備忘録
MEMORANDUM6(2021/10月〜2022/1月)
日々の瞑想や霊的なことなどを綴っていきたいと思っています
私はクラッシック音楽がとても好きなので、クラッシック音楽を取り入れた形の自由な瞑想をしております。
(マーラー作曲:交響曲9番の4楽章を2回聴く)
写真と内容は関係あるものとそうでないもがあります。(写真は主に私が撮ったものを載せてます)
私自身の記録用なので、参考程度に読んで頂けたらと思います。
下記の(アコーディオン形式)日付をクリックしてください。
過去の瞑想(2021/6月〜9月) 過去の瞑想(2022/2月〜5月)
701回目の瞑想
ーーー各自に神が宿っているのであれば、自然に発揮されてくるのではないでしょうか。
「夏の盛りの大自然の美事な景観をご覧になれば、その背後にそれだけのものを発揮する種子が宿されていたはずだと思われませんか。たとえばバラのあの可憐な花びらと芳(かぐ)わしい香りもみな一個の小さな種子の中に宿されていたのであり、それがまずつぼみの形で顕現されます。バラの美しさのすべてがそこに宿されているのですが、それはつぼみが開かないことには発揮されません。あなた方の魂には神が宿っております。そのつながりは永遠であり決して断絶はありません。しかしその神の属性をどれだけ発揮するかは各自決めることです」
今回の内容は私も望んでいたことだ。神様のお力が自然に発揮されればどんなにかいいかと思う。大自然の景観には夏の季節だけでなく、四季折々の景観にいつも感動させられている。本当に美事で言葉にならない。我が家
にも小さな庭に所狭しとバラを植えている。春になると素晴らしい花を咲かせてくれる。つぼみを見るだけでワクワク感が止まらないのだ。確かにつぼみだけで終わってしまう場合もある。つぼみが開かないことにはあれだけの美しさを見ることはできないし、香りを楽しむことも出来ない。要するに人間はバラのつぼみと一緒なのだろう。バラは太陽と水と養分のバランスを考えて日々の努力で、素晴らしい花を咲かせてくれる。人間も霊的なこと物的なことのバランスを考えて日々の努力をすることで、神様の属性の発揮という開花がなされるのだ。それも各自が望んで決める以外にその道はないということになる。一人でも多くの人が神様の属性を発揮できるような世界になることを願って止まない。
今日の瞑想では、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂き、深い呼吸に集中する。そして神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるよう、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達を救済して頂けるようにとお願いし、またそれ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。今回は意識ははっきりしており、曲が終わると同時に、すぐに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した
。
702回目の瞑想
心霊治療はどういうメカニズムで病気を治すのか、治療家と患者との間にどういう関係が生じるのかを問われてーー
「賦活性をもった放射線が注入されるのです。病気に応じて種類が異なります。どういうものかと言われても、地上にそれに類するものが見当たりませんので説明できません。たとえばX線、無線、磁気、電気といったものもあくまで”用語”であって本質を伝えていません。要するにこちらの世界には病気を癒やす力をもった放射線、エネルギー(どう呼ばれても結構です)が存在し、それを使用するのです。賦活性をもった生命力の一種で、それを人類のために使用できるまでに進化した霊が駆使しているのです。
霊的啓示を授ける者が叡智の泉から汲み上げるように、心霊治療家は健康の泉から治癒力を汲み上げることができます。同じく、必要な物的証拠を提供する霊は、地上でまだ知られていない何種類かの気体を使用しています。すべての生命が刻一刻と進化していることを認識してください。学問は墓場で終わるのではありません。開発は死と共にストップするのではありません。霊魂は叡智を蓄積しつつ、どこまでも全身し続けます」
今回は心霊治療のメカニズムという、難しい内容だ。賦活性をもった放射線が注入されると言われる。賦活という意味は、活力を与えること。物質の機能・作用を活発化すること。とある。だが、地上にはそれに類するものが見当たらないと言われている。私はエネルギーであり、霊力だと思っている。これは信じられるかどうかが分かれ目なのだと思う。信じる人は病気が早く治る傾向にあるが、信じない人はなかなか難しいように思う。けれど中には信じなくても治ってしまう人もいるので不思議なのだ。私の場合は毎回ではないが、相手の方の状態を感覚的に共有してしまうことも少なくない。なのでヒーリング中に同じような症状になり、辛さを実感する。けれどヒーリングが終了すると共にその感覚はなくなってしまうのだ。痒みだったり、動悸だったり、痛みだったり、居ても立っても居られない座っていられないような身体の辛さなど様々な体験をしている。そしてヒーリングが功を奏せば、その症状が消え、元気を取り戻せるが、何と言っても、ご本人のやはり霊的に信じる心や理解力次第なのだと思われる。例え一時的に症状が治ったとしても霊的な信心や理解がない人はまた同じかまたは別の症状が出るようだ。ということは霊的真理を知り、理解を深めるための気づきのための症状なのではないかと思っている。シルバー・バーチ霊はすべての生命は刻一刻と進化している、と言われている。進化して行くためにも、霊的真理を知ることは必須である。病気になったことだけを嘆くのではなく、何故病気なったのかということを考えることが必要なのだと思う。
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸を整え、集中する。そして神様に簡単なお祈りをさせて頂き、神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるよう、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。またコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済と、それ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。そして自分の瞑想を続けてする。しばらくすると「感情は殺すのではない。その感情を冷静に見つめ、超えることが肝要。感情の意のままに行動せぬこと」とのお言葉が浮かんだ。意識ははっきりしているように感じていた。感情を克服することはかなり難しいと思う。怒りの感情などはやはり一旦落ち着いて客観的に見つめることが大事だと言われているように感じた。感情のままに行動すれば必ず良くないことになるのも事実。感情については難しいとばかり思っているのではなく、改めて努力していかなければいけないと強く思わせて頂いた。神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
703回目の瞑想
治療を妨げる最大の障害物は患者の不安と取越苦労であることをシルバー・バーチが指摘すると、メンバーの一人がすかさず質問した。
ーーー心配するのもやむを得ないこともあるのではないでしょうか。それとも、心配することは絶対にいけませんか。
「いいとかいけないとかの問題ではありません。その念が連絡の通路を塞いでしまうのです。治癒エネルギーの流れを妨げ、近づけなくしてしまうのです。心配の念を抱くとそれが大気に響いて、その人のまわりに我々の進入を妨げる雰囲気をこしらえてしまいます。冷静で受容的雰囲気でいてくれれば容易に接近できます。確信を頂いている時、完全な信頼心を抱いてくれている時は接触が容易です。信念が完全に近づけば近づくほど、自信が深まれば深まるほど、それだけ我々との接触が緊密になります」
今回も大変に勉強になる内容だった。相手の方の不安とか心配はそれ自体を取り除いてあげることはなかなか難しい。やはりそれはご本人が克服する以外にないからだ。リラックスしてもらうようにお願いしても、緊張していたり、不安や心配の念がないかどうかはその時の状態によるのだ。それによって功を奏する場合としない場合とに分かれてしまう原因にもなり、ご本人の気持ちが大きく影響するということは避けられない、ということなのだ。だがこれが一番難しいようにも感じる。なぜなら、ご本人は体調不良で辛かったり、苦しかったりしているからこそ、ヒーリングを依頼するのだ。シルバー・バーチ霊の言われるように冷静で受容的な心で臨むというのは難しいだろう。少なくともヒーリングをする人間を信頼してもらい、治癒エネルギーの流れの妨げにならないような心持ちでいてもらうように誘導するしかないと思う。シルバー・バーチ霊の言われることすべてが出来るのようになれば、逆に病気にはならないようにも思うのだ。ただ出来るようにするための努力は怠ってはいけないと思う。特にヒーリングする立場の人間は全幅の信頼がなくてはいけないのだと思う。
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸を整え、いつものように神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして神様の愛のエネルギーで地球をお包み頂けるよう、すべての人間に愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達に救済のお願いした。そしてそれ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。自分の瞑想に入ると、別空間にいるような感覚が続き、映像も出現したが、言葉で説明できるようなものではなかった。今まで見たこともないような不思議な映像だったのだ。そんな感じのまま時が流れ、最後に神様と霊界の方々にお礼を申し上げ、終了した。
704回目の瞑想
この心霊治療を医事法違反として規制する法案が英国会議に提出されたときシルバー・バーチは、たとえ全議員がそれに賛成しても、たとえ権力者のすべてが支持しても、たとえ教会のすべてがこぞって同意しても、心霊治療を地上から撲滅してしまうことはできないと述べてから、こう続けた。
「神の業であるからには心霊治療はそうしたものを乗り越えて存在しますし、また存続させねばなりません。私達が啓示している自然法則は人間の精神によって成立するものではありませんし、その普及が妨げられるものでもありません。私共は誤ることを避けがたい人間がこしらえた法律にはまったく関心がありません。神の法則、不変、不易にして不可変、全知全能の摂理、無始の過去より存在し無窮の未来まで存続し続ける摂理を説いているのです。人間が我々のこと並びに我々の説く真理のことにどうケチをつけようと一向に構いません。
かつて地上世界の改革に努力した人々、理想に燃えて同胞のために献身した人々は、人類の最先端を歩んでいたために、進化の階梯において一歩先んじていたために、侮(あなど)りと蔑(さげす)みと嘲(あざけ)りに耐え忍ばねばなりませんでした。そして使命を終えてこちらへ来ると、後生の人間は彼らのことを人類の模範として崇拝し、そうしながら一方では同時代の超能力を磔にして葬りました。真理というものは確立されるまでには数々の闘いに打ち勝たねばならないものなのです。恐れてはなりません。我々のすべてに存在を与えてくれている力、地上のために私達を地上へ派遣して下さっている力、あなた方に自ら体現させてあげたいと私達が望んでいるところの力は、宇宙の全生命を創造した力と同じものなのです。それはあなた方の方から見捨てない限りあなた方を見捨てることはありません。
地球はこれからもずっと地軸を中心に回転し続けます。太陽はこれからもずっと輝き続けます。すべての天体が定められたコースを運行し続けます。潮は満ち引きを繰り返し、春の後には夏が、夏の後には秋が、秋の後には冬が巡ってきます。それはその背後で支える力が無限であり誤ることがないからです。これだけの大自然の見事なスペクタクル(壮観・美観)を目の前にしながらあなた方は、それと同じ霊力が地上世界のことでしくじりを犯すことがあり得ると思われますか。その霊力を顕現させる道具が存在する限り、人のために役立ちたいと願う男性あるいは女性がいて下さる限り、私達は病気に苦しむ人を癒やし、生命が墓地の向こうにも存在することを証明し、永遠の霊的実在の証を提供し続けます。そうすることが物質万能主義を永遠に駆逐し、霊の働きかけの実在を曖昧なものにしてきた教条主義の暗闇を排除し、奉仕を基調とする真の宗教を確立することになるからです」
今回の内容には、ただただ感服するのみ。霊的真理の醍醐味であると思う。この世に生きている人間がこの霊的真理を知り、更には理解を深め、実践することができれば、神様の偉大なるお力がこの地球にはっきりとした形で顕現されるのだと思う。もちろん、私達が神様を見捨てない限り、神様は見捨てることはないとシルバー・バーチ霊は断言されている。言われるように常に神様のお力は働いているのだと思うが、人間の自由意志で勝手気ままに神様の摂理に反した行いをしているから、病気や災害などいろいろな災いが起きるのだ。今のこの世の現状も過去から蓄積された摂理に反した行いの結果なのではないかと思う。人間の罪なのだろう。だとしたらそれに対して文句や愚痴を言う前に、人間として正しい行いをしてきたのかどうか、しているのかどうかを霊的真理に照らし合わせて考えるべき時が来たのではないだろうか。霊的に世界の人間が目覚めることでこの世は一変するのだと思う。そのための苦しみなのかも知れない。
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をし、呼吸に集中する。そして神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして神様の愛のエネルギーで地球をお包み頂けまようにと、すべての人間に愛のエネルギーが行き渡りますように、そしてその愛のエネルギーを一人でも多くの人が受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済をお願いし、それ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。今日は途中から、ほとんど意識は遠のいていた。いつの間にか曲の終わる直前になっていて気がついた。一呼吸おいてから、神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。
705回目の瞑想
では、そもそも病気とは何であろうか。シルバー・バーチはこれを霊と精神と肉体の三位一体の協調関係が崩れた状態であるという。ではそれを崩す原因は何であろうか。純粋な精神的原因、純粋な霊的原因というものがあるのであろうか。前生との関係は?病気というものが人生における最大の苦痛の原因であるだけに、心霊治療の問題は人生そのものの問題であるとも言える。その解答を次の問答から読み取って頂きたい。まずはシルバー・バーチがこう述べた。
「物的身体と霊的身体との間に相関関係があり、両者は絶え間なく反応し合っております。物的身体は霊的身体にその存在自体を依存しており、霊的身体は物的身体にその表現を依存しております。物的身体を通して獲得する経験が霊的身体の成長を決定づけていきます」
ーーー肉体は幽体を原型としているのですか。
「そうです」
ーーーとなると病気になった場合は幽体を治療すべきなのでしょうか。
「必ずしもそうではありません。病気の原因がどこにあるかによります。純粋に霊体から来ているものであれば霊体を治療することによって治せます。が、原因が純粋に肉体的なものであれば、霊的方法よりは物的方法の方が効果があります。ご承知のとおり、あなたは今の時点でも霊魂です。ただ、こうして霊的身体と同時に物的身体を通して表現している間は、物的世界のことは物的身体を通して感得しております。そして物的世界に生じたことは物的身体に影響を及ぼすと同時に霊的身体にも影響を及ぼします。同時に、霊的身体へ影響を及ぼすものはことごとく物的身体へも影響を及ぼします。かくして、両者の間の作用と反作用が絶え間なく行われております。物的、精神的、霊的の三つの影響力の間に絶え間ない相互関係が営まれております」
(訳者注ーー精神は霊が肉体を操作するためのコントロールルームのような存在で、霊にとっては実質があり実感がある)
今回の内容は、人間にとっては欠かせない非常に関心のある問題だと思う。冒頭の言葉通り、病気についてはいろいろな疑問が膨らむ。シルバー・バーチ霊のお言葉で物的身体と霊的身体とは相関関係があり、絶え間なく反応し合っているとのことだが、私達人間にはそれを意識することが出来ない。物的身体は認識できるが、霊的身体を認識することが出来ないからだ。それ故に、物的身体が霊的身体の存在自体に依存しているとか、霊的身体は物的身体にその表現を依存している等とは、考えつきもしないし、思うこともないのだ。だが認識していなくても、物的身体を通して獲得する経験が霊的身体の成長を決定づけていると言われているのだ。要するに無意識に行われているということなのだろう。
ただ、病気になった場合、その病気の原因がどこにあるかを知らねばならないのだ。霊的なのか、物的なのかだ。それによって、物的であれば物的方法が効果あり、霊的な場合は霊的方法が効果があるのは当然なのだと思う。要は霊的なことも物的なこともお互いに影響を及ぼすということなのだ。物的、精神的、霊的のこの三つの影響力は絶え間なく相互関係を持ち、営まれているので、この三つのバランスが崩れると病気になるということなのだ。そのバランスをどのようにして保っていけばいいのかという問題になる。私達人間はどうしても見えない霊的なものが疎かになるということが一番の問題なのではないだろうか。そして見える物的なものへと比重が重くなる。こうなると病気にならないわけがないということだ。増して、霊的なことを信じない人にとっては、最初からバランスが崩れているということになる。病気ということについて根本から学び直さなければ、なくなることはないのだ。だが、この病気を通して、霊的なものへと覚醒する場合もある。逆もまた真なりということなのだろうか。しばらくはこの問題についての問答を記していこうと思う。
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸を整えてしばらくすると、不思議な感覚になる。懐かしい気持ちと共に、自分の中から何かが湧き出るような、やはり言葉では表現できない感覚になった。そしてその感覚をずっと感じていたいとも思ったのだ。その後はいつものように神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして神様の愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようにお願いし、すべての人間に愛のエネルギーが行き渡りますように、そしてその愛のエネルギーを一人でも多くの人が受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。そしてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済と、またそれ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。途中、意識が全くなくなる。気がつくと、曲も終わる直前だったので、そのまま神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。
706回目の瞑想
ーーー伝染病は純粋に物的原因によるのでしょうか。
「必ずしもそうではありません。実際は肉体に原因があるのではなくて霊に原因がある病気も数多くあります」
ーーーそれはどんな原因があるのでしょうか。
「利己主義、強欲、金銭欲。イエスが、治療した患者に”汝の罪は赦されたり”と述べた話はご存知でしょう。病気の原因には物的なものと霊的なものの二種類があることを知らねばなりません。どちらの場合でも同じ方法で治すことも不可能ではありませんが、物的な治療法の方が効果が大きい病気があります。病気の影響が霊的身体にまで及んでいる場合があり、あるいは霊的身体にそもそもの原因がある場合もありますが、霊的身体そのものが病気になることはありません。物的身体との相互関係の異常にすぎません。その異常がバイブレーションを乱し、物的身体との関係を乱し、それが病気となって現れます。
怒りが脾臓を傷めることがあります。嫉妬心が肝臓を傷めることがあります。そうした悪感情が異常の原因となり、バランスが崩れ、調和が乱れます。病気が進行してバランスが完全に崩れてしまうと霊的身体が脱出のやむなきに至ります。それが死です」
今回の内容も前回と重複している部分もあるが、病気の原因は利己主義や強欲、金銭欲という欲望に怒りや嫉妬心などという悪感情が異常となり、バランスを崩し、調和が乱れると言われている。そしてそのバランスを完全に崩してしまうと死に至ると言われているのだ。病は気からとはよく言ったものだ。病気の根源はやはり神様の摂理に反しているからこそであり、正すべきとの気づきを与えて下さっているのだと思う。けれど、大方の人間は肉体のみに関心がいき、魂を顧みることがない。気づきを与えて下さっているのに、一向に霊的な方向へは向かわないのだ。それでは病気が治るわけもない。治らないからただただ病気を怖がるのみだ。今も政府やメディアに踊らされて、PCR検査に長蛇の列だという。そんなに自分の自己免疫の力を信じられないのかと情けなくなる。神様から頂いた最高の自己免疫の力を更に強固にするべく、努力することは必要だ。だが、それは恐れることでも不安や心配になることではないのだ。自分自身の行いに自信があれば怖がる必要は一切ないと私は思う。これは個々の人間の真価を問われているのではないかとさえ思ってしまう。自分自身の力を過信するのではなく、神様と繋がった霊であることを認識し、その上でこの世の物的なことはすべて克服できるとの信念を持つことなのだ。また本当の自然のウィルスは、当然神様が司っておられるのだ。増して人口のウィルスなどの威力はいかほどのものなのであろうか。と思う。神様を心から信心していれば、怖いものなどなくなるはずだ。また何が正しくてそうでないかの見極めも直感で感じることができるのだ。今はその気づきを会得することが何よりも大事なのではないかと思う。
今日の瞑想では、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、すぐに神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようお願いする。そしてすべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済、それ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。またもや意識は遠のき、終わる時間直前に戻ったので、神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した
。
707回目の瞑想
ーーー腕を失った場合、それは幽体の腕にどんな影響を及ぼしますか。
「幽体の腕に影響が及ぶような事態は決して起きません。両者の相互関係の欠如という事態にはなります。が、幽体の腕は肉体に宿っている間は働こうにも働けません。それはともかくとして、私達の口から”この病気は治りません”という言葉をお聞きになったことはないでしょう。治る望みは必ずあります。ただ、そのためにいろいろと考慮しなければならない要素があるということです。
人間には物的身体と霊的身体とがあり、両者は生命の紐、言うなれば命綱で結ばれております。病気、異常、あるいは年齢といったものが物的身体に忍び寄るにつれて両者の相互関係が次第に緊密度を失ってまいります。そうした中で物的世界からの離脱の準備が進行しているわけです。病気には物的、精神的。霊的の三つの原因があります。骨折も霊的に治すことが出来ないことはありませんが、物的手当ての方が簡単でしょう」
今回の内容は肉体的なものを失った場合に幽体に影響するかという質疑応答だ。シルバー・バーチ霊のお答えは幽体に影響が及ぶ事態は決して起きないと断言されている。病気と一緒で、相互関係の欠如という問題にはなるようだが、幽体には何ら影響は及ぼさないようだ。ただ、肉体に宿っている間は、幽体としての働きはないらしい。この世に生きている間はやはり幽体よりも肉体が優先されるということなのだろう。肝心なのは、何度も繰り返し言われていることだが、人間には物的身体と霊的身体があるということだ。これを認識せずには先には進めない。この両者は相互関係があり、命綱で結ばれているとのこと。だが病気や異常、そして老いなどで、次第に両者の相互関係は緊密度が失われ、物的世界から離脱する準備が進行していくと言われている。そしてこれも何度となく言われている事だが、病気には物的な原因だけでなく、精神的、そして霊的というこの三つの原因があるのだ。驚いたことに骨折も霊的に治すことが出来るらしい。ただ物的手当ての方が簡単だということだ。世界的に有名な心霊治療家のハリー・エドワーズ氏も人間技とは思えないような治療をされて、完治させているのだ。シルバー・バーチ霊の交霊会にも出席されていて、ほぼ完璧の段階に近づいているとのお言葉をかけられている。ハリー・エドワーズ氏ほどの方でもほぼ完璧に近い段階とは本当に奥が深いのだと思わずにはいられない。機会があれば、シルバー・バーチ霊とハリー・エドワーズ氏の問答を記してみたいと思う。
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸に集中し、そして神様に簡単なお祈りをさせて頂く。その後、神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂く。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済のお祈りをし、そしてそれ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。続いて自分の瞑想に入り、間もなく終わるその直前に突然「天女のごとく精進なされよ。神の御言葉を胸に刻まれよ」とのお言葉が浮かんだ。あまりに突然でちょっとびっくりしてしまった。今更だが天女の意味を知りたくなり、調べてみると天界に住むといわれる伝説の女性だそうな。要するに天界に行けるような霊恪になるように精進しろということなのだと得心する。ただ神のお言葉を胸に刻めとのことだが、神様のお言葉は特になかったように思う。今後何かの形で頂けるのだろうか。そんなことをしばらく考えてから、最後に神様と霊界の方々にお礼を申し述べて終了した。
708回目の瞑想
ーーー遺伝的疾患と神の公正とをどう結びつけられますか。
「地上へ生を享けるときは因果律によってその霊が当然宿るべき身体に宿ります。前世で身につけたものを携えて現世をスタート致します。前世を終えた時点でふさわしいものを携えて再生するのです。遺伝的疾患も少しも不公平ではありません。(前世に照らして)これからの進化にとって必要なものを成就するのにふさわしい身体を与えられるのです」
今回の内容もかなり奥が深いと思う。再生を信じない人にとっては、かなり信じ難いことなのではないかと思う。けれど私は益々得心することができる。すべては因果律なのだ。自分で作った原因は必ずその結果に責任が伴う。それは今世だけに限ったことではないことを教えて下さっているのだ。今世で犯した罪をこの世で裁かれなくても、いつの世かで、必ずその罪の責任は取らされるようにできているのだ。人間同士裁かなくても、魂には刻まれているので因果律によって、公平が保たれているということなのだ。この内容にあるように、因果律によって遺伝的疾患のある身体に宿るということを知らなければ、過去に自分が何をしてきたのか記憶がないので、自分の身の上を一生恨むことにもなりかねない。それこそ霊的真理を理解することが必須ということになる。理解できれば過去の罪を甘んじて受け入れ、それによってその罪は浄化され、進化の道を歩むことができるのだろう。神様の公正の凄さにただただ驚嘆するばかりだ。
今日の瞑想では、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。続いて神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようお願いし、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂く。そのお祈りの言葉を心で唱えているうちに、いつの間にか「世の不条理に翻弄されておる」という言葉に置き換わっていて、そのことに気付くと我に返ったかのようになり、そこでその言葉のみが頭に残っていたのだ。この言葉の前後は全くわからない。思い出そうとしても全く出て来なかった。またその間意識があったのかなかったのかもわからないままだった。そのことで時間を費やしてしまったので、気持ちを切り替えてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済をお願いし、それ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングも続けざまにさせて頂いた。ちょうど曲も終わり、そのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
前述のお言葉は今の世の中のことを言われているのだろうと瞑想終了後に思った次第である。
709回目の瞑想
”
ーーー心霊治療によって治る人と治らない人とがいます。患者の魂の進化という観点からみて種類が異なるのでしょうか。
「そうではありません。誰であろうと霊界へ旅立つべき時がくれば、いかなる治療家もそれを阻止することはできません」
ーーーでも、治療家のところへ行かなかったらもっと早く死んでいたということもあるでしょう。
「それも数日かそこいらの話です。永遠の時の中でそれがどれほどの意味があるでしょう」
ーーーだったらいっそのこと心霊治療家もいらないことになりませんか。
「そうはまいりません。苦しむ人を救ってあげたいという情は神の心の自然の発露だからです。人間の病気や異常の多くは魂の進化の程度の低さに由来するのではなく、無知から神の摂理に反した生き方をするからです。もっとも、神の摂理に反した生き方をするのは、その摂理が理解できる段階まで魂が到達していないから、という観方もできることは確かです。魂が摂理と一体となる段階まで進化すれば病気は生じません」
今回の内容も、とても興味深く読ませてもらった。ハリー・エドワーズ氏もあれだけの難病をも治された方が、やはり治らなかった方がいると言われていた。しかも治るとは思えない人が治り、治したいと思った人は治らないというようなことも体験されている。これはどれだけ優れた治療家であろうと、自分の思い通りには行かないと言うことなのだ。すべてはやはり神様にお任せする以外にないということになる。また霊界へ旅立つべき時には、誰も阻止することは出来ないし、阻止するべきではないということだ。シルバー・バーチ霊のお言葉に数日かそこいらの話と言われているが、私達人間にとってはその数日であっても生きていて欲しいと願ってしまうものだ。だが、永遠の時の中という壮大なスケールを聞かせられると、確かに些細な意味でしかないのだろう。心霊治療家はいらないのではという質問にシルバー・バーチ霊のお答えを読んで、心霊治療家というお役目は病気などで苦しんでいる人を助けてあげることはもちろんだが、その心霊治療家自身のためにもなるということなのだ。神様の御心を顕現することで、更に霊恪をレベルアップされて行かれるということになるのだろう。また人間の病気などは魂の進化の低さに由来されず、神の摂理に反した生き方をするからとの下りを読んでいて、要はやはり魂の進化が低いということではないのかと思っていたら、同じことが書かれており、納得した。しかし、魂が摂理と一体となる段階まで進化できなければ、病気になるということに、少しガックリする。魂が摂理と一体となる段階などいつになれば到達できるかわからないからだ。それまではやはり病気になるリスクはあるということだ。でもそれも最少限度で留められるように努力していく以外にないのだと思う。出来る限り、神様の摂理に適った生き方をしていけるように努力して行きたい。
今日の瞑想でも、いつものように神様に簡単なお祈りをさせて頂き、神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようお願いし、またすべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済と、それ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。ほとんど意識はなく、やはり曲が終わる直前に気がつき、そのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
710回目の瞑想
ーーー二人の人間が同じ病気で苦しんでいて、一方は治り他方は治らないという場合がありますが、これは不公平ではないでしょうか。
「そもそも心霊治療家のところへ足を運ぶということ自体、偶然のことと思われますか。偶然ではありません。偶然というものはあなたの世界にも私の世界にも存在しないのです。断言しますーー神の摂理は完璧です。いずれあなたもその働きを理解し、その完璧な摂理をこしらえた完全なる愛の存在を知って、私と同じように、まるで鉄槌を食らわされたような想いをなさる日が来るでしょう。
私たちはすべてーー私も同じなのですーー暗闇の中で手探りで進みながら時折光明の閃きを見つけ、摂理への洞察力の手にします。そこで感嘆します。しかし暗闇の中にいる限り摂理の全貌が見えませんから、私たちはそれをとかく偶然のせいにし、運良くそうなったのだと考えます。しかし、断言しますが、偶然というものは存在しません。そう言うと皆さんはきっと”では自由意志の問題はどうななるのか”と聞かれるでしょう。確かに人間には自由意志が与えられております。が、その自由意志の範囲は魂の進化の程度によって規制されると申し上げたはずです。自由は自由です。が、その自由にも程度があるということです。自由は自由です。が、それも宇宙の法則、すべてを経綸している法則の中における自由だということです。宇宙最大の組織であろうと極小の生命体であろうと、その法則から逃れることはできません。何ものも神の摂理から逃れることはできません。完璧なのです」
今回の内容は読みながら心が震えるような感動を覚えた。シルバー・バーチ霊自ら断言しますと言われているこの内容に、神様の摂理の完璧さを確信され、並々ならぬ想いが伝わってきたからだ。偶然はないということは、亡くなった母からも散々聞かされていたので、私にとっては当たり前のこととして認識していた。ただ、いろいろな悲惨なニュースが流れる度に(特に我が子の虐待など)すべて偶然ではなく、必然だと考えるにはあまりにも悲しい出来事だと常々感じていた。けれど、偶然はないとシルバー・バーチ霊が断言されていることで、この世に起きることすべては必然なのだと改めて感じざるを得ない思いだ。まさに今のこのコロナ禍も必然ということになる。神様は善悪両方を司っておられる。善いことも悪いこともすべては必然なのだ。私自身もいろいろな局面で護られてきていると実感しているが、これも必然であり、また主人の脳出血も息子の死もすべて必然なのだ。普通に考えると護られていることは善であり、病気や死は悪と思ってしまうが、善悪という概念を取っ払い、魂が進化するために与えられた課題ととらえ、それをどの様に乗り越えて行くのかそれは自由意志に任されているのだ。だがその自由意志も、前から言われているように魂の進化の程度によっての規制があるのだ。あらゆることは魂の進化の程度で決まってしまう。だとしたら規制のある中での自由意志を、神様の摂理に適う行いをしていき、霊恪を上げるように努力するしか道はない、ということを教えて下さっているのだと思う。また心に響いたお言葉「暗闇の中で手探りで進みながら時折光明の閃きを見つけ、摂理への洞察力の手にします。そこで感嘆します」と。これは瞑想している時に感じていることなので、とても心強く感じたお言葉だった。だがもちろん全貌を知るよしはなく、その瞬間だけだが、それでも光明の閃きを感じた時の喜びは一入なのだ。励まされた思いだった。精進して行こうという思いが更に強まったのは言うまでもない。
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして、呼吸に集中する。そして神様に簡単なお祈りをさせて頂き、続いて神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようお願いし、すべての人々に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂く。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済と、またそれ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。しばらくすると「明日のことを思い煩うことなく、今日という日を明るく希望を持って生きるべし」とのお言葉が浮かんだ。最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
711回目の瞑想
ーーー一卵性双生児が同じ病気にかかり医学では不治と診断されて見放された場合、霊界からの力で二人とも治すことができるでしょうか。
「私にはどちらとも言えません。病気の軽減及び治癒のための霊力はちゃんと存在しますが、それがどう活用されるかは、その霊力が流れる治療家の適合性にかかっています。現段階における地上世界はまだ神の治癒力の活用がその頂点まで達しておりません。治療家が霊的に向上すれば、それだけ多くの治癒力が流れます。私たち霊界側の問題であると同時にあなた方地上側の問題でもあります。所詮我々は媒介役にすぎません。この霊媒(バーバネル)の背後にこの私(シルバーバーチ)がいます。この私の背後に私より高い存在が控えており、その背後に更に高い存在が控えています。その連鎖関係は無限に続いているのです」
今回は似たような質問ではあるが、シルバー・バーチ霊のお答えにやはり心に響く。病気の軽減や治癒のための霊力というのは存在しているのだ。だがそれをどう活用するかは、治療家の問題であるのだ。現段階というのは今から100年ほど前のことだが、今現在はどうなのであろうか。やはりまだ神様の治癒力の活用は頂点には達していないのだろう。多くの治癒力が流れるようにするためにも治療家の霊的な向上は必須だと思う。また何と言っても霊界側と地上側との連携プレーが最も重要なのではないだろうか。シルバー・バーチ霊よりも高い存在がまた更に高い存在が控えておられると言われる。治療家自身がその高い存在と連携プレーが出来れば、難病も克服することができるのではないかと思う。けれど忘れていけないのは、患者側の問題もあるということだ。霊界へ行くべき時がその時ならば、最高な治癒力が流れようが、止めることはできない、ということを忘れてはならないのだ。
次回からは神様についての問答を記して行こうと思う。難しい内容だと思うが、神様の存在は人間に欠かすことはできないから、少しでも学んでおく必要があると思っている。
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして、呼吸に集中する。いつものように神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けますようにお願いし、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済をお祈りする。またそれ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。この間、今までとは何か違った感覚だった。別空間と一括りにしてしまうと同じになってしまうが、今まで感じていた別空間とは何かが違っていたのだ。その違いが何なのかはわからない。が、確かに違いを感じたのだ。そしてまたどのタイミングで浮かんだお言葉か忘れてしまったが、「恐れぬに足らぬ。この世の平和は人間の為すことで決まる。心で決まるのである」と。
いつもよりもなぜか短い時間に感じていた。もっと違いを感じた空間でまどろんでいたいと思ったが、けれど最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了すると、心身共に心残りもなくスッキリとしてしまったのだ。
712回目の瞑想
シルバーバーチの説く神の概念はスピリチュアリストにとっても当惑させるものを含んでいる。常識的な愛と善のみの神の概念から、善も悪も、愛も憎しみも超越した”法則”としての存在を説くからである。その真意を次の問答から理解していただきたい。
ーーー神とは何でしょうか。あるいは何者でしょうか。それは愛ーーすべての者に宿る愛の精神、ないしは感覚でしょうか。
「神とは宇宙の自然法則です。物的世界と霊的世界の区別なく、全生命の背後に存在する創造エネルギーです。完全なる愛であり、完全なる叡智です。神は宇宙の隅々まで行き渡っております。人間に知られている小さな物的宇宙だけではありません。まだ知られていない、より大きな宇宙にも瀰漫(びまん)しております。
神は全生命に宿っております。全存在の内部に宿っております。全法則に宿っております。神は宇宙の大霊です。神は大生命です。神は大愛です。神は全存在です。僕にすぎない我々がどうして主人(あるじ)を知ることを得ましょうか。ちっぽけな概念しか抱けない我々にどうして測り知れない大きさをもつ存在が描写できましょう」
今回は最初から凄い内容である。神様の概念の測り知れない大きさにただただ驚くばかりだ。特に宇宙について、人間に知られている小さな物的宇宙と言われているが、壮大だとばかり思っていた宇宙を小さいと表現されていることにびっくりなのだ。またより大きな宇宙にも瀰漫されていると言われているのだが、全く想像することができない。より大きな宇宙とは壮大という言葉の上を行くということなのか。それでさえも神様が網羅されているとのことで、雲の上の人どころではなく、私達人間にはほど遠く理解することなど到底出来ないということだ。シルバー・バーチ霊でさえ、測り知れない大きさをもつ存在を描写などできないと言われている。ただ、理解出来なくても信じることは出来る。私はこの内容を読み、更に信じる心が深まったのは言うまでもない。
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして、呼吸に集中する。そして神様に簡単なお祈りをさせて頂き、いつものように神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けますようにお願いし、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済をお祈りする。またそれ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。更に自分の瞑想をしていると、またお言葉が浮かぶ。
「心清めれば自ずと正しき道は見えてくる」と。
今日の瞑想中でも心だけが浮いているというか、果てしない空間に漂っているような感覚だった。その際の心の状態は無であるように感じた。
今回の神様の概念を読ませて頂き、神様は宇宙の隅々まで行き渡っておられるとのことで、私がお祈りしお願いするようなことではないのかも知れないが、私自身の気持ちとして続けて行きたいと思っている。
最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了すると、またもや爽快感で心が晴れやかだった。
713回目の瞑想
ーーー神はスズメの一羽が落ちるのもご存知であると教わっています。ですが世界の莫大な人口、いわんやすでに他界した幾百億と知れぬ人間の一人ひとりに起きることを細大漏らさず知ることがどうして可能なのでしょうか。
「神と呼ばれているところのものは宇宙の法則です。それはすべての存在に宿っております。すべての存在が神なのです。各自の魂が自分を知っているということは神がその魂を知っているということです。スズメが神であるということは神がスズメを知っているということです。神が風に揺れる木の葉に宿っているということは、その木の葉が神であるということです。あなた方の世界と私たちの世界、まだ人間に知られていない世界を含めた全宇宙が神の法則の絶対的支配下にあります。その法則を超えたことは何一つ起きません。すべてが自然法則すなわち神の範囲内で起きているのですから、すべてが知れるのです」
今回の内容も普通に疑問に思うことだと思う。神様は法則であり、すべての存在に宿っているということを理解しなければ、なかなか得心できないのではないかとも思う。すべての存在が神であると説かれているが、それよりもやはり地上世界も霊界もそして私達人間がまだ知らない世界もあるとのことだが、その全宇宙が神様の法則の絶対的支配下にあるということ、その法則を超えて起きることは何一つないということ、すべては自然法則である神様の範囲内で起きているからこそ、すべてがわかるのだということに尽きるのだと思う。それだけの存在である神様を信じないで何を信じるのだろうと思う。すべての人間は神様を信じて、神様の摂理に適った生き方をすることが、この世の使命であることに他ならない、のだと強く思う。
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして、呼吸に集中する。そして神様に簡単なお祈りをさせて頂き、いつものように神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けますようにお願いし、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済をお祈りする。またそれ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。この間終始、意識がありながらも心は遠く穏やかな境地に達した状態でいられたように思う。それがやはり瞑想の醍醐味なのではないかと感じる。スッキリした穏やかな気持ちで神様と霊界の方々にお礼を述べて終了することができた。
690回目の瞑想
ーーー動物界にはどんな種類の動物がいるのでしょうか。
「地上で可愛がられている動物、親しまれている動物、大切にされている動物、人間とほとんど同等に扱われて知性や思考力を刺戟された動物のすべてがおります。そうした動物は飼主の手から離れたことで淋しがったり迷ったりするといけないので、動物界に連れてこられて、他の動物と一緒に暮らしながら、動物の専門家の特別な看護を受けます。その専門家は永い間動物の研究をしてきていますので、その正しい対処の仕方を心得ており、自然な情愛の発露を動物へ向けることができるのです。そこには動物を喜ばせるものが何でも揃っており、やりたいことが何でも出来るので、イライラすることがありません。そして時には地上にいる飼主の家の雰囲気内まで連れてこられ、しばしその懐かしい雰囲気を味わいます。心霊知識のない人でも自分の飼っていた犬を見たとか猫が出たとか言って騒ぐのはそんな時のことです。何となくあの辺にいたような気がするといった程度に過ぎないのですが、地上の動物の目にはちゃんと見えています。霊視能力が発達しているからです」
今回の内容は私がとても知りたかったことだ。動物界には人間と良好な関係だった動物が行くところだと知って安心した。しかも動物界には動物の専門家が面倒見てくれているとのこと。しかもその対処の仕方は、人間以上だ。更にその動物界には何でも揃っており、やりたいことも何でもできると言われる。やはり霊界は人間だけでなく、動物にとっても居心地のいいところなのだろう。また飼主の家まで連れて来てくれると言われているが、実際に私は(大型犬2頭はサンルームで飼っていた)サンルームに隣接している和室で、数日間2頭が生前の時のように戯れているような物音をしっかりと聞いているのだ。時には和室とサンルームの間の窓ガラスにぶつかるような音もしていた。とても楽しそうで、その足音や物音に心から安心したものだった。だがある日を境にパッタリと物音はしなくなった。きっとまた動物界へ戻って行ったのだと思う。更に小型犬のシーズーも、リビングだったが、フローリングを歩く足音がしていた。やはり、しばらくするとその足音も全くしなくなったのだ。結婚前に飼っていた犬については、幽体離脱した時に、はっきりと姿もわかり、心を通わせることもできたので、身を持って体験しているのだ。なので、亡くなった動物は愛の絆で結ばれている飼主の所へは一度は必ず戻って来ると確信している。
今日の瞑想では、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂き、深い呼吸に集中する。そして神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるよう、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。その時にまばゆいばかりのお光りがしばらく目の前に広がっていたのだ。温かくて、優しくて、心地良く、寒かった部屋なのに部屋中がまるで暖炉で温められているように感じていた。そしてその思いのままコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達を救済して頂けるようにと、またそれ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。更にご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。いつの間にか意識が遠のいており、気がつくと曲が終わる直前だった。曲が終わってからもしばらくボーッとしていたが、その心地良さは言葉で現すことはできないほどだった。本当に有難く、神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した
。
691回目の瞑想
ーーー動物界で世話をしている人間が連れてくるわけですか。
「動物界でその管理に当たっている人たちで、それ以外の人について戻ってくることはありません。ところで、その世話をしている人はどんな人たちだと思いますか。動物が大好きなのに飼うチャンスがなかった人たちです。それはちょうど子供が出来なくて母性本能が満たされなかった女性が、両親に先立って霊界へ来た子供の世話するのと一緒です。犬とか猫、その他、人間が可愛がっている動物が飼主に先立ってこちらへ来ると、動物が大好きでありながら存分に動物との触れ合いが持てなかった人間によって世話されるのです。もちろん獣医のような動物の専門家がちゃんと控えております。それもやはり地上で勉強したことがそのまま霊界で役に立っているわけです。知識は何一つ無駄にはされません」
今回の内容も興味深い。動物界で動物の世話をしている人たちというのは、こちらの世界で、動物が大好きなのに飼うことが出来なかった人たちだと言われている。それはまた赤ちゃんを産めなかった人が、両親より先に霊界に行った子供の世話をするのと一緒なのだと。この世で体験出来なかったことを、霊界でちゃんと体験できるようになっているということで、やはり摂理は完璧なのだと思った。また獣医さんとして役割を担っている人もちゃんとおられて、それこそ地上で勉強された知識が役に立っていると言われている。何もかも無駄がなく、すべては上手く廻っていくということに、改めて神様の偉大さを感じる。
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸を整え、集中する。そして神様に簡単なお祈りをさせて頂き、神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるよう、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。またコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済と、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。更にご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。途中までは意識ははっきりしていたが、突然、金色の観音様のようなお姿が見えた。状態としては横向きだったが、素晴らしい出立ちに心が弾む思いだった。徐々にこちらに向いてきそうな感じだったので心待ちにしていたが、最終的にはお顔を拝顔することは出来なかった。とても残念だった。そうしているうちに意識が遠のき、気がついた時にはちょうど曲が終わるところだった。少ししてから、神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
692回目の瞑想
ーーー病気で死亡した動物の場合も人間と同じように看護されるのですか。
「そうです。そうしたチャンスを喜んで引き受けてくれる人が大勢います」
ーーー動物界は種類別に分けられているのですか、それとも全部が混り合っているのですか。
「種類の別ははっきりしています」
ーーー猫は猫、犬は犬に分けられているわけですか。
「その通りです」
犬の次に進化しているの動物は何ですか。猫ですか猿ですか。
「猫です」
ーーーなぜ猿ではないのでしょう。人間と非常によく似ていると思うのですが。
「前にも述べましたが、進化というのは一本道ではありません。必ず優等生と劣等生とがいます。人間は確かに猿から進化しましたが、その猿を犬が抜き去ったのです。その大きな理由は人間が犬を可愛がったからです」
ーーー犬が人間の次に進化しているから可愛がるのだと思っていましたが・・・
「それもそうですが、同時に人間の側の好き嫌いもあります。それからこの問題にはもう一つの側面があるのですが、ちょっと説明できません。長い長い進化の道程において、猿はいわば足をすべらせて後退し、残忍にはならなかったのですが、ケンカっぽく、そして怠けっぽくなって歩みを止めてしまい、結局類魂全体の進化が遅れたのです。それと同時に、というより、ほぼその時期に相前後して、犬の種属が進化してきました。猿よりも類魂全体の団結心が強く、無欲性に富んでいたからです。しかしどうも話が複雑になりすぎたようです」
ーーー猿の種属が法則を犯したのでしょうか。
「法則を犯したというのではなく、当然しなければならないことをしなかったということです」
ーーーでは猿と同じように、将来、犬が進化の階段をすべり落ちるということもあり得るのでしょうか。
「それはもう有り得ないでしょう。というのは、すでに何百万年もの進化の過程を辿って来て、地上の種がすっかり固定してしまったからです。種の型がほとんど定型化して、これ以上の変化の生じる可能性はなくなりつつあります。物質的進化には限度があります。形体上の細かい変化はあるかも知れませんが、本質的な機能上の変化は考えられません。細かい変化は生じても、すっかり形体が変わることはありません。
たとえば人間の場合を考えてごらんなさい。現在の型、すなわち二本の腕と脚、二つの目と一つの鼻が大きく変化することは考えられません。これが人間の標準の型となったわけです。もちろん民族により地方によって鼻とか目の形が少しずつ違いますが、型は同じです。動物の場合はこの傾向がもっと強くて、霊界の類魂に突然変異が発生することがあっても、それが地上の動物の型を大きく変化させることはまずないでしょう」
今回の内容は少し長めに記してみた。最初の質問のお答えには、心から安堵したのだ。前に飼っていた3頭はみな病気で死亡しているからだ。ちゃんと看護してもらっていたのだと思うと、心から安心することができる。喜んで引き受けてくれる人が大勢いるとは、本当に有難いことである。また動物界は種類別になっているようだ。我が家は
犬ばかりなので犬同士仲良く動物界にいたのではないかと想像する。進化している犬の次は猫だと言われている。猿はかなり頭がいいようだが、頭の良さよりも無欲な心が進化にとってはもっとも大事だということの証しなのだろう。そして犬が猿のように進化の階段からすべり落ちるということは有り得ないと言われている。確かに犬の健気さや従順で素直な心は人間も学ばなければいけないと思うほどなので、これからも犬に関しては更に進化していくのではないかとさえ思える。更に興味深いのは、もうこれ以上の形体の変化は細かい変化はあれど、全く変わってしまうということはないと断言されていることだ。確かに人間の形体がかなり変わってしまったら、それを受け入れられるかどうかは疑問だ。だが形体はあくまで形であるから、それよりもやはり心、精神、魂の問題が肝心要なのだ。そこに重点をおいて行く事が私達人間の課題なのだと思う。
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸を整え、いつものように神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして神様の愛のエネルギーで地球をお包み頂けるよう、すべての人間に愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達に救済のお願いした。そしてそれ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。最後にご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。今回は最初から意識はあるものの別空間にいるような認識がずっと続いていた。そして懐かしさと戻りたいというような思いがこみ上げて来たのだ。こみ上げて来ると同時にいつまでもこのままの状態でいたいとの想いにもなる。この世とあの世は重なっていると言われているので、一瞬霊界の自分の住処に飛んでいたのかも知れない、と思ったのだ。その想いのまま、神様と霊界の方々にお礼を申し上げ、終了した。
693回目の瞑想
ーーー動物実験がますます増えておりますが、とう思われますか。これを中止させようと運動している団体もありますが、霊界からの援助もあるのでしょうか。
「ためになる仕事をしようと努力している人は必ず霊界から鼓舞し支援し霊力をもたらそうとしている人たちの援助を受けます。神の創造物に対して苦痛を与えることは、いかなる動機からにせよ許されません。ただ、動物実験をしている人の中には、人類のためという一途な気持ちで一生懸命なあまり、それが動物に苦痛を与えていることに全く無神経な人かいることも忘れてはなりません。しかし摂理を犯していることに変わりありません」
ーーーでもあなたは動機が一番大切であると何度もおっしゃっています。人類のためと思ってやっても罰を受けるのでしょうか。
「動機はなるほど結構なことかも知れませんが、法の原理を曲げるわけにはいきません。実験で動物が何らかの苦痛を受けていることが分かっていながらなお意図的に苦しみを与えるということは、それなりの責務を自覚しているものと看做(みな)されます。動機は人のためということで結構ですが、しかしそれが動物に苦痛を与えているわけです。そうした点を総合的に考慮した上で判断が下されます。いずれにせよ私としては苦痛を与えるということは賛成できません」
今回の内容は、動物実験についてだが、シルバー・バーチ霊の言われる通りだと思う。人類のためと言えばすべて正しいと思うところに欺瞞があるのだと思う。命あるものはすべて生きる権利がある。神様が創造された生命を人間が勝手にはできないということだ。シルバー・バーチ霊はいつも動機が何より優先されると言われている。ただ動機が正しいように見えても、そこに人間優先の考え方での動機や生命に対して危害を加えるような場合は正しいとは言えないということなのだ。このことを動物実験をしている方達にぜひお聞かせしたいと強く思う。
今日の瞑想では、呼吸を整えすぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして神様の愛のエネルギーで地球をお包み頂けまようにと、すべての人間に愛のエネルギーが行き渡りますように、そしてその愛のエネルギーを一人でも多くの人が受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済をお願いし、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。更にご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。やはりその間中、別空間にいるようだった。意識もあると思っていたが、どうもあったりなかったりだったようだ。曲が終わると同時に意識もハッキリとし、神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した
。
694回目の瞑想
ーーー動物の生体解剖は動機が正しければ許されますか。
「許されません。残酷な行為がどうして正当化されますか。苦痛を与え、悶え苦しませて、何が正義ですか。それは私どもの教えとまったく相容れません。無抵抗の動物を実験台にすることは間違いです」
ーーー動物を実験材料とした研究からは、たとえばガンの治療法は発見できないという考えには賛成ですか。
「神の摂理に反した方法から正しい治療法は生まれません。人間の病気にはそれぞれにちゃんとした治療法が用意されています。しかしそれは動物実験では発見できません」
ーーーそうしたむごい実験を見ていながら、なぜ霊界から阻止していただけないのでしょうか。
「宇宙が自然法則によって支配されているからです」
今回の内容も、続いて動物実験についてだ。動機が正しいとか正しくないとかという以前に生命を犠牲にすることはいかなる状況下であっても許されないということだ。当然だと思う。また人間の病気の治療法を動物を実験材料にしているが、やはり正しい治療法は発見できないと言われている。しかも人間の病気にはちゃんとした治療法が用意されているとのこと。そのことを人間は知らなければいけないのだ。私も常々、霊界側で阻止していただけないものだろうかと思って来たが、自然法則によって支配されているとのことで、霊界側と言えども勝手は許されないのだろう。だからこそ人間が霊的に進化し、動物を犠牲にすることを止める以外に方法はないのだ。
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸を整え、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そしていつものように神様の愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようにお願いし、すべての人間に愛のエネルギーが行き渡りますように、そしてその愛のエネルギーを一人でも多くの人が受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。そしてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済、またそれ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。更にご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。最近はこの瞑想の時間は、別空間にいるように感じることが多くなっている。今日もそうだった。心は空っぽになり、お祈りとヒーリングにただただ集中している。その心地良さはこの世にいながらにして、平和な心そのものなのだ。そして何か大きなエネルギーに包まれている感覚を実感しているのだ。その思いのまま神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した
。
695回目の瞑想
さらに別の交霊会で、キツネ狩りに参加した人が自分は間違ったことをしたのでしょうかと尋ねた。するとーー
「すべて生命のあるものは神のものです。いかなる形にせよ、生命を奪うことは許されません」
ーーーでも、ウチのにわとりを二十羽も食い殺したんですが・・・
「では、仮に私がそのキツネに銃を与えて、二十羽もにわとりを食べたあなたを撃ち殺せと命令したらどうなります。すべての地上の生命にとって必要なものは神がちゃんと用意してくださっています。人間が飢えに苦しみのはキツネが悪いのではなく、人間自身が勝手な考えをもつからです。地上の人間が向上進化すれば、そうしたあくどい欲望は無くなります。キツネやにわとりをあなたがこしらえたのなら、これをあなたが食べても誰も文句は言いません。人間がにわとりやキツネを殺してもいいというのが道理であるとしたら、あなたの同胞を殺してもいいという理屈になります。生命は人間のものではありません。神のものです。生命を奪う者はいつかその責任を取らなくてはいけません」
今回の内容はかなり厳しい。この質問者のキツネ狩りのことだけではない。神のものであるすべての生命を奪うことは許されないと言われている。だが、私達人間は牛や豚、鶏などを当たり前のように食してきている。お肉は若い人にとっては欠かせない食べ物になっているのだ。それを急に変えることはできるのだろうか。そしてお肉の代わりには何を食せばいいのかということだ。今大豆がお肉の代わりとして、注目を浴びているようだが、まだまだお店にはほんの少しだけしか並んでいない。お肉の代用品として、今後伸びて行って欲しいと思う。そして世の中全体がシルバー・バーチ霊が言われる生命を奪うことの責任を考えていかなければいけないのだと思う。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中する。神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようお願いする。そしてすべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。そしてご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。この間に、何かお言葉のようなものがツラツラと流れていったようだったが、気がつくと流れていたことだけはわかるのだが内容はまったくわからなかった。何度か思い出そうと試みたがダメだった。その後も意識は遠のき、終わる時間直前に戻ったので、神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
今日は反ワクチン訴訟東京地裁第2回口頭弁論が開かれる。
①日時=1月13日(木)11:30~
②場所=東京地方裁判所 531号法廷
③傍聴=その場抽選(間隔を空けるので席数削減)
16時30分 キックバックカフェにて原告である中村篤史先生から
口頭弁論の内容を伝えて頂きます。
当日生配信予定しております。
配信先は下記の通りです!
また、終了後に街宣・デモを決行されるとのこと。
696回目の瞑想
ーーーイエスの教えの中には動物に関するものが非常に少ないようですが何故でしょうか。
「その当時はまだ動物の幸不幸を考えるほど人間が進化していなかったからです」
ーーーほかの国の霊覚者の訓えにはよく説かれているようですが・・・
「それは、全部とは言いませんが大部分はイエスよりずっと後の時代のことです。それはともかくとして、あなた方はイエスを人類全体の模範のように考えたがりますが、それは間違いです。イエスはあくまで西欧世界のための使命を担って地上へ降りてきたのであって、人類全体のためではありません。イエスはイエスの特殊な使命があり、イエス個人としては動物を始めとする全ての生命に愛情を持っていても、使命達成のために、その教えをできるだけ制限したのです。その使命というのは、当時の西欧世界を蝕んでいた時代遅れの腐敗した宗教界にくさびを打ち込んで、人生の照明灯(サーチライト)として難解なドグマに代わる単純明快な人の道を説くことでした」
ーーー下等動物への愛を説かない教えは完全とは言えないのではないでしょうか。
「もちろんそうです。ただイエスの場合はその教えをよく読めば動物への愛も含まれています。イエスは例の黄金律を説きました。すなわち”汝の欲するところを人に施せ”ということですが、この真意を理解した人なら、他のいかなる生命にもむごい仕打ちは出来ないはずです」
今回の質問で一応動物に関しては終わる。ただここでは動物のこと、というよりも、イエス様のことが書かれている。これほどの内容にお目にかかることは滅多にないように思う。確かにイエス様については人類全体の模範と考えていたのは事実だと思う。だがそれは間違いだと断言されている。しかもイエス様の使命は西欧世界のためだと言われているのだ。しかもその使命達成のために、その教えを制限されていたとのこと。何とも衝撃的である。当時の蝕んでいた西欧世界に人生のサーチライトとして黄金律を説かれたのだ。”汝の欲するところを人に施せ”これはシルバー・バーチ霊の言われる”人に奉仕する”ことと同じなのだ。そして真意を理解していれば、これは人に対してだけではないということがわかる。素晴らしい訓えだと思う。魂に感動を与える内容であった。
今日の瞑想でも、神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂く。お祈りを始めるとすぐに目の前がパァ〜っと明るくなり、燦々と輝くお光りで画面一杯を照らされたようだった。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済のお祈りをし、そしてそれ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。そしてご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。最後に神様と霊界の方々にお礼を申し述べて終了した。
697回目の瞑想
サークルのメンバーの一人で心霊治療家を目指している人が自分の病気を話題に出した。するとシルバー・バーチは言下にーー
「その病気を追い出してしまいなさい。自分は絶対に病気にはならないのだと自分に言い聞かせるのです。”医者よ、汝自らを癒やせよ”−−この古い言葉はご存知でしょう」
ーーーそのことを考えたことはあります。やはり病気は自分で治せるのでしょうか。
「治せるだけでなく、現に治しております。魂の優位を主張し、肉体という下等なものによって束縛され抑えられることを拒否することによって病気を追い払うのです。身体を従者にするのです。主人にしてはなりません。誰にでも出来ることです。ですが、大部分の人間は頭から出来ないものと思い込んでいます。だから出来ないのです。
肉体は精神の従僕です。精神は肉体に隷属しているのではありません。肉体は束の間の存在であり精神は永遠の存在です。肉体はいずれ朽ち果てます。精神が宿っている間だけ現在の形体を維持している一時的な存在です。それがその人ではありません。その人の表現体であり、道具であり、地上で認識してもらうための手段です。その肉体が精神によって歩き回ることを教わり、筋肉を動かすことを教わり、血液を循環させることを教わり、心臓を鼓動させることを教わり、内臓すべての機能を働かせることを教わったごとくに、今度はその(リズムを狂わせている)機能に本来のリズムを取り戻させることによって病気や疾患や以上を無くしてしまうことができるはずなのです」
ーーーということは誰でも自分で健康を回復できるとうことでしょうか。
「まさにその通りです。但しそのためには、”自分は神である。無限の創造活動の一部を担う存在である。全生命への責任を担う霊的存在である。本来は完全なる霊なのだ”ち宣言できる段階まで悟りができなくてはなりません」
今回は病気についてであるが、とても関心のあることだと思う。しかも病気は自分で治せるとシルバー・バーチ霊は言われているのだ。その説明の見事さに感服した。そして改めて魂が優位だということを肝に銘じなければいけないのだと強く思う。確かに人間は頭から自分で病気を治せるなんてことは出来ないと思い込んでいる。出来ないと思っているのだから病気が治るわけがないのは当然だ。病気を治せるようになるそのための最も肝要なことは絶対的な神様への信心が必須だということだ。全幅の信心だ。これ以外にはないのだと思う。それがシルバー・バーチ霊のお言葉”自分は神である。無限の創造活動の一部を担う存在である。全生命への責任を担う霊的存在である。本来は完全なる霊なのだ”に行き着くのだと思う。何があっても揺るがないほどの神様への信心があればこそ、病気は自分で治せるのだと思う。このお言葉を謙虚に受け止めてそうなるように日々精進して行きたいと更に強く強く思わせて頂いた。本当に有難い内容であった。私自身のこともだが、ヒーリングに際してもとても重要なことだと感じた。しばらくは病気について記して行きたいと思っている。
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸に集中した。そして神様に簡単なお祈りをさせて頂く。続いて神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようお願いし、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂く。次にコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済をお願いし、それ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングも続けざまにさせて頂いた。その後、自分の瞑想をする。中途半端な言葉が出ては消えを繰り返していたが、内容は覚えてはいない。時折、意識も遠のいたりしていたが、ほとんど覚醒していた。なので雑念などもよぎって、深い瞑想にはならなかった。曲の終了と共に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
698回目の瞑想
”
別のメンバーがその教えはクリスチャン・サイエンス(※)と同じであることを指摘した。(※信仰治療または信念によって自らを治すことを主義とした新興宗教の一派で、メアリ・エディという女性霊能者によって創立された。が、このあとでシルバー・バーチも指摘するに、肉体は無いと思えと説いたところ間違いがあり、それを死後『霊界からのエディの告白』と題する懺悔の通信の中で認めている。霊感の鋭い人で霊的事実についての理解はあったが、豪華な教会を建ててやろうという野心が自分を過らせたと告白しているーー訳者)
「私はいわゆるクリスチャン・サイエンスが説く真理を全面的に否定はしません。かなりの程度まで正しい教えを説いておりますが、その多くが脇道に外れてしまいました。物質の存在を否定するに至ったところに問題があります。私は物質は実在するがあくまで精神の支配下にあると説いております。あなたは無限の可能性を具えた存在です。その肉体があなたではありません。その肉体を使用している霊なのです。つまりあなたは肉体を具えた霊であって、霊を宿した肉体ではないということです。肉体は現在の形体をせいぜい五十年、六十年。あるいは七十年、もしかして百年の間維持しながら次第に朽ちていき、やがて元のチリに帰ります。しかし霊はそういう経過は辿りません。不滅の素材でできているからです」
今回の内容では、クリスチャン・サイエンスという女性霊能者のことが書かれてる。訳者の方のおかげでどういう経緯なのかということがわかって有難かった。肉体は厳然としてあるのに無いという教えは、矛盾している。やはりシルバー・バーチ霊の、肉体は実在するが、その肉体は精神の支配下にあるという教えは理性が納得できる。今回の内容と類似していると思うのだが、亡き母はこんなことも言っていた。「過去にたとえ過ちを犯したとしても、その過去があっての現在の自分なのだから、その過去を無いものにしてはいけないと。その過去を認めた上で現在の自分が未来にどう希望を繋げていくかを考えていくべきなのだ」と言っていたのだ。物質の存在は否定するのではなく、すべては認めた上で、どう判断していくかということが問われているのだと思う。
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をし、呼吸に集中する。するとすぐにお言葉が浮かんだ。「そう、何も恐れることはないのです。神を信じることが全てです。恐れは神からあなたを引き離します。心にはいつも太陽を感じ、希望を持って生活することです。いつ如何なる時も神と共にあります」と。暗い部屋の中で夢中で書き綴ったので、はっきりとはすぐにはわからなかったが、後で読み返してみると、とても有難いお言葉に感謝の気持ちで一杯になった。そしてそのまま神様に簡単なお祈りをさせて頂き、そしていつものように神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようお願いし、またすべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済と、それ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。意識はあったりなかったりだったが、曲が終わる頃にはしっかりと戻っていた。そして最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
699回目の瞑想
ーーー私達のすべてが治病能力を具えているのになぜ心霊治療家の存在が必要なのでしょうか。
「神の摂理を知らない人が多すぎるからです。みんなそんな摂理なんかあるわけがないと思い込み、健康を回復する法則を実践できる段階まで意識を高めることができないと決めてかかっているからです。神の摂理に従って生きれば病気も異常も生じません。肉体に異常が生じるのは摂理に反した生き方をしているからです。(霊と精神と肉体の)調和が乱れると病気になり、自分自身の努力、または霊界からの治癒エネルギーによって調和を取り戻すまでその状態が続きます」
今回の内容はすべての人間が知るべき内容だと思う。もちろん、知ったからと言って信じるかどうかは別だが。だが知ることがまずは重要なことだと思う。神様の存在自体を信じている人がどれくらいいるのだろうか。そして神様を信じていたとしても、摂理を信じているとは限らない。霊的真理を知るということは、人間としての生きる根幹の部分を知ることになるのだ。それ故に霊的真理を知らなければスタート地点にさえ立てないということだ。この世は霊的真理を知っていて、神様の摂理に従って生きる努力をしている人はごく僅かなのではないかと思う。当然、自分自身に治病能力が具わっていることなど知る由もない。また例え知ったとしても、シルバー・バーチ霊の言われるように神様の法則を実践できる段階まで意識を高められるとは思わないのだ。けれど、神様の摂理に従って生きることができれば病気も異常も生じないとシルバー・バーチ霊は断言されている。私は信じられる。私自身も体験しているからだ。もちろん、まだまだ完璧ではないが、神様の摂理に適う生き方をさせて頂けるようにと日々お祈りもしている。そして、病気は必ず自分で治せるとの信念も持っている。このような思いを世界中の人々が共有できれば、今起きている新型コロナウィルスに対してもここまで騒ぐ必要は全くないと思うのだ。なぜ怖がるのか私には理解できない。ただただ霊的真理が広まることを祈るのみである。
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして、呼吸を整えてしばらくすると、またお言葉が浮かぶ。「宇宙に目を向けて下さい。宇宙は果てしない無限の世界です。心を宇宙に浮かべて下さい。浮かべることで神のエネルギーを受け取ることができます。受け取ったエネルギーは、そのまま他者へと向けて循環させるのです」またこの後少しすると「神子としての使命を果たしなさい。神子とは何ぞや。神の御心を伝えることです」それからまた少しすると「怒りを棄て、身近な者にこそ許す心が肝要」とのお言葉を書かせて頂いていたのだ。昨日今日と立て続けにお言葉を頂き、有難い限りである。そしてそのままの気持ちで
神様に簡単なお祈りをさせて頂き、続いて神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようお願いし、すべての人々に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いていると、涙が溢れてきた。しばらく涙を流し、今度はコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済と、またそれ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。曲も終わりに近づくと穏やかな済んだ気持ちとなり、最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
700回目の瞑想
ーーー自分で治した場合でも霊界からの援助を受けているのでしょうか。
「そういう場合もあり、そうでない場合もあります。というのは、人間は常に何らかの思念、観念、エネルギーといった影響力をまわりから受けているからです。しかし同時にあなた方も霊であり、生命の大霊の一部であり、その無限の貯蔵庫からエネルギーを引き出して我がものとし、普段より大きな力を発揮できるのです。人類が今の段階ですでに進化の頂上に到達したと思われますか。現在の文明の状態を見れば、まだまだ人類には成長と進化の余地があることが明白ではないでしょうか。
あなた方も神性を宿しておられるのです。ほんの小さな火花にすぎませんが、人間の一人一人に宿されているのです。その火花を煽いで大きな炎とするか、それとも手入れを怠って消えてしまいそうにするか、それは各自の自由意志によって自らが決めていくことです。誰も代わって決めることはできないからです。各自が自分の運命の裁決者なのです。自分の未来を自分で形成していくのです。神性を発揮するか否かはあなた方自身で選択することです。代わって選択してあげようにも出来ないのです。向上進化は自分が自覚しない限り、側から促進してあげることはできません」
今回の内容は質問の内容だけでなく、更に人間の生き方の示唆もして下さっているようだ。自分自身で治す場合には、霊界からの援助の場合もあり、神様の一部である自分自身の無限の貯蔵庫からエネルギーを引き出す場合もあるのだ。どちらにしても、自分自身を治すことができるのは素晴らしいことなのだと思う。そして私達人間はほんの小さな火花かも知れないが、神性を宿しているのだ。その火花を大きくするか小さくするかは、すべて自分の自由意志で決められると言われる。例え高級霊であろうと、代わって決めることはできないのだ。自分が自分の運命を選択し、未来は決まるのだ。どちらがいいかは一目瞭然だろう。向上進化を求めるためには、霊であることを自覚し、神様の摂理に適った生き方をする以外にないのだが、決めるのは各自なので、向上進化を求める気持ちのない人は、神性の火花を大きくすることはまだできない。だがみなタイミングがあるので、それもすべて神様はお見通しの上、見守って下さっているのだと思っている。
今日の瞑想では、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、いつものように神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けますようにお願いし、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済をお祈りする。またそれ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。曲が終わった直後に「真っ青な大空に白浜に打ち上げる波の白さ」という情景の映像が出現したのだが、その瞬間に一点の曇りも無い明るくて穏やかな希望ある未来というものを感じたのだ。実現してくれることをただただ祈りたい。その思いも込めて最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
679回目の瞑想
ーーーせっかく人間との接触で得たものが消えてしまうのでは愛がムダに終わったことになりませんか。
「そんなことはありません。類魂全体に対して貢献したことになります。類魂全体としてその分だけ進化が促進されたことになるのです。共通の蓄えに対する貢献です。今までその類魂に無かったものが加えられたわけです。全体のために個が犠牲になったということです。そうしたことが多ければ多いほど類魂の進化が促進され、やがて動物の段階を終えて、人間の形体での個体としての存在が可能な段階へと進化していきます」
ーーーその時点で人間界へと誕生するわけですか。
「人間界への誕生には二種類あります。古い霊が再び地上へ戻ってくる場合と、”新しい霊”が物質界で個体としての最初の段階を迎える場合です」
ーーー1人の人間としてですか。
「そうです。双方とも霊魂です。双方とも自我意識をもった霊であり個性をもった霊的存在です。ただ、一方がベテランの霊で、進化の完成のためにどうしても物質界で体験しなければならないことが生じて、再び地上へやって来るのに対し、他方は、やっと人間の段階にまで達した新入生です。直前まで動物だった類魂が人間界への仲間入りをしたのです。アメーバの状態から始まって爬虫類、魚類、鳥類、そして動物と、ありとあらゆる進化の段階を経て、いまようやく人間へと達したのです」
今回の内容は前回、私も少し思ったことであった。最終的に類魂の中に戻って行くのでは、それまでの人間と動物の間の愛はどうなるのかと。このシルバー・バーチ霊のお言葉で、氷解した。壮大なご計画の中の一端だということがわかる。今それぞれの家庭で一緒に暮らしている動物は、みな類魂全体の進化のために貢献しているのだ。そして、類魂全体が進化を促進されることでやがては動物の段階を終えて人間としての存在が可能になると言われているのだ。なんと素晴らしいことだろう。そのお手伝いをさせて頂いているのだと思うと、何とも誇らしい思いになる。そして一匹一匹の動物に対してひときわ愛おしさが強まるのだ。その一匹の動物の犠牲の上に類魂全体の進化があるのだから。
人間界へ誕生するには二種類あるということは、前にも記した記憶がある。その二種類
しかないと思うと、今の私はやはり古い霊なのではないかと思う。だが、私自身も新しい霊としてアメーバからありとあらゆる進化の段階を経て、人間となったのだ。それを思うと、果てしなく限りなく命を繋いできたのことに対して信じがたい思いになる。だが今この世にいる人間はみなそうやって、この世に誕生しているのだ。だから、今のこの世も直前までは動物だったという人間もいるのだろう。思い当たる節もある。この世は霊界のあらゆる界がごちゃ混ぜで生きているのだから、素晴らしく尊敬できる人から、冷酷非道な人までいろいろな人がいるのだ。そういう人達を見て、学ぶ必要があるということなのだ。霊界では自分と同じレベルの人しかいないので、居心地は最高なのだと思うが、なかなか学ぶことはできないのではないか、と思う。今はその学びに来ていると思って、日々を暮らしていくことが大事なのだ。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、深い呼吸に集中する。そして神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け入れることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂く。そしてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達を救済して頂けるようにと、またそれ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。更にご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。その後、そのまま集中していると宙に浮いたような身体が軽くなったような感覚になる。そして心が弾むような思いになったのだ。時間と空間を楽しむような思いだった。そしてこの世がどのようになろうとも、自分自身は明るく前向きに神様を信じて希望を持って生きて行こうとの思いがとても強くなったのだ。本当に有難いことである。神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した
。
680回目の瞑想
ーーーセオソフィー(神智学)の教えと同じですね。
「何の教えでもよろしい。私に対して、学派だの宗教だのを口にするのは止めて下さい。私はそういうものに一切関心がありません。世の評論家というのはアレコレとよく知っていることをひけらかすだけで、その実、素朴な真理を何一つ知りません。それはさて措いて、あなた方はまさか蜘蛛を家の中に持ち込んでペットとして飼ったりはしないでしょう。カブト虫に温かい人間愛を捧げるようなことはしないでしょう。それはあなたと、そういう昆虫との間の隔たりを意識するからです。進化の道程においてはるかに遅れていることを本能的に直感するからです。一方、犬とか猫、時には猿などをペットとして可愛がるのは、一種の親近感を意識するからです。もうすぐ人間として生まれ代わってくる段階まで近づいて来ているために、動物の方でも人間の愛を受け入れようとするのです」
今回の内容は、少し疑問も残る。それは蜘蛛やカブト虫を飼っている人も実際いるからだ。カブト虫などは小さい子供はとても好きでおうちで飼われており、食べ物をあげたりしているのを見たこともある。シルバー・バーチ霊が言われる昆虫との隔たりを感じていないということなのだろうか。昆虫は進化の道程においてはるかに遅れているということも本能的に直感すると言われているが、それもないということになる。蜘蛛に関して言えば、毒蜘蛛を飼っている人さえいるのだ。やはりそういった人は変わっているということになるのだろう。大概はペットとして飼うのは犬や猫だ。それは人間として生まれ代わってくる段階が近づいて来ているためと言われている。尚更、愛情を目一杯かけて、類魂全体の進化のために貢献したいと思う。
今日の瞑想では、全く違った瞑想を試みた。しばらく続けてみようと思っている。やはりこみ上げてくるものがあり、神様に感謝する気持ちも自然と出て来て涙がこぼれていた。心の解放がよりできたようにも思う。呼吸にも自然と集中できた。今日はそれのみで終了した。詳細はいつか記せる時が来たら記そうと思う。
681回目の瞑想
ーーー動物の類魂は同じ種類の動物に何回も生まれ代わるのですか。それとも一回きりですか。
「一回きりです。無数の類魂が次々と生まれ代わって類魂全体のために体験を持ち帰ります。動物の場合はそれぞれ一度ずつです。全体として再生する必要はありません。それでは進化になりません」
今回の内容も、初めて知る内容だった。動物は一回しか生まれないと言われている。無数の類魂が次々の生まれ代わってとあるが、類魂全体としては再生しないようだ。類魂全体のために体験を持ち帰ると言われる。ペットとして一緒に過ごした動物は生まれ代わることはないのだ。つい、似たような性格だったり、顔が似ていたりすると、生まれ代わりかもと思ってしまいそうだが、そういうことは残念ながらないということだ。
今日の瞑想では、いつものように神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中すると、かなり深い呼吸になっていた。そして神様の愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人間に愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達に救済のお願いしている時に、神様が光りにも闇にも存在しているということを実感として分からせて頂けたように思えた。本当に有難かった。そしてそれ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。最後にご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。そのまま集中していると、海や大空、そして夜空(キラキラと光る星も見えた)などの映像が代わる代わる出現した。別空間にいるような感覚になり、空を飛んでいるような感覚にもなっていた。終わってからも心は軽く、生き生きとした気持ちにもなり、神様と霊界の方々にお礼を申し上げ、終了した。
682回目の瞑想
ーーー我々人間としては、犬や猫などのペットと同じように、生物のすべてに対して愛情を向けることが望ましいのでしょうか。
「それはそうです。しかし同じ反応を期待してはいけません。愛情は愛情を呼び、憎しみは憎しみを呼ぶというのが原則ですが、進化の程度が低いほど反応も少なくなります。あなたの心に怒りの念があるということは、それはあなたの人間的程度の一つの指標であり、進歩が足りないこと、まだまだ未熟だということを意味しているわけです。あなたの心から怒りや悪意、憎しみ、激怒、妬み、そねみ等の念が消えた時、あなたは霊的進化の大道を歩んでいることになります」
今回の内容では、すべての生命に愛情を向けることは望ましいが、同じ反応を期待してはいけないと、進化の程度が低いほど反応は少ないと言われている。そういうことなのだろうなとは察しはついていた。ただ、人間は愛情をかけたらかけただけの見返りが欲しくなるのだ。見返りがないと怒りとなる。けれど、それは進歩が足りないということ、また未熟ということの現れだと言われる。確かにそう言ったことが人間的程度の指標となるのだろう。悪意や憎しみ、恨み、妬み、そねみなどは一切ないが、やはり怒るという感情はなかなか抑えることができない。この感情が消えた時が、本当の意味で霊恪が上になるのだと思う。努力する以外にない。来年はそれを目標に頑張りたいと思う。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ゆっくりと深い呼吸をしながら、神様の愛のエネルギーで地球をお包み頂けまようにと、すべての人間に愛のエネルギーが行き渡りますように、そしてその愛のエネルギーを一人でも多くの人が受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。更にご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。そのまま集中しているとシルバーイエローとでも言うようなお光りが画面一杯に現れて、素晴らしい光りを放っていた。そのお光りに包まれているような感触に、温かな心を感じたのだ。今年も一年無事に過ごさせて頂いたことに感謝し、神様と霊界の方々にお礼を申し上げ、終了した。
今年も拙い備忘録をご覧頂きまして、誠にありがとうございました。
また、来年もご覧頂けたら、光栄に存じます。
皆様、良いお年をお迎え下さいませ。
683回目の瞑想
ーーー動物がようやく人間として誕生しても、その人生が惨めな失敗に終わった場合は、再び動物界へ戻るのでしょうか。
「そういうことはありません。一旦人間として自我意識を具えたら、二度と消えることはありません。それが絶対に切れることのない神との絆なのです」
今回の内容も、とても興味深い。直前まで動物だった魂が初めて人間として誕生するわけだから、始めから素晴らしい人生になるとは望めないだろう。だからと言って、動物界に戻るということはないとのこと。一旦人間としての自我意識を具えたら、二度と消えないし、神様との絆も切れることはないと言われている。それだけ人間としての自我意識を具えるということは凄いことなのだ。私達人間はどの自覚も持って、生きて行かなければいけないのだと思う。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中する。神様の愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようにお願いし、すべての人間に愛のエネルギーが行き渡りますように、そしてその愛のエネルギーを一人でも多くの人が受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。そしてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済、またそれ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。更にご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。その間、ほとんど意識は遠のいていた。そしていつの間にか曲も終わっていた。最後に神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。
皆様、明けましておめでとうございます。
今年こそ、素晴らしい年なりますように、お祈りを深めて行きたいと思っております。
年頭にあたり、シルバー・バーチ霊の今を言い当てているようなお言葉を記載しておきます。
「新時代の到来」
霊的な大きな力が、いま地上世界に向かって降りていく。地上のあらゆる国々で次第にこの力が感得されていく。
いま地上では大事業が進展している。それは地上の利己と無知を打破しようとする運動である。
やがて時来たればこの事業は必ず達成される。
だがその前に、必ず大きな産みの苦しみがある。
素晴らしい地上になる前の大きな産みの苦しみなのかも知れません。
その時が
いつ来るのかはわかりませんが、それが今年であるように祈るばかりです。
今年もどうぞよろしくお願いします。
684回目の瞑想
ーーー屠殺とか動物実験等の犠牲になった場合の代償ーーいわゆる埋め合わせの法則はどうなっていますか。
「もちろんそれにもそれなりの埋め合わせがありますが、一匹とか一頭とかについてではなく、その動物の属する類魂全体を単位として法則が働きます。進化の程度が異なる動物と人間とでは因果律の働き方が違うのです。特に動物の場合は原則として死後は類魂の中に埋没してしまうので、個的存在とは条件が異なります。類魂全体としての因果律があるのですが、残念ながら人間の言語では説明のしようがありません。譬えるものが見当たりません」
今回の内容はかなり奥が深いように感じた。常々屠殺や動物実験、また虐待などの動物達の痛ましさを思うと、何とか出来ないのかとの思いと同時に何もできない自分にも情けない思いでいたのだ。埋め合わせの法則はやはりあるのだ。とりあえず、ホッとする。だが一匹とか一頭とかの単体ではないと言われ、その動物の属する類魂全体に法則は働くのだと言われる。そういうことなのかと、ただただ恐れ入るばかりだ。やはり人間の存在とは異なるようだ。類魂全体としての因果律はあると言われているが、その説明は人間の言語では表現できないとのこと。譬えるものが見当たらないと言われているが、埋め合わせの法則自体、この世では考えられないことなのだから当然のことだと思う。だが、とにもかくにも犠牲になった動物達が類魂全体としてであっても因果律が働くということで、私は救われる思いになったのだ。物言えぬ動物達だが、人間と同じく命がある。その命を大切に出来なければ、この世の平和などはないのだと思う。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中する。神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようお願いする。そしてすべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。そしてご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。ご依頼の方についてはヒーリングの効果が現れてきたようだが、もうしばらくは続けていくつもりだ。今日はほとんど意識があった。そのせいなのか自分の瞑想になると、いろいろな思いがよぎって、なかなか集中することができなかった。時間になってしまったので、神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
685回目の瞑想
ーーーシラミとかダニの寄生虫は人間の邪心の産物だという人がいますが、本当でしょうか。あれはホコリとか病気などの自然の産物ではないかと思うのですが・・・
「そのホコリや病気は一体何が原因で生じるのでしょうか。原因を辿れば人間の利己心に行き着くのではありませんか。その利己心はすなわち邪心と言えます。確かに直接の原因は衛生の悪さ、不潔な育児環境、ホコリとか病気、直射日光や新鮮な空気の不足とかにありますが、さらにその原因を辿れば、そういう環境を改めようとしない、恵まれた環境にある人達の同胞への利己心、同胞への非人間性に行き着きます。これは一種の邪心であり、私に言わせれば人間の未熟性を示しています。そういう利己心を棄て、弱者を食いものにするようなマネをやめ、我欲や野心を生む制度を改めれば、害虫や寄生虫は発生しなくなります」
今回の質問のようなことは考えたこともなかった。だが、シルバー・バーチ霊のお言葉で、寄生虫などもやはり人間の利己心から来ているものだということがわかった。こういった寄生虫や害虫が発生するということは、まだまだこの世が未熟だということなのだ。すべての人が利己心を棄てて、お互いに愛をもって生活していくことが何より大事なことだということだ。弱者に対しての非道や我欲や野心がなくなれば、害虫や寄生虫は発生しなくなるとまで言われている。そんな世の中に早くしたいものである。
今日の瞑想では、前にお話していた新しい瞑想を取り入れ、その後いつものように神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。呼吸については新しい瞑想の中で既に集中していたので、そのまま「神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることができますように」とのお祈りとヒーリングをさせて頂く。そしてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済のお祈りをし、続いて新しくご依頼のあった方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。お祈りの言葉を唱えるとすぐに次から次へと言葉が出てきたので、それを忘れないうちにと書き留めるのが大変だった。一通り書き終えてから、それ以外の方のお祈りとヒーリングを、そして前にご依頼頂いた方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。またその方のお言葉も短かったけれど頂いたのだ。今回もかなり意識は、はっきりとしていたが、しっかりとお言葉も受け止めることが出来た。本当に有難いことだと思う。その思いも含めて最後に神様と霊界の方々にお礼を申し述べて終了した。
686回目の瞑想
ーーーそれは、例えばハエのようなものには当てはまらないでしょう。
「いいですか。大自然全体は今なお進化の過程にあるのです。自然界のバランスは人類の行為如何によって左右されており、人類が進化すればするほど、自然界の暗黒が減っていくのです。人間の霊性の発達と自然界の現象との間には密接な関係があるのです。人間の存在を抜きにした自然界は考えられないし、自然界を抜きにして人間の進化はあり得ません。双方の進化は大体において平行線を辿っています。人間は神によって創造されたものであると同時に、神の一部として、宇宙の進化の推進者でもあり、自分自身のみならず、自分の属する国家をも司配する自然法則に影響を及ぼします。
私は今、人間と自然界の進化は大体において平行線を辿ると言いました。両者にはどうしても少しずつズレが出てくるのです。なぜなら、過去の世代が残した業は必ず処理して行かねばならないからです」
今回の質問に対して、奥深い内容を話されている。人間の行為が如何に大事なことであるかということがわかる。人類が進化すればするほど、自然界の暗黒が減って行くなどとは、到底人間には考えつきもしないことだ。それだけ人間の霊性の発達と自然界の現象とは深く深く結びついているということなのだ。人間の存在も自然界も抜きには考えられないと言われ、特に自然界を抜きにした場合は、人間の進化はあり得ないとまで言われているのだ。それだけ自然界が人間にとって如何に大切なものなのかと言うことがわかる。そして、人間は神によって創造されたものであり、また神の一部として宇宙の進化を担う役目もあると言われている。更に自分だけではなく、国家をも影響する力を持っていると言われるのだ。人間とはやはり凄い存在なのだ。だからこそ、悪に向かった場合のその力も凄いということになる。しかしその悪行に手を染めた過去を今生きている私達が処理して行かなくてはならないのだ。そのために人間界の方が自然界よりも遅れてしまうのかも知れないが人間の責務なのだと思う。
今日の瞑想でも、新しい瞑想を先にして、呼吸に集中したまま、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようお願いし、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済と、それ以外の方のお祈りとヒーリングも続けざまにさせて頂いた。また先に受けたご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂き、次に後から受けたご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。その際、またお言葉が浮かんだ。この方のお祈りとヒーリングの際には、なぜかお言葉が多く浮かぶのだ。今回もほとんど意識はあったが、時折遠のいてもいた。神様と霊界の方々にお礼を述べて終了したが、しばらくは心地良さにボーッとしたままだった。
687回目の瞑想
”
ーーー動物同士は殺し合っているのに、なぜ人間は動物実験をやってはいけないのでしょう。
「それが人間の進化の指標だからです。人間が進化すればするほど地上から残忍性と野蛮性が消えていきます。愛と慈しみと寛容の精神が地上にみなぎった時、動物の残忍性も消えて、それこそライオンと小羊が仲良く寄り添うようになります」
ーーーしかし動物の残忍性も動物としての発達の表れではないでしょうか。
「あなたもかつては動物だったのですよ。それがここまで進化してきた。だからこそ太古に比べれば動物界でもすいぶん残忍性が減ってきているのです。トカゲ類で絶滅したのもいます。なぜ絶滅したと思いますか。人間が進化したからです」
今回の内容も、人間は動物にも影響を与えているとのお答えである。元々この質問には同意できない。動物同士殺し合っているからといって、人間が動物実験していいことにはならない。だがシルバー・バーチ霊のお答えは、そんな単純なことではなく、人間の進化の指標だと言われているのだ。人間が進化すればするほど地上の残忍性や野蛮性は消えていくと。人間の影響力の凄さを思い知る。更には愛と慈しみと寛容の精神を持つことで、動物の残忍性も消えて行くと言われるのだ。霊界では既にライオンと小羊は仲良く寝そべっているとも言われている。そんな姿は心から微笑ましく感じられる。だが愚問かも知れないが、霊界では食べなくてもいいから、仲良く寄り添うことも実現できるだろうが、この世では肉体を持っている以上食べないわけにはいかない。その時はライオンの主食は肉ではなくなるのであろうか。
今この世に生きている人間もみな、かつては動物だったのだ。それが今は人間まで進化してきている。そして今度は更に進化することで、動物界にも自然界にも影響を及ぼせるようになっていくのだ。なんと素晴らしいことなのだろう。私の願いはやはりライオンと小羊が寄り添えるような世界になって欲しいということだ。また動物実験も動物虐待もまた肉食も、動物を慈しみことはあっても傷つけるようなことがあってはならないと思っている。
今日の瞑想では、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中した。そして神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようお願いし、またすべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済と、それ以外の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。今回も意識はしっかりあり、その後自分の瞑想もさせて頂いた。ただ最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した後も、なかなかその場から立ち上がる気になれず、目をつぶったままその余韻に浸っていた
。
688回目の瞑想
ーーー動物で一番進化しているのは何ですか。
「犬です」
ーーー動物の類魂の住処はやはり動物界にあるのですか。
「私にはあなたより有利な点が一つあります。それは地理を学ばなくてもいいということです。場所とか位置がいらないのです。霊的なものは空間を占領しないのです。地上的な位置の感覚で考えるからそういう質問が出てくるのです。魂には居住地はいりません。もっとも、形体の中に宿れば別です。類魂そのものには形体はありません。もしも形体をもつとなれば、何らかの表現形態に宿り、その形態で自己表現できる場が必要になります」
ーーー動物の類魂は地球上に対して何か物質的なエネルギーを供給しているのでしょうか。地球にとってそれなりの存在価値があるのでしょうか。
「進化の過程においての存在価値はあります。ただ気をつけて頂きたいのは、どうもあなた方は物的なものと霊的なものとをあまりにも区別し過ぎるきらいがあります。地上に存在していても立派に類魂の一部であり得るわけで、死ななければ類魂の仲間入りが出来ないわけではありません。」
ーーーペットも睡眠中に霊界に訪れますか。
「訪れません」
ーーーでは死んでから行く世界にまるで馴染みがないわけですか。
「ありません。人間の場合は指導霊が手を引いて案内してくれますが、動物の場合はそれが出来るのは飼主だけです。飼主が地上にいれば案内できません」
ーーー飼主が先に死んだ場合はどうなりますか。
「その場合は事情が違ってきます。今述べたのは一般的な話です」
今回の内容もペットを飼っている人にとってはとても興味深いと思う。動物で一番進化しているのは犬と言われていて、納得と同時に嬉しい思いにもなった。また動物の類魂の住処も人間の類魂の住処も同じことだと思うが、霊的なものは空間を占領しないのだ。これは亡き母が良く言っていた。霊界には時間も空間もないと。形体の中に宿った場合のみ場所という観念があるということだ。私は地理に疎いので、とても有難い話だ。次の質問のお答えは、私もやはり物的なものと霊的なものを区別しているので、改めなければいけないと思った。また既に私達も霊界の類魂の仲間であるという認識は持っていなかったので、それも改めて認識させてもらった。ペットに関しては睡眠中霊界には行っていないと言われている。我が家のわんこ達は寝ているときに、寝言のようだったり、足が動いて草原を走っているようだったりしているが、霊界に行っていたわけでなかったのだ。ということで、動物達は霊界には全く馴染みがないとのこと。人間の案内は指導霊様がして下さるとのことだが、動物の案内は飼主だけらしい。前に記したが、動物が先に逝った場合のみ、動物界へ行くと言われていた。そして飼主が霊界に来るまで、そこで面倒見て下さるのだ。飼主が先に死んだ場合は、人間の愛が関わっていると言われているが、ほとんどの場合は動物に対して愛はあると思うので、往々にして一緒に住むようだ。
このことに関しては何度も記してきたが、我が家の場合は息子が先に霊界にいるので、安心だ。先に亡くなった3頭についても、母が亡くなっていたので、きっと母が面倒見てくれていたと思う。そして今は息子がその3頭についても面倒見てくれていると信じている。私自身も霊界へ行ったら、母や息子、そして3頭と今いる4わんことの生活ができるのかと思うと楽しみで仕方ない。
今日の瞑想では、取り入れた瞑想をして、呼吸を整え、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようお願いし、すべての人々に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済と、またそれ以外の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。更にご依頼の方のお祈りとヒーリングも、もちろんさせて頂いた。ほとんど意識は遠のいていた。だが穏やかな心でいられたのだ。最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
689回目の瞑想
ーーー人間より動物の方が心霊能力がすぐれている場合があるのはどうしてですか。
「”進化”の観点から言えば、まだ人間となる段階に到達していませんが、人間がいま送っているような”文化生活”を体験していなからです。人間がもしも文化生活の”恩恵”に浴さなかったら、もっと早い段階で心霊能力が普段の生活の一部となっていたはずです。つまり人間は文明と引き替えに心霊能力を犠牲にしたわけです。動物には人間のような金銭問題もなく、社会問題もないので、本来なら人間が到達すべきであった段階へ人間より先に到達したのです。人間の場合は物的生活の必要性から本来の心霊能力が押さえ込まれてしまったわけです。いわゆる霊能者というのは進化のコースの先駆者です。いずれは人間の総てが発揮するはずの能力をいま発揮しているわけです」
ーーー動物にはいわゆる第六感というのがあって災害を予知したり、知らないところからでもちゃんと帰って来たりしますが、これも心霊能力ですか。
「そうです。霊能者にも同じことが出来ます。ただ動物の場合はその種属特有の先天的能力である場合があります。これも一種の進化の先駆けで、その能力だけが特に発達したわけです。ハトのようにどんな遠くからでも帰ってくる能力もそれです。本能と呼ばれていますが、一種の”先見の明”です」
今回の内容は、やはり奥の深いことが言われている。動物の方が人間よりも心霊能力がすぐれているのは人間よりも先にその段階に到達したからと言われている。それは人間が文化生活の恩恵に浴したからで、もし浴さなかったら、もっと早い段階で心霊能力が普段の生活の一部になっていたはずだと言われているのだ。要するに人間は心霊能力よりも文明を優先させたということだ。とても残念なことだと思う。人間にはみな霊能者のような能力が具わっているのだ。いずれは人間の総てがその能力を発揮すると言われているが、その時が来るのが待ち遠しい。
第六感も心霊能力だと思っていたが、動物の場合は先天的能力でもあるようだ。ハトを例に挙げて頂いたので、大変に分かりやすい。本能とばかり思っていたが、先見の明とは、恐れ入る。
人間には元々心霊能力はあるのだから、それを普段の生活の一部として使えるようにするには、やはり霊的真理の理解を深め、他人に奉仕し、瞑想で内なる魂と向き合うことが必須なのではないかと思う。今回の内容も魂を鼓舞される内容であった。
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸を整え、集中する。そして神様に簡単なお祈りをさせて頂き、いつものように神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けますようにお願いし、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済をお祈りする。またそれ以外の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。更にご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。自分の瞑想に集中すると、実際に胸が膨らむような感覚になるほど、エネルギーが一杯入ってくるのを感じる。それと同時に心身共に幸福感で満たされる思いになる。ただただ有難い思いだった。最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
668回目の瞑想
ーーー各界を構成している成分は地球のようにマテリアルなものですか。(material には”物質的””実質的””実体のある”等々さまざまな意味があり、それを観念的に理解していただくために敢えて訳さずにおいたーー訳者)
「私という存在はマテリアルでしょうか。男女の愛はマテリアルでしょうか。芸術家のインスピレーションはマテリアルでしょうか。音楽の鑑賞はマテリアルでしょうか。こうした質問に対する答えはマテリアルという言葉の意味によって違ってきます。あなたのおっしゃるのが実感があるのか、実体があるのかという意味でしたら答えは”イエス”です。なぜなら霊こそ生命の実在そのものであり、あなた方が物質と呼んでいるもの、すなわち物質の世界はその実在を包んでいる殻にすぎません」
今回の内容も難しくはあるが、だが要はシルバー・バーチ霊が今までも何度も言われていることだ。霊こそ生命であるということ、またそれは真の実在そのものであるということ、そして物質世界はその生命の実在の殻にすぎないということなのだ。物質世界は霊界の殻とか影なのだ。霊の目で見れば、それを実感できるのだろう。こちらの世界での実体というものが如何にお粗末かということになる。霊の世界へいけば、それがはっきりとわかるのだと思う。だが、霊的なことを知らない人や信じない人は結局、こちらの世界と似た世界(幽界の下層界)へ移行するだけなので、その違いを認識するにはかなりの時間を要することになるのだ。死後の世界の生活を有意義にするためには、今この世で霊的真理を知る以外には方法はないのだと思う。知ることで、死後の覚醒自体早まるとも言われている。今のこの世の情勢も霊的真理を受け入れる準備のある方を霊的な方向へと導いて下さっているのではないかと思っている。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、続いて呼吸に集中する。そして神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人々に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂く。そしてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達に、またそれ以外の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。その時に「すべては因果律」という言葉が浮かぶ。それと同時すべては必然という思いにもなったのだ。それがわかった上でも、なお私は今後遺症で苦しんでいる人達に神様の偉大なる愛のエネルギーで救われて欲しいと思っているのだ。中には自己責任と言われる方もいる。確かに今は任意であり、自分で決めて接種したのだから、自己責任かも知れないが、あれだけ政府やテレビなどの報道関係が接種を推奨していれば、接種することは正しいと思ってしまっても仕方ないようにも思う。だが実際、職域接種などでは強制まがいで接種させている団体があるのも事実なのだ。その後の経緯は本当に悲惨である。それも因果律と言ってしまえばそうなのかも知れない。ただ私はその言葉だけで片付けてはいけないように思っている。自分の出来ることは微力であろうが実行して行きたいと思っているのだ
。
669回目の瞑想
ーーー霊界も地球の電磁場あるいは重力場の影響をうけて地球や太陽と運動を共にしているのでしょうか。
「私達の世界は地球の回転の影響は受けません。昼と夜の区別がないのです。エネルギーも地球に生命を賦与している太陽から受けているのではありません。引力は物質だけが受けるのであって、霊的なものは影響を受けません。霊的な法則とは関係ありません」
今回の内容はハッキリ言って、私の中では特に問題視するようなことではなく関心もなかった。なぜなら、シルバー・バーチ霊の霊訓を信じ、神様の摂理を信じている私は、霊界は地球よりも優れていることを確信しているので、地球と同じようであるわけがないと思っていたからだ。やはり、今回のシルバー・バーチ霊のお答えは、私が感じてきたものと符合していて、更に確信を得た思いだった。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸を整え、吸う力にいつもよりも集中した。そして神様の愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人達に愛のエネルギーが行き渡りますように、またその愛のエネルギーを受け入れる人が一人でも多くなりまうようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。更にご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。今日はお祈りとヒーリングが多かったので、自分自身の瞑想はできなかった。だが終わった時には清々しい気持ちで一杯になっていた。神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
670回目の瞑想
ーーー霊の動く速さに限界はありますか。
「私達スピリットの動きに時間・空間による制約はありません。霊界生活に慣れてくるとまったく制約を受けなくなります。この地球のどの地域でも思念の速さで行き着くことが出来ます。思念が私達にとって現実の存在なのです。ただし、霊的発達段階による制約は受けます。その段階を超えたことはできません。霊的成長によって到達した段階より早く動くことはできません。それがその霊にとっての限界ということです。ともあれ、霊的生活での霊自身による制約にすぎません」
(地上のように外的条件による制約はないということーー訳者)
今回の内容も、亡くなった母からは散々聞かされていたことだった。霊の世界は時間も空間も全くないと。思ったら瞬時にその場所に行けるのだと。母の言うことは当初から事実であると信じてはいたが、シルバー・バーチ霊が同じことを言われていることで、確信した。更に詳しい内容は今まで何度も述べられてきたことなので、当然だと思える。すべては個々の霊的発達段階で霊界の生活は決まるのだ。それ以外にはないということだ。霊的に進化すればするほど、霊界での生活は有意義で快適なものとなる。それを目的として、この世も存在するのだと思う。この世で霊的なものに触れることができなかった人はむしろ可哀想な人なのである。まだそこまでの霊的発達段階に達していないということになるからだ。だが少しでも霊的なものに触れることができた人は、スタート地点に立てたということになる。そこから先はまた各自の自由意志に任されているので、目的に向かってまっすぐ進む場合もあれば、知りながら、知らぬふりしてこの世を生きる場合もあるだろう。すべては私達人間の自由意志に任されているのだ。だが目的ははっきりしている。その目的に近づくためにはどうすればいいかも霊的真理を知る人はわかっているのだ。もちろん、紆余曲折はあるのは当たり前だ。それでもなお、神様を信じて、神様の摂理に適った生き方をする、または努力するかどうかで、霊界での生活が決まるのだ。私は霊界での生活をどうあっても有意義に過ごしたい。そのための努力は惜しまずに行動して行きたいと強く思った次第である。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中すると、かなり深い呼吸になっていた。そして神様の愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人間に愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。最後にご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。意識が遠のきながらだったが、いつの間にか気がつくと曲は終わっていた。神様と霊界の方々にお礼を申し上げ、終了した。
671回目の瞑想
ーーー他界した肉身や先祖霊からの援助を受けるにはどうすればいいでしょうか。
「あなたが愛し、あなたを愛してくれた人々は、決してあなたを見捨てることはありません。いわば愛情の届く距離を半径とした円の範囲内で常にあなたを見守っています。時には近くもなり、時には遠くもなりましょう。が決して去ってしまうことはありません。その人たちの念があなた方を動かしています。必要な時は強く作用することもありますが、反対にあなた方が恐怖心や悩み、心配等の念で壁をこしらえてしまい、外部から近づけなくしていることがあります。悲しみに涙を流せば、その涙が霊まで遠く流してしまいます。穏やかな心、安らかな気持ち、希望と信念と自信に満ちた明るい雰囲気に包まれている時は、そこにきっと多くの霊が寄ってまいります。私達霊界の者は出来るだけ人間との接触を求めて近づこうとするのですが、どれだけ接近できるかは、その人間の雰囲気、成長の度合い、進化の程度にかかっています。霊的なものに一切反応しない人間とは接触できません。霊的自覚、悟り、ないしは霊的活気のある人とはすぐに接触がとれ、一体関係が保てます。そういう人はスピリチュアリストばかりとは限りません。知識としてスピリチュアリズムのことを知らなくても、霊的なことを理解出来る人であればそれでいいのです。とにかく冷静で受容的な心を保つことです。取越苦労、悩み、心配等の念が一番いけません。それらがモヤをこしらえて、私達を近づけなくするのです」
今回の内容は霊的なことを少しでも感じることが出来る人の願いではないだろうか。シルバー・バーチ霊はお互いに愛情があれば、他界した霊は決して私達を見捨てることはないと断言されている。だがやはり、私達の日々変わる感情に従って、ある一定の範囲内で近づいたり、離れたりしているらしい。私達の感情で近づきたくても近づけないと言われている。結局は常に私達自身に問題があるということなのだ。また
時には霊の念で私達は動かされている場合もあるとのこと。シルバー・バーチ霊が言われるように常に穏やかな心や安らかな気持ちを持ち続けることは、なかなか難しい。けれど、少なくとも、落ち込んだり、悩んだりはしても、その気持ちの切替を早くすることは可能ではないかと思う。いやそういう努力をしていかなければいけないのだと思う。最終的にはその人の雰囲気、成長の度合い、進化の程度、そして霊的自覚、悟り、霊的活気のある人が、霊とのコンタクトが容易ということなのだ。そういう人はスピリチュアリストに限らず、霊的なことを理解の出来る人なら誰でも一体関係を保てると言われているのだ。反対に霊的なものに一切反応しない人は(霊的なことを信じない人も)接触は不可能なのだ。霊的な理解をし、取越苦労や悩み、心配事の念をできるだけ排除して、冷静で受容的な心を常に心掛けるようにしていけば、いつか親しい愛のあるお身内の方や護って下さっている霊の方達と接触できる日が来るのだと信じ、精進して行くことが肝要なのだということを教えて下さっているのだと思う。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ゆっくりと深い呼吸をしながら、神様の愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人間に愛のエネルギーが行き渡りますように、そしてその愛のエネルギーを一人でも多くの人が受け入れることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。更にご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。そのまま集中していると教会のような建物の映像が現れ、それと同時にバチカンという言葉が浮かぶ。前にもそんな映像があったように記憶している。更に教会を覆うように花火が上がっており、美しく印象的だった。後で調べてみると、サン・ピエトロ大聖堂だったようだ。しばらくその映像に魅了されて、ボーッとしていたが、映像が終わると共に我に返り、神様と霊界の方々にお礼を申し上げ、終了した
。
672回目の瞑想
ーーーそういう霊にこちらからの念が通じますか。
「一概にイエスともノーとも言いかねます。魂に進化の程度が問題になるからです。波長の問題です。もしも双方がほぼ同程度の段階にあれば通じるでしょう。が、あまりにも距離がありすぎれば全く波長が反応し合いませんから、通じないでしょう」
今回の内容も、魂の進化の程度が問題になるようだ。やはりすべては魂の進化の程度で決まってしまうのだ。波長が高ければ高いほど、高い世界に通じるということなのだと思うが、そうなると疑問が生じる。神様と同じ波長の人や霊はいないと思うのだが、その場合は特別なのだろうか。神様の分身である生命すべては、神様と繋がっているので波長が合わなくても、こちらの思いは通じるということなのか。そのように思わないと根底から信心が崩れてしまう。通じていると思うからこそ、心の支えになるのだ。信じる気持ちが強くなるのだ。私自身、身を持って体験してきたことは、真実だし事実なので、それを信じていけばいいのだと改めて思いを強くした。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中しながら、神様の愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人間に愛のエネルギーが行き渡りますように、そしてその愛のエネルギーを一人でも多くの人が受け入れられますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。そしてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。更にご依頼の方のお祈りとヒーリングをしていると、微弱な電流が流れて行くと同時に身体にピリピリとした感覚を感じた。すると、その方を思う言葉が伝わってきたのだ。その愛情の深さに涙が出ていた。今日もお祈りとヒーリングで、自分の瞑想はできなかったが、心は晴れ晴れとしていて、穏やかな気持ちで終えることができた。最後に神様と霊界の方々にお礼を申し上げて、終了した。
673回目の瞑想
ーーー他界した人のことをあまり心配すると霊界での向上の妨げになるでしょうか。
「地上の人間に霊界の人間の進歩を妨げる力はありません。スピリットはスピリット自身の行為によって向上します。人間の行為とは関係ありません」(絶対的拘束力はないという意味で述べているーー訳者)
今回は内容は意外だった。愛する人が亡くなって、泣いてばかりいると成仏出来ないという教えが結構巷にはある。だが、シルバー・バーチ霊はキッパリと地上の人間に進歩を妨げる力はないと言われている。人間の行為とは関係ないと。やはり霊自身の行為によってのみ向上するしないは決まるということだ。ということは前述の言葉は亡くなった人へではなく、残された人のための言葉ということになる。ただ、残された人が泣き暮らしてばかりいれば、亡くなった人も後ろ髪を引かれる思いにはなるのではないかとは思う。私自身がそのような立場になれば、後ろ髪引かれると思う。けれど、その思いと向上することとは違うということなのだろう。今回の内容には一種安堵するような思いにもなる。だができるだけ早く、自分自身のためにも愛する人は霊界で自由に元気に生きていることを信じて、この世の自分の使命を前向きに頑張って行くことが、ひいては亡くなった人に対しても安心してもらうことに繋がる
のだと思う。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中し、神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け入れることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。そしてご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。その間、ほとんど意識があるようなないようなそんな状態だった。時折、宙に浮いているような感覚にもなっていた。気がつくと曲が終わっていたが、そのまましばらくボーッとした後、神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
674回目の瞑想
ーーー死刑制度は正しいとお考えですか。
「いえ、私は正しいとは思いません。これは”二つの悪のうちの酷くない方”とは言えないからです。死刑制度は合法的殺人を許していることにしかなりません。個人が人を殺せば罪になり、国が人を殺すのは正当という理屈になりますが、これは不合理です」
ーーー反対なさる主たる理由は、生命を奪うことは許されないことだからでしょうか、それとも国が死刑執行人を雇うことになり、それはその人にとって気の毒なことだからでしょうか。
「両方とも強調したいことですが、それにもう一つ強調したいのは、いつまでも死刑制度を続けているということは、その社会がまだまだ進歩した社会とは言えないということです。なぜなら、死刑では問題の解決になっていないことを悟る段階に至っていないからです。それはもう一つの殺人を犯していることに他ならないのであり、これは社会全体の責任です。それは処罰になっておりません。ただ単に、別の世界へ突き落としただけです」
今回の内容は死刑制度についてだ。最近のニュースでも3年ぶりに死刑執行されたと報道されていた。けれど、死刑とは殺人であることに変わりないとシルバー・バーチ霊は言われている。どんな極悪人であっても生命を奪うことは何人であっても許されないのだ。それは処罰ではなく、別の世界へ移行させるにすぎないからだ。やはり死後の世界が存在すること、これがすべて前提でなければ話にならない。今のこの世は、死んだら終わりとの考えが当然となっている。だから、罪を犯した人間はこの世から抹殺していなくさえすればいいと思っているのだ。だが、魂は死後の世界で生き続けるのである。モーゼスの霊訓では、死刑にされた人間の霊や戦死者の霊の怨念と激情が地上の犯罪や暴力沙汰に拍車をかけているという事実を伝えている。要するに、死刑にすることで、罪を償うどころか、地上の人間にとりつき、犯罪を強化させることになるのだ。ただ、これはシルバー・バーチ霊が言われるように、社会全体が進歩していないからで、死刑では何も問題の解決になっていないこと悟る段階に至っていないことを物語っている。そしてそれは社会全体の責任であると言われているのだ。霊的真理の普及が強化され、社会全体にまで知らしめて行くことが急務であることは、この死刑制度の内容からでも明白である。この世を変える最も重要なことなのだと言わざるを得ない。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中していくと徐々に深い呼吸になっていく。神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け入れることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。そしてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達をお救い下さいとのお祈りとヒーリングをして、それ以外の方にもお祈りとヒーリングもさせて頂いた。更にご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。またその間にお言葉を頂いた。今回はかなり意識は、はっきりとしていた。が、曲が終わってもしばらくは頭を空っぽにして、そのままの状態で余韻に浸っていた。最後に神様と霊界の方々にお礼述べて終了した。
675回目の瞑想
ペットを飼われている人の需要が増えてきているので、動物の死後についての
問答をしばらく続けてみようと思う。このテーマは動物に関心のある人ならかなり興味深い内容なのではないかと思う。私自身も他界した4匹の犬がいるので大いに参考にさせてもらいたいと思っている。
ーーー動物の死後もずっと飼い主と一緒に暮らすのでしょうか、それともいずれは動物だけの界へ行くのでしょうか。
「どっちとも一概には言えません。なぜなら、これには人間の愛が関わっているからです。死後も生前のままの形体を維持するか否かはその動物に対する飼主の愛一つにかかっているのです。もしも動物とその飼主ーーこの飼主 (Owner)という言葉は好きではありません。他の生命を我が物として所有する(own)などということは許されないのですからーーその両者が時を同じくして霊界へ来た場合、その飼主のところで暮らします。愛のある場所が住処となるわけです。愛が両者を強く結びつけるのです。その場合は住処がありますから動物界へ行く必要がありません。
動物界に住むのは飼主より先に霊の世界へ来た動物に限られます。誰かに世話してもらわなくてはならないからです。さもないと、心を温めてくれただけでなく一時的にせよ”不滅性”を吹き込んでくれた”愛”から切り離されて、動物といえども心を取り乱すことがあるのです。地上で人間的な愛と理性と判断力と情愛を一身に受けた飼主より先に他界した場合は、その主人が来るまで動物界へ行ってそこで面倒をみてもらいます。それはちょうどあなた方が遠出する時にペットを専門家に預けるのと同じで、霊界の動物の専門家に世話してもらうわけです」
今回の動物の死後についても、もちろん人間には知ることのできない内容だ。だが人間の愛が関わっているということは当然のことだと思う。けれど愛があっても死後のケースはいろいろなようだ。両者が時を同じくして霊界へ行った場合は一緒に暮らせるとのこと。多分、飼主が先に他界した場合も後から動物が他界すれば一緒に暮らせるのだと思う。だから、忠犬ハチ公も死後、博士と一緒に暮らして幸せを満喫しているのではないかと思う。ただほとんどの場合は、動物の方が先に他界してしまう。その場合に限り動物界に行くようだ。そこで世話をしてもらうとのこと。一番気になるのは、私の死後一緒に暮らせるかどうかだったが、面倒をみてもらいながら動物界で待ってくれているようなので、安堵した。だが、もう既に息子が霊界へ行っているので、きっと息子が今まで亡くなった3匹とは一緒に暮らしているのではないかと思っている。実家で飼っていた犬は、母と一緒にいるのだと思う。前にも書いたと思うが、現在飼っている4匹も、息子がいるので安心している。この世でのお別れは悲しいとは思うが、私の死後必ず会えるし、一緒に暮らせると思っているので、一時辛抱すればいいのだ。今では霊界での一緒の暮らしの方が楽しみなのである。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中していく。そして神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け入れることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達をお救い頂けますようにと、それ以外の方のお祈りとヒーリングと続けざまにさせて頂いた。またご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。ほぼ意識は遠のいてた。映像も現れたようだったが、今は全く思い出せない。気がつくと曲はとっくに終わっていたようだ。慌てて神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
676回目の瞑想
”
ーーー人間との接触によって動物はどんなものを摂取するのでしょうか。
「長い進化の道程のどこかの時点で、神が、というよりは、法則の働きによって動物の魂に自我意識が芽生え、やがて理性が芽生え、知性が発達してきました。その段階で人間は判断力というものを身につけたわけです。すなわち物事を意識的に考え、決断する能力です。しかし実はそうした能力は全部初めから潜在していたのです。どんなに遠く遡っても、魂の奥に何らかの形で潜在していたのです。それが目覚めるには神の息吹きが必要でした。
さて、そうして神が動物に霊性の息吹きを吹き込んだように、あなた方人間も動物に対して同じことが出来るのです。人間は神の一部です。従って進化の順序の中で人間の次に位置する動物に対して、その霊性の息吹きを吹き込む能力を具えています。つまり動物との接触の中で、愛という霊的な力によって、動物の魂に自我意識を芽生えさせることが出来るのです。それがその後の長い進化の道程を経て、やがて人間という頂点にまで達するわけです。愛が生命のすべてのカギです。動物であろうと人間であろうと、愛は死によって何の影響も受けません。愛こそは宇宙の原動力です。全宇宙を動かし、全てを制御し、全てを統治しています。また愛は人間を通じて他の生命へ働きかけようとします。人間同士でもそうですし、動物、植物といった人間より下等な生命でもそうです。人間が可愛がる動物ーー犬、猫、その他のペット類ーーへ向けられる愛は死と共に終わるのではありません。愛があればこそ生命は進化するのです」
今回の質問のお答えは衝撃的だった。長い進化の過程ではいろいろなことが行われていたのだ。人間も動物も神様の法則によって魂に自我意識が、理性が、知性が芽生え発達してきたと言われる。そして人間は判断力、物事を意識的に考えて決断する能力も身につけたと言われるのだ。しかもその能力は初めから魂の奥でずっと潜在していたらしい。それが神様の息吹きで目覚めたとのことに鳥肌が立ってしまった。凄い話である。そして更になんと、人間は神様と同じように、動物に霊性の息吹きを吹き込む能力があると言われているのだ。ただただびっくりだ。動物と触れ合っている中で、愛という霊的な力によって、自我意識を芽生えさせられることが出来ると言われているのだ。なんて素晴らしいことなのだろう。そしてそれが動物にとって、その後の長い進化の道のりを経て、頂点である人間に達すると言われている。感動でしかない。私達人間が頂点であるならば、すべての生命に愛を持って接っすることが使命なのではないかと思う。そして愛があれば、死による影響は受けないとも言われている。そして何より大事なことは愛で生命は進化するということ。今までも愛犬4匹には無償の愛で育ててきたつもりだが、これから先は今回のことを頭に置いて、更に慈しんで共に過ごして行きたいと強く思った次第である
。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中していく。そして神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け入れることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達を救って頂きたいと、またそれ以外の方のお祈りとヒーリングをさせて頂き、ご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。意識はしっかりあったが、現れた映像はよくわからなかった。何とも表現し難いものだったのだ。最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
今日はクリスマスですね。素敵な一日になりますように。
677回目の瞑想
ーーー霊界で動物と再会したとして、その一緒の生活はいつまで続くのでしょうか。いつまでも人間と一緒ですか。
「いえ、その点が人間と違います。人間と動物はどこかの時点でどうしても別れ
なければならなくなります。地上の年数にして何十年何百年かかるかわかりませんが、動物の進化と人間の進化とではその速度が違います。より大きな光明へ向けて絶え間なく向上していく人間のペースについて行けなくなる時が来ます。人間は死の関門を通過して霊界の生活に慣れてくると、言いかえれば自分を地上と結びつけていた絆が切れたことを自覚すると、向上進化を求める欲求、内部の神性を発揮しようとする欲求が次第に加速されていきます。そして魂に潜む能力を他の生命の進化を援助する方向へと発揮しようとします。そうやって人間が霊的に向上すればするほど、動物はそのスピードについて行けなくなり、やがて死後も燃え続けた愛の炎も次第に小さくなり、ついには動物はその所属する種の中に融合していきます」
今回の内容もとても興味深い。最終的には動物とは別れる運命にあると言われる。だが、その別れは地上の年数にして何十年何百年かかるかわからないと言われているので、十分に満足した後のことなのではないかと思う。また人間と動物の進化のスピードがそんなにも違うものなのかと知って、切なくもなる。一緒に進化して行きたいという思いがあるからだ。けれどやはり固執してはいけないのだろう。別れるまでの間を充実したものにすればいいと気持ちを切り替えることも必要なのだ。こういうことが、先に分かっているということは本当に有難いことだと想う。今現在も、そして更に霊界でのわんこ達との生活は悔いの無いようにして行きたいと強く思った次第である。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中する。今日はかなり深くて長い呼吸ができた。そして神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人々に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け入れることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済と、またそれ以外の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。ご依頼の方のお祈りとヒーリングも、もちろんさせて頂いた。お祈りとヒーリングをしている最中もそして終わってからも、穏やかで清々しい気持ちで心が満たされていた。神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
678回目の瞑想
ーーーすると動物の場合は個性を失ってしまうということですか。
「その通りです。そこに人間と動物の大きな違いがあるわけです。動物は類魂全体として未だ一個の個性を有する段階まで進化していないのです。その段階まで進化すれば、もはや動物ではなくなり、人間の段階に到達したことになります。ペットとして可愛がられた動物は、人間の愛の力によって言わば進化の段階を飛び越えて人間と一緒に暮らすわけですから、その愛の糸が切れてしまえば、元の類魂の中に戻るほかありません」
今回の内容には、人間と動物の大きな違いを教えて下さっている。人間であるということはやはりすごい存在なのだ。動物は類魂全体として一個の個性を有する段階に達していないと言われる。つい我が家のわんこ達を見てしまった。この4匹もそして亡くなった3匹に実家で飼っていた1匹と計8匹だが、いつかは類魂の中に戻って行くしかないと思うと、やはり切なくなる。また「人間の愛の力によって言わば進化の段階を飛び越えて人間と一緒に暮らす」という下りは、進化の段階を飛び越えて、今一緒に暮らしているということを知って、感慨深いものを感じた。だからこそ、動物を慈しむことが大事なのだと更に思いが強くなる。一緒にいる間の時間を限りなく大切にしたいと改めて強く思った次第である。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、静かに呼吸に集中していくと、段々と深くなっていく。そして神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けますように、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け入れることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いて因果律の結果としてということは分かりながらもお願いせずにはいられないとコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達を救済して頂けますようにとお祈りをさせて頂く。またそれ以外の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。更にご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂く。ご依頼の方のお祈りをしている時に、初めて男性とも女性とも言えない素晴らしいお声でのお言葉を頂いた。今までは頭に浮かぶという感じでのお言葉を頂いていたので、ただただびっくりと共に感動していた。神様にお礼を何度も申し上げていた。涙もこぼれてきた。終了後も何とも言えない温かい雰囲気に包まれているようで、すぐには立ち上がる気にはなれなかった。もちろん、神様と霊界の方々にお礼を述べたのは言うまでもない。
657回目の瞑想
ーーー死んでから低い界へ行った人はどんな具合でしょうか。今おっしゃったように、やはり睡眠中に訪れたことーー多分低い世界だろうと思いますが、それを思い出すのでしょうか。そしてそれがその人なりに役立つのでしょうか。
「低い世界へ引きつけられて行くような人はやはり睡眠中にその低い界を訪れておりますが、その時の体験は死後の自覚を得る上では役に立ちません。なぜかというと、そういう人の目覚める界は地上と極めてよく似ているからです。死後の世界は低いところほど地上に似ております。バイブレーションが粗いからです。高くなるほバイブレーションが細かくなります」
今回の質疑応答は低い界についてだ。睡眠中にやはり低い界へ訪れる人がいると言われる。だが、その体験は死後の自覚には役に立たないそうだ。なぜなら、低い界は地上によく似ているからだそうで、生きていると錯覚してしまうからなのだろう。そうなると死んだという自覚を得るにはかなりの時間を要することになる。死後の世界について、頭の片隅にでもあれば、自覚する時間は短くできるのではないかと思う。やはり霊的なことを知ると知らないでは大きく変わる。今生きているこの世がすべてだと思っている人にとっては、死後の世界はないも等しい。それがあるとわかった時の衝撃も大きいことだろう。だからこそ一人でも多くの方に霊的真理を知ってもらうことが大事なのだと思っている。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そしてゆったりとした呼吸と共に、神様の愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人達に愛のエネルギーが行き届きますようにとのお祈りと
ヒーリングをさせて頂いた。更にコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。途中でいつの間にか意識が遠のいていた。そして気がついた時には曲も終わっていた。だが、身体中が温かく、心地良さを感じていた
。
658回目の瞑想
ーーー朝目覚めてから睡眠中の霊界での体験を思い出すことがありますか。
「睡眠中、あなたは肉体から抜け出ていますから、当然脳から離れています。脳はあなたを物質界に縛り付けるクサリのようなものです。そのクサリから解放されたあなたは、霊恪の発達程度に応じたそれぞれの振動の世界で体験を得ます。その時点でちゃんと意識して行動しているのですが、朝肉体に戻ってくると、もうその体験は思い出せません。なぜかというと脳があまりにも狭いからです。小は大を兼ねることができません。ムリをすると歪みを生じます。それは譬えば小さな袋の中に無理矢理に物を詰め込むようなものです。袋には自ずから容量というものがあります。ムリして詰め込むと、入るには入っても、形が歪んでしまいます。それと同じことが脳の中で生じるのです。ただし、霊恪がある段階以上に発達してくると話は別です。霊界の体験を思い出すよう脳を訓練することが可能になります。実を言うと私はここにおられる皆さんとは、よく睡眠中にお会いしているのです。私は”地上に戻ったら、かくかくしかじかのことを思い出すんです”と言っておくのですが、どうも思い出して下さらないようです。皆さんお一人お一人にお会いしているのですヨ。そして、あちらこちら霊界を案内して差し上げているんです。しかし思い出されなくてもいいのです。決して無駄にはなりませんから」
今回の質疑応答は睡眠中での霊界での体験
についてだ。今回の内容同様に私も今朝起きた瞬間にかなりリアルな夢を見ていたことを実感して、そのかすかに残る断片を思い返そうと試みたが、思い出そうとすればするほど、どんどんその記憶は薄れていく。最初のその断片でさえ、何だったのかさえわからなくなってしまったのだ。偶然にも今回の内容に得心したのである。シルバー・バーチ霊の言われるように、脳に押し込めるようなものではないのだろう。無理矢理詰め込むと形が歪んでしまうと言われ、脳の中も同じことが起きると言われている。ということは無理して思い出す必要はないということだ。だが霊恪がある段階以上発達してくると霊界での体験を思い出すように脳を訓練出来ると言われている。いずれそのようなことが出来るようになりたいものである。ただ最後には思い出さなくてもいいと、決して無駄にはならないと言われている。それは霊の世界へ行った時には、すべてを思い出すことができるからだ。今はその時のお楽しみとしてとっておけばいいのだと自分に言い聞かせることにする。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸を整え、神様の愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人達に愛のエネルギーが行き届きますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。またなぜか涙がこぼれる。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。だが、今までのように感情的にはならず、淡々とした思いでさせて頂くことにした。その後そのまま集中しているといろいろな映像が出現した。その中でも特に印象に残ったのはピアノの鍵盤で、周りはぼかされていて、白い鍵盤がとても美しく、輝いていたのだ。最近ピアノの練習を疎かにしているからなのか、ちょっとびっくりだった。
659回目の瞑想
ーーー死んでそちらへ行ってから役に立つわけですか。
「そうです。何一つ無駄にはなりません。神の法則は完璧です。長年霊界で生きてきた私どもは神の法則の完璧さにただただ驚くばかりです。神なんかいるもんかといった地上の人間のお粗末なタンカを聞いていると、まったく情けなくなります。知らない人間ほど己れの愚かさをさらけ出すのです」
今回は前回に続いての話で、すべては無駄にはならないと言われている。神様の法則は完璧で、シルバー・バーチ霊はその完璧さにただただ驚いていると言われているのだ。その完璧さを実感できることは本当に羨ましい限りだ。だがシルバー・バーチ霊が地上の人間に対して言われていることには少し違和感がある。それは神様の法則の完璧さを霊界において実感できている方とこの世の人間世界において人間はみな霊だということも知らない人にとっては、神様の法則の完璧さなどは知る由もない。いや、霊的なことを知って信じていても、この世で神様の法則の完璧さを実感している人は果たしてどれ位いるのであろうか。もし知っている人が多いのであれば、この地球はもっともっと平和で穏やかな世界になっているはずなのではないか。そう思うと、神様なんかいるもんかと思ってしまうのも無理はないように思う。またその言葉の裏には、神様の存在を信じたいという願望も込められているように思うのだ。確かに愚かなことなのかも知れないが、その気持ちはやはり人間だからこそ、わかるような気がする。この世においても、はっきりと神様の法則の完璧さを実感することができれば、天に唾吐くような言葉は出ないはずである。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中し、神様の愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人々に愛のエネルギーが行き渡りますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いて淡々とコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。その後そのまま集中しているといつの間にか意識が遠のき、気がつくと曲も終わる直前だった。神様と霊界の方々にお礼を申し上げ、終了した。
660回目の瞑想
ーーー睡眠中に仕事で霊界に行くことがありますか。睡眠中に霊界を訪れるのは死後の準備が唯一の目的ですか。
「仕事をしに来る人も中にはおります。それだけ能力をもった人がいるわけです。しかし大抵は死後の準備のためです。物質界で体験を積んだあと霊界でやらなければならない仕事の準備のために、睡眠中あちこちへ連れて行かれます。そういう準備なしに、いきなりこちらへ来るとショックが大きくて、回復に長い時間がかかります。地上時代に霊的知識をあらかじめ知っておくと、こちらへ来てからトクをすると言うのはその辺に理由があるわけです。ずいぶん長い期間眠ったままの人が大勢います。あらかじめ知識があればすぐに自覚が得られます。ちょうどドアを開けて日光の照る屋外へ出るようなものです。光の眩しさにまず慣れなければいけません。闇の中にいて光を見ていない人は慣れるのにずいぶん時間がかかります。それは赤ん坊と同じです。ハイハイしながら進むような状態です。地上の体験を思い出すことはあっても、大半は夢見るような状態で思い出します。しかし地上での体験も霊界での体験も、一つとして失われることもありません。そのことを忘れないでください。あらゆる思念、あらゆる行為、あなた方の心から発した善意の願いは、必ずどこかの誰かの役に立ちます。その願いのあるところには必ずそれを支援する例が引き寄せられるからです」
今回の内容は睡眠についてだ。私達はみな睡眠中に自分の霊恪に合った霊界へ赴いている。それをシルバー・バーチ霊は死後の準備のためだと言われている。中には仕事のために行かれる人もいると言われているが、ほんの少数なのだろう。そして最も肝心なことは今地上にいる間に霊的知識を知るということだ。何度も言うようだが、知ると知らないではかなり大きな違いがある。霊的知識があれば死後すぐに自覚が得られると言われる。逆に霊的知識を知らない人は、死後長い期間眠ったままだと言われるのだ。この違いは死後の生活にとって、あまりにも差があるように思う。だからこそ、霊的知識を知るということが何よりも優先されなければいけないことなのだと思っている。だがこの世ではなかなか簡単には受け入れてはもらえない。日々ジレンマを感じているのだ。けれど、最後のシルバー・バーチ霊のお言葉が心に響いた。「あらゆる思念、あらゆる行為、あなた方の心から発した善意の願いは、必ずどこかの誰かの役に立つ」との、このお言葉に多大な勇気をもらえる。微力ながらも少しずつでも霊的知識を広めて行かなければと、改めて心に誓ったのである。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ゆっくりとした呼吸をしながら、神様の愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人々に愛のエネルギーが行き渡りますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いて淡々とコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。またそのまま集中していると光が眼前に現れる。このようなお光りを見ることの喜びを感じつつ、神様の愛のエネルギーを感じていた。神様と霊界の方々にお礼を申し上げ、終了した。
今朝、リアルではっきりとした夢を見た。今もまだその余韻が消えない。プライベートなことなので、内容を記すことはできないが、かなりはっきりとした夢を見られたことに有難い思いで一杯だった。
661回目の瞑想
ーーー霊的知識なしに他界した者でも、こちらからの思いや祈りの念が届くのでしょうか。
「死後の目覚めは理解力が芽生えた時です。霊的知識があれば目覚めはずっと早くなります。その意味でもわれわれは無知と誤解と迷信と過った教義と神学を無くすべく闘わねばならないのです。それが霊界での目覚めの妨げになるからです。そうした障害物が取り除かれない限り、魂は少しずつ死後の世界に慣れていくほかはありません。長い長い休息が必要となるのです。また、地上に病院があるように、魂に深い傷を負った者をこちらで看護してやらねばなりません。反対に人のためにによく尽くした人、他界に際して愛情と祈りを受けるような人は、そうした善意の波長を受けて目覚めが促進されます」
今回の内容は、質問者の問いに直結した答えではないように思う。だが、死後の目覚めに関しては、前回同様に霊的知識の理解力が事を分けるのだ。やはり、霊的知識があれば、目覚めはかなり早いようだ。また霊的知識の理解力の他には様々な目覚めの妨げになる理由がある。そういう理由の間違いに気付かない限り、かなり長い休息を必要とし、少しずつ少しずつ死後の世界に慣れて行くのだと言われている。更に魂に傷を負ったような人は霊界の病院で看護してもらえるとのこと。最後のくだりは霊的知識はないけれど、人のために尽くした人に対してという意味なのだろうか。そういう方が亡くなる際に愛情と祈りを捧げられると、その思いや祈りがその方に善意の波長として届き、目覚めが促進される、といわれているのだろうか。もしそうならば、やはり、こちらからの思いや祈りが届く人というのは、人のために尽力した人、ということになる。そうでない方々は、長い休息の時間を要し、そして長い時間をかけて死後の世界に慣れて行くほかないようだ。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中する。神様の愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人々に愛のエネルギーが行き渡りますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いて淡々とコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。そのまま集中していると、何とも言えない少し痺れ感が残っているような、それでいて温かなジンワリとした感覚を身体全体に感じたのだった。例えて言うならば、手がかじかむ経験をされた方はわかると思うが、手がかじかんだ状態から、少しずつ温かさが戻って来て、その状態が解けて行くようなその感覚にも似たようなものだったのだ。そんな状態にボーッとしているといつの間にか、曲が終わる直前になっていた。ものの5分程度にしか感じなかったのだが、20分くらいは経過していたようだ。すぐに
神様と霊界の方々にお礼を申し上げ、終了した。
662回目の瞑想
ーーー死後の生命を信じず、死ねばおしまいと思っている人はどうなりますか。
「死のうにも死ねないのですから、結局は目覚めてからその事実に直面するほかないわけです。目覚めるまでにどの程度の時間がかかるかは霊恪の程度によって違います。つまりどれだけ進化しているか、どれだけ新しい環境に順応できるかにかかっています」
ーーーそういう人、つまり死んだらそれでおしまいと思っている人の死には苦痛が伴いますか。
「それも霊恪の程度次第です。一般的に言って死ぬということに苦痛は伴いません。大抵は無意識だからです。死ぬ時の様子が自分で意識ができるのは、よほど霊恪の高い人に限られます」
ーーー善人が死後の世界の話を聞いても信じなかった場合、死後そのことで何か咎めを受けますか。
「私にはその善人とか悪人とかの意味がわかりませんが、要はその人が生きてきた人生の中身、つまりどれだけ人のために尽くしたか、内部の神性をどれだけ発揮したかにかかっています。大切なのはそれだけです。知識は無いよりは有った方がましです。がその人の真の価値は毎日をどう生きてきたかに尽きます」
今回は死後の世界を信じないまたはないと思っている人の死後どのようになるかを教えて下さっている。ただやはり、すべては霊恪の程度の問題のようだ。その上で死後のあり方が決定されると言っても過言ではない。また新しい環境に慣れる必要があるようだが、それは順応性のあるなしに関わってくる。更に死に際して苦痛が伴うかという質問。これは人間はみな気になるところだと思う。それに対して、一般的に死は無意識であるがために、苦痛は伴わないと言われている。ある種ホッとする。事故などで亡くなった方が苦痛がなければ救われる。そして何と言っても、次のお言葉に鳥肌が立ってしまった。「死ぬ時の様子が自分で意識ができるのは、よほど霊恪の高い人に限られる」とのこのお言葉に、まさに息子は自分の死ぬ時の様子を意識し、自覚していたのだ。ということはよほど霊恪の高い人間だったということになる。いろいろな霊能者の方々が口々に言っていた通りでもあったと今更ながら有難い思いになった。だが何と言ってもシルバー・バーチ霊からこのようなお言葉を聞けたことは、ただただ有難く、感謝に堪えない思いで一杯だった。
最後のお言葉が死後の世界で最も大事なことを言われている。知識は無いよりは有った方がましと言われ、大切なのはどれだけ人に尽くしたか、どれだけ内部の神性を発揮したか、真の価値はそのような毎日を生きてきたのかということに尽きると断言されている。これが死後の生活を決定するのだ。この事を常に念頭におき、日々努力して実践して行こうと思う。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中し、神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人々に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いて淡々とコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。そのまま集中していると、突然お顔の表情だけが目の前に現れた。目は瞑ったままだったが、口元はかすかな微笑を浮かべていて、とても柔和なお顔だった。しかもとても綺麗だった。そのお顔を見ているだけで温かさ、優しさ、包容力、憐れみといったものを感じ、心が和んでくる。更に最後終わる直前には雄大な朝日の映像が広がった。(通常は朝日と夕日は似ていてどちらかわからないが、この時は朝日と直感していた)特に朝日の輝きにズームされてこの世のものとは思えないほど素晴らしくて感動した。そのままの気持ちで神様に霊界の方々にお礼を述べて終了した。
663回目の瞑想
ーーー愛する人とは霊界で再会して若返るのでしょうか。イエスは天国では嫁に行くとか嫁を貰うといったことはないと言っておりますが・・・
「地上で愛し合った男女が他界した場合、もしも霊恪の程度が同じであれば霊界で再び愛し合うことになりましょう。死は魂にとってはより自由な世界への入口のようなものですから、二人の結びつきが地上より一層強くなります。が二人の男女の結婚が魂の結びつきでなく肉体の結びつきに過ぎず、しかも両者に霊恪の差があるときは、死と共に両者は離れていきます。それぞれの界へ引かれていくからです。若返るとかいうご質問ですが、霊の世界では若返るとか年を取るといったことではなく、成長、進化、発達という形で現れます。つまり形体ではなく魂の問題になるわけです。イエスが嫁にやったり取ったりしないと言ったのは、地上のような肉体上の結婚のことを言ったのです。男性といい女性といっても、あくまで男性に対する女性であり、女性に対する男性であって、物質の世界ではこの二元の原理で出来上がっておりますが、霊の世界では界を上がるにつれて男女の差が薄れていきます」
今回の内容は前から知っていたことと初めて知ることが混ざっていた。最初の愛し合う男女については得心できる、というかそうなるのは当然だと思う。魂の結びつき、これが何と言っても死後のあり方を決定づける要因だからだ。若返りについては、よく霊能者の方は若い時の出立ちで出て来られたとか言われる。私自身も霊の世界へ行ったら、若い頃の姿になるのだと思っていた。だがシルバー・バーチ霊は若返るとか年を取るとかといったことではないと、霊の世界では成長や進化、発達という形で現れると言われている。しかも形体とかではなく魂の問題だと言われているのだ。私としてはやはりどんな形体になるのかを知りたくなるのだが、成長、進化、発達という形で現れるといった抽象的な言い方ではどんな形体になるのか想像すらできない。だがどういう形体であろうが、すべては魂の問題に帰着するので、魂を磨くことが先決問題ということになる。最後の霊の世界では界を上がるにつれて男女の差が薄れると言われている内容は、亡くなった母も良く言っていたことだった。母は毎夜霊夢を見ていたが、その際、男性でもなく女性でもない中性のようなお方にお逢いしたという話をよく聞かされていたのだ。上の界には男女の区別がなくなり、ある種男女が一つの霊となっているようだとも言っていた。なので母の言っていたことが事実だったと確信したのである。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中し、神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人々に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いて淡々とコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達、それ以外の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。いつの間にか意識が遠のき、気がつくと曲が終わっていたが、そのまましばらくボーッとしていた。覚醒後に神様と霊界の方々にお礼述べて終了した。
664回目の瞑想
ーーー死後の世界でも罪を犯すことがありますか。もしあるとすれば、どんな罪が一番多いですか。
「もちろん私達も罪を犯します。それは利己主義の罪です。ただ、こちらの世界ではそれがすぐに表面に出ます。心に思ったことがすぐさま他に知られるのです。因果関係がすぐに知れるのです。従って醜い心を抱くと、それがそのまま全体の容貌に現れて、霊恪が下がるのがわかります。そうした罪を地上の言語で説明するのはとても難しく、先ほど言ったように、利己主義の罪と呼ぶよりほかに良い表現が見当たりません」
ーーー死後の世界が地球に比べて実感があり立派な支配者、君主または神の支配する世界であることはわかりましたが、こうしたことは昔から地上の人間に啓示されてきたのでしょうか。
「霊の世界の組織について啓示を受けた人間は大勢います。ただ誤解しないで頂きたいのは、こちらの世界には地上でいうような支配者はおりません。霊界の支配者は自然法則そのものなのです。また地上のように境界線によってどこかで区切りられているのではありません。低い界から徐々に高い界へと繋がっており、その間に断絶はなく、宇宙全体が一つに融合しております。霊恪が向上するにつれて上へ上へと上昇してまいります」
今回の内容は二つある。最初は死後の世界でも罪を犯すのかということ。実際罪を犯す人はいるようだ。だが、この地上とは違って、騙すことはできない。心に思ったことがすぐに他人に知れてしまうからだ。それもその心が全体の容貌に現れるというから驚きだ。この地上でも同じようであれば詐欺や嘘などは通用しないのに、と思う。利己主義というのはどちらの世界でも罪ということだ。次の質問は質問者はまだわかっていないようだが、死後の世界には独善的な支配者などいないのだ。死後の世界までもそうであっては困る。シルバー・バーチ霊が言われる自然法則は神の摂理だ。神様の愛ある法則がすべてなのだ。死後の様相も記されていてぼんやりとだが想像できる。霊の世界の組織の啓示は大勢の人間が受けて来ているとも言われている。それが世界全体に広がらないのはなぜなのだろうか。今までの訓えから考えてみると例え広がっていたとしても受け入れる準備ができていない人がスルーしてしまえばそれ以上広がりようがないということになり、また増してスルーする人間の方が多ければ広がるわけもないということになる。やはり、啓示があっても広まらないのは受け入れる人間側に問題があるということになる。そこを改善することは困難なのだろう。人間は操り人形ではなく、自由意志があるのだから。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中していくと、とても穏やかな和やかな気持ちになり、その気持ちのまま神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人々に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いて淡々とコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達、それ以外の方のお祈りとヒーリングと続けざまにさせて頂いた。そしてそのまま心に集中していると、一気に次の言葉を書き留めていた。「この世のすべては人間の覚醒のためにある。霊界での役目を担うために地上での体験を通して、覚醒することが目的である。そのための体験は往々にして苛酷である場合が多い。人の力では決してどうにもならない時に初めて神の力を乞う。その気持ちの芽生えこそが最初の覚醒である。更に物事が好転することで、神を信じる気持ちが強固となり、心の支えとなる。そして、人のために役立とうとする心が芽生え始める」書いたものを読んで、びっくりした。的を得たことが書いてあったからだ。書いている時は無我夢中で何を書いているかわからない。私を護って下さっている方からのお言葉だと思った
。
665回目の瞑想
”
ーーー地上で孤独な生活を余儀なくされた者は死後も同じような生活を送るのですか。
「いえ、いえ、そんなことはありません。そういう生活を余儀なくされるのはそれなりの因果関係があってのことで、こちらへ来ればまた新たな生活があり、愛する者、縁ある者との再会もあります」
ーーーシェークスピアとかベートーベン、ミケランジェロといった歴史上の人物に合うことが出来るでしょうか。
「とくに愛着を感じ、慕っている人物には、大抵の場合会うことが出来るでしょう。共感の絆が両者を引き寄せるのです」
今回の質問も興味深い。最近は孤独死なるものが多いようだ。核家族化していることも要因なのだろう。私自身も先行き孤独になる可能性はある。一人しかいない子供である息子は先に行ってしまったし、わんこ達も主人も看取ってから、と思っているので、最後は私一人になる可能性大だ。だからといって施設に入る気も全くない。なので、今回のシルバー・バーチ霊のお答えには励まされた思いだ。また孤独になるには因果関係があってのことと言われているので、甘んじて受けるより仕方ないと思う。できるだけ早くお迎えに来て欲しいものだ。また次の質問には、少し疑問も残る。もちろん、歴史上の人物にお会いできるとしたら夢のような話ではある。だが、シルバー・バーチ霊は常々両者が愛ある場合に再会できると言われている。歴史上の人物が地上の人間に愛を感じることはあるのだろうか。ただ共感の絆と言われ、それが両者を引き寄せると言われている。ということは自分が歴史上の人物に愛着を感じ、憧れを感じていれば相手の方も共感してくれるということになる。そこに絆が生まれるということなら、大いに期待が持てるのだが・・・それも他界後の楽しみにとっておこうと思う。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中していくと、とても穏やかな和やかな気持ちになり、その気持ちのまま神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人々に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いて淡々とコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達に、またそれ以外の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いているうちに意識が遠のき、そのまま気がつくと曲は終わっていたが、1分ほど経過しただけだった。しばらくボーッとしていたが、その後、神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
666回目の瞑想
ーーーこの肉体を棄ててそちらへ行っても、ちゃんと固くて実感があるのでしょうか。
「地上よりはるかに実感があり、しっかりしてます。本当は地上の生活の方が実感がないのです。霊界の方が実在の世界で、地上はその影なのです。こちらへ来られるまでは本当の実体感は味わっておられません」
ーーーということは地上の環境が五感にとって自然に感じられるように、死後の世界も霊魂には自然に感じられるということですか。
「だから言ってるでしょう。地上よりもっと実感がある、と。こちらの方が実在なのですから・・・あなた方はいわば囚人のようなものです。肉体という牢に入れられて、物質という壁で仕切られて、小さな鉄格子の窓から外をのぞいているだけです。地上では本当の自分のホンの一部分しか意識していないのです」
ーーー霊界では意念で通じ合うのですか。それとも地上の言語のようなものがあるのですか。
「意念だけで通じ合えるようになるまでは言語も使われます」
ーーー急死した場合、死後の環境にすぐに慣れるでしょうか。
「魂の進化の程度によって違います」
ーーー呼吸が止まった直後にどんなことが起きるのですか。
「魂に意識がある場合(高級霊)は、エーテル体が肉体から抜け出るのがわかります。そして抜け出ると目が開きます。まわりに自分を迎えに来てくれた人達が見えます。そしてすぐそのまま新しい生活が始まります。魂に意識がない場合は看護に来た霊に助けられて適当な場所ーー病院なり休息所なりーーに連れて行かれ、そこで新しい環境に慣れるまで看護されます」
今回の内容もとても興味深いものだ。私達人間が霊界を思うときには、およそ実感あるとは想像できない。どうあってもこの世のような実感のあるようには思えない。だがシルバー・バーチ霊が言われることで、霊界の方が実感のある世界なのだと信じることができる。そう思うと益々楽しみになる。死後の世界の方が、本当の実在の世界であるならば、楽しみ以外ありようがない。恐れも恐怖も不安も抱くこと自体間違っているということだ。それにしても今のこの世で生きているということは牢に入っているようだと言われている。そんなひどい状態で、自分のホンの一部分しか意識していないのかと思うと愕然としてしまう。この世にいることの方が、よっぽど大変だということがわかる。また意念で通じ合うとはどういう感じなのだろうか。自分の思ったことが瞬時に相手に伝わり、また相手がそれに対して思ったことがこちらに伝わるということなのか。だとすると言語よりも詳細に相手の気持ちがわかるのかも知れない。急死した場合とあるが、息子もほぼそのような感じだった。それまでは元気だったのだから。でも、今はこの世よりも実感のある実体のある世界で楽しんでいるのかと思うと本当に羨ましい限りだ。私達親の方が悲惨とは間尺に合わないと思ってしまうが、これも霊恪の違いなのだから仕方ない。呼吸が止まった直後というのは私達には知る術はないが、シルバー・バーチ霊の言われることは、息子が肉体から抜け出る時のことと一致しているようで、とても興味深く読ませてもらった。私自身もその時から来たら、このような形で死後の世界へ行きたいものである。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中する。そして神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人々に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達に、またそれ以外の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。その後は心に集中していたが、意識が遠のいたり、戻ったりしつつで、終了した。
667回目の瞑想
ーーー肉親や親戚の者とも会えますか。
「愛が存在すれば会えます。愛がなければ会えません」
ーーー死後の生命は永遠ですか。
「生命はすべて永遠です。生命とはすなわち神であり、神は永遠だからです」
ーーー霊界はたった一つだけですか。
「霊の世界は一つです。しかしその表現形態は無限です。地球以外の天体にもそれぞれに霊の世界があります。物的表現の裏側には必ず霊的表現があるのです」
ーーーその分布状態は地理的なものですか。
「地理的なものではありません。精神的発達程度に応じて差が生じているのです。もっとも、ある程度は物的表現形態による影響を受けます」
ーーーということは、私達人間の観念でいうところの界層というものもあるということですか。
「その通りです。物質的条件によって影響される段階を超えるまでは人間が考えるような”地域”とか”層”が存在します。(地球に隣接した幽界の下層界のことーー訳者)
ーーー各界層が地球や太陽や惑星を取り巻いているのでしょうか。
「取り巻いているのではありません。地理的に分けられているのではありません。球体つまり天体のような形で存在しているのでもありません。宇宙という大きな広がりの中の一部としての生活の場を構成しているのです。宇宙にはあらゆる次元の生活の場があって互いに重なり合い融合し合っています。あなた方はそぬちの幾つかを知られたわけですが、まだまだご存知ない世界がたくさんあります。地上の天文学で知られていない生活が営まれている惑星が他にいくつもあります」
今回の内容は最初の質問は至って簡単なものだが、霊界の界層の質問となると、わかりづらいし想像しにくい。霊の世界は一つと言われているが、地球以外の天体にも霊の世界があり、物的表現の裏側には必ず霊的表現があると言われている。しかもそれは地理的なものではなく、物的表現形態の影響を少なからず受けるらしい。だが界層というもの(これは私達人間にとっては一番腑に落ちる言い方だと思う)あるのだ。しかもその界層については、物質的条件によって影響される段階を超えるまでは存在すると言われる。ということは超えたら存在しないということになる。すべては界層とか地域とか枠にはめて考えるのは人間的発想なのだろう。そういう観念は一切棄てて、霊の世界の環境に素直に馴染んでいくということが必要なのではないかと思う。私達人間が未だ知らない惑星は他にも幾つもあると言われる。そしてその惑星でも私達人間のように生活を営んでいるのだ。人間の浅知恵で決めつけることの無意味さを思い知らされるようだ。まだまだ宇宙人が本当にいるのかなどとテレビなどニュースになっている。アメリカで今後詳細に調べるようだが、果たしてどこまで解明されるだろうか。私は解明されるされないには関係なく、シルバー・バーチ霊の言われることが真実だ確信している。
今日の瞑想は、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、静かに呼吸に集中し、そして神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人々に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達に、またそれ以外の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。その間もかなりぼんやりとした状態だったが、身体の中からの強いバイブレーションを感じると共に、大空に雲が転々と連なり、うっすらピンク色している映像が現れる。すると左上に太陽のような(太陽ほどギラギラしてはいなかったが)感じに光りを放ったその映像に心身共に温かさを感じていた。その間もバイブレーションは強まったり、弱まったりを繰り返していた。次第に意識が遠のく。気がつくとちょうど終了時間だった。
646回目の瞑想
ーーー地上で辿るべきコースがわかっているとすると、その結果得られる成果についてもわかっているということでしょうか。
「その通りです」
ーーーそうなると、前もってわかっているものをわざわざ体験しに再生することになりますが、そこにどんな意義があるでしょうか。
「地上に再生する目的は、地上生活から戻って来て霊界で行うべき仕事があって、それをおこなうだけの霊的資格(実力)をつけることにあります。前もってわかったからといって、霊的進化にとって必要な体験を身につけたことにはなりません。たとえば世界中の書物を全部読むことはは出来ても、その読書によって得た知識は、体験によって強化されなければ身についたとは言えますまい。霊的生長というのは実際に物事を体験し、それにどう対処するかによって決まります。その辺に地上への再生の全目的があります」
今回の質疑応答は私も常々思っていたことであった。魂は再生前に辿るべき道程をすべてわかってこの世に誕生するということに、疑問だった。だが今回のシルバー・バーチ霊のお答えで氷解したのだ。なるほど〜っという思いだった。すべては霊界での仕事を行う霊的資格を身につけるためなのだ。多分霊界での仕事というのはピンからキリまでそれこそ数え切れないほど沢山あるのだろう。その中でも高みに位置する仕事ができるようになるには永遠の時を要するのかも知れない。そうなるとどれだけこの地上に誕生すればいいのだろうか、と思うと気が遠くなる。とりあえずは先のことは考えずに、今この時を霊的進化に向けてこれから体験する様々なことに対して、神様の摂理に適った正しい対処の仕方をしていく他ないと思うのだ。どんなことも体験に勝るものはなく、そしてそれがどんな体験であろうが、克服していくという事が再生の全目的であり、霊的進化に繋がることなのだということを肝に銘じて行こうと思う。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そしてゆったりとした呼吸と共に、お祈りとヒーリングをさせて頂く。コロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングをさせて頂いたが、途中でいつの間にか意識が遠のいていた。その間、何か箇条書きのような、A4くらいの大きさの紙にいろいろと書いてあったのだが、その瞬間はわかっていたような気もするが、意識が戻るとその紙の事だけは覚えていたが、肝心の中身の内容は全く覚えてなかった。とても残念でたまらなかった。何が書いてあったのか、今回の後遺症に苦しんでいる人達に関係することだったとしたら、本当に知りたい内容だったと悔やまれる。まだまだ霊的に未熟だと思い知らされる。気を取り直して今度はそれ以外の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。瞑想後も未だに紙については覚えているのに、内容を記憶できなかったことに、残念な思いが拭えない。これだけ後味の悪い気持ちになったのは初めてである
。
647回目の瞑想
ーーー航空機事故のような惨事は犠牲者及びその親族が業を消すためなのだから前もって計画されているのだという考えは、私にはまだ得心がいきませんが・・・
「ご質問はいろいろな問題を含んでおります。まず”計画されている”という言い方はよくありません。そういう言い方をすると、まるで故意に、計画的に、惨事を引き起こしているように聞こえます。すべての事故は因果律によって起こるべくして起きているのです。その犠牲者ーーこの言い方も気に入りませんが取り敢えずそう呼んでおきますーーの問題ですが、これには別の観方があることを知って下さい。つまり、あなた方にとって死は確かに恐るべきことでしょう。が私達の霊界の者にとっては、ある意味喜ぶべき出来事なのです。赤ちゃんが誕生すればあなた方は喜びますが、こちらでは泣き悲しんでいる人がいるのです。反対に死んだ人は肉体の束縛から解放されたのですから、こちらは大喜びでお迎えしています。次に、これはあなた方には真相を理解することは困難ですが、宿命というものが宇宙に大機構の中で重大な要素を占めているのです。これは運命と自由意志という相反する二つの要素が絡み合った複雑な問題ですが、二つとも真実です。つまり運命づけられた一定のワクの中で自由意志が許されているわけです。説明の難しい問題ですが、そう言い表すほかにいい方法が思い当たりません」
今回の質疑応答は飛行機事故についてだが、シルバー・バーチ霊はすべての事故は因果律によって起こるべくして起きていると言われている。ということは交通事故などもみな因果律によって起きているということだ。だがその結果、その事故で亡くなった人については肉体の束縛から解放されたということで、喜ばしいことだと言われている。ただその際、地縛霊としてこの世に未練を残す人がいるのも確かだ。けれど、霊的真理を知ることで、自分の生き様を変えて行くことは可能なのだ。少しずつでも自分のカルマを消していけば、因果律自体も変わっていくのではないかと私は思っている。またよく宿命と運命は違うと聞く。運命は変えられるが宿命は変えられないと。それがシルバー・バーチ霊のお答えで腑に落ちた。宿命は宇宙の大機構の中で重大な要素を占めていると言われ、運命と自由意志という相反する二つの要素が絡み合った複雑な問題だと言われている。そして運命づけられた一定の枠の中で自由意志が許されていると言われているのだ。そのお言葉で、ある種、運命はその一定の枠の中でのみ、その自由意志で少しは変えられるのかも知れないが、人生の宿命それ自体は変わることはないということに確信を得た思いだった。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、お祈りとヒーリングをさせて頂く。コロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。更にそれ以外のヒーリングもさせて頂いた。そのうち意識は遠のく。その間また映像のようなものを見ていた。二つのある物を差し出され、どちらか選ぶというようなシチュエーションだった。ただ選ぶ前に意識が戻ってしまった。
648回目の瞑想
ーーーこれから先のことはどの程度まで運命づけられているのでしょうか。それは自分の行いや心掛けによってどの程度まで変えられるのでしょうか。
”なあ、ブルータスよ、オレたちがうだつが上がらんのは星のせいじゃない。オレたち自身が悪いのさ”(シェークスピア)
”門がいかに狭かろうが、いかなる逆境が運命の巻物に記されていようと、私は平気だ。なぜなら運命の主人公はこの私だからだ。私が魂の指導者なのだ”(W・E・ヘンリー)
この二つの詩文を引用してからシルバー・バーチはこう続けた。
「惑星は物的存在です。それぞれに放射物を出しバイブレーションを発しております。しかしあなた方は物的存在であると同時に霊的存在です。内部には、物的なものから受ける影響のすべてを克服する力を具えております。未来は過去が生んでいきます。自分の行為を思念によって創り出していくのです。大自然の法則についてはすでにお話しました。その一つに因果律があります。自分が蒔いたタネは自分が刈り取るという法則です。ある花のタネを蒔けば、その種の花が咲き、それ以外の花は咲きません。あなた方の未来も同じです。過去と現在によって決定されるのです。外部から与えられる罰ではありません。自分でこしらえていくのです。これから先どうなるのだろうーーーこうした不安の念を抱くということそれ自体が、それを本当に実現させる手助けをしていることになります」
今回は未来についての質疑応答である。二つの文を引用されている。どちらも自分自身が問題であるとしているのだ。更にシルバー・バーチ霊のお言葉には何度も何度も同じ事を繰り返し言われている。それは因果律だ。すべてはそこに起因する。私達の未来は今現在と過去によって決定されていると言われている。過去については変えようがないが、現在についてはいくらでも変えられるのではないだろうか。自分がこしらえていくとある。不安を抱けば、そのまま未来も不安な未来になる。だが、未来に希望を持ち、またその希望を実現させるために努力していくことで、必ず未来は明るいものになるはずである。今からでも遅くはない。霊的真理を知り、神様の摂理に適った生き方をしていくことで、必ずこの世もあの世でも幸せが訪れるのだと思う。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、そしてゆったりとした呼吸と共に、お祈りとヒーリングをさせて頂く。最初にコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングをさせて頂いた。またそれ以外のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。特に記述する内容はなかった。
649回目の瞑想
出席者がしきりに、”災害”とか”悲劇”とかの言葉を使って語り合っているのを聞いていてこうの述べた。
「物的な側面だけを見つめてはいけません。物的尺度で無限なるものを計ることはできません。そのことを常に念頭において物事を判断してください。物的な目だけで見れば地上は不公平だらけです。しかし悪業に対する懲罰があるように、善行に対する報酬も必ずあります。霊的な天秤はいつかは平衡を取り戻すようになっているのです。地上生活は永遠なる生命のごく短い一時期にすぎません。
人間にとって悲劇に思えることが私共にとって有難いことである場合があります。人間が有難がっていることが私共にとっては困ったことである場合があります。人間は私達から見てどうでもいいこと、あるいは霊的に何の価値もないものを大切にします。財産、この世的な富、権力、支配への欲望と貪欲によって動かされている人間が多すぎます」
今回の内容は私達人間にとって、とても耳の痛い話である。どうしても物的な尺度で物事を見てしまう。見えるものでしか判断できないのだ。だからこそ、不公平感が拭えないことになってしまう。だがシルバー・バーチ霊のこのようなお言葉で、見方を変えようと思える。神様は見て下さっているということ。霊界の方々も見て下さっているのだということを、肝に銘じないといけない。出来る限り、霊的な目で見るように努力していきたいと思わずにはいられない内容であった。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、そして呼吸に意識しつつ、お祈りとヒーリングをさせて頂く。最初にコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングをいつもよりも長めにさせて頂いた。その後それ以外のお祈りとヒーリングもさせて頂く。そしてしばらくそのまま集中していると身体中からドドドドドッーっとエネルギーが放出しているような感覚になる。特に上半身のエネルギーには物凄いものを感じていた。まるでアニメのドラゴンボールのサイヤ人にでもなったような感じだったのだ。ドラゴンボールでは”気”としてだったと思うが、気=体内の潜在エネルギー=生命エネルギーだ。こんな体験は初めてであった。
650回目の瞑想
さらに霊的進化について聞かれてーーー
「霊に関わる分野において進歩が容易に得られることは有り得ません。もし容易であれば成就する価値がないことになります。霊的進化はもっとも成就し難いものです。一歩一歩の向上が鍛錬と努力と献身と自己滅却と忠誠心によってようやく克ち得られるものだからです。霊的褒賞を手に入れるには奮闘努力がいるのです。もしも簡単に手に入るものであれば価値は無いことになります。価値が出るのは入手が困難だからです。それはいつまでも終わることのない道程です。霊的進化に終局というものはありません。水平線のようなものです。近づくほどに遠ざかっていきます。それと同じで、学べば学ぶほど、さらに学ぶべきものがあることを知ります。進歩は知識や真理や叡智と同じく、限界というものがありません。ここまでという区切りがないのです。一段よりも二段が上であり、二段よりも三段が上であり、三段よりも四段が上であるに決まっていますが、いずれもそこまでの到達度を示しているにすぎません。一段一段が人生の目的、真実、人生の拠って立つ永遠の原理をそれだけ多く理解したという指標であり、その理解と共に調和が訪れます。
成就は調和を生みます。宇宙を支配する霊力を身につける毎に、それだけその根源との調和が深まります。生活が豊かさを増します。本当の価値の識別が身につきます。その識別力が正しく働くようになります。選択の優先順位がきちんと決められるようになります。何がもっとも大切であるかが分かるようになります。他の人達が必死に追い求めるものがアホらしく思えるようになります。この世的な富への執着がすっかり無くなったとき、霊の宝がいささかも色褪せることなく傷つくこともなく、常に本来の純粋素朴な美しさを見せるものです。
私は物質面での進歩についてはあれこれ申し上げる立場にありませんが、物的進歩にもそれなりの役割があります。身体にとって必須のものを無視することは私共の教えに反します。身体がその正しい成長にとって必須のものをきちんと得ていないと、霊も正しく機能を発揮することができません。大切なのは身体と精神と霊の調和です。この三者が一体となって機能し、その結果として健康と幸福と冷静さと自信と決断力と安らぎが得られるのです。
霊的なことにばかり気を奪われて身体上のことをおろそかにすることは、身体のことにばかり気を奪われて霊的なことをなおざりにするのと同じく間違っております。心の修養にばかりこだわって他の側面を忘れるのもまた間違っております」
今回の霊的進化についての内容は、奥が深く素晴らしい内容だ。だが、とてつもなく道のりが遠いのだと改めて再認識させられた。霊的進化は容易には得られない。確かにその通りだと思う。シルバー・バーチ霊の言われる通り、簡単に手に入るのであれば、その価値はないと思うし、この世に誕生などしなくてもいいのではないかとも思う。”霊的進化はもっとも成就し難いものです。一歩一歩の向上が鍛錬と努力と献身と自己滅却と忠誠心によってようやく克ち得られるものだから”と言われるが、至難の技と言っていいのだろう。ここまでのことがこの世で成し遂げられるとは到底思えない。しかも霊的進化には終局というものがないとまで言われているのだ。永遠に続くということだ。何とも実行に移す前から挫折しそうである。けれど、微々たるものであっても一段また一段と到達するにつれて見る世界も感じる世界も変わってくるのだと思う。永遠の原理という理解が増してくるに従って、その理解と共に調和も感じられるのだ。宇宙を支配する霊力を身につける毎にその調和は深まり、識別力が正しく働くようになるという。ここで唯一私が一番共感できるのは、他の人達が必死に追い求めるものに対してアホらしく感じられていることだ。この世の大方の物事に関心がなくなっていることは事実だ。もちろんこの世の富に対しても関心はないが、ただ生活できるだけのお金はないと困るという思いはある。これが執着になるのかどうかわからないが、お金に対しても思いがなくなる時が来て欲しいと思っている。そして最後の下りは、人間として生きている以上、とても大事なことを教えて頂いていると思う。”大切なのは身体と精神と霊の調和です。この三者が一体となって機能し、その結果として健康と幸福と冷静さと自信と決断力と安らぎが得られる”このお言葉を忘れることなく、残りの人生を実践して生きて行き、このような結果を実感できるようにしたいものである。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、そしてゆったりとした呼吸に集中する。最初にご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂く。かなりのエネルギーが流れて行くのがわかる。そのうちに意識が遠のいていた。おぼろげながら、戻ると次いでコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングをさせて頂き、それ以外のお祈りとヒーリングもさせて頂く。その間も意識があるようなないような中で、宇宙空間を漂っているような感覚になった。時折、大きくピカ〜っと光り、宇宙全体がその光に包まれるような状態も見ることができたのだ。
651回目の瞑想
ある日の交霊会で死後の世界とそこでの生活の様子が主な話題となった。この中でシルバー・バーチは最近他界したばかりの人の現在の状態を説明して、地上に隣接した下層界は何もかも地上とそっくりであると述べた。すると次のような質問が出された。
ーーー幽界がこの世とそっくりであるというのが私には理解できないのですが・・・
「地上界の次の生活の場は地上の写しです。もしそうでなかったら、何の予備知識もない用地な霊に耐え切れないショックを与えるでしょう。ですから、霊界への導入はやさしい段階を経ながら行われることになります。こちらへ来てすぐの生活の場は地上と非常によく似ております。自分が死んだことに気がつかない人が大勢いるのはそのためです。
こちらは本質的には思念の世界、思念が実在である世界です。思念の世界ですから、思念が生活と活動の表現のすべての形態を与えます。他界直後の世界は地球のすぐ近くにあり、ものの考え方が極めて物質的な男女が集まっていますから、思念の表現も極めて土臭く、考えることがすべて物的感覚によって行われます。そういう人達は、”物”を離れて存在を考えることができません。かつて一度も生命(いのち)というものが物的なものから離れた形で意識にのぼったことがないのです。霊的な活動を心に思い浮かべることができないのです。精神構造の中に霊的なものを受け入れる余地が無いのです。ですが幽界(※)の生活にも段階があり、意識の開発と共に徐々に、着実に、土臭さが取れていきます。そして生命というものが物的な相(すがた)を超えたものであることが判り始めます。そして自覚が芽生えると次第にそこの環境に反応しなくなり、いよいよ本当の霊の世界での生活が始まります。こうして死と誕生(に相当するもの)が何度も繰り返されるのです」
(※ここでは”物的感覚から脱しきれない世界”のことを指している。これをシルバー・バーチが幽界ast-ral worldと呼んだのは質問者が最初にそう呼んだからで、そこは実質的には”界”というよりは、”状態”という方が当たっている。だから霊的な自覚ができてから赴く世界をシルバー・バーチは”霊界”spirit worldとは言わず”霊の世界”the world of spiritという言い方をするのである。仏教で”浄仏した”というのは地縛的状態から脱して霊的自覚が芽生え、本格的な生活が始まる段階に入ったという意味で、そこから地上で身につけた霊性に相応しい境涯へ赴くことになる。オーエンの『ベールの彼方の生活』では、”区分けの界”という呼び方をしているーー訳者)
今回は死後の世界幽界について、しかも一度も霊的なことに思いが行かなかった人間の行くべき世界を教えて下さっている。確かに霊的なことに全く触れてこなかった人が他界していきなり、別世界になってしまったら、かなり狼狽えるのだと思う。ここにもちゃんと神様のお計らいがあるということだ。スムーズに次の世界へ移行するためにも、先ずは地上とそっくりな下層界へ赴く。ただ、ここでのデメリットは死んだことにすぐには気がつかないということであろう。私が霊媒として招霊した霊が語る時にも、ほとんどの人が死んだことに気がつかないでいた。亡くなった母は男性であれば、私の身体を触らせた。そのことによってその霊達は自分が死んだことに初めて納得するのだった。女性の場合はというと、髪の長さだったり、顔の作りなど、もちろん身体の体型などもケースバイケースで確かめてもらったのだ。やはりそういったことで、亡くなったことを認識する人が多かった。だが、それでも死んだことを認めない人もそれなりにはいたが。ただ、何度も招霊をしていくことで、やがては得心していく。それもみな霊的なことを受け入れるタイミングというものがあるからだと思う。シルバー・バーチ霊が教えて下さったように、この世で霊的なものに対して全く関心がなく、物質世界だけを重んじて生きると死後の世界がどうなるかはお分かりだと思う。死後、少しでも明るく素晴らしい環境に行く事ができれば、この世の苦労も報われというもの。(本当はこんな考え方ではいけないとは思うが)それには先ず霊的真理を知り、理解を深め、更には霊的真理に適った生き方や実践をして行くほかないということだ。少なくとも、私はそう思って努力して行きたいと思っている。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ゆっくりとした呼吸に集中し、ご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。その時に宇宙空間のようでもあり、単なるブルーの細かい光がキラキラと光っているだけのようでもあったのだが、しばらくその様子が続いた。そのうちに意識が遠のく。直に意識が戻ると、次いでコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングをさせて頂き、続いてそれ以外のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。またいつの間にか意識が遠のく。意識は遠のいてはいたが、自分の身体からエネルギーが流れている感覚は感じていた。必要としているすべての人にこのエネルギーが流れて行って欲しいと強く思った。
652回目の瞑想
ー
ーーー幽界ではたとえば心臓なども残っていてやはり鼓動するのでしょうか。
「肉体器官が残っているか否かはその霊の自覚の問題です。もし地上生活の後にも生活があることを知らず、霊の世界など思いも寄らない人であれば、地上で具えていた肉体器官がそっくりそのまま残っていて、肉体的機能を続けていますーーーあらゆる機能です」
ーーーでは霊の世界についての理解をもった人の場合はどうなりますか。
「幽体の精妙化の過程がスムーズに進行します。ある器官が霊の生活に不要となったことを自覚すると、その器官が退化しはじめ、そのうち消滅してしまいます」
ーーー死の直後からそういう現象が起きるのでしょうか。それとも、ゆっくりとした過程なのでしょうか。
「それも自覚の程度によります。程度が高ければそれだけ調整期間が短くてすみます。忘れてならないことは、私達の世界は精神的な世界、霊の世界であり、そこでは自覚というものが最優先されるということです。精神が最高の権威をもち支配しています。精神が指示したことが現実となるのです。昔から、高級界からやってきた霊はのことを、”光輝く存在”というふうに述べていて、姿形をはっきりと述べていないことにお気づきになったことはありませんか。外形というものが無くなっていくのです。つまり形による表現が少なくなっていくのです」
今回は死後の形態についての質疑応答である。どの問題においても、自覚の程度に尽きるようだ。それにはやはり私達人間が霊であるということを知らなければお話にならない、ということだ。知ると知らないでは大違いなのだ。死後幽界に行っても、霊的なことを知らない人はいつまで経っても、肉体を持った状態で生活することになるようだ。要するにいつまでも制限された状態ということになる。反対に霊的な知識のある人は、もちろんその知識の差で同じではないと思うが、肉体から幽体となる過程がスムーズに進行されると言われている。更に不要と自覚した器官は退化し、消滅してしまうらしい。すべては自覚の程度によって、死後の状態が決定される。自覚の程度が高ければ高いほど、調整期間は短くて済むのだ。更に自覚というものが最優先されると言われ、精神が指示したことが現実となると言われる。要するに自分が肉体はもう必要ないと感じることができれば、それが現実になるということなのだ。高級霊は外形がなくなり、光としての存在になるということ。つまり霊的に高くなるということは、形による表現が少なくなって行くという事にイコールする。このことは頭の片隅にでも置いて忘れてはいけないことだと思う。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ゆっくりとした呼吸で精神統一していく。コロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングを真摯にさせて頂いた。この世の流れを変えて頂けるようにもお願いした。それ以外のお祈りとヒーリングもさせて頂く。いつの間にか意識が遠のきながらも、身体のバイブレーションを感じたりもしていた。
653回目の瞑想
ーーー最後にはとういう形態になっていくのでしょうか。
「美はどういう形態をしているのでしょう。愛はどういう形態をしているのでしょう。光はどんな形態をしているのでしょうか」
ーーー形態を超越してしまうと色彩が認識の基本となるのでしょうか。
「その通りです。ただし地上世界の基本的色彩となっているものが幾つかありますが、私達の世界にはあなた方の理解力を超えた別の色彩の領域が存在します。私達は高級界からの霊の姿が発する光輝、そのメッセージとともに届けられる光によって、その方がどなたであるかを認識することができます。形態というものがまったく無いことがあるのです。ただ思念があるのみで、それに光輝が伴っているのです」
今回の内容の素晴らしさには鳥肌が立つ思いだった。高い境地になればなるほど、その形態は無くなっていくということに、高揚すら覚える。しかも思念のみあるだけで、それに光輝が伴っていると言われている。何と素晴らしいお姿なのか。ただただ憧れるばかりだ。更に霊界には地上世界にはない理解を超えた色彩が存在すると言われる。どんな色なのかもう楽しみでしかない。今まで瞑想時に私が見てきた黄金色のお光りは、やはり高級霊界の方々なのだと確信できた。あのようなお姿になれるのだとしたら、今の努力はいささかも苦労ではなく、喜びさえ感じられる思いだ。今回の内容は明るさと希望をもたらせてくれる素晴らしい内容だった。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ゆっくりとした呼吸で精神統一していきながら、コロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングをさせて頂いた。それ以外のお祈りとヒーリングもさせて頂いたが、途中で意識が遠のき、気がついた時には曲は終わっていた。最後にいつものように神様に霊界の方々にお礼を述べて終了した。
今朝 起きがけに夢を見た。はっきりと鮮明に今でも覚えている。それは人から物をもらう夢だった。いろいろな物だったが、特に洋服が多かった。そこで夢占いを見てみると、人からもらうモノは近い将来あなたの元に訪れる幸運を意味している。また、洋服をもらう夢は基本的な意味は生命力が高まっている状態を表すということで、吉夢のようだ。
654回目の瞑想
”
他界した身内の者や友人・知人は姿こそ見えなくても、地上にいた時より一層身近な存在となっていることを説いて、こう述べた。
「その方達は今なお実在の人物であり、地上にいた時と同じようにあなた方のことを気遣ってくれていることを忘れてはなりません。彼らはもはや言葉で話しかけることはできませんし、あなた方もその声を聞くことはできませんが、あなた方のすぐ身の回りにいて何かと援助してくれております。自覚なさることがあるはずですが、実際はもっともっと密接な関係にあります。彼らにはあなた方の心の秘密、口に出さないでいる欲求、願望、希望、そして心配なさっていることまで全部読み取っております。そしてあなた方の魂の成長にとって必要なものを地上的体験から摂取するように導いてくれております。決して薄ぼんやりとした、影のような、モヤのような存在ではありません。今なおあなた方を愛し、以前よりさらに身近となっている、実体のある男性であり女性なのです」続く
今回は他界した存在について、述べて下さっている。かなり長い内容になっているが、とても大事なことなので、何度かに渡って記したいと思う。この内容を読みながら、涙が流れてきて仕方なかった。今もなお、母も息子も地上にいた時と同じように想ってくれていることに、また、すべての気持ちを読み取ってくれていることに、改めてこみ上げてくる思いを止めることはできなかった。更に魂の成長のために必要な体験ができるようにと導いてくれていると言われる。心から有難い思いでいっぱいになった。はっきりと見ることができれば、薄ぼんやりとか影とかモヤなどとは思わないのだが、今はこの世で生きていた面影を思って行くより仕方ないのだと思う。見えなくても以前に増して身近な存在となっている母と息子に感謝して、これからも助けてもらい、導いてもらおうとの思いが膨らみ強まっていた。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ゆっくりとした呼吸で精神統一をする。コロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングをさせて頂き、続いてそれ以外のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。その後、しばらくそのまま集中していると、澄んだとても綺麗なブルーの背景に小さな円盤のような形のしたものが、黄金色に輝いているという素晴らしい映像が出現した。その画面は何度も何度も切り替わるのだが、円盤のような形をしたものだけが、大きさなり、色合いなりが繰り返し変わっていたのだ。しばらくそれを見入っていると、いきなりその円盤のようなものが、本当の円盤のような大きさになり、画面一杯に覆い尽くす。正しく宇宙船のようだった。そこで我に返ってしまった。あまりにも雄大なその映像にしばし呆然としてしまっていた。その後、瞑想を終了した
。
655回目の瞑想
「私達が住む霊の世界をよく知っていただけば、私達をして、こうして地上へ降りて来る気にさせるものは、あなた方のためを思う気持ち以外の何ものでもないことが分かって頂けるはずです。素晴らしい光の世界から暗く重苦しい地上へ、一体誰が好き好んで降りてまいりましょう。
あなた方はまだ霊の世界のよろこびを知りません。肉体の牢獄から解放され、痛みも苦しみもない、行きたいと思えばどこへでも行ける、考えたことがすぐに形をもって眼前に現れる、追求したいことにいくらでも専念できる、お金の心配がない、こうした世界は地上の生活の中には譬えるものが見当たらないのです。その楽しさは、あなた方にはわかっていただけません。
肉体に閉じ込められた者には美しさの本当の姿を見ることが出来ません。霊の世界の光、色、景色、木々、小鳥、小川、渓流、山、花、こうしたものがいかに美しいか、あなた方はご存知ない。そして、なお、死を恐れる。
”死”というと人間は恐怖心を抱きます。が実は人間は死んではじめて真に生きることになるのです。あなた方は自分では立派に生きているつもりでしょうが、私から見れば半ば死んでいるのも同然です。霊的な真実については死人も同然です。なるほど小さな生命の灯が粗末な肉体の中でチラチラと輝いてはいますが、霊的なことには一向に反応を示さない。しかし一方では私達の仕事が着々と進められています。霊的なエネルギーが物質界に少しずつ勢力を伸ばしつつあります。霊的な光が広がれば当然暗闇が後退していきます。
霊の世界は人間の言葉では表現のしようがありません。譬えるものが地上に見出せないのです。あなた方が”死んだ”といって片付けている者の方が生命の実相について遙かに多くを知っております。
この世界に来て芸術家は地上で求めていた夢をことごとく実現させることが出来ます。画家も詩人も思い通りのことが出来ます。天才を存分に発揮することが出来ます。地上の抑圧からきれいに解放され、天賦の才能が他人のために使用されるようになるのです。地上の言語のようなぎこちない手段を用いなくても、心に思うことがすなわち霊の言語であり、それが電光石火の速さで表現されるのです。
金銭の心配がありません。生存競争というものがないのです。弱者がいじめられることもありません。霊界の強者とは弱者に救いの手を差しのべる力があるという意味だからです。失業などというものもありません。スラム街もありません。利己主義もありません。宗派もありません。経典もありません。あるのは神の摂理だけです。それが全てです。
地球に近づくにつれて霊は思うことが表現できなくなります。正直言って私は地上に戻るのは嫌なのです。なのにこうして戻って来るのはそう約束したからであり、地上の啓蒙のために少しでも役立ちたいという気持ちがあるからです。そして、それを支援してくれるあなた方の、私への思慕の念が、せめてもの慰めとなっております」続く
今回は昨日の続きであるが、地上世界とはいかに暗く重苦しいものであるかとういうことがわかる。それとは反対に霊の世界の素晴らしさは、この内容だけで感じることができる。痛みも苦しみもない、行きたいと思えばどこへでも行けて、考えたことがすぐに形をもって眼前に現れる、追求したいことにいくらでも専念できる、お金の心配がない、こんな夢のような世界が死後の世界なのだ。それなのに、人間は死を恐れている。何とも勿体ない話だ。更に生存競争も弱者がいじめられることも失業も、スラム街も、利己主義も、宗派も経典もないと言われている。それなのに地上にはあるものばかりだ。そして唯一あるのは神の摂理だけで、それが全てだと言われる。何と素晴らしい世界なのだろう。知れば知るほど、早く行きたくなる。死を恐れるどころか待ち焦がれている。そんな素晴らしい世界にいたのに、なぜ暗く重苦しい地上へ生まれ変わろうなどと思ったのかと、複雑な気持ちになる。シルバー・バーチ霊のように高級霊で、地球のために降りて来られるならいざ知らず、だがかと言って、人生を振り返るとカルマの解消だけとも思えないのだ。けれど今は分からなくても、いずれ霊界へ行けばわかるのだと思うので、詮索はしないことにする。ただ、一番大事なことは、これだけ素晴らしい世界へ行けるのはシルバー・バーチ霊が何度も言われているように、霊的真理を知り、理解を深め、そして他人に対しての奉仕の実践を実行している人なのだ。これが最も重要なことなのだと思う。死を恐れるのではなく、今の自分の人生を顧みて、素晴らしい霊の世界へ行ける資格(霊恪)があるのかどうかを吟味することが先決なのだと思う。そしてその資格を得るためにも、出来る限りの努力をしていくことが、この世に生まれて来た意義なのだとはっきりと認識させて頂けた。ただただ有難いお言葉に心から感謝したい思いである。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ゆっくりとした呼吸をしていき、「コロナワクチン接種の後遺症で苦しんでいる方々」のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。それ以外のヒーリングもさせて頂いた。その後はただただ瞑想に時間を費やした。特に感じるものはなかったが、心地良さだけはいつもある。この思いを今日一日持続させて行きたい思いで終了した
。
656回目の瞑想
「死ぬということは決して悲劇ではありません。今その地上で生きていることこそ悲劇です。神の庭が利己主義と強欲という名の雑草で足の踏み場もなくなっている状態こそ悲劇です。死ぬということは肉体という牢獄に閉じ込められていた霊が自由になることです。苦しみから解き放たれて霊本来の姿に戻ることが、果たして悲劇でしょうか。天上の色彩を見、言語で説明のしようがない天上の音楽を聴けるようになることが悲劇でしょうか。痛むということを知らない身体で、一瞬のうちに世界を駈けめぐり、霊の世界の美しさを満喫できるようになることを、あなた方は悲劇と呼ぶのですか。
地上のいかなる天才画家といえども、霊の世界の美しさの一端たりとも地上の絵具では表現できないでしょう。いかなる音楽の天才といえども、天上の音楽の旋律のひと節たりとも表現できないでしょう。いかなる名文家といえども、天上の美を地上の言語で綴ることはできないでしょう。そのうちあなた方もこちらの世界へ来られます。そしてその素晴らしさに驚嘆されるでしょう。
英国はいま美しい季節を迎えています。(この交霊会が開かれたのは五月だったーー編者)木々は新録に輝き、花の香りがただよい、大自然の恵みがいっぱいです。あなた方は造花の美を見て、”何と素晴らしいこと!”と感嘆します。がその美しさも、霊の世界の美しさに比べれば至ってお粗末な、色褪せた模作程度でしかありません。地上の誰一人見たことがないような花があり色彩があります。その他小鳥もおれば植物もあり、小川もあり、山もありますが、どれ一つとっても、地上のそれとは比較にならないほど綺麗です。そのうちあなた方もその美しさをじっくりと味わえる日が来ます。その時あなたはいわゆる幽霊となっているわけですが、その幽霊になった時こそ真の意味で生きているのです。実は今でもあなた方毎夜のように霊の世界を訪れているのです。ただ思い出せないだけです。それは死んでこちらへ来た時のための準備なのです。その準備なしにいきなり来るとショックを受けるからです。来てみると、一度来たことがあるのを思い出します。肉体の束縛から解放されると、睡眠中に垣間見ていたものを全意識をもって見ることが出来ます。その時すべての記憶が蘇ります」
今回の内容はもう何度となく、言われていることなので、備忘録を読んで下さっている方にとっては、当然なこととして受け入れることができるのではないだろうか。そして、霊の世界の素晴らしさに、死というものを恐れていたことがいかに間違っていたことなのかと思われているに違いない。シルバー・バーチ霊が教えて下さる霊の世界を知れば知るほど、その素晴らしさにため息が出てしまうほどだ。そしてこの地上世界の暗澹たる状態に嫌気さえ感じてしまう。早く霊の世界の素晴らしさをこの目で見てみたいものだ。天上の音楽を聴いてみたいものだ。特に音楽に関しては最も楽しみのしているのだ。地上にはないと言われる旋律や音色など、もうワクワク感しかない。更に息子の楽器演奏を聴くことが最高の楽しみなのは言うまでもない。また数年前は夫婦で景色や風景をカメラで撮影するのが趣味だったので、その景色や風景も霊の世界の景色や風景には及びもつかないほどなのだと思うと、そんな素晴らしい景色や風景を心ゆくまで眺めたいものである。とにかく、霊の世界が楽しみでならない。愛犬4匹が穏やかに霊の世界へ移行してくれたなら、私はすぐにでもお迎えが来て欲しいと思っているが、主人も見送ってからの方が、心置きなく移行することができると思う。愛犬もいなくなり、また更に主人まで先にいなくなるのは、かなり寂しくなると思うが、それでも最後まで残って旅立ちたいと思っている。
今日の瞑想は、衝撃的だった。いつものように神様に簡単なお祈りをさせて頂き、次いで「コロナワクチン接種の後遺症で苦しんでいる方々」のお祈りとヒーリングをさせて頂いている時だった。私自身の身体が何とも言えない温かくて優しいエネルギーに包まれている感覚になり、幸福感というのか、至福というのか、心身共に充足感で満ち溢れるような思いになったのだ。(言葉にすると本当にチンケになってしまうが、その時の満ちたりた状態は言葉では到底現せない)鳥肌も立っていた。その瞬間に『神様の愛のエネルギー』だと直感した。それと同時に涙も自然と流れていた。そして神様の(自分が感じた)この愛のエネルギーこそが、お祈りとヒーリングの要なのだと感じてしまったのだ。しかもその愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、また人類に行き届くようにさせて頂くことが、本来の意義なのだと感じたのだ。明日からはそのことを踏まえたお祈りとヒーリングをさせて頂くことに決めた。そして涙ながらに神様と霊界の皆様に心からお礼の言葉を述べさせてもらい、終了した。
635回目の瞑想
ーーー一先天性心臓疾患の子や知能障害児は地上生活を送っても何の教訓も得られないのではないかと言う人がいます。私達スピリチュアリストはこうした難しいことは神を信じて、いずれかは真相を理解する時が来ると信じているわけですが、疑い深い人間を説得するいい方法はないものでしょうか。
「疑い深い人間につける薬はありません。何でも疑ってかかる人は自分で納得がいくまで疑ってかかればよろしい。納得いけばその時はじめて疑いが消えるでしょう。私は神学者ではありません。宗教論争をやって勝った負けたと言い争っている御仁とは違います。すべては悟りの問題です。悟りが開ければ、生命の神秘の理解がいきます。もっとも、全てを悟ることはできません。全てを悟れるほどの人なら、地上には来ないでしょう。地上は学校と同じです。少しずつ勉強し、知識を身につけていくうちに、徐々に霊性が目覚めていきます。すると更に次の段階の心理を理解する力がつくわけです。それが人生の究極の目的なのです。激論し合ったり、論争を求めたりするのは私は御免被ります。私はただこれまで自分が知り得た限りの真理を説いて教えて差し上げるだけです。お聞きになられてそれはちょっと信じられないとおっしゃれば、”そうですか。それは残念ですね(アイアムソーリー)”と申し上げるほかありません」
今回は霊的なことに対して疑い深い人間についての質疑応答である。この世の人間は真の意味での霊的なことを知っている人がどれほどいるのだろうか。霊的な話をするといぶかしく思う人が大半ではないかと思っている。ということは疑いの目を持つ人の方が多いということだ。そういう人間に対して、シルバー・バーチ霊はつける薬はないと言われている。疑いを持つ人はとことん疑えばいいとまで言い切られているのだ。いつか納得できるその日まで疑いの目を持って行くしかないのだろう。結局は悟りの問題だと言う事だ。だがその悟りを得るためにも、疑う気持ちはとりあえず横に置いておいて、まずは霊的なことを知ること、そして理解し深めて行く事が霊性を目覚めさせていくことに繋がるのだ。要するに霊性を目覚めさせることこそが人生の究極の目的なのだ。霊的というと顔を背けたり、拒否していてはスタート地点にも立てない。まずは知ること。このことから始めるのが大前提なのだと思う。そのためにシルバー・バーチの霊訓があると言っても過言ではないと思う。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そしてゆったりとした呼吸と共に、ヒーリングをさせて頂く。コロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングをさせて頂いたが、涙が止まらなかった。どれほどの苦しみ辛さなのかと思われる。かなりの時間を割いた。そして今度はそれ以外のヒーリングをさせて頂いた。それから、また静かに精神統一をしていると、縦に長い楕円状のお光りが現れる。薄い黄金色の何とも上品なお色だった。そこに阿弥陀如来様と思われるお姿が現れた。お顔自体ははっきりとはしなかったが、全体の立ち姿といい、オーラといい、受ける波動といい、直感した。
私は、昔京都に春秋と毎年のように旅行していた時期がある。その時に清凉寺にある霊宝館(春秋の一定期間のみ拝観できる)の阿弥陀如来様とお逢いして、
衝撃を受けた。鳥肌が立ち、しばし呆然と立ち尽くし、そのお顔に惹きつけられて、自然と涙を流していたのだ。心が洗われるという思いを心から実感したそんな面持ちだったのだ。それから必ず春秋には京都へ行き、その阿弥陀如来様にお逢いしに行っていたのだ。
写真を添付したが、実物とは違う。実際の阿弥陀如来様にぜひお逢いしに行って頂けたらと思う。
636回目の瞑想
ーーー霊にいくつかの側面があり、そのうちの一つが地上に生まれ、残りは他の世界で生活することもあり得る、という風におっしゃいましたが、もう少し詳しく説明して頂けませんか。
「私達霊界の者は地上の言語を超越したことがらを、至ってお粗末な記号にすぎない地上の言語でもって説明しなくてはならない宿命を背負っております。言語は地上的なものあり、霊はそれを超越したものです。その超越したものを、どうして地上的用語で説明できましょう。これは言語学でいう意味論の重大な問題でもあります。私に言わせれば、霊とはあなた方のいう神、God、私のいう大霊Great Spiritの一部分です。あなた方に理解のいく用語で表現しようにも、これ以上の言い方は出来ません。生命力life force、動力dynamic' 活力real essence' 神性divinity' それが霊です。かりに私が”あなたはどなたですか”と尋ねたらどう答えますか。”私は○○と申す者です”などと名前を教えてくれても、あなたがどんな方かは皆目わかりません。個性があり、判断力を持ち、思考力を具え、愛を知り、そして地上の人間的体験を織りなす数々の情緒を表現することの出来る人ーーーそれがあなたであり、あなたという霊です。その霊があるからこそ肉体も地上生活が営めるのです。霊が引っ込めば肉体は死にます。霊そのものに名前はありません。神性を具えているが故に無限の可能性をもっています。無限ですから無限の表現も可能なわけです。その霊にいくつかの面があります。それを私はダイヤモンドに譬えるわけです。それぞれの面が違った時期に地上に誕生して他の面の進化のために体験を求めるのです。もしも二人の人間が格別に相性がいい場合(めったにないことですが)それは同じダイヤモンドの二つの面が同じ時期に地上に誕生したということが考えられます。そうなると当然二人の間に完全な親和性があるわけです。調和のとれた全体の中の二つの部分なのですから。これは再生の問題に発展していきます」
今回の質疑応答も奥が深い。私達人間の言語は至ってお粗末な記号にすぎないと言われている。そうなのか〜っと納得のようながっくりのような思いになる。霊は地上的なものを超越したものであるから、お粗末な記号ではとても表現できないのであろう。それは本当に納得できる。そんな中でシルバー・バーチ霊は一生懸命に教えて下さっている。霊とは神様の一部分なのだ。更に生命力、動力、活力、神性が霊と言われている。そして霊界側は霊としての私達を知ることができるのだ。前にもシルバー・バーチ霊は肉体は見えないと言われていた。だが魂や精神などは丸見えなのだ。私達人間は霊であるからこそ、肉体を持って地上生活ができているのだ。霊がこの地上を去る時が死ぬ時なのである。その霊にはいくつかの側面がある言われ、それをダイヤモンドとシルバー・バーチ霊は譬えられている。ダイヤモンドのそれぞれの面が霊である私達なのだ。めったにはないとのことだが、稀に同じダイヤモンドから二つの面、要するに二つの霊が同じ時期に地上に誕生すると完全な親和性のある二人になる。よく言われるのがキュリー夫妻だ。その目的は世の中に貢献するためであると言われている。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、そしてゆったりとした呼吸と共に、お祈りとヒーリングをさせて頂く。今回はご依頼のあった方を一番最初にさせて頂いた。次いでコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングをさせて頂いた。更にそれ以外のヒーリングもさせて頂いたので、自分の瞑想はほとんど時間がなく終了した。
637回目の瞑想
ーーーあなたがダイヤモンドに譬えておられるその”類魂”について、もう少し説明していただけませんか。それは家族関係のグループですか、同じ霊恪を具えた霊の集団ですか。それとも同じ趣味をもつ霊の集まりですか。あるいはもっと他の種類のグループですか。
「質問者がファミリー(家族)という言葉を文字通りに解釈しておられるとしたら、つまり血縁関係のある者の集団と考えておられるとすれば、私のいう類魂はそれとは全く異なります。肉体上の結婚に起因する地上的姻戚関係は必ずしも死後続くとは限りません。そもそも霊的関係というものは、その最も崇高なものが親和性に起因するものであり、その次に血縁関係に起因するものが来ます。地上的血縁関係は永遠なる霊的原理に基づくものではありません。類魂というのは、人間性にかかわった部分に限って言えば、霊的血縁関係ともいうべきものに起因した霊によって構成されております。同じダイヤモンドを形作っている面々ですから、自動的に引き合い引かれ合って一体となっているのです。その大きなダイヤモンド全体の進化のために個々の面々が地上に誕生することは有り得ることですし、現にどんどん誕生しております」
今回は類魂についての質疑応答である。私自身は何度もシルバー・バーチ霊のお言葉を拝読して来ているので、類魂が大きなダイヤモンドに譬えられていることは承知している。それが家族関係いわゆる血縁関係でないということも。また死後その関係が続くかどうかわからないということもわかっている。ただ霊的関係に最も崇高な起因は親和性とある。この親和性が最も大事なことだと言われているので、意味を調べてみた。この「親和性」には大きく二つの意味があるとのこと。一つは物理・化学の研究開発分野で使用される親和性。二つ目は広くビジネスシーンで使用される親和性。と、どちらも人間相手にこの親和性という言葉は使われないらしい。ただビジネスシーンでの親和性は、物事を組み合わせた時の”相性のよさ。結びつきやすい性質”を意味するとあるので、この相性のよさが、霊的関係には必須なのだろうと思った。確かに相性の良さがなければ、人間関係でも上手く行かないように思う。相性のいい人とは血縁関係に関係なく長続きするようにも思う。ということはある種、霊的に繋がりのある人なのかも知れない。主人とは相性はいいと思うが、果たして同じダイヤモンドの面と面かと言われると自信はない。そうだったらいいと思うが・・・だがどちらであってもこの関係は大事にして行きたいと思っている。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、そしてゆったりとした呼吸と共に、お祈りとヒーリングをさせて頂く。最初にコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングをさせて頂いた。またそれ以外のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。特に記述する内容はなかった。
638回目の瞑想
ーーーわれわれ個々の人間は一つの大きな霊の一分子ということですか。
「そういっても構いませんが、問題は用語の解釈です。霊的には確かに一体ですが、個々の霊はあくまでも個性を具えた存在です。その個々の霊が一体となって自我を失ってしまうことはありません」
今回の質疑応答の内容は、個々の人間(霊)は類魂の一体ではあるが、その一分子であっても、霊としての個性を具えた存在であると言われている。類魂の中に埋没してしまうなんてことはないということだ。例え、一体となったとしても自我はしっかりとあり、依然として個性があるということに、安堵した。ただやはり、霊界に行ってからが、本当の意味で実感できるのだと思う。今は頭にだけ入れておこうと思う。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、そしてゆったりとした呼吸と共に、お祈りとヒーリングをさせて頂く。最初にコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングをさせて頂いた。するとやはり楕円状の黄金色の光りが現れる。時にはその光りが四方八方に細かく光りを放ち、と変化した。それを見ているうちに意識が遠のく。意識が戻るとすぐにそれ以外のお祈りとヒーリングもさせて頂き終了した。
639回目の瞑想
ーーーでは今ここに類魂の一団がいるとします。その個々の霊が何百万年かの後に完全に進化しきって一個の霊になってしまうことは考えられませんか。
「そういうことは有り得ません。なぜなら進化の道程は永遠であり、終わりがないからです。完全というものは絶対に達成されません。一歩進めば、更にその先に進むべき段階が開けます。聖書に、己れを忘れる者ほど己れを見出す、という言葉があります。これは個的存在の神秘を説いているのです。つまり進化すればするほど個性的存在が強くなり、一方個人的存在は薄れていくということです。おわかりですか。個人的存在というのは地上的生活において他の存在と区別するための、特殊な表現形式を言うのであり、個性的存在というのは霊魂に具わっている神的属性の表現形式を言うのです。進化するにつれて利己性が薄れ、一方、個性は益々発揮されていくわけです」
今回の質疑応答の内容もやはり難しい。シルバー・バーチ霊は質問に対してすべて否定している。しかも完全というものは絶対に達成されないと断言されているのだ。何だかがっくりさせられる。また類魂の個々の霊は進化していくにつれて個性的存在が強くなると言われる。聖書の譬えを出されているが、要するに進化するほど真の自分がわかっていくということなのだろう。その自分とは個性的存在である霊魂に具わっている神的属性ということなのだ。地上にいるうちにそのような存在になれるかどうかも進化の度合いで決まるのだろう。私はこの事から更に疑問がわく。それは類魂の個々の霊である(ダイヤモンドの一側面であある)者が突出して進化した場合は、その側面である一霊だけが次の段階へと進むことができるのだろうか。それとも側面である一霊だけが突出しての進化はあり得ないのだろうか。類魂全体として進化した後、次の段階へと進むのであろうか。シルバー・バーチ霊にお聞きしたいところである。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、そしてゆったりとした呼吸と共に、お祈りとヒーリングをさせて頂く。最初にコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングをさせて頂いた。だがすぐに意識が遠のく。遠のいている時に映像のようなものを見ているような場合と全く何も感じない場合とがある。今回は後者だった。そして意識がまだはっきりとしない状態でそれ以外のお祈りとヒーリングもさせて頂き終了した
。
640回目の瞑想
ーーー”双子霊” Twin Souls というのはどういう場合ですか。
「双子霊というのは一つの霊の半分ずつが同時に地上に生を享けた場合のことです。自分と同じ親和性をもった霊魂ーーいわゆるアフィニティは宇宙にはたくさんいるのですが、それが同じ時期に同じ天体に生を享けるとは限りません。双子霊のようにお互いが相補い合う関係にある霊同士が地上で巡り合うという幸運に浴した場合は、正に地上天国を達成することになります。霊的に双子なのですから、霊的進化の程度も同じで、従ってその後も手に手を取り合って生長していきます。私が時折、”あなた達はアフィニティですね”と申し上げることがありますが、その場合がそれです」
今回は双子霊Twin Soulsついての質疑応答だ。私はかなり前からこのツインソウル自体は知っていたので、ツインソウルの真の意味を理解するまでは、必ず私のツインソウルと出逢えるのではないかと思っていた。だがその代表とも言えるのがキュリー夫妻だと知った時に、その願いは消えた。シルバー・バーチ霊のお答えの正に地上天国を達成することになるとのお言葉に、改めて簡単には出逢えないということを思い知らされた。出逢えることの素晴らしさは、やはり神様のお計らいなのだと思う。類魂の親和性よりも濃いなのだから、至福の時を過ごせるのは確かだ。ただただ羨ましい限りである。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、続いてお祈りとヒーリングをさせて頂く。最初にご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。次いでコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングをさせて頂いた。更にそれ以外のヒーリングをさせてさせて頂いているうちに意識が遠のく。意識が遠のいている中でも、身体のバイブレーションは感じていた。後はいつものようにすべてお任せして、ただただ集中することに徹していた
。
641回目の瞑想
ー
ーーー双子霊でも片方が先に他界すれば別れ別れになるわけでしょう。
「肉体的にはその通りです。しかしそれもホンの束の間のことです。肝心なのは二人が霊的に一体関係にあるということですから、物質的な事情や出来事がその一体関係に決定的な影響を及ぼすことはありません。しかも、束の間とはいえ地上での何年かの一緒の生活は、霊界で一体となった時と同じく、素晴らしい輝きに満ちた幸福を味わいます」
今回は昨日に引き続き、ツインソウルの問題だ。このシルバー・バーチ霊のお答えには、ツインソウルでなくても、霊的に繋がりのある者同士は物質的な事情や出来事に影響はされないのだと思う。愛ある人が亡くなった場合も、ホンの束の間のことなのだ。もちろん、私達人間にとってはホンの束の間とは言えないが。ツインソウルとして巡り会えれば、この上もない幸福な人生だと思う。だが、私自身はいろいろな辛い体験もしてきてはいるが、けれど、主人と共に幸福な人生を歩ませてもらえていると自負している。本当に有難いことだ。今後も辛く苦しい体験はあると思うが、今まで護られて来たことを鑑みて、乗り越えて行きたいと思っている。いや乗り越えられると思っている。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ゆっくりとした呼吸で精神統一していく。コロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングを真摯にさせて頂いた。また神様に懇願した。更にそれ以外のヒーリングも
させて頂く。その後、この世の流れを変えて頂けるよう、更にお祈りさせて頂き、どのように対処して行けばいいかもお聞きしたが、答えはなかった。歴史は繰り返すと言われているが、正に今そのような状態に感じる。過去に霊的なことを信じていた人はどのような形で対処していたのか、知りたいものである。戦争であっても、生き残る人と亡くなる人がいる。それもやはり、魂の段階で決めてこの世に誕生して来ているのであろうか。いろいろな疑問も湧いてくるが、今は自分自身の魂と向き合うことで、何か解決の糸口が見つかればと強く思うのである
。
642回目の瞑想
ーーー物質界に誕生する霊としない霊とがいるのはなぜですか。
「霊界の上層部、つまり神庁には一度も物質界に降りたことのない存在がいます。その種の霊にはそれなりの宇宙での役割があるのです。物質器官を通しての表現を体験しなくても生長進化を遂げることが出来るのです。頭初から高級界に所属している神霊であり、時としてその中から特殊な使命を帯びて地上に降りてくることがあります。歴史上の偉大なる霊的指導者の中には、そうした神霊の生まれ変わりである場合がいくつかあります」
今回の質疑応答は確かに疑問に思うところだ。そのお答えとしてやはり物質界へ降りたことのない霊はいるのだと言われている。私自身も薄々そのように思っていたので、これで確信できた。だが、同じ霊でありながら、既に上層部での役割を担う霊とは、どのようにして区別されているのであろうか。頭初から高級界に所属している神霊とあるが、私達人間には想像できないし理解できないことなのだろう。ただただ羨ましい限りである。現在も特殊な使命を帯びて地上に降りて来られている神霊はおられるのだろうか。そういう方とお逢いできることを心から願うものである。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ゆっくりとした呼吸で精神統一していきながら、コロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングをさせて頂いた。するとその時にいろいろな言葉が心に浮かんだ。「全ては因果律」「「因果律を知れば救いはある」「知ることが大事」「すべては必然」と。今現在起きていることは必然であって、因果律の結果なのだということを昨日の答えを教えて頂いたような気がした。また昨日歴史は繰り返すということを書いたが、やられた方がやり返すという繰り返しなのではないかとも思ったのだ。どこかで終止符を打たなければ、永遠に終わらない。だとしたらこの世で終わりにするしかないのではないかと。だがどのようにしていけばいいかはまだわからない。何しろ、世界中で起きていることなのだから。ただ因果律ということであれば、私達人間が解決していかなければいけないことなのだと思う。今までのやってきた原因があっての結果なのだとしたら、私達人間の責任である。その思いは一旦横へ置いて、気持ちを切り替えてそれ以外のヒーリングもさせて頂いた。いつものように神様に霊界の方々にお礼を述べて終了した。
643回目の瞑想
”
ーーー大きな業(カルマ)を背負って生まれて来た人間が、何かのキッカケで愛と奉仕の生活に入った場合、その業がいっぺんに消えるということは有り得ますか。
「自然法則の根本はあくまでも原因と結果の法則、つまり因果律です。業もその法則の働きの中で消されていくのであって、途中の過程を飛び越えていっぺんに消えることはありません。原因があれば必ずそれ相当の結果が生じ、その結果の中に次の結果を生み出す原因が宿されているわけで、これはほとんど機械的に作動します。質問者がおっしゃるように、ある人が急に愛と奉仕の生活に入ったとすれば、それはそれなりに業の消滅に寄与するでしょう。しかし、いっぺんにというわけには行きません。愛と奉仕の生活を積み重ねていくうちに徐々に消えていき、やがて完全に消滅します。業という借金をすっかり返済したことになります」
今回は業に関しての質疑応答である。罪深い業を背負って生まれて来た人間が、愛と奉仕に目覚めてそのような生活をした場合でも、いっぺんには業は消えないと言われている。その理由として、とても納得のいく答えをされている。すべては因果律であると。原因があって結果があるその法則は機械的に作動すると言われる。そしてその法則の中で業であるカルマは消されていくという。だから、例え愛と奉仕に目覚めたとしても、その生活をしながら徐々にカルマは消えていくのであり、いっぺんにとは行かない。だが、その生活をしているうちにやがては完全に消えると言われている。その間の長さは個々の罪の重さによるのだと思うが、あきらめずに愛と奉仕の生活を心がければ、必ずカルマは消えるのだ。自分の今までの過去を振り返り、愛と奉仕の生活をしてきたのかどうか、吟味してみることも必要だと思う。更にカルマを積み重ねては来世も必ずこの世にて借金を返さなければならないのだから。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ゆっくりとした呼吸で精神統一をする。そしてご依頼のあった方のお祈りとヒーリングを最初にさせて頂いた。そしてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達へお祈りとヒーリングをさせて頂き、続いてそれ以外のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。その後もしばらく心に集中していると、浜辺の映像が現れる。しかもその浜辺でいきなり一瞬だったが火柱が立ち、消えるとそこに一冊の本がキラキラとした光りに包まれて出現したのだ。だがその本が何の本かはわからなかった。すると今度は海面がリアルに見え、泡の状態まで感じ取れるほどで、正にその場にいるような感覚にまでなったのだ。これだけのリアルな体験は初めてである。そのまま心地良さを感じながら、瞑想を終了した。
今月の20日・21日と世界同日デモの日だった。新宿での動画の様子がTwitter記事にUP
されていたので、ぜひご覧頂きたい。拡声器での呼びかけでその場の信号待ちをしていた人がマスクを外したのだ。とても感動的だった。一人でも多くの方がこの呼びかけをキッカケにして、真実をわかってもらえたらと切に願う気持ちでいっぱいになった。
644回目の瞑想
ーーー戦争と事故、疾病などで何万もの人間が死亡した場合も業だったのだと考えるべきでしょうか。もって生まれた寿命よりも早く死ぬことはないのでしょうか。戦争は避けられないのでしょうか。もし避けられないとすると、それは国家的な業ということになるのでしょうか。
「業というのは詰まるところは因果律のことです。善因善果、悪因悪果というのも大自然の因果律の一部です。その働きには何者といえども介入は許されません。これは神の公正な証として神が用意した手段の一つです。もしも介入が許されるとしたら、神の公正は根底から崩れます。因果律というのは行為者にそれ相当の報酬を与えるという趣旨であり、多すぎることもなく少なすぎることもないよう配慮されています。それは当然個人だけでなく個人の集まりである国家についても当てはまります。次に寿命についてですが、寿命は本来、魂そのものが決定するものです。しかし個人には自由意志があり、また、諸々の事情によって寿命を伸び縮みさせることも不可能ではありません。戦争が不可避かとの問いですが、これはあなた方人間自身が解決すべきことです。自由意志によって勝手なことをしながら、その報酬は受けたくないというようなムシのいい話は許されません。戦争するもしないも人間の自由です。が、もし戦争の道を選んだら。それをモノサシとして責任問題が生じます」
今回は業や寿命、戦争についての質疑応答である。今の世にも当てはまるように思うが、業であればやはり因果律であるわけだ。善因善果、悪因悪果は、因果律の一部だと言われている。一部ということはそれ以外の因果律とはどんなものがあるのか。知る由もない。また因果律とは行った者にそれ相当な報酬が与えられると言われる。報酬というと、有難いことだが、悪因悪果には償いであることは当然のことだ。因果律はすべてに働くということで、個人だけではなく、国家にも当然働くということになる。今世界各国で起きていることは悪因悪果なのだと思う。いずれ因果律の働きでそれ相応の報いがあるのだと思う。寿命については魂が決定すると言われている。だが、自由意志や諸々の事情によって寿命を伸び縮みさせることが可能らしい。だとしたら私は縮むことを選択したい。どうあっても伸びることは望まない。戦争についてだが、シルバー・バーチ霊は戦争は神様が意図したものではなく、人間が勝手にしたものと断じている。確かに、私は戦争は国の利益だけを考えている人間が起こすものだと思っている。だが、大半の国民は戦争などしたいと思っていない。戦争したくないと声を上げれば非国民となり、捉えられたりする。そこは何が何でも反対を押し通すべきなのか。例え拷問に処せられようとも。もう少し突っ込んだ回答が欲しいところである。
今日の瞑想でも、また前のように神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ゆっくりとした呼吸をしていき、「コロナワクチン接種の後遺症で苦しんでいる方々」のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。それ以外のヒーリングもさせて頂いた。その後はただただ瞑想に時間を費やした。映像はなかったものの、温かい心地良い気で包まれているように感じて、とても穏やかな気持ちになれた。心からリラックスできたようにも感じた。有難くて涙もこぼれてきた。こういう瞬間を感じることができるのがやはり瞑想の醍醐味なのではないだろうか。
また長尾先生の記事の一部抜粋をさせて頂く。
詳細は
長尾先生の日記のを読んで頂きたい。
兵庫県の今日の感染者はゼロだった。しかしその裏でとんでもない事態が進行していることをTVは伝えない。
ついに、外来患者さんの3割くらいが「ワクチン後遺症」になってしまった。
ワクチンを打った翌日あたりから歩けなくなったり学校に行けなくなった
小学生や中学生や高校生が、親御さんに連れられて、はるばるやってくる。
いくつもの医療機関を受診して検査をしても「異常なし」と言われて精神科への紹介状を書かれたと、泣きながら尼崎までやってくるのだ。歩けないのに「異常なし」、と断定する大病院には疑問しかない。「二度と来るなと追い払われた」と泣きじゃくる患者さんもいる。
みなさん、接種して2ケ月以上経過した人。
1)なんともいえない「めまい」や「吐き気」
2)外を歩くと気分が悪くなるから家から出られない
3)「呼吸ができない」と訴えると、病院で過換気症候群と言われ精神科に
4)手足が「しびれる」とか「痛い」、と訴える
4)パーキンソン歩行のようなバランスが崩れた歩き方は診たことがない歩行
5)疲れやすく、学校や職場を休みがち
6)上記の症状が、接種後、1日~1ケ月以上たってから出てくる
この記事を読んで、やはりワクチン接種後の後遺症は増えているようだ。しかも医療機関を受診されているにも関わらず異常なしとか更に精神科への紹介状など酷い状態である。しかもである、二度と来るなと追い払われたと言われたという医者は、すでに医者ではないと思う。少なくとも医者とは人の病気を治すのが仕事ではないのか。治せなくても治そうと努力する姿勢が大事なはずだ。それが追い払うとは言語道断である。そんな医者は実名をあげるべきだと思う。人の気持ちに寄り添えない医者などいなくていいと思う。必ず因果律の働きでそれ相応の償いをする時が来るはずだ。また長尾先生のようなお方には善因善果で必ず報酬が与えられると思う。すべては公正なのだから、出来る限り霊的な目で考えるようにしたい
。
645回目の瞑想
ーーー寿命は魂そのものが決定するとおっしゃいましたが、すべての人間に当てはまることでしょうか。たとえば幼児などはどうなるのでしょう。判断力や知識、教養などが具わっていないと思うのですが・・・
「この世に再生する前の判断力と、再生してからの肉体器官を通じての判断力とでは大きな差があります。もちろん再生してからの方が肉体器官の機能の限界のために大きな制限を受けます。しかし大半の人間は地上で辿るべき道程について再生前からあらかじめ承知しています」
今回の内容は寿命についてというよりは、やはり再生としてのお答えのようだ。しかし再生を考えた時に寿命が含まれることはもちろんのことだろう。ここでとても興味深いのは再生する前の判断力は今この世にいる時よりも凄いらしいということだ。この世では肉体器官の制限があるからとのことで、霊界での楽しみがまた増えてしまった。また私達人間は記憶はなくなっているものの、この地上での人生を再生前から承知して誕生してきているのだ。だから大方決まっているコースを辿っているのだろう。魂はわかっているということなので、やはり瞑想で内なる魂と向き合う時間が大切だということになる。このことはもちろん、私自身が瞑想の醍醐味を感じているので、身を持ってわかっていることだ。主人にも再三話してきている。なので最近、主人も瞑想を始めたのだ。もちろんまだ始めたばかりで短めではあるが、始めたことに意義はあると思っているので、長く続けて欲しいと願っている。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、先ずはヒーリングをさせて頂く。「コロナワクチン接種の後遺症で苦しんでいる方々」のお祈りとヒーリングだ。かなり時間を費やしていた。もちろん、それ以外のヒーリングもさせて頂いた。残りの時間はただただ静かに心穏やかな時を持てて終了した。
624回目の瞑想
ーーー一つの意識体の個々の部分、というのはどういうものでしょうか。
「これは説明の難しい問題です。あなた方には”生きている”ということの本当の意味が理解できないからです。実はあなた方にとっての生命は実質的には最も下等な形態で顕現しているのです。そのあなた方には生命の実体、あなた方に思いつくことのできるものすべてを超越した意識をもって生きる、その言語を絶した生命の実情はとても想像できないでしょう。
宗教家が豁然大悟したといい、芸術家が最高のインスピレーションに触れたといい、詩人が恍惚たる喜悦に浸ったといっても、私たち霊界の者が見れば、それは実在のかすかなカゲを見たにすぎません。鈍重なる物質によってその表現が制限されているあなたがたに、その真実の相、生命の実相が理解できない以上、意識とは何か、なぜ自分を意識できるのか、といった問いにどうして答えられましょう。私の苦労を察してください。譬えるものがちゃんとあればどんなにか楽でしょうが、地上にはそれが無い。あなたがたにはせいぜい光と影、日向と日陰の比較ぐらいしかできません。虹の色は確かに美しい。ですが、地上の言語で説明できないほどの美しい霊界の色彩を虹に譬えてみても、美しいものだという観念は伝えられても、その本当の美しさは理解してもらえないのです」
今回も続きであるが、シルバー・バーチ霊が説明できないほど、霊の本質や霊界でのことは私達人間には理解することができないのだろう。この世に例えるものがないと言われているのだから、理解するのは無理なのだと思う。だが、少なくとも、例に出されている芸術家が最高のインスピレーションを感じたとしても、それは実在のかすかなカゲでしかないと言われている。これを聞いただけでも、霊界での真実の実相が如何に素晴らしくて凄いかということを物語っているのであり、この世とは比べものにならない世界なんだと思う。そんな場所に息子がいるのかと思うと、有難いし、羨ましいとさえ思ってしまう。そんな霊界に私も早く行ってみたいと思う。
今日の瞑想では、穏やかな呼吸で、精神統一してみる。
しばらくすると、はっきりとした宇宙空間の映像ではなかったが、そんな中に小さな十字の光りがキラキラと輝き、それが消えたり、光ったりを繰り返していた。とても綺麗だった。見入っていると、今度はその光りが流れ星のようにあちこちで流れ出したのだ。見ているだけで心の中までその光りが入ってくるような感覚になっていき、更に穏やかな気持ちにさせて頂いたようだった
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625回目の瞑想
「ーーーーー再生は自発的なものでしょうか、それとも果たすべき目的があってやむを得ず再生するのでしょうか。
「そのいずれの場合もあります」
ーーーということは、つまり強制的ということですね。
「強制的という言葉の意味が問題です。誰かに再生しろと命令されるものであれば強制的と言ってもいいでしょうが、別にそういう命令が下るわけではありません。ただ地上で学ばねばならない教訓、果たすべき仕事、償うべき前世での過ちも、施すべきでありながら施さなかった親切、こうしたものを明確に自覚するようになり、今こそ実行するのが自分にとって最良の道だと判断ですのです」
今回は再生がどのようにして、行われるかについての質疑応答である。シルバー・バーチ霊の答えの中で明確にされている。再生は第三者が決めるわけではなく、自分自身が最良だと判断した時に実行されるようだ。しかもそこにはしっかりとした目的がある。地上で教訓を学ぶため、果たすべき仕事をするため、前世での過ちを償うため、施すべき親切を施さなかったためと各々違った理由ではあるが自覚することによって再度再生しようと決断するということなのだ。今この世に生きている私達も必ずそういった目的を持っているのだ。持っているからこそこの世に誕生してきている。なので、今この世で無駄に過ごしては、また再生しなければならないということになる。このことがわかった以上は神様の摂理に適った生き方を出来る限り努力していくということが肝心なのだと思う。人のために為ることを、そして自分自身の霊恪を向上させることが問われるのではないか。それを肝に銘じて生きて行くことが大切なのだ。
今日の瞑想では、深い呼吸に集中しながらも、なかなか精神統一できなかった。いろいろな想いが頭の中を駆け巡る。また映像もはっきりとしない。そんな状態の中で、あっという間に時間になってしまった。こういう時は長くやっても意味はないので、そのまま終了した
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626回目の瞑想
ーーー死後は愛の絆のある者同士が生活を共にすると聞いておりますが、愛する者が再生していったら残った者との間はどうなるのでしょうか。
「別に問題はありません。物的な尺度で物事を考えるからそれが問題であるかに思えてくるのです。何度も言っていることですが、地上で見せる個性は個体全体からすればホンの一部分にすぎません。私はそれを大きなダイヤモンドに譬えています。一つのダイヤモンドには幾つかの面があり、そのうちの幾つかが地上に誕生するわけです。すると確かに一時的な隔絶が生じます。つまりダイヤモンドの一面と他の面との間には物質という壁ができて一時的な分離状態になることは確かです。が、愛の絆のあるところにそんな別れは問題ではありません」
今回は愛の絆で結ばれた者同士の片方が再生してしまったらどうなるかの質疑応答である。シルバー・バーチ霊はいとも簡単に問題ないと言われている。やはり私達人間はどうしても物的なものの見方をしてしまって、また別れ別れになってしまうと感じてしまう。シルバー・バーチ霊は中心霊をダイヤモンドに譬えられる。私達はそのダイヤモンドの一つの面なのである。その一つの面である私が地上に誕生しても、他の面とのつながりは物質という壁で一時的な分離状態になることはあっても消えることはないのだ。愛の絆のあるところに別れは再生しても存在しないということなのだ。
今日の瞑想では、呼吸に集中して、しばらくすると、身体の中からのバイブレーションを感じ、一瞬地震かと思った。だがそのまま瞑想を続けていると、やはりバイブレーションだったことがわかった。バイブレーションを感じながら更に今度は一条の光が現れた。真っ直ぐに私に向かって輝いている。その光りを見ていると、それはそれは穏やかな気持ちにどんどんなっていく。心の穏やかさはもちろんのこと、落ち着き、平安、安定といったような心持ちになる。これぞ至福と言えるような状態になったのだ。瞑想を終えてからもしばらくその感覚に浸っていた
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627回目の瞑想
ーーー霊魂はいったいどこから来るのですか。どこかに魂の貯蔵庫のようなものがあるのでしょうか。地上では近頃産児制限が叫ばれていますが、作ろうと思えば子供はいくらでも作れます。でもその場合、魂はどこから来るのでしょうか。
「あなたのご質問には誤解があるようです。あなた方人間が霊魂をこしらえるのではありません。人間がすることは霊魂が自我を表現するための器官を提供することだけです。生命の根源である”霊”は無限です。無限なるものに個性はありません。その一部が個体としての表現器官を得て地上に現れる。その表現器官を提供するのが人間の役目なのです。霊は永遠の存在ですから、あなたも個体に宿る以前からずっと存在していたわけです。しかし個性を具えた存在、つまり個体としては受胎の瞬間から存在を得ることになります。霊界にはすでに地上生活を体験した人間が大勢います。その中にはもう一度地上へ行って果たさねばならない責任、やり直さなければならない用事、達成しなければならない仕事といったものを抱えている者が沢山います。そして、その目的のためのチャンスを与えてくれる最適な身体を求めているのです」
今回の質疑応答の内容は、なるほど〜っといたく心にストンと落ちた。私達人間が霊であると言われる所以である。今この世で生きている世界中の人々はみな今の身体に宿る前からずっと霊として存在していたということだ。そして地上に再生しなければならない個々の理由によって、この世に誕生してきているのだ。今の身体は再生の目的のためにチャンスを生かせる最適なものだと自分で選んでいるのだ。こういうことは普通はわからない。シルバー・バーチ霊の霊訓があったからこそだと改めて有難く感謝した次第である。
今日の瞑想では、穏やかな呼吸をしながら、精神統一していくと海の底から上を見上げているような感覚になり、水が揺れている中での光りがとても明るく感じた。泡のようなものも見える。だが集中して見ているうちにいつの間にか意識が薄れ、気がつくと曲が終わる寸前であった。終わってからもしばらく心地良さに浸っていた
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628回目の瞑想
ーーー人間の霊も原始的段階から徐々に進化してきたものと思っていましたが・・・
「そうではありません。それは身体については言えますが霊は無始無終です」
ーーー古い霊魂と新しい霊魂との本質的な違いはどこにありますか。
「本質的な違いは年輪の差でしょう。当然のことながら古い霊魂は新しい霊魂よりも年上ということです」
ーーーマイヤースの言う類魂と同じものですか。
「まったく同じものです。ただし、単なる霊魂の寄せ集めとは違います。大きな意識を構成する集団で、その全体の進化のために各自が体験を求めて物質界にやってくるのです」
ーーーその意識の本体に戻ったとき各霊は個性を失ってしまうのではなかろうかと思われるのですが・・・
「川が大海へ注ぎ込んだとき、その川の水は存在が消えてしまうでしょうか。オーケストラが完全なハーモニーで演奏しているとき、例えばヴァイオリンの音は消えてしまうのでしょうか」
今回は霊についての質疑応答である。シルバー・バーチ霊は肉体は進化はあると言われるが、霊に関しては始めも終わりもないと言われている。それがどういうことなのか私にはまだよくわからない。しかも始めも終わりもない霊が古い霊や新しい霊という区別があるというのも疑問なのだ。類魂が全体の進化のために各々が地上の体験を求めて誕生するということはもう十分すぎるほど得心している。そして最後の類魂に戻ったときに各霊は個性が失ってしまうのではという質問に対しての答えの例えは納得できるのだが、前回の答えでは「生命の根源である”霊”は無限です。無限なるものに個性はありません」と言われ、「個性を具えた存在、つまり個体としては受胎の瞬間から存在を得ることになります」と言われている。ということは霊は肉体を持った人間になった時に個性を具えるのではないかと思うのだが・・・どうなのであろう。ただ例えのように、類魂の中に戻った時に類魂の一員としての存在価値があるということなら得心できる。疑問に思うことをシルバー・バーチ霊に聞いてみたいと強く思った次第である。
今日の瞑想では、ゆっくりと呼吸に集中していき、精神統一していく。すでに意識があるようなないようなそんな状態になっていた。そんな時に言葉が浮かんだのか、感じたのかさえわからなかったが、瞑想が終わるとこんな言葉を無我夢中で書いていたのだ。
「元々悪人などはいない。善と悪を自由意志で選択した結果にすぎない。従って因果律の法により選択した本人がその咎を償うというだけのことである。そこに神のお計らいがある。なぜなら、そのことを通して時間はかかるが少しずつでも覚醒して行くからである」と。書き終わって読んで見てびっくりした。書いている最中は何を書いているのか全く意識していなかったのだが、的を得たことが書かれてあったからだ。これは自動書記と呼ばれるものだったのだろうか。それさえも今はわからない。だが、いずれわかるときがくるのだろう。
629回目の瞑想
ーーーなぜ霊界の方から再生の決定的な証拠を提供してくれないのでしょうか。
「霊言という手段によっても説明しようのない問題に証拠などがあり得るでしょうか。意識に受け入れ態勢が整い、再生が摂理であることが明確になってはじめて事実として認識されるのです。再生はないと言う者が私の世界にもいるのはそのためです。まだその事実を悟れる段階にまで達していないからそう言うにすぎません。宗教家がその神秘的体験をビジネスマンに語ってもしょうがないでしょう。芸術家がインスピレーションの体験話を芸術的センスのない人に聞かせてどうなります。意識の段階が違うのです」
今回は再生の証拠についての質疑応答だが、シルバー・バーチ霊のお答えはやはり素晴らしいと思う。もちろん、私としても霊界側で証拠を提供して下されば、早いのではないかと思ったこともある。だが、これだけ奥深い内容を人間の言語だけで現すことも理解することもできないのだと思う。それ以前に先ずは意識の受け入れ態勢が整って、再生が摂理であることが明確になってはじめて事実として認識されると言われている。更に驚いたことには、霊界に行ってもその事実を知らない悟れない人がいるということだ。霊界にいる人であっても受け入れ態勢が整っていない場合もあるのだ。ましてや人間は尚更である。だが、このシルバー・バーチ霊が言われることを信じられるとしたら、ある意味意識の受け入れ態勢が整っている、のかも知れない。私は信じられるのでそうあって欲しい。
今日の瞑想でも、ゆっくりとした呼吸をして精神統一していく。しばらくすると今度は言葉が浮かんできた。それは
「真理を会得するにあたり、人任せにするべきではない。苦難困難災難の中から見出すべきである」と。確かに人から教えてもらうよりも自分自身で会得することが重要なのだとは思う。そうあるべきなのだとは思うがだが、なかなかそれが出来ないのも事実だ。例えば人から真理を知るきっかけを貰ったとしても、そこから先は自分自身で真理を会得していくべきという意味に捉えればいいのではないかとも思う。またこれも意識の受け入れ態勢の問題であるようにも思った。
630回目の瞑想
ー
ーーー再生するということが自分で分かるのでしょうか。
「魂そのものは本能的に自覚します。しかし知的に意識するとは限りません。神の分霊であるところの魂は、永遠の時の流れの中で一歩一歩、徐々に表現を求めています。が、その段階でどう表現してもその分量はわずかであり、表現されない部分が大半を占めています」
ーーーでは無意識のまま再生するのでしょうか。
「それも霊的進化の程度次第です。ちゃんと意識している霊もいれば意識しない霊もいます。魂が自覚していても、知覚的には意識しないまま再生する霊もいます。これは生命の神秘中の神秘にふれた問題で、とてもあなた方の言語では説明しかねます」
今回の再生についての質疑応答は、やはり奥がかなり深いようだ。魂そのものは自覚ていしても、再生する時に意識しているかどうかは、霊的進化の程度次第と言われている。確かに意識しないまま再生するとはどういうことなのかは、私達人間には到底理解しかねることだと思う。シルバー・バーチ霊ご自身が生命の神秘中の神秘と言われるくらいなのだから、理解できなくても当然なのだろう。頭の片隅にでも入れておけばいいのかも知れない。ただ神秘中の神秘と言われる秘義である再生について片鱗でも知ることが出来るということが感謝の極みなのである。
今日の瞑想でも、ゆっくりとした呼吸で精神統一していく。最初にある方のヒーリングをさせて頂いた。その時によくあるのだが、いきなり夢を見ているような感覚になり、その方に関係する映像を見ていることがある。気がつくとその映像が勝手に(という感じなのだ)思い返される。そして我に返る感じなのだ。ただ、はっきりと意味が読み取れればいいのだが、抽象的なものは勝手な解釈はできないのでとても残念なことなのだが、なかなかご本人に伝えられないことが多い。
そしてまた瞑想状態になり、しばらくすると次のような言葉が浮かんだ。「思い煩うなかれ。思い煩うとは、災いをもたらすということ。すべては神の御心のままに。」と。
631回目の瞑想
ーーー生命がそのように変化と進歩を伴ったものであり、生まれ変わりが事実だとすると、霊界へ行っても必ずしも会いたい人に会えないことになり、地上で約束した天国での再会が果たせないことになりませんか。
「愛は必ず成就されます。なぜなら愛こそ宇宙最大のエネルギーだからです。愛は必ず愛する者を引き寄せ、また愛する者を探し当てます。愛する者同士を永久に引き裂くことは出来ません」
ーーーでも再生を繰り返せば互いに別れ別れの連続ということになりませんか。これでは天上の幸せの観念と一致しないように思うのですが。
「一致しないのはあなたの天上の幸せの観念と私の天上の幸せの観念の方でしょう。宇宙及びその法則は神が拵(こしら)えたのであって、その子供であるあなた方が拵えるのではありません。賢明なる人間は新しい事実を前にすると自己の考えを改めます。自己の考えに一致させるために事実を曲げようとしてみても所詮は徒労に終わることを知っているからです」
今回の質疑応答の質問者のお気持ちもわかる。確かに再生が事実としてあれば例えば私が霊界に行った時に、母や息子が再生してしまっていたら、やはり会えないのではないかと思ってしまうからだ。だが、シルバー・バーチ霊のお答えは愛は必ず愛する者を引き寄せ、探し当てると言われている。永久に引き裂かれることはないとのこと。ということは、どこかのタイミングで必ず出逢えるということなのだろう。神様の法則は絶対なのだから、それを信じてさえいれば必ず成就されるということなのだと思う。所詮私達人間がどうあがいたところで、為す術はないのだから、信じるほかない。
今日の瞑想では、最初にヒーリングさせて頂いた。その後、ゆっくりとした呼吸をしていると、意識が遠のく。そのまま気がつくと曲が終る直前だった。特に映像もお言葉もなかった。
632回目の瞑想
”
ーーー死後、霊界に行ってから地上生活の償いをさせられますが、さらに地上に再生してからまた同じ罪の償いをさせられるというのは本当ですか。神は同じ罪に対して二度も罰を与えるのですか。
「償うとか罰するとかの問題ではなくて。要は進化の問題です。つまり学ぶべき教訓が残されているということであり、魂の教育と向上という一連の鎖の欠けている部分を補うということです。生まれ変わるということは必ずしも罪の償いのためとは限りません。欠けているギャップを埋める目的で再生する場合がよくあります。もちろん償いをする場合もあり、前世で学ぶべきでありながらそれを果たせなかったことをもう一度学びに行くという場合もあります。罪の償いとばかり考えてはいけません。ましてや二度も罰せられるということは決してありません。神の摂理を知れば、その完璧さに驚かされるはずです。決して片手落ちということがないのです。完璧なのです。神そのものが完全だからです」
今回は地上で犯した罪の償いについての質疑応答である。罪の償いとか罰とかの問題ではなく、進化の問題だと言われている。多くは学ぶべき教訓が残っている場合、魂の教育と向上を補う場合、欠けているギャップを埋める目的の場合、学ばねばならなかったことをもう一度学び行く場合、そしてもちろん償いをする場合もあると。このようにいろいろな理由で再生してくるのであるから、償いとばかり考える必要はないのかも知れない。またここでは触れていないがシルバー・バーチ霊は常に神様が罰したり、償わせたりするわけではないと言われている。自分自身の魂が反省し、償いを自ら求めて再生してくるのだ。だが地上に誕生するとその一切の記憶が無くなるので、なぜこんな目に遭わなければいけないかなどと思ってしまう。記憶していた方が、いいのではと思ったりもする。だが、神様の摂理を霊の目で見ることが出来れば、シルバー・バーチ霊が言われるようにその完璧さに驚かされるのは間違いないと確信している。完全である神様の摂理を心から信じて、この地上生活を如何なる理由で再生してきたのであっても全うするほかないのだと思っている。
今日の瞑想でも先にヒーリングさせて頂いた。そして、ゆっくりとした呼吸に集中して、精神統一していく。しばらくして身体にバイブレーションを感じると共に映像が出現した。先ず海面が見えると、その海面上に輪の中に包まれているように入っている黄金色の光りが浮かんでいるのが見えた。するといきなり上昇し、空高く舞い上がって行き、そこで更にまばゆいばかりの輝きを放っていたのだ。そしてその光りの中から、何人かの人物が現れたのだが、影絵のような感じだったので、残念であったが特定な人物なのかどうかはわからなかった
。
633回目の瞑想
ーーー再生するに際して過ちのないように指導監督する官庁のようなものが存在するのでしょうか。
「こうした問題はすべて自然法則の働きによって解決されます。再生すべき人は自分でそう決心するのです。つまり意識が拡大し、こんど再生したらこれだけの生長が得られるということがわかるようになり、それで再生を決意するのです。再生専門の機関や霊団がいるわけではありません。すべて魂自身が決めるのです」
今回も再生の質疑応答であるが、再生する際、上の存在が決めるように考えてしまうのは、やはり人間らしいと言える。だが、シルバー・バーチ霊はすべては自然法則の働きによって決まると言われている。しかも再生するということは自分で決心するのだと。更に再生したことで生長する度合いまでわかり、決意するとのことだ。上の存在が決めるのではなく、魂自身が決めるということに感動を覚えた。ということは、今この世に誕生している人間はみな自分自身で決意し、決めたのだ。しかも生長の度合いまでもわかっているのだ。だが、この世に誕生したら、すべて霊界での記憶は消えてしまう。果たして、みな自分の魂の生長のために生きているのだろうか。シルバー・バーチ霊は常々、この世の人間は死んでいると同じと言われている。やはり霊的真理を知ることがどれほど大事なのかということがわかる。一人でも多くの人に霊的真理が広まることを切望する。
今日の瞑想では、また前のように神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ゆっくりとした呼吸をしていき、「コロナワクチン接種の後遺症で苦しんでいる方々」のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。それ以外のヒーリングもさせて頂いた。実はまた始めようと決めたきっかけは、長尾クリニックの院長である長尾先生の「Dr.和の町医者日記」を時々拝見しているのだが、昨日読んだ記事が、本当に感動し、涙が流れてきたほどだった。今までも心を込めてヒーリングをさせて頂いていたつもりだったが、改めて後遺症で苦しんでいる方々のためにヒーリングをさせて頂くことの重要さを魂の段階
で感じることができた思いだった。確かにヒーリングの最中のエネルギーの強さは半端なかった。手の平だけではなく、腕までも上半身までにも感じられたのだ。それだけ私の心に熱いものがこみ上げたきていたのも感じていた。そして、涙が流れ続けていた。心から神様や霊界の方々に感謝の気持ちをお伝えさせて頂いた。
長尾先生の記事の抜粋をさせて頂く。
詳細は長尾先生の
町医者日記を読んで頂きたい。今回の記事だけでなく、為になる記事がいっぱいある。また沢山の方がコメント欄に意見を書かれている。
朝から晩まで、ワクチン後遺症の人だらけだ。ああこの国はどうなってしまったのかな、と嘆く。でも弾圧しきれない数の「後遺症」の人が存在する。
僕は勝手にワクチン副反応と後遺症を区別していて、1カ月以上経過しても仕事や学校に復帰できない人を、後遺症と呼んでいる。「副反応は」は勝手に治るが「後遺症」は症状が重く、自然治癒しにくい。すべて「後遺症」は薬害である。みなさん、神経内科や免疫内科や総合内科から「何でもない」「気のせい」「分からない」と言われて人ばかりで、まさに見放された人達を診ているだけ。
ワクチン後遺症で受診される人は、全員、診察室で泣かれる。診察後に看護師の前で「泣く」のが、最大で共通の特徴、である。
その「涙」に、その人の苦悩や悔しさを読み取り、「よーし、何とかして治してやろう。誰になんと言われても治してみせる」と決意を新たにする。
この記事を読んで、長尾先生のようなお方が真のお医者様だと心から思った。やはり霊恪が高いのだ。お医者様としてはもちろんのこと、人間として尊敬すべき人なのである。そのことに本当に感動した。更にワクチン接種された方達の涙に、どれだけの苦悩や辛さであろうかと思い、涙する。その方達の涙には長尾先生お一人だけではなく、国民全員が考えていかなければいけないのではないかと思うのだ。政府やメディアなどはわかっているのに、未だにワクチン接種を推進しているのだ。更に3回目も行われようとしている。3回目のワクチン接種などは中止すべきとしか考えられない。人間の心を持っているのかとさえ思われる。
まずはやはりこういった状況を知ることが大事なことなのだと思い、ここに記載させて頂いた。
長尾先生の副反応と後遺症を区別されるとのご意見に、私もヒーリングの際は後遺症で苦しんでいる方とすることに決めた。
634回目の瞑想
ーーー再生するごとに進歩するのでしょうか。時には登りかけていた階段を踏み外して一番下まで落ちるというようなこともあるのでしょうか。
「すべての生命、特に霊的な生命に関する限り、常に進歩的です。今は根源的な霊性についてのみ述べています。それが一番大切だからです。一旦神の摂理に関する知識を獲得したら、それを実践するごとに霊性が生長し、進歩します。進歩は永遠に続きます。なぜなら、完全なる霊性を成就するには永遠の時間を要するからです」
今回の内容も奥が深すぎると言っても過言ではないように思う。霊的な生命に関してのみ言えることは常に進歩しているということだ。それが一番大切だと言われている。しかも神様の摂理の知識は知るだけではダメで、実践するごとに霊性が生長し、進歩すると言われている。やはり実践が兎にも角にも肝要なのだ。更に更にそれは永遠に続くと言われる。完全な霊性を成就するには永遠の時間が必要だと言われているのだが、気の遠くなるようなお話である。今どの辺りにいるのかとふと思ったが地上に生があるということで、まだまだ序の口なのであろう。先は遠い。だが、先は遠いからと言って、おざなりにしてしまえば、到底辿り着くことなど不可能だ。とにかく半歩でも一歩でも遅々としてでも進んでいくことが大事なことなのだ。神様の摂理をこの世で知る機会を設けて頂けたことにただただ感謝するのみである。知らなければ最初のスタートでさえ切れないのだから。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ゆっくりとした呼吸をしていく。そして先ずはヒーリングをさせて頂く。「コロナワクチン接種の後遺症で苦しんでいる方々」のお祈りとヒーリングだ。もちろん、それ以外のヒーリングもさせて頂いた。その後、静かに精神統一をしていると、映像が出現した。光りの中に本が開かれて置かれている状態だった。その回りも光りでキラキラしていた。最初見た時には何の本かわからずにいたが、瞑想が終わる瞬間にシルバー・バーチの霊訓の本だと直感したのだ。やはり素晴らしい本であることを改めて認識させてもらえた。
613回目の瞑想
「地上の人類はまだ痛みと苦しみ、困難と苦難の意義を理解しておりません。が、そうしたものすべてが霊的進化の道程で大切な役割を果たしているのです。過去を振り返ってご覧なさい。往々にして最大の危機に直面した時、最大の難問に遭遇した時、人生でもっとも暗かった時期がより大きな悟りへの踏み台になっていることを発見されるはずです。いつも日向で暮らし、不幸も心配も悩みもなく、困難が生じても自動的に解決されてあなたに何の影響も及ぼさず、通る道に石ころ一つ転がっておらず、征服すべきものが何一つないようでは、あなたは少しも進歩しません。向上進化は困難と正面から取り組み、それを一つひとつ克服していく中にこそ得られるものです」
今回はシルバー・バーチ霊の霊訓の「”苦”の哲学」からの抜粋で、しばらく続けようと思う。今までも何度となく、言われている要な部分である。困難と苦難、この意義を知ってはいても避けたいと思うのが人情だろう。だが、困難や苦難に何も遭遇しない人は、少しも進歩がないと言われている。この世は困難や苦難に満ち溢れているが、幸福に過ごしている人も多くいる。そういう人はこの世的には幸せこの上なく、羨む存在であるのだが、そういった方々は霊的には全く進歩していないということになる。この世で果たさなければいけない霊的進歩は成就されないということなのだ。むしろ、気の毒な方々と言えるのだ。ただシルバー・バーチ霊が言われる「最大の危機に直面した時、最大の難問に遭遇した時、人生でもっとも暗かった時期がより大きな悟りへの踏み台になっていることを発見されるはず」とあるが、もちろん、そこで霊的に目覚める人も多くいるのだと思うが、最大な難問に遭遇して落胆し、自死してしまう人もいる。それはやはり個々の霊恪の問題ということになるのだろうか。今回のコロナ騒動でも、かなり多くの方が自殺されたと聞く。こういう危機に直面した時にこそ、霊的な目覚めのチャンスのはずが、本当に残念である。今のこの世を乗り越えて行くことで、必ず霊的な目覚めが来ることを願って止まない。
今朝の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、続いて深い呼吸をする。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。神様の偉大なるお光りに同調できますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。またかなり有難い思いがこみ上げてきて、涙がこぼれた。コロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いている時にも涙は出続けた。そのまま地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂き終了したが、しばらくはボーッとしてしまい動けなかった
。
614回目の瞑想
「一つひとつの体験があなたの人生模様を織りなしています。あなた方はとかく一時の出来事でもって永遠を裁こうとされます。つまり目先の矛盾撞着にとらわれ、人生全体を通して神の叡智の意図が織りなされていることを理解しません。
調和を基調とするこの大宇宙の中であなた方一人ひとりが神の計画の推進に貢献しております。人生での出来事ーーー時には辛く絶望的であり、時には苦しく悲劇的であったりしますがーーーその一つひとつがこれから辿りゆく道のために魂を鍛える役割を果たしているのです。光と闇、日向と陰、こうしたものは唯一絶対の実在の反映にすぎません。陰なくして光はなく、光なくして陰はありません。人生の困難は魂が向上していくための階段です。困難、障害、不利な条件ーーーこれらみな魂の試練なのです。それを一つ克服した時、魂はいっそう充実し向上して、一段と強くそして純粋になってまいります。
いったい無限の可能性を秘めた魂の潜在力が困難も苦痛もなく、陰もなく悲しみもなく、苦難も悲劇も体験せずに発揮されると思われますか。もちろん、思われないでしょう。人生のよろこび、楽しい笑いの味は、人生の辛酸をなめ尽くして始めて分かります。なぜなら、深く沈んだだけ、それだけ高く上がれるからです。地上生活の陰を体験するほど、それだけ日向のよろこびを味わうことができます。体験のすべてが霊的進化の肥やしです。そのうちあなた方も肉体の束縛から解放されて曇りのない目で地上生活を振り返る時がまいります。そうすれば紆余曲折した一見とりとめのない出来事の絡み合いの中で、一つひとつがちゃんとした意味をもち、あなたの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出す上で意義があったことを、つぶさに理解されるはずです。
地上のいかなる体験も、それに正しく対処し正しく理解すれば、人間の魂にとって必ずやプラスになるものを持っております。いったい何の困難も、何の試練も、何のトラブルも、何の苦痛も、何の悩みもない世界を想像できるでしょうか。そこにはもはや向上進化の可能性がないことになります。克服すべきものが何もないことになります。ただ朽ち果てるのみです」
今回も昨日のシルバー・バーチ霊の霊訓からの「”苦”の哲学」の続きである。今回も繰り返し説かれている内容だが、私達人間にとっては困難や苦難は避けたいものであるが、その困難や苦難が私たちの魂を鍛える役割を果たしていると言われるのだ。確かに私は得心している。私にとっても数々の困難や苦難はあった。その最も辛く悲劇的だったのが息子の死である。当初は乗り越えることなどできないと思っていた。更には後を追いたい気持ちにまでなったものだ。だが、神様を信じる気持ちだけは揺るがなかった。また自死しても息子に会うことなどできないことも知っていた。悲痛な気持ちで毎日を過ごしながらも息子の死には必ず何か意味があるとそれだけは常に心にあった。深く沈んだだけ、高く上がれると言われているが、高く上がれたのだろうか。深い谷底に落ちたような思いを抱えながら生きるということは本当に辛いものである。死んだ方がましと考えてしまう気持ちもわかる。だが、その辛さに負けて自死することは絶対に許されない。どんなに辛く苦しい体験も、それに正しく対処し正しく理解すれば、魂にとって必ずプラスになる言われている。それは私自身、身を持って体験できたので、実感している。また誰もができることなのだと思う。それは霊的真理にすがることで救われると断言できるからだ。私もそう遠くないその日に、肉体の束縛から解放され、地上生活を振り返る時がくるだろう。その時には苦しみの末に霊的真理に出逢うことができ、乗り越えられたことに感無量の面持ちになるのだと確信している。だがそれは息子の協力なしには成し得なかったことなので、真っ先に息子に会ってお礼を言い、喜びを分かち合いたい。それが今の私の一番の願いである。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して精神統一していこうと思う。
今朝の瞑想では、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。続いて深い呼吸をする。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、お力をお授け下さいますようにどうかどうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。唱えながら時々意識が遠のいたりしていた。その間何とも不思議な感覚になるが、言葉では説明できない。そして今度はコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂く。更にこの世の流れを神様の摂理に適った流れになるようにと懇願し、地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をし、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂き終了する
。
615回目の瞑想
シルバー・バーチ霊の交霊会では、サイキック・ニューズ紙の編集部に悩み事や質問が寄せられ、それを読み上げて、シルバー・バーチ霊が答えるということが集中的に行われることがあったようだ。その中の愛する伴侶を失って悲嘆に暮れている女性からもので、いっそ死んでしまいたいという気持ちを綴った手紙が読み上げられたという。これを司会者が変わって質問した。
ーーーこの方のように最愛の伴侶に先立たれて生きる希望を失った人が、自ら命を断つということは許されるものでしょうか。
「許されません。因果律という摂理の働きは完璧ですから、それに忠実に生きなければなりません。摂理というのは完全なる愛である大霊によって統制されており、全ての中に存在すると同時に全てのものを通して働いております。その働きに干渉する権利を有する者はいません。もしも干渉して自殺すれば、それなりの代償を支払わねばなりません。
例えば熟さないうちにもぎ取ったリンゴは美味しくないように、寿命をまっとうせずに無理やりに霊界へ行けば、長い調整期間の中でその代償を支払わねばならなくなります。その上、その伴侶はもとより、他の縁ある人々とも会えなくなります。(利己的な波動によって)周囲にミゾをこしらえてしまうからです。」
今回は前述した内容を記載した。自殺の問題である。このコロナ禍で自殺された方は多い。その方達の経緯はいろいろだろうが、動機が問題だと常に言われている。だが、やはり利己的な理由での自死は許されないと言われ、長い調整期間の中でその代償を支払わねばならないと言われている。もちろん、他界した親しい人達とも会うことはできないのだ。もし、霊的なこの真理を知っていれば、自殺は思い留まったのではないだろうか。いろいろな場所で自殺を思い留まらせようと試みているが、霊的真理を知らないままでは解決はなかなか難しいのではないかと思っている。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、深い呼吸をする。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、お力をお授け下さいますようにどうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。続いてコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。更にこの世の流れが変わりますようにと唱え、地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂き終了する
。
616回目の瞑想
当時ご主人を亡くしたばかりのご婦人にもこう語って聞かせられた。
「あなたもそのうち物的なつながりよりも霊的なつながりの方が大きいことを理解し始めることでしょう。ご主人はこの世にいた時よりもはるかにあなたにとって身近な存在となっておられます。
地上人類が肉体的存在の消滅を大変な不幸として受け止めるのは、地上世界の進化が物的バイブレーションの段階を超えていないからです。その段階を超えて進化すれば、物質というものがただの殻にすぎないことを理解するようになります。それを実在であるかに思い込むのは地上が影の世界だからです。霊的に向上していくと、光とその光によって生じる影との区別ができるようになります。地上的縁には拘束力がありません。霊的な縁こそ永遠に続くものです。
ぜひ銘記していただきたいのは、あなた自身にとって大変な悲しい出来事のように思えることも、実は他の大勢の人達のためにあなたを役立てようとする計画の一端であることがある、ということです。あなただけの個人的な見地からのみ眺めてはいけません。その体験を通じてもし大勢の人々の魂が鼓舞されることになれば、それがひいてはあなた自身の魂の成長を促すことになります。そして、あなた自身がこちらへお出でになりご主人と再会された時にも、それが大きな拠り所となります。
"死んだ人”たちはあなたのもとから去ってしまうのではありません。死という名のドアを通り抜けて新しい生活へ入っていくだけです。その人たちにとって死は大きな解放です。決して苦しいものではありません。彼らにとって唯一の辛さは、地上に残した人々が自分のことで嘆き悲しんでいることです。
いくら順調に進化していても、地上にいる限りは相変わらず霊的なバイブレーションよりは物的なバイブレーションの方が感応しやすいものです。縁故のあるスピリットがすぐ身のまわりにいます。肉体に宿っていた時よりも一段と親近感を増しているのですが、人間の方は鈍重なバイブレーションにしか反応しないために、すぐ近くにいても、その高いバイブレーションに感応しないだけです。あなた方は今この時点において立派な霊魂なのです。物的世界での教訓を身につけるに地上にやってきているところです。時としてそれが辛い教訓となることがありますが、それはそれなりに価値あることではないでしょうか。
皆さんはなぜ物的な出来事をもって永遠を判断しようとなさるのでしょう。皆さんは空の広さは計れません。地球の大きさすら計れません。なのに、僅かな地上生活でもって永遠を計ろうとなさいます」
今回もシルバー・バーチ霊の霊訓の中の”苦の哲学”からの抜粋である。今回の内容は私自身に言われているようにも感じて、深く心に染み入った。まだまだ私達人間は死に対して、不幸と感じてしまう。その理由として地上世界の進化が物的バイブレーションの段階を超えていないからと言われている。しかもその段階を超えて進化すれば、物質というものがただの殻にすぎないことを理解するようになるとも言われているのだ。物質がただの殻にすぎないとはどういうことなのだろう。人間がただの殻を実在と思うのは、地上世界は霊界の影の世界であるからと言われているのだと思う。それは、光である霊界とその霊界である光によって生じる影いわゆる地上世界との区別が霊的に進歩することによって理解できると言うことなのだと思うのだ。それにはやはり霊的なものに感応する力がなければなかなか難しいということだ。だが感応する力は霊的に向上することで養われるわけなので、霊的なことを信じない人は、どうあっても物的なものが実在だと思ってしまうのも致し方ないように思う。霊的なことを信じていてもなかなかそこまで到達するには時間がかかるのだから。でも私はシルバー・バーチ霊が言われることを信じて、邁進していくより他に道はないと思っている。
また縁故のあるスピリットがすぐ身のまわりにいてくれていると言われる。いわゆる私にとっては母や息子だ。そして肉体に宿っていた時よりも一段と親近感が増していると言われているのだ。このお言葉にはとても励まされる。私自身もそれは時折感じているが、きっと私が感じている以上にいろいろと示唆してくれているに違いない。なのにふがいない話だが、まだそれをしっかりと受け止める力がないことに情けない思いになる。
だがいつか母や息子の示唆をしっかりと受け止め、理解できる時が来ると信じて更に精進して行きたいとの思いが今回ほど強まったことはない。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。そして深い呼吸をし、その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、お力をお授け下さいますようにどうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。唱えているうちに意識が遠のいていた。気がつき、今度はコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる世界中の方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてこの世の流れが変わりますようにと唱え、更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂いた。
617回目の瞑想
”安楽死”についても、現代の関心事であると同時にスピリチュアリズムでも議論の的になっている問題ということで、
ある日の交霊会でそれについての質問が出された。
ーーー回復の見込みのない患者を死なせる特権を法律によって医師に与えるべきだという考えをどう思われますか。
「私はすべての生命は神のものと申し上げております。肉体が滅び霊が解き放たれる時が来れば、自然の摂理でそうなります」
ーーー物的手段を講じて長生きさせることは正しいとお考えでしょうか。
「はい」
ーーーたとえ長生きさせることが苦しみまで長引かせることになってもですか。
「そうです。ただ、この問題に関して一つお忘れになっていることがあります。霊は、肉体を去るべき時が至れば必ず去るもので、地上にはその理法を変える手段はないということです」
ーーー不治の患者を人為的に死なせた場合、それは死後その患者の霊にさらに苦痛をもたらすことになるのでしょうか。
「そういうことはありませんが、死後に備えのできていない霊に一種のショックを与えることになり、そのショックが何かと良からぬ影響をもたらします。自然に死ねば必要でなかったはずの手間をかけて埋め合わせをしなければならなくなります」
ーーー医師にも寿命を長引かせる力があるでしょうか。
「医師が肉体を生き続けさせようと努力なさるーーそれは結構です。が、霊にはその肉体を去るべき時というものがあり、その時が至れば地上の医師には為すべき手段はありません」
ーーーということは、生命を維持させようといくら医師が努力しても無駄ということになるのでしょうか。
「そういうことです。もしもあなたのおっしゃる通り医師に生命を維持させる力があるとすれば、なぜ最後はみんな死んで行くのでしょう」
ーーーでも少しの間だけでも長生きさせてあげることはできます。
「患者がその処置に反応すればの話です。たとえば酸素吸入ができます。しかしそれもある程度までのことでしょう。霊が私たちの世界へ来るべき準備が整ったら最期、医師には為す術がありません」
ーーーもし寿命というものが定まっていて、各自が原則として霊的に準備が整った状態で死んでいくのが事実だとすると、なぜ平均寿命が延びているのでしょうか。
「人類が進化しているからです。肉体的なことが霊的なことを決定づけているのではありません。霊的なことが肉体的なことを決定づけるのです」
今回もシルバー・バーチ霊の霊訓の中の昨日の続きである。安楽死の問題は本当に難しい問題だと思う。だが、シルバー・バーチ霊が言われる生命はすべて神のものであるから、やはり人間が死に関しては立ち入ってはいけないことなのだと思う。だが例外もある、それは動機だ。もちろん、人間の場合は法律で決められているので、安楽死はできない。だが、動物は違う。物言えぬ動物には安楽死が許されているのだ。
過去記事(memorandum2の2020年6月12日から15日)
でも書いたが私自身、安楽死はずっと否定的だった。だが、愛犬の苦しむ姿に楽にしてあげた気持ちと生かしておきたい気持ちとで葛藤した。葛藤に葛藤の末、苦渋の決断をしたのだ。それには獣医の背中を押す言葉があった。それがなければ多分決断できなかったのではないかと思う。だが決断後の苦しみは尋常ではなかった。私が愛犬の命の選択をしてしまったことに、後悔の念が襲ってきたのだ。私から一切の笑みが消えてしまっていた。愛犬の最期の瞳を思い出すたびに涙がこぼれ落ち、泣き崩れていたのだ。命の重さは例えようがない。(詳細は過去記事にあるので、読んで頂ければと思う)
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、そして深い呼吸をする。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、お力をお授け下さいますようにどうかお願い申し上げます」とのお祈りの時はほとんど意識は遠のいていた。おぼろげな状態になりながら、今度はコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてこの世の流れが変わりますようにと神様にお願いする。更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂き終了した。
618回目の瞑想
"死なせる権利”とは反対に”誕生させない権利”の問題もある。次がその問題に関する問答である。なお、ここでは受胎調節つまり避妊の意味で述べており、人口中絶のことではない。
ーーー産児制限をどう思われますか。
「人間には正しいことと間違ったこととを見分ける道義的判断力と、それを選択する自由意志とが与えられております。つまるところ動機(意図、魂胆)の問題です。何のために?ーーーこれを自らの良心に問いかけるのです。一度ならず何度でも問いかけてみるのです。その結果として選択したもの、それが何より大切です。他のことはどうでもよろしい」
ーーーでも、生命の誕生を阻止することは神の摂理に反することではないでしょうか。
「どうしても地上に誕生すべき宿命をもった霊は避妊しない夫婦を選んで誕生してきます。因果律は絶対です。一対の夫婦にとって新しい生命が誕生することが進化のためのプランに組み込まれておれば、それを阻止することはできません。本人(夫婦)自らそれを要望するようになるものです」
ーーー生まれてくることになっていれば夫婦の方でそれを望むようになるということでしょうか。
「そうです。その夫婦の進化の程度が新しい生命の誕生による影響を必要とする段階に達したということもあるでしょう」
ーーー当然それはより高い進化を意味するわけですね。
「いえ、必ずしも高いとは言えません。必ずしも低いとも言えません。中には肉体的快楽だけを求めてその結果(妊娠)は避けようとする者もいますので、この種の人間は別に扱わなくてはいけません。むろん私はそうした生き方は感心しません。その意図が同じく利己的でも程度が低いからです」
(訳者注一部抜粋ーーシルバー・バーチは利己性はすべていけないとは言っていない。人間界においては、たとえ愛に発する行為でも、大なり小なり利己性は免れないという。要は動機の程度が高いか低いかの問題で、”下賤な利己主義”という言い方もするわけである。これは極めて大切なことである。この点を正しく理解していないと安易な自己犠牲精神に駆り立てられ、その犠牲が何も生み出さずに無駄に終わって元も子もなくしてしまう危険性がある。別のところでもシルバー・バーチは、人類愛や博愛精神を説く一見崇高そうな人間の心の奥にも、霊界から見ると”オレこそは”といった自惚れと野心がうごめいているのがよく読み取れると言っている)
ーーーでも、それがもし生まれてくる子供にとって不幸だという考えからだったらどうでしょうか。(裏がえせば育児が面倒だということーー訳者)
「それが動機ということになりませんか。何事も動機に帰着します。摂理をごまかすことはできません。摂理は各自の魂に入力されております。そしてあらゆる行為、あらゆる思想、あらゆる観念、あらゆる願望が細大漏らさず魂のオーラに印象づけられていきます。霊の目をもって見れば、そのすべてが一目瞭然です。地上生活での行為がいかなる意図のもとに為されたかが明確に知れます。あなた方の魂は霊の目の前では裸も同然です」
今回もシルバー・バーチ霊の霊訓の中の「”苦”の哲学」からの続きである。安楽死に続いて産児制限の問題の質疑応答であるが、ここでもシルバー・バーチ霊は動機が問題であると言われている。但し、地上に誕生すべき宿命があれば、必ず誕生すると、因果律は絶対と断言されている。私達人間がこの世に生きているということは、この地上に誕生すべき宿命があったからということだ。また子を持つ持たないも、その夫婦にとっての進化に必要な状態になるのだ。子を持つ必要がない夫婦が無理をして人工的に子作りすることは如何なものなのか。霊的な目で見て考えるべきことだと思う。そして最後のシルバー・バーチ霊のお答えには初めて聞くお言葉があった。『摂理は各自の魂に入力されております。そしてあらゆる行為、あらゆる思想、あらゆる観念、あらゆる願望が細大漏らさず魂のオーラに印象づけられていきます』とのこと。確かにこれならごまかしようがない。シルバー・バーチ霊のような高級霊の方々が人間を見れば、その魂は裸同然なのだ。取り繕っても遅い。っというか、取り繕うことはできない。だからこそ日々の行いは誠実に正直に良心に照らし合わせて行動していく。このことを肝に銘じていかなければいけないのだ。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想も、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。そして深い呼吸をする。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、お力をお授け下さいますようにどうかお願い申し上げます」とのお祈りする。そして今度はコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂き終了する。
619回目の瞑想
ーーー霊は妊娠中のどの時期に宿るのでしょうか。
「異議を唱える方が多いことと思いますが、私は二つの種子(精子と卵子)が合体して、ミニチュアの形にせよ、霊が機能するための媒体を提供した時、その時が地上生活の出発点であると申し上げます」
今回もシルバー・バーチ霊の霊訓の中の「”苦”の哲学」の抜粋である。霊が宿るのは精子と卵子が合体した時と言われている。その時点で、命は宿っているのだ。だから堕胎することはやはり罪なのだ。私自身も常々そう思っていた。だが、こういった事実を知らない人は平気で堕胎をしてしまう。だが、前にシルバー・バーチ霊が言われていたように、魂には自分のしたことがきちんと刻まれてしまうのだ。向こうの世界へ行ってから、後悔の念で苦しむのは言うまでもない。だからこそ、霊的真理を知らなければならないのだ。神様の摂理に適った生き方をすることが、霊的に進歩向上できるのだ。地上生活で自分の欲望のままに生きればその瞬間は楽しいかも知れないが、それは一時のことなのだ。永遠に存在する魂として考えたら、その一時をどう生きれば良いかが自ずとわかるはずなのだ。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして深い呼吸をする。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、お力をお授け下さいますようにどうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。そのまま続けてコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂く。その後、この世の流れが変わるようにと唱えているとその思いが強まり、懇願していた。更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂き終了する
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620回目の瞑想
ーーー遺伝的に精神病を抱えた人の人生が、その肉体的欠陥のために地上体験から教訓が得られないという意味で無意味であるとした場合、その病気の遺伝を防ぐ目的で断種をするという考えをどう思われますか。
「私には、そして全宇宙のいかなる存在もみなそうですが、生命の法則を変える力はありません。一個の魂が物質界に誕生することになっている時は、それを阻止しようといかに努力しても、必ず誕生します。なぜかとお聞きになることでしょう。そこで私は再生の事実の存在を説くのです。それが理由です」
今回も昨日のシルバー・バーチ霊の霊訓の「”苦”の哲学」からの抜粋である。魂が物質界に誕生するべき場合は阻止できないと言われ、全宇宙のいかなる存在も生命の法則を変える力はないと断言されている。その理由として、再生の事実が存在すると言われる。この再生の問題はかなり難しいようだが、明日からは「再生の原理」の章から抜粋していきたいと思っている。私たちも再生してこの世に生まれてきているはずなので、難しくとも知るべきではないかと思っている。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、深い呼吸をしていたのだが気になることがあり、集中出来ず。呼吸は早めに切り上げて、しばらく気になることだけを考えた。それに集中していると、少しずつ気持ちが落ち着いて来たので、気持ちを切り替えていつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、お力をお授け下さいますようにどうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱えた。この間も少しそのことが浮かぶ。だが構わず唱えた。そしてコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂き、続けてこの世の流れが変わりますようにと唱える。最後に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂き終了する。
(このようにお祈りしながらも、神様の摂理に適う生き方の難しさを痛感する)
621回目の瞑想
”再生”ーー生まれ変わりーーはスピリチュアリストの間でも論議の的となっている問題で、とかく意見が食い違うことがある。シルバー・バーチはこれを全面的に肯定するスピリットの一人であるが、ただ従来の輪廻転生説にみられる機械的な生の繰り返しではなく、進化のための埋め合わせを目的とし、しかも生まれ変わるのは同一霊の別の意識層であるとする。次がそれについての問答である。
ーーー意識が部分的に分かれて機能することが可能なのでしょうか。
「今のあなたという意識とは別に、同じくあなたと言える大きな意識体があります。それのホンの一部(分霊)がいま地上という物質界でそのあなたを通じて表現されているわけです。そして、あなたのほかにも同じ意識体を構成する分霊が別の世界で表現されております。(訳者注ーーここでいう”意識体”は次の質問に対する答えの中に出てくる”内奥の霊的存在”と同じで、これを私は浅野和三郎氏に倣って”中心霊”と訳しておく)
今回はシルバー・バーチ霊の霊訓の中の「再生の原理」の中から記載してみる。今回の再生についての内容はかなり難しい。私達人間にはなかなか理解し難い事実が説かれている。順を追って考えてみると、元々霊界では自分と同じ霊恪の段階である霊の集まりの中にいると言われている。その霊の集まりがあなたと言える大きな意識体ということなのでないかと思う。それは霊の集まりではあるのだが、一個の大きな意識体を形成しているのではないかと思われるからだ。その中の分霊である今地上にいる私が物質界での体験をしている。更に私と同じ大きな意識体の中にいる別の分霊も他の世界でその世界を体験している。ということなのではないかと解釈しているのだが、もし別の解釈があれば、ぜひ教えて頂きたい。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂いたが、その時点でこみ上げてくるものがあり、自然と涙がこぼれ落ちていた。そのまま深い呼吸をする。深い呼吸の後、なぜか瞬間的に心が安らぐように安心感がみなぎった。このような状態で日々暮らせたらどんなに幸せであろうかと思う。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、お力をお授け下さいますようにどうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。そしてコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂く。続いてこの世の流れが変わりますようにとの願いも唱えた。最後に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をさせて頂き、霊的に進歩、進化向上させて頂けますようにとのお祈りは涙ながらに懇願するような唱え方になっていた。ヒーリングもさせて頂き終了する。
622回目の瞑想
ーーー個々が独立しているのでしょうか。
「いいえ、独立はしていません。あなたも他の分霊も一個の中心霊の側面です。つまり全体を構成する一部であり、それぞれがさまざまな媒体を通して自我を表現しており、時折その分霊同志が合体することもあります。合体したことに互いに気づかないこともありますが、それは表現し始めて間もない頃(霊的な幼児期)に限られます。そのうち共通の合流点を見出して最終的には全体として一つに再統一されます。
(マイヤースはその部分的存在を”類魂グループソウル”と呼んでいるーー訳者)
今回も昨日の続きで「再生の原理」からである。しばらく続けようと思う。霊の集まりである大きな意識体=中心霊の(それぞれの霊恪の段階での)私達人間は分霊であり、側面ということなのだと思う。なので私たちは中心霊を構成する一部なのだ。そして現在この世に生まれて肉体という媒体を通して自我を表現し、体験している霊なのだ。また、媒体を通して表現間もない場合は分霊同志合体することもあると言われている。私にはなかなか想像できないが、そういうこともあるのだろう。だが、最終的には一つに再統一されるらしい。訳者の方がマイヤースが類魂と言われていると書かれているが、聞き慣れた言葉である。これは一般の方も知っている言葉だと思うので、こういった言葉で説明されるとわかりやすいのかも知れない。
今日の瞑想やヒーリングでは、一切のことをやめて、心を無にするためにただただ瞑想に没頭させてもらった。いろいろな映像が浮かんでは消えていった。なぜかとても心地よかった。最後終了間近に身体にバイブレーションを感じた。このように、お祈りもヒーリングもせずに、また何も考えずに心を清めるためだけの瞑想も必要だと今日試みて強く感じたのである。しばらく、昔のように瞑想だけに没頭してみようと思う
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623回目の瞑想
ーーー個々の意識は自らの進化に自らが責任を負い、他の分霊の体験による恩恵は受けないというのは本当でしょうか。
「その通りです。個々の霊は一つの中心霊の構成分子であり、さまざまな形態で自我を表現しているわけです。進化するにつれて小我が大我を意識して行きます」
(訳者注ーーマイヤースは、”類魂”の説明の中で他の仲間の体験を自分のものとすることができると述べている。ここでシルバー・バーチはそれを否定するかのようなことを述べているが、マイヤースが喜怒哀楽を中心とした体験を言っているのに対して、シルバー・バーチは例によって因果律の観点から述べているのであって、たとえ同じ類魂同志とはいえ、他の仲間の苦難の体験によって罪業が中和されたりすることはないという意味に解釈すべきである)
今回も前回の続きである。私自身も昔読んだ本に類魂同志がそれぞれの体験を共有することができるので、自分の体験とすることができるとの内容が書いてあった。なのでちょっと疑問に思ってしまった。マイヤースの本だったかどうかは今は全く覚えていないのだが。だが訳者の方の意見を読んで、類魂同志の体験を共有し、自分の体験とすることができても、他の分霊に代わってその罪を償うことはできないという
解釈の仕方なのかも知れない。このことは頭に入れておこうと思う。
今日も瞑想のみを行う。最初はいろいろな目の映像だった。目は心の窓とも口ほどに物を言うとも言われ、目で相手の気持ちがわかってしまうほど重要なものだ。しばらくは目がクローズアップされていた。その映像が終わると今度ははっきりと認識できない映像が続いた。そしてしばらくすると今度は下方から光の塊が画面一杯に何度も何度も上がってきた。するといきなり教会が映し出され、真正面には大きな額縁があったのだが、そこに人間のお顔が次々と映し出されたのだ。直感だったが、一番最初はイエスキリスト様だと感じた。しかも若い時のお姿のようで、もちろん私はそんなお姿は見たこともないのだが、イエス様だと感じた。それから、追いつけない早さでどんどんと変わって行くのだが、ガリレオ、ナイチンゲールが心に浮かんだ。終わってからネットで調べると、まさしくそのお顔であったのだ。かなりの人数だったのでその方達以外はその時も今もわからないままだ。でも有難い気持ちで終わることができた
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602回目の瞑想
ーーー肉体の病気は霊的な進化を促進するかも知れませんが、同時にその逆もあり得る、つまり性格を損ねることもあるでしょう。
「損ねることもあるし損ねないこともあります。どちらのケースもあります。病気になるのは摂理に反したことをするからです」
今回はシルバー・バーチ霊の霊訓からの抜粋で、病気についてだ。人間は病気に対して、恐怖もある。病気にならないようにと、いろいろと健康に気遣っていても、病気になってしまう。それはその考え方が間違っているからに他ならない。シルバー・バーチ霊が言われるように病気になるということは、摂理に反したことを無意識にしてしまっているからなのだろう。この事も霊的なことについて全く知らない人にとっては、病気というだけで心が恐怖心でいっぱいになる。だが、恐怖心は人間にとって最も敵であるとも言われているのだ。新型コロナウィルスに関しても同じだと思う。政府やメディアでどれだけ煽られようとも霊的なことを信じている人は恐怖心にはつながらない。護られていることを実感していれば、怖がる必要はないのだ。またすべて神様にお任せする気持ちでいれば、その病気に罹ろうが罹るまいが、どちらでも受け入れることができる。これはやはり瞑想や精神統一またお祈りなどで、背後霊やご守護霊様との結びつきを強くすることで、このような気持ちは高まるのだと思っている。この世は今後もどのような事が起きるかわからないが、常に霊界との結びつきを強固にしておくことで、克服できると信じている。
今朝の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、続いて深い呼吸をする。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。神様の偉大なるお光りに同調できますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。宙に浮いているような感覚になる。更に温かい光りで全身を包んで頂いているような感覚にもなった。心の安堵感が全く違う。心の済んだ想いで、今度はコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂いた。
ブログ記事より
武漢ウイルスワクチン特例承認取消等請求事件の
【第一回口頭弁論】が
本日10月12日(火)13:30東京地裁703号法廷で行われます。
皆さんの参加お待ちしております。
(席数に限りがある為、立見の可能性がありますが悪しからずご了承ください)
15:30 開場開始
16:00 記者会見開始
18:00 記者会見終了
その後、裁判の詳細等、会見と報告を16時より下記のURLで配信します。
603回目の瞑想
ーーーではあなたは病気または病気に相当するものは絶対不可欠のものとおっしゃるわけですね。
「いえ、私は病気に相当するものとは言っておりません。何らかの"苦”に相当するものです。人間には自由意志がある以上、選択の仕方によって楽しい体験となったり苦しい体験となったりするのは当然でしょう。」
ーーーそれは分かります。苦しみを味わわなければ幸福も味わえないからです。が、どうも私には、もしもあなたがおっしゃるように、こういうことがあれば必ずこういう埋め合わせがあるというのが事実であれば、世の中を良くしようとして苦労する必要は無さそうに思えるですが・・・
「人間に選択の自由があるのに、ほかにどうあって欲しいとおっしゃるのでしょうか」(続く)
今回も昨日のシルバー・バーチ霊の霊訓からの続きである。病気も苦に相当するものであることに変わりはないが、苦に相当するものは病気以外にもこの世にはいっぱいある。それを選ぶのは人間なのだ。限定的ではあるが自由意志で選ぶことができる。それによって、苦楽の体験をしているのだ。だが、その自由意志で選んだことが正しいかどうかはわからない。一時的に楽しい体験をしたとしても、それが霊的に正しいかどうかはわからないのだ。それは苦しい体験をしたとしても同じだ。だがむしろ苦しい体験の方が正しかったりもする。なのでこの質問者の質問の意図はよくわからないが、埋め合わせは自分が選んだ結果起こることなのだと思う。更に質問は続くので、明日記そうと思う。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して精神統一していこうと思う。
今朝の瞑想では、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。そして深い呼吸をしようとするが、気が散って集中できなかった。なので短めに切り上げた。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかどうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。そして今度はコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂く。更にこの世の流れを神様の摂理に適った流れになるようにと懇願し、地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をし、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いたのだ。
昨日の裁判の様子を克明に書いて下さった方のブログです。
ぜひご覧下さいませ。
604回目の瞑想
ーーーわれわれ人間は(取り立てて人のためと説かなくても)常に世の中を良くしてきているということです。
「でもそれは、世の中を良くしたいという願望に燃えた人がいたからこそですよ。魂に宿された神性が自然な発露を求めた人たちです。神の一部だからこそです。かりに今日要求したことが明日、法の改正によって叶えられても、明日はまた不満が出ます。進化を求めてじっとしていられない魂が不満を覚えるのです。それは自然の成り行きです。魂が無意識のうちにより完全へ近づこうとするからです。今日の地上の不幸はその大半が自由意志による選択を間違えたことに起因しています。それには必ず照合がなされ、さらに再照合がなされます。そうすることで進歩したり退歩したりします。そうした進歩と退歩の繰り返しの中にも少しずつ向上進化が為されております。先んずる者もあれば後れを取る者もあります。先を行っている者が後れている者の手を取って引き上げてやり、後れている者が先を行き過ぎている者にとって適当な抑制装置となったりしています。そうやって絶え間なく完成へ向けての努力が為されているわけです。が、その間の人生のあらゆる悲劇や不幸には必ず埋め合わせの原理が働いていることを忘れてはなりません」
今回も昨日のシルバー・バーチ霊の霊訓からの続きである。今回のシルバー・バーチ霊が言われる内容には大変に考えさせられたのだ。今のこの世の有り様に当てはめてみると、今まで国に対してここまで疑心暗鬼になることはなかった。もちろん、国に対してだけではない。医療に対しても同様だ。これは新型コロナウィルスのおかげとも言えるが、自由意志の選択を間違えて来てしまった結果なのだ。だが、言われているように、ここで国や医療に関して、私達の要求することが叶えられたとしても、また不満は出て来るのだろう。そうやって進歩と退歩の繰り返しをしながら、牛歩の歩みかも知れないが、少しずつ進化していくということを教えて頂いた。それが人間のこの世での修行なのだと思う。そして一番肝心なことは、この度も沢山の方が路頭に迷われている。更にワクチン接種で亡くなった方や副反応で重篤化し苦しんでいる方も沢山おられるのだ。だがそのあらゆる悲劇や不幸の埋め合わせは必ず働くことを忘れてはならないと言われている。このお言葉に、本当に心から有難いと思った。それが神様の摂理なのだ。すべての人間に絶対的な公平が与えられているということなのだ。だからと言って、私はこれから先も苦しんでいる方達のお祈りとヒーリングは続けて行くつもりだ。私にできる精一杯の事をさせて頂こうと思っている。けれど酷い目にあった方達にとって、埋め合わせがあるということは本当に救いだと心から胸をなで下ろした次第である。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、深い呼吸をする。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。するとやはり温かい光に包まれているように感じて、更に気持ちが安らぐ。そのままコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてこの世の流れが変わりますようにとの願いに力が入った。更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂いた。
Twitter記事より
今日の法廷では木原弁護士が投げ飛ばされた話ばかりがクローズアップされましたが、実際に読み上げた意見陳述がこちらです。
救済されないワクチン死者、人口削減ワクチンであることが明らか、不妊リスクが否定できない。などしっかりと発言してくれました。
木原弁護士の意見陳述はこちらです
↓
ぜひ、お読み頂けますようお願いします。
605回目の瞑想
ーーー葛藤や苦悩は霊的進化にとって不可欠なら、それは霊界においても必要なのではないでしょうか。なのに、あなたはそちらには悪と邪の要素が無いようにおっしゃっています。
「ご質問者は私の申し上げたことを正しく理解していらっしゃらないようです。私は邪と悪には二種類あるーーこの”悪”という言葉は嫌いなのですがーーすなわち既得権に安住している利己主義者によって生み出されているものと、人類の未熟さから生まれるものとがあると申し上げたつもりです。私達の世界には邪悪なものは存在しません。もちろん死後の世界でもずっと低い界層へ行けば、霊性があまりにも貧弱で環境の美を増すようなものを何も持ち合わせない者の住む世界があります。が、そうした侘しい世界を例外として、こちらの世界には邪悪なものは存在しません。邪悪なものを生み出す原因となるものが取り除かれているからです。そして、各自が霊的発達と成長と進化にとって、適切かつ必要なことに心ゆくまで従事しております。
葛藤や苦悩はいつになっても絶えることはありません。もっともその意味が問題ですが・・・地上では人間を支配しようとする二つの力の間で絶え間ない葛藤があります。一つは動物的先祖とでもいうべきもの、つまり身体的進化に属する獣的性質と、神性を帯びた霊、つまり無限の創造の可能性を付与してくれた神の息吹きです。その両者のどちらが優位を占め維持するかは、地上生活での絶え間ない葛藤の中で自由意志によって選択することです。私たちの世界へ来てからも葛藤はあります。それは低い霊性の欠点を克服し、高い霊性を発揮しようとする絶え間ない努力という意味です。完全へ向けての努力、光明へ向けての努力というわけです。その奮闘の中で不純なものが捨て去られ、強化と精錬と試練を経てようやく霊の純金が姿を現します。私たちの世界にも悩みはあります。しかしそれは魂が自分の進歩に不満を覚えたことの表れであって、ほんの一時のことに過ぎません。完成へ向けての長い行進の中での短い調整期間のようなものです」
今回はシルバー・バーチ霊の霊訓の中からの抜粋である。邪悪についての問題であるが、やはりシルバー・バーチ霊は、既得権に安住している利己主義者を邪悪とされている。今の時代を見てもそれは変わらない。相も変わらず既得権に安住しっぱなしというか固執している。だからこそ利己主義になるのであろう。もう一つの人類の未熟さというのは、利己主義者にも言えなくはないと思う。だが単純に未熟というのであれば、邪悪とまでは言い切れないような気もする。どちらにしても、悲しいことにこの世は邪悪というものがあるのだ。だが、霊界には邪悪なものは存在しないと言われる。また、各自が霊的発達と成長と進化にとって、適切かつ必要なことに心ゆくまで従事できるとも言われており、そのことを聞いただけでも、この世よりも霊界での住みやすさが窺える。葛藤や苦悩は霊界でもあると言われるが、この世の葛藤や苦悩とは大違いだ。地上は人間を支配しようとする二つの力の間での葛藤で、身体的進化に属する獣的性質と神性との葛藤なのだ。どちらを選ぶかはその人間の自由意志で決まる。だが霊界での葛藤は高い霊性を発揮しようとする努力、完全へ向けての努力、光明へ向けての努力などに対してであり、悩みは魂が自分の進歩に不満を覚えた時であると言われる。しかもそれはほんの一時であり、完成へ向けての短い調整期間と言われている。そのような魂を成長させる葛藤や悩みを抱えたいものである。もちろん、この世に生きているということは、この世の葛藤や苦悩を乗り越えねばならないことはわかる。だが、人間いや霊の真髄である葛藤や苦悩を体験することが本望なのだと魂はわかっているのだと思う。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。そして深い呼吸をし、その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。そして今度はコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる世界中の方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。苦しんでいる方々をお救い下さいと唱えていると、”菩提樹”という言葉が浮かんだ。菩提樹はお釈迦様が悟りを開かれた場所だったはず。何か関係があるのだろうか。続いてこの世の流れが変わりますようにという願いも唱えた。更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂いた。
606回目の瞑想
ーーーでも、葛藤と進歩、それに努力の必要性は常にあるわけでしょう。
「おっしゃる通りです。だからこそ私は先ほど言葉の解釈の仕方が問題だと申し上げたのです。自然界の常として、より高いものがより低いものを無くそうとします。人間は低い段階から高い段階へ向けて成長しようとする進化性をもった存在です。進化するためには光明に向けての絶え間ない葛藤がなければなりません。その場合の葛藤は成長のための必須の過程の一つであるわけです。先ほど私が言いたかったのは、地上には不必要な葛藤、無益な努力が多すぎるということです。それは自由意志の使用を過って、薄汚い知恵、病気、スラム街といった、あってはならない環境を生み、それが霊界からの働きかけをますます困難にしているのです」
今回もシルバー・バーチ霊の霊訓の中の昨日の続きである。人間は低い段階から高い段階へ向けて成長しようとする進化性をもった存在だと言われている。このことを心に留めている人間はどれほどいるのだろう。ただただ毎日の生活に追われ、何とかその日過ごしているのではないだろうか。増して今のこのような状態にあっては不平不満は感じていても、成長しようなどとは、なかなか思えないのではないかと思う。だがシルバー・バーチ霊はこういう困難な時にこそ、うちなる魂が目覚めるチャンスだと常々言われている。ドン底を味わった人は葛藤に葛藤を重ね苦悩したあげくに藁をも掴む気持ちになる。何かに救いを求める時が来る。その時こそ、最大のチャンスなのだ。それは進化のための葛藤や苦悩なのだと思う。また霊性を高めることにもなるのだと思う。無駄な葛藤や努力は自分のためには決してならないのだ。自分自身を高めるための努力を日々して行くことが肝要なのである。だがそれを行うためにはまずは人間は霊であるということを知らねばならないのだ。一人でも多くの方にこのことを知ってもらうことが切なる願いなのである。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、そして深い呼吸をしていたのだが、既に意識が遠のいたり、戻ったりしていた。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りの時もほとんど意識が遠のいていて、別空間にいるようだった。少し戻りかけてきたので、今度はコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。この時はエネルギーの強さを体中で感じていた。続いてこの世の流れが変わりますようにと神様にお願いした。更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂いた
。
607回目の瞑想
ーーー神は完全無欠ですか。
「あなたのおっしゃる神が何を意味するかが問題です。私にとって神々は永遠不変にして全知全能の摂理としての宇宙の大霊です。私はその摂理にいかなる不完全さも欠陥も不備も見つけたことがありません。原因と結果の連鎖関係が完璧です。この複雑を極めた宇宙の生命活動のあらゆる側面において完璧な配慮が行き渡っております。例えば極大から極微までの無数の形と色と組織をもつ生物が存在し、その一つ一つが完全なメカニズムで生命を維持している事実に目を向けて頂けば、神の法則の全構図と全組織がいかに包括的かつ完全であるかを認識されるはずです。私にとって神とは法則であり、法則がすなわち神です。ただ、あなた方は不完全な物質の世界に生活しておられるということです。
物質の世界に生きておられる皆さんは、今のところはその物質界すら五つの物的感覚でしか理解できない限られた条件下で限りある精神を通して自我を表現しておられるわけです。物的身体に宿っている限りは、その五感がまわりの出来事を認識する範囲を決定づけます。それ故あなた方は完全無欠というものを理解すること自体が不可能なのです。五感に束縛されている限りは神の存在、言いかえれば神の法則の働きを理解することは不可能です。その限界ゆえに法則の働きが不完全に思えることがあるかも知れませんが、知識と理解力が増し、より深い叡智をもって同じ問題を眺めれば、それまでの捉え方が間違っていたことに気付き始めます。物質の世界は進化の途上にあります。その過程の一環として時には静かな、時には激動を伴った、さまざまな発展的現象があります。それは地球を形成していくための絶え間ない自然力の作用と反作用の現れです。常に照合と再照合が行われるのです。存在していくための手段として、その二つの作用は欠かせない要素です。それは実に複雑です。」
今回はシルバー・バーチ霊の霊訓の中の「神とは」の中から抜粋してみた。シルバー・バーチ霊は神様は法則だと言われている。だが私達人間は神様を法則だと思っている人は少ない。っというかほとんどいないのではないかと思う。それはやはりシルバー・バーチ霊が言われる「五感に束縛されている限りは神の存在、言いかえれば神の法則の働きを理解することは不可能」だからだ。なので、不幸な目に合うと「なぜ神様はこのようなことをされる。神も仏もない」などと思ってしまうのだ。だが、霊的なことを知り、知識や理解が深まるにつれ、同じことが起こっても捉え方が全く違うものになる。また地球自体が形成されるためには作用と反作用が欠かせないと言われている。けれど私達人間は、この世にあって物的身体に宿っているうちは、どうあってもなかなか複雑なことは理解できないと思う。それこそ霊の目をもって見ないとわからないのだ。だがわからなくても、神様が永遠不変にして全知全能の摂理として厳然とおられることは事実なので、絶対的な信心を養うことが肝要なのだと思う。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想も、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして深い呼吸をし、その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りする。そして今度はコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂いた。
ブログ記事より
先日の武漢ウイルスワクチン特例承認取消等請求事件の裁判での出来事を動画にして下さっている。
これは日本国民が知るべき権利があると思うので、拡散して広めて頂ければと思う。
動画を加工し直しました!それだけに飽き足らずエフェクトも追加しました笑
お手数ですがまた拡散の程よろしくお願いします!
第1回口頭弁論お疲れ様でした!!
凄まじい1日だったと思います!
裁判官の怒号、折れない木原弁護士と民衆!
見てて聞いてて涙が出ました。本当にここからです。
多くの人にこの裁判を知ってもらうべく動画を作りました!
シェアよろしくお願いします!
608回目の瞑想
ーーー神は完全だとおっしゃいましたが、我々人間が不完全であれば神も不完全ということになりませんか。
「そうではありません。あなた方は完全性を具えた種子を宿しているということです。その完全性を発揮するための完全な表現器官を具えるまでは完全にはなり得ないということです。現在のところではその表現器官がきわめて不完全です。進化して完全な表現器官、すなわち完全な霊体を具えるに至れば完全性を発揮できるようになりますが、それには無限の時を要します」
ーーーということは神のすべての部分が完全の段階に至るのにも無限の時を要するということでしょうか。
「違います。神は常に完全です。ただ現在物質の世界に人間という形態で顕現されている部分の表現が不完全だということです。それが完全な表現を求めて努力しているということです」
今回もシルバー・バーチ霊の霊訓の中の「神とは」の昨日の続きである。しばらく神についての質疑を続けてみようと思う。神様は法則であり、完全だということはシルバー・バーチ霊が何度も説かれているので、私自身はそのことを信じているし、得心している。今回は人間についての箇所が非常に勉強になった。完全性を備えた種子は内なる魂ということと同じだと思う。内なる魂に目覚めて発揮できるのは表現器官が完全ではなければいけないと言われている。だが、それには無限の時を要するとも言われている。やはりこの世で可能になることはないということになる。その完全を目指して努力していくことがこの世の与えられた使命ということなのだろう。それでも落胆せずに頑張って行く以外に道はない。なぜなら努力は必ず実を結ぶ時がくるからだ。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして深い呼吸をする。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。同調させて頂けますようにと唱えた時にまた込み上げてくるものがあった。涙もこぼれる。そのまま続けてコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂く。そしてご依頼のあった猫ちゃんのヒーリングもさせて頂いた。実際に撫でているような感覚になり、毛並みの感触、そして痩せ細っていることも実感できた。そのまま身体に手を当てている状態をイメージしていると、頼ってくるような人懐っこいような感覚も感じた。少しでも良くなって欲しいとの思いが沸き起こった。その後、この世の流れが変わりますようにとも祈った。更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂いた。
ブログ記事より
ワクチンの特例承認取消請求訴訟を起こされた方々が、更にワクチンの被害に
あわれた方々の相談窓口を設置された。本当に有難いことだと思う。
ぜひ、泣き寝入りせずに、被害にあわれた方は相談されて欲しい。
必ず、親身になって相談に乗って下さると思うので、被害にあわれた方を知ってらっしゃる方も
ぜひ、この相談窓口を教えてあげて欲しい。
拡散希望します!!
被害者遺族の方からの依頼で作りました。
遺族の方々は今、世間と戦っていますよ。
実際に親族を亡くされたことで、この危険性を多くの方に伝えようと活動しています。心無い中傷誹謗もあるんです。冷たい眼差しで見られる事もあるそうです。でも、この無念を晴らそうと、そして、危険なものを世間に知ってもらおうと必死なんです。今まで健康で一緒にいた伴侶が、身内が突然いなくなる寂しさ。。
私の母もそうでした。
突然亡くしたショックは、私にも痛いぐらい伝わったあの出来事。30年前に感じた、あの時のあの辛い思いがリンクします。。。これで大丈夫。と、喜び勇んで接種会場に行き、収束後の未来を話した翌日に変わり果てた姿を見たショックは計り知れないものだったことでしょう。。。
全国に同じような苦しみ、後悔されている方々が沢山います。その方々は、どこに言えば良いか、どこに行ったら話を聞いてもらえるか、路頭に迷っていると聞きました。この様な被害者の方々に、少しでも寄り添い、無念を晴らす、危険を促す手伝いが出来ればと思います。日が経つたびに風化していく世の中ですが、遺族の方々の後悔は増すばかりです。
一人でも多くの方が気付き、声を上げることが、無念の思いで亡くなった方々の葬いになると思います。そして、これから出てくる健康被害を少しでも緩和出来ればと思います。
609回目の瞑想
ーーーそれを譬えて言えば、ある正しい概念があって、それが人によって間違って理解される使用されているようなものでしょうか。
「その通りです。しかし、それも一歩ずつではあっても絶えず理想へ近づいていかねばなりません。完全は存在します。それを私は、あなた方は本当の自分のほんの一欠片ほどしか表現していないと申し上げているのです。もしも現在のその身体を通して表現されている一欠片だけであなたを判断したら、きわめて不当な結論しか出て来ないでしょう。が、それは本当のあなたの一部分に過ぎません。もっと大きなあなた、もっと大きな意識が存在し、それが今もあなたとつながっているのです。ただそれは、それに相応しい表現器官が与えられないと発揮されないということです」
ーーーお聞きしていると神が一個の存在でなくなっていくように思えます。独立した存在としての神はいるのでしょうか。
「真っ白な豪華な玉座に腰掛けた人間の姿をした神はいません。神とは一個の身体を具えた存在ではありません。法則です」
今回も昨日のシルバー・バーチ霊の霊訓の続きである。頭では理解しているつもりでも、今回の内容は実感として感じるにはまだ無理なようだ。私達人間は身体を通して表現している一欠片だけしか現れていないと言われている。実は大きな自分、大きな意識が存在し、今現在もつながっていると言われ、その大きな意識はそれに相応しい表現器官が与えられないと発揮されないと言われるのだ。それには、常日頃シルバー・バーチ霊が言われるように人へ奉仕の実践に日々内なる魂と向き合う時間を作ることで得られるのだと思う。だが、簡単ではない。簡単に手に入れられるのだとしたら、そこまでの価値はないのだから。また神様は法則と言われる。そう言われればそうなのかと思うのだが、なかなか実感として捉え難い。この世にいるうちは漠然と思っていくしかないのだと思う。ただ私はどのような形であっても神様の存在だけは固く信じている。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、深い呼吸をする。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。そしてコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂く。その後またご依頼の猫ちゃんのヒーリングをさせて頂いた。今回はほとんど意識が遠のいていた。意識が戻りかけたので、今度はこの世の流れが変わりますようにと強く唱える。最後に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂き終了する。
610回目の瞑想
ーーーそれに心が具わっているわけですか。(ここでは"心”を"精神”と置きかえて考えてもよいー訳者)
「心というものは、あなた方のような身体だけに限られたものではありません。法則を通して働いているのです。心を脳味噌と切り離して考えないといけません。意識というものはそのお粗末な脳細胞だけを焦点としているのではありません。意識は脳とは完全に独立した形でも存在します。その小さな脳という器との関連で心の働きを考えるのは止めないといけません。
心はそれ自体で存在します。しかし、それを自覚するには何らかの表現器官が必要です。そのために人間に幾つかの身体が具わっているわけです。(※)身体を具えない状態を想像することは可能であり、その状態でもあなたは厳として存在しますが、あなたを表現する手段がないことになります。(※シルバー・バーチは身体のことをbodiesという複数形で用いることがあるが、それが幾つあってどういうものであるという細かい説明はしていない。ー訳者)
神という
存在を人間に説明するのはとても困難です。人間には独立した形態を具えた存在としてしか想像できないからです。言語や記号を超越したものを地上の言語で説明しようとするのが、そもそも無理な話です。創造の本質に関わることなのです。神という存在をどこかのある一点に焦点をもつ力であるとは言えません。そんなものではないのです。神とは完全な心ーーー初めも終わりもなく、永遠に働き続ける完璧な摂理です。真っ暗だったところへある日突然光が射し込んだというものではありません。生命は円運動です。始まりも終わりもありません」
今回も昨日に続き、シルバー・バーチ霊の霊訓の中の「神とは」である。今回の内容もとても難しい。私達人間には理解できることではないように思う。心や意識、そして精神などが脳とは別ということは納得である。私も常々そのように思っていた。ただ、心はそれ自体で存在できるが、何らかの表現器官が必要でそれが人間の身体に具わっていると言われている。だが身体を具えない状態も可能で厳然と存在しているが、表現する手段がないとのこと。これはこの世に限ってのことなのだろう。霊界では肉体での身体はないが(もちろん幽体や霊体はあるが)各々をキチンと認識できると言われてもいるのだから。神様についてはこの世で理解しようとしてもやはり無理がある、と私も思う。わからなくてもこの自然を創造されたお力だと思えば、それだけで十分に信じるに足るものと私は感じている。ただ、始まりも終わりもないということには想像することすらできない。それだけ深淵だということなのだろう。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして深い呼吸をし、その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。次にコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂く。今日も猫ちゃんのヒーリングをさせて頂く。今回も実際に撫でているような感覚があった。そして気持ちを切り替えてこの世の流れが変わりますようにとの願いを唱えた。最後に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂き終了する。
611回目の瞑想
ーーー宇宙の隅々まで神が存在するのと同じように、我々一人一人にも神が宿っているとおっしゃるわけですか。
「私の言う神は、全創造物に顕現されている霊の総体と離れて存在することはできません。残念ながら西洋世界の人は今もって人類の創造をエデンの園(アダムとイブの物語)と似たような概念で想像します。実際はそれとは全く異なるのです。宇宙の進化は無窮の過去から無窮の未来へ向けて延々と続いております。かつて何も無かったところへ突如として宇宙が出現したのではありません。宇宙は常にどこかに存在します。生命は何らかの形態で常に顕現してきました。そしてこれからも何らかの形で永遠に存在し続けます」
今回も昨日の続きである。昨日の内容の重複になるが念を押されているように感じる。人間の人類の想像の概念は全く違うと断言されている。そして宇宙は突然に現れたわけではなく、常に存在していたと言われ、これからも宇宙も生命も永遠に存在し続けると言われる。要するに初めも終わりもないと言われているのだ。このことは何度聞いても、やはり想像することがなかなかできないし、更にいろいろな疑問が湧き上がる。だが、シルバー・バーチ霊にお聞きすることができない以上、この世にいるうちは理解することが出来ないと言う事で、今は納得するしかないように思う。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。この時にいきなりこみ上げてきて涙が出そうになる。だが構わず深い呼吸をする。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお力をお授け頂けますようにお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。次にコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂く。一人でも多くの方が救われるようにと神様にお願いさせて頂いた。更に猫ちゃんのヒーリングをさせて頂く。するとミャアミャアという鳴き声が聞こえたように感じた。少しは元気になって来ているのだろうか。そしてこの世の流れが変わりますようにと唱える。最後に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂き終了する
。
612回目の瞑想
ーーー子供には神のことをどう説いて聞かせたらよいでしょうか。
「説く人自らが全生命の背後で働いている力について明確な認識をもっていれば、それは別に難しいことではありません。私だったら大自然の仕組みの美事な芸術性に目を向けさせます。ダイヤモンドの如き夜空の哱の数々に目を向けさせます。太陽のあの強烈な輝き、名月のあの幽玄な輝きに目を向けさせます。あたかも囁きかけるようなそよ風、そしてそれを受けて揺れるマツノ林に目を向けさせます。さらさらと流れるせせらぎと、怒濤の大海原に目を向けさせます。そうした大自然の一つ一つの動きが確固とした目的をもち、法則によって支配されていることを指摘致します。そして更に人間がこれまで自然界で発見したものはすべて法則の枠内に収まること、自然界の生成発展も法則によって支配され規制されていること、その全体に、人間の想像を絶した広大にして入り組んだ、それでいて調和した一つのパターンがあること、全大宇宙の隅々に至るまで秩序が行き亘っており、惑星も昆虫も嵐もそよ風も、その他あらゆる生命活動がーーーいかに現象が複雑を極めていてもーーーその秩序によって経綸されていることを説いて聞かせます。
そう説いてから私は、その背後の力、すべてを支えているエネルギー、途方もなく大きい宇宙の全パノラマと、人間にはまだ知られていない見えざる世界までも支配している奇(くしび)な力、それを神と呼ぶのだと結びます」
今回も前回の続きのシルバー・バーチ霊の霊訓の「神とは」からの最後の抜粋である。子供に神様のことをどう説けばいいかの問いに対してのシルバー・バーチ霊の答えは圧巻である。私達人間には神様についての明確な認識をもつ人は皆無であると思われる。けれど、シルバー・バーチ霊のお答えの中に、ごくごく自然な私たちがよく目にする自然界そのものがすべて神様のお力であると言われている。更には大宇宙にまでそのお力は及ぶのである。それを思っただけで神様とは如何に偉大で崇高であるかがわかる。それは子供というよりも、私たち人間に諭しておられるように思えるのだ。霊的真理の真髄であり、深淵なこの内容に感動しかない。
今日の瞑想やヒーリングでは、深い呼吸をし、精神統一を試みる。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。続いて深い呼吸をする。いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお力をお授け下さいますようにお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。唱えている時に神々しいお光りが眼前に広がる。何とも言えない安らぎ感を覚える。そのままコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。猫ちゃんのヒーリングもさせて頂く。また世界中の流れが神様の摂理に則った流れに変わりますようにともお祈りする。そして最後に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂き終了する。
591回目の瞑想
(問)幽霊現象、たとえば僧院の道を僧侶が歩く、このようなことが機械的に繰返される幽霊現象、その原因は何ですか。
答「幽霊は霊魂が起こす。しかし今のあなたの質問のような場合は念が強く地上に印象されていて、その印象がふらふら現れるという場合である。だが、一般に皆さんのいう幽霊とは、地縛霊の仕業である。」
今回もシルバー・バーチ霊の霊訓からの抜粋で、幽霊現象について記されている。最初の念で印象がふらふら現れるというのは初め知った。念というものも実体があるということなのだろう。人を呪わば穴二つというが、念だけで人を殺すこともできる。だが、それが回り回って自分に返っても来るのだ。また幽霊は地縛霊であるということは知っていた。なので、よく肝試しなどで、病院の跡地のような廃墟に化した場所へ行く人もいるが、類友の法則で、その場にいる地縛霊を持って帰る場合もある。出来れば、幽霊が出ると言われるような場所には近づかない方が賢明である。その後の人生に影響が出るのは言うまでもないことだろう。
今朝の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして深い呼吸をする。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。神様の偉大なるお光りに同調できますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。その間、映像が出現したのだが、いろいろな波が四方八方から押し寄せてくるものだった。キラキラ光る波に見入ってしまっていた。そして今度はコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂いた。
592回目の瞑想
(問)地上で邪悪な生活を送り、他界に入ってからも悔い改めないということがありましょうか。
答「それは大いにある。そういう状態のままで、何百年も、時には数百年もそうしている者が沢山いる。」
(問)そういう霊魂が人間に害を及ぼすということがありますか。
答「両者の間に引き合うものがあればそうなる。皆さんにぜひ知って貰いたいことは、霊魂の憑依とは、霊魂が原因ではなく、人間の側に原因があるということである。つまり人間がそういう憑依の条件を作るからである。人がもし調和と正見をもち、奉仕に心掛け、利己心や悪意や欲望を持たずに、生活を貫くなら、憑依は絶対に起こらない。」
今回もシルバー・バーチ霊の霊訓からの抜粋である。この世で行ったことは善悪どちらでも、その結果は他界しても変わらないということだ。変わらないどころか、そのままの状態で何百年もの間いる場合もあると言われている。いかにこの世での行いが大切な事なのかがわかる。また憑依についてだが、私自身霊媒としてお仕えさせて頂いていた時に、シルバー・バーチ霊が言われるように人間側に原因があるということを感じていた。それは何度招霊して浄霊しても、人間の気持ちや行いが変わらない限り、また同じような霊が憑依してきていたからだ。堂々巡りなのである。自分自身が変わらない限り、類友の法則で、憑依は起きる。常に明るく前向きで、落ち込まないことが鉄則のように感じている。もちろん、シルバー・バーチ霊が言われるような姿勢であれば、霊魂が憑依したくても出来ないということだ。
今朝の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、そして深い呼吸をする。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかどうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。なぜか唱えていると涙がこぼれてきた。そして今度はコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂いた。
593回目の瞑想
(問)花や草木にも意識がありますか。
答「皆さんの言う意識とは違うが、植物も、人間にはまだ分かっていない波長に反応を示す。しかし、たまたま植物の波長の秘密を発見して、この波長を使って植物と交信することの出来る人は沢山いる。」
今回もシルバー・バーチ霊の霊訓からの抜粋をしてみた。神様が創造されたものにはみな霊が宿っていると言われている。なので、やはり花や草木などにも意識はあるのだ。私自身は植物の波長の秘密は知るよしもないが、植物から感じることはあった。また植物と交信できる人がいることも知っている。なので、物言わぬ植物でも、踏みつけたりしてはいけないということなのだ。神様が創造されたすべて命あるものに対しては、優しい心で接することが大事ということだ。
今朝の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして深い呼吸をし、その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。そして今度はコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてこの世の流れが変わりますようにとも、心から願った。更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂いた
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594回目の瞑想
(問)貴方にも死の恐怖がありましたか。
答「いいえ、私達インディアンはみな霊魂を認めているから、死は少しも恐ろしいものではなかった。私達は貴方のメソジスト派の創立者であるウェズレイのように心霊的なのだ。彼は霊の力に動かされた人物であった。だが、現在の人々は一向に霊の力によって動かされることがない。神へ届く鎖には、沢山の環があって、地上最低の者も霊界の最高の天使ともつながっている。地上の者誰一人、いくら悪人といっても、神とつながっていない者は一人もいない。」
(問)地上で人間が犯す最大の罪は何ですか。
答「罪は沢山ある。だが最大の罪といえば。神に反抗する罪である。神を知り、しかも神を否定する人々のことである。これがあらゆる罪の中で最大なるものである。」
今回はシルバー・バーチ霊の霊訓の中のメソジスト派の熱心な牧師との対話からの抜粋である。シルバー・バーチ霊のように、この世にいる時から霊魂を認めることができれば私達人間も死を恐れることなど微塵もないことがわかる。牧師様に言われている内容は、やはりとても深い。どれほどの極悪人であろうと、神様とつながっていると言われているのだ。にわかには信じられないが、人間にはみな自由意志があるから、悪の方へと気持ちを向けてしまったと言うことにすぎないのだ。神様は善悪すべてにおられるのだから。また地上で犯す最大の罪は神様に反抗すること、そして否定することだと言われている。神様を冒涜することが何よりの罪となることは得心できる。だが、人間が神様を冒涜することなど出来ようはずもないと私は信じている。
今朝の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして深い呼吸をし、その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。その時にあくまでも自分の感覚のみだが、確かに霊界に通じているという感覚を感じていたのだ。そして今度はコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてこの世の流れが変わりますようにという願いを必死に唱えた。更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂いた
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595回目の瞑想
(問)今、Aは邪悪な生活を送ったままで世を終わり、Bは改心して正しく生きようと決心した。この両者には、他界に入ってからどんな相違が起こりますか。
答「それには聖書の言葉をもってお答えしよう。『人は自ら蒔いたものを、刈り取らねばならない』誰もこれを変えることはできない。人はそのありのままの姿をもって他界に入ってくるーーそれは自分で考えるような自分ではない。それは人に見せるための虚飾の自分ではない。人の内にある奥の心そのままの自分である。人は他界に入り、初めてあからさまな自分の姿を見ることになる。」
今回もシルバー・バーチ霊の霊訓の中のメソジスト派の牧師との対話からの抜粋である。要するに死ぬ間際になって、許されるための偽りの改心では意味がない。また真の意味で改心したとしても、自ら蒔いたものを刈り取るということはしなければならないのだ。どちらにしても改心しただけでは駄目だということだ。しかも、自分の真の姿は他界してから、その内にある奥の心そのままの自分の姿を見ることになると言われている。その場しのぎの心の内は見透かされるのだ。そのためにも今から、神様の摂理に則った正し行いをしていくことが何よりも大事なのだと言う事だ。
今朝の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今日の瞑想も、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして深い呼吸をし、その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。そして今度はコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてこの世の流れが変わりますようにという願いも唱えた。更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂いた
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ヒーリングの効果のほどを、我が家の愛犬でも感じさせて頂いている。
末っ子の今月で10歳になるトイプードルの凛は、とても活発な子で運動能力も抜群なのだ。だからよくジャンプもする。だが、そのせいで時々後ろ足を痛めたり、腰を痛めたりしているのだ。ある日、いつも元気な凛の様子がおかしい。朝食時などは準備している間、走り回っているのに、元気もなくジッとしているのだ。呼んでみると歩き方もぎごちない。抱き上げるとキャンと鳴く。やはりどこか痛い箇所があるらしい。そこでヒーリングを1時間ほどしてみると、びっくりなことに元の元気な状態に戻って、早速走り回るのである。
また昨夜のことであった。次女のミニチュアダックスの13歳の小雪が、突然に左目が開かないような半開き状態になり、元気もなくなっていて完全にいつもの小雪ではなくなっていた。小雪もとても元気な子で頭の良い子なのだ。そこで抱っこして左目の上からヒーリングをしてみた。いつもなら抱っこしても落ち着きがないのだが、グッタリとしていてすぐに寝入ったようだった。しばらくすると、半覚醒状態で、ハアハアと少し荒い息をするも、目はつぶったままで開けられないようだった。ヒーリングで身体が熱くなったようで、下に降ろしてみるとカーペットではなく、フローリングに頭までベッタリとくっつけてまた寝てしまったのだ。更にヒーリングを続けていると、完全に熟睡状態になり、何をやっても起きる気配がなく、そのまま朝まで寝てしまったのだ。そして朝起きると目は完全に治っており、今まで通りの元気な女の子に戻っていたのだ。(昨夜の状態のままなら、朝一番でかかりつけ医に診てもらおうと思っていたのだが)
トイプードルの凛の時といい、今回の小雪のことといい、ヒーリングの効果の凄さを感じることができたことに有難い思いで一杯だった。
596回目の瞑想
(問)他界に入った人々はどうでしょうか。激しい良心の呵責など感じますか。
答「一番彼等が残念に思うことは、仕残してきた事である。他界に入ると、霊魂には自然にいろいろな事が見えてくる。自分のしてきた事のすべて、しなければいけないのに果たさなかったこと、そのすべてが目に見える。この逃した機会が目に見えるので、それが悔恨を誘う。」
今回もシルバー・バーチ霊の霊訓の中のメソジスト派の牧師との対話からの抜粋だ。私達人間は、自分の果たさなければいけない事が本当の意味で何なのかこの世にいるうちにはわからない。自分では全うしているつもりでも、それはこの世のことだけに終始しているのではないだろうか。霊的にはどうだろう。ほとんどの人は霊的なことを理解していない。結局、他界してから自然といろいろな事が見えてくると言われているので、この世にいるうちに霊的なことを知る必要がある。知らないままではこの世のみに終始してしまうことになり、他界して果たすべき事を果たせなかったと後悔することになる。
今朝の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今日の瞑想も、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして深い呼吸をし、その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。その間、意識が遠のいていたのだが、意識が戻るとどこか別の場所にいたような感覚になったのだ。だがそれが何処なのか何だったのかは全く思い出せなかった。残念に思いながら、コロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂いた
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597回目の瞑想
(問)列席者の一人が、イエスは神の分身かどうかと質問した。
答「イエスは地上に出現した偉大な指導者であった。人々はイエスの教えに耳をかさず、イエスを処刑した。そして今でも、人々はイエスを処刑しつつある。すべての人の内に神の分身がある。一部の人はそれを発揮し、他の人達は少しもこれを発揮しない。」
今回もシルバー・バーチ霊の霊訓の中のメソジスト派の牧師との対話での列席者の質問であった。イエス様は神様と崇められてきているが、イエス様も人間なのである。人間として神様のお力を発揮されたお方なのだ。偉大な指導者であったと言われている。だが、そのために恐れられ、処刑されたのではないかと思う。イエス様ほどのお方でも、処刑を回避できないのだ。ただやはり普通の人間とは違った。処刑されることに恐れるどころか、ご自身を磔にしようとしている者に対して、神様に許しを請うのだ。凡人にできることではない。昔映画でそのシーンを見た時に涙が止まらなかったことを覚えている。やはり偉大で素晴らしい人間
であることに間違いはない。人間であっても、イエス様のように神様のお力を反映できるという見本でおられるのだと思う。
今朝の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして深い呼吸をする。今日は少し苦しい感じであった。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。その間、またも意識が遠のいていた。何か紙に書いたものを見せられていたのだが、字が書いてあることは覚えているが、何が書かれているかまではわからなかった。こういうことがハッキリとわかるようになれればと強く思う。気を取り直して、コロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂く。そしてこの世の流れが変わりますようにとも祈った。更に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングもさせて頂いた
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598回目の瞑想
(問)現代社会は不公平だと思いますが。
答「いつかは世の事すべて、正される時が来る。いつかは、人はその手に天秤を持ち、自らその傾きを、正さねばならぬ時が来る。自ら蒔いたものを、自ら刈り取る、これが大自然の法、人はこの法から逃れることはできない。あるいは皆さんはこう考えることもある。あの人は傷が軽くて儲かったと。しかしそうではない。人は他人の魂の中まで見ることは出来ないのだから。私の知る限り、神法は不変のものである。もし世に苦痛がなければ、人は決して欠陥に目を向けようとはしない。この世に苦痛や災禍があるのは、神の子である人類がこれを克服する道を学びとらんがためである。私はこの他界で、過去を悔やんでいる多数の僧侶に会う。彼らは過去を振返っては、ああここで霊的教示を誤って教えた。ああここであまり聖書や言葉や表現にとらわれすぎで、実践をないがしろにした。もし出来ることなら、もう一度地上に戻りたいと。私はこういう僧侶達に教える。いま一度地上に神の真理が芽生えるように、皆さんを通じて通信しなさい、そうしてその通信方法も私が教えてあげると。
現代は、皆さんがお気づきのように、地上世界は破滅の危機に瀕している。他方では、地上天国の到来を告げる新秩序の暁鐃も聞こえてくる。しかし、それにはなお多大の苦しみ、災禍、涙がある。しかし終局において、神は皆さんの中へ戻って来るのである。人は誰でも、この新天地の実現に力を添えることができる。人は神の分身であり、神の御業を助けることができるものであるから。」
今回はまたシルバー・バーチ霊の霊訓の中のメソジスト派の牧師との対話からの抜粋だ。当時も現代社会は不公平だと言われている。だが100年近く経った現在も同じである。いつになったら変わるのであろうか。よくよく人間とは業深い生き物なのだと思う。未だに苦痛や災禍がなければ、自分達の行いに目を向けることができない。何度生まれ変われば、苦痛や災禍などなしに神様の摂理に適う生き方ができるのであろうか。つくづく自分も含めて欲の深さを感じる。そして今もまさに地上世界は破滅の危機に瀕しているように感じるのだ。地上天国は夢の又夢なのであろうか。だが、今朝の瞑想で希望のお言葉を頂いた。今回のことと符合していると感じたので、後述してみようと思う。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、深い呼吸をする。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。今回は意識があり、唱えているうちに内からこみ上げる思いに涙する。そしてコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂く。ここでも苦しんでいる方々のことを感じて涙が出る。更にこの世の流れが変わりますようにと強く唱えると、その時に「憂うことはない。明けない夜はない。夜が明けて希望の朝が必ず訪れる」とのお言葉が浮かんだのだ。有難くてまた涙が出た。一日も早く希望の朝が来ることを願う。その思いのまま、地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた
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599回目の瞑想
(問)人間には自由意志があるとお考えになりますか。
答「ある。自由意志は法である。」
(問)でも時には、自分では何ともできない衝動で事をなすことがあります。とすると、意思は決定されているのではありませんか。それとも自由なのでしょうか。
答「貴方はどう思いますか」
(問)自由だと思います。
答「人はすべて自由意志が与えられている、唯神法の範囲内で生きなければならないということを除いては。法は神の子の子等の用にたつために、神の愛によって定められ、そこにある。人はこれを変更することはできない。この範囲内で人間は自由である。」
今回も引き続き、シルバー・バーチ霊の霊訓の中のメソジスト派の牧師との対話からの抜粋である。今回は自由意志についてだ。人間はみな自由意志が与えられているが、それは法であり、神法の範囲内での自由意志ということなのだ。このことを知っている人はどれほどいようか。ほとんどの人間は神法の範囲内ということは知らないまま、自分の心に従って物事を決めている。そして善悪どちらに傾くかは、その人の日頃の考えや行いに拠るものではないかと思う。自然に神様の摂理に則った生き方をしている人は、背後のご守護霊様との連絡が無意識であっても適っているので、善の行いに導かれて行くのではないかと思う。けれど自分の欲のみで物事を決めている人は真逆になってしまう可能性大だ。だが、このように白黒はっきりしていればわかりやすいが、グレーという場合もある。正しい生き方をしていても、時には悪の誘惑に負ける場合もあるだろう。またその逆も然りである。だが、最後にはそれがすべて明るみに出て、霊界でのレベルが決まるのではないかと思っている。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りを先にさせて頂く。そして深い呼吸をしていたのだが、いつの間にか浅い呼吸になったりもする。なかなか難しい。とりあえず呼吸を整え、その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。今回も意識はあった。次にコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂く。このお祈りはとかく心に感じることが多く、感情移入してしまう。そして続いてこの世の流れが変わりますようにと、できるだけ冷静に唱えた。最後に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた
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600回目の瞑想
(問)人によって遺伝が強く働くのではないですか。ある人は他の者より楽々と善をなすことがあります。
答「各人には自由意志があるのだから、これは難かしい質問だ。人が不正を行う時は、内心では不正だと知っている。その声に従うか従わないかは、本人の作り上げた人格によって定まる。罪はその及ぼす害悪に応じて悪さが定まる。
(問)もし、罪はその結果が悪いというだけなら、心の中の罪は何でもないということですか。
答「罪はすべて罪、肉体の行う罪も、心で犯す罪も、いずれも罪である。さっき貴方は人間は衝動で動かされることがあると言ったが(前日に記した「自分では何ともできない衝動で事をなすことがあります」を指している)その衝動とはどこから来ると思いますか。
牧師が「それは心の中の思想からです」と答えると、バーチは「では、その思想はどこから来るものか」と尋ねた。牧師が答えに窮して「良い思想は神から来ます」と言うと、バーチは「では悪い思想は」と重ねて尋ねた。牧師が「分かりません」と答えると、バーチは次のように説明を加えた。
答「神は正しいものの中にも、正しくないものの中にも、一切のものの中にいまし給う。神は太陽の中にも、嵐の中にも、美しいものの中にも、醜いものの中にも在り給う。神は天空の中にも、大洋の中にも、雷や稲妻の中にも在り給う。神は審美の中に在るだけでなく、罪と醜悪の中にも住み給うのである。人は神を、ここだけあそこだけと制約することはできない。全宇宙が神の創造によるものであるから、神の霊はあらゆる所に住み給うのである。
皆さんはどんなものでも差別することはできない。これには神の息がかかっていないと言うことはできない。陽光は神から来るが、穀物を流す雨は悪魔から来ると言ってはいけない。神はあらゆるものの中にいまし給うのである。
人は思想を受け取ったり、また発したりすることの出来る通路のようなものだが、人の受け取る思想は、本人の人格と霊いかんによって定まる。だから、もし人がいわゆる完全な生活を送るなら、その人は完全無欠の思想だけを受け取るのである。しかしながら、人間はやはり人間であるから、人間の魂と精神にふさわしい思想を受け入れるのである。」
今回は昨日の続きである。不正や罪に対して書かれているが、何と言っても最後のシルバー・バーチ霊の言われるお言葉に、感動を覚えた。圧巻である。神様は全てに網羅されているということ。決して善だけではなく、悪にも神様は司られているのだ。これはなかなか受け入れられないことだろう。でも私は心から感動した。これはもう理屈ではない。ただただ魂に響いた内容だった。そして更に神様はすべての中におられるのだが、どちらを受け取るかは人間側の問題となる。本人の霊恪いかんで定まると言われている。この世においては個々の霊恪のレベルは様々だ。完全無欠の思想だけを受け取られたのはイエス・キリスト様やお釈迦様、そしてマザーテレサさんのようなお方だろう。この方達を目標にするにはあまりにもお高くて挫折しそうである。だが日々近づけるように努力はできる。私はその想いが今回のお言葉でかなり強まったのである。この世はいつ何時異常事態が起きるかわからない。だが、その時に霊界からの援助をスムーズに受け取ることができれば、慌てることも不安や恐怖に思うことも全く必要なくなる。そんな心持ちになりたいと心から思った次第である。
今日の瞑想やヒーリングでも、深い呼吸に集中して、精神統一していく。
今朝の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして深い呼吸をする。その後いつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。っとまたも涙がこぼれる。特にこみ上げるような思いも感じなかったのだが自然と涙が出た。次にコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂く。一人でも多くの方が救われるようにと神様にお願いさせて頂いた。そのままこの世の流れが変わりますようにと唱えるとやはり熱い想いになる。最後に地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた
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今朝起きた時に、二つの夢を完全に覚えていたのだ。(微細な部分は覚えていないが)
どちらも幽界に行っていたのではないかと思う夢だった。一つ目はそれはある狭い部屋に何人もの人がいる場所だった。そこにあの丹波哲郎氏もいた。何か窮屈な感じで閉じ込められているようにも感じたのだ。そして、この世にいた時と変わらない様子に、だから死んだことがわからないのかと納得だったのだ。学ばせてもらっているようだった。
そして、二つ目は、最終的に向かい合った席(後ろの席は徐々に高くなっている)だったことがわかるのだが、最初は片方だけの席だけが現れ、そこにはいろいろな人が座っていたが、なぜか若い女性だけが全裸なのである。その時に声を上げた若い男性の言葉は「なぜ若い女性だけが裸なのか。違和感しかない。」と言うと、今度は反対側の席が現れ、そこにお偉いさん方と思わせるようなある程度の年を召された方達が座っており、ニヤニヤしていたのだ。
そこで、私が(夢の中で)思ったことは、なぜ若い女性はこのお偉いさん方の言う事を素直に聞いて裸なのだろう。従順すぎる。反抗の意思表示をするべきでないかと。更に、お偉いさん方については相変わらず権力を笠に着て、こんなことをやっているのかと思ったところで、目が覚めたのだ。
なぜこんな夢を見たのか、起きてから考えたが、今の世に符合しているのではないかと思った。余りにも日本国民は国に対して従順だということだ。第二次世界大戦然り、今回の新型コロナワクチンに対しても。
一人一人がしっかりと調べ、考え、霊界から送られてくる真実を受け取ることが急務だと思われる。
もう覚醒すべき時ではないのだろうか。
601回目の瞑想
ーーー人間が寿命を完うせずに”死ぬ”ことを神が許されることがあるのでしょうか。
「神の意図は人間がより素晴らしい霊的生活への備えを地上生活において十分に身につけることです。熟さないうちに落ちた果実がまずいのと同じで、割り当てられた地上生活を完うせずに他界した霊は新しい世界への備えが十分ではありません。」
今回はシルバー・バーチ霊の霊訓の「質問に答える」からの抜粋である。寿命を完うしない死は要するに自死は、新しい世界への備えは十分でないと言われている。もちろん、自死にも動機が肝心なようだ。動機次第では、また違ってくるようだ。だが、地上生活の苦しさに逃避するための自死は、熟さず落ちた果実と同じ運命になる。神様の意図することと反対なことをしてはどうあってもいけないということなのだと思う。
今日の瞑想やヒーリングでは、精神統一をし、
神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。この段階から意識が遠のいたり、戻ったりしていたが、続いていつものように「私の本来の真の姿は、神様の一部である魂であり、霊であり、光です。どうか神様の偉大なるお光りに同調させて頂けますように、どうかお願い申し上げます」とのお祈りを唱える。唱えている途中に意識は遠のく。しばらくして戻るとすぐにコロナワクチン接種の副反応で苦しんでいる方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。そして地球の生きとし生けるものすべてが神様の摂理に適う生き方をして、霊的に進歩、進化させて頂けますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた
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