MEMORANDUM1(2020/2月〜5月)

  日々の瞑想や霊的なことなどを綴っていきたいと思っています
私はクラッシック音楽がとても好きなので、クラッシック音楽を取り入れた形の自由な瞑想をしております。
(マーラー作曲:交響曲9番の4楽章を2回聴く)
写真と内容は関係あるものとそうでないもがあります。(写真は主に私が撮ったものを載せてます)
私自身の記録用なので、参考程度に読んで頂けたらと思います。
下記の(アコーディオン形式)日付をクリックしてください。


 
過去の瞑想(2020/6月〜9月)

94回目の瞑想

チューリップ
いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
いつもよりも時間がかかったが、深く入って行く。

すぐに映像が出現。花火のごとく十字の光りが無数に目の前の画面一杯にキラキラと輝き、光ったり消えたりしながら動いていた。更に今度はウジャウジャという表現がピッタリなくらい隙間なく、十字の光りで埋め尽くされていた。それが一斉に光ったり消えたりしていたのだが、そのうちに全ての光りが虫の群れになった。私は虫嫌いだったし、たくさんの虫だったが、気持ちは悪くなかった。それがどんどんと近づいてくる。
クローズアップされたが、私は見たことがない虫だった。この世のものではないように思う。

今回は主人のことを少し書きたいと思う。

主人は付き合い始めの頃に、国家試験を受けるために勉強をしていた。そして最初のいくつかの試験に合格すると、その専門の会社に入社もした。ただ、最終試験は残っていた。その最終試験は会社で実践と勉強をしながら、三年後に受験資格が与えられるので、私達は結婚した。しかし、息子が産まれる前後に主人は体調を崩し、食欲不振になり10㌔痩せ、無気力状態となる。病院で検査すると、身体には異常がなく、精神的なことだと言われ、うつの診断だった。
会社も三ヶ月休んだ。その間に努力家で頑張り屋の主人はそんな状態に苦しみ、藁をも掴む気持ちになり「この状態が治るのであれば、どんなことでもどんな場所へも行くよ。例え霊的なことでも・・・」と言ったのだ。
実は当時主人は、神様の存在は信じていなかった。もちろん霊などというものは論外であった。私が神社にお参りする時は入り口付近で煙草を吹かして待っているような人だったのだ。なので、無理強いするつもりは全くなかったので、霊的なことは言わずにいた。けれど、主人の方から前出のような言葉を言ってきたので、余ほどのことだと思い、まずは当時有名だった霊能者の所へ主人を連れて行った。するとその霊能者は「憑依されている」と言い、すぐに除霊を始めたのある。


この続きは明日書くことにする。

95回目の瞑想

紫
今日は肝心要の素晴らしいことに気づかせて頂いた。瞑想の凄さを実感する。
お祈りを唱えている途中だった。
「私は霊だ。神様から頂いた光輝く魂を、神性を内に秘めている。だから何も恐れることはない。そして神性が目覚めることで自分のレベルにあったことが成就する。それを心底信じること、否定しない。私は霊なのだから」
言葉で信じると言うことは容易い。しかし、本当に信じるということは、否定的な思いが寸分たりともないということ。
私自身は信じると言いながら、どこかで否定している自分がいた。私にそんなことができるだろうかとか、本当に亡き息子と繋がっているだろうか等々。

決して否定的な思いにはならないと、心に決めた。瞑想している時は全てポジティブに思える。
また、神様に全てをお任せするということは、どんなことをも受け入れるということ。苦しい事も辛い事も悲しい事もまた嬉しい事も・・・
それは必ず良い方向へ導かれているということに他ならない。それを心から信じることだと言うことを言葉でなく、形あるものとして実感できたのだ。

そう思った途端に胸の辺りに光輝く魂を感じた。そしてこの光輝く魂をこの世で発して行く事が、この地球に生まれて来た使命であるということも実感したのである。
神様にご守護霊様に感謝申し上げると、止めどなく涙がこぼれ落ちてきていた。

昨日の続きを書いてみる。
すぐに除霊を始めた霊能者が、主人の後ろに回り、首の辺りから手をかざして、何やら言葉を唱えながら、今度はその手を首から霊を引っ張り出すような仕草を何度が繰り返していたのだ。そして、その霊能者曰く「全て除霊したのでこれでもう大丈夫です」と。その当時の金額で七万だった。
だが、霊能者の家から出た直後に主人曰く「全く状態が変わっていない。それよりも首が痛くて痛くて」と。見ると真っ赤になっていたのである。私としては最初から母の所へ行きたかったのだが、私の母なので、当時霊的なものを信じない主人にはなかなか切り出せなかった。なので今度は母の話をして母の所へ行くことにしたのだ。続きは明日。

96回目の瞑想

太陽
いつものお祈りを唱える。
今日はほとんど、心地良くまどろむ感じであった。
だが、戻る直前にいきなり光り輝く球体が出現した。そして雷のごとく光り出し、あちらこちらにその光りが落ちて行く光景がしばし続く。
そして、光りの一部がピカッピカッと激しく光った衝撃で突然に戻った。

昨日の続きを書いてみる。
その頃の母は口コミで人数がかなり増えていたので、引越しをして、自宅にご神殿を造り、そこで相談できるようにしていた。私達夫婦もご神殿へ行き、母に相談した。千日行として千日間のお祈りをすることになった。毎日のお祈りの他に節目節目で母の所へ行き、ご神殿で一緒にお祈りをした。(その際には私から霊も出現していた)そのような事を繰り返しているうちに、主人の状態が少しずつ少しずつ薄紙を剥ぐようにではあったが、良くなって行ったのである。

そして、千日間がもう少しで終わりが近づいて来ていたある日、主人が会社から帰って来てあることを言ったのだ。私には衝撃的でびっくりすることだった。
また続きは明日書くことにする。

97回目の瞑想 

ミュージック

いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
お祈りが終わり、少ししてから深く入って行く。

意識が遠のいていた。映像が出現すると、初めて紫色の色のついた電流のようなものが竜巻のように舞い上がっている。かなり綺麗で、そのままずっと見ていたかったが、どんどん上へ上へと上がってしまい画面から消えてしまった。
そして、また戻る頃に、ギリシャのパルテノン神殿の映像が出現する。(画像そのままだった)その時にメソポタミアという言葉も浮かんだ。何か関係があるのだろうか。私の前世なのか、今の時点では何もわからない。

昨日に続きを書いてみる。

主人が家に入って来るなり、私に言った言葉は「後もう300日。という言葉が電車からホームにちょうど降りる時に浮かんだんだよ」と。「っと言うことはもう300日追加ということだよね。大変だけど、やるっきゃないよね」と言うことで、また1年近い年月をお祈りすることにしたのだ。お祈りが進むにつれて、更に主人の容体は良くなって行き、喉に鉛のようなものがつかえている感覚もなくなり、食欲も出てきて元通りに元気になったのだ。このことで主人は神様というものを信じる気持ちになった。やはり体験するということはその人の気持ちを一変してしまう力がある。自分から神棚を買うと言い出し、今もその神棚に向かってお祈りをしている。また当時母のご神殿には古いエアコンがついていたのだが、主人は御礼にと、新しいエアコンを奉納したのだった。
元気になった主人は、やっと最終試験のスタートに立った。
会社から帰ってくると、夕飯を食べて休む間もなくすぐに勉強だった。息子がまだ小さかったので、主人の邪魔にならないようにと私は息子をおんぶして、外の街をあちこち廻って時間を潰した。でも、今思うとその時間も今は愛おしい。若い時の苦労は買ってでもしろと良く言われたものだが、本当にそうだと思う。あの頃のことが今は本当に懐かしい。

紆余曲折がありながら、やっと最終試験を受けることができた。合否はもちろんわからなかったが、受けた翌々日から、私達家族三人と母とで伊勢志摩へ旅行へ行ったのだ。
伊勢神宮の外宮でお参りしたときのことである。ここでも驚くことがあったのだ。

98回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。手足が微弱だが痺れ出す。
お祈りの途中から、徐々に深く入って行く。

今日はいろいろな現象が身体に起きたのだが、どう説明すれば伝わるのかわからない。言葉では言いようがない。
また昨日のギリシャのパルテノン神殿の映像が出現した。先ほど、昔リーディングしてもらった資料を見たのだが、やはりギリシャでの過去生もあったらしい。貴女自身は器が大きいので一箇所に留まることなく、世界の至る所で行をおこなっていた宗教熱心な人で、その土地その土地の宗教に帰依していたと。常に私の心の中には信仰を持っていたとも書いてあった。またギリシャでは息子と音楽活動に従事していたこともあって、息子とはそれまでもかなり深い縁があったようだ。

昨日の続きを書いてみる。

伊勢神宮の外宮でお参りしたときのことだった。私は階段の下にいてビデオカメラを撮っていた。母は私のそばで息子がまだ3歳だったので面倒をみてくれていた。主人だけ階段を上がって行った。階段の上にはかなりたくさんの方がお参りしていた。だが、主人が上がって行くと同時に、上にいた人達が皆降りて来た。そして上がりきると主人がたった一人となり、二礼をする。するとそれまで垂れていた垂れ幕が風もないのに、徐々に徐々に上へ上へと上がって行き、更には凄い勢いで完全に垂れ幕が上にあがったままとなり、中が丸見え状態となったのだ。主人はそのまま二柏手し、一礼すると、それまで高く上がっていた垂れ幕が今度は徐々に下に下がって行き、元の状態に戻ったのである。(その間誰も上がってくる人はいなかった)
その一部始終はビデオカメラに収めてある。何度も見ても鳥肌が立つ。
その時に母曰く「神様に受け入れて頂いたね。合格間違いないね。」と。

それから三ヶ月後に合格証書を手にしたのだ。
私は神様に御礼の気持ちを現すためにもと母のご神殿のお掃除を毎日することにした。それから何日か後のある日、掃除が終わった直後に相談者の方がいらした。いつもは私は掃除が終わるとすぐに帰るのだが、その日はどういうわけか母と相談者の方と私とでお祈りをしたのだ。そこでまた霊が降りて来た。続きは明日。画像は伊勢神宮の外宮

99回目の瞑想

ミュージック
いつものお祈りを唱える。手足の痺れは微弱。
すぐに深く入って行く。すると
すぐに映像も出現。噴水がアートのようにレインボーカラーで演出され、いろいろな形に変わる。とても綺麗だった。更にペガサスに乗って大空を駆け巡る映像も出現。そして、身体の中から、痺れとは違う、微妙なバイブレーションのようなものを感じ出す。金縛りのようでもあるが、身動きが取れない感じではない。また何かを出したい思いになるが、出せないジレンマも感じる。その何かというのはよくわからなかった。


昨日の続きを書いてみる。

実はその相談者は、胃の辺りがひどく痛むということで、ご神殿に来ていたのだ。私から出たその霊は、女性でちょうど胃の辺りをナイフで刺されて亡くなった方だった。母がお祈りを始め、もう亡くなっていること、この世の身体もないこと、だから痛みもないことなどをお祈りをしながら語りかけていた。最初は痛みで顔を歪めていて痛い苦しいと言っていたが、徐々に母の言葉に納得し、お祈りの光りを感じ、全身がその光りで覆われるとナイフの刺さっていた辺りの痛みが消えていった。抜けた後の痺れのような感覚だけが残っていた。
実際に私も霊が降りて来た瞬間から、痛みを感じていた。全身が光りで覆われた時の凄さは今も忘れられない。光りが単なる光りではなく、実体があるように感じ、細胞にまで染み込んで行くようであったのだ。素晴らしい体験だった。
私が戻ると、相談者の方の痛みも嘘のように消えていた。

三人で神様に感謝の気持ちを申し上げたのは言うまでもない。
相談者の方が元気に帰られると、母からあることを言われたのだ。この続きは明日書くことにする。

100回目の瞑想 

いつものお祈りを唱える。手足が微弱だが痺れ出す。
お祈りの途中から、徐々に深く入って行く。
心が静まり、穏やかな気持ちになっていく。何の不安も恐れもない澄み切った心で自分と向き合う。最近の瞑想は、そういう状態になることが多い。今日もそうだった。
映像は、極細の十字の光りが何重にも連なっているものだった。

昨日の続きを書いてみる。
母からの言葉は「ここへ来られる人達を一緒に救ってあげて欲しい。今日のことでもわかるように、やはりお役目なのだと思う。今後は招霊という形で一緒にご神業をして行くことが今は必要なことなのだと思う。」と。
私自身もどこかでわかっていたことなのだと思うが、母に背中を押されて、ようやく決心がついた。
それから10年近く、母が亡くなるまで、主人や息子には多大なる協力をしてもらいながらだが、続けることができた。
その間の招霊の内容はほとんど記憶に残ってないが、いくつか印象的だった内容は覚えているので、また記して行きたいと思う。

101回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。手足の痺れは微弱。
今日はほとんど、心地良くまどろむ感じであった。
映像も何も出現しなかった。
ただ、やはり心穏やかに落ち着いた気持ちになれる。今のこの不安な時期にそういう気持ちになれることは本当に有難い。自粛のストレスも全くない。

ある日、初めての来訪者の親子連れが来られた。
母親と娘さんだった。その娘さんはまだ年若かったが、腰をかがめて歩くような変な姿勢だった。母親曰く「突然に腰が痛いと言い出したら、歩くのもやっとで、あちこちの病院に行って診てもらったのですが、どこの病院も原因不明と言われてしまって・・・知り合いからこちらのお話しを聞いて助けて頂きたくて」と、母親は涙ながらに訴えてきた。
しばし、談笑していると、いつも霊が降りて来る感覚とは全く違う初めての感覚になり、その娘さんの腰辺りに手をかざす。するとその娘さんが「温かい温かい、何とも言えない何かが入って来る感じです!」と叫ぶように言いながら、ワンワン泣き出したのである。
その霊は一言も発しなかったが、私は降りて来た瞬間に高い霊だとわかっていた。そして、私が元に戻ると、その娘さんは「腰に手を当てて下さっているときに治ると確信して、今までの辛さから解放されると思った途端に涙が出まくって、抑えられなくて声まで出てしまいました。本当にありがとうございます。本当に本当に・・・」と言ってまた泣かれていた。
母が「御礼は神様に申し上げましょう。」と言って、皆で御礼を申し上げた。そして、母が「立って歩いてご覧なさい」というと、すんなり立ち上がり、先ほどの状態は全くなく、年相応の歩き方になっていたのである。
また、その時の私の顔はいつもの顔とは違っていたらしい。品のあるいわゆる仏様のお顔のような優しい柔和な顔になっていたらしいのだ。その母親は「お顔の美しさにお高い方だとわかりました。生涯忘れられません。本当に有難いです。」と言われ、何度も何度も畳に頭をつけるようにして、御礼を言われていた。
すると、その娘さんが突然にあることを言い出した。明日に続く。

102回目の瞑想

今日もまた素晴らしい事に気づかせてもらえた。
いつものお祈りを唱える。手足が微弱だが痺れ出す。お祈りの途中から、すぐに深く入って行く。
最初は海の中をイルカと共に泳いでいる映像と共に実際にそんな感覚になる。海の中を堪能すると、今度はオーブのような光りの球体が出現する。その映像を視ながら、更に音のオーラに包まれるような感覚になり、包まれながらもその音のオーラに乗っているような感覚にもなり、上へ上へと上昇していく。その際、昇天してもいいとさえ思っていた。
その時に神様と繋がっているという実感があり、涙がこぼれ落ちる。その時だった。
自分の魂の光輝いている状態をイメージするということに気づかせてもらえたのだ。
本当に有難くて思わず手を合わせていた。

昨日の続きを書いてみる。
初対面にも関わらず、その娘さんは「今日からここのお手伝いをさせて下さい。何でもやります。個人的なお手伝いでも何でも」と。前に出産した霊のことを書いたが、その相談者も母の手伝いを買って出ていた。主人もそうだが、みな自分が体験することで、神様の存在を実感できるのだ。
体験することの大切さを私自身もしみじみ感じている。

103回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
今日はなぜかバイブレーションを感じまくった。

普段感じない音楽のバイブレーションが身体に響き、微妙なバイブレーションを感じる。今度は音楽とは無関係に周期的に身体の中からのバイブレーションを感じ出す。それは瞑想中ずっとだった。映像は海の中から海面を見上げていると、その海面が廻るように動いていて、それがいつの間にかまた宇宙空間の映像に変わった。
(昨日の瞑想で書き忘れた事を書き加えておいた)

今回は親子連れの娘さんのお姉さんことを書きたいと思う。
ただ、相談内容は全く覚えていない。またどんな霊が降りてきたかももう覚えていない。ただ覚えている内容を考えた時に、その霊は多分高い霊だったのだと思う。
覚えている内容とは、そのお姉さんが海外から相談されてきた時のことだった。相談者本人は不在だったが、その時に降りて来た霊が詳細な位置関係と建物の特徴など話され、それは教会でエルサレムという名前まで言われたのだ。私自身は海外旅行と言ったら、ハワイくらいで、飛行機嫌いな私は海外どころか日本でも飛行機では行きたくないほどだった。しかも地理には、とんと疎い。そんな私がエルサレムなどという教会は知る由もない。なので半信半疑であった。
だが後日、お姉さんから連絡がきたとお手伝いに来てくれているその娘さんから話を聞いた。言われた通りの場所に言われた通りの特徴、更には言われた通りの名前の教会があったとのことだった。姉もびっくりしていたと伝えてくれた。それを聞いた私はやはり本当だったのだと鳥肌が立ったのを今も覚えている。

104回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。 今日は涙が止めどなく出た。
完全に意識は飛んでいた。映像も出ない。
ただ、なぜか息子のCDを聴きたくなり「悲愴」を聴く。息子を想って泣くことも少なくなっていたので大丈夫だと思っていたが、チューニングの段階からこみ上げてくるものがあり、息子の音が鳴るともう我慢できずに嗚咽した。「悲愴」の曲自体泣ける曲ではあるが、やはり、まだまだ聴くのは早かったようだ。いつになったら、懐かしく聴ける時がくるのだろうか。息子に会いたい気持ちが募る。

母は人数が増え出した頃から、月に一度例祭という日を設けた。
その日は都合のつく人達皆で、ご神殿で神様に感謝のお祈りを捧げた。私は主人や息子にいつも迷惑をかけているので、例祭は極力出席はしなかった。だがどうしてもと言われて、一度出席したことがある。皆でお祈りをし、何とも清々しい気持ちになる。するとなんと何と不思議なことに『金粉』が降ってきたのである。まばゆいばかりの煌めきに皆一様に驚き、有難くて泣いている人もいた。ある人は持って帰った。だがすぐに消えてしまったそうだ。それからというもの
例祭のたびに金粉は降ってきたらしい。時には相談で霊が降りて来ているときにも、金粉は降ってきたのである。
これは一体どういうことなのか、今もわからないままである。

83回目の瞑想

チューリップ
いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
お祈りの途中から、すぐに深く入って行く。

昨夜に引き続き、再度具体的に思念やイメージをする。だがやはりかなり難しさを感じる。だからこそ大事なのだと思う。向こうの世界では思念やイメージすることがとても重要らしい。
昔読んだ霊的本に向こうの世界に旅立った人が交信で伝えて来た言葉に「思念やイメージをもっときちんと訓練しておくべきだった。こちらの世界ではそれが何よりも大事なことで、その事なくしては何も出来ないことをこちらの世界に来て初めてわかった」と言われていた。その事を今回自分が試みて改めて思い出した。
与えられた映像が出現し、それを見ることが如何に容易な事かがわかった。(もちろん、映像自体出現するまでには時間を要するが・・・)
何度も具体的な物事をイメージしようと試みるがなかなかイメージできない。できないともう違うことを考えていたりしている自分がいる。そして、慌ててまたイメージに集中する。の繰り返し。

けれど、そんな状態でも、突然に牧歌的な風景が現れた。なぜか懐かしい気持ちにもなる。またそこには白雪姫の小人のようなお爺さんが座っていて、一生懸命に何かを話していた。顔もはっきりとわかったが、この世では会ったことはない。でも知っているような変な気持ちにもなった。

今回は話が
後先になってしまったが、実は昨夜、小林先生から瞑想で幽界に行く方法をメールで教えて頂いた。ただ、具体的な思念やイメージを自分がするのは初めての試みであったので深くは入っているのだが、とても難しくて結局、寝落ちして終了となってしまった。

話しは変わって今日は母の日。
画像は去年息子から、薔薇大好きな私に母の日のプレゼントとしてもらった花束。
今年はこの世のプレゼントよりも、もっと大切な事を学びとして贈って貰えていることに感謝感謝。

84回目の瞑想

紫
いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
今日もイメージすることを試みたが、なかなか上手く行かない。

結局、別の映像が出て来てしまった。
湖のほとりで鹿が水を飲んでいる。と思って見ていたら、そのまま水面がどんどんと近づいてきて、湖の中へ入ってしまった。私は実際には水に潜ったという体験がないので、貴重な体験をさせてもらった。とても綺麗でいろいろな魚が泳いでいたが、見たこともない魚もいた。少しだけスキューバダイビングされる方の気持ちがわかった。でもやはり、実際にするのは遠慮しておく。
戻ると、また地震で多少揺れた。最近地震が多いような気がする。

今日は私が霊媒体質だとわかった時のことを書こうと思う。
私には姉と妹がいる。妹は小さい頃から霊感があって霊を視たり、感じたりしていた。私達子供部屋は(姉の部屋と私と妹の部屋)隣り合わせで二部屋になっていてカーテンで仕切られていた。
当時、私達三姉妹は「こっくりさん」にはまってしまい、模造紙にあいうえお順を書いて、霊感のある妹がそこに手を当てて、質問に答える形で妹の手が動いて行くというやり方だった。くだらない質問から、少し真剣な質問までいろいろとやっていた。ある日、姿を見せてほしいと言うと、当時犬を飼っていたのだが妹の手が動いた字を追っていくと「犬がいるから、入れない」と。私達姉妹は目配せして、声を出さずに「きつね?」お互いに顔を見合わせてちょっと怖くなった。そして母に初めて「こっくりさん」をやっていたことを打ち明けた。

もちろん、すぐに辞めさせられた。
この「こっくりさん」をしていた時に、いろんな霊現象が起き始めたのである。
ある日、夜中に目が覚めると、姉の部屋で本棚から本が落ちる音がした。更に今度はページをめくる音が・・・(夜中なのにまだ起きてるんだ)と思いながらまたいつの間にか寝入っていた。そして翌朝、姉に聞いてみると本など読んでなくて寝ていたと言われてびっくりする。だが本は床に落ちていた。また姉妹三人で輪になっておしゃべりしていると、輪の合間から手を叩く音がはっきりと聞こえた。これは三人とも聞こえてゾーッとする。
更に妹がトイレに行きたくて、起きると少し離れた所に男の人が立っていてこちらを見ていたらしい。あまりの怖さに朝までトイレを我慢していたということもあった。
とにかくいろいろな霊現象が起きたので、母が一度子供部屋をお祓いしようと言い出した。そしてお祓いする当日のことであった。(話が長くなってしまったので続きは明日にする)

85回目の瞑想

太陽
いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
お祈りの途中から、眉間辺りもかなり痛いくらいで痺れというか押さえつけられているような感覚になる。

ただ、イメージする、ということを取り入れてから、なぜか瞑想自体が疎かになっているように思う。
早くイメージに集中しようという焦りが瞑想にも影響しているようだ。
今日の瞑想時の映像はほとんど出なかった。深かったり、浅かったりと一定ならず。
けれどイメージするということも、とても大切なことなので瞑想とは別にイメージの練習をして行こうと思う。やはり、イメージ忍具は霊性と繋がるには必須なようで、様々なイメージが出来るようになると故人からのメッセージがイメージとして受け取りやすくなるようなので頑張りたい。

昨日の続きを書いてみる。
お祓い当日、姉のベッドの上に姉、私、妹の順番で並んで座ったのだが、私はなぜか笑いが止まらず、座るのも一番最後で母に急かされてだった。
正座してもなお笑いが止まらなくて母に怒られる。そして母のお祈りが始まった途端に、笑っていた私は突然に泣き出し、苦しみ出した。今となっては詳細な内容はほとんど覚えていない。だが終わってからの家族の話は覚えている。

家族にとっても私にとっても霊の憑依は初めてであった。なので、それぞれがびっくりし、姉と妹は私がどうかなってしまうのではないかと泣いていたらしい。また父はその霊に私が乗っ取られてしまうと思い、私の頬を平手打ちしたのである。するとその霊は無言になってしまった。(これは強烈だったので覚えている)
けれど、母だけは驚いたものの、冷静にお祈りして対処してくれていた。父のせいで無言になった霊だったが(確か悩んだ末に亡くなった方だったように思う)母が親身に受け答えをした結果、スーッと私の身体から離れて行って、元に戻ったのである。しかしこれは単なる序章であった。
それからほとんど毎日のように、私は憑依されるのである。私の場合は首から霊が入って来る。時には1日に数体ということもあった。そしていつしか母は審神となり、私は霊媒者となって時を過ごしたのである。ほぼ1日がかりであったが、ちゃんと食べる時間はとれた。また身体は疲れるが、霊が身体から離れると清々しい気持ちにもなった。だからこそ続けられたのだと思う。
すっかり審神として慣れた母だったが、一度だけ、それこそ試練ではなかったのかと思う事が起きたのである。(私は後から聞かされたので、その時には全く知らなかったので、とてもびっくりした)
また明日にでも続けて書こうと思う。また、霊媒としてはほとんど終われば記憶がなくなってしまうが、それでも印象深く覚えているものもあるので、それも少しずつ書いて行ければと思っている。

今は様子見だが、修理に出さないといけないか知れない。

86回目の瞑想 

ミュージック

いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
お祈りの途中から、すぐに深く入って行く。

最初に出現した映像は海だった、かなり高く打ち上がった波も見えた。
そして、今度はあかね色に染まった夕焼けの映像が出現する。その美しい光景に眼を奪われる。
と同時に何だか切なくなった。
「在りし日の 面影偲ぶ あかね雲」

今回の画像は銀婚式に九州旅行した時の長崎県・九十九島の夕景。
旅行中に撮影した写真だがあまりにも似ていたので、UPしてみた。


今日は息子のスマホを契約解除してきた。やはり辛かった。
そんな想いからなのか、夕焼けのあかね色の美しさに感動したからか
今日はやけに感傷的になってしまった。

昨日に続き、母の試練の話。

その日は、私が風邪を引いていて、寝込んでいた。夕方になるとほとんど熱を出さない私が高熱が出した。母は一晩中付き添ってくれていたのだが、夜中にある霊が現れたらしい。「かかりたい〜、かかりたい〜」と、か細い声でグルグルと私の周りを廻ろうとしていたらしい。だが母は私の体調を気遣い、かからせないようにと、起きていてくれたらしいのだが、その霊は何としても私に憑依したかったようで、今度は語気を強くして母に挑んで来たらしい。翌朝その凄さに母は初めて恐怖を感じたのだと言っていて、「もう霊能者として資格はないし、辞めようと思う」とまで言っていたのだ。そこまでその霊の執拗さは凄いものだったらしい。その霊はどうも病院で亡くなったようで、家族にも看護師さん達からも見放されていたようで、ひどく人を恨んでいたようだったと、母は言っていた。そして後日その霊は私から出てきた。そしてその時に母は見事な受け答えをして、その霊の恨みの気持ちを鎮めたのである。その後はどんな霊が現れてもたじろぐことはなかった。

87回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
お祈りの途中から、涙が出て出て止まらなかった。

やはり、息子の面影を思うと悲しみは募る。そんな想いを表に出して頂けたように思う。まだ思い出というには早すぎて、一年前の元気な姿を思い出としては考えられない。シルバーバーチの霊訓にあるように、息子本人は魂として、生き生きと元気に活躍していることはわかっている。なので息子の心配は全くしていない。ただ、自分自身の嘆きからはまだ乗り越えられたとは言えない。
ただ、戻った時にはかなりすっきりとできた。本当に有難い。

昨日に引き続き、霊的なお話しをしようと思う。

母は、秋田県の1200年以上続いている神社の神主の娘だった。なので母自身、神様に対する想いは深い。また母は元々芯が強く明るく太陽のような人であったが、恐怖体験を乗り越えてからは信念を土台とした強さを身につけていて、本当に頼れる存在であった。そんな母に育てられた私は小さい頃から、神様という存在を漠然としてではあったが信じていて、それだけはどんなことがあっても揺るぐことはなかった。

私の憑依が始まってからは、いろいろな体験をさせられた。

母の元へは口コミで来られる方が多かったのだが、ある日、相談者の人が「何だかわからないけれど死にたくて仕方がない」という連絡があり、母はその人にずっと付き添っていた。とりあえず喫茶店で話していたが、立ったり座ったりと全く落ち着かず、時にはお腹を押さえてうめき声まで出したという。そして隙あらば外に出ようとする。しかも車道に飛び出して行こうとしていたらしい。それを必死で止めていた母は車道側を自分が歩き、その人の服の袂をずっと持ち、このままでは危ないと自宅へ連れ帰ることにしたのである。
連れて帰り家に入ってドアを閉めた途端に、子供部屋にいた私が暴れ出したのだ。その時は妹が一緒にいたので、すぐさま母を呼びに行った。母は相談者の人を妹に託し、私の所へ来た。それから信じられないような事が起きたのである。続きは明日書くことにする。( ピンボケ画像は母)

88回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
だが、今日は手足の痺れよりも眉間の痺れがとても強くビリビリとしていた。

すぐに映像が出てきた。雲のように感じるのだが、その動きはまるで布のよう。初めて見る映像で不思議な感覚だった。また宇宙空間からエネルギーが降り注いで来る感覚になり、益々痺れ感が強くなる。
意識が遠のいているうちに曲が終わりに近づいていた。

昨日の続きを書いてみる。

母が子供部屋に入って来るとすぐに「どうしたのですか?」と話しかける。すると「産まれる〜!産まれる〜!」と絶叫しながらのたうち回る。母は冷静に「赤ちゃんが産まれるのですね。大丈夫、頑張って産みましょうね」と言う。その霊は泣きながら「産みたい、産みたい」と。母「判りました。お手伝いしますよ。お母さんになるんだから泣かないでしっかり頑張りましょうね。ほらもう頭が出てきましたよ。もう少しです。頑張れ頑張れ!わあ〜産まれましたよ。よく頑張りましたね、はいあなたの可愛い女の子の赤ちゃんですよ」と言いながら、赤ちゃんを抱かせてあげると、泣きながらもホッとしたように「私の赤ちゃん、女の子なんですね。ありがとうございます」と言うと、スーッと私は戻った。

この霊はお産の時に赤ちゃんを産むことなく亡くなっていたので、ずっと産みたいという想いで執着していた。想いを果たしたことで、その想いからやっと解き放たれて自由になれたようだ。母にはその状態が視えていたようだった。女の子というのも視えたからこそ教えてあげられたのだ。


そして母が相談者のところへ戻ると、なんと妹と何事もなかったように談笑していたらしい。
さっきまでの様子は微塵もなく、相談者本人も狐につままれたようだった、と後で聞いた。
もちろん、事の次第を相談者に話したのは言うまでもない。

画像は我が家の小さな庭の薔薇達。綺麗に咲き誇ってくれている。

89回目の瞑想 

いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
お祈りの途中から、すぐに深く入って行く。

眉間に痺れというか、押さえつけられているような感覚になる。
どんどん深くなるにつれ、夢を見ているような感覚になる。すると、私の頭から一部の細胞を抜き取るという映像が出現。その瞬間に一瞬意識が戻り「今のは何?」という思いになる。でもすぐに頑固な心、執着する心を失くすためにという思いが心に浮かぶ。また、なぜかその時に4日という文字が出て来ていた。

戻ってから、5月4日のノートを見てみると得心できた。
そのことに関連して5月7日に書いたことだが、小林先生のお返事のメールをご許可頂いたので、私の未熟さを露呈してしまうことにもなるが書いておく。
『日々のカウンセリングのご相談者様に「魂の動画見ました」と感想を言われています。皆さん驚いていますよ。
ご家族を亡くされたことのある方は、魂がある事実に喜ばれていました。
「凄いです・・・本当にこのように現れるのですね・・・」
「その魂(息子さん)のお母様に対する愛を感じます・・・」
「その動画を見て心が温まりました・・・」このようなご意見をたくさんいただいています。
ですから見られた方は信じられて感動されていることには間違いありませんから安心して下さいね。』

この文面を涙ながらに拝見させてもらった。

その時に私は気づいた。同じ体験をして悲しんでおられる方達に癒やしになればと書きながらも(もちろん、その気持ちは本心)息子の動画の感想コメントに自分自身が癒やされ、救われるということを・・・何とも情けない話であるが、それも本心なので認めるしかない。
でも、今回は執着する心、頑固な心を失くすという啓示なので、改めて努力していこうと思う。本当に有難い。


明日からはプロフィールにも少し書いたが、結婚前に実家で飼っていた雑種犬(レディ)の世にも奇妙な感動物語を書いてみたいと思う。

90回目の瞑想

今日は瞑想を始めてちょうど3ヶ月目に入った。
いつものお祈りを唱える。手足の痺れは微弱。
お祈りの途中から、しばらくして深く入って行った。

今日もいろいろな映像は出て来たが、覚えているのは三つくらい。
光りが私の顔を横切って後ろの方へ行くという初めての感覚に映像のような実際のような不思議な感覚だった。次は電流のような光りが花火のように散りばめられて行き、いつの間にか宇宙空間に浮いているという感覚になる。その間も私の周りで光りが交差していた。更にこれは何なのかさっぱりわからないのだが、林田先生という女性も出て来た。お顔もはっきりと見たが私の知らない人だった。ちょっと沈んだようなお顔だったが、言葉は何も発してなかった。何のためだったのか、不思議である。
しばらくして「心を澄ませば 懐かしい声が聞こえる」という言葉が浮かぶと同時に身体中がジュワーっと熱くなり、足の膝の横辺りが痙攣のようにビクビクし出した。こんな体験も初めてであった。更に息子の遺影の方で、物凄い音がした。単なる音と言うよりは何かを動かす物音のように聞こえた。(戻った時に見てみたが動いてはいなかった)
しかも昨夜のことであるが、契約解除した息子のスマホのアラームが電源も落としてあったにも関わらず、いきなり鳴り出してびっくりさせられた。しばしナーバスになって気持ちが揺らいだ。だが、朝になるとスッキリとした気分になっていて安心する。

昨日今日と不思議な現象が続いたのを機に息子にあることをお願いしてみた。ただこれは物凄くエネルギーが要ることだと思うので成就できたら書きたいと思う。

飼い犬の世にも奇妙な感動物語を書いてみたいと思う。

我が家は三人姉妹ということで、番犬として犬を飼うことにした。私が小学6年生の時だった。動物愛護協会でもらって来たのだが、ちょうどその時に2匹の仔犬を泣く泣く置いて行かれた人のとっても可愛い女の子のわんこだった。
わんこの名前をレディと名付けた。世話は私がほとんどやっていた。またその年の終わりには仔犬6匹が産まれ、毎日が最高に楽しく幸せな日々だった。だが仔犬6匹は飼えるわけもなく、別れる時が来た。私達はもちろんのこと、母親であるレディの嘆きは尋常ではなかったし、仔犬もわかるらしく、レディの側から離れようとしなかった。そんな辛い体験をしたレディと私の仲はどんどんと深まっていった。修学旅行などで家を空けるときはかなり寂しそうにしていたらしい。帰って来ると私に飛びついて甘えるレディ。中学卒業時には泣いていた私に優しく手を舐めてくれたレディ。思い出は一杯ありすぎて、かけがえのない大切なわんこだった。
だが、結婚を機に家を出るとレディはいつも遠くを見て悲しそうにしていたと母から聞いた。なので実家に戻った時には必ずレディのところへ行き、撫でてあげると、ちぎれんばかりに尻尾を振って喜んでくれたのだ。
しかしある日、レディがお尻から大量な血を流したとの電話にすぐ実家に駆けつけた。今晩がやまと獣医に言われたとのことで、母が一晩中手を当ててくれた。翌朝、うとうとしていた私の顔を舐めに来た。驚異の回復力で元気になったのだが、母のおかげであるのは言うまでもなかった。獣医も驚いて首を傾げていたと言う。
けれども、それから数日経ったある日妹から「大変よ!レディがいなくなってしまったの。どうしよう」との電話。
母と妹でポスターを作って貼ったり、夜は夜で名前を呼びながら探していた。私もできる限り手伝ったが、一向に見つかる様子はなかった。
そんなある日の夜、母は霊夢を見たのである。
その内容は明日にする。(画像はレディ)

91回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。手足は最初は微弱に痺れ出す。
お祈りの途中から、すぐに深く入って行く。

訳のわからない映像が次から次へと出て来た。一つの映像が短か過ぎてあれよあれよという間に変わってしまう。しばらくその状態でいると、いきなり前からイメージしてなかなか上手く行かなかったものが出現した。思わずびっくりして集中するとイメージしていた先までどんどんと進んで行った。
その間の身体が熱いこと熱いこと、やはり汗ばむ程だった。ビリビリ感も半端なかった。更に眉間から光りを放っている感覚になる。光りを頂くのではなく、自分が放出している感覚だった。何とも不思議な感覚で、戻ってからも自分からというのが初めてだったので、その余韻に浸る感じでボーッとしていた。
ただイメージは残念ながら途中までだった。でも今日のことで少し自信が持てたので、簡単には行かないと思うが達成できたら、記したいと思う。

昨日の続きを書いてみる。
母は霊夢を見た。それは清掃車に乗ったレディが◯◯堂という場所に連れて行かれるのをはっきりと見たのだ。
翌日急いで、そこの清掃事務所に電話すると「写真とかありますか?確かにもう荼毘に付したけれど交通事故にあった犬がいるからと連絡があって車に乗せて来ましたが・・・」とのことで、すぐに写真を持って母と妹は向かった。その写真を見ると「ああ〜このわんちゃんだ!赤い首輪にこの鎖、鎖が少しついていたんですよ。よくこんな頑丈な鎖が切れたな〜」と。母と妹はその場で号泣し、焼き場に案内されたとのこと。電話でその事を聞いた私もどれだけ泣いただろうか。ただただ大声を上げて子供のように泣きじゃくっていたのを覚えている。レディ16歳。

更に清掃事務所の方曰く「お宅のワンちゃんは事故に遭われたけれど、とても綺麗だったよ。それは連絡してきた人の話だと事故直後にすぐに段ボールを見つけて来てそこに入れてくれた人がいたらしい。そしてその段ボールには『人間の犠牲になって死んだわんちゃんです。手厚く葬ってあげてください』と書いてあったんですよ。」と。それを聞いて更に大泣きした。本当に有難かった。私と妹は動物が大好きで自分達なりの今で言う保護活動をしていた。たくさんの犬猫、鳥などを保護し、時には病院に、もらってくれる人にと一生懸命に行動していたのだ。それがレディを救ってくれたのではないかとも思った。
レディは一度散歩の途中に車と正面衝突したことがある。咄嗟に車の下に逃げ込んだので、この時には全く無事だったが、パニクって私達が呼ぶのもわからずにしばらく車の通らない所をどんどん走って行ってしまったことがある。なのでそれからは車を見ると怖がって近寄らなかったので、車道に出るなどということはあり得ない。多分死期を悟って姿を消そうとする本能だったのではないかと思う。ただ、母はレディがいなくなったその日に、誰もいない子供部屋から綺麗なピアノの音が聴こえたと言い(実際にピアノは自宅にあった)ピアノを鳴らしたその人(霊)が連れて行ったのだと言っていた。
プロフィールにも少し書いたが、レディの話の続きと幽体離脱した時のことを明日書こうと思う。

92回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
お祈りの途中から、すぐに深く入って行く。

オーロラの光りが上から降り注いで来る感覚になり、私の頭から目の前に降りてくると、その光りが更に輝きを増して、とても綺麗だった。しばらく見入ってしまっていた。その後は心地良さにまどろむ状態が続き、意識が別の空間にいるように感じる。曲が終わるのも、ものすごく早かったように思った。

昨日の続きを書いてみる。
かげかえのない大切なわんこレディを失って数日経ったある日、私が自宅でうとうとと昼寝をしていると金縛りのような感覚が起きて、いきなり魂が身体から抜け出たようだった。部屋のあちこちを浮遊でき、ガラス戸なども通り抜けられた。部屋中をそんな感じで散策し終わり、戻る直前に自宅の2階のマンションのベランダから犬が入って来たのを感じた。「えっ?なんで犬が2階のベランダから入ってこれる?」と思った途端に、私の手をペロペロと舐めだして、すぐにレディとわかった、実家に帰った時と同じように尻尾をちぎれんばかり振り、手を舐めてくれるレディを感じながら、お互いの気持ちが通じ合うのがわかった。涙を流しながらその幸福感に浸っていると、スーッと私から離れてまたベランダから出て行ったように思った。しばし呆然とするも込み上げてくる思いに胸が熱くなり、深い絆を感じ胸が一杯になった。そしてそれからまた数日後に母から電話が来た。「今朝レディが光輝くキラキラ光るマントのような布に包まれて昇天する様子が見えたのよ。とても素晴らしかった!本当にみきちゃんが大好きだったのね。大好きな人に最期に会えて満足できたからだね。お母さんもこれで本当に安心した。」との言葉に私も温かい気持ちになり、嬉し涙が出た。

今年で36年にもなるが、この時のことは昨日ことように思い出せる。それだけレディとの絆が深かったのだと思う。

向こうの世界で会えるのを楽しみにしている。

93回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。すぐに深く入る。
曲の一回目は完全に意識が遠のいていて、音が聴こえていなかった。

映像も出て来ていたような、いないようなほとんど記憶に残っていない。
2回目は眉間の痺れ、身体の痺れが共にかなり強くなった。しかも眉間から頭の奥の方まで痺れて何も考えられないようになる。
身体の痺れが強くなると同時に熱くもなりと、そのように変化しているうちに身体の感覚がなくなる。頭はボンヤリとしていたが、徐々に元に戻った。

今日は、またプロフィールにも書いた世にも奇妙な感動物語Part2 猫編
その名をココアと言う。ココアは虐待された猫だった。当時猫の保護活動をしていた妹が、姉に里親を依頼したのだ。姉は既に先住猫がいたが理由を知ってすぐに快諾した。しかし、虐待されていたので人間不信だったココアは、一生懸命にできる限りのことを精一杯やってくれた姉夫婦になかなか懐かなかった。そんなココアに少しでも人間不信を解消すべく、じっくりとゆっくりと焦らず距離を縮めて行けばいいと愛情を注いでいた。その話を聞いていた私は早く信頼関係を築けるようにと願っていたのだ。
そんなある日、ココアに会って欲しいと言うので姉の家を訪問した。玄関を上がってバックを下ろし、そのままそこに座ると、何と初めて会った私にココアが最初は足先だったがスリスリしてきたのだ。またバックの匂いも嗅いだりと私の周りから離れなかったのだ。それを見ていた姉は「えっ〜!何で?なんで〜?私達はどれだけココアのことを考えているかわからないのに、初めて会ったみきになんでそんなに懐くの〜?」と。私自身もなぜここまで甘えるかわからなかったが
ココアのそんな態度に姉に申し訳なく「うちには犬がいるから、犬の匂いが初めてだったからじゃないかな」と、苦しい言い訳をした。後で姉から聞いたが相当にショックだったらしい。もちろん、私も同じ立場だったら、同じ気持ちになっていたと思う。(ただ亡くなる頃には姉夫婦と信頼関係を築くことが出来ていた)
そして、プロフィールの話しになるのだが、ココアは本能で私が看取る人間だとわかっていたのだろう。きっと前生で縁が深かったのではないかと思っている。
あの時に私の携帯が鳴らなければ、抱っこして看取ってあげることはできなかったと思う。むしろ、看取ることさえできなかったかも知れない。
それを思うと、亡き母が私に電話なんかしてないで、ちゃんと看取ってあげなさいと言われたような気がしてならない。(
画像は手前がココア)

70回目の瞑想

チューリップ
いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
お祈りの途中から、かなり深い状態となって行き「無」の状態となる。

ただ状態と言うよりは「無」の中にいると言った方がしっくりくる。
また、手足の痺れよりも、おでこ(眉間辺り)が、とにかくずっと電流が流れているような感覚があった。
更におでこから眼に、そして顔に頭全体にと電流の流れを感じていると

「大きく口を開けよ。そして胸いっぱい、身体一杯に神のエネルギーをそそぎ入れよ」とのお言葉が突然浮かぶ。
その言葉通りにしてみると、身体中が強力にビリビリとし出した。特におでこのビリビリ感は凄かった。

その時に第三の目、所謂第六チャクラが直に覚醒されるのではないかと思うほどだった。
戻ってからも、しばらくビリビリ感は続いていた。

71回目の瞑想

紫
今日の神秘体験も強烈だった。ただ、強烈過ぎて全部は覚えていない。覚えている限りを書いておく。
いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。

今日も眉間辺りが痛い程のビリビリ感だった。また身体中の痺れも凄くなって行った。右手の肘の内側がビクッビクッビクッと盛り上がるような感覚になると、右足の膝の裏側も同じような感覚になった。今まで感じた事もない感覚に少しびっくりする。
その後、身体中の力が抜けて行くような、魂が上昇して行くような感覚になると身体が温かくなるのではなくて、心が温かくなるということを初めて実感する。
そして、最後には自分の住処に帰りたい、戻りたいと強く思ってしまっていた。

72回目の瞑想

太陽
夜の瞑想のみ行う。いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
映像が次から次へと出現する。
その中でも薄い白い雲が漂っている状態がしばらく続き、その後は何度も出現している宇宙空間に流星群のような
光輝く球体がキラキラと光りながら、早い速度で流れる。それが画面一杯に広がるので、本当に美しい。
消えないようにとずっと見入っているが、しばらくすると消えてしまい、うつらうつらしていた。
すると突如、小林先生のご自宅にいる自分に気づく。玄関の右側の階段を上がるとカウンセリングのお部屋だが、階段をスーッと上がり、カウンセリングのお部屋は薄ぼんやりと中が見える感じだった。辺りを見回すと先生はいらっしゃらなかった。するともう下の玄関のプライベートのお部屋の前にいたが、プライベートのお部屋ということで失礼しようと思った途端、もうそこにはいなかった。
かなり、リアルだった。

夢だったのか、体外離脱したのかわからないが、実際に先生のお宅にお邪魔したとしか思えなかった。

昨日は最近PC(Mac)の調子が悪く、ネットに繋がらない症状が出ていて、AppleCareの方と相当な時間、電話で相談していた。
今は様子見だが、修理に出さないといけないかも知れない。

73回目の瞑想 

ミュージック

いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
お祈りの途中から、深く入って行き、瞑想中ずっと夢心地であった。
途中で高いソプラノのような歌声が聴こえたように感じると、涙がこぼれた。
身体中、頭、おでこ、顔、ビリビリ感ではなく、ピリピリとした優しい感じの痺れ感であった。

74回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
今日は雑念が出て来て、深く入ったり、浅くなったりを繰り返していた。

が、そのうちに例えると車に乗って、サンルーフを見上げているようなシチュエーションで白い雲がどんどんと動いて行く様の映像が出て来た。
しばらくそれを見ていると、自分自身も前へ進んでいるように感じる。
すると、今度はいきなり身体の中が、マッサージ器のあのバイブレーションのような感覚を感じてびっくりする。初めての感覚だったので、何事が起きたのかと思った。

更に地震のような身体の揺れを感じて、それがだんだんと小刻みになって行き、揺れは止まった。
こういう身体に感じるものは何なのだろうか。エネルギーの感じ方の違いなのだろうか。


一昨日の小林先生のお宅訪問を小林先生にお聞きしたら、やはり幽体離脱だとのこと。

75回目の瞑想

瞑想を始めようと目をつぶった途端になぜか、いきなり込み上げて来て涙がこぼれ落ちる。
お祈りを始めても涙が止まらなかった。
感謝の涙ような、悲しい涙のような、心に感じる想いがはっきりとはわからないまま涙は出続ける。

そうしていると、大きな白光の光りを放った球体が出現する。徐々に球体から長細くなっていき、電流のような光りが凄い量で散りばめられていく。だんだんと小刻みになり、さざ波のようになって行った。
(凄い量で散りばめられている電流の映像に似た画像を探していたら、そっくりの動画があってびっくりした。それを紹介したかったが、有料で高価だったので諦めた)
あまりの強い電流の光りに放心状態になり、身体を感じられなくなった。
心は別の場所にあるようにも感じた。



今日は息子が亡くなってちょうど8ヶ月目である。
今朝、花壇の手入れをしていると、黒いアゲハチョウが飛んで来た。
私の目の前を何度も回り、飛んで行ってしまった。
黒いアゲハチョウは神の遣いとも言われているらしい。また、蝶は霊を感じる可能性が高いとも言われているようだ。その時、私は亡き息子がいたのではないかと思っていた。
瞑想の途中に息子は幽界から霊界へと旅立ったのではないかとも思った。
それが涙の理由のような気もしていた。
亡くなってちょうど8ヶ月目といい、黒い蝶が飛んできたことといい、何かあるような気がしてならない。

76回目の瞑想 

いつものお祈りを唱える。手足が微弱だが痺れ出す。
お祈りが終わって1回目の曲が流れている間はまどろむような感じで心地良かった。
2回目の曲が流れると、更に深く入って行ったように思う。時折、涙が出た。手足の痺れも強くなって行く。

そして、次のようなお言葉が心に浮かんだ。
「今こそ、愛を顕現させる時。自分の心を信じ、人を想い、人を敬う。人を想うて行動すべき時。」
また続いて「為せば成る。為さねば成らぬ何事も」も浮かんだ。このお言葉は有名だが、なぜ心に浮かんだのかと改めて調べてみた。
【どんなことでも強い意志を持って行えば必ず実現する】という意味で米沢藩藩主の上杉鷹山氏のお言葉だった。
今の社会情勢を鑑みるとまさに当てはまるお言葉なのだと思った。

(若干17歳で九代目米沢藩主となり、莫大な財政赤字をかかえて傾いていた米沢藩の財政を立て直してことで有名とのこと。元アメリカの大統領ジョン・F・ケネディ氏やビル・クリントン氏が日本人の政治家の中で一番尊敬している人物として上杉鷹山氏を挙げているとのこと)

77回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
お祈りを唱えていると、心が苦しくなる。
神様に「正しき道をお示し下さい」と何度も心の中で唱える。
すると、心の奥の方からアオーンという素晴らしいお声が身体中に響くように3回聞こえた。同時に身体中が凝縮するような感じで痺れ出す。涙が流れる。
特に左手の手のひらを中心にジリジリと痛い程痺れる。この時にまた電流のような映像が出現した。後は意識が飛んでいてほとんど覚えていない。

心が苦しくなるという思いには二つの思いがある。
息子の魂の映像が録画出来たことでその事実に、魂の存在やひいては霊的な事を信じる人が多くなるのではないかと思っていた。
だが、やはり自分自身に起きた現象ではないので、信じることは難しいのではないかという思い。また愛する人を亡くした方のお気持ちを少しでも癒やして差し上げられたらと思っていたが、自己満足だったのではないかという思い。
日ごとにこの思いが募ってくる。いつか答えが出るのであろうか。

78回目の瞑想

今日の瞑想は素晴らしかった。いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す
お祈りの途中から、映像がすぐ出現する。

全体が薄い青色で、その中心から電流のようなものが四方八方に流れているのだ。見ていると、それがどんどんと近づいてきて、目の前まで来ると身体全体が微弱ながら痺れ出す。そして身体の芯がカーっと熱くなって、汗が滲むほどだった。有り難くて涙が出まくった。
そして次のような御言葉が浮かぶ。

「意念に集中せよ」
「心を閉ざすなかれ、心を開けよ。そして信じよ。さすれば全て叶う」

この御言葉が浮かんだ時に、亡くなった人に対して気配を感じるとか感じないとかではなくて、常に繋がっていると信じることなのだと強く思った。
絶対的に信じる事がその人との繋がりを強固にするのだと確信した。逆に半信半疑になる事が心を閉ざしているということになり、せっかくの繋がりを不安定にしてしまう。
亡くなった人との繋がりを感じるのは、繋がりを絶対的に信じる事、更には意念(実際に繋がっている場面をイメージをする)に集中し、それを通じて自分の心に確証が持てて行くのだと思った。
神様を信じるということも同じく、一点の曇りもなく、ほんの少しの疑いも持たないということを確信した。涙が止まらなかった。

79回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
お祈りの途中から、今日もいろいろな映像が出現した。

宇宙空間に十字のような光りが光線を放って綺麗に見えた。映像が何度か切り替わっても、この十字のような光りばかりが出続けた。今も目をつぶると残像が出て来るほど。(画像はあくまでイメージ)
また、波形の模様の映像が出現し、前後にゆっくりと動く。
眉間辺りのジリジリ感はずっとある。身体中も熱くなってやはり汗が滲むような感じだった。

更に黄金に光り輝く球体が出現し、波紋が広がるように、その光りが広がって行く。なんと美しい光景なんだろうと見入ってしまった。この光景の印象が強すぎた。
他にも映像はいろいろと見えたのだが、今は全く思い出せない。

映像の合間合間には意識が遠のいていたりと、元に戻るとまるで夢を見ていたような錯覚に陥った。

80回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。
曲の1回目は宇宙空間の例の映像や映像なのか心に浮かんだのかは今はよく分からないが、アフリカになぜかお薬をもらい行くというもの。お薬は何なのかは不明。

身体の中から湧き上がってくるようなバイブレーションを微弱だがずっと感じていた。
そして、曲の2回目は最初こそは聴こえていたが、その後はほとんど聴こえずに、気がついた時にはもう終わり近くになっていた。意識が遠のいていたのだと思う。目を開けると両目から涙がこぼれて来た。いつ涙が溜まっていたのかさえわからなかった。

こちらは現実の話。5月4日に悩んでいた件で5日の夜にふとあることを思いついた。本当にふとであった。(それがご守護霊様のお導きであったことは後でわかるのだが)そして翌日に思いついたことをやってみると、見事にそこに答えはあった。感動で涙が出た。一瞬のうちに悩んでいたことが消えてしまった。こんなに早く問題解決できるとは思ってなかっただけに、すべてはご守護霊様のお導きのおかげと心から感謝申し上げた。またご守護霊様の存在を実感として感じる事ができたことも本当に有難かった。

その件について小林先生にもご相談のメールを送らせてもらっていたが、解決したその日の夜に(昨夜)お返事のメールを頂いた。そのメールにも涙してしまった。私の未熟さを露呈してしまう事ではあるが、小林先生のご許可をもらえたら、そのことを掲載させてもらうつもりでいる。

81回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
眉間のジリジリ感も最初から感じるようになってきた。ただ、通常の痺れとは違う感覚。。

音楽も流れているのだが、最近は瞑想中聴こえたり、聴こえなかったり・・・
すると次のようなお言葉が心に浮かんだ。

「どんなことにも苦難は生ず。その苦難を如何に対処するかが問われる。心を澄ませて魂の声に耳を傾けよ。さすれば自ずと道は開ける」


この直後に戻った。このお言葉をノートに書きながら、これが普通にできたらそんな有難いことはないと思ってしまった。まだまだなのだなと痛感する。

82回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
今日の瞑想はほとんど心地良く、まどろむ感じだった。また心もほんわかしていた。

ただ戻る寸前に黄金色の光り輝く球体がいつもよりも大きく出現した。その光りは柔らかく温かく何とも形容しがたいが、包み込まれるようだった。
次第に背景の色が淡いブルーような、パープルのような色に変化して行き、更に薄いピンクも混ざり出して、とても素敵な光景になる。
そして背景と思っていたが、黄金色の球体を覆うように前面に出て来て、球体は隠れてしまった。しかもその素敵な光景の合間から、小さいが何か炎がゆらゆらと燃えているような感じも見えた。そして徐々に薄くなって行き、最後は消えてしまった。戻ってからも幸せな気持ちだった。


今朝起きる直前にリアルな夢を見た。
普通に電車に乗っているのだが、隣の人が変に手を広げていたので、その手から少し離れようと身体をずらした。すると小さな頭が見えてびっくりして思わず席を立つ。
私の座っていた場所に小さい子供が寝ているのか、亡くなっているのか横たわっていた。夢の中でそれが霊だと気がつくと、ついに霊視できるようになってしまったと思ったところで起きた。
私は霊媒体質だからなのか、霊視や霊聴などは皆無である。気配は感じる。また、身体に入って来た霊の気持ちは痛い程わかる。でもそれも霊が身体から出て行ってしまうとその間の記憶はほとんどない。ただ記憶していることもあるので機会を見つけて書いてみたいと思う。

57回目の瞑想

チューリップ
いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
お祈りの途中から、どんどんと深く入って行く。

しばらく、そのままの状態が続く。
「無」の状態のまま、音楽が流れているが、流れているという感覚のみで、聴いているという感じではなかった。


手足の痺れ感が身体全体となる。
ただ、痺れと言うのとは少し違うような気もする。けれど、どのように表現すればいいか言葉がなく難しい。

そうしている内に、痺れ感(と書くしかないが)のようなものは感じているのに身体の感覚がなくなる。
(特に胸の辺りはスッポリとなくなっているよう)

そして、上へ上へと上昇しているような感覚になり、眼前に白光が広がった。いつもながらに心が安らぐ。
しばらくして、そのまま元に戻る。

58回目の瞑想

紫
いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
お祈りの途中から、なぜか涙がこみ上げて来る。また、身体の感覚がなくなっているのに、心臓のドキドキ感だけは感じる。初めての感覚だった。

映像としては、ロウソクのような炎が見えたくらいで、体感の方が今回は凄かった。
何度も何度も神様のエネルギーを感じて涙がこぼれ、御礼を申し上げる。身体中が温かい穏やかなオーラに包まれて、ただただ有難い気持ちで心が一杯になる。


その時にある考えが浮かぶ。
そんな事ができるのかどうかをご守護霊様にお伺いする。するとタイミングがあっただけなのか、2回音がなった。「今の音はできるということですか?できるのであればもう一度、音をならせてもらえませんか」と心で思う。

しばらくすると、今度は一回音がなった。(自分で問いながら、あまりにも凄い考えだったので打ち消していた。なので、やはり完全に信じる思いにはなれない)

いつか願いが叶って実現できたら、その時にはご報告したいと思っている。

59回目の瞑想

太陽
いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
お祈りの途中から、どんどんと深く入って行く。

しばらくするとオーラが広がるような、大きくなるような感覚になる。するとなぜかバリアが出来たような気持ちになった。
深い状態のまま「神様とひとつにさせて下さい」という言葉を唱え続けると、更に深く入って行くのがわかった。そして深く入って行くのと同時に眼の前がパーっと明るくなり、眩しくらいの光りに覆われる。素晴らしすぎて、言葉がなかった。


夕べの瞑想は、お久しぶりに宇宙空間にきらめく光りの映像が出現した。例えとしては流星群と言うのが一番近い気がするが、ただ強いて言えばということで、実際は違う。無数の光りが素早く、あちこちにキラキラ光りながら移動する。その壮大な光景に目が奪われて、いつまでも浸っていたい気分になる。その間には前に光ったような光りが眼前にピカッと光る。(稲妻というよりはカメラのフラッシュのような光り方)その他にも光景の違う光りの映像が次々と現れた。

瞑想を終えて眠りにつく時にも、眼前に太陽のような眩しいほどの明るさが広がってびっくりした。

瞑想が終わってなかったということなのか、それとも瞑想時でなくても、見えるようになってきたのだろうか。

60回目の瞑想 

ミュージック
60回目の今日はちょうど丸2ヶ月ということで記念すべき瞑想だったが、不思議な事が起きた。
いつものようにお祈りを唱える。今日は手足の痺れはさほど感じなかった。
けれど、深い状態に入って行き、ただただ「神様とひとつにならせて下さい」との言葉をずっと唱えていた。

映像としては、光り輝く神々しい光りが見えていた。
その状態のまま、時には上昇しているような、更には深く入って行くような感覚でいると
いきなり、全く違う楽器の音色がいつもの曲に被さるように聴こえてきて、びっくりする。


澄んだ音で、しっかりと存在感のある頭に残る音であった。
一瞬の事だったが、霊界の音だったのだろうか。それにしても不思議すぎる。

61回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。手足の痺れは微弱。
今日はいつもに比べると、深く入って行くのが遅かった。けれど、深く入り出すと今まで何度も見ている宇宙空間に光りが流れるという映像が出現した。

その美しさに堪能するも、すぐに今度は初めて出現した黄金色の幾何学模様が遠い状態からどんどん近づいて来て、私の頭の中に入って行くという、見ているだけでなく、自分の中に入って来る感覚もあった。
(幾何学模様というのは、近づいて来てわかったこと。最初は何だかわからなかった)


自分自身が宇宙のエネルギーを受けて、その中にスッポリ入っている感覚になると全てが満たされている気持ちになった。
すると、「我欲を捨てよ」「心の声に忠実に生きよ」というお言葉が浮かんだ。

戻ってからも、宇宙のエネルギーの余韻を感じて、身体が熱かった。

また、心に浮かんだお言葉も肝に銘じて生きて行かないといけないと思った。

62回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。この時点では手足の痺れ感はあまり感じず。
お祈りの途中から、涙がこぼれ落ちる。

いつの間にか「私の魂は神と共にある」という言葉になり、瞑想中ずっと唱えていた。
最初は有難い思いに号泣するほど泣けた。


今までにないほど、崇高な気持ちになっていく。
そして、穏やかな澄んだ心になっていくのもわかる。静かに涙も流れていく。
これがいわゆる瞑想の醍醐味なのではないかと思った。


戻った時には、まだ眼に溜まっていた涙がハラハラとこぼれ落ちた。
そして、今日のお天気と同じように晴れやかな清々しい気持ちで終えることができた。

63回目の瞑想 

いつものお祈りを唱える。今日の手足の痺れ感はかなり強いものがあった。
瞑想の時間(50分くらい)があっという間で、その間はずっと夢うつつ状態だった。
けれど、夢うつつ状態でありながら、第三の目の辺りがジリジリしていて痺れのような、エネルギーが注入されているのような、はっきりと認識できなかったが、ずっと違和感があった。


内なる声が聞こえるのではなく、浮かぶ。
神に全てを委ねる。

何が起きようと、どんなことが身に降りかかろうとも、全てを受け入れ、神に委ねる。
それと同時に胸より少し下辺りから、エネルギーのようなものが流れている感覚を感じた。

64回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。手足が痺れ出す。
今日は「本来の魂を呼び起こし給え」を自然と長い間唱える。

どんどんと深く入って行き、悦に入ったままの状態で上昇して行く感覚になり、眼前には眩い光りが射し込むように出現した。
このように深い状態の時には、何にも囚われないという気持ち、不安や恐れなどという気持ちも全く感じない境地になる。


護って下さる力の存在を感じられて、安心感しかない。
瞑想の力の凄さを改めて実感する。


また、今日は息子の存在も、かなり長く感じられた。

有難い思いのまま、元に戻る。

65回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。
最初は手足の痺れよりも頭、顔でもなく、首でもなく、頭のしかも上の方だけが痺れ感が強かった
。しばらくすると手足も身体もかなりの痺れ感を感じた。
時々意識が遠のく。瞑想時の感覚は言葉で現すのにはやはりかなり難しい。

映像もいろいろな場面が出現しては、また違う場面に切り替わる。
その中でも印象的だったのは、水晶のような形状でキラキラとダイヤモンドのような輝きを放ち、縦横無尽に動き回っていた。その美しさは例えようがない。


夕べの瞑想でも、あまりにもたくさんの映像が出現して覚えきれなかった。
特に印象に残った映像は羽衣よりも薄い透明感のある何枚かの布が、自由に泳ぐような動きで回っているうちに真ん中に集まって来たと思ったら、お顔になった。アジア系のとても美しいお顔だった。

また碁盤の目のような正方形の中の更に格子状の一つ一つに艶やかなカラーパレットのような配色が映し出された。これもあまりの美しさに惹きつけられて出現している間、眼を凝らして見ていた。

66回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
お祈りが終わって、少しすると次から次へと過去にあったいろいろな事が思い出されてきた。
もちろん、亡くなった息子の事も・・・

けれども悲しみよりも有難い想いになり、感謝の心で一杯になる。
すると、つぶっている眼から涙がこぼれ落ちる。


「清き涙が流れるとき、それは必ず神に通じる」というお言葉が心に浮かぶ。

更に有難い想いで心が満たされる。
(ありがとうございます)の言葉が自然と何度も心の中で繰り返される。

そして、流れている音楽に溶け込んで行くような、そんな感覚になった。

67回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
お祈りの途中から、深く入って行く。おでこの辺りにも違和感あり。(痺れとは違う)

また、手のひらの痺れはいつもだが、右手だけが肘の辺りまで、かなり強い痺れを感じていた。
今回心に浮かんだ言葉だが、それは結婚当初、いろいろと紆余曲折があり、苦労していた私達家族に霊能者だった亡くなった母が、御神言が授かったと言って教えてくれた言葉だった。その言葉が現れる前に映像としてもはっきりと現れた。それは水面に生じた波紋である。


波紋 一光 一筋なり
改めて「波紋」の意味を調べると、何らかの出来事をきっかけとして周囲に次々と及ぼしていく影響とある。

要するに、この御神言は「今悪いことように感じている現象もすべては神様の道に繋がっている」ということである。当時は有難くて有難くて、涙ながらに受け取らせて頂いて、我が家の心の拠り所であった。それなのに今ではすっかり忘れて暮らしていた。が、やはり素晴らしいお言葉だと思う。

これはすべての人に言えることだと思う。

またコロナウイルスに関しても、やはり当てはまることなのではないかと思う。

68回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。手足の痺れ感は微弱。それが次第に身体全体に広がる。
更に身体の感覚がなくなる。そして、胸の辺りが空洞になったようになる。

おでこからエネルギーが放出しているように感じると、映像としても光りが真っ直ぐ上へと上昇しているのが見えた。
身体の感覚がないのに、微弱な痺れ感(振動?)だけはある。不思議な感覚。

更に不思議な感覚は続き、音楽のバイブレーションが身体に移行して来る。
同時に高揚感が高まるのを感じた。

69回目の瞑想

いつものお祈りを唱える。身体や手足も痺れ出す。
少しずつ、深く入って行く。ただ、今まで深いと思っていたが、今回更に深い感覚になる。やはり、本当に奥が深いのだと思う。

極めれば極めるほど(私の場合はまだ序の口だが)先があるように感じた。
そんな中で映像として見えたのだが、エネルギーの波動が自分に向かって押し寄せて来る。
何度も何度も・・・

そうしているうちに私の身体が揺れ出した。しばらくすると、今度は家ごと揺れて地震だった。
(自分自身が揺れていたので、最初は地震に気がつかなかった)
瞑想していて地震に遭遇したのは2度目。

でも、多少驚きはするが恐怖感や不安感は全くなく、そのまま瞑想を続けていた。

46回目の瞑想

宇宙空間
いつものお祈りを唱える。いつものように手のひらや足が痺れ出す。
第三の目と言われる眉の少し上辺りが、チリチリチリチリとずっと痺れているというよりはエネルギーが入って来ているといった状態を感じていた。そして、眼前に広がるように、出現した白金色の光りに圧倒される。

(HPのトップ画像のような色で同じような輝きを放っていた)

夕べの瞑想を(夜の方が映像が出やすいように感じる)言葉にすると陳腐になってしまうが、とりあえず記録に残しておく。(画像はその時の映像が少しでも伝わればと作ってみた。もちろんこんなものではないが・・・)

始めに眼前一杯に無数の玉のような物が見えた。(光ってはいなく、ボケたような白色)しばらくすると、その無数の玉が流星群のように降り注ぎ始める。降り注ぐ時に先端がキラリと光るので、画面の中一杯にあちこちでキラキラ光り出す壮大な光景に、思わず「きれい!美しい!」と言っていた。

しばらくは、その素晴らしい光景に見とれていた。そしてびっくりなことに見とれていたら、いつの間にかその中にいる自分を感じた。あまりにも印象的だったので、瞑想が終わってからも、その光景が瞼に焼き付いたように、目をつぶるとあの美しい光景が出て来て癒やされる。

47回目の瞑想

宇宙空間
いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出すが、しばらくするとその痺れが感じなくなる。
すると、右耳がラジオの電波が悪い時に鳴るような短い音が、何回となく聞こえた。


そして、光輝く球体がまた出現した。(昨日よりも大きく、光の放ち方も強い)その球体から、光の輪が出現し、球体自体も覆うように広がる。そして波紋のごとく、その輪がどんどんと大きくなると、第三の目から脳天を突き抜けるような衝撃を感じてびっくりする。どういうことなのだろうか。。

夕べの瞑想は、昨日の夜の続きのような映像だったが、星の動きが同じような方向に動いていたのが、いろいろな方向に動いたり、交差したりとキラキラ感が更に増していた。眼前一杯にキラキラ感で覆い尽くされ、最高潮に達すると、信じられないような大きなラップ音がすぐ側で、バシッバシバシバシッと鳴ってびっくりする。が、瞑想はそのまま続行された。(我が家ではラップ音は皆無と言っていいほどしない)

その他にもいろいろな映像が出現していて、その時は心地良く見ていたはずなのだが、朝起きるとその他の映像は全く思い出せない。(画像はいろいろな方向の動きを表現しようと試みた。ただ、画像のように静止しているわけではなく、消えてはすぐまた現れるという素早い動きの繰返しが目の前で広がるのである)

48回目の瞑想

みかえり阿弥陀
いつものお祈りを唱える。手足の痺れ感は微弱。顔(特に顎の辺り)も痺れ感あり。


「天狗舞」との言葉が浮かぶ。
お酒の銘柄では有名だが、調べてみると、獅子舞と並び、神社で執り行われる神事の一つとのこと。天狗舞は王の舞とも呼ばれているらしい。なぜ、このような言葉が浮かんだのだろうか。不思議。。

「永観堂」
今度はこの言葉が浮かぶ。
京都にある禅林寺の永観堂だと思う。ここには「みかえり阿弥陀」様がおられるが、初めてお会いした時に涙が出て止まらなかった。その後、春秋と必ず2度「みかえり阿弥陀」様に会いに行っていた。
「みかえり阿弥陀」様は、自分よりも遅れる者たちを待ち、愛や情け、思いやりの心で温かく見守られる。また、自分自身の位置を顧みることや正しい道へと導くために見守られる。
「みかえり阿弥陀」様のような心持ちになれと言われているような気がする。(画像を一応貼っておいたが、本物とは全く違う)

この間も宇宙空間などの映像、身体の感覚がなくなるなどの状態が、ずっと続いていた。

夕べの瞑想は、いろいろな映像や昨日のような映像も流れていたが、これと言って、はっきりと思い出せるものはなかった。

49回目の瞑想 

オーラ
いつものお祈りを唱える。手足の 痺れ感が出てくる。


光の球体が出現する。光の強い輝きを放ち、かなりのエネルギーを感じる。

「あなたもこの光の世界にあるのです。あなたにふさわしい力があります」  <私にふさわしい力とは?>「心を癒やす力です」<そんなことが出来るとは思えないし、どんな言葉をかけたらいいのかもわかりません>「あなたは、神の愛の心を今までも顕現してきています。言葉ではなく、あなたのオーラで包み込むのです」<私にそんなことが出来るのでしょうか>「できます。信じるのです。心から信じることが大事です」
実際、身体中から温かいオーラのような、エネルギーのような力に包まれていながら、放出している感覚を感じていた。だが、元に戻ると先ほどのような感覚は感じられない。瞑想している時だけのものだろうか・・・・

ところで、昨日、霊能者の小林先生と息子の部屋でビデオ通話をしていた。途中で、小林先生が息子の光の魂が凄く飛んでいると言われ、画面をのぞき込む。その状態を先生は携帯に録画してくれた。昨日のうちにその動画ファイルを送って下さったが、はっきりと映っていた。私の頬に触れて行く場面もあって、息子の存在をひしひしと実感した。また今朝、小林先生が、息子に会ったというメールを頂いた。この内容は息子との交信記録に動画と共にメールの内容も掲載しようと思う。

50回目の瞑想

レインボー
昨日は朝早くから外出予定があり、午後の瞑想になってしまったが、不覚にも初めて寝落ちしてしまった。午後に瞑想することは度々あったが、初めての経験で、少し凹む。なので、昨日は特記する内容がなかった。

今日の瞑想はいつものお祈りをした後、いろいろな雑念が出て来て、なかなか深く入って行けなかった。そこで、神様に息子の魂を見せて頂いた御礼を申し上げた。そして息子に「お母さんにはまだ見えないけれど、今も一緒にいてくれているんだよね?」と心で思うと、「母ちゃんといつも一緒にいるよ」という言葉が心に浮かぶと同時に、涙がこみ上げてきた。

その後、どんどんと深く入って行き、今までの感覚よりも更に深い境地に入ったように感じた途端、目の前が光りで照らされたように非常に明るくなった。

その時の事だが、これもどのように表現すればいいか迷う。ありのままに書くと<神様の道具になる>ということと、<全ての魂をお救い下さい>という、言葉ではあるが、言葉としてではなく、リアルな形があるような想い(言葉で言うような上っ面なものではなかった)そのような感覚を、神様にお伝えしていた。

手足の痺れだが最初は微弱ながら、深く入り始めた頃から、痺れと共に、エネルギーが放出しているように感じた。

51回目の瞑想

キラキラ
いつものお祈りを唱える。手足の痺れ感は多少あり。
お祈りの途中からどんどんと深く入って行く。その間の心地良さは筆舌に尽くし難い。時々、意識も遠のく。(これはやはり、寝落ちとは全く違う)


映像が見え隠れしていたが、光輝く菱形をした光が出現した。その中に小さい球体が見えたが、その球体からもかなり強い光を放っていたが、何なのだろう。今度は、眼前に白い光が画面一杯に広がる。とても眩しかった。

また、ペガサス?のような尻尾辺りから、キラキラ光る星屑のような塊が流れるように尾を引いていて、美しかった。

52回目の瞑想 

白黒
いつものお祈りを唱える。手足の痺れ感が出る。やはり、お祈りの途中から、どんどん深く入って行く。

いろいろな映像が出ては消え、消えては出てと繰り返していた。その中に、はっきりとはしなかったが、仏像のようなお姿に感じたものもあった。

そうしているうちに頭まで痺れて来るが、身体の感覚はなくなる。なくなったと同時に、胸の辺りから丸い光りが放出しているように感じる。すると、「私にはやることがある」という言葉が浮かんできた。更に「魂の永遠を知らしめんことを」という言葉も続いて浮かぶ。
これは単なる私の想いなのだろうか。
心の中に浮かぶ言葉というのは、霊界からのものなのか、自分の想いなのか、判らず、自信が持てない。
ただ息子の魂を半物質化して頂いて実際に見させて頂いた事を思うと
、やはり私のやるべき事なのでは、とも思う。

夜の瞑想は、寝落ちがかなり多くなってきている。ただ、昨日の映像はかなりはっきりとしていて印象的だった。
トップの画像はかなり似ている。

53回目の瞑想

光
いつものお祈りを唱える。いつものように手のひらや足が痺れ出す。
今日の瞑想はより深く入って行ったような、一段階上がったような気もする。

夜に見た映像(宇宙空間に流星群が出現した時ような)が出現する。とても美しかった。

更に映像が変わり、画面一杯に白光で覆い尽くされる。そして、その光がシャワーとなって浴び出すと、とても心地良くなる。(トップ画像はあくまでイメージ)
すると身体なのか、心なのか、どんどん大きくなるような、膨らむような感じになり、両手が大きく広がり、何か長いものを持っているような手の形になる。

それが胸の方へと近づくにつれて短くなって行き、ついには手と手が合わさる。拝むような状態から両手の親指だけが、胸の方へと突き出す形になり、それを胸へと流し込むように傾けると、胸全体がジワーッと温かくなった。

今回は今までにない体験であった。

54回目の瞑想

宇宙空間
いつものお祈りを唱える。手足が痺れ出し 、少しずつ深く入って行き、更に深くなったり、時々意識がなくなったり、我に返ったりしていた。
見えてきた映像は主に黄金色に輝く光だった。しばらくすると宇宙空間の映像に切り替わって、その中を漂う感覚になった。やがて、その映像も自然と消えていくと、また辺り一面光輝く映像となり、頭のてっぺんから足のつま先までビリビリと痺れ感が強まった。

今日の瞑想はそんな状態の繰り返しだった。(それにしても深い瞑想時の心地良さは、言葉では言い表せないほど)

55回目の瞑想

球体
今回の瞑想の体験も、自分の中では凄いものがあった。
いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。

今では深く入って行こうと思うと、自然に出来るようになってきた。(自分でコントロールできるという意味)

肉体は瞑想する部屋(息子の部屋)にありながら、意識は完全に別の所にあった。(直に体外離脱もできるような感じに思えた)
そして一瞬だが、神様とひとつになれたような、エネルギー(霊力)を注入して頂いたような感覚もあった。
その時には身体中が痺れ、熱くなった。(今も続いている)

今回は感覚に意識が集中し過ぎて、映像が出現していたかどうかもわからないし、覚えてもいない。
今の段階での一番深い境地では、自分で自分なのかどうかも判らなくなる。ただただ、光とひとつになっている感覚のみ。

56回目の瞑想

ロウソク
いつものお祈りを唱える。いつものように手足が痺れ出す。
この世で生きている以上は、この世の悩みやまた霊的な悩みなどがあるが、瞑想中には極力考えないようにしている。ただ、今日はそう思えば思うほど雑念が出て来た。と、その時、右手にそっと何か触れる感覚があり、更に握りしめてくれる感覚になると、いきなり涙がこぼれ落ちる。「誰だろう」と思っていたが、すぐに母のように思えた。すると言葉が浮かんだ。「自分を信じるのよ。自信を持ちなさい」と。母に感謝の気持ちを伝えると涙が溢れる。


今度は普通に火のついたロウソクの映像が出て来た。いきなり炎が爆発したようになり、火の粉が全て光りとなり、キラキラと光が散りばめられて行く。その場面からまた宇宙空間のような、壮大なプラネタリウムのような映像が目の前に現れた。しばらくその光景を堪能する。やがて、どんどん進んで行くように動いて行き、遠い先には光輝く球体が見えた。近づくに連れて、そのお姿は観音様のような、菩薩様のような感じに見えた。

心に現れる否定的な言葉や打ち消すような言葉などを泡の中に全部入れて、その泡を消すようにイメージすると、身体の芯から温かくなってきた。そして、その後は「無」の状態のまま、我に戻った。戻ると思い煩っていた事が、スッキリとしてしまい、心も晴々としていた。

その後今回の悩みについては、難なく消滅してしまった。これはやはり、凄いことだと思う。今更ながら瞑想の力を実感した次第である。

35回目の瞑想

薔薇
今日の瞑想の体験をどう説明すれば伝わるかわからないほど
今までに体験したこともないようなことが起きた。


曲が流れて、いつものように
2回目の曲が終わっても、しばらくトランス状態のままで、身体中が痺れてい
「神様、ご守護霊様、いつもお導き、お見守りありがとうございます。私の魂が目覚めますよう、霊性が向上しますよう、世のため人のため貢献できますように、お導き下さいますよう、お願い致します。」
と唱えると、どんどん深いトランス状態になっていき、頭上でピカッと光るや否や頭がビリビリする。頭から下へとエネルギーが流れて行く感覚があり、胸の中がかなり熱くなる。そして、今度は両手が少しずつ動き、軽めに広がると手のひらを上に向ける。すると、手のひらからもエネルギー上へ上へと棒状に放出している感覚になる。その際の手のジリジリ感は凄いものがあった。(指は縮めたまま)その両手を胸の方まで持ってくると、心臓にエネルギーを入れるように胸に手をあてがった。温かいものが入ってくる感覚があった。
2回目の曲が終わっても、しばらくトランス状態のままで、身体中が痺れていた。
元に戻った時に、身体が重い感覚であった。

36回目の瞑想

フラワー
最近、トランス状態が深い。

ヘルペスで耳鳴りしている耳が、曲と共鳴して、身体中、音楽に包まれているように感じる。
途中で少しの間意識がなくなった。

また今日は、特に頭がピリピリと痺れた感じが強かった。

37回目の瞑想

アレンジ
今日は、同じ時間(曲2回)なのに、とてつもなく長い時間のように感じた。
意識があるような、ないような、雲の上にいるような感じで、ずっと漂っている状態。(うつらうつらしている時の感じに似ている)

その長さ足るや何時間にも感じた。
2回目の曲の終盤に差し掛かると同時に、息子がいるのを感じて、涙が溢れる出る。止まらない。
久しぶりに「会いたい、話したい」と強く思い、更に涙が滝のように出る。でも、満ち足りた気持ちで戻る。

38回目の瞑想 

桜
温かい光?エネルギー?に包まれているような感じになり、涙が出る。
音楽の音に乗っているかのよう。。(幽体離脱ではないが、全身の感覚がなくなる)

コロナウイルスにより、全世界が陶冶される。
それが神のお導きである。

日本においての収束は、まだしばらくかかる。
とのお言葉が心に浮かぶ。

39回目の瞑想

ピンク
今日の瞑想の体験は今までとは全く違っていて到底言葉では言い表すこともできないし、伝わるかどうかもわからない。
我に戻ると信じられないような内容に躊躇したが、一応記録に残しておく。


優しい雰囲気に包まれて、どなたかいらっしゃるような感じに「ご守護霊様ですか?」と聞くと
『天から使わされた女神です。あなたにはお役目があります。地球を全世界を救うのです。』「そんなこと私にはできません」『出来ます。全世界の人々のためにお祈りするのです。』
「どのように祈ればいいのですか?」

『全世界の人々よ。本来の魂を呼び起こし給え』
すぐにこの言葉を唱え出すと、身体中が痛いほどのものすごい電流が流れたような状態になり(痺れると言うような生易しいものではないが、表現のしようがない。この感覚は初めてで、自分でもどうなってしまうのかと思ったほど。)つぶっていた目の前には、頭上でピカッと光った時と同じような光が波のような感じで広がり、まばゆく煌めき光りまくり(この感覚も、どのように表現しても伝わらないと思うが、頭の中がまばゆく煌めいた光で充ち満ちてる感じ)

『輪を広げなさい。その時が来たのです。』  とのお言葉が
心に浮かんだ途端、声を上げて泣きながら「ありがとうございます。ありがとうございます」と何度も言っていた。

その間にも身体中に受けたエネルギーを世界中に行き渡るように大きく両手を広げて左右に動かしていた。

今日は音楽はほとんど聴こえてこなかったが、広げていた両手が元の位置に戻ると同時に曲も終わった。

我に戻ってもしばらくはボーッとしていて、身体にはまだ電流の感じが残っていた。この他にも何かあったように思うが、あまりにも強烈な体験だったので、思い出せない。
これはどういうことなのであろうか。こんなことがいろいろな所で始まっているのであろうか。
 

40回目の瞑想

瀬戸大橋
今日の瞑想では
「全世界の人々よ。本来の魂を呼び起こし給え」を何十回も唱えた。唱えていると「神様、全世界の人々をお救い下さい」という言葉になり、何度も唱える。

「神様、全世界の人々をお救い下さい」と「全世界の人々よ。本来の魂を呼び起こし給え」とを交互に唱えていると、突然にわかったのです。

一人でも多くの人が
自分のためではなく、他者のために心から真摯にお祈りをするということを。

神様にお救い頂く祈りを捧げるということを。
それがひいては、地球の霊的レベルが上がることに繋がるということに。

神様に何度も御礼の言葉を述べると、すぐに戻った。
その間も昨日ほどではないが、電流の流れを感じ、上半身が空洞のようになっているのを感じていた。

41回目の瞑想 

スイレン
今日の瞑想では、私の気持ちをお伝えする。
私一人の力では、何も変わりません。どんどん拡大しております。


どうか今の世界の現状をお救い下さい。
この言葉を何回も何回も唱える。


「神は摂理である。陽は又昇る。人間には限りがある。無限の叡智の存在を信じて祈りなさい。」
非力だが、私には祈ることしかできない。
どうか平和な世界に戻れますように。

42回目の瞑想

東照宮
いつものように、お祈りして、「全世界の人々よ、本来の魂を呼び起こし給え」も数回繰返し唱えた。
神様に救って頂けるようにお祈りも捧げた。

そして、私自身のこの世の想いを全て泡のように消えて行くという言葉も繰返す。
すると、スターウォーズのオープニングロールのように、宇宙空間が現れ、吸い込まれて行くように、どんどんと進んで行く。どこまでもどこまでも・・

進んでいたのが一瞬止まったと思ったら、光り輝く輪が出現し、更にその中に日光東照宮の建物に似た上半分だけが現れ、黄金色に輝いていた。とてもこの世のものとは思えない光輝を放っていて、美しかった。
霊界にある建物であろうか。。

ところで、昨日、武本昌三先生のHPを拝見していたが、学びの栞のその中の体外離脱・神秘体験という題名があり、たまたま見た。


キュブラー・ロス博士の体外離脱体験が書いてあった。それがとても興味深かった。
ーー体外離脱してどこへ行くんですか。(との質問に)

「いろんな所へ行きます。その辺の屋根の上にとどまっていることもあれば、別の銀河まで行ってしまうこともあります。ついこの間は、プレヤデス星団(すばる)まで行ってきました。そこの人たちは、地球人よりもずっと優れた文明を持っていて、『地球人は地球を破壊しすぎた。もう元に戻らないだろう。地球が再びきれいになる前に、何百万人もの人間が死ぬ必要がある』と言ってました」と。(なぜ、今この言葉を見たのか・・・これも必然ということか)

2
7日に「地球の霊的レベルが上がる」との言葉が浮かび、書いたが、それは「再びきれいになる」と符合するのではないだろうか。
そうなると、やはりこれは神の計画ということになる。

43回目の瞑想

プリザーブドフラワー
いつものお祈りをして、神様に全てお任せ致します。と唱える。

弥勒菩薩様と思われるお優しいお顔が、かなりアップで出現した。
すると、身体が温かいオーラに包まれた感覚になり、内から温かく心地良くなっていく。
涙ながらに「ありがとうございます。」と思わず、口について出ていた。

『神とは一つである。そなたの心と共にある。』

『清き心で愛を尽くせよ。心を尽くせよ。そして、許せよ。』

大変に心穏やかに戻ることができた。

夕べの精神統一では、映像がいろいろと出て来て、夢心地であった。
最初は、薄い透明なかなり柔らかい布ようなものが、何枚も波のように画面一杯に動き、そのうち、その布から、チラチラと光輝く玉のようなものが、あちこちに飛んでいた。また、正方形の中にタイル(と書いても違う。何と表現していいかわからない。色は薄いベージュ)が敷き詰めてあり、その表面から黒い糸のような物が(4,50㌢位の長さ)何カ所から出ていて、それが上下に動き、更にその先端から、やはり光輝く玉が勢いよく飛び散る光景が見えて、どれもとても鮮明であった。朝起きてからもハッキリと思い出せた。
ただ、どういう意味なのかは全くわからない。

44回目の瞑想

紫の薔薇
いつものようにお祈りを唱える。

今日は、ただただ心地良く、雲の上を漂っているそんな感じのみであった。
なので、特筆することはない。

昨日、志村けんさんが亡くなった。今の世界状況を鑑みて、有名人が亡くなったことには意義があると思う。

ただ、志村けんさんご本人は、肺炎を患った肉体から解き放たれて、自由を謳歌されていることと思う。

45回目の瞑想

桜
今日の瞑想で始めてから、 ちょうど2ヶ月が経つ。
いつものようにお祈りを唱える。


唱えていると、全身が痺れ出す。
特に上半身の痺れはまるでさざ波のような細かい痺れ感で逆に心地良かった。更に、眼前に光輝く球体のようなものが現れると、身体が芯からじわ〜っと温かくなって行き、益々気持ちが良くなる。(部屋は少し寒いくらいだった)


夕べの瞑想でも、映像のオンパレード。。
言葉ではとても言い表せないものばかりなので、スクリーンショットを撮って、お見せしたいくらいだった。
映像が流れている時に、朝の瞑想時に頭上でピカッと光った光が、眼前で同じように1回だけ光った。

23回目の瞑想

稲光
今日は3回音楽を聴く。
昨日までは、部屋を明るくしていたが、薄暗い方が瞑想しやすいと聞いたので
今日から部屋を薄暗くする。(小さい窓から少し明かりが入るくらい)

やはり、いつもよりも早めに深いトランス状態となり、心が安らいでいると
いきなり、頭上で光が(稲妻のように)ピカッと光った。びっくりした。
何の現象なのだろうか。

24回目の瞑想

アレンジ
平穏な心、穏やかな心、静かな心、いついかなる時も・・・

愛を顕現させなさい。

寝る時にもなるべく精神統一してから寝るようにしているが
目の前の両側がどんどん流れて前へ進んでいるような感じになる。
また、その時にかなりリアルな模様の壁がはっきりと見えた。
(が、その時だけですぐに薄らいでいき、朝起きたら全くわからなくなった)

25回目の瞑想

稲光
今日は驚くことが・・・

神様にすべてお任せ致しますと唱える。
2回の音楽の中で、8日に続き、頭上で(間をあけて)4回もピカピカっと光った。
すると、身体中に電気が走ったようにビリビリした。
2.3回目に光った後には、有難くて有難くて滂沱と涙する。
どなたか(ご守護霊様かと)いらしたように感じた途端、また4回目の光がピカッと光り
また、涙が止めどなく流れる。そして心がとても穏やかになる。
今日はほとんど身体が痺れていた。

26回目の瞑想 

薔薇
かなり深いトランス状態になり、時々意識が薄れていた。
手足が部分的に激しくビリビリしていた。

27回目の瞑想

フラワー
音が身体の細胞にまで、染み込むように入ってくる。
羽衣のような柔らかい布に包まれて、心安らぎ心地良い。
ずっとこのままでいたいと思う。途中、何回も滂沱と涙する。
お花畑のような、また河のような景色が薄ぼんやりとだけ見えた。
身体はここにあって、意識は確実に別の所にあるのを感じる。

すべては自分の中にある、との言葉が浮かんだ。
 

29回目の瞑想

クジャク
まばゆいばかりの孔雀の広げた羽が見えた。

また頭上でピカッと光ると
右手が勝手に動き出し、頭の上まで持って行かれ、そのまま顔を覆うようにして
下に降りて行き、身体全体を包むようにして、元の位置に戻った。
すると、
自分の顔が微笑んでいるのがわかり、穏やかな心になり、澄み切った気持ちになった。

30回目の瞑想 

夕焼け
神秘的な体験でどう言葉で表現してよいかわからない。

自分の心の中に入って行くようで、それでいて宇宙空間にいるような
今まで感じたことのない感覚。。

終わる頃にはまた、頭上で間をあけて2回ほどピカッと光った。
心は平静で、穏やかで、清らかで、澄んだようになる。

神様、魂を目覚めさせて下さい、と何度も唱える。

31回目の瞑想

黄色
私の内奥の神性よ、目覚めよ。神性よ、目覚めよ。
曲の間、ずっと心の中で唱え続ける。

頭上で弱いながらもピカッと光る。
すると
楕円形した金色に輝く光が映像として出現した。涙が出る。
身体の感覚はなく、意識は別の所にあるように感じる。
音楽もほとんど耳に入ってこない。


夕べの寝る前の精神統一では、
最初は火花が軽くパチパチとしていた。でもすぐにそれは花火のように次から次へと
打ち上がるように激しくなる映像にびっくりして、一時中断。。
今度は、光り輝いている波のようなものがあちらからこちらからと
流れて行く映像も現れた。こちらは心地よかった。

夢で、亡くなってから初めて息子に会う。
(起きた時には、久々に息子に会えたと、とても嬉しかった)
我が家のダイニングテーブルを挟んで向かい合っている。
息子が「ぼくが証明してみようか」と。私は「そうして、そうして」と言うと
息子はすぐに立ち上がると姿が消えてしまう。
私が手で押さえた腰辺りだけが見えていて、泣いていた。
(どういうことなのか・・・全くわからない)

32回目の瞑想

瀬戸大橋
音楽の中に入ってしまいたい、音の中に溶け込みたいというような
衝動に駆られる。

途中で、頭上でピカッと光り、終わる頃にもピカッと光ったが、その光が
とても柔らかく感じた。

身体全体が痺れて、意識は別世界にいるように感じる。

33回目の瞑想

瀬戸大橋
音楽の流れに身を任せていると
罪咎穢れ、罪咎穢れ
祓い給え、清め給え、祓い給え、清め給えと唱える。

そして
息子に感謝し、母に感謝し、初めて心からご守護霊様に
いつも護って頂いて、ありがとうございます。と唱えていた。

すると
今までにないくらいの大きな光が頭上でピカッと光り、それと同時に両手が
どんどん左右に広がって行く。また軽めに頭上で光る。
そして、上に上にあがって行きながら、前に両手を差し出す形になると何かをもらう。
その時には、手のひらが、かなりジリジリとしていた。
もらったものをそのまま、今度は頭に顔におでこに振りかけて、胸の辺りまで両手が
降りてくると交差し、一旦胸に手をおく。また両手が上にあがり、空中で何かを回すような
仕草をした後、身体全体に手をあてがい、元の位置に戻った。

その間、泣くというのではなく、涙が勝手に流れ出るという感じだった。
また、
いつもは曲の2回目と同時に終わって戻っていたが、今日は曲が終わる直前に先に戻る。

34回目の瞑想

薔薇
深めのトランス状態に入り、一時「無」の状態になる。
音楽が大きく聴こえているにも関わらず、いつの間にか終わっていた。
聴いているようで、意識は飛んでいたようだ。

心地良さはいつもだが、もっと極めたいと思ってしまう。

12回目の瞑想

観音様
光を授けましょう。

いつもよりも深いトランス状態。

断片的なものがいくつか見えたが、何なのかはわからない。
息子が出て来たようにも思えたが・・・・

13回目の瞑想

アラブ人
アブラハム、アブラハムと数回言う。
アラブ人のような人が映像として見えた。

課題は愛を与える。

心穏やかに、何事も心穏やかになれば、神と共にある。。
 

14回目の瞑想

滝
この瞑想の時間は、神様のエネルギー光を与えてもらえる。

映像として見えた滝の流れが、凄かった。

15回目の瞑想 

紫
アオーンと澄んだ清々しい大きなお声。
鈴が鳴っているかのようなお声。
(前回のお声があった時と同じように胸の辺りが空洞の
ようになったみたいになる)

その時に神の顕現という言葉が頭を過る。

また、ヴァイオリンの楽器は神様に繋がるもの。と実感した。

16回目の瞑想

犬
息子が前に飼っていた3頭(シーズー・ゴールデン・シェパード)を
連れてきてくれた。私が幽体離脱して会った子は来てくれてたが
見守ってる感じだった。
ララ(シーズー)を抱っこして、リーザ(シェパード)とも抱き合った。
シェリー(ゴールデン)は撫でまくった。
それぞれときちんと向き合って気持ちが通じ合えた。
「また会おうね。ありがとう」と言って別れる。
息子が立ってその様子を見てくれているのが感じられて、息子にも心から御礼を言う。
「みんなを連れてきてくれて、本当にありがとう。
心から感謝しています。
またお母さんが、霊性向上できるように力を貸して下さいね。」と。
 

17回目の瞑想

瀬戸大橋
いつも音楽は2回聴いているが、今日は時間があるので3回聴く。

ただ、いろいろな雑念が頭を過り、トランス状態になったりならなかったり。
なので、特に記述することはなし。

18回目の瞑想 

ゆり
神性を発揮して人々を助けよ。
この世の光となれ

コロナウイルスは人間の欲の心。
払い給え、清め給え、救い給え(と何度となく神様に申し上げる)
欲の心を捨てて、愛ある心になる。
全ては霊界からのお導き。


終了後に息子を代表として、母、ご守護霊様にも力を与えてもらえるようにお願いした。

19回目の瞑想

神社
いつもよりも深いトランス状態になる。

遍くその光に入らん

とのお言葉が心に浮かぶ。


はっきりとした夢を見る。
金色に近い排便を流す夢
<古い価値観を捨て、新しい自分に生まれ変わる転機の予兆を示している>

20回目の瞑想

仏像
3日4日も瞑想はしているが、特筆するものはなし。
いろいろな思いが交差していてなかなか集中できず・・・

2回目の音楽の後半で、かなり深くトランス状態になると
金色に輝く仏像(菩薩様?)のような
お姿が現れた。


この日の夕方、霊能者の小林先生からメールあり。
「多くの輪廻の中でも、神官、養育、魔女狩り、修道女、
様々な人を助ける人生を生きてきています。なので、今世大きな役割を持ってきています。
私とも、数度と同じ人生を生きています。
なので、同じ志があった人生を何度も転生して出会っています。」
この内容に衝撃的で、びっくりする。
しかも、2月16日の瞑想でのことや20年前のリーディングなどとも符合していること
更に小林先生と何度も同じ人生を生きていたとのことで
私自身の決意も新たにする。

21回目の瞑想

瀬戸大橋
悲しみを通して、苦しみを通して、辛さを通して魂を開花させる。
この世の苦難は、魂を開花させるための手段である。
この世では、家族であっても、それぞれはひとつの魂。
お互いの魂の成長のために、その役目を自らが望んだということ。
役目が終われば、元の世界に戻るだけのこと。

人間の死に関与してはならぬ。
すべては神の采配である。

22回目の瞑想

卵
霊性向上を何度となく唱える。
神様の道具となって、人々のお役に立ちたいと、自然に言ってた。
すると、右側から大きなラップ音がなる。


また夢を見る。
卵の夢
<まだ見ぬ将来の可能性の象徴。新しい物事の始まりやあなたの潜在能力を現している
幸運を象徴する吉夢>

初めての瞑想

天使
初めて瞑想する。
浮かんだ言葉は息子だと思うので、記録しておく。

「母ちゃん、母ちゃん、辛い思いをさせてごめんね。
いつもいつでも見守っているよ。自分でもこんなに早く逝くつもりはなかったけれど、
こちらに来てわかったんだよ。自分が決めていたということを。
中略
今は思い出せないだろうけれど、これはちゃんと決めてきたことなんだよ。
だから、僕はすぐに納得できた。
ばあちゃんも言ってるよ。これは天命だって。
だから泣くだけ泣いたら、前を向いて歩きなさいって。
家族であっても、魂はそれぞれ違うし、それぞれの課題があるからね。
俺も頑張るから、母ちゃんも頑張って欲しい。
中略
父ちゃんと母ちゃんの子供として、本当に幸せな人生をもらえたよ。
母ちゃんとはよく喧嘩もしたね。でも本気でぶつかり合えたことは幸せなことなんだよね。
二人には感謝してもしきれません。」 

2回目の瞑想

恐山

2回目の瞑想は40分くらいは何も浮かばず、何も起こらず・・・
その後
(私はどのように生きればいいかを問う)
すると、右手から動き出し、かなり遅れて左手が動き、天を仰ぐ。
そして、顔から首にきた辺りで交差し、そのまま下へ。

神を信じよ。

ありがとうございます。と心から思う。
更に心の中で、神様に身も心も全て捧げます。と強く強く叫ぶように思う。 

3回目の瞑想

ダリア
最初はただ涙がこぼれるばかり・・・
(自分がこの先どう生きたらいいかを問う)
(大事な息子を失って、これだけ辛い思いをするということは、魂を
成長させる、目覚めさせるということなのですよね。霊的に生きて行きたい)

音楽と一体になれた時に突然に

このままでいいのです。

とのお言葉が心に浮かぶ。

4回目の瞑想 

プリザーブドフラワー
今日は
息子が大学時代に演奏したチャイコフスキー6番の「悲愴」を聴く。
泣き通しで、涙がとまらない。嗚咽もする。
すると
「母ちゃん、泣かないで、泣かないで」という言葉が聞こえた。


また、今朝は息子の夢を見る。
息子が死んで、また生き返り、また死ぬことが決まっていた。
生き返っている間に、息子と二人で長いこと話をしていたが
何を話したかは、わからない。

5回目の瞑想

薔薇
音楽から光のシャワーが降り注いでいるように感じる。
涙は相変わらず出まくる。

温かいぬくもりを感じるような、護られているような
雰囲気に包まれる。

定期的に来るお花屋さんの来る時間と被っていて、邪魔されると思ったが
瞑想が終わった直後に来た。
やはり、ちゃんと見ていてくださっているんだと実感する。
 

6回目の瞑想

ラナンキュラス
この日の瞑想は長かった。
しかも、すぐにこんな言葉が心に浮かぶ。
「大和時代、全身全霊で神様に仕えていた本物の巫女だった。推古天皇に助言もしていた」と。
また、「息子の体験を公開できるように準備しなさい」とのお言葉も
この日に浮かんだのだ。


この日から数日経ったある日、霊能者の小林先生より、メールで
私のご守護霊様からメッセージを受け取って頂き、教えて下さった。
「自分の気持ちも体験も、全ては多くの人の心の癒やしに繋がるもの。
その役割を果たすべき事が今世の課題です。
多くのもの助け心の導きをしていくのです。
全てはそのための道でした」

そして、小林先生のお薦めもあり、HPを作成して公開することに。

更に、20年前に私自身をリーディングしてもらったレポートが出て来た。
そこには
「日本を始め、その周辺の地域で生まれ変わりながら、守り神的な存在として転生を重ねてきた 」と。
「いろいろな転生の中で、一番多かったのは神様の灯が途絶えないように、その灯をずっと消えないように

守り続けてきた人です」と。
いろいろなことが瞑想の言葉と符合していて、びっくりだった。

7回目の瞑想 

バラ
心のままに素直に生きよ。
心のままに生きるとは、決して好き勝手に生きることではない。
この肉体だけを自分と思ってはいけない。
その中にある内奥をみつめよ。そこに真実はある。
自分と向き合うこと。それこそが魂を目覚めさせることである。
生きているもの、ありとあらゆるものには命があり、魂がある。
そのすべてに尊ぶ心がなくてはならない。
自然こそが人間を生かしている根本である。
感動する心も大事である。感動は心を開く。開いた心で物事を把握する。

8回目の瞑想

神代植物公園
神の力を信じよ!神の力を信じよ!

(信じます。信じています)と心の中で叫ぶ
すると、右手が動き出し、顔からおでこ辺りまでかざし、その後グイグイ
引っ張られるように息子の写真の方へ。(遺影がある場所)
そして、手を握ると、息子の手だとわかり、涙が出る。
しばらくそのままで温かさを感じている。
そして、今度は少しずつ自分の身体の方へ動いて行き、左肩に手を置き
励ますかのようにその手に力が入る。また涙がこぼれる。

9回目の瞑想

紫のバラ
神様に仕える魂。。
正しいことならば、すべて望みは叶えられる。
魂の存在を明らかにする。

(コロナウイルス 鎮まれ、鎮まれ、地球の悪環境よ、鎮まれ、鎮まれ)
と何度となく唱える。

10回目の瞑想

オーロラ
(魂を目覚めさせて下さい、私をお救い下さい)と
何度となく唱える。

オーロラのような光で身体が包まれた。
心地よかった。

終わる直前に何人もの人が現れたが、顔もわからず
誰であるかということもわからず・・・・

11回目の瞑想

光り輝く
身体中が痺れる。
身体の中身がなくなったように感じる。
いきなりアオーンと唱え出す。(かなり大きくて力強い声)

更にオオオと口をすぼめて長いこと唱える、(大きい澄んだ声)
かなり長かったのに、息が全く苦しくならなかった。
この間も身体中が痺れていた。
上半身の中身が感じられなかった。
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