的に二回目だったのだ)その間、霊界での施術が行われているのではないかと思うし、思いたい。

264回目の瞑想

光り輝く
 
『法は完全で、自動的』
「法は完全であって、その働きは自動的である。誰一人として、この法を免れることは出来ない。自由意志、これさえも法である。
人の自由意志は、自分が現在達している進歩に応じて発揮出来るにすぎない。」  
 
一枚の木の葉がどこに落ちるかを、科学は予言することが出来ない。しかし神は完全に知っておられる。それは神が法であり、法は狂いなく作動しているからである。神といえども、勝手に変更なさりはしない。途中変更がもしあるとすれば、神はすべての葉の落ち先を今完全に知っていることは出来ないからである。そのように私達のした事、言った事、思った事は「因果律」によって完全に何一つ失われずに結果を出す。今何をするかは自分の自由意志で決める。唯、低級霊や邪霊に動かされる者は、自由意志を使っていない。己が理性で動く者は自由意志の大きな行使者である。何となれば、理性こそが本当の自分自身である「霊」であるから。欲と感情で動く者は、邪霊と低級霊の餌食にすぎない。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
ヒーリング中、ほとんど意識は遠のいていた。戻ってからも身体の感覚があるようなないような・・・不思議な感覚であった。
昨夜はある方のヒーリングにご協力させて頂いた。その間もほとんど意識は遠のいていたのだが、いきなり目の前が物凄い明るさで意識が戻った。目の前の映像は、金色の丸い形が光輝き、その周りも眩しいくらい発光していた。これは今までヒーリングさせて頂いていた時にも何回か出現した現象なのだが、何のための現象なのかがわからない。ヒーリングの相手になのか、私になのか。またなぜヒーリング中なのかということも不思議なのである。ただ、その映像をずっと見ていたい気持ちになるほど、素晴らしい輝きであるのは間違いない。

265回目の瞑想

光り輝く


『法を知れば幸福になる』
「地上も、英知と理解力が成長すれば、神法に従って生きるようになるだろう。法への素直さを身につけるようになるだろう。また地上に起こる悲劇、飢餓、災厄のすべては、神法の不履行から起こることを人類は学びとることになるだろう。」
 
自分の蒔いた種から、現在の自分の運命が作られているのです。これを因果律という。良い種とは、自分をさしおいて人に尽くすことです。これを幸福の原理と呼ぶ。因果律の幸福の原理は神法の中の一番大きな法です。たったこれだけのことを知れば、個人も人類全体も幸福になります。それなのに、人は良い種を蒔かずに、良い結果だけを求めたので、この焦りからこれまで個人も人類も失敗ばかりしてきました。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングでも、ほとんど意識が遠のいていたのだが、今回は不思議なことが起きた。それは意識が戻った瞬間もお祈りをしていたのだ。(通常は意識が戻った時にはボーッとしているものなのだが)自分でもびっくりであった。意識が遠のいている間もお祈りをしていたということなのだろうか。不思議だった。
主人のヒーリングの感想で、興味深い事を教えてもらった。毎回頭の温かくなる場所が変わるらしい。時には頭全体から耳にかけてだったり、時には左側の上半分だったり、その反対の右側だけだったり、また身体全体まで温かいというよりも熱くなったりもすると。更にその間に頭のいくつかの箇所で動きもあるらしい。(本人もそれをどう表現していいかわからないみたいだが)それも毎度違う箇所だということだ。もちろん、ただただ全体が温かく気持ち良かっただけの時もあるとのこと。ただ、いろいろな状態はありながらも、最終的に終わる時は、心地良いので止める事ができないと言っていた。私自身まだまだ未熟なのにも関わらず、良い結果を聞くにつれ、神様の偉大なるパワーにただただ感謝せずにはおられない。本当に有難い限りである。

266回目の瞑想 

光り輝く
 
『人は神』
「皆さんの魂に悦びが満ちていれば、それだけ皆さんは神に近づいていることになる。人は神。地上で、この貴方を犯すものは何もない。私が永年かかって皆さんに教えたいと思ったのはこのことである。
もし皆さんが物質に心煩わしているなら、貴方はこの教えを学ばなかった者である。だからといって、私は物質を無視せよと言っているのではない。人は物質世界にあって自己を発揮し、またしかるが故に物質世界に責任を負うものであるから。しかし決して、人は神であり、神が人である事を忘れてはいけない。神の力が貴方の中にある。この力によって、貴方はいかなる物質にもまさり、またそれに犯される事はない。これまさしく、一切の悪を退け、病気を克服し、あらゆる障害と闘うことのできる力である。だからこの力を使う者の数はきわめて少ない。
昔、イエスもそう教えたではないか「天国は貴方の内部に在る」と。」
 
今まで、備忘録を読んで頂いている人の中で、今回のお題に「あれ?」っと思った方もいらっしゃるのではないかと思う。そう、8月8日に書いている。今回再度書いた理由は、今日の瞑想中にも感じていたが、最後に「私は神様と繋がっている霊である」という言葉を不意に口を衝いて出ていたのだ。そして、開いたページが、このお題「人は神」だったことで、これは必然と思ったからに他ならない。また新しくこの備忘録を読んで下さっている方もおられるので、とても大事な内容なので再度書かせてもらった。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。今朝は、意識がはっきりしていた。けれども最初から涙がこぼれる。感謝の涙であった。また相手が良くなって欲しいという想いの涙でもあった。それぞれの対象の方々に、誠心誠意心を込めて、ヒーリングをさせて頂いた。その間、両手のみならず、身体にまでビリビリとした感覚になった。それと同時に神様に懇願し、相手を想う気持ちで更に感極まった。そして最後の言葉が前出の言葉だったのだ。終わってからの満ち足りた想いが、今まで以上であった。

267回目の瞑想

光り輝く
 
 
『あまりにも地上的』
「(問)私達は死後もその気になれば、進歩していいくことができますか。それと死後悪い心をもって、低い段階に沈むこともできますか。
(答)出来る。数百年いや時には数千年も進歩しないで止まっている霊魂が沢山いる。彼等は霊界に来ても、なお依然として、地上に強い執着を抱いているからである。彼等の生活はただ欲望と貪りに満ちていて、霊的法則を理解する気持ちなど、さらさらない。霊的な事は、彼等には蛙の面に水。彼等は依然として地上的、あまりにも地上的。従ってどんどん低い境涯へと沈んでいく。」
 
再生論者の中には、死後の進歩はないと言う。死後の霊界は次の再生の待合所のようなものだと説く。そんなことはない。再生を否定する論者は、死後は永遠の進歩の世界で、地上世界は一度きりだと説く。そんなことはない。地上は進歩の学校で、霊魂を磨く粗砥石のようなものだ。物質生活の苦と快が砥石の役をする。死後は裸の霊魂に返って、休息と地上生活の反省で霊魂の肌を滑らかに磨く。そうして再び地上生活に挑戦する。死後の反省が本物だったかどうかを試すために。幾度も繰返して、肉体や地上生活より、霊魂と霊の世界に無限の悦びを知った時、地上生活は上がりとなる。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングとお祈りの間は、ほとんど意識はなかったが、お久しぶりに宇宙空間の映像が出現した。流れ星のように光りが流れたり、幾何学模様が現れたりと、その情景はやはり見ていて心が洗われるようである。
昨日の主人のヒーリングの感想だが、頭の温かさはもちろんのこと、両手の平がビリビリしていたとのこと。見ると赤くなっていた。いずれ主人もヒーリングができるようになるのだろうか。
 
今回のお題の内容に、改めて今この地上にいる間に、霊的真理を知り、神の摂理に適った生き方をする事が人間にとって最も大事なことなのだと実感した。そうする事で、霊界での素晴らしい体験が待っているのだと思う。一人でも多くの人にその事を知って貰いたいと心から願う。
 
また、これは余談であるが、主人のスマホには予定表のアプリを入れてある。これは生前息子が主人のために登録してくれたものなのだ。だが、今回そのアプリが全く起動しなくなってしまった。息子が登録していたので、アカウントやパスワードもわからなかった。しかも私はこういう事にはとんと疎い。だが、なぜかトントン拍子で解決に向かった。これはきっと息子が手助けしてくれたに違いないと思ったのだ。私達夫婦が困っている時には、必ず助けてくれるということを確信したのである。

268回目の瞑想

光り輝く
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングとお祈りをさせて頂いていた時に、霊的真理の核心とも言えるべき事を教えて頂いた。(言葉としてではなく、直感だった)
今自分に起きている艱難辛苦の事実を先ずは受け止める。
なぜ受け止めなければいけないのか、それは自分にとって必要なことが起きているからなのだ。
この部分がとても重要なのである。そして、その艱難辛苦に心から感謝をする。それは他でもない内在する魂に気付かせてもらえる機会を与えてもらえるからだ。
自分にとって最も辛い状態を心から感謝出来ると言うことは、心の解放にも繋がる。
それは、神様は悦びの中にだけではなく、苦しみの中にもいらっしゃるからだ。
このことを感じると涙が止めどなく流れ、神様に感謝の思いで胸が一杯になった。
 
そして、今日のシルバーバーチのお言葉は息子の命日でもある9月2日と同じお言葉であった。まさにこのことを教えて頂いたと思い、再度書いておく。
 
『人生には一つの無駄もない』
「人のなめる経験は、すべてこれ本人の進歩を形作る一こまである。いつの日か、肉のくびきから解き放され、物質で曇らない目をもって、過ぎ来し地上の人生を振り返る時、人は初めて、あらゆる出来事を貫いて達観する。一つ一つの経験は、まさに置かれるべき場所に置かれていたと。またどの経験をとっても魂の進歩の教訓であり、また内在の可能性を自覚させる薬でないものはなかったと。」

269回目の瞑想

光り輝く
 
『結婚の意味』
「(問)愛し合っている二人は霊界に入ってから、再び一緒になりますか。
(答)男と女が愛し合い、その愛は一心同体のようであり、現界に在りながら同じ霊界に住んでいるような二人なら、死によっても二人は離れることはない。かえって死によって魂は自由となり、物質界にいた時よりも、更に緊密に一つになるのである。しかし、二人の結び付きが、魂のそれではなく、肉体だけの結婚で、霊的には別の世界に住んでいたものなら、死によって二人は離ればなれとなり、それぞれ固有の霊的世界へ入って行くのである。
男があり女がある、これはお互いがお互いに役立つからである。女は男に、男は女に必要である。神は、男女二つの原理をもって、完全なものとなし給うた。人が霊界で進歩するに従い、両者の相違はだんだんなくなっていく。」
 
離婚率が史上ピークとなり、結婚しない若い人達が増えるそうだ。バーチは魂の結び付きのないカップルはあの世で別れると言っている。この世で既に別れる人々が多いという事は、いかに魂の結び付きでない結婚が増えつつあるかということ。それに結婚を望まない人々が増えるということは、男女の魂の結び付きを望まない人が増えつつあるということ。神は、必要であるから男女をお創りになったのに。遠い霊界で進歩した暁には、男女の相違がなくなり、男も女も両相を備えた完成した魂となるというのに。魂で結び付くことをしない現代の若い人達は、永久に魂の完成することを拒否しようというのだろうか?
結婚の意味を現代ほど軽視している時代はない。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝のヒーリングでは、ほとんど意識はなかった。身体の感覚も感ていなかった。
今日のシルバーバーチのお言葉で、生前の母が言っていたことを思い出した。高級霊の方達は、男女の区別がなく皆中性の方ばかりだと言っていた。母はお祈りの時も寝ている時も霊界に赴いていてそれを記憶していた。そこで会われる方達は 皆両性を持ち合わせておられていて、見事なバランスを兼ね備えているとのこと。そうなるためには、どれ位の月日が必要なのだろうか。早くそこに到達したいものである。

270回目の瞑想

光り輝く
 
『イエスは霊的に再臨している』
「イエスは神の伝達係であった。彼は神の使命を帯びて物質界へ来た者であった。彼は地上での使命を終えた。だが終わっていない使命の残りがあって、いまこれを霊界から指示している。」
 
まだ終わっていない使命の残りとは、二千年前にやり損なって残したという意味ではない。二千年後の今日、終末の時に果たすために予定されていた神界計画の部分である。即ち、サタン改悛と、全人救済の地上天国化。今これをお読みの皆さんに、イエスの目が向けられている。光ったまなざしが貴方を見つめている。
  
今日の瞑想も、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
ヒーリング中、感謝の思いに涙が流れた。そして相手に対する想いも合わさってしばらく涙が出続けた。すると左手の痺れ感は凄かったが、右手もまた身体全体も何だか不思議な感覚に包まれた。更に感謝の気持ちが強くなる。しばらくは意識がはっきりしていたが、段々と意識が遠のいていった。
 
今またコロナの第3波が来たと騒がれている。またワクチンも90%も効果があるものができたとも言われている。
ただ私は前から、コロナに関しては全く恐怖や恐れがない。それはコロナに感染するもしないも、すべては神様の思し召しと思っているからである。私に必要であれば、コロナに感染するかも知れない。そうなった時には感謝して受けたいと思っている。それが霊的真理に適った生き方だと信じているからに他ならない。なので、ワクチンは受けるつもりはない。
このことを書くかどうか迷ったが、瞑想時にこの想いが強く出て来たので、お知らせすべきなのではないかと思った次第である。もちろん、これは私の考え方なので、それぞれ個々の考え方で、このコロナを乗り切って行って欲しいと切に願っている。

249回目の瞑想

天使


昨日の同じ症状が出た話をイクミ様にさせて頂くと、エンパスというものではないかと教えて頂いた。私は初めて聞く言葉だったので、調べてみると「共感力の高い人」とか「他人の感情を自分の感情のように感じてしまう」といった体質の人とあった。とりあえず頭に入れておくつもりでいたが、昨夜ヒーリングをさせて頂いた方と、またヒーリング後半に同じ症状を感じていたのだ。
もちろん、ヒーリング中には感じていた症状が同じ症状かどうかはわからなかったし、伺っていた症状とは違っていたので、何でこんな症状が出ているんだろうと思っていた。だが、今朝その方からのメールの内容で得心した。 やはり、私の感じた症状がその方にも出ていたとのこと。それで私はエンパスという体質なのだということを確信した。
全ては神様にお任せしているので、私に起きることはすべて必然だということも確信している。本当に有難いことである。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。いつも通り、お一人お一人時間をかけてのヒーリングは終わると充実感に満たされる。今回のことを受けて更に充実したヒーリングとなるように、精進して行きたいと強く思っている。

250回目の瞑想

光り輝く


『憑依防止網』
「(問)睡眠中に私達の霊魂は肉体から離れ、肉体は空き家同然になってしまうが、邪霊に憑依されませんか。
(答)自然の法はこういう憑依を防ぐようにちゃんと出来ている。その法とは、人は憑依される条件がない限り、決して未発達霊に憑依されることはあり得ない。・・・睡眠中は、貴方の肉体の扉が開いているから、他の霊魂が入り込んで扉を閉めるという風に考えてはいけない。それは全く違う。意識は依然として肉体を監督しながら、霊魂界で活動しているのであって、もう一度肉体と結び付く必要が起こったら、瞬間に肉体に戻って来るのである。」
 
睡眠中に肉体から霊魂が離れるといっても、縁が切れるわけではない。シルバーコードで寸分の狂いもなく結ばれている。ただ霊魂が肉体を使うことを休止しているだけである。言い換えると、霊である「意識」はシルバーコードを通じて覚醒時と全く同じように肉体を監視している。だから万一の時は瞬時に肉体を使い始めるから(つまり肉体に戻るから)いささかの不安も狂いも生じない。ただ睡眠中といえども、邪悪霊と交わりその感応を深くしていくことはある。これは覚醒時と全く同じことで、心の波長の関係で同気相ひくのである。もう一つ安心のために付言しておくと、幽体とエーテル体の間に憑依防止網というのが誰にでもある、滅多なことでは人は憑依を受けない仕組みになっている。その代わりこの防止網があるので、睡眠中に霊魂界に行って経験した記憶が、目覚めてから夢として持ち帰れないのである。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
ヒーリング中には「神様の偉大なるパワーそして愛のエネルギーが相手に流れますように」と一心不乱にお祈りした。するといつの間にか意識は遠のく。だが遠のきながらも、ふと気付くと相手が良くなるようにとお祈りをしている。その繰り返しである。両手のビリビリ感もかなりあり、時には痛いくらいになる。終了すると、晴れやかですっきりとし、満ち足りた気持ちになる。
今日のお題の内容のように、睡眠中と言えど、常に霊として活動しているということが、最近感じている。詳細な内容はなかなか思い出せないが、確かに仲間の霊達と何かしていたという感覚だけは起きた時に残っているのだ。その内容を何度か思い出そうと試みたが、思い出せそうで思い出せなかった。とても残念ではあるが、防止網で持ち帰ることができないのであれば仕方ないことなのだろう。

251回目の瞑想

光り輝く
 
『神は全知、されど人は・・・』
「(問)聖書には、神は一羽の雀が落ちるのも知り給うとあります。この世には無数の人口があるのに、その人達の細部まで、神はどのようにして知り給うのですか。
(答)神とは宇宙の法である。神はあらゆるものの内部に在り、万物はまた神である。・・・神法はすべてのものを支配し、この法の外に何ものも生じることなく、あらゆるものはこの法の枠の中に生じるから、神はあらゆる事を知り給う。」
 
神は万物を創造されたから、その中に居られます。その中に居られるから、その物の事はすべてご存じです。しかるに、人の中にも神は居られるのに、人は全くその事実に気付かず、折角神なのに、神である事実を知りません。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今朝はいつもに比べてかなり清々しい気持ちでお祈りとヒーリングが出来た。
ただ最近は完全に意識が遠のくことが多い。映像もほとんど見なくなっている。たまに夜の瞑想の時に宇宙空間に光りがあちこちに流れる映像を見る程度だ。
昨夜の主人のヒーリングでは、 とても気持ちがいいと言っていて、更に「 今日は頭から何かが(多分霊力のこと)ザザーザザーと入ってきた感じがした」と言っていた。(実際に音は聞こえてなかったようだがそんな感じで入ってきたらしい)
実は私も今回ははっきりと霊力が流れていく感じがわかったので、二人が一致したので、びっくりだったのだ。しかも私の左手は勝手に動いていき、指と指との間隔が大きく開いて、頭の位置も違う場所へと移動して行った。その時の霊力の強さは今までとは違っていたのだ。
改めて心から感謝の言葉を唱えた。

252回目の瞑想 

光り輝く
 
 
『地球人は死者も同然』
「死が恐ろしい顔で人の心を脅かす。だが死んで人は真に生き始めるのだ。今貴方は生きている。しかし本当は死んでいると言っても過言ではない。しかり、多くの人は霊的な事物に対しては、死者も同然だ。か細い生命力が、弱々しい肉体の中で、明滅している。だから霊的なことには、何の反応も示さないのだ。だが地上では、徐々に霊力が力を増していく。そうして暗黒が次第に後退していく。」
 
人が(地球人が)なぜエゴイズム(自己中心)の生き方を当たり前のことと思って疑わないのだろうか。そのたに不幸とはかいとを引き寄せて、何千年も釈迦が出てきてもキリストが出てきても、ビクともせずにその不幸と破壊の「苦の世界」が続くのだろうか?理由は至極簡単なところにある。地球人が自分のことを「物質」とか「動物」とか思っているからである。人は思った通りに世界も自分もなる。人は神だから。地球人は神ではない生き方をしているのである。動物とか石ころとかの。だから、自分が神であって、だから世界が自分であって、みんなが自分だということに気付かず、反対に世界は自分でないと思って、エゴイズムの生き方をとって平然としているのである。思えば勿体ないことである。自分の思った通りに自分も世界も成る、その神だということを忘れたばかりに。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。今日も、ほとんど意識は飛んでいたが、その中で光輝く光りが映像として現れると、流れる霊力の強さが一段と強くなった。ただただ有難く感謝の言葉を唱え続けた。そしてヒーリングによって、内なる魂の存在に働きかけて欲しいという思いも一段と強くなった。

253回目の瞑想

光り輝く
 
『どの人も神の片棒を担いでいる』
「広い目で宇宙を見渡せば、調和がその法則となっていて、貴方がた一人一人は、すべて神の計画の何らかの役を果たしている。」
 
一枚の木の葉がどこに落ちるかを、科学は永久に測定できない(不確定性原理)。しかし宇宙を創造された神は、どの一枚の木の葉の落ちる先もご存知である。一粒の砂がなくても砂浜は成り立つと人は思う。しかしその砂粒がなくてよいなら、同じような他の砂粒も無くてよい筈。しかしそれでは砂浜が消えてしまう。どの砂粒も形が違う。それらが集まって砂浜が存在する。まして、神に似た創造力を持つ貴方が今ここに在るということは、神の片棒を担いで地上で何かをするためである。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。ヒーリング中、ほとんど意識は遠のいていた。
今朝の夢なのだが、息子とお久しぶりに会えた。今日は息子の誕生日だからなのか、日々ピアノの練習もしているのだが、来年、姉とある演奏会で演奏することになっていて、その曲がかなり難しい。その中でも特に難しい箇所を弾いて息子に聴かせていたのだ。すると息子が凄いね。と言ってくれたのだ。起きてからびっくりだったが、とても嬉しい気持ちになった。またかなりリアルだったので、息子と会えたということも、実感できて有難かった。神様に心から感謝した。

254回目の瞑想

光り輝く


『戦争か平和か、地上のことは人が決める』
「私達は嫌だ。この霊界がもう一度、傷ついた魂達の病院となることは。皆さんは早く準備体制を整えて、私共の教えを、地上世界に普及してくれなければいけない。その必要が私達地上で働く霊界人の目にはよく見える。このことは私共が皆さんに代わってするわけにはいかない。私達は唯、皆さんが道を間違えたらどうなるか、その結果をだまって見ているだけ、またその結果、霊魂界に何が起こるのか、これを皆さんに示すことが出来るだけ。」(これは第二次大戦前の通信)
 
戦争は神が起こすのではない。それだから、黙っていれば神が戦争を止めてくれるわけのものでもない。戦争は人間の利己主義が起こす、それなら人間が利己主義を捨てて反対の愛の心で生きる努力を始めることからしか収まらない。バーチは「私共の教えを(早く)地上世界に普及してくれ」と訴えている。霊界人としてそこまでが限界である。戦争を始めるか止めるかは、全く地上人の自由に任されている。愛で生きるか利己主義で生きるか。それでは神はあるのか、守護霊はいないのか、バーチや霊界人は何をしているのかと、ぼやいてはいけない。「人は神」なのである。この神である私達が利己心をとるか愛で生きるか、それを地上で実践することで、地上に戦争を生んだり平和を生んだりさせられている。その結果が宇宙の進化を早めたり遅らせたりして、神の創造進化に影響を与えている。私達は地上世界を担当させられている神なのである。「人は神」とはそういう意味である。この神々が無自覚で悪神にばかりなっているので、今終末が来ている。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。今日はヒーリングとお祈りの間、意識が遠のいたり、戻ったりしていた。その間、映像のようなものも見えたのだが、はっきりと何かということはわからなかった。
今回のお題もこの世に生きている人間にとって、とても大事なことだ。現在も暗雲が立ちこめている状態なので、これがどちらに向かうかは、人間である私達の気持ち次第と言える。暴力は暴力しか生まない。それと同じで愛は愛のみがみなの心に響き、平和な世の中となる。一人でも多くの人がそのことに気付いて、愛国心を乗り越え、世界へ愛を向けるべきだと思う。

255回目の瞑想 

光り輝く
 
『進化』
「先頃まで、人類は猿であった。いや、正確に言うと猿ではなくて、猿の肉体を通じて働いている霊であった。この霊とは神の分身である。貴方はどこで生をうけようとも、神の息をもっている。これがなければ生命はあり得ないから。しかもこの神の息には段階がある。それは進化・発展、即ち低次のものから高次なものへと進んでいく変化が。」
 
人は猿ではない。猿の身体には神の霊は(神の分身・息)が宿っていないから。人は霊である。この神の霊が猿の身体に宿った。といっても、直接宿れない。霊が肉体(幽体を伴っている)に宿るには、霊の鞘(さや)である本体の他に、霊体をまとわねばならない。この霊体は猿が進化した時に、その群魂が昇華して作られる。この段階をへて、人である神の霊は猿の身体に宿って人間となった。人は輪廻転生を繰り返して進化し、肉体や幽体を浄化していく。もはや現世への転生を必要としなくなると、最終的に肉体を脱いで霊界人となる。これが神人、解脱、輪廻転生の終わり。そこまで進化し、発展し続ける。低次の猿のような状態から、神のような人への状態へと。結局、元の神に返る。肉体は神が物質界の経験をマスターして、新しい神になるステップである。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。今日は、かなり意識ははっきりしていた。途中、眩いばかりの光りの球体が映像として現れ、その周りを小さな十字の光りがキラキラと光っていた。思わず、その光りをオーラとして包んであげて下さいとお祈りしていた。
(全く同じではないが、画像のように光の周りの白い点々が十字の光りだった)
今日のお題のように、転生が必要なくなり、永遠に霊界人として更に進化できたらと願わずにはおられない。

256回目の瞑想

光り輝く
 
 
『新時代の到来を早める法』
「いま地上のあらゆる所に、不満の雲が漂っている。しかし夢溢れる春と成就の夏が近づいて来る。その到来は、神の子等がその自由意志を鍛える歩調に応じ、早くもなり遅くもなる。世界のどこでもよい、いま一人の人が他の一人を向上させようとすれば、その背後には、無数の霊魂がそれを助けようとひしめき合っている。どんな善への努力も失われることなく、どんな奉仕への願いも、無駄に終わることはない。
多数の者達と同じように、私も、まさにそこまで来ている新時代を促進するため、ここ地上へやって来た。私がここへ来たのは、神法を人々に伝えるために、また、もし人がこの神法に従いさえすれば、神の恵みは無限に人々の中へ降り注ぐことを教えるために。」
 
「夢溢れる春と成就の夏」の「新時代」が目の前に迫っている。私達はそれを確信する。ただバーチが気遣うように「神の子等がその自由意志を鍛える歩調に応じ、早くもなり遅くもなる」ことを私達も気遣う。早める手段が唯一つだけある。一人の人が地球を救うことと、一人を救うことは同じことだと思ってやれば、それが地球を救うテコになるということである。神は地球と一人の人を同じ秤で計っておいでになって「嘉し」とされる。これが法であるから、この法に従う無数の霊魂がその一人を手伝って、本当に地球が
持ち上げられる。シルバー・バーチはこの法を伝えるために地球に来ている。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今日も、ヒーリングとお祈りの間、ほとんど意識はあり、時々遠のくといった程度であった。ここ連日、左手が肩の方まで強いビリビリ感がある。またヒーリングをしていない時にも突然強い痺れ感があるのだ。その時には我が家の愛犬に手を当てることにしている。
ヒーリングの前には「神様、ご守護霊様、いつも護って下さっている霊界の皆々様方、またいつもご協力頂いているご霊医の皆々様方お力添えを頂きまして、ありがとうございます。今日のヒーリングも、お力をお貸し頂けますように神様の偉大なるパワーが流れて行きますようによろしくお願い致します」と唱えてから、始めるようにしている。
今日のお題のシルバーバーチの「背後には無数の霊魂がひしめき合っていて、どんな善への努力も、どんな奉仕の願いも無駄に終わることはない」とのお言葉に、勇気をもらえた。
少しでも私でお役に立てることができるなら、心から有難い思いになる。
主人も少しずつではあるが、頭がスッキリとしてきているようだ。そして単語も前よりも出やすくなってきている。そして何より、息子の死の衝撃に苦しんできたが、それも自分の感情を表に少しずつ出せるようになってきた。表に出すことができることで癒やされて行くのだと思う。

257回目の瞑想

光り輝く
 
『宇宙人の存在』
「(問)他の天体で、私達より進歩していたり、またそれ程でもないが、とにかく人間が住んでいる天体がありますか。
(答)ある。地球の人類より進歩した人類が住んでいる天体が沢山ある。この地球は、広大な宇宙の中、数ある遊星のほんの一つにすぎない。」
 
井の中の蛙と決め込んでいた地球人類も、ようやく片目くらい井戸から外を見る気持ちが出てきた。そういう転換期に私達は暮らしている。二十一世紀には井戸から外に出るのです。さて出た蛙は何に化けるやら?その前にどうしたって出なけりゃおれない程、井戸の中が大揺れに揺れるでしょう。神様からつまみ出されて青くなる前に、よほど覚悟を決めて自分から出る準備をしよう。その事前準備のために他の進歩した惑星と太陽から「人」が来ている。神人と呼んでもいい方々が我々の中に紛れ込んでいる。その人々の言葉に耳を傾けよう。本物と嘘の見分けをつけないと、私達蛙はまもなく神様からつまみ出されます。青蛙になうな、びっくり蛙になるな!欲を捨てれば何が本物かくらい誰だって分かる。子供にはもう見えているから、恐い未来の夢を見たり、登校拒否までして痙攣している。大人達よもういい加減、井の中の蛙ごっこから足を洗って、井の中のキングより偉いキングは誰かと探す踏ん切りをつけなさい。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今日もヒーリング中は、意識ははっきりとしていた。そしてただただ状態が良くなることと、そして内在の魂が目覚めることを祈念した。瞑想終了後、なぜかシルバーバーチの霊訓の六巻を無意識に手にし、目次の第二章、「心霊治療ーーその本当の意義」を開いていた。そこにはシルバーバーチとハリーエドワーズ氏の問答が書いてあった。その内容はヒーリングをさせて頂く者として、とても勉強になることが書いてあった。もちろん、私など足元にも及ばないが、少しでもお役に立ちたいと思っているので、肝心要なことを頭に入れて、これからもヒーリングを通して、神様のお役に立ちたいと心から思った次第である。
今日のお題で思い出したが、私が降霊していた時期に宇宙人が降りてきたことがあった。内容はほとんど覚えていないが、地球を攻めるためではなく、協力したく今かなりの数が上空にいるというようなことだったと思う。また名前を「ミキシグ」と言っていたように記憶している。宇宙人の降霊はその1回限りだった。

258回目の瞑想

光り輝く
 
『真理は単純』
「人類が学ばねばならないことは、神の賜物はすべて人々の間で、正当に分かち合わねばならないということ。ある人は食べるに事欠き、ある人は有り余る物を持っている。これは間違いだ。人類はその持つところのすべてを、すべての人々の間で分かち合わねばならない。それは単純なことではないか。」
 
最も原始的な種族ビグミーは、森からのけものと野草を取り生活する。獲物は民主的に分ける。その日の糧以上は取らない。自分達を森の客と呼び、主人は神である。何と単純な事ではないか。 文明人はこれに劣る。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今日のヒーリングは、意識が遠のいたり戻ったりだった。左手の痺れ感はやはり、強い。
昨日書いたシルバーバーチのお言葉の中に、とても大事な事が書かれてあった。 もちろん、みな大事なことばかりだが・・・
それは霊界の霊と治療家(ヒーラー)の持つエネルギーが結合してコンデンサー(電流の周波を変える装置)の役になるようなものがあるのだそうだ。そしてそこから患者の松果体ないしは太陽神経叢を通って体内に流れ込むのだと言う。更にその活エネルギーは全身に行き渡るとのことで、電気的な温(ぬく)みを感じるのはその時だとのこと。また、霊界での治療法には決まった型というものはないそうで、患者によってみな治療法が異なるとのこと。実質的な治療は、霊界側で大部分済んでいるのだそうだ。また、治療家(ヒーラー)の進化の程度、それに治療を受ける患者自身の進化の程度が絡み合って自然に出来上がる限界があるとのこと。更にカルマ(因縁)いうもの、いわゆる因果律だが、時と場所とにお構いなく働くとのことで、そのことも考慮しなくてはならないとのことで、 本当に奥の深い話なのだと思った。
昨夜、主人のヒーリングをするときには、松果体を意識して試みた。主人の話では、いつもは温かいのだけれど、今回は頭の中が何とも言えない心地良さだったと。やはり、説明のしようがないらしい。今まで体験したことがない感覚なのだと思う。私はと言うと、手の平に熱さを感じていてビリビリとしていた。なので、主人はてっきり温かさを感じているとばかり思っていたのだ。主人を実験台にしては申し訳ないのだが、主人の感想が私には励みになり、勉強にもなってとても有難い。

259回目の瞑想

光り輝く
 
『富者の悩み』
「富者は貧者より悩みが少ないと皆さんは言う。だが、富者の悩みをどのようにして貴方は知るのか。神法は人を欺かず、何ものも逃すことはない。」
 
人は物質だとか美醜だとか外的な事だけで幸不幸を計る。それは人が物的外的現実的なものに幸福の源泉があると思っているからである。だから人は不幸になる。何となれば幸福の源泉は人の心にあるのだから。富者の心を見ずしてどうして富者が幸福と言えるのか。貧者より数倍の心の苦悩を負うているかも知れぬ。その苦悩と富者の貧しい心から富者の明日の大きな不幸災禍が生まれる。
  
今日の瞑想も、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
瞑想する前に、「シルバーバーチ霊言集」という本を最初の何ページかを読んだ。すると、大粒の涙がこぼれだした。これは霊的自我が感応したのだと思った。ヒーリング中も涙は流れ続けた。それは相手に対する想いの涙もあったように思う。また左手の痺れ感は凄く、感覚がなくなるほどだった。しかも身体全体が空っぽになったような感覚になった。
霊言集の中に、魂が挫けそうになった時の唱えるお言葉に鳥肌が立った。
「私は神の分身です。滅びることはありません。私は永遠であり、無限です。地上の物質や有限なものは決して私に指一本ふれることは出来ません」このお言葉もこれから唱えさせて頂くことにした。
更にいきなり次のお言葉が心に浮かんだ。
「何事も中庸が肝心。どちらかに傾き過ぎてはいけない」と。霊的真理を知ることは、いろいろな心の制約が出て来ることになると思うが、人間として修行をしているわけなので、あまり自分を縛り付けてはいけないと言うことなのだと思った。前にも自縄自縛は良くないとのお言葉もあった。やはり心に余裕を持って、自分の出来ることをして行くことが肝要なのではないかと思う。霊格のレベルに合わせて、いろいろな事が難なく出来るようになるのだと思う。無理することは逆に固執することになりかねない、のではないかと思う。

238回目の瞑想

天使


『無限の未知の世界(霊界と異星)』
「(問)貴方たち霊魂が住んでいる霊界の境域は、地球とか太陽とか惑星とかを、とり囲んでいるのですか。
「(答)いや、そういうものではない。霊界の境域とは、こことかそことかの。場所的な境域をもつものではない。また、球体とか星とかという形をとってあるものではない。それは広大な宇宙の部分、しかもあらゆる世界のあらゆる生命と、混じり合い浸透し合ったものである。皆さんはこれらの霊的世界のいくつかを知っている。しかしまだ知らない世界がいろいろある。何となれば、宇宙にはまだ皆さんに分かっていない生命が生存する星が、沢山あるからである。」
 
思えば、生きていることは楽しいことです。死ねばあの世へ行けます。万人が、無料で。あの世では、行きたいと思った所にはどこへでも行けます。無料で、しかも超スピード無時間で。ただし、そんなスピードで行ける人は、精神レベルがちょっとましな人、平均的な善人、サマーランド辺りの住人です。
地球圏を越えて、他惑星探訪ができるのはもう一段上等な魂の人。まだ無尽蔵に未知の世界が宇宙にはあるから、魂がレベルアップしさえすれば、楽しいことばかりです。宇宙は一つです。
私達があの人もこの人も私も一つであるように。
だからあっという間にどんな遠方の宇宙へでも行けます。私の身内の一部です。私達が「人は神」すべてが私だということを納得していくにつれて、飛行能力も増し、こことかそことか場所は無いに等しいことが分かります。今、他惑星から宇宙人やUFOが来ています。私達地球人の意識の拡大が迫られています。意識の拡大につれて地球の素敵な未来の外交世界が展開するでしょう。

今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。今日は身体にバイブレーションを感じていた。意識もあったりなかったり。。毎晩、主人のヒーリングをしているが、毎回その差はあれど、温かくなるらしい。気持ちも良くなるとのこと。昨夜は頭に痛みと言うと違うが何かを感じたと言っていた。そして、私自身にも変化が出てきた。それはプロフィールにも書いてあるが、2009年に耳にヘルペスができてから、今もず〜っと耳鳴りがある。その耳から頭にかけて、光が入って来るような感じがした。するといつもの耳鳴りが小さくなったのだ。そして一日の中でもいろいろと変化し続けている。何かが起きている、そんな感じがしてならない。ただ、この耳鳴りは神経に支障をきたしているので、医者には完治しないと言われている。完治しないまでも、小さくなったことには驚きである。今後どのように変わって行くのかが楽しみである。
神様に感謝申し上げた。

239回目の瞑想

光り輝く


『器に応じて法を理解する』
「人は神の一部であり、無限の神性が発揮できるようになっている。人はその神性が発揮されるにつれ、高遠な法が分かるようになる。低級な魂には高級なことは分からない。高級な魂には低い段階のこともよく分かる。・・・人はその魂が成長して、法に触れる域に到達するまでは、法を自家薬籠中のものとすることはできない。」       ※自家薬籠中:いつでも好きな時に使えるという意
 
神は法であられ、法は自動的に働いて狂いがない。神の分身である私達は、当然その法を知ることができる。ただし、身につけた垢(我)を落として、神の子そのものを発揮するまでは・・・・しかるに、私達はとかくその我で法を理解しようとする。だから不調和と。病気と、不満がおこる。もしこの世を良くし、自分を幸福にし、英知を広げたいと思うなら、魂を磨くその一手しかない。
 
今日の瞑想では、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
ヒーリング中は、「神様の偉大なるパワーエネルギーが相手に流れますように」とのお祈りに集中した。すると身体中がビリビリとなり、耳の症状も痺れ感が強くなったり、音が大きくなったり小さくなったりしていた。そのうちに意識は完全になくなる。戻ると満ち足りた気持ちになり、その心地良さは筆舌に尽くしがたい。

240回目の瞑想

光り輝く
 
『神とは』
「神とは宇宙を貫く法である。神とはあらゆる生命の背後にある想像力である。神とは完全な愛であり、完全な英知である。神とは宇宙のありとあらゆる所に瀰漫(びまん)した存在である。神はあらゆる生命を満たし、あらゆるものの内部にあり給う。神は大いになる霊であり、生命であり、愛であり、またありとあらゆる存在するもののすべててあり給う。」
 
この世の中で一番わからないものは、神と自分です。一番遠いものと一番近いものだからです。分からないということで同じというのは、この二つが本当は一つのものだからではないでしょうか。このことが分かると、二つが同時に分かったように思えます。
 
昨日の朝の瞑想は家庭の事情があり、やむなくできなかった。初めてである。
今朝の瞑想では、そんな状態に慈悲のお祈り、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた後に、なぜか弱気な心が出て来て、神様に問うていた。出来るだけ心を静めてお祈りを続けていると、突然に次のようなお言葉が・・・
「彷徨えど、されど行き着く道は、神の道」と。
更にしばらくするとまた同じような内容だったが、語りかけてくれるようなお言葉が・・・
「人は迷う。時として何かも自信を失うこともあろう。けれどそれも神の道なのだよ。」と。
このお言葉に涙がこぼれ、嗚咽していた。そして、気持ちが晴れやかになり、すっきりとした思いになった。
本当に有難いことである。 心から感謝した。

241回目の瞑想 

光り輝く
 
 
『理性』
「私達はこの口が裂けても決して言わない。「理性を使うな、唯これを信じよ」とは。」
 
教祖が言うのだから間違いない、経典に書いてあるから正しい。こうして人類は何千年も、真理の他に誤謬を一緒に信じてきました。これが過去の宗教です。教祖の言葉よりも経典より、もっと偉大なものがあります。貴方の内部の理性(神性)です。貴方の理性の真実に生きなさい。その時かりに貴方が間違っていても、その他に貴方の内部の神性を目覚めさせる方法はないのです。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。今日も、ほとんど意識は飛んでいた。気がつくと曲はもう終わる直前だった。今朝夢を見た。内容は全く思い出せないのだが、とても楽しかったような、満ち足りた思いだったような・・・かなりたくさんの方と一緒にいたような気もした。何とか思い出そうと試みたが、ほんの一部も思い出せなかった。とても残念である。

242回目の瞑想

光り輝く
 
『すべてをなくして、神を知る』
「神のものであるものは、犠牲なしでは、何事も成就しない。人は涙をもって、建設を贖(あがな)いとらねばならない。大きな物質的不幸が来て、初めて人は霊的なものへ、心を向け始める。あらゆる物質的なものが倒れて後、初めて、人は一本の藁を求める。」
 
人はフンコロガシの虫のように、自分のフンの玉を転がして歩く。もう転がせないほど大きくなった時、絶望という名の手を外へ向ける。握るのは自分の手しかない。それが霊である。なぜなら人は霊であり、神であるから。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。今日はヒーリングとお祈りの後、神様にお願い事に終始した。それはヒーリングで神様のエネルギーが流れている時に、一人でも多くの方が効果が出ますように。と言うことと、更に内在の魂に響くようにということ。これが私の唯一の願いなのだ。願っている時には意識が飛んでいるようなそうでないような状態だった。もちろん、今日のお題のように、大きな物質的不幸が訪れないとなかなか霊的なことは受け入れ難いのだと思うが、霊的真理を知ることができれば、少なくとも自殺者は減ることになると思うのだ。
それを切に願う。

243回目の瞑想

光り輝く


『守護霊連鎖』
「(問)貴方がいつも相談している高級霊達は、時には地上に来ているのですか。
(答)いや、あの霊達は一本の鎖の環の働きをしておられる。この霊媒は私と皆さんとの間の環であり、私は私の上にある霊と皆さんとの間の環であり、高級霊達は私と更に彼等の上にある霊との間の環である。このようにして、この鎖は私の目路の限りを超えて、はるか霊的世界の深奥にまで伸びている。」
 
シルバーバーチにこうした鎖があるのと同じように、私達にも環の鎖が一本点の深奥まで繋がっています。バーチにはそれが見えており、私達にはそれが見えていない、ただそれだけの差です。でも、もしかしたら私達の鎖は錆びているのかも?いいえ、埃をかぶって眠っているだけです。守護霊が私達のすぐ上の環です。その上に守護霊の守護霊の環が付いています。いわば類魂と呼べる鎖の環の動脈が神にまで繋がって血が流れています。私達が一つ上の守護霊に通じると、その血がドブドブ私達に流入します。守護霊に繋がるコツは「愛と奉仕」の生活です。
 
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。今日はヒーリングとお祈りの後、昨夜録画して見た坂上どうぶつ王国の中の「行き場を失った犬猫を看取り続ける女性」に密着した映像が浮かび、涙が止めどなく流れていた。この女性は5人家族だが、一人、犬猫をお世話する家に常駐している。そしてそこにいる犬猫達のほとんどは障害のある子達で、寝返りが出来なかったり、ご飯を自力で食べられなかったりと、人間が手をかけてあげなければいけない子達ばかり。またそういう子達には引き取り手はない。昼間はボランティアの人達がお手伝いに来てくれているが、夕方から翌朝までは、その女性が一人で全部の子達の面倒見てあげていた。その映像にはただただ涙がこぼれ、感動した。まさに愛と奉仕の世界。神様の域に達していると感じた。見返りは、人間不信だった動物達がその女性の愛情で、人間を信じることができ、穏やかな表情になってくれることだ。私も何かお役に立ちたいと心から思った。ただ、ネットで検索してもその女性についての情報が全くない。どなたかおわかりなったら、知らせて欲しい。(録画は消去してしまっているので)

244回目の瞑想 

光り輝く
 
『死を恐れる理由』
「肉体にあるうちは、霊界の美しさは分からない。かの世界の光・色・風景・木・鳥・川・花、その美しさを皆さんはまだ知らない。だから死を恐れる。」
 
人間が死後の生命の存在を知ったら、ものの考え方が一変するだろう。悪いことは出来なくなる。後は野となれ山となれという具合にいかない。いじめた人にもあちらで会う。それなら少しはましなことをしようと思う。まして永遠の生命が続くと知ったら?これはもう、その日くらしの目先の利益で動く人間は馬鹿な人ということになる。それからせっせと永遠の生命の生き方というのを学ぼうとするだろう。ましてまして、あちらの世界が現界と比較にならない良い世界と知ったら?何はおいても早速そちらへ飛んで行きたくなろう。ところがドッコイ、関所がある。善い事をした者は良い世界へ入り、悪い事をした者は悪い世界に入る。ここまで知ったら、どんな人でも計算ずくでも善い事がしたくなる。だから、霊的真理を知ることは、人が善い事をしたくなる根源である。反対にこの世限りと嘘を教え込まれている現代は、悪い事をしなさいと勧められているようなものだ。誰が勧めているのか?人か、サタンか?どちらにしろ人間が損をしていることに間違いはない。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。今日も、ほとんど意識は飛んでいた。時折、光の映像が見えたが、はっきりと認識できたわけではない。
また、昨日保護主の情報を知らせて欲しいと書いたが、知ることができた。

245回目の瞑想

光り輝く
 
 
『進歩は自己選択』
「一歩進歩しては、さて次はどうするか、自ら選択する。だが、その選択は遅らせることもできる。貴方が時々刻々に何を行うか、これは貴方と法との相互作用で決定されるのであって、しかもその相互作用は自動的に行われる。また、どの程度の進歩を選ぶかは、進歩の現時点での本人の意識の反応、それによって決定される。」
 
宿命というものは存在しない。因果律というものがあって、過去の自分のした事がカルマになって、現在の自分を作っている。微塵の狂いもなく、過去の自分のした事のほか何一つ、自分の現在を作っているものはない。だからといって、未来がそれで決まるわけではない。未来は現在何をするかが、未来の自分を作る原因になる。それだけのことである。神があって、神に祈れば恵みがあり、神にへつらって供物をすればえこひいきがあると思うのは迷信である。神はある。神は法である。法は自動的に働いてえこひいきがない。神を信じるとはこの法を信じて、現在を愛に生きることである。釈迦やキリストのように超スピードで進化するもよし、超スローで地獄にトップリにつかるのもよし。要は法を知った上で、自分で自分の未来を選ぶことである。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今日は、遠隔ヒーリングのやり方について気付かせてもらえたことがあった。 有難いことである。
また毎晩主人にヒーリングをしているが、最近こんなことがあった。病気前の主人はTVのクイズ番組(クイズと言っても、常識的でありながら、高度な問題)で息子と競い合いながら、全問正解するほど博識であった。けれど、病気後はTVでクイズ番組が流れても、席を立ってしまったり、息子が答えているのをただ聞いていたりと、興味を示さなかったのだ。だが極々最近夕食時にTVでクイズ番組が流れると、何と答え出したのだ。しかも正解であった。もちろん、元々知っているのだから当たり前ではあるが、病気の後遺症で単語が出なかったり、忘れてしまっていたりと、避けていただけだったのだ。そして、それはヒーリングのおかげだと言ってくれた。本当に嬉しかった。
神様にまたご協力して下さる霊界の方々に心から感謝した。

246回目の瞑想

光り輝く
 
『新時代の到来』
「この百年間に、微細な点まで計画されたプランに従って、ある種の組織的な努力が、われわれ霊界の方から推進された。これは厳然たる事実である。今回は、霊的真理が地上に来てとどまり、地上の何ものもこれを妨げ得ないことは決定的である。この計画は成功しつつある。」
 
1848年フォックス家事件は神界計画であった。ここから近代心霊研究が発足した。それから百年経ったと、シルバー・バーチは語っている。(この通信は大二次世界大戦ころのもの)この度は霊的真理は必ず地上に定着し、新時代が生まれることは決定的で、この神界計画は成功しつつあると、バーチは断言している。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
今日はヒーリングをしていると、何度か身体の奥からバイブレーションが起きているのを感じた。霊医の方にただただ、良くなる事をイメージしながら、お願いに終始した。その間に意識も遠くなる。一人でも多くの人にヒーリングの効果が出て欲しいと心から願っている。
また今日のお題にあるように、コロナで世界は一変するかのようだ。それこそ新時代の到来なのかも知れない。だからこそ、霊的真理に則って、生きる事が何より大切なのだと思う。

247回目の瞑想

光り輝く
 
『地上の無知』
「問題は流血によって解決される。これが地上の常識である。だがいまだかつて、何一つこれで解決されたものはない。」
 
壁に投げたボールは跳ね返る。だが、薄絹に投げたボールは跳ね返らない。これは自然の原理である。人は平和を形の上だけに見て、人を押さえ付ければ平和になると思う。だがそのボールは跳ね返る。もし平和が欲しければ、貴方が薄絹になるしかない。人間は何千年もの間この原理を知らずに生きてきた。
  
今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
個々のヒーリングをさせて頂いていると、心底良くなって欲しいと願い、自然と涙が流れ出てくる。これだけ人の事を思える自分にびっくりである。ヒーリングをさせて頂く度に、その思いはどんどんと強くなる。この思いが普遍的な愛なのだと実感する。自分の身内にだけ固執することなく、見ず知らずの人にも同じ思いでヒーリングさせて頂けていることに、心から感謝している。そして更にすべての人に効果が出て欲しいと強く思う。

248回目の瞑想

光り輝く
 
『やがて来る未来の世界』
「私は霊の世界から来た者である。そこでは真実のみが露呈しており。ごまかしは通用せず。人の価値はいつも他の人の目に明らかである。霊の貧しさの外、地上のような貧富の差はなく、魂の強さと弱さの外、強者と弱者の別はない。
霊界では何人(なんびと)も、・・・奉仕する者は奉仕しない者より常に偉大であるとみなされる。」
 
まもなく物質界にも、地上天国時代が来る。そこでは真実のみが当たり前の事として通用する。一番奉仕する魂の人が指導者となり、最低の人も愛を分け合う事が仕事となる。男も女も田園に住んで、個性を発揮して働く自由と平等を持ち、嘘・肩書き・財力・権力・武力などは、辞書にしかない言葉になる。霊界と地上の法が一致する。サマーランドは今人類が「愛と奉仕」に転換すれば夢物語ではない。
  
今日の瞑想では、慈悲のお祈りをして、自分の禊ぎをした。
実は昨夜、ヒーリングをさせて頂いているある方と同じ症状が出た。それは毎日朝晩とヒーリングさせてもらってる方だった。
自分でもちょっとびっくりだったが、瞑想で「神様にすべてお任せしているので、この症状も私に何かを教えて頂いているものと思います。霊主肉従ですから、不安恐怖はありません。すべてお任せします」と唱え、今度は慈悲のお祈りをしているとその途中から、その症状が消えていき、穏やかな思いになって行くと、(心が苦しい、心が壊れる)という言葉が浮かんだ。その症状はその思いの現れで、表面化してきたのではないかと思った。私自身霊媒体質なので、同じような症状を体験させてもらえたのだと思う。
とても貴重な体験をさせてもらえたと思っている。

227回目の瞑想

天使


『無為平安は死』

「人が受け取る経験で、これを正しく真直ぐに理解すれば、どの一つと言えども、魂の役に立たないものはないのである。貴方は、苦しみもなく試練もなく、障害や痛みや災禍もない物質世界を、考えてみることが出来るか。それでは、何の進歩もなく、また克服すべき何ものもない。従ってこれでは衰滅があるだけだ。」

自分のしたことが種子となり、寸分違わぬ花実を開く。人間の現世とは何と素晴らしいではないですか。それをうまく刈り取れば、カルマが消えて神々となる。人間の未来とは、これまた驚くべきものではないですか。


今日の瞑想でも、慈悲のお祈りとヒーリングとお祈りをさせてもらった。
昨夜は主人からヒーリングをして欲しいと言われてびっくりしたが、横になってもらった。そして頭に手を当てて、まずはお祈りを始めた。するとすぐにいびきをかいて寝てしまったのだ。その時に流れているヒーリングの力は凄くて私の手はビリビリしていて熱くなっていた。そしてヒーリングの時間が過ぎても寝ていたが、しばらくすると起きたので、どうだったかと聞いた。「ほんわかとしていてとても気持ち良かった。だからすぐに寝てしまったんだと思う。」と。
更には今後も続けて欲しいと言われた。流れている力が何かはわからなくてもきっと何かを感じてくれたからこそ、続けたい気持ちになってくれたのだと思う。神様に心から感謝した。 

228回目の瞑想

紫のバラ


『神法にのみ目を向けよ』
「私達は信条や儀式を、皆さんに示す意はない。ただ神の愛を、人類を通じ自らを顕現しようと望み給う神の愛のみを示すものである。どうか皆さんはどんな経典にも教義にも権威にも古文書にも従わないよう、また聖なる遺物も崇拝することのないよう、ただ宇宙で至高なる神の法にのみ従うようおすすめする。この神法こそが唯一つの至上の権威である。」

経典には雑物が混入し神の言葉そのものではない。教義には人間がでっち上げた歪みが入っている。これを盲信すれば神の道からそれる。儀式は心こもらねば空っぽ、偶像崇拝は物質崇拝の愚行。神は神法の中にあり、神法はスピリチュアリズムがとらえている。

今日の瞑想では、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。
戻る直前に「病むも病まぬも大事なるは心」というお言葉が浮かんだ。

昨夜また主人のヒーリングを行った。今度は頭と首から胸にかけて熱くなったことをはっきりと感じたとのことだった。やはり続けてヒーリングすることで体感して行くのではないかと思い、これからも続けてヒーリングしてみようと思う。そして今日のお題の神法に目を向けられるように祈りたい。 

229回目の瞑想

紫のバラ


『落ちた分だけボールは高く上がる』
「苦痛もなく影もなく、悲しみも、また災禍や悲劇もなしに、どうして無限の可能性を秘めた魂の内在の力が発現できよう。人生は辛酸をなめつくして後、初めて微笑みと喜びの味が分かってくる。人生はどん底に落ちた分だけ、高く飛翔できるものだ。」

落ちた分だけボールは高く上がれる。私達が再生をして苦の地上へ下りるのは、もっと大きく天へ飛び上がるためである。魂は肉ではなくて死ぬことはないから、なめた辛酸はすべて魂に刻まれ、その痛みで魂は天へ跳ね上がる。魂は本当は痛みを知ることを喜んでいるのだ。痛みは愛を知る皮膚であるから、天へ帰れる浮力であるから。

今日の瞑想でも慈悲のお祈り、またヒーリングとお祈りをさせて頂いた。しばらく痺れ感がかなり強かったが、いつの間にか意識が遠のいていた。遠のいていながらも、良くなって欲しいという思いはずっと持っていたように、我に戻ってから感じた。今回のお題のように、この世は辛い事が多い。けれど、その辛い事が自分の魂を高めることだと知っていれば、そこに身を投じようと思える。知っていると言うことと、知らないと言うことでは雲泥の差がある。ヒーリングの流れる力を実感できると、霊界や魂の存在を信じることができる。そして究極の霊的真理を知ることで、自分自身の生き方が変わる。それが何よりも大切な事だと改めて思った。

230回目の瞑想 

紫のバラ
 

『宇宙は生々進化、人はその助手』
「(問)地震も神が起こすものですか。
(答)神は法、あらゆるものを統べる法。法はあらゆるものを支配する。宇宙にはこの法から外にあるものは何一つない。地震や雷が地上の人々に右のような疑問を起こすことを知っている。だからそれらもすべて宇宙の一環をなしている。宇宙は進化しつつある、そこに済む者達が進化しつつあるのと同じように・・・更に更に進化し続けるだろう。」


人間が肉の衣を着けたのは、自分の魂の進化のためだけではない。動植物や宇宙の進化を助けるためである。これを忘れたら神の助手の役は勤まらない。神の子である真実を思い出す時は来ない。その日まで地震は起き続けるだろう。

今日の瞑想も、慈悲のお祈りをし、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。やはり、身体中に痺れ感があり、意識が遠のく。ただ戻ってから、充実感を感じられた。また連日、主人にはヒーリングをしている。だいたい寝てしまうが、頭が温かくなり、ほんわかとして気持ちがいいらしい。有難いことである。

231回目の瞑想

紫のバラ


『人が神であるということ』
「人がもし人であるとともに、神であることを心にとめているなら、人生はどんなにか容易なものとなろう。」

人間が神であるという言葉ほど恐ろしいものはない。もし自分が神であるなら、自分とは一体何か。自分以上のものは存在しないのである。人に頼らなくてもよいもの、神にさえも頼らなくてもよいもの。初めから知恵と世界の宝を内蔵するもの。こんな恐ろしいものが自分であるのを知らずにいるのは、自分がただの人間であると思い込んでいるその心である。その心がさまざまな不安と恐怖心の元、その疑心から折角の内在の宝と知恵が出て来ない。

今日の瞑想も、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。今は知人とわんこのヒーリングとお祈りをさせてもらっている。知人に対してのお言葉が浮かんだ。「頑なな心 災いす」と。
また、しろちゃんのヒーリング中、込み上げてくるものがあり、私の身体が熱くなり、汗ばむほどであった。その後しばらくするとなぜか安堵の気持ちに変わっていた。イクミ様のご報告で、しろちゃんの状態は良くなっているようだ。
また、昨夜の主人のヒーリングは、終わった直後に主人が「何がなんだかわからなかった。寝ていたのか、でも寝ているのとは違うような・・・ただ頭が温かい感じはあった。」と。私はそれを聞いて意識が飛んでいたのではないかと思った。続けているといろいろなことがあるようだ。  

232回目の瞑想

紫のバラ


『真の宗教』
「真の宗教とは、人に奉仕することによって、神に仕えることである。そのためには、教会も牧師も経典も、何も必要ない。機会あるごとに人に奉仕しなさい。重荷を負う兄弟達に力を与えなさい。それが宗教だ。」

人は今日行う自分の行為、言葉、思いの三つによって、世界を変えることが出来ます。自分を神にしたり、相手を神に変えたりも出来ます。どんな気持ちでそれをしたか?神と同じ愛でそれをしたのか、それなら世界も自分も相手も神に変えられます。憎しみと冷たい心でそれをしたのか、それなら世界は地獄、自分は鬼、相手は敵に変わります。人の思念は神の門から出たもので、神と同じ力を持っており、人は世界を創り変えるもう一人の神ですから。これが宗教です。

今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。その時に、かなり意識が飛んでいたのだが、かなり衝撃的なことが起きた。ただ、それはまだ確信できていないので、できた時に記そうと思う。
その時に問答があり、頂いたお言葉だが「但し依存はいけません。依存する心からは何も生まれません。自分の心を見失ってしまうのです。」と。
衝撃的な内容が単なる私の希望でなく、もし本当になら、凄いことである。

233回目の瞑想 

紫のバラ


『睡眠中にあなたが行く世界はどこ?』
「人は睡眠中に霊魂界へ行く。これは未来の生活に霊魂を慣らしておこうとの、神の定められた摂理である。こうしおけば、いよいよ死が来てもショックを受けることなく、霊魂は他界に入ってから、隠れていた記憶がよみがえって、新しい環境に次第に馴れていくのである。これはあたかも人が幼時に心をはせれば、自然に記憶がよみがえってくるのに等しい。人は魂の進歩の度合いに応じて、睡眠中に行ける段階が違って来る。睡眠中は誰しも霊魂として動き回るのだが、行動範囲に限界のある人もある。中には、睡眠中に霊界の暗黒界に行く人もある。これは本人の魂の程度がつり合っているからそこへ行くこともあるし、また自ら進んで、奉仕に役立つために出かける場合もある。」

夢も馬鹿に出来ぬということである。雑夢(日中に心に引っかかった印象をとりとめもなく繰り返す無意味な夢)もあるが、正夢(霊からの通信、予知夢など)もある。またこの通信のように、他界に出かけて見聞している。これも一種の正夢でもあるわけである。朝目が覚めてから、ハテ夢で会って話をしていたあの人は、死んだ◯◯さんではないかと思う事があるが、これなどそうである。こうして私達は死後の準備をしている、また毎日死者の霊に会っている。それならもう少し地球人は霊を認めたらどうか。孔子は「夢に周公を見ず」と言って、尊敬する聖者周公の夢を見なくなったことを嘆いたが、私達も夢で自分の心の程度に応じた世界に行くことを知った以上、夢の中でも反省したいものである。

今日の瞑想も、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。今日は言葉で説明することはできないが、何かいつもと違う感覚であった。身体中に痺れ感もあり、意識もあると思っていたが飛んでいた。そして戻る前にこれまた説明が難しいが、呼吸を自分でしているのではなく、させられている感じで大きく吸って吐いてを息が続くギリギリまでを繰り返していた。更にいつの間にか腹式呼吸にもなり、大きくお腹が膨らむ。普段の呼吸と違って、息が続く限りの呼吸だったが、苦しさもなく、ただただ勝手に呼吸させられている、といった感じに不思議な体験をさせてもらえたのだ。

234回目の瞑想

紫のバラ
 

『宇宙の霊界について』
「(問)生物が住んでいる星には、地球の霊界とは別の霊界があるのですか。
(答)皆さんのいわゆる霊界とは、あらゆる星のあらゆる生命を包含する、宇宙の霊的な表現にすぎない。
(問)では、霊界とは唯一つのものがあるだけですか。
(答)そうです。しかしその一つの霊界が無数の霊界となって現れている。地球の物質界と同じように、地球以外の星も、それぞれ霊界で囲まれている。つまり、これらの星も、物質的表現だけでなく、霊的な表現をもつものであるから。」


UFOを見たとか、宇宙人がいるとかいう話がこの頃は多い。ようやく地球も霊性文明の新時代に近づいた証拠です。霊のことがもっと分かるようになると、宇宙人との交流は日常化し、UFOに乗って地球人も他の惑星を訪れるでしょう。宇宙に一つの霊界が(エーテル次元の世界)あるように、宇宙にも一つの物質次元の世界があります。物質といっても、その惑星の進化程度によってその物質の葉像が違っています。だからそのUFOや宇宙人の姿が、私達の肉眼では必ずしも見えません。どの惑星でも、物質界で修行をして霊界に入ります。ただ千年の寿命をもったり、肉体的に不死にたっしている惑星もあるから、地球の物質生活とは大分おもむきが違いますが。いずれにせよ、宇宙は広大、しかも物質生活の修行を終わって入る霊界の深さは無限。私達地球は低い進化レベルでうが、物質界と霊界の顕幽両面からできている点では、どこの宇宙の惑星とも同じことです。

今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。昨夜の主人のヒーリング中、あるお言葉が心に浮かんだ。「もっと流れている霊力を信じなさい。貴方が強く信じることがとても大切です。貴方が相手を想う気持ちも力となって加味されるのですよ。心から信じることが何よりも力になります。単なる通路ではないことを自覚することも大切です」と。私は「はい。」というお返事をして、言われたように心で強く想った。すると手から流れている霊力がとても熱くなったのだ。信じられなかった。今までに感じたこともないような熱さだったのだ。ヒーリングが終わった後に、主人が「頭から手の指まで、急に熱くなっていくと、身体中も熱くなってきた。今も続いている」と。主人にもすぐに伝わったようだった。
今朝のヒーリングでも、昨夜言われたことを実行してみた。やはり、今までとは違った感覚になる。どう説明すれば良いかわからないが・・・ 昨夜のお言葉を肝に銘じて、今後も精進して行きたいと思う。

235回目の瞑想

紫のバラ


『二度と立ち上がれないほど低く沈む魂はない』
「(問)魂があまり低く沈んで、消滅するということはありませんか。
(答)そんなことはない。ただ内在の神性の火が小さくなり、点滅するところまでは沈む。しかしその灯が消えてしまうことはない。霊と神とを結ぶ絆は永遠に練られ鍛えられていくものであるから。どんな魂でも、二度と立ち上がれないほど低く沈むことはない。まだどんな魂も、最低の魂を助けに行けないほど、高く上がってしまうこともない。」

どんなに低く沈もうとも、その魂は神の分身です。もしその魂が消えるとしたら、神が消えたことになります。そんなばかなことは、神が永遠不滅である限りあり得ないのです。でも低く沈めば飛び上がる距離が無限になって、(神は無限ですから)難儀なことです。それでもそこから飛び上がる気になれば、落ちた分だけ反動がつくので、誰よりも高く飛び上がれます。


今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。ヒーリング中は、意識があるように思っているのだが、終わって戻るとやはり意識が飛んでいる。その間光に包まれているような感じにもなった。また映像も光輝く球体が現れて、その光りが辺り一面に煌めいていた。

236回目の瞑想

オーロラ


『順法と霊主肉従の真理』
「神法に逆らって生きようとする者は、自ら辛い収穫を刈り取る者。神法に従って生きる者は、物質的にも豊饒(ほうじょう)と幸福の収穫を、その手で刈り取る者である。」

幸福になるかならないかは、法に従うか法を無視するか、単純な選択によります。その中でも、霊主肉従の真理は、その本質が霊である人間にとって、幸福になるための根源の法です。人は肉体があるから、先ずは肉体を健全に生かさなければならない。それは地上に肉体を持って降りた<神>の務めである。「人は肉体の衣を着けた神」だから。だが、肉体を先に生かそうとすると手先が狂ってしまう。人は本来霊(神の分身)だから。この真理に目覚めて、霊を先に逝かす者が肉体も健全に生かすことが出来る。これが「霊主肉従」の真理である。魂を自己本来の神性<愛>によって、ピカピカに磨き上げた者が、健康も・財宝も・心の充足も、三つの宝を得る。

今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。今日から始めたのだが、相手を想う気持ちは変わらず、治るようにお願いはするが、後は全て神様にお任せすることにした。神様に委ねてただただ自分自身はその結果を思い煩うことなく、信じて無心になる。また今回はお久しぶりに宇宙空間の映像が出現し、その中に投じている自分を感じる。また透明で明るい水の中をイメージすると、何とも言えない心地良さを感じた。瞑想後は、心の底から充足感がわいてくる感じであった。

237回目の瞑想

光り輝く
 
『理性で知る』
「私達の使命は、神仏とたたえられることではない。真理と知識と知恵とを、述べ伝えることである。私は偉大な教師でも、卑しい乞食でもけっこう、ただわたしの言葉に真理の印が押されている限り。私どもは名声と権威と経典を楯にとって叫ばない。唯、皆さんの理性に向かって、訴えるだけである。」

サタンは常に「俺は神だ」と言い張る。バーチは「乞食でもけっこう」と言っている。神は決して自分を神とは言われない。へりくだって万物の中に、私達の中に入っておられる。地上からやがて現在の宗教や大層な神殿仏閣は消えるだろう。神はおだてられたりご利益をねだられたりすることはお嫌いなのである。バーチも同じである。ただただ神の子らである同胞が真理に目覚めることだけを求める。真理は魂の目でしか見えない。なぜなら魂は神の分身であり、魂(霊)の中にしか真理はないからである。この魂の目でものを見ることを「理性」で知るという。

今日の瞑想でも、慈悲のお祈りをして、ヒーリングとお祈りをさせて頂いた。今日はほとんど、意識が飛んでいた。元に戻ると、言いようのない心持ちになり、ただただ有難い思いになる。涙も流れた。その思いは意識が飛んでいた場所にあったように思う。どんな場所なのかは全くわからないが、そのように思えてならない。
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