備忘録
MEMORANDUM7(2022/2月〜2022/5月)

  日々の瞑想や霊的なことなどを綴っていきたいと思っています
私はクラッシック音楽がとても好きなので、クラッシック音楽を取り入れた形の自由な瞑想をしております。
(マーラー作曲:交響曲9番の4楽章を2回聴く)
写真と内容は関係あるものとそうでないもがあります。
私自身の記録用なので、参考程度に読んで頂けたらと思います。
下記の(アコーディオン形式)日付をクリックしてください。


 
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ペットのおうち

819回目の瞑想

天使
 
招待客が友人からの質問として「悲しい命日は心の傷みを呼び覚ますだけだから愚かで無意味だという考えはいかがでしょうか」と述べ、それに自分の考えをこう付け加えた。
ーーー今更どうしようもないことは分かっているのに年に一回、心の傷みを思い出すのは間違いだと思います。
「その質問者のいう"悲しい命日"というのは何のことでしょうか」
 
ーーー故人が亡くなった日です。その日に何もしたがらない人がいます。改めて悲しい思いをしたくないのだと思います。
「誰にとって悲しいのでしょうか」
 
ーーーその人を失った家族です。亡くなった本人ではありません。私はあなたのお考えに同感です。亡くなった人を悲しむのは一種の利己主義だと思います。
「一種の自己憐憫の情です。自分自身への哀れみであり、愛する者を失ったことを嘆いているのです。苦の世界から解放された人のために涙を流すべきではありません。もちろん地上生活が利己的すぎたために死後も相変わらず物資界につながれている人(地縛霊)がいますが、それは少数派に属します。
大部分の人にとって死は牢からの解放です。新しく発見した自由の中で、潜在する霊的資質を発揮する手段を見出します。無知の暗闇でなく、知識の陽光の中で生きることが出来るようになるのです。
過ぎ去った日々の中に悲しい命日を設けて故人を思い出すとおっしゃいますが、いったい何ののために思い出すのでしょうか。何一つありません過ぎ去ったことをくどくど思い起こすのは良くありません。それよりも一日一日を一度きりのものとして大切に生き、毎朝を霊的に成長する好機の到来を告げるものとして、希望に胸を膨らませて迎えることです。それが叡智の道です」
(訳者注ーー"シルバーバーチは語る"と題されたカセットテープの中で司会者が「ルドルフ・シュタイナーの一派では死者に向かってリーディング(仏教でいう"読経"で、読心術ではない)をするのですが、何らかの効用があるのでしょうか」と質問したのに対してシルバーバーチは「害もありませんが、さして薬になるとも思いません。こちらはこちらで救済のための施設がたくさん用意されています」と述べている。
確かに、例えば『ベールの彼方の生活』を読むと高級霊団が地上各地から地縛霊を大勢救出して戻ってくる一行を描写しているところがある。国籍が入り混じっているので服装もさまざまで、救出された者同士がキョロキョロと互いの衣服を見比べて不思議そうな顔をするユーモアあふれる場面もある。そのほか慰安や看護のための施設も何度か出てくる。その観点からいうとシルバーバーチの言う通りなのであるが、私は日本人特有の問題として、供養とか戒名とか院号とかにまつわる日本的しきたりに余りに拘った地上生活を送った人の中には、向こうへ行ってから自分もそうしてもらわないと気が済まないーーいわゆる"成仏できない"霊がいて、霊界の指導者を手こずらせていることが多いことは、事実として認めざるを得ないように思う。この種の地縛霊は日本では決して少数派とは言えない。そういう霊は言わば"わからず屋"なのであるから、その我が儘をある程度は聞いてやる必要があるので、それは地上の人間の協力を要する問題となってくる。
ただ、シルバーバーチは常に永遠の時を念頭において説いていることを忘れてはならない。人間が余計な心配しなくても、いつかは霊界の方で何とかします、という意味に解釈するべきであろう)
 
今回の内容は命日についてである。確かに命日は辛いものだと思う。理屈ではシルバー・バーチ霊の説かれていることはもっともだと思っても、感情がなかなか思うようにはならない。私も一年目の命日が近づくにつれて亡くなった時と同じような感情になり、とても辛かったことを覚えている。それは後日、命日が近づくことで心が不安定になる命日反応だということがわかった。だが、ある日夢に十二単を着たお 方が出られて、心が一変した。そして命日当日は瞑想時に息子の笑顔も見ることができたのだ。そして素晴らしい一日となり、感謝の気持ちで終えたのだった。ヒーリングに参加させて頂いているイクミ様からも「最愛の人を失って初めての命日に、笑顔でいられる人はそうはいません。息子さんが近くにいてくれること、霊的真理の真実性を確信しているからだと思います」との有難いお言葉も頂けたのだ。更に「あなたの真実を求める強さは、息子さんへの愛そのもだと感じました」との身に余る光栄なお言葉も頂き、そのお言葉に涙がこぼれたことを覚えている。
だが、シルバー・バーチ霊の「一種の自己憐憫の情です。自分自身への哀れみであり、愛する者を失ったことを嘆いているのです」このお言葉は、大切な方を亡くした人にとっては厳しいお言葉と感じるかも知れない。ただ私はTOPページにも記してあるが、武本先生のHPの中にある「最愛の息子を亡くして嘆き悲しんでいる母親」に対してのシルバー・バーチ霊の言われたお言葉に(耳が痛い内容ではあったが)まるで自分に言われているように感じ、そのお言葉に打ちのめされながらも心に響いたことを覚えている。どう受け止めるかは各自の自由意志に任されているのだ。厳しいお言葉故に、蓋をしてしまう人もいるかも知れない。また逆にそのお言葉を糧にして踏ん張ろうとする人もいるだろう。ただ一つ言えることは、人間はみな誕生前に霊的真理に目覚めるための過酷な体験を自分が用意してきているということなのだ。それをシルバー・バーチ霊は私達人間に思い出すようにと説いて下さっている。
亡くなった方を本当に想うならば、泣くだけ泣いたら前向きに生きて行くことが、とても大切なことなのだと身を持って確信している。
 
今日の瞑想では、呼吸に意識して、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。 そして霊としての決意を自覚させて頂けるようにお祈りする。ただひたすらにその思いに集中する。更にこの世で成就できるようにとのお願いも心を込めて一心に祈る。意識が遠のいている中で、何やら体験させて頂いているような感覚があったが、やはり意識が戻ると、全く覚えていない。それでも充実感だけはあるのだ。そのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した

820回目の瞑想

天使
 
ーーー肉体に宿っているとそれが悟れないのは悲しいことです。みんな物質に惑わされて、物的なものには価値がないことが理解できないのです。そういう人にとって人生は舞台劇のようなもので、カーテン(幕)が下りるとそれでおしまいです。
「それは要するに無知と知識の差です。そこで私どもは出来るだけ知識を広め、その境界線をできるだけ広げていくように努力しているのです。知識を手にすれば、人生を正面から見つめ、そして悟ります。無知のままでいることは暗闇の中にいることです。
私たちはひたすら力になってあげたいと願っているだけに尚のこと嘆かわしく思えるのですが、地上の人間が無知と偏見と、自らこしらえた迷信という壁に取り囲まれているために、それが目覚めを阻害して、容易に破壊できないのです。その厚い壁は真理も突き通せないのです。嘆かわしいと表現したのは、その人たちの地上の身内の人でも手の出しようがないからです。そこで死後しばらくはベールのそちらとこちらの双方に悲しみがあります。が、地上を去った者のために涙を流すことはありません。その事実を認識し受け入れることによって、死んでいった者を引き止めるようなことが無くなります。感情的障壁をこしらえなくなります。精神と霊を正しく調整することが出来るようになります」
 
ーーー 一つの人生の旅が終わったのを見て悲しく思うのが人間の情だと思うのです。それは一時的な情ですから、たとえ悲しんでも、死を嘆いているのとは違うと思うのです。
「私の世界へやってきた人は死が階段を一つ昇ったことを意味すること、大きな解放を得たことを理解します。潜在的能力を発揮するチャンス、地上でなし得なかった仕事をするチャンス、かつては考えられなかったほど生気はつらつとした生活ができるチャンスを得ます。もちろん地上生活に断絶が生じたことに悲しみの情を覚えるのは当然です。が、他界して行った者に何ら悲しむべきものはないという事実を知ることによって、その悲しみを少しでも小さくすることは出来るはずです。(無理な要求をするようですが)私たちは皆さんに対して常に理想を目標として掲げなければならないのです」
 
今回の内容も大変に有難い思いになった。肉体に宿っている私達人間は、なかなか霊的なことを信じることができないでいる。物質ばかりが真実だと思って、そこに固執する。そして死に関しても悲しみはするが、人はいつかは死ぬものと思っているので、時が過ぎれば忘れて暮らす。死についての意味を考えようとはしないのだ。それをシルバー・バーチ霊は無知と知識の差だと言われている。確かに知ることの意義は重要だと思う。だが、たとえば、霊的真理を広めても結局は胡散臭く思うだけで、更に理解を深めようとする人は少ない。それも個人の自由意志で選択することなのだから、致し方ないのだろうが。また受け取る段階まで来ていない人にはやはり無知のままでいるより仕方ないのかも知れない。けれど、それだと霊的真理が広まって行くのだろうかとさえ思ってしまう。広まっていかなければ、地上を去って行く人に対して、執着したり、落ち込んだりという感情をいさめることは出来ないのではないかと思うのだ。霊的なことイコール死後の世界があることを理解できなければ、どうやっても無理なように思う。
次の質問は霊的なことを信じている人にとっても、大切な人との別れは一時的にしろ、やはり辛いものであることには変わりない。シルバー・バーチ霊も「もちろん地上生活に断絶が生じたことに悲しみの情を覚えるのは当然です」と認めておられる。けれどその想いというのは残された方の想いなのだ。旅立った人は、死が階段を一つ昇ったことや大きな解放を得たことを理解すると言われる。更に潜在的能力を発揮するチャンス、地上でなし得なかった仕事をするチャンス、かつては考えられなかったほど生気はつらつとした生活ができるチャンスを得られると言われているのだ。逆に羨ましい限りである。亡くなった人に対して悲しむべきではないということはこれをもってよくわかる。この事実を信じることによって、亡くなった人についての心配や悲しみはなくなる。現に私はそうだった。息子自身は幸せなのだと信じていたので、息子への心配や悲しみはなかった。ただ息子との別れが辛く悲しかったのだ。やはり自分の問題なのだ。息子が幸せならば、悲しむ必要などないのだ。私自身も一緒に幸せになればいいということになる。頭ではいくらでもそう思える。だが感情は如何ともし難い。それを克服することができるのが霊的真理の理解を深めることであり、瞑想なのだと思う。私自身も常に理想を目標として掲げて行きたいと思っている。
 
今日の瞑想でも、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。その後は何を思うでもなく、ただただ心を空にして精神統一していた。すると次第に意識は遠のく。その間も映像としてはっきりとした光りではなかったが、大きな丸いものが見えた。その後は意識があるようなないような状態だったが、いつの間にか曲は終わっていた。そのまま神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

821回目の瞑想

天使
 
ーーー愛し合う二人のうち片方が先に他界した場合、残された方がのちに他界した時に間違いなく幸せの楽園が待ってくれていると考えてよいでしょうか。
「その通りです。ただし、互いに愛し合っていた場合のことであって、一方的な愛ではそうはなりません。愛はその対象から切り離して存在することはできません。地上というのはほんの一時的な生活の場にすぎません。肉体に不老不死はあり得ません。ですから、いずれは地上を去る時が来るのであれば、いよいよその時(死期)が近づいた人を祝ってあげるのが本当なのです。そして又、いずれは自分も後から行って、地上では想像もできない、より大きな光明と美と驚異の世界で一緒に生活することになることを知ってください」
 
ーーーそのことを私たちは物的観点から考えなくてはならないところに難しさがあるのです。死ぬまで待つことになりますが、ただ待ってはいられないーーいろいろと生きるためのことをしなければなりません。生き続けなければならないのです。その辺がとても難しいのです。
「霊的真理を物的観点から考えるとなぜ難しくなるのでしょう?」
 
ーーー私たちは物的存在だからです。
「でも本質的には霊的存在です。物的身体を携えているというだけです。あくまでも霊が上位で肉体は下位です。そうした観点から、お手持ちの知識に照らして、正しい判断を下さないといけません。何事も価値あるものは困難がつきまとうものです。霊的褒賞が簡単にてに入るとしたら、それは手に入れる価値のないことになりましょう」
 
今回の内容の最初の質疑応答はとても勇気づけられた。ただ「いよいよその時(死期)が近づいた人を祝ってあげるのが本当なのだ」と言われるシルバー・バーチ霊のお言葉には、びっくりさせられる。死を前にして祝う気持ちになれるとしたら、やはりシルバー・バーチ霊が常に言われている霊界の素晴らしさを身を持って体験した人しか無理なのではないだろうか。いくら素晴らしさを力説されたところで、私たちには言葉としてしか伝わらない。寝ている間に素晴らしさを体験し、覚えていることができたら、きっと私達人間も変われるのだと思う。けれど現状では頭のおかしい人という目で見られるだけなのだ。シルバー・バーチ霊がいくら知って下さいと言われても私達人間には実感として知ることができない。それがとても残念でたまらない。
また次の質疑応答だが、これは質問者の気持ちがよくわかる。先に他界した人に会うためには、自分も他界しなければならない。けれど自殺はできない。ということは他界するその時まで生きなければいけないということだ。質問者の言うように死ぬのをただ待つのではなく、生き続けなければいけないのだ。そのためには、生活のためにいろいろなことをしなければならないのだが、そもそも大切な人を失って生きていることそのことが辛く苦しいことなのに生きて行かねばならないのだ。それが難しいと感じてしまうのだと思う。私も同感だ。後追いできれば簡単な話なのだが、それは絶対に許されない。たとえ後追いしたところで、大切なその人に会うことは適わない。これは私達人間の大半は物的存在だと思っているからこその葛藤なのだと思う。シルバー・バーチ霊が言われるように本質的には霊的存在であることをきちんと認識することができれば、何も迷うことなどないし、霊的真理を理解し、先に他界した人を喜んで見送り、正しい行いができるのだと思う。けれど私達人間の大半は霊であるという、もっとも基本である認識ができていないのが現状だ。そこを変えて行く以外この問題は永遠に葛藤し続けて行かなければいけないのではないかと思う。
 
今日の瞑想では、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。そして 霊としての決意を自覚させて頂けるようにお祈りし、この世で成就できるようにもお祈りした。すると大きめな十字の光りが現れるとそこから一直線に勢い良く光りが流れて行く。そんな光景を見た直後に意識はなくなっていたようだ。その瞬間すぐには意識がないことはわからなかった。だが、気がつくとちょうど曲が終わるところだったので、その間意識がなかった ことに気づいた。けれど、心は晴れやかで充実感があるのだ。やはり、向こうの世界へ行っていたのではないかと思う。最後に 神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

822回目の瞑想 

天使
 
ーーー死後の世界について多くのことを聞かされていても、死後に備えた生き方を心掛けている人は少ないように思います。本日お聞きしたことを肝に銘じて、たとえばTVばかり見ていないで、美術とか工芸に手を染めるなどして今から準備を始めるのも一つの生き方だと思うのですが、何か良いアドバイスをいただけますでしょうか。
 「その問題は結局は悟りの問題に帰着します。あなたが肉体を携えた霊的存在であること、地上はいつまでも住み続ける場ではないこと、物的なものは儚い存在であることを悟れば・・・もしもあなたが、死後、霊としてのあなたは、不滅のあなた、神性を宿したあなたが蘇って永遠の進化の旅を続けることの意味を悟ることができれば・・・もしもあなたがそうした悟りに到達すれば、そしてそこで叡智の導きに素直に従うことができれば、あなたは自然に死後の生活に備えた生き方をするようになります。あなたの行使はすべてあなたが到達した霊的自覚の程度によって支配されるのです」
 
   今回の内容は私達人間にとっては、やはり難しいように感じた。死後に備えた生き方を私もしたいと思っている。だが、シルバー・バーチ霊は悟りの問題に帰着すると言われているのだ。「肉体を携えた霊的存在であること、地上はいつまでも住み続ける場ではないこと、物的なものは儚い存在であることを悟れば」とある。これは知ってはいるが、果たして悟っているのかと言われると自信はない。「死後、霊としてのあなたは不滅であり、神性を宿したあなたが蘇って永遠の進化の旅を続けることの意味を悟ることができれば」とあるがこれも同じである。更に「そうした悟りに到達し、叡智の導きに素直に従うことができれば、自然に死後の生活に備えた生き方ができるようになる」と言われている。結局のところ、すべては私達人間が到達した霊的自覚の程度に支配されるのだ。そこで自覚することと、知るということの違いは何なのだろう。やはり知っているだけではダメなのだと思う。ある方のネットの記事で、単なる認識レベルは頭で理解しているだけの知識いわゆる他人事と言われていて、自覚レベルとは肝に落ちた理解としている知恵これこそが自分ごとなのだと言われていた。自覚の意味を調べてみると「自分の置かれている位置・状態、また自分の価値・能力などをはっきり知ること」とあり、また「仏語で自ら迷いを断って悟りを開くこと」とある。また自覚は「自分を覚おぼえるまたは覚さとる」とも書くと記載されていて、なるほどと思った。
要はやはり自分のものにするということなのだ。体感として実感できなければ悟ったとは言えない。ただ知っているだけでは自覚したとは言えないということだ。とすると、私は半々と言ったところのようだ。せめて死ぬ直前までには到達したいものである。
 
今日の瞑想でも、呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。
「霊としての決意であるこの世の成就すべき目的を自覚させてください」とのお祈りを一心にお祈りする。そうしているうちにまた意識は遠のき、映像として出現した宇宙空間に吸い込まれて行きそうな感覚になった。もちろん、魂だけが移動していく感じだったのだ。その感覚は何と表現してよいかわからない。ただただ自由になったようなそんな感覚もあった。それが死後の感覚なのであろうか。とも思ったのだ。その感覚に酔いしれているうちに意識が戻り、曲もちょうど終わったところだった。最後に神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

823回目の瞑想

天使
 
ーーー霊的発達程度にお構いなく地震などによって一度に何千、何万もの人が死んでいくのはなぜでしょうか。
 「なぜあなたは死をそんなに禍いのようにお考えになるのでしょうか。赤ん坊が生まれると地上ではめでたいこととして喜びますが、私たちの方では泣いて別れを惜しむこともしばしばなのです。地上を去ってこちらの世界へ来る人を私たちは喜んで迎えます。が、あなた方は泣いて悲しみます。死は大部分の人にとって悲劇ではありません。しばらく調整の期間が必要な場合がありますが、ともかくも死は解放をもたらします。死は地上生活に課していた束縛の終わりを意味します。
あなた方はどうしても地上的時間の感覚で物事を見つめてしまいます。それはやむを得ないこととして私も理解はします。しかしあなた方も無限に生き続けるのです。たとえ地上で60歳、70歳、もしかして100歳まで生きたとしても、無限の時の中での100年など一瞬の間にすぎません。
大自然の摂理の働きに偶然の出来事というものはありません。あなたは霊のために定められた時期に地上を去ります。しかも多くの場合その時期は、地上へ誕生する前に霊自ら選択しているのです」
(霊としての意識と肉体に宿ってからの脳を焦点としての意識とは別である。地上での時間と場所の感覚は脳を焦点とした地上独特なもので、そこから人間的煩悩が生まれる。悟りの程度というのはその地上的感覚による束縛から脱する程度と等しいということであろうーー訳者)
 
ーーー地震その他の災害の話に戻りますが、その災害で生きる残る人がいます。が、その人たちはそれから他界するまでの永い年月を苦しみながら生きることがあります。たとえば家を失ったまま我が家を持つことなく生涯を終える人もいます。そうした場合、その人たちはそういう体験を得るためにその土地に生を受けたのでしょうか。
「地上生活にまつわる幸とか不幸のあらゆる体験から逃れることはできません。明るい側面と同時に暗い側面も体験しなくてはなりません。"蓮の台うてな"の生活では魂は成長しません。困難と闘争と危機の時にこそ魂は自我を発揮するのです。あなたにそれが得心できないお気持ちは分かります。地上的感覚でお考えになっているからです。しかし永遠の観点から見れば、恵まれた条件よりも困難な事態の方が有難いことなのです」
 
別の交霊会ではこうも述べている。
「私たちの世界の素晴らしさ、美しさ、豊かさ、その壮観と光輝は、地上のあなた方にはとても想像できません。それを描写しようとしても言葉が見出せないのです。ともかく私は矛盾を覚悟の上であえて断言しますが、"死"は独房の扉のカギを開けて解放してくれる看守の役をしてくれることがよくあるのです。地上の人間は皆いつか死なねばなりません。摂理によって、永遠に地上に生き続けることはできないことになっているのです。ですから、肉体はその機能を果たし終えると、霊的身体とそれを動かしている魂とから切り離されることは避けられないのです。かくして過渡的現象が終了すると、魂はまた永遠の巡礼の旅の次の段階へと進んでいくことになります」
 
今回の内容はやはり死についてである。前にも集団で亡くなるといった問題があったが、シルバー・バーチ霊は、亡くなる理由については述べていない。今回もその理由ではなく、死そのものについてを説いて下さっている。私達人間の死についての捉え方が間違っているからなのだと思う。常にシルバー・バーチ霊が言われているが、今回も死は解放をもたらすと言われ、死は地上生活に課していた束縛の終わりを意味すると言われている。また大自然の摂理の働きに偶然の出来事とというものはないとこれまでも何度となく断言されているがここでも断言されているのだ。そして私達人間は霊のために定められた時期に地上を去ると言われる。しかも多くの場合その時期は、地上へ誕生する前に霊自らが選択していると言われているのだ。
また災害で残された人についての質疑応答では、この世の幸不幸の体験は逃れられないとのこと。ただそれは永遠の観点から見ると、恵まれた条件よりも困難な事態の方が有難い、とさえ言われているのだ。こう言われてもなお困難な事態には遭いたくないと思ってしまうのが人間の業の深さなのだろう。
死とはそんな地上生活の束縛から解放してくれる有難いものなのだ。こんな考え方ができるのは、霊的真理を信じればこそだ。シルバー・バーチ霊の説いて下さっているおかげなのだ。ただ、信じる信じないに関係なく、死は私達人間に必ず訪れる。その理由をシルバー・バーチ霊はこのように言われている。摂理によって、永遠に地上に生き続けることはできないことになっていると。そして肉体はその機能を果たし終えると、霊的身体とそれを動かしている魂とから切り離されることは避けられないと教えて下さっている。その死を通過したのち、魂はまた永遠の巡礼の旅の次の段階へと進んで行くと言われている。このようなことがわかると死を恐れる意味も不安に思う気持ちもなくなる。死の先にある明るい未来を想像できるからだ。そのための地上生活なのだ。一瞬の地上生活に固執する必要は微塵もないということなる。そのことをこの世の人間すべてが信じることができれば、大切な人であればあるほど亡くなる時に喜んで見送ってあげることができるようになるのではないだろうか。
 
今日の瞑想でも、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして「霊としての決意であるこの世の成就すべき目的を自覚させてください」とのお祈りを心を込めてお願いする。自然と涙がこぼれる。ただただそのことのみに終始していると、いつの間にか曲が終わる直前だった。意識があったつもりだったが、今はもうわからない。だが満ち足りた思いで一杯になっていた。そのまま神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

824回目の瞑想

天使
 
ーーー死後の世界ではお互いのコミュニケーションはどのようにして行うのでしょうか。
「こちらにお出でになれば、もはや肉体はありません。肉体そっくりの身体はありますが、言葉は話しません。言語というのは至ってお粗末な思念の代用品でして、地上に近い下層界を除けば、そういうお粗末な媒体を用いなくても、以心伝心のすばらしい交信方法があります。思念は言語を超えたものです。
同じように、食べることも飲むことも致しません。そうやって養わねばならない物的身体は無いからです。身体を大きくする必要がありませんから、タンパク質なんかは必要ではありません。霊的身体がありますが、その養分は置かれた環境から摂取します。
永遠の太陽ともいうべき光源があり、暗闇がありませんから、寝るということもしません。霊的性質が何一つ隠せないという意味において、みんな霊的に素っ裸ということになります。あるがままの姿が知られ、見せかけも代用もカムフラージュもできません。
あなたの交信レベルは霊的に同じレベルの者との間でしかできません。自分よりも上のレベルの者とはできません。そのレベルまで霊的に成長するまでは、そのレベルのものが受け入れられないからです。自分より下のレベルまで下りることはできます。自分の方が霊的に優れているからです。
いずれにしても交信は直接的に行われます。あなたが心に抱いたことがそのまま相手に知られ、相手の考えることがそのままあなたに知れます。面倒なことは何も生じません。
皆さんはこの英国に住んでいて英語をしゃべっています。英語のしゃべれない外国人と会えば言語が違うために意志の疎通ができません。が、以心伝心の交信には言語は不要です。迅速です。厄介なことは何一つ生じません」(後略)
 
  今回の内容から「質問に答える」(2)として、死後の生活と題された内容から抜粋して行く。今回は死後のコミュニケーションについてだ。死後、物的肉体はなくなるのは当然だが、肉体とそっくりな霊的身体はあるとのこと。養わねばならない物的身体は無いから、食べることも飲むことも不要で、身体を大きくする必要もないからタンパク質なども必要ないと言われている。そして霊的身体の養分は置かれた環境から摂取するのだそうだ。またお粗末な言語は使わず、霊界では以心伝心というすばらしい交信方法でのコミュニケーションをとるようだ。思念は言語を超えたものらしい。そして霊的性質が何一つ隠せないという意味において、みんな霊的に素っ裸になり、あるがままの姿が知られ、見せかけも代用もカムフラージュもできないとのこと。自分の思ったことがそのまま相手に伝わってしまうのだ。この世での建て前は通じない。本音のみなのだ。ただその交信相手は自分と同じレベルの人としかできず、上のレベルの人とはそのレベルまで達っしないと交信はできないらしい。当然と言えば当然だろう。また言語の違う相手とも、霊界では以心伝心での交信なので、簡単に交流できるのだ。やはり、霊界はすばらしいところのようだ。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして「霊としての決意であるこの世の成就すべき目的を自覚させてください」とのお祈りをさせて頂いていたのだが、すぐに意識が遠のいていた。戻る直前に、途切れ途切れの光りが雨のように下へ下へ輝いている光景が見えた。その後は曲が終わるまで、ボーッとしており、その後神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

825回目の瞑想 

天使
 
ーーーどうやってお互いを認識し合うのですか。
「霊的な眼がありますから一人ひとりが認識できます。私たちは盲目ではありません」
 
ーーー私たちの視力は物的なものなのですが。
「あなた方はその二つの眼で見ているのではありませんよ。またその二つの耳で聞いているのではないのですよ。見たり聞いたりは脳を経由して精神で行っているのです。もしも脳が働かず精神に反応が生じなければ、その肉眼に映る光線は何の意味もありませんし、その肉耳に届けられる波動もまったく無意味なのです。
脳がレシーバーとしての働きをしてくれれば、あとはその情報を理解するのは精神なのです。肉眼そのものには"見る"能力はないのです。ただ光線を感知するための媒体にすぎないのです。カメラのレンズと同じです。自分ではどういう役目をしているのか知らないまま自動的に機能しているのです。"見えた"という認識は、精神がその印象を脳から受け取ったときに生じるのです。脳を傷めるとその認識が生じませんから、肉眼だけでは何も見えないことになります」
 
今回の内容は霊界での認識についてとこの世での認識についてであるが、この世については衝撃的なことを説いて下さっている。霊界での認識については見当はつくが、私たちが見たり聞いたりしているのはその眼や耳ではないと言われているのだ。脳を経由して精神で行っていると言われ、脳が働かず、精神に反応が生じなければ、肉眼も肉耳も何の意味もないと言われている。だが、そう言われても自動的に機能しているとのことなので、私には精神が行っているのかどうか実感としてはわからない。ただただ驚くばかりである。やはり身体とはそのような役割でしかないということだ。肝心要は精神であり、魂ということの重要さを教えて下さっている。
  
今日の瞑想では、呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。今日はご依頼の方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。今回もお言葉が浮かんだ。だが今までとは違った少し厳しめの内容だった。そして私自身にもお言葉があって、今までお祈りしてきたお答えのように思ったが自分のこととなるとまだ自信が持てないので、しばらく様子見したいと思っている。ただ、感謝の想いがこみ上げてきて、そのままの気持ちで神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

826回目の瞑想

天使
 
   
ーーー霊界で相手を認識するとき、その人の何を見ているのでしょうか。
「人間と同じ形体です。頭もあり胴体もあります」
 
ーーー身体はないとおっしゃいましたが・・・
「物的身体はないと申し上げたのです。霊的身体はあります」
 
ーーーということは、相手を認識するときは霊体を見ているわけですか。
「もちろんです。みんな同じに見えるわけではありません。一人ひとり違います」
 
ーーー書物を読むことがあるとおっしゃいましたが、それも思念でできているのですか。
「すべての物体に霊的複製品があります。地上で書かれたものが複製されて納めてある図書館があります。必要が生じるとそこへ行って調べものをして知識を得ます。音楽も絵画もあります。地上にあるものはすべてこちらにもあります」
 
ーーー地上的成長のどの段階で人間の霊体がそちらから見えるようになるのでしょうか。
「それはその段階での霊的覚醒のレベルによって違ってきます。地上と霊界の違いは、地上ではさまざまな発達段階の人が一緒に生活できることです。こちらでは同じレベルまで発達した者としか会えません。霊的身体は霊恪が高くなるほど成熟していきます。霊界での成長は(老化に向かうことではなく)成熟するということです。ですから、年老いて他界した人はこちらへ来て若返り、若くして他界した人は霊的成熟度に似合った顔つきとなります」
 
ーーーやはり顔で分かるのでしょうか。
「もちろん私たちにも顔があります」
 
ーーー人間にはなぜ顔があるのでしょうか。
「それは、個性というものがそれぞれの魂の刻印だからです。まったく同じ人は二人といません。双子でも霊的には同じではありません。完全へ向けての過程ーー本質的には無限の過程ですがーーは顔や形体が無くなるということではありません。個性が崇高さを増し、霊的成熟度が増し、一段と強烈な光輝を発するようになります。その過程を続けていくうちに、上層界には目も眩まんばかりの光輝を発する存在がいることを知るようになります。
私が地上を離れて内的上層界へ帰ると、"神庁"とでもいうべきものに所属する存在と出会うことがある話をしたことがありますが、そうした霊もみな個性を具えた存在です。個体性を失ってはいません。不完全の要素が少なくなり、完全無欠の要素の占める部分が多くなった段階にまで進化しているのです」
 
ーーーなぜそちらの世界へ行ってからも身体が必要なのでしょうか。
「霊はその個性に応じて自我を発揮するために何らかの形体が必要なのです。霊それ自体には個的形体はありません。霊とは生命です。が、その生命が顕現するには人間なり動物なり植物なり花なり、その他ありとあらゆる形体をとる必要があります。霊は何らかの形体をとらないことには存在が認識されません」
 
ーーーその形体を永遠に維持するのでしょうか。
「そうです」
 
今回の内容もとても関心あるものばかりの質疑応答である。特に私は人間にはなぜ顔があるかということや霊界でも身体はなぜ必要かという問いの答えがとても勉強になった。個性というものはそれぞれの魂の刻印であると言われ、それは霊界の上層界での高級霊の方々も同じくみな個性を具えた存在であると言われている。より一層の光輝を発しながらもお一人お一人を認識できるお顔があるということなのだろう。また、霊は生命であり、それ自体には個的形体がないと言われている。そして生命を顕現するには何らかの形体をとらないことには存在が認識されないのだと。霊である私は今の形体をもって、生命を顕現しているということになる。そしてこの形体は永遠に維持していくことになるとのこと。けれど、霊的成熟度によってその顔もそれに似合った顔つきになっていくとのことなので、少しずつは変わっていくのだろう。このことから、今回のことと関係あるかないかは物的身体のことなのでわからないが、息子が亡くなった時の顔は、生前の面影を残しつつも違ってみえた。参列者の方々からは一様に高僧(徳の高い僧)のようなお顔だと言われていたのだ。実際私もそう感じていた。なので霊界ではそのような顔になっているのではないかと今回のお答えを読んでいて改めて思ったのである。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。今日もご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。ただただ一心にお祈りさせて頂いた。意識がハッキリしていたものの、次第に意識が遠のいていた。意識が戻る直前に目の前がパ〜っと明るくなり、全体にお光りが見えた。そのお光りに護られているような感覚になった。曲も終わりそのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

827回目の瞑想

天使
 
ーーー霊界では自分より発達段階の高い者とは接触がないとおっしゃったように思いますが、そうなると、あなたご自身が"光輝く存在"と直々にお会いになる時は何か特別な配慮をしてもらうわけですか。
「いいえ、決してうぬぼれて申し上げるわけではありませんが、私がそうするときは私本来の霊恪に戻るというに過ぎません。私はこの地上での仕事への参加の要請を受け、そしてお引き受けしたのです。そのためには当然、本来の私の属性を一時的にお預けにしなければなりませんでした。しかし、そうすることによって、あなた方と同じく、私がよく言及している"正反対の体験"を得ることになります。それによって、一層の向上が得られることを願っております。
霊界の生活の全体像をお伝えすることはとても困難です。言語と次元の差が障壁となるからです。たとえば音楽を例にとれば、霊界には地上のいかなる楽器にも出せない音色があります。絵画でも、あなた方には想像もつかない色彩と美があります。それが感識できる人も描写できる人も地上にはいません。地上の人にとって大インスピレーションと思えるものでも、実際はごくごく小さなかけらにすぎません」
 
ーーーわれわれ人間にとって霊界の本当の姿を理解することが容易でないことは理解できます。
「とても難しいのです。しかし、その理解のための準備が睡眠中に行われております。睡眠中は肉体を離れて一時的に"死ぬ"わけです。そうすることによって徐々に霊界生活に慣れていきます。そうしないと、いよいよ本当の死が訪れた時に何のことが理解できず、新しい生活環境に順応するのに長い時間を要することになります。ちじょうにいる間の夜の霊界旅行での体験はぜんぶ潜在意識の中に収められています。それがいつか意識にのぼって、霊界があまり不思議に思えなくてなります」
 
今回の内容は最初の質問は愚問のように思う。霊界で高い境涯におられなかったら、地球という低い境涯への仕事は無理だからだ。シルバー・バーチ霊が光輝く存在であることは明らかだ。言われている内容が真理以外の何ものでもないということも実感できる。そのようなお方でさえ、霊界での生活の全体像を伝えることは困難だと言われている。音楽や絵画を例に挙げて、霊界には地上にない音色や色彩があると言われているが、それを言語で説明できるはずもない。地上に例えるものがないのだから。だがこのお言葉で私はとてもワクワクしてしまう。地上にない音色や色彩を早く聴きたいし、見たい気持ちになるのだ。また地上でそれを感識出来る人はいないとも言われている。更に地上の人間が大インスピレーションだと思えることも実際は霊界のかけらを感じたにすぎないらしい。これをもっても、霊界の素晴らしさを物語っているのだ。そんな素晴らしい世界に死をもって行けるのなら、恐怖どころか期待で胸が膨らむ想いだ。
その素晴らしい世界に睡眠中は行っていると言われている。霊界の生活に慣れるためらしい。顕在意識では覚えていなくても、すべては潜在意識の中に収められているのだそうだ。それがいつかは意識にのぼってくると言われているが、そのいつかはいつなのだろう。生きているうちであれば、こんな嬉しいことはないのだが・・・
今回も霊界への期待感が強まったように思う。その素晴らしい霊界へ行けるように精進して行きたい。
 
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして今日もご依頼を頂いた方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。意識が遠のき、気がつくと終わりの時間になっていた。静かに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

828回目の瞑想

天使
 
ーーー背丈のことをお尋ねします。たとえば6フィートの人間はそちらでもやはり6フィートでしょうか。
「どうやらこの質問には個人的興味が混ざっているようですね。答えは"イエス"です。物的身体は霊的身体の写しだからです。ただし、そのサイズは霊的発達程度とは関係ありません。身体は巨人でも霊的には小人である場合があります」
 
ーーー他界直後には言語上の問題がありますか。
「あります。いわゆる"幽界"つまり地球にもっとも近い界層においてはあります。そこには霊的自覚がほとんど芽生えていない者が住んでおります。まだ言葉が必要だと思い込んでいるので言葉を用いております」
 
ーーー 一方が英語で話し相手がフランス語で話しても、実際は思念で通じ合っているわけでしょうか。
「もちろんです。もともと思念には言語はないのです。言語というのは思念を単語に移し替えるための道具にすぎません。私たちの世界では思念に実体があり、物質は影のようにしか見えないことをよく理解して下さらないといけません」
 
今回の内容も興味深い。地上での身長は、霊界でも同じらしい。というのも物的身体は霊的身体の写しだからだそうだ。今のこの自分の物的身体も霊的身体の写しなのだと思うと感慨深い。
言語上の問題は、この地上で霊的自覚が芽生えていけば、不都合はないのではないかと思う。思念には言語はないと言われ、思念を単語に移し替えるための道具に過ぎないと言われているのだ。このことから霊界では言語は全く必要なく、実体のある思念で通じ合えるということを覚えておくことが大事なのだと思う。
 
今日の瞑想でも、呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして今日もご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。エネルギーの強い流れも感じる。そしていつもながら意識が遠のく。幾何学模様の光が映像として現れた。何とも不思議な光景だった。そしてびっくりだったのだが、いきなり何か手紙のようなものを渡され、それを開くと一番上にしっかりと私の名前宛てになっているのがわかった。(クセのある文字だったが、見覚えはない)その名前に続き、下には同じクセのある文字のようなものがびっしりと書かれてあったのだがすぐにその映像が消えてしまったので、内容はまたもやわからなかった。あのまま消えずにちゃんと読めていたら、内容がわかったのだろうか。その段階でもとても残念に思っていたのだが、今もその思いは少なからずある。そこまで見せて下さっていたのに、なぜ消えてしまったのかが謎であり、残念だったのだ。その後も光のようなものが見えていたが、曲が終わると共に消えてしまった。気持ちを切りかえて静かに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

829回目の瞑想

天使
 
ーーー非物質的世界であれば、その世界はそこに住む者すべてにとって同じものですか、それとも一人ひとりの思念によってこしらえるのでしょうか。もしも私が今あなたの世界へ行ったら、私の目に同じ世界が映るのでしょうか。それとも違う世界でしょうか。
「それはあなたが地上でとの発達段階にあったかによります」
 
ーーーもしあなたと一緒になったら、そこは私の精神によってこしらえられた世界でしょうか。
「そうとも言い切れません。もしもあなたが今の私と同じ位置、つまり同じ発達レベルにあると仮定すれば、あなたは私に見えるものを見、私が体験するものを体験します。が、今私が住んでいる世界ーーあなたと一緒になると仮定している世界が何で構成されているかはまた別の問題です。これは言語で説明するのは困難です。言語というのはその裏側にある実在をいくらかでも表現しようとして絵画や概念やシンボルなどをそれでくるんでみているに過ぎません。
私たちは"生命とは霊である"というところから出発いたします。私たちの世界はあなた方の世界と同じく霊というものがあってはじめて存在しているのです。その霊は無限です。したがって無限の顕現をしています。 ところで、思念とはいったい何でしょうか」
 
ーーー思念とは私の精神が生み出すものです。精神が何であるかはともかくとして・・・
「それには実体がありますか」
 
ーーーたぶん思念は実体のあるものになれる性質をもったものだと思います。初めから実体があるのではないと思います。
「でも、あなたは思考しながら自分が思考していることが分かってますね?」
 
ーーーええ。思考によって物事を明確にすることができると思います。
「あなたは自分が思考していることを自覚していらっしゃる。が、思念は見えることも聞くことも、重さや大きさを計ることもできない。物理的な計量方法がないわけです。なのにあなたの行為のすべてに思念が責任を負っています。思念の方が行為に先行しているからです。思念なくして行為は生まれません。
あなた方の世界では考えたことが行為として具体化します。私たちの世界では考えたことが霊的実在として具現化し、それには、あなた方にとって物質の世界が実感あるように、私たちにとって実感があります。要は相対上の問題です。あなた方にとって物質に実感があるように、私たちにとっては思念に実感があるということです」
 
今回の内容は、やはり難しいように感じる。だが、霊界では同じレベルの者と一緒に生活すると言われているので、シルバー・バーチ霊が言われる同じものを見、同じもの体験するのだと思う。また思念に関しては今この世で実体あるものとして認識するのは難しいと思うが、実際にいろいろな霊的な本にも思念が具現化するということは書かれている。そんなことができるのだろうかと、不思議だが、ある本には他界した霊がその世界で思念することができないために何も具現化出来ずに困っていると言ったことが書かれていた。地上にいる時から、思念する力を養っておけばよかったと後悔する言葉も書かれていたのだ。ということは今現在も私たちは思念する力を養っておかなければいけないのではないかと思う。もちろん、この世で思念すればすぐに具現化などはしないだろうが、だが霊界に行ってからでは遅いように思うのだ。少しずつでも自分の思念したことが何かの形になって現れたら、それこそ他界してからの生活がスムーズになるのではないかと思う。出来ることは今この地上にいるうちにやっておいて損はないと思うのだ。
 
今日の瞑想でも、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。今日もご依頼者様方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。今日はいつもよりも時間をかけさせて頂いた。エネルギーの流れ方がとても強く感じた。お祈りにも力が入るが、極力平静に穏やかに心を込めてをモットーにさせて頂いている。意識があると思っていたが、終わってみると半々だったようだ。どこか夢うつつのような状態もあり、途中、瞬時に映像なのか自分が体験したのかわからないが、気がつくと残像だけが残っているといったような感じが何度となくあった。その後、前方で一回のみだったが、ちょっとびっくりするような大きな音ラップ音がなったのだ。こんな大きな音は初めてであった。すぐに集中するが、長めの時間はあっという間に終わってしまった。感謝の気持ちを込めて 神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

830回目の瞑想

天使
 
 
メンバーの一人が「思考とは別に物質界には客観的な存在物があります。丘のように誰にでも見えるものがあります。霊界にも各自に思考とは別に客観的存在物誕生があるのでしょうか」と聞くと。ゲストが「私たちは今この部屋に座っています。そして、そのことをみんな同じように認識しています」と口添えをする。
「でも、その認識の仕方は一人ひとりに違います。私たちの世界の生活にはさまざまな存在のレベルがあります。といってそれが一つひとつ孤立しているのではなくて、お互いに融合しております。各レベルにおいてあなたのおっしゃる客観的存在物がそこに住む人にとって同じように映ります。丘があり川があり、小鳥がさえずり、花が咲き、樹木が茂っております。そのすべてに実感があります。
それとは別に、思念によって実在物を創り出す力も各自に具わっております。成形力のある思念性の素材によって、自分に必要なものをこしらえることができます。それが、程度問題ですが、それなりの固体性のある実体を具えているのです」(明日に続く)
 
今回も大変に関心ある内容だ。この地上世界と同じように客観的存在物が霊界にもあると言われている。けれど霊界にはさまざまなレベルの存在が融合しているので、各レベルにおいての客観的存在物はあると言われている。更に地上世界と違うのは思念によって実在物を創り出す力が各自に具わっていると言われているのだ。けれど皆が皆、簡単に創り出すことはできないのではないかと思う。もちろん一定以上のレベルの存在にとってはたやすいことなのかも知れないが。けれど、思念によって実在物を創り出すことができるとしたら、それは本当に凄いことだと思う。私自身もそれをすごく楽しみにしている。
 
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、今日もご依頼者の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。実は昨日は月1度の演奏会だった。しかも亡くなった息子が演奏した曲目チャイコフスキーの交響曲6番「悲愴」だったのだ。演奏中、大泣きし嗚咽まで漏らしそうになった。けれど、その時に神様のエネルギーを強く感じたのだ。そして霊的な気持ちに更に拍車をかけて頂けるようだった。音楽の力はやはり神様の力なのだと確信して、有難い思いで一杯になっていた。その後は晴れ晴れとした気持ちで過ごすことができた。そして今朝のお祈りとヒーリングもいつもとは違った感覚を感じていた。その間、宇宙空間に浮いている自分を感じていたのだ。そして今度はトンネルをただただひたすらに駆け抜けているような感覚になった。新幹線よりは遅い速度だったように思う。トンネルの遠い先には光が見えていた。ただ残念ながらそこに辿り着くことはできなかった。だが、いつもに増して深い状態だったように思う。自然と目が開くと、穏やかな気持ちそのものであった。そのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

831回目の瞑想

天使
 
ーーーということは、あなたの世界も物的と言えるわけですね?
「言えます。物的という用語をどう解釈するかが問題ですが・・・」
 
ーーー私の肉体と同じように物質で出来ているかということです。つまり私が死んでからまとう身体も物質であって原子の回転速度が一段と速いというだけなのでしょうか。
「それもこれもみな、ただ用語にすぎません。"物的"とか"物質"とか用いる時はその意味を明確にしておかないといけません。ある意味では霊の世界は"電化された物質"で出来ていると言うことができます。しかしその時の"物質"という用語はあなた方が理解しているものとは違います。また"物的身体"というのも、今あなたがおっしゃった通り原子で出来ているのです。原子はさらに細かく分析できますが、そのうち計量器では分析できない段階に至ります。するとその原動力は物的なもの、形あるものではないことになります。つまり物質が形あるものというのはそう見えるというだけのことということになります。固いと思うのは錯覚なのです。
人間にはいろいろな身体があって、それぞれ発達程度が異なります。その肉体から脱け出ると、それとそっくりの幽質の身体をまといますが、それは地上時代からずっと使用し自我を表現していたものです。バイブレーションが地上生活にふさわしい高さだからです。その幽体は地上で肉体が実感があったように、他界直後の生活においては立派に実感があります。
すべては意識している"場"の問題です。船に乗っている夢を見れば、眠っている間はそれが現実です。"夢だった"と思うのは目が覚めた時です。そして船は幻だったことになります。もしも永遠に夢を見続けるとしたら、その夢の生活が現実となることでしょう。目が覚めている間は地上生活が実感あるように、その夢の状態が実感あるように思い続けることでしょう。
今のあなたは夢を見ているのではないという確証はどこにあるのでしょう?もしかしたら、ここにいる人たちと一緒に同じ夢を見ているのかも知れないということも考えられるのです。こんなことを申し上げるのは、地上には霊的実在に目覚めていないという意味で地上生活という夢を見続けている人間が無数にいるからです。その夢から覚めて、ようやく自分は肉体ではないという自覚を得るのです。何度も申し上げているように、あなた方は肉体を携えた霊であって、霊を携えた肉体ではないのです。これは大変な違いです」
 
今回の内容もとても勉強になった。私達人間の肉体、いわゆる形体は意識している世界の問題で、地上ならば肉体が、幽界なら幽体が、霊界ならば霊体がそれぞれ実感があるということのようだ。どうしても幽体とか霊体と言うと、掴み所が無いように思えてしまうが、他界後はその生活においてきちんと実感があるということに、安心することができる。
シルバー・バーチ霊の例えは大変に言い得ていると思う。夢の問題を取り上げて、今地上には霊的実在に目覚めていない人間が無数にいると言われ、地上生活という夢を見続けているのではないかとのお言葉は正にその通りと言わずにはいられない。その夢が覚めた時、死後の世界でようやく霊的実在の自覚を得るのだと言われている。ただ死後の世界へ行っても霊的実在の自覚を持てない人もたくさんいる。霊的実在を自覚できない限り、地上生活の夢を見続けていくことになるのだろう。兎にも角にもこの地上にいる時から、私達人間は肉体を携えた霊である、という霊的実在の自覚が必須なのだ。
 
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。今日もご依頼者の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。お祈りとヒーリングに集中し、ただひたすらに思いを込める。そうしているうちにまた光が見えてくる。画面一杯に広がったり、上から降りて来たり、横切ったりとさまざまな動きをしていた。すると大きめな縦に長四角のドアのような形をしたものがいきなり現れ、その形から1㌢くらいずつ隙間があるのだが、そこから光が漏れている。そしてついにその扉が向こう側から開いたのだ。その光りの神々しさと言ったらなかった。その奥には人影のようなものも見えたが、はっきりと認識はできなかった。とにかく自然とひれ伏してしまうようなそんな素晴らしいお光りだったのだ。ただただ有難い思いだった。前にも下から全体に広がるお光りが現れて、更に真正面に白色に光る球体のようなお光りが現れたが、それを更に上回るようなお光りだったのだ。今回も見たいと思って見られるような映像ではなかったので、ただただ神様と霊界の方々に感謝の気持ちをお伝えさせて頂き、終了した。

832回目の瞑想

天使
 
   
メンバーが「それに加えて、われわれにはもともとPersonalityパーソナリティ(確定した人物像)というものは無いということも大切なことですね」と口添えするとーー
「おっしゃる通りです。パーソナリティというのは地上にいる間だけのものです。地上生活のために便宜上つけているマスクのようなものです。地上生活が終わればマスクは捨て去ります」
 
ーーー私は、霊は異なった"種"の物的形体を通じて顕現しながら完全に向けて進化し最後に人間に至るという説を立てているのですが、正しいでしょうか。
「あなたがおっしゃるのは、人間という頂点に達するまで一個の霊があらゆる生命形態を通して表現されてきたという意味でしょうか」
 
ーーーそうです。
「あらゆる生命体というのであれば、それは私がIndividualityインディビジュアルティ(霊的統一体)と呼んでいる場合の個霊としてとは限りません。犬とか猫に生命を与えている霊はそれぞれに個別性がありますが、花に生命を与えている霊の個別性とはまた別です。生命あるものには必ず霊があります。霊は生命であり生命は霊です。霊としてのあなたは無始無終に存在しております。それが現段階において受胎の瞬間から個性ある霊となったわけです。
個霊としてのあなたの進化は今後さまざまな身体を通して続けられます。そして進化すればするほど個性が発現されます。が、その場合の個性は地上で見せていた人物像とは意味が違います。これはとても理解の難しい問題です。進化の目的は完全性を成就することです。が、その成就の過程は無限に続くのです。進化して不完全なところを一つ取り除くごとに、また新たに取り除かねばならない不完全さに気づき、かくしてこの過程が永遠に続けられるのです。
ここで是非とも認識していただかねばならないのは、パーソナリティとインディビジュアリティとは大きな違いがあるということです。パーソナリティとはインディビジュアリティが物的身体を通して表現している小さな側面のことです。インディビジュアリティがその個性を発揮するために使用するかずかずの側面のうちの一つで、地上にいる間に見せる人物像です。
インディビジュアリティの側面は地上で見せる人物像だけとは限らず、他にもたくさんあります。それを、地上を去ってより高い存在の場で進化しながら顕現し続けていくのです。
個性が発現すればするほど地上で見せた人物像は消えていきます。霊恪が高くなればなるほど、あなた方が容姿から連想して画くところの人物像が消えていくのです。とても説明が困難です。その真相をうまく表現する用語が見当たらないのです。
こちらの世界はそちらからやってくる人たちによって構成されております。そちらから未発達霊を送り込んでこなければ何一つ問題は起きないのですが、現実には何の準備もできていない、適合性に欠ける無知な霊を次々と送り込んでおります。小学校で学ぶべきだったことを大人になって教えるのは、なかなか難しいものです。(いつまで経っても物分かりの悪い霊がいるその結果として)あなた方地上の人間は最低から最高に至る、ありとあらゆる霊的影響力にさらされることになります。が、実際に引き寄せるのは自分と同じ霊恪を持った霊だけです。邪悪な人間は邪悪な霊を引き寄せ、心清き人は心清き霊のみを引き寄せます。それが自然の摂理なのです。
自分の肉体が無くなったことに気づかず、霊的に死者同然のような霊が無数にいることを私たちの責任であるかに思って頂いては困ります。それはあなた方が地上でやるべき仕事です。つまり肉体の死後に必ず訪れる次の生活に備えさせるように指導することです。
霊の世界は地理的なものではありません。霊界が七つの界に分かれているなどと、まるで地図でも見るような言い方をする人がいますが、そのようなものではなく、すべてが融合し合っているのです。不完全性を取り除くにつれて、その霊格に似合った境涯へ向上していくのです。
そうして発達を続けていくうちに霊的真理の実相を悟って、もはやその理解のために比較対照というものを必要としなくなる段階に至ります。それは地上においても達成できるものです。つまり知的な思考による理解を超えた"悟り"を地上生活中に得ることができます。それは私たちの世界へ来てから比較対照が無くても実在が理解できるようになるのと同じ段階です」
 
今回の内容は私達人間にとって、とても大事なことを説かれていると思う。まずパーソナリティというものはこの地上にいる間だけのものだといわれており、地上生活するための便宜上のマスクのようなものであり、地上生活が終わればそのマスクは捨ててしまうのだと言われる。そういうものなのかとしみじみ思う。更にシルバー・バーチ霊が私達人間に是非とも認識してもらいたいと言われているお言葉、ここが一番肝心なのではないかと思う。パーソナリティとインディビジュアリティとは大きな違いがあるということ。パーソナリティとはインディビジュアリティが物的身体を通して表現している小さな側面であるということ。インディビジュアリティがその個性を発揮するために使用するかずかずの側面のうちの一つで、地上にいる間に見せる人物像だと言われているのだ。そしてその人物像は個性が発現すればするほど地上で見せた人物像は消えていくと言われ、霊恪が高くなればなるほど、私たちが容姿で認識している人物像は消えていくと言われている。人物像は消えても個性は消えないのだと思う。
また私たち地上の人間は最低から最高に至る、ありとあらゆる霊的影響力にさらされているが、けれど実際に引き寄せるのは自分と同じ霊恪を持った霊だけなのだ。邪悪な人間は邪悪な霊を引き寄せ、心清き人は心清き霊のみを引き寄せると言われている。それが自然の摂理なのだと。これは本当に得心できる。霊に取り憑かれるということは、その霊を自分が引き寄せているに他ならない。だから何度除霊したところで、自分自身が変わらない限り同じような霊を引き寄せてしまうということなのだ。
最後のお言葉も圧巻である。私自身も生きているうちに比較対照を必要としなくなる段階になりたいものだと、強く思った。
 
今日の瞑想でも、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。今日もご依頼者の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。意識がずっとあると思っていたが、終わってみると、ほとんど覚えていないのだ。その間は確かにはっきりと映像なども見えていたはずなのに、だ。だがやはり深い状態だったのかも知れないと終わってみて感じた。そのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

805回目の瞑想

天使
 
ーーーあなたは代弁者マウスピースにすぎないとおっしゃってますが、その情報はどこから伝達されるのですか。
「数え切れないほどの中継者を通じて、無尽蔵の始原から届けられます。その中継者たちは真理の本来の純粋性と無垢の美しさが失われないようにするための特殊な仕事を受け持っているのです。あなた方のいう"高級霊"のもとに大霊団が組織されています。が、高級などという表現を遙かに超えた存在です。神の軍団の最高指令官とでも言うべき位置にあり、それぞれが霊団を組織して責務の遂行に当たっております。
各霊団の組織は真理が首尾良く地上世界に滲透することを目的とすると同時に、それに伴って霊力がより一層地上へ注がれることも意図しております。生命力といってもよろしい。霊は生命であり、生命は霊なのです。生命として地上に顕現したものは、いかなる形態であろうと、程度こそ違え、本質において宇宙の大霊と同じものなのです。お分かりでしょうか。忘れないでいただきたいのは、私たちはすべて(今述べた最高指令官による)指揮、監督のもとに仕事をしており、一人で勝手にやっているのではないということです。私は今、私が本来属している界、言わば"霊的住処"から帰ってきたばかりです。その界において私は、私を地上へ派遣した上司との審議会に出席し、これより先の壮大な計画と、これまでに成し遂げた部分、順調にはかどっているところ、しっかりと地固めができた部分について教わってきました。
その界に戻るごとに私は、天界の神庁に所属する高級霊団によって案出された計画の完璧さを再確認し、巨大な組織による絶妙な効果に驚嘆の念を禁じ得ないのです。そして、地上がいかに暗く、いかに混沌とし、仕事がいかに困難を極めようと、神の霊力がきっと支配するようになるとの確信を倍加して地上へ戻ってまいります。
そのとき他の同志たち(他の霊媒や霊覚者を通じて地上に働きかけている霊団の支配霊)と共に私も、これからの仕事の継続のために霊的エネルギーを補充してまいります。指揮に当たられる方々から計画が順調に進行していることを聞かされることは、私にとって充足感の源泉です。すでに地上に根づいております。二度と追い返されることはありません。かつてのような気紛れな働きかけではありません。絶え間なく地上にその影響力を滲透させんとして働きかけている霊力の流れを阻止できるの力は、もはや地上には存在しません。
ですから、悲観的になる材料は何一つありません。明日を恐れ、不安におののき、霊的真理なんか構っていられないと言う人は、好きにさせておくほかはありません。幸いにも霊的 光明を垣間見ることができ、背後に控えている存在に気づかれた方は、明日はどうなるかを案ずることなく、常に楽観的姿勢を維持できなければいけません」
 
今回の内容もとても素晴らしいものだった。シルバー・バーチ霊に情報を伝達される方々は、高級などという表現を遙かに超えた存在であり、神の軍団の最高指令官とでも言うべき位置にあって、それぞれが霊団を組織して責務の遂行に当たっておられると言われている。そのような存在を知り合えただけでも私は感動する。神さまに近い存在なのだろう。そんな最高指令官による指揮、監督のもとに仕事をしておられるシルバー・バーチ霊ご自身もやはりとても高い霊恪の持ち主だということが更にわかる。ただ、私が気になったのは、 計画が順調に進行していて、すでに地上に根づいていると言われ、その霊力の流れを阻止できるの力は、もはや地上には存在しないと言われている。そして、 悲観的になる材料は何一つなく、明日を恐れたり、不安におののく必要はないと言われているのだ。
だが、今のこの世を鑑みたときに、本当に霊力の流れが阻止されていないのだろうかと思ってしまう。この世の大方の人間は今現在の楽しみだけに現を抜かしているようにしか思えないのだ。また暗いニュースも毎日ようにTVで報道されている。おおよそ霊的なことに対して関心があるとは思えない。それは霊的真理を必要としない人は、好きにさせておくほかはないと言われている方達ということなのだろうか。また幸いにも霊的 光明を感じ、背後に控えている存在を信じられる人というのは少なからずいるはずだ。そういう方々は明日を案ずることなく、常に楽観的姿勢を維持しなければいけないと言われている。当時の霊的覚醒者が今現在と比べてどうなのかは知る術もない。ということは前述のシルバー・バーチ霊のお言葉を信じるしかないということだ。少なくとも霊的真理を知り、共感した人は、明日を煩うことなく、生きていかなければならないということを常に心を留めておく必要があるということだ。
 
今日の瞑想では、呼吸に意識して、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。今日もご依頼者の方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。その間もまた意識が薄れていく中で、映像らしきものが浮かんだがはっきりしなかった。そのままよくわからない映像が続き、気がつくと曲も終わるところであった。続いて 神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

806回目の瞑想

天使
 
シルバー・バーチ霊が"指導霊崇拝"に対して警告の理由をこう述べた。
「指導霊といえども完全ではありません。誤りを犯すことがあります。絶対に誤りを犯さないのは大霊のみです。私たちも皆さんと少しも変わらない人間的存在であり、誤りも犯します。ですから私は、霊の述べたものでも(すぐに鵜呑みにせず)必ず理性によってよく吟味しなさいと申し上げているのです。私がこうして皆さんからの愛と好意を寄せていただけるようになったのも、私自身の理性で判断して真実であるという確信の得られないものは絶対に口にしていないからです。
私は何一つ命令的なことを述べたこともなければ、無理やりに押しつけようとしたこともありません。私は霊的にみて一番良い結果をもたらすと確信した案内指標ガイドライン(これはなかなか良い言葉です)をお教えしているのです。霊的にみてです。物的な結果と混同してはいけません。時にはあなた方人間にとって大変な不幸に思えることが霊的には大変利益をもたらすことがあるのです。
人間は問題をことごとく地上的な視点から眺めます。私たちは同じ問題を霊的な視点から眺めます。しかも両者は往々にして食い違うものなのです。例えば"他界する"ということは地上では"悲しいこと"ですが、霊の世界では"めでたいこと"なのです。
人間の限られた能力では一つ一つの事態の意義が判断できません。ですから、前にも申し上げたように、判断できないところは、それまでに得た知識を土台として(すべては佳きに計らわれているのだという)信念で補うしかありません。しかし、所詮、そこから先のことは各自の自由意志の問題です。自分の生き方は自分の責任であり、ほかの誰の責任でもありません。もしそうでなかったら神の判断基準は地上の人間の公正な観念よりお粗末であることになります。
自分が努力した分だけを霊的な報酬として受け、努力を怠った分だけ霊的な代償として支払わされます。それが摂理であり、その作用は完璧です。
こうした仕事を通じて私たちが皆さんにお教えしなければならない任務の一つは、私たち自身は実に取るに足らぬ存在であることを認識していただくことです。どの霊もみな神の使者にすぎないのです。ですから、自分以外の誰かがその神の意志こころと霊力みちからにあやかれるようにしてあげれば、それは自分に課せられた仕事を成就していることですから、その機会を与えられたことに感謝すべきだと考えるわけです。(中略)
その教えが悲しみと悩みと困難の中にある人たちの救いになっていることを知るのが、私にとって充足感の源泉の一つなのです。その教えは私個人の所有物ではないのです。それは全ての者が辿るべき道があることを教え、その道を辿れば自分自身についての理解がいき、全生命を支配している無限の霊力の存在に気づき、各生命がその霊力の一部をいただいていること、それ故に絶対に切れることのない絆で結ばれていることを知ります。
そういう次第ですから、指導霊ないしは支配霊としての資格を得るに至った霊は、自分自身が崇拝の対象とされることは間違いであるとの認識があるのです。崇拝の念は愛と叡智と真理と知識と啓示と理解力の完全な権化であるところの宇宙の大霊、すなわち神へ向けられるべきなのです。神とその子等との間の一層の調和を目的とした感謝の祈りをいつどこでどう捧げるべきかについて、間違いのないようにしないといけません。
もっとも、皆さんからの愛念は大歓迎です。私がこうして使命を継続できているのも地上に愛があるからこそです。その愛を私がいただけるということは、私が託された仕事を成就しつつあるということです。この冷ややかな地上世界に降りた時の何よりの支えとなる愛の温かさを頂戴し続けるつもりです。
自我の開発ーーこれが人間としてのもっとも大切な目的です。それがこうして私たちが霊界から地上へ戻ってくる目的でもあるのです。すなわち人間に自己開発の方法、言いかえれば霊的革新の方法をお教えすることです。内在する神の恩寵を味わい、平和と調和と協調と友愛の中で生きるにはそれしかないからです。今の地上にはそれとは逆の"内紛"が多すぎます。
数からすれば私たちの霊団は比較的少数ですが、計画は発展の一途を辿っております。着実に進歩しております。確実な大道を見出す巡礼者の数がますます増えております。まことに悦ばしいことです」
 
今回の内容も大変に意義深いものだと思う。私達人間にとって、指導霊とか支配霊と聞くと、やはり恐れ多いような気持ちになる。そしてその方達の言われていることは絶対などと思ってしまうのだ。それをシルバー・バーチ霊はいさめている。指導霊といえど、支配霊といえど、完全ではないと。至って人間的存在なのだと。だから言われたことを鵜呑みにするのではなく、一旦自分の理性に照らし合わせて判断するべきなのだと言われている。ここの下りだけでも、現在霊能者として、自分自身を崇めさせている教祖などは、偽者だということがわかる。また威圧したり、強制したり、ということがない。このことからも本物か偽物かということは見極めることができる。騙す人間は論外だが、騙される人間にも原因があると私は常々思っていた。要は自分でしっかりと調べて判断する強い意志を持つことなのだ。人に流されず、確固たる信念を持つことが必須なのだと思う。また、指導霊や 支配霊となる資格を得る霊ご自身が崇拝の対象とされることは間違いであるとの認識があるのだと言われる。やはり本物は謙虚であられるということでもあるが、神様の偉大さについての真実を分かっておられるからこそだと思う。今回の内容で説かれているのは何と言っても、私達人間が崇拝すべきは唯一神様をおいて他にはおられないということなのだ。そのことを頭の片隅ではなく、心のど真ん中に据え置くことが肝要なのだと強く思う。更に常に私達人間に言われている自己開発についても説かれている。人間にとってもっとも大切な目的だからなのだ。またシルバー・バーチ霊の率いる霊団の方たちがこの地球に戻って来て下さる目的でもあると言われている。その目的に向かって努力した分だけを霊的な報酬として受けることができ、努力を怠った分だけ霊的な代償として支払わされると言われ、それが摂理なのだと言われている。その結果が死後、霊界での落ち着く場所が決まるのだと思う。その場所次第では、素晴らしい界層を満喫できるのか、それとも苦しい思いが続く界層に行くのかに別れるのではないか。だが、どちらを選ぶかもすべては自分の自由意志で選択できるのだ。ただ選択したからには、それに向かって努力を怠ることはできない。怠れば望み通りの界層には行けなくなるのではないかと思うからだ。皆さんはどちらを選択されますか。
 
今日の瞑想では、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。今日もご依頼の方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。しばらくは意識があるようなないような状態だったが、とにかく意識をご依頼の内容に集中した。ただ集中すればするほど、意識が遠のいていく。曲の音自体聴こえていたわけではないのに、何故か曲が終わったと感じると同時に意識が戻る。やはり曲は終わっていた。そのまま神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

807回目の瞑想

天使
 
自由意志、これは人間にとって極めて理解の難しい問題である。その質疑応答を記そうと思う。
まず初めにシルバー・バーチ霊の意見に耳を傾ける。
「男性と女性とが互いに足らざるところを補い合って全体を完成させるーー理性で解答の出ないところは直感で補うーーこれは"補完の摂理"の一つの側面です。人間には自我の開発のためのチャンスが常に与えられております。それをどう活用するかは本人の自由意志に任されております。
人生には偶然はありません。偶発事故というものはありません。偶然の一致もありません。すべてが不変の自然法則によって支配されております。存在のどの側面を分析しても、そこには必ず自然法則が働いております。人間もその法則の働きの外には出られません。全体を構成する不可欠の一部だからです。
その法則はあなた方が何らかの選択をした際に確実に働いてきました。選択するのはあなた方自身です。その際あなた方を愛する霊による導きを受けておられます。足もとを照らす光としての愛です。それに素直に従えば意義ある人生を歩むことになる、そういう愛です。
愛は生命と同じく不滅です。物的なものはその本性そのものが束の間の存在ですから、いつかは滅ぶ運命にありますが、霊的なものは永遠に不滅です。愛の本性は霊的なものです。だからこそ永続性があるのです。死を超えて存在し続けます。バイブルにあるように愛とは神の摂理を成就することです」
 
今回からの内容は、自由意志についての問題であるが、それ以外の質問もあるので、大いに勉強になる。シルバー・バーチ霊のお言葉に人間には自我を開発するためのチャンスが常に与えられていると言われ、それをどう活用するかは本人の自由意志に任されていると言われている。そして、人生には偶然も偶発事故というものも偶然の一致もないと断言されている。すべては自然法則に支配されていて、人間はその法則の働きから出ることはできないと言われているのだ。そして更にその自然法則は私達人間が自由意志で何かを選択した時には必ず作用すると言われている。自分で選択するとは言え、自由意志とはかなり責任重大なのだと思わざるを得ない。ただその自由意志で選択する際には、私達を護って下さっている霊が導いて下さっているとも言われており、それは足もとを照らす愛だと表現されている。その愛に素直に従えばこの世の人生を意義あるものに出来ると言われているのだ。それは良心ということにもなるのだろう。この世の愛というと、ドロドロしたものをどうしても思い浮かべやすいが、真の愛の本性は霊的なもので、生命と同じく不滅だと言われ、愛は神様の摂理を成就することとまで言われている。真の愛の本性とはやはり崇高なものなのだ。神様のある一側面ということなのだろう。ということは何事も自由意志で選択する際は、真の愛をもって選択する、ということに尽きるのではないか、そういう結論に行き着く。素晴らしい訓えである。
 
今日の瞑想では、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。今日もまたご依頼のあった方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。ただひたすらにお祈りとヒーリングに集中していると、私自身変なことを口走っていたりして、全く関係ないと思われる名前まで口にしていたのだ。その言葉で我に返るが、なぜその名前が出てきたのか、それまでの経緯も全く思いだせなかった。もしかすると、私自身はお名前を知らないので、相談者の関係ある方のお名前かも知れないが・・・
気にせず、また心を込めて集中していると、曲の最後の音の伸ばしが聞こえてきたのだ。余韻のような音だった。あまりにも今回の時間が短く感じられた。そのままゆっくりと神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

808回目の瞑想 

天使
 
ーーーすべての道は同じ目的地に通じているのでしょうか。それとも目的地というものは無いのでしょうか。
 「"目的地"という用語が厄介です。私なりに言わせていただければ、すべての道は造化の霊的大始原に通じております。宇宙の大霊、あなた方のいう神ゴッドは無限なる存在です。となると、完全なる愛と叡智の権化であるその大霊に通じる道もまた無限に存在することになります。大霊とは生命であり、生命とは大霊です。生命ある存在は誕生によっていただく遺産として神性を宿しております。そして地球という惑星上の全生命は究極において唯一の霊的ゴールに通じる道を辿りつつ永遠の巡礼の旅を続けております。どの道を辿るかは問題ではありません。巡礼者の一人ひとりが真摯に自我の向上に求め、責任を遂行し、与えられた才能を開発して、その人が存在したことによって他の人が霊的な豊かさを得ることができるようにという、誠実な動機をもって生きればそれでよいのです」
 
   今回の内容も私達人間が知りたいと思うことなのではないかと思う。ただシルバー・バーチ霊のお答えで、目的地へ向かうというよりも、完全へ向けての道を永遠に進むといったように感じた。そしてその進む道はどのような道でも問題ではないと言われ、私達人間一人ひとりが真摯に自我開発に勤しみ、責任ある行動をし、神様から与えられた才能を駆使することだと言われている。更に他の方が霊的に目覚め、人生を豊かに生きられるようにとの誠実な動機をもって生きるだけでいいとも言われているのだ。それなら、私にもできるように思う。もちろん、与えられた才能については何かはまだわからないが、もしヒーリングということであれば、出来る限り人のために尽くさせて頂きたいと思っている。そしてヒーリングの際のお祈りは、霊的に目覚められるようにとの思いを込めてお祈りさせてもらっている。今はそれが精一杯出来ることだと思っているからだ。更に何かもっと出来ることが増えてきたら、真摯に実行して行きたいと思う。
 
今日の瞑想でも、呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。
今日もご依頼のあった方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。最初は意識もはっきりしていたが、やはり段々と遠のいていく。そんな中で「人のために生きよ」というお言葉が浮かんだ。その時のエネルギーの流れが強くなったように感じた。更にお祈りとヒーリングに集中した。精一杯心を込めてさせて頂けたと思う。最後に神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。
(その後、ご依頼者様からご連絡があったようで、朗報であった。一安心させてもらった)

809回目の瞑想

天使
 
ーーー(核実験のような)人間の行っていることが原因で地球が滅びるのではないかと心配している若者が多いのですが・・・
 「この惑星が滅びてしまうことはありません」
 
ーーー人類が滅びることもないのでしょうか。
「ありません。人間も生存し続けます。人間がこの惑星に対して為しうることは、自然法則によって自ずから限界があります。惑星全体をそこの生命もろともに消滅させてしまうことはできません。しかし、そこにも自由意志の要素が絡んでおります。つまり内部に宿る神性に目覚めるか、それともそれを無視するかです。無視すれば霊的向上は望めません。霊的な身支度ができないまま私たちの世界へやってまいります。そうしてもう一度初めからやり直さなければなりません。いかなる人間も、たとえ集団組織をもってしても、神の意志の実現を挫けさせることはできません。その進行を遅らせることはできます。手を焼かせることはできます。妨害することはできます。しかし宇宙を支配しているのは叡智と愛です。いつかは必ず行き渡ります。それが神の意志だからです」
 
今回の内容はいつの世も未来を心配する地球や人類が滅びるのではないかという問題についてだ。それに付随して不安を煽る輩がいる。それが霊能者だったり、予知能力者だったりするからたちが悪い。未来を破滅的に言う人間はどんなに能力があろうが、私は信じない。神様を信じている私は、必ず良い未来が待っていると信じているからだ。なので今回のシルバー・バーチ霊のお言葉には本当に嬉しい気持ちになった。地球も人類も滅ぶことは無いと断言されておられる。人類に地球を消滅させることはできないと言われている。また自由意志の問題があるので、神性に目覚めることを選択することもできるし、無視することもできると言われ、無視すれば霊的向上は望めなく、霊界へ行った時には初めからやり直さなければいけないと言われているのだ。更に神様のご計画の進行を遅らせたり、妨害することもできるが、いつかは必ず成就すると言われている。それが神様のご意志であれば、人間に邪魔立てなどできるはずもないということなのだろう。その神様のご意志を信じることが唯一不安や恐怖から逃れられることなのだと思う。神様の懐に入っていれば、不安を煽る人間の戯言など恐れるに足りぬということだ。
 
今日の瞑想でも、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂き、今日もご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。ただ、昨日結果の良かったご依頼の方については一応終了とさせて頂いた。今日もただただ霊的に目覚められるようにとのお祈りを中心に、ヒーリングをさせて頂いた。そして神様にお力を与えて頂けるようにお願いした。途中、意識が遠のきはしたが、ほとんど意識はあったように思う。一日も早く自分の住処に落ち着いて欲しいという思いでいっぱいだった。最後に神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

810回目の瞑想

天使
 
ーーー私たち人類はすでに多くのものを破壊し、それはもう元には戻せません。その多くは私たちの住むこの大地にあったものでした。その大地も限りある存在です。
「しかしその大地には莫大な潜在的資源が隠されています。まだまだ多くのものが明かされていきます。多くのものが発見されてまいります。人類は進化の終局を迎えたわけではありません。まだ初期のの段階です。
霊的真理を悟った方は決して絶望しません。それまでに明かされた知識が楽観的にさせるからです。その知識を基礎として、霊力というものに絶対的な信頼を抱くことができるのです。
永い人類の歴史には数々の災禍がありました。が、人類はそえを立派に乗り越えてきました。我ながら感心するほとの強靱さをもって進歩してまいりました。これからも進歩し続けます。
なぜなら、進化することが自然の摂理だからです。霊的進化も同じ摂理の顕れです」
 
  今回の内容では、大地には莫大な潜在的資源が隠されていると言われており、まだまだ多くのものが明かされたり、発見されていくと言われている。そういった方面は疎いので、私にはよくわからないが、当時から百年くらい経っているので、いろいろなことが明かされたり発見されてきたりしているのだろう。また何がどうあっても、霊的真理を悟った方は決して絶望しないと言われている。だが肝心なのは霊的真理を悟るということなのだ。単に知るということではない。悟るという問題はとても難しい。これはもう理屈ではなく、感じるものだからだ。知識はあくまでも知ることで自分のものにできると思うが、悟るということは全く違う。けれど、シルバー・バーチ霊が常に言われているように、信心と知識をもつことで判断できないことは、その信心と知識に裏付けされた事実を信じて進めば良いと言われている。なので、まだまだ悟るほどの境地には至っていないが、私自身は、自分の確固たる信心と今まで培ってきた知識とで、絶望しないように生きて行きたいと思っている。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして今日も新たにご依頼いただいた件とのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。このところ、意識が遠のいていく最中に(言葉にするとどう言っていいのかわからないが)関連していることの何かを見ているような感じているような、そんなことが度々起こるのだ。だが、たった今感じていたはずなのに、意識が一瞬戻ったその瞬間に何だったかを全く思いだせない。断片のみが微かに垣間見えそうなのだが、結局どんどん消えていってしまうのだ。その時の思いは何ともやり切れないような変な感触だけが残る。もっともっと具体的に覚えていたいものである。その後も意識はあるようなないような状態で時間になった。最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

811回目の瞑想 

天使
 
ーーー自由意志は、例えば宿業カルマによってどの程度まで制約を受けるのでしょうか。
「人生はすべてが自然の摂理によって規制されております。気まぐれな偶然や奇跡などによって動かされているものは何一つありません。すべてが原因と結果、種まきと刈り入れです。さもなければ宇宙は混乱状態に陥ります。いずこをご覧になっても無限の叡智から生まれた無限の構想の中で自然法則が働いている証拠を見出すことができます。
例えば四季の巡りがそれです。惑星と星雲の動きがそれです。潮の満ち引きがそれです。花々の美事な生育ぶりがそれです。それらのすべてが自然法則によって支配されているのです。となれば、その法則の枠組みを超えたものは絶対に起きないということですから、いくら自由といっても、そこには自ずから限界があるーー法則という神の力による制約があることになります。しかし、法則の裏側にも法則があります。物理法則だけではありません。精神的法則もあり、霊的法則もあります。
あなたが生き、呼吸し、存在しているのは、あなたという霊が受胎によって物質と結合して個的存在を得たからです。その個的存在が徐々に発達していきつつあるのです。その発達過程においてあなたには自由意志という要素、つまりその時々の環境条件の中で道を選択する力、あるいは判断力を駆使できることになっております。あなたが最良にして最高の選択をなされば、あなたの民族のために、世界のために、森羅万象のために、宇宙の霊的発達と進化のために貢献することになります。なぜなら、あなたの霊は宇宙の大霊の一部だからです。
宇宙の隅々まで支配している神性とあなたもつながっているということです。あなたはミクロの大霊なのです。大霊が具えている神性のすべてをあなたも所有しており、それを開発していくための永遠の時が用意されているのです。
明日の朝あなたはいつもより一時間早く起きようと遅く起きようと、あるいは起きずに終日ベッドに潜っていようと、それはあなたの自由です。起きてから散歩に出かけようとドライブしようと、それも自由です。腹を立てるのも自由です。冷静さを取り戻すのも自由です。そのほか、あなたには好き勝手にできることがいろいろとあります。
しかしあなたは太陽の輝きを消す力はありません。嵐を止める力はありません。あなたの力を超えたものだからです。その意味であなたの自由意志にも限界があります。それからもう一つ別の限界もあります。これまでにあなたが到達した精神的並びに霊的進化の程度です。例えば、人を殺める行為は誰にでもできます。が、その行為に至らせるか否かは、その人の精神的並びに霊的進化によって決まることです。ですから、あなたに選択の自由があるとはいっても、その自由はその時点でのあなたの霊的本性によって制約を受けていることになります。
宇宙にはこうしたパラドックスーー一見すると矛盾しているかに思える真実ーーがいろいろとあります。自由意志といっても常に何らかの制約を受けているということです。
さて、ここで私はもう一歩踏み込まねばなりません。あなたがカルマの問題をお出しになったからです。このカルマも非常に大きな要素となっております。なぜなら、地上に誕生してくる人の中にはあらかじめそのカルマの解消を目的としている人が少なくないからです。例え意識にのぼってこなくても、その要素が自由意志にもう一つ別の制約を加えております」
 
今回の内容は本題である自由意志について、詳細に述べて下さっている。本当に有難い限りである。まず最初に人生のすべては自然の摂理で支配されており、気まぐれな偶然や奇跡などによって動かされているものは何一つないと断言されている。このことが事実となると、この世で起きている些細なことから衝撃的なことまで、すべては偶然ではなく、奇跡でもないということになる。要はなるべくしてなっている、必然だということだ。まずその事を知らなければいけないのだと思う。これは世の中のことだけではなく、自分に起きるすべてのことも同じなのだ。決して偶然ではない。奇跡でもない。当然起こるべくして起きているという事実なのだ。そう思って自分の人生を振り返ってみると、なるほどと思えるものと、あのこともそうなのかと疑わしく思うこととに分かれるようにも思う。だが、すべては必然だったのだ。そしてこれから先に起こることも必然だということだ。だが、これから先については今回の自由意志ということが、とても重要になってくるように思う。制約はあるもののある程度の自由意志は許されている。その中で選択することが未来を決定づけることになるからだ。「すべてが原因と結果、種まきと刈り入れです」と言われている。自由意志で最良にして最高の選択をすれば、宇宙の霊的発達と進化のために貢献することになると言われており、それは正しく神様の道なのだと思う。その道さえ歩んでいれば何も怖いものない。鬼に金棒状態なのだ。けれど、それもすべてはその人の到達した精神的並びに霊的進化の程度で決まるのだ。だからこそ精進するしかないのだと思う。
また、自然法則が働いている証拠として例を挙げておられるが、今では四季折々を感じることが少なくなっては来ているが、けれど春にはなれば可愛い花々が咲く。我が家でも育てている薔薇が、今回は今まで以上に蕾がつき、徐々に美事な花を咲かせているのだ。それを見るにつけ、自然の素晴らしさを実感し、神様の偉大さを実感しているのだ。
最後はカルマの問題を述べられている。自分にとってのカルマが何かということは未だにわからない。またそのカルマを解消しに誕生したのかどうかも今はわからない。だが、カルマというと意気消沈するような言葉に感じるが、私の今までの人生は明るいイメージしかない。もちろん、息子の死についてはその最中にあってはそのような想いだったにせよ、過ぎてしまうとなぜか、そこまでの想いにはなれないのだ。それは私にとって必然であったと思うことができたからだろう。なので、今のところはカルマを解消しに誕生したのではないと思えるのだ。
皆さんはどうだろうか。ご自分の人生を時には振り返って考えてみるのも必要に思うが。問題を提起して今回は終わりにする。
  
今日の瞑想では、呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。今日もご依頼の方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。前回と同じような感じで、意識が遠のいている時には何かを感じているのだが、戻るとわからなくなる。そのような状態の中で、なぜか神様の道具として身を捧げる覚悟といった想いがこみ上げてきた。そのまま神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

812回目の瞑想

天使
 
   
ーーー良心の問題ですが、これは純粋に自分自身のものでしょうか。それとも背後霊の影響もあるのでしょうか。
「あなた方人間は受信局と送信局とを兼ねたような存在です。純粋に自分自身の考えを生み出すことは極めて稀です。地上のラジオやテレビにチャンネルとかバイブレーション(振動)ーーフリークエンシー(周波数)が適切でしょうーーがあるように、人間にもそれぞれのフリークエンシーがあって、その波長に合った思想、観念、示唆、インスピレーション、指導等を受信し、こんどはそれに自分の性格で着色して送信しています。それをまた他の人が受信するわけです。(地上の人間どうしの場合もあるーー訳者)
その波長を決定するのは各自の進化の程度です。霊的に高ければ高いほど、それだけ感応する思念も程度が高くなります。ということは、発信する思念による影響も高度なものとなるわけです」
 
今回の内容は良心についてであるが、まず、私達人間は受信と送信を兼ねたような存在だと言われ、純粋に自分自身の考えを生み出すことは極めて稀だと言われているのだ。このお言葉にびっくりだった。自分の考えというものは極めて稀だとは、二度読みしてしまった。人間にはそれぞれ周波数なるものがあって、その波長に合った思想や観念や示唆、更にインスピレーションや指導を受信し、今度はそれに自分の性格で着色して送信しているのだと言われている。なるほど〜っと思うしかない。またその波長を決定するのは、やはり私達人間の進化の程度なのだ。霊的に高ければ高いほど、感応する思念が高くなるのは当然であろう。だからこそ、発信する内容が肝要だということなのだ。発信する内容が高度なのかどうかを見抜く力も必要ということになる。いずれにせよ、自分自身を高めていくことで、その波長は高くなり、高い波長に合うということなのだ。自ずと自分の考えも高度なものになる。そこを目指していく他ないと今回も得心させて頂けた。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。今日もご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。最初は意識がハッキリしていたものの、身体に何とも言えない違和感を感じながら、いつの間にか意識が遠のいており、気がつくと曲が終わるところだった。なのでそのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

813回目の瞑想

天使
 
改めて自由意志についての質問に答えてーー
「完全に自由な意志が行使できる者はいません。自由といってもある限られた範囲内での自由です。あなたの力ではどうにもならない環境条件というものがあります。魂は、再生するに当たってあらかじめ地上での成就すべき目的を自覚しております。その自覚が地上で芽生えるまでには長い長い時間を要します。魂の内部には刻み込まれているのです。それが芽生えないままで終わったときは、また再生して来なければなりません。首尾良く自覚が芽生えれば、ようやくその時点から、物質をまとった生活の目的を成就し始めることになります。
人間の本性を私が変えるわけにはまいりません。その本性は実に可変性に富んでおります。最高のものを志向することもできれば、哀れにもドン底まで落ち込むこともできます。そこに地上への再生してくる大きな目的があるのです。内部には霊的な可能性のすべてが宿されております。肉体は大地からもらいますが、それを動かす力は内部の霊性です。
人生をどう生きるかーー霊のことを第一に考えるか、それとも物質ものを優先させるか、それは本人の自由意志の選択に任されております。そこに人間的問題の核心があるのですが、援助を求めてやってきた人にあなたは、その選択に余計な口出しをせずに、必要な援助を与えなければいけません。援助が功を奏さなければそれ以上かまう必要はありません。(それであなたの責任は終わったということです。と別のところで述べているーー訳者)縁あってあなたのもとを訪れたということは、その人にとって自我を見出す絶好機が巡ってきたということです。成功すれば、あなたは他人のために自分を役立てる機会が与えられたことに感謝なさることです。もし失敗したら、その人のことを気の毒に思ってあげることです」
 
今回の内容は極めて深いと感じた。魂は再生するに当たってあらかじめ地上での成就すべき目的を自覚していると言われており、その自覚が地上で芽生えるまでには長い長い時間を要すると言われている。魂の内部には成就すべき目的が刻み込まれていると言われているのだ。だがそれが芽生えないままで終わった時は、また再生して来なければならないと言われ、首尾良く自覚が芽生えれば、ようやくその時点から、物質をまとった生活の目的を成就し始めることになると言われている。この部分に私は鳥肌が立つ想いだった。この部分を人間が知らないままでは辛すぎる、と思うのだ。ここにこそ、霊的真理の真髄があるように思う。ただ成就すべき目的が芽生えるということの前に、まずは霊的に目覚めなければここへたどり着くことは無理なのだ。後半に言われている「人生をどう生きるかーー霊のことを第一に考えるか、それとも物質を優先させるか、それは本人の自由意志の選択に任されております」ここが重要なのだと思う。霊的なことに目が向くようになって初めて成就すべき目的の自覚が芽生えるのだということなのだ。ということは物質にしか関心がない人達、ほとんどだが、そういう人達はまずこの世で成就すべき目的が芽生えることは難しいということになる。点と点が繋がった思いだった。私は残りの人生をこの成就すべき目的の自覚のみに焦点を当てて生きて行きたいと思う。
 
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして今日も新たにご依頼を頂いた方と前からのご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。かなりのエネルギーが流れて行くのがわかった。そのうちに意識が遠のき、気がつくと終わりの時間になっていた。静かに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

814回目の瞑想

天使
 
受胎の問題から始めて肉体にまつわる様々な疑問、更には寿命というものがあらかじめ定まっているのかどうか、そして死、それに伴う悲しみといったテーマについて、シルバー・バーチの見解を聞く。
ーーーアメーバから今日の人類に至る進化の過程のどの段階において、霊的存在としての人間が登場したのでしょうか。最初の細胞の中にすでに宿っていたのでしょうか。
「ご質問が人類としての個霊のことを意味しておられるのでしたら、それはアメーバの段階ではまだ存在しておりません。が、生命のあるところには必ず霊が存在します。なぜならば霊とは生命そのものであり、生命とはすなわち霊だからです。最も原始的なものから最高の組織体へ、つまり最も単純なものから最も複雑なものに至るあらゆる発達過程と生命形態を通じて霊が顕現していると言えます。人間的要素はアメーバの段階的発達の中で発生します。そして人類ヒトへ向けて絶え間ない発達過程を続けます。そして人間としての意識に目覚めた段階で、つまり自我意識をもつに至ったときに、いわゆる人間となります。しかし、進化は絶え間なく続いているのです。進化に始まりの一点というものはありません。常に始まりであり、終わりがないのです。なぜなら進化とは完全へ向けての永遠の過程だからです」
(訳者注ーーシルバー・バーチは発達developmentと進化evolutionとを区別している。ここで問題となるのはやはり用語についての認識の仕方であろう。中略 基本的には霊的向上つまり霊恪が上がることを"進化"と呼び、その霊が使用する機能が開発されることを"発達"と呼んでいる)
 
今回の内容から「質問に答える」(1)として、地上の生活と題されている内容から抜粋して行こうと思う。誕生から死に至る人間の一生を辿りながら、その間の様々な問題を取り上げてくれるようだ。私達人間にとって、霊的なことは知らないことが多い。またこの世に関しても知らないことだらけだ。シルバー・バーチ霊の説かれる内容で、少しでも自分のものにできればと思う。今回の内容に、人間的要素はアメーバの段階的発達の中で発生すると言われている。そしてヒトへ向けて絶え間ない発達過程を続けるのだと。更に人間としての自我意識に目覚めた段階で、人間となると言われている。人間となっても進化は絶え間なく続き、終わりはないと言われるのだ。なぜなら進化とは完全へ向けての永年の過程だからと。こんな神秘的な話があるのだろうか、と思ってしまった。奥が深いなんてものではない。荘厳な神様のご計画なのだと改めて感じ入った次第である。
 
今日の瞑想でも、呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして今日もご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。いつもながら意識が遠のく。映像のようなものも見えたが、はっきりとはわからなかった。またエネルギーの強い流れも感じる。そしていつの間にか終わりの時間になっていた。ゆっくりと神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

815回目の瞑想

天使
 
ーーー霊はどの段階で身体に宿るのでしょうか。受胎の瞬間でしょうか。それとも胎動期つまり18周期頃でしょうか。
「この問題はこれまでも何度も尋ねられました。そしていつも同じお答えをしております。生命は受胎の瞬間から始まります。そして生命のあるところには必ず霊が存在します」
 
ーーー受胎の瞬間から霊が宿り、そこから個性が発達していくということでしょうか。
「個性という用語を持ち出されるとまたややこしくなります。生命は霊であり霊は生命です。両者は二つにして一つです。受胎と呼んでいるものは、そこに生命があるということを意味します。受胎がなければ生命は存在しません。従って霊は受胎の瞬間に物質に宿ることになります。
その後の発達の問題ですが、これは環境条件によって異なりますのでさらに問題が厄介です。受胎時に宿る霊も、霊としてはそれまでずっと存在していたのです。ですから、個性の問題は、その個性よりはるかに大きい霊全体のどの部分が発現されるかの問題となります」
 
ーーー子宮内の生命もれっきとした人間だとおっしゃるのでしょうか。
「潜在的には受胎の瞬間から人間であり、人間性のすべてを宿しております。
受胎の瞬間から身体的機能のすべてを潜在的に宿しているごとく、霊的機能もすべて宿しております。霊的機能が存在しなければ身体的機能も存在しません。物質は霊の影だからです」
 
ーーーということは、霊は誕生に際して地上で使用する身体を自ら選択する自由はないと理解してよろしいでしょうか。
「それは正しくありません。逆に、霊はあらゆる自由が与えられています。大半のケースにおいて、霊は地上で果たさねばならない目的をもって生まれてきます。そしてその仕事に合った身体に宿ります。ただ、自分は地上でかくかくしかじかのことをしようと決意したその仕事に実際に目覚めるまでに相当な時間を要します」
(訳者注ーーここでいう決意とは肉体に宿る前の"霊"としての意識による決意であって、肉体に宿ってからの脳を焦点とした意識にはそれがなかなか自覚されない。シルバーバーチがそれに目覚めるまでには相当な時間を要しますと述べているのは、必ずしも誕生前に霊としての決意と同じものを記憶として思い出すことを言っているのではなく、食べて働いて寝るだけの物的生活を超えて、何のために生きているのだろうという疑問をはじめた時点からその段階に入るものと私は理解している。そのうち"自分はこれでいいのだ"という得心ともあきらめとも悟りともつかないものを自覚し、同時に生きる意欲が湧いてくる。シルバーバーチはそのことを言っているのであろう)
 
今回の内容は、確かに何度となく聞かれる質問であるし、人間なら知りたいと思うのも当然だと思う。私は始めてこの問題の答えである「生命は受胎の瞬間から始まる」という箇所を読んだ時に、やはり、という思いだった。ずっとそのように思っていたからだ。なので中絶などは絶対にしてはいけないと思っていた。人間は受胎の瞬間からすべてが決まってしまっているのだ。(霊として自ら選んでいるのかも知れないが)
そして、ここでも霊は地上で果たさねばならない目的をもって生まれてくると言われる。5月12日にも記載したが、魂内部にはこの地上で成就すべき目的が刻み込まれていると同じことを言われていたのだ。私はその時に鳥肌が立った。そして残りの人生をこの成就すべき目的の自覚に焦点を当てて生きて行こうと決心したのだ。もちろん、訳者の方が書かれているようにこの成就すべき目的いわゆる決意は肉体に宿る前の霊としての意識による決意であるから、簡単に自覚することはできないのだと思う。けれど求めなければ自覚すること は到底無理なのだ。自覚するしないは別としても、少なくともそれに向けての努力はして行きたいと思っている。それが訳者の言われる誕生前の霊としての決意と同じものをたとえ自覚できなくても、今それに向かって努力しようという姿勢がいつか必ず功を奏するのではないかと思っているからだ。
 
今日の瞑想では、呼吸に集中し、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。今日はご依頼者のお祈りとヒーリングはなかったので、自分の瞑想に終始できた。そこで、自分の地上で成就すべき目的を自覚させて頂けるようにとのお祈りに集中した。途中やはり意識が遠くなる。その時に映像だと思うが、ドア1枚分くらいがまるまる開いていてその先は宇宙空間のようだった。私はその開いている前にいて、その合間から見える宇宙空間を眺めていたのだ。すると私の後ろからその開いている所を通り、宇宙空間へといろいろな物が吸い込まれていくように落ちて行ったのだ。具体的にはどんな物なのかはわからなかったが、その時に物であるということだけは感じたのだ。意識が戻ってから、これは物的生活を捨てろということなのではないかと思った。もちろん、生きて行くための必要最低限のものは捨てるわけには行かないが、必要ないものについては実際に捨てなくても、執着してはいけないということなのではないかと思ったのである。
今後の自分の瞑想はこの成就すべき目的の自覚、これ一点に集中して行きたいと強く思った次第である。心穏やかに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

816回目の瞑想

天使
 
「誕生の瞬間から肉体は死へ向かいます。この現象は誰にも変えられません。もともと肉体は不老不死を目指すようには意図されていないのです。本性そのものが儚い存在であることを自覚しております。従わねばならないサイクルというものがあるのです。まず、ゆっくりと機能的成熟を目指します。成熟すると同時に、やはりゆっくりと、全機能が衰え始めます。そして、リンゴが熟すると自然に木から落ちるように、肉体も与えられた寿命を全うして死を迎えます。何度も申し上げているように、人間は本来そうなるようにできているのです。
私たち霊界の者も完全ではありません。まだ霊的進化の頂点を究めたわけではありません。
まだまだ延々と先が続いております。しかし地上での仕事を困難にする物的条件に直面したときは、私たちはできる限りのエネルギーを活用してmその克服に努めます。
いつも申し上げ、これからも繰り返し申し上げることでしょうが、私たちと言えども全ての知識を手にしているわけではありません。無限に存在するからです。が、地上のあなた方は私たちにない肉体的条件によって制約を受けていますから、手にすることのできる知識は極めて限られております」
こう述べてから、メンバーの一人で非情に疲れた様子をしている人に向かってーー
「休息が不足すると身体がその代償を支払うことになります。その代償の度合いが大きすぎると、完全な休息を要求されて、あなたは床につかねばならなくなります。各人各個の責務という教理を説きながら、その働きに例外があるかのようなことを申し上げるわけにはまいりません。無理して一度に多くのことをなさってはいけません。肉体は所詮は機械です。その限度を超えたことを要求してはなりません。
どんな優秀な機械でも休息が与えられます。機械は休ませないと故障します。肉体はあなたのものですから、その健康管理はあなたの責任です。最終的にどう決めるかはあなたご自身です。あなたの自由意志を無視するわけにはまいりません。あなたの霊的進化にとってはあなた自身による決断が重大な要素となるからです」
 
今回の内容も私達人間にはとても大切なことが説かれていると思う。肉体というものに対して、不老不死を目指すようには意図していないとい言われている。リンゴが熟すると自然に木から落ちるのと同じように肉体も与えられた寿命を全うすると死を迎える、と言われ、人間も本来はそうなるようにできているのだと言われている。それが最も自然なことだと得心する。また、休息が不足すると身体がその代償を支払うことになると言われている。確かに頷ける。主人の場合も本当にそうだったと思い起こされた。毎日朝5時に起きて、会社に出勤すると帰宅は夜中の1時過ぎなどはざらだった。その間の仕事の量も半端なかったようで、自宅で朝ご飯を食べると、お昼は食べられないことが多かったようだ。食べられたとしてもおにぎり一つとかだったらしい。また夜は夜で決まった時間に食べることはできなかったらしい。重大な責務ある仕事をしていたので、帰宅してからも相談の電話がきたり、早朝電話が来たりと、家にいても仕事から離れることはできなかった。夜中に帰宅するとお風呂に入るのだが、頭が冴えてしまっているらしく、お風呂から出ても新聞を読んだりして、なかなか寝ようとしなかった。(というより、寝れなかったのだと思う)更にベッドに入っても熟睡はできないようで何度も何度も寝返りを打っていた。(これはその日ごとの問題が頭から離れなかったのだと後で聞いてわかったことだった)そしてまた朝を迎える。これだけ精神と身体を酷使していれば、病気にならない方がおかしかったのだ。と今なら思える。だが、当時の主人は頑健だったし、精神的にもとても強い人だったので、会社の愚痴などは聞いたことがなかった。逆に休みの日などは私の愚痴を聞いてくれるような人だったのだ。なので亡くなった息子も私も、主人のことを男性としても人間としても尊敬していた。だから病気になった時にはまさに青天の霹靂だった。人生には本当にいろいろなことがある。思ってもないようなことが時として起きる。それをどうやって克服するか、それはすべて自分自身の自由意志による決断で決まるのだ。今回のシルバー・バーチ霊の「休息が不足すると身体がその代償を支払うことになり、その代償の度合いが大きすぎると、完全な休息を要求されて、あなたは床につかねばならなくなる」というお言葉を知っていれば、病気は防げたのかも知れないが、私がたとえその内容を伝えたところで、多分主人は休息をとるようなことはしなかった、いやできなかったのではないかと思う。やはりなるべくしてなった病気なのだと今更ながら思うのである。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。今日も自分の瞑想に終始し、自分の地上での成就すべき目的を自覚させて頂けるようにとのお祈りにただただ集中した。途中やはり意識が遠くなる。そしてまたいろいろな映像を見ていたようなのだ。だがやはり、意識が戻ると全く思いだせない。それなのになぜか充実感だけは残っているのだ。それがきっと映像のおかげなのだと思って納得している。最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

817回目の瞑想

天使
 
過労によって健康を害している二人のメンバーにこう説いた。
「無理をしていることを知りつつも無理を重ねて、結局中途で倒れる人がいるものです。倒れたら休息するほかありません。私たちはあなた方に自助の心構えを説き、霊と精神に関わる摂理だけでなく、その肉体を支配している生理的法則にも絶対的に従わねばならないことをお教えしています。それを忠実に守り、霊と精神と肉体が調和状態にある限り、あなた方は健康であり健全です」
 
メンバーの一人が、どうやら私は言うことを聞かない部類に入るようです。と述べるとーー
「言うことを聞くようにと、神は二つの耳をお与えになったのです。スピリチュアリズムには"七つの網領"(※)というのがあります。その一つに"各個の責任"というのがありますが、たぶんこれが七つの中で一番大切でしょう。異論や反論の余地の無い真実が秘められているからです。あなた方は他人のすることではなく、自分のすることに自分一人が責任を取るのです。あなたの責任を免除してくれるものは誰一人、何一つありません。注意を怠れば、それだけ代償を自分が払わねばなりません。それが原因と結果の自然法則なのです」
(訳者注ーー心霊誌、Tow Worldsの創刊者である女性霊媒エマ・ハーディング・ブリテンを通じて地上で社会主義思想として有名だったロバート・オーエンが提唱した基本原理で、あえて直訳のまま紹介すると次のとおりである。①神の父性 ②人類の同胞性 ③霊の交信と天使の支配 ④人間の霊魂の存続 ⑤各自の責任 ⑥地上生活における善行と悪行に対する死後の応報 ⑦すべての霊魂に開かれている永遠の向上。(後略))
 
今回の内容も昨日に引き続き、健康の問題を取り上げられている。最後のお言葉に「あなたの責任を免除してくれるものは誰一人、何一つありません。注意を怠れば、それだけ代償を自分が払わねばなりません」と言われているが、そのことは主人は身を持って体験した。だが、この世の社会自体が変わらないと、その組織の中で一人だけ、霊的なことを唱えたところで、頭がおかしいと評価されるだけで終わるのではないだろうか。たとえ、シルバー・バーチ霊の訓えを信じて行動したいと思っても、回りがそれを許さないとしたら、それでもなお行動できるのだろうか。それはともすると責任の放棄とも捉えられる可能性がある。世の中の組織を敵に回すことができるのは、やはりイエス様ほどの人でないと無理なように思う。大半の人は、無理をしていることを知りつつ無理を重ねているのだと思う。だからこそ、途中で病気になったり、死亡ということにまでなる。それを克服するためには、霊的なことがもっともっと世の中に広まらなければ、個々ではどうすることもできないのではないかと思うのだ。
今主人は定年後の人生をゆったりと過ごしている。これからは夫婦二人でシルバー・バーチ霊の言われる霊と精神と、更に肉体を支配している法則に従いながら、霊と精神と肉体の調和状態を維持していく努力をして行こうと思う。
 
今日の瞑想でも、呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして霊であった時の決意を自覚させて下さいとお祈りした。そのことにひたすら集中した。すると、下から全体に広がるお光りが現れる。するとすぐに今度は真正面に白色に光る球体のようなお光りが現れ、私を照らして下さっているようにしばらくそこに留まって光っていた。そのような映像が何度も繰り返されたのだ。ただただ見入っており、そのままずっと続いて欲しいと思う素晴らしいお光りだった。見たいと思って見られるような映像ではなかったので、ただただ神様と霊界の方々に感謝の気持ちをお伝えさせて頂き、終了した。
真正面の光に似た画像があったので添付しておきます。
天使

818回目の瞑想

天使
 
   
ーーー人間の寿命は前もって決められているのでしょうか。それとも肉体の強健さ、そのほかの要因の問題でしょうか。
「肉体の強健さなども寿命を決定づける要因の中に入っております。物的身体構造すなわち肉体は、霊が成長するための地上的体験を得る上で無くてはならないものです。霊と肉体とは一体不離です。そして地上生活の期間、いわゆる寿命が切れる時期は大方の場合あらかじめ分かっております。
肉体を霊から切り離して考えることはできません。肉体は霊に制約を加え、霊は肉体に生命を与えるという具合に、両者は切っても切れない関係にあります。一個の存在を構成している二つの要素を分離して考えてはいけいけません。あなたという存在は数々の要素が互いに反応し合いながら一個の総合体を構成しているのです。すべての側面が融合し結合し混ざり合って、あなたという統一体すなわち霊魂を構成しているのです」
 
ーーー寿命が定まっているということから出る疑問ですが、もしも、例えば千人の乗客が一度に溺死した場合、その人たちは皆その特殊な時期に死ぬことになっていたということになるのでしょうか。つまり彼らの魂の成長のために定められた寿命は同じだったのでしょうか。
「問題は用語です。あなたは今"定められた"といういい方をされましたが、そういう言い方をすると、では一体誰が何を規準に、という疑問が生じます。そして多分その裏には神によって摩訶不思議な方法でそう仕組まれるのだという漠然とした考えがあるはずです。が、そういうものではありません。生命現象の広大なパノラマの一つ一つが自然法則によって支配されているのです。
地上の科学者がいかなる説を立てようと、いつかは必ず肉体に死が訪れます。それは霊を解放するという役目を果たすことになるのです。つまり肉体の死は肉体の誕生と同じです。前者は霊の"退場"であり、後者は"入場"です。
地上では死を悲劇と考えますが、私たち霊の立場からすれば悲劇ではありません。解放です。なぜなら、魂の霊的誕生を意味するからです。地上のあらゆる悩みごとからの解放です。よくよくの場合を除いて、死は苦労への褒章であって罰ではありません。死は何を犠牲にしてでも避けるべきものという考え方は改めなくてはいけません。生命現象に不可欠の要素であり、魂が自我を見出すための手段と見なすべきです」
 
今回の内容は寿命についてである。人間であればみな、可能であれば知りたいと思っている。やはり、寿命の時期は大方わかっているようだ。だが顕在意識では知ることはできないのだろう。霊と肉体は一体不離だと言われ、肉体を霊から切り離すことはできないと言われている。両者は切っても切れない関係であり、霊魂を構成しているようだ。なので自分のこの世でのお役目が終われば当然、その肉体を脱ぎ捨てて、霊となって向こうの世界へ行くということになる。
また集団で亡くなった場合についての寿命のことも質問されているが、生命現象の広大なパノラマの一つ一つが自然法則によって支配されているということのみを言われている。後は死は解放であり、悲劇ではないことを説かれている。だが、この質問者はそのことはわかっていてあえて質問したのではないかと思うのだ。なぜ集団で死ななければいけなかったのか、ということや、またその理由が全員の魂の成長のためなのかどうかも聞きたかったのではないかと私は思った。(実際、私も知りたいと思ったのだ)
死については何が何でも避ける、ということは今となっては全く考えてはいないが、なぜその時に死ななければいけなかったのかということの理由は知りたいと思う。(大方因果律の結果なのだとは思うが・・・)
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。そして霊としての決意を自覚させて頂けるようにお祈りする。そしてこの世で成就できるようにともお願いする。穏やかな気持ちのまま終わりの時間になったので、そのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

792回目の瞑想

天使
 
シルバー・バーチは霊界の息子さんのことについて奥さんにこう語った。
「そのうちお子さんは新しい世界で発見したことが伝えられるようになって、奥さんはその驚異に満ちた話に圧倒されることでしょう。
ですが、その前にどうか次のことをよく理解してください。冷たいことを言うと思わないでください。本当のことを謙虚にそして真剣な気持ちで申し上げます。死は、死ぬ人自身にとって少しも悲劇ではありません。あとに残された人にとってのみ悲劇なのです。暗黒の世界から光明の世界へと旅立つことは悲しむべきことではありません。
あなたが嘆き悲しむとき、それは実は我が子を失った自分の身の上を悲しんでいらっしゃるのであり、自由の身になった息子さんのことを悲しんでおられるのではありません。息子さんは地上にいた時よりずっと幸せなのです。もう肉体の病に苦しむことがないのです。刻々と蝕まれていくということもありません。内部の霊的資質を開発し、それを何の障害に邪魔されることもなく自由に発揮し、それを必要とする人のための存分に役立てることができるのです。
あなたは見慣れたあの姿が見られなくなったことを淋しがっておられるのです。しかし、本当の息子さんは立派に元気で生きておられるのです。ただその手で触ってみることができないだけです。どうかその物的感覚の世界、五感というお粗末な魂の窓の向こうに目をやり、霊的実在を知ることによって得られる叡智を身につけるように努力なさってください。
死は生命に対してまったく無力なのです。生命は常に意気揚々としています。愛する息子さんは決してあなたのもとを去ってはいません。むしろ死によって霊的にはさらに身近な存在となっているとも言えるのです。むろん、そのことが今のあなたに理解できないことは私も承知しております。なぜならあなたは物質の世界に生き、物質の目で見つめておられ、霊の世界の素晴らしい壮観がご覧になれないからです。しかし、いつの日かその物質のベールが取り除かれて霊的な目が開かれれば、あなたも新しい世界の目も眩まんばかりの光輝をご覧になり、人生には完璧な償いの法則があり、すべてが神の摂理によって治められていることを理解されることでしょう。私も何とか力になってあげたいと思っているのですが、そのためには、あなたと私とは同じ人生を二つの異なった角度から眺めていることを忘れてはなりません」
 
今回の内容は今度は息子さんを亡くしたお母さんに対してのお言葉だが、私はこのお言葉で、息子の死を乗り越えたように思う。まるで私に言われているように感じたのだ。とても衝撃的だった。息子を亡くして、嘆き悲しむことが、実は我が子を失った自分の身の上を悲しんでいるのであり、自由の身になった息子のことを悲しんでいるのではないとのシルバー・バーチ霊のお言葉に打ちのめされながらも心に響いていたのだ。息子の足を引っ張ってはいけないと心から思えた。それには私がしっかりし、泣くのではなく感謝することなのだと。息子が痛みも苦しみもなく向こうの世界へいけたことを、そして立派に人のお役に立っていることをただただ神様に感謝させて頂き、そして瞑想させて頂いた。また、見慣れたあの姿が見られなくなったことを淋しがっているのだと、その手で触ってみることができないだけなのだという当時の自分の気持ちそのままが書いてあり、とても励まされた。更にその物的感覚の五感でなく、魂の窓の向こうに目をやり、霊的実在を知ることによって得られる叡智を身につけるように努力なさってくださいとのお言葉に、息子の死の意味を、そして私のするべきことを教えて下さったのだと心に沁み渡り、今日の私がいる。当時の私は、シルバー・バーチ霊のこのお言葉に救われたのだ。もちろん、それ以外にも多くの方の支えがあったことも事実だ。そして護られているということを更に実感させて頂けたことに、感謝しかなかった。
だからこそ、今大切な愛する人を亡くした方には、このシルバー・バーチ霊のお言葉を何度となく読んで頂きたい。その方の死の意味を、そして自分自身がどう生きて行けばいいかを分かる日が必ず来ると体験した私は信じている。
  
今日の瞑想では、呼吸に意識して、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。今日はご依頼のあった方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。その時にお言葉がすぐ浮かんだのだが、すべての人に言えることなので、記しておこうと思う。「恐るるなかれ。恐れは自分の心を縛り、身体をも縛る」要するに恐怖は心はもちろんのこと、身体にまで影響してしまうことを言われているのだと思う。シルバー・バーチ霊も恐怖心は敵だと言われていた。恐怖心を持たないように努力して行くことはとても大事なことなのだと、今回のお言葉でも強く思わせて頂けた。その後もヒーリングに集中し、自分の瞑想はしていない。最後に 神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

793回目の瞑想

天使
 
ご主人から地上の人間としての心掛けについて問われてーー
「私に言わせればそれは至って簡単なことであり、なぜ地上の人間がそれを難しく考えるのか理解に苦しみます。あなたも他のすべての人間と同様に、為すべき何らかの仕事があってこの物資界に誕生してこられたのです。時には内省の時をもって、果たしてこれが自分にとっての本当の仕事なのだろうか、世の中を啓発する上で少しでも役に立っているだろうか、知識の蓄積を怠っていないだろうか、獲得した霊的真理を人に分け与える努力をしているだろうか、これで最善を尽くしていると言えるだろうかーー正直に自分にそう問いかけてみることです。そうすれば自ずと答えは出てまいります。
それだけでいいのです。自分に正直になり、最善を尽くすーーそれだけでいいのです。宗教的信条や教義などは必要ないのです。自分はいま何を為すべきかを素直に認識するだけでいいのです。その心掛けを日常生活で徹底させれば、決して道を誤ることはありません。この物質界に誕生してきた目的を成就させていることになるのです。
私たち霊界の者の目には、本当は存在してはならない暗闇の中で生きている何億、何十億とも知れぬ神の子の姿が見えます。荒れ果てたみじめな家屋で空腹と渇きに苦しみながら、生得の権利であり神からの遺産であるところの"魂の自由"を奪われた生活を送っております。
その一方には、己れの飽くなき貪欲を満たさんがためにそうした無数の同胞を虐しいたげ続けることに知恵を絞っている者もいます。そこで私は霊性に目覚めた方々に申し上げるのですーー勇気をもって闘いなさい。あらゆる不正、あらゆる闇、あらゆる横暴、あらゆる不公平と闘いなさい。その人の背後には人間的煩悩から解放された霊の大軍が控え、鼓舞し援助し、決して見捨てるようなことはいたしません、と。
これが知識を伝達する手段をお持ちの方に私から願いしていることです。私の言わんとしていることがお分かりですね。為さねばならなことが沢山あります。あなたも含めて、死後存続の確証を得たいと望んでおられる方に申し上げたいのは、(確証はおろか)霊的知識に巡り合う機会すら得られない人が無数にいるということです。
あなたも私たちと同じ視野に立って地上世界をご覧になることです。そうした無数の人たちが、いずこへ向かうべきかも分からぬまま、疑念と不安を抱きつつ狼狽し、途方に暮れた生活を送っております。道を見失っております。と言って、永年に渡って権威があるかに思ってきた宗教はもはや信じられなくなっております。暗中模索と挫折の繰り返しです。そこで私たちは考えたのですーーよい道具(霊媒・霊能者)さえ用意できれば安心と確信と自信を生み出す知識の光をふんだんに地上へもたらすことができるであろう。そして神が意図された通りの生き方、つまり平和と協調と愛にあふれた生活ができ、神の一部としての霊性が要求するとこえおのものを追求することに勤しむことになるであろう、と」
 
今回の内容は私達人間の心掛けについてをシルバー・バーチ霊は語られている。そしてそれは至って簡単なことだと言われているのだ。内省をすることで、自ずと答えは出ると言われているが、そう簡単には答えは出ないのではないだろうか。だからこそ、みな苦しみ、また出ないからこそ間違った道に逸れてしまうのではないだろうか。これはシルバー・バーチ霊の言われる難しく考えることになるのかも知れないが・・・でもやはり考えてしまう。けれど、人間の浅知恵でいくら考えたところで、答えは見つからない。だとしたら、それこそ素直にシルバー・バーチ霊の言われることをやってみるしかないとないと思う。常に内省し、自分はいま何を為すべきかを素直に認識し、自分に正直になり、最善を尽くす。その心掛けを日常生活の中で徹底させれば、道を誤らないと言われている。またそれだけでいいと言われているのだ。とにかくすぐに答えは出なくともその心掛けを肝に銘じ、生活して行こうと思う。
 
今日の瞑想では、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。そしてしばらくは意識があるようなないような状態でいた。そんな中で、映像らしきものあった。またどなたかと真剣な話し合いをしているような感じもあったのだ。だが意識が戻ると共に記憶は薄れ、結局わからない。すると終わり直前に神々しいお光りが画面一杯に広がる。一気に目の前が明るくなったのだ。(部屋は暗くしてあるのに)そして2,3度そのお光りに更にお光りが重なるように出現すると、文字のようなものが浮かんだのだ。ただ象形文字のようでもあり、何と書いてあるかはわからなかった。残念に思いながらも、曲が終わると同時に神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

794回目の瞑想

天使
 
もう一組の夫婦は娘を失っていたが、今はもう連絡が取れて得心している。哲学に興味をもっているご主人が哲学的な問題を質問した。
ーーー一宇宙創造の目的についてどういうお考えをお持ちですか。その目的に付随して、なぜこんなに多くの苦痛と邪悪と苦闘とが無ければならないのか、それが分かりません。人類の立場からそうした目的が理解できないのです。
「目的はあります。永遠の時の中で成就すべき目的があります。生命は無窮の過去から存在し未来永劫に渡って存在し続けます。しかしその生命の辿る道は、一つの頂上を極めると次の頂上が見えてくるという、果てしない進化の道程です。一つの頂上を極めるごとにあなたの霊的資質が向上して行くのです。
鍛錬によって人間は内部の神性が目覚め、より広く、より豊かなものを表現してまいります。地上的なアカが落とされ、霊の純金が姿を現します。これは当然のことながら苦痛を伴わない過程ではあり得ません。が、それも宇宙的機構に仕組まれた一部ーー比較対照の中で真理に目覚めるように意図された機構の一部なのです。
苦痛を知らずして健康の有難さを知ることはできません。日蔭を知らずして日向の有難さは分かりません。そうしたことのすべてが、リズムと調和の中で展開する創造活動の一大パノラマを演じているのです。
人間は永遠の海を当てもなく波に翻弄されているコルクではありません。永遠の創造活動の中の不可欠の存在なのです。自分の努力、自分の行為、自分の生活がそうした永遠の創造過程になにがしかの貢献をしているのです。神の息吹きの一部であり、無限なる霊の一部であり、永遠なる宇宙の一部であり、それが自分を通して働き、雄大なる宇宙的機構に光輝を加えることになるのです」(中略)
 
ーーー霊界にも時間があるのでしょうか。
「地球と接している幽質の界層を超えてしまうと、あなた方が理解しておられるような時間は存在しなくなります。こちらの世界は地球の自転とは何の関係もありません。昼もなく夜もなく、季節の変化もありません。地上世界で使用されている意味での時間はありません。太陽は見たところ昇ったり沈んだりしていますが、こちらにはそういうものがないのです」
 
今回の内容は、娘さんを亡くしているものの、霊界で生きていることを得心されているご夫婦だった。そこでご主人の質問だが、私達人間の単純な思いであるようだ。苦痛や悲痛など、みな経験したいとは思っていない。なぜそのような体験をしなければ、進化できないのかと思っても不思議はない。だが、シルバー・バーチ霊は常に一貫したお答えをされている。それは鍛錬が必要ということ、比較対照の中で生きること、自分の努力、自分の行為、自分の生活が大事であること、これがすべて、神性を目覚めさせ、真理に目覚め、永遠の創造過程になにがしかの貢献をするといわれている。霊の純金が姿を現すためには、当然のことながら苦痛を伴わない過程ではあり得ないと言われているのだ。
神の息吹きの一部であり、無限なる霊の一部であり、永遠なる宇宙の一部であり、それが自分を通して働き、雄大なる宇宙的機構に光輝を加えることになるということを、常に肝に銘じておくことが私達人間には必要なのだと思う。
また霊界には時間がないことは前にも記したと思う。けれど今回は更に詳しく書かれていたので、再度記載した。
昼もなく夜もなく、季節の変化もないと言われる。だが地球とは違って素晴らしい世界だと言われているのだ。想像することもできないが、楽しみである事は間違いない。自分がこの地球に生まれる前にいた場所なのだから、故郷なのだ。その故郷が素晴らしい世界であるということは楽しみでしかない。
 
今日の瞑想では、呼吸に意識して、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。今日もまたご依頼のあった方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。今後はご依頼があった場合は夜ではなく、朝にお祈りとヒーリングをさせて頂くことにご快諾して頂いた。お祈りとヒーリングを始めさせて頂くと、すぐにお言葉が浮かんだ。これも人間に必要なお言葉だと思うので記載しておく。「何事も経験。経験することで学ぶのです。我が子を信じて大きな愛で包み、温かく見守ることが大事です。心配の念は不要。マイナスにしかなりません」
このお言葉が浮かんでいる間、実際に身体の胸回りが温かいエネルギーで満たされた感覚になっていた。その感覚を感じると同時に、神様と霊界の方々に自然とお礼の言葉を言っていたのだ。私自身も心が和らぎ、有難かった。今日もお祈りとヒーリングに終始したので、瞑想はしていない。けれど瞑想と同じようにも感じている。最後に再度、神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

795回目の瞑想 

天使
 
奥さんが質問した。
ーーー定期的に開かれているサークルを中止したら、娘が残念がるでしょうか。
 「それに対しては"イエス"という答えしかないでしょう。ですが、次のことを知っていただかねばなりません。私もあなた方の世界のことは少しばかり体験しており、いろいろと難しい面があることは理解しておりますが、そうした中で、忙しい時間のいくばくかを割いて、背後霊との霊的な交流をもつことを心掛けて下さると、背後霊はとても助かるということです。そして、これは何度も申し上げていることですが、背後霊との繋がりを求め、例え表面的には何の反応もなくても、霊的には必ず何かが起きているものです。
ですから、例えばテーブルも何も用いずに何分間か、ただお二人で座って黙祷するというだけでもいいのです。言葉に出すのもいいかも知れません。が、それも必ずしも必要ではありません。心を空にして穏やかな気持ちの中で精神を統一するだけで十分です。
その統一状態の中で霊の力は働くのです。そうした静かな精神状態というのが、物的生活に振り回されている騒々しさに一時的なストップをかけることになります。その僅かな時間を霊性の開拓と自宅内での霊的存在の認識へ向けたことになります。
地上の人間は静かな精神状態をもつことの効用を十分に認識しておりません。私がよく申し上げているように、あなた方にとって無活動の時が私たちにとって活動の時なのです。あなた方が静かに受身の心でジッとしている時が私たちにとって一番近づきやすいからです。
今お二人がお嬢さんをご覧になられたらびっくりなさいますよ。どんどん大きくなっておられます。今ではもうお二人が知っている曽てのあの少女ではありません」
 
ーーー成長したのだなあと思うことがあります。
と母親が言う。すでに何人もの霊媒を通じていろいろと証言を得ているからである。
「もちろんご両親への愛は変わっていませんよ。それが一番大切なのです」
最後に夫婦がシルバー・バーチに礼を言いかけると、いつものようにこう述べた。
「私が言ったからといって何もかも信じることはありません。私だって間違ったことを言っているかも知れません。あなた方にとってなるほどと得心がいったことだけを受け入れてくださればいいのです。これは私がいつもお願いしていることです。
あなた方は私たちに手を貸し、私たちはあなた方を援助するという形で、お互いに協力し合いながら宇宙の真理を究めていくのです。お互いがお互いから学ぶことが沢山あります。誰一人として間違いを犯さない者はいませんし、全能者ではないからです。私たちだってみな人間的存在です。永遠の道を旅する巡礼者なのです」
 
   今回の内容は、私達人間にとって、とても大事なことを説かれていると思う。それは背後霊との霊的な交流をもつことを常に心掛け、背後霊との繋がりを求め、例え表面的には何の反応もなくても、霊的には必ず何かが起きているものだということだ。
瞑想などという名のついたものではなくても、何分間か、ただ座って黙祷するというだけでもいいと言われている。そして、心を空にして穏やかな気持ちの中で精神を統一するだけで十分だと言われているのだ。そんな簡単な状態でも、 その統一状態の中で霊の力は働くのだと言われる。だが、私たちはシルバー・バーチ霊の言われるように静かな精神状態をもつことの効用を十分に認識していない。そんな簡単なことで背後霊と繋がるとも思えないし、また何と言っても表面的に反応がなければ、無意味だと思ってしまうことだ。そして自分がいくら心を空にして精神統一しても、無駄だと決めつけ、辞めてしまうのだ。
今回のシルバー・バーチ霊のお言葉で、例え表面的に反応がないように見えても、実際に霊の力は働いているということを信じるほかないのだ。それを信じて行動することで、その毎日の積み重ねがいずれは必ず、表面的に感じることができるようになるのだと思う。
穏やかな気持ちの中で精神統一している状態が、一番霊界の方々が私たちに近づきやすくなっているのだから当然なのだろう。私は信じられる。だからこそ、毎日続けているのだ。だが何もない日もあれば、ある日もある。それでいいのだと思う。どちらであろうが、その時間帯だけは霊界と蜜に繋がっているのだと信じられるからだ。
 
今日の瞑想でも、呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。
今日もご依頼のあった方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。だが、今日は何も言葉は浮かばなかった。ただただエネルギーの流れるを感じるのみだったのだ。もちろんその方のお祈りもさせて頂いた。それで十分なのだと思っている。最後に神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

796回目の瞑想

天使
 
ジャーナリストであり作家の二人の子供ルースとポールは、毎年のようにクリスマスが近づくと交霊会に招かれて、シルバー・バーチとお話しているので、まるで家族のような親しい間柄となっている。姉のルースは8歳、弟のポールは6歳の幼児期からの6年間だそうだ。
二人は質問すべき問題を二人だけで話し合って決め、大人の提言や助言は一切断っての問答が始まった。そんな二人の質問を抜粋してみようと思う。
・”死に方"は死後にどう影響するか
ルースーー人間が死ぬときの死に方というのが霊界へ行ってから影響するのかどうかが知りたいのです。つまり自然な死に方のほうが霊界へ行きやすいのかということです。
 「もちろんです。大きな違いがあります。もしも地上のみんなが正しい知識をもち自然な生き方をすればーーもしもですよーーそうすれば死に方があっさりとして、少しも苦痛をともなわなくなります。そして又、死後の霊の身体を調節する必要もないでしょう。ところが残念なことに、実際はそんなにうまい具合に行っておりません。
地上を去って霊界へ来る人のほとんどが自分がこれからどうなるのか、自分というのは一体どのように出来上がっているのか、霊的な実在とはどんなものなのかについて恐ろしいほど無知なのです。その上、地上で十分な成長をしないうちにこちらへ来る人がそれはそれは多いのです。そういう人は、私が度々言っておりますように、熟さないうちにもぎ取られた果実のようなものです。ルースちゃんも知っているように、そんな果物は美味しくありませんね。
果実は熟せば自然に落ちるものなのです。霊が十分に成長すると自然に肉体から離れるのです。いま私の世界へ、渋い果物や酸っぱい果物がぞくぞくとやって来ております。そのため、そういう人たちをこちらで面倒を見たり、監視したり、手当てをしたり、看護をしたりして、霊界に適応させてあげないといけないのです。みんながちゃんとした知識をもってくれれば、私のように地上の人間の面倒を見ている者はとても手間が省けて有難いのですけどね。死に方によって大変な違いが生じます」
(訳者注ーールースが"死に方"と言った時、たぶん自然死でない死に方、すなわち事故死、病死、戦死、自殺といったものが念頭にあったはずで、シルバー・バーチも一応そのことを念頭においていたことは"霊の身体を調節する必要もないでしょう"という言葉から窺われるが、もう少し具体的なことを述べて欲しいところである。そこで、最近入手したスカルソープという人のいわゆる"体外遊離体験"の書物から霊界の病院を訪れた時の模様を紹介しておく。
『霊界の妻との関係と思われるが、私は妻の勤める霊界の病院へ度々連れて行かれる。病院といっても地上から霊界入りしたばかりの人を介抱する施設である。
あるとき、その施設を妻の案内で見学したのであるが、そこには若い女性ばかりの患者を介抱する施設だった。そこの食堂へ行ってみるとちょうど食事中で、私も妙な食欲を覚えた。
テーブルの間を通り抜けながら患者のオーラとコンタクトしてみたが、死因となった事故のショックや恐怖、病床での苦しみや不安の念が根強く残っていた。
中には地上の病院での消毒液の臭いが漂っている者もいた。事故死した者が腕や首や顔に傷当ての赤い絆創膏の跡がうっすらと残っている人もいた。精神に焼き付いた映像がまだ消えていないのである。しかし、ホール全体に穏やかな雰囲気が漂っていて、一人として病人くささは見せていない。これは高級界から間断なく送られてくる生命力のおかげで、こうした特殊な患者にはそれが必要なのである』)
 
今回の内容は幸運にも幼児期からシルバー・バーチ霊の交霊会に参加してきた二人のお子さんの質問に目を向けてみた。シルバー・バーチ霊がどうお答えになっているかも興味津々だったからだ。また私達大人であっても、理解できない部分をかみ砕いて説いておられるのではと思ったのだ。
だが、今回の質問のお答えは今まで言われてきた通りのお言葉だった。むしろ、訳者の方の体外遊離体験の書物は具体的に書いてあって、なるほどと思えたのだ。特に高級界から生命力が送られてくるとのことに、私自身も浴したいと思ってしまった。とにもかくにも、正しい霊的な知識をもって、正しい自然な生活を心掛ければ、死後、霊界の方々に迷惑かけることはないのだ。私達人間が知らなければいけないことなのだと強く思った。
 
今日の瞑想でも、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂き、今日もご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。その間、意識があるようなないような感じで過ぎて行ったが、最後ギリギリでお言葉が浮かんだ。「自信になるものを身につけよ」このお言葉にハッとさせられた。これは、私達人間にとって、とても必要なものではないだろうか、と。何か一つ自信になるものがあれば、それこそ自信を持って人生を生きられるのではないかと思う。それは人それぞれ違って当たり前なのだ。どんな些細なことであろうと、自分にとって自信が持てるものなら、何でもいいのだと思う。亡くなった母は、3人の娘にそれぞれ違う楽器を身につけさせた。姉妹で争わないようにとの計らいがあったのだと思う。もちろん、同じことで切磋琢磨し、いいライバルになる場合もある。だが、才能があり伸びていく身内を見る方側にとっては、かなり辛いのではないだろうか。だがそれをも乗り越える力があるのならば、人生に負けることはないと思う。今回のお言葉でいろいろと考えさせられた次第である。最後に神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

797回目の瞑想

天使
 
・死後の界層の違いは何で決まるか
ポールーー死後の世界のレベルについて教えて下さい。シルバー・バーチさんはよくその違いについて話しておられますが、とういう違いがあるのですか。
「成長の度合いが違うのです。しかしその違いは地上のようにものさしで計れるものとは違います。もし私がポール君に愚かな人と賢い人、あるいは欲張りな人と聖人との違いを寸法で計りなさいと言っても、そんなことはできませんね?
しかし、それぞれの界に住む霊の成長には大きな差があるのです。こちらでは魂の成長に応じた界、つまりその人の知性と道徳性と霊性の程度にちょうどよく調和する界に住むようになります。界の違いはそこに住む人の魂の程度の違いだけで、霊性が高ければ高いほど、善性が強ければ強いほど、親切心が多ければ多いほど、慈愛が深ければ深いほど、利己心が少なければ少ないほど、それだけ高いレベルの界に住むことになります。
地上はその点が違います。物質界という同じレベルで生活しているからといって、みんな精神的に、あるいは霊的に、同じレベルの人たちばかりとは限りません。身体は同じレベルのもので出来ていますが、その身体つまり物質でできた肉体が無くなれば、魂のレベルに似合ったレベルの界へ行くことになります」
 
ポールーーはい、よく分かりました。もう少し聞きたいことがあります。この地球はそういう界の一つですか、それとも特別なものですか。
「いいえ、地上世界も霊的な世界の一部です。なぜかというと、霊の住む世界は全部が重なり合っているからです。宇宙に存在する生活の場のすべてが互いに重なり合い融合し合っており、霊界とか幽界とか物質界というのは一つの宇宙的生活の違った側面をそう呼んでいるだけです。ポール君はいま物質界にいますが、同時に幽界にもつながっているのです」
 
  今回の内容は子供に説かれているので、とても分かりやすいのではないかと思う。死後の世界は霊的な成長の度合いで、行く界が決まると言われている。なので、死後は自分と同じようなレベルの人ばかりがいる所へ赴くわけだ。とても居心地が良さそうに思う。だが高いレベルの界へ調和するためには、今この世にいるときから、霊性を善性を親切心を慈愛を高みにしておかなければいけないのだ。そして利己心はなるべく持たないようにするべきなのだ。肉体から抜け出て、魂だけになった時に高いレベルの界へ行くためには霊的真理を深く理解し、その上で実践してこそ、なのだと思う。今努力しなければいつするのか、ということだ。今まさに精進すべき時なのだと思う。
 
今日の瞑想では、呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。最初は意識もはっきりしており、なかなか心を空っぽにできないでいたが、そのうち、意識が薄れて行き、意識が戻る直前に何故だか瞑想する場所としての家を見ていたのだ。それはごく普通の家だったが、周りに光りが見えていたようにも思う。だが一瞬のことだったので、覚えていたのはそれだけだった。間もなく曲も終わったので、一息おいて神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

798回目の瞑想 

天使
 
・"神"の思想の進歩
ポールーーこれまでにいろんな人が神についていろんな説き方をしているみたいです。それぞれみんな違っており、これだと得心いくものが一つもないのです。
「その通りなのです。忘れてならないのは、人間は常に成長しており、精神の地平線が絶え間なく広がっているということです。言いかえれば、境界線が取り除かれていきつつあるということです。知識が進歩すれば宇宙そのものと、その宇宙に存在するものについて、より大きな理解力がもたらされます。
太古においては人間は環境についてほとんど知識がなく、自然現象についてはまったく理解していなかったために、何もかも神さまの仕業にしておりました。その神さまについても人間を大きくしたような存在としてしか想像できませんでした。そこに犠牲いけにえの思想の原点があります。雷が鳴り稲光がすると神さまが怒っておられるのだと思い、その怒りを鎮めるためにいろんなお供えをするようになったのです。
そうした野蛮な小さい考えも次第に大きく成長し、人間は無知の暗闇から脱し、迷信の霧を突き抜け、知識の夜明けを迎えて、宇宙の根元はどうやら人間の想像を越えたものらしいということに気づきはじめました。しかし、だからといって古い概念がそう簡単に消えたわけではありません。何かすごく大きな人間の男性のような姿をした神さまが宇宙をこしらえたのだという概念が、何十世紀もたった今もなお存在します。
さて私達はさらに一歩進めて、宇宙を創造しそして支配しているものは、男性神でもなく、女性神でもなく、とにかく形ある存在ではないと説いているのです。人間的な存在ではないのです。宇宙は法則によって支配されており、その法則は規模においても適用性においても無限なのです。それは無限の愛と叡智から生まれたものであり、従って完璧であり、過ったり失敗したりすることが絶対にないのです。
私は生命とは霊のことであり、霊とは生命のことであり、初めもなく終わりもないと説いております。霊を物質の中に閉じ込めてしまうことはできません。物質というのは霊の至ってお粗末な表現でしかありません。物資界に生きる人間は視覚と聴覚と触覚と嗅覚と味覚の五つの感覚でしか物事を判断することができませんから、その五感を超えた生命の本質を理解することはまず無理なのです。
そうした限界の中で生きている限り、その限界の向こう側にあるものが理解できるわけがありません。そこで次のような結論となります。すなわち宇宙は自然法則によって表現されていること、その法則の背後にある叡智は敢然であること、しかし人間は不完全であるためにその完全さを理解することができないということです。人間が個体性を具えた限りある存在である以上、個体性のない無限の存在を理解することはできないのです。これはとても難しい問題ですが、少しでも理解の手助けになればと思って申し上げてみました。
人類のすべてがーー地球という一個の天体上だけではありません。数え切れないほどの天体上の人間的存在すべてがそうなのですがーー私のいう大霊、みなさんのいう神の一部を構成しているのです。大霊とは全宇宙の霊の総合体だからです」
(明日に続く)
 
今回の内容は最も難しい神についてである。だが、やはり子供に説いて下さっているので、神様の概念についてはとてもわかりやすいのではないだろうか。一番肝心なのは知識を深く理解することで進歩し、そうなるとより多くの宇宙や霊的なことの理解力を得られるということだ。だが、人間の五感を頼りにしていてはそれは望めない。それは五感を超えた生命の本質ということだからだ。また物質というのは霊の至ってお粗末な表現でしかないと言われている。ただそこで私は疑問に思うのだ。ではなぜそのようなお粗末な表現である物質界に生きなければいけないのだろうか、と。神様や霊的なことの知識を携えて地球に誕生すれば誤解や間違った思想などは有り様はずもないと思うのだが。そうすれば犠牲者だって出さなくてもよかったのではないかと思うのだ。神様や霊的な知識があったとしても進歩や進化は努力して行かなければならないと思うが、そのことに集中して邁進できるのではないだろうか。無駄な時間を費やす必要がなくなる。今現在はまだ霊的なことを知ることがスタートなのだ。先は恐ろしく遠いような気がしてしまう。完全には永遠にたどり着けないとシルバー・バーチ霊は言われている。それならせめて神様と霊的な知識を携えてこの世に誕生して来たかったと思うのだが、それをシルバー・バーチ霊にお聞きしたいところだ。
  
今日の瞑想では、呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。今日もご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。今回は頭に浮かぶというよりは、その心情を感じるといったものだった。内容はプライベートにも関わるので記せないが、早くそのような感情から穏やかな思いになって頂きたいと更にお祈りに心を込めたのである 。最後に神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

799回目の瞑想

天使
 
   
・本当の進歩とは
ルースーー人間は進歩するほど神について複雑な考え方をするようになり、複雑になるほど真実から遠ざかっていくのではないでしょうか。
「本当の意味での進歩であればそういうことにはなりません。実は"脳"ばかり発達して、"精神"や"霊"の発達がともなっていないことがあるのです。すると頭のいい人が多くなりますが、頭がいいということは必ずしも偉大な魂、あるいは偉大な精神の持ち主ということにはならないのです。
それは脳という物質のみに限られた発達なのです。そういう発達をした人の中には複雑なものほど立派であるかに思っている人がいることは確かですが、本当の発達、精神と魂の発達をともなったものであれば、霊的なことについてもより深く理解するようになります。正しい発達とは精神的並びに霊的な発達のことを言うのです。そういう発達をしている人は古い間違った概念を捨てて、ますます真理に近づいてまいります。
いつも忘れずにいてほしいのは、無限の存在である大霊のすべてを、限りある言動で説明することは不可能だということです。大きいものを小さいものの中に入れることはできません。これは当たり前のことです」
 
今回の内容は大変に勉強になる。この世では頭のいい人は尊敬され、成功を収める人も頭のいい人だ。だが、シルバー・バーチ霊は頭がいいということは必ずしも偉大な魂、精神の持ち主ということにはならないと言われている。それは脳という物質のみに限られた発達だからなのだと。
正しい発達とは精神的並びに霊的な発達のことを言い、そういう発達をしている人は古い概念は捨てられるのだ。そして真理にどんどん近づくと言われている。今回のシルバー・バーチ霊のお言葉から、頭のいい人間はこの世ではもてはやされるが、死後の世界ではむしろ反対なのではないかと思われる。霊的なことを知った人は、やはり真の発達、精神や霊的な発達を心掛けなければいけないのだと思う。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。今日もご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。すぐに意識が朦朧となり、その間、ヒーリングのお相手の方が現れたようにも感じたが、はっきりはしない。時間ギリギリまでほとんど意識は遠のいていたようで、曲が終わった後もしばらくはボーッとしていた。おもむろに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

800回目の瞑想

天使
 
・人類の最大の発見は?
ルースーー人類による最大の発見は何だと思われますか。
「これは難しい問題ですよ。"最大"という言葉の意味がいろいろあるからです。どういう意味での"最大"なのかーー物的には、精神的には、霊的にか、それを前もって考えてから質問すべきですね。
私の考えでは、人類による最大の発見は人間が動物とは違うこと(霊長類であること)を知ったこと、自我意識というものがあることを知ったこと、霊性を自覚したこと、お粗末とはいえ身の回りの現象について知る能力があることを知ったことです。それが他のすべての発見へとつながったからです。
いま"霊性を自覚したこと"と言いましたが、その意味は、人間が肉体以上の存在であること、物質を超えた存在であること、やがて朽ち果てて、土に帰っていく物質的容器とは違う存在であることを知ったということです。私はこれが何よりも大きな発見であると思います。が、私にとっての最大の発見は何かという意味の質問であれば、話はまた違ってきます」
 
ルースーーそれを聞きたいです。ぜひ話してください。
「私にとっての最大の発見は地上の多くに人たちが善意と情愛と僚友意識と、そして愛までもこんなにたくさん持っておられることを知ったことです。また、訴え方が正しければ、その愛を本性から呼び覚ますことができるということ、最高の波長にさえ反応してくれるということ、気高い品行を志し、気高い思念をもつことができるということ、自己の利益や打算を超えた、より大きなものに心を動かされうるということ、理想主義、愛他精神、奉仕的精神にも共鳴してくれるものであることを知ったことです。
この冷たくて鬱陶しい、およそ魅力にない陰鬱な地上での仕事に打ち込んできたこれまでの永い年月を振り返ってみて、私は一度もお目にかかったことのない人でありながら、私の訓えで救われたという気持ちから、感謝の愛念を送ってくださる方々が増えることによって、地上にこうまで温かみがもたされるものかと、驚きの念を禁じ得ません。それほど多くの愛を頂戴ですることになろうとは予想もしませんでした。私にとってはそれこそが感謝の源泉であり、それが私を更に鼓舞し、同時に、勿体ないことだという気持ちにもさせられます。なぜなら私はそれに値するほどのことはしてないという自覚があるからです」
(明日に続く)
 
今回の人類の最大の発見についての内容は、霊的な存在であるということを自覚したことなのだと知って、逆にそれが最大の発見なのかと疑問に思った。なぜなら、発見するというよりも、当然知るべき問題だとばかり思っていたからだ。元々私達は霊界が住処で、そこからこの地球に誕生してきたのだ。当然潜在意識では霊的なことは分かっているはずだ。顕在意識での記憶にないだけで、何かをきっかけに霊的な存在であることは蘇るのではないかと思っていたので、最大の発見としての意味には違和感を覚える。またシルバー・バーチ霊ご自身の最大の発見にも、何だか人間をこの地球をかなり下に見られていたようで(もちろん、実際そうなのだと思うが)残念な気持ちになった。ただご自身もこの世に誕生されていた時代はあったのだ。しかも常に言っておられる言葉として「地球には霊界の上の界から下の界までの人たちがそれぞれ果たすべき役目をもって誕生してきている」と。ということは人間にもいろいろな人がいて、中には気高い思念や品行を持った方がおられるのは当然ご存知のはずなのに、それを最大の発見と称するのはどうなのだろう。と思ってしまったのだ。今回はちょっと違和感ばかりになってしまったが、シルバー・バーチ霊ご自身も、盲目にならずに理性に照らして納得できなければそれはそれでいいと言われていた。この問題はいつか向こうの世界へ行った時の課題として頭に入れておこうと思う。
 
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして今日もご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。だがやはり意識が朦朧としてくる。今回は何も感じることは出来ずに終わってしまった。静かに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

801回目の瞑想

天使
 
・物質文化の発展が利己主義を生んだ
ポールーーシルバー・バーチさんが地上へ降りて来られてから地上にはどんな変化があり、霊界ではどんな変化がありましたか。
「大雑把に言えば、地上における変化は、"文明化"といわれる過程でしょう。人類は物質的な面で大きく飛躍しました。大自然の仕組みについて多くの発見をしました。山頂を征服し海底を探査するようになりました。大陸と大洋を横断するようになりました。物質的な面では非常に高度なものを成就しました。驚異的な発達ぶりであったと言えましょう。しかし、同じ発達が精神面と霊的な面に見られないのです。人類は物質と精神と魂のうちの物質面だけが異常に成長してしまいました。他の二つの側面がそれについて行っていないのです。それが利己主義という、地上でもっとも厄介な罪を生むことになったのです。
さて、こうした事実から学ばねばならない教訓があります。それは、物質面での発達を、全面的ではなくてもいいから、霊的並びに精神的側面にもある程度反映するようにならない限り、人類は自らの存在の産物、自らの創造の成果を平和的生活の中で味わえるようにはならないということです。そうならない限り地上には混沌と無秩序と不協和音が絶えないということです。良いことをしようと意欲を起こさせ、協調と奉仕の仕事へ鼓舞するのは精神と霊の発達なのです。
精神と霊の発達は利己主義を滅ぼし、代わって霊的教訓をもたらします。精神と霊に宿された才能を開発し、その上で物質的文明の産物を自分一人のためでなく他のすべての人たちのために活用するようになれば、いわゆる地上天国が実現されます。地上世界のすべての人間が自分より不幸な人のために役立てる何らかの才能を具えてるのです。
さて、その間に霊界ではどんな変化があったかというご質問ですが、これは地上世界のことより、はるかにお答えしにくい問題です。簡単に言ってしまえば、地上とのコミュニケーションの橋をかける仕事がかつてなく組織的となり、二度と地上世界がチャンネル(霊媒・霊能者)の不足から霊界と絶縁状態となることのないよう、入念な計画が工夫され、そして実行に移されているということです。これ以上の説明は難しいです」
(訳者注ーーシルバー・バーチの念頭には多分、オーエンの『ベールの彼方の生活』第四巻で叙述されているように、天界の大軍がキリストを中心として組織されてゆっくりと降下し、それが今日スピリチュアリズムという名のもとでの霊的浄化運動となっていることがあったのであろう)
 
今回の内容は、確かに物質面ではかなり飛躍し、便利になりすぎているように感じる。昔の生活などをTVで知ることができるが、いかに大変だったかということが思い知らされる。それに比べて今は何から何までが便利になっている。だが、そこにはやはりお金という問題が大きくある。お金があることで、その豊かさはどれだけでも欲することができるのだ。そこでシルバー・バーチ霊の言われる利己主義という罪が生まれたのだ。自分のために、自分の家族のためにという思いが利己主義に走らせる。お金さえあれば幸せになれると信じて飽くなきまで欲の亡者になってしまうのだ。そして物質ばかりに目がいき、精神面と霊的な面には無頓着なのだ。霊的というだけで、煙たく思う人もいる。今の世の中をシルバー・バーチ霊の交霊会が催されていた時代と比べた時に、やはり物質面だけが更に発達を遂げ、精神面や霊的の面は未だに追いついていないと感じる。いつになったら、精神面や霊的な面の発達が顕著になるのであろうか。また、霊界での変化についてだが、答えにくいとの前置きがあるので、何とも言えないが、霊界と地上とのコミュニケーションは組織的になり、霊媒や霊能者の不足で霊界との通信が途絶えることがないように計画されていると言われている。確かに昔に比べたらそうなのかも知れない。けれど、現在霊媒や霊能者と言われる多くは偽者なのである。偽者では霊界との通信は意味がない。精神面や霊的な面が真に発達されるのは、本物の霊媒や霊能者が多く排出されてこそ、そして真の通信ができて初めて実現されることなのではないかと思っている。
 
今日の瞑想では、呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そしてご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。意識が遠のきながらも、温かいオーラに包まれているように感じていた。穏やかな心持ちで時が過ぎていき、いつの間にか終わりの時間になっていた。静かに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

802回目の瞑想

天使
 
・睡眠中は何をしているか
ルースーー私たちは眠っている間はどんなことをしているのでしょうか。
「皆さんは毎晩その肉体をあとにして別の世界へ行きます。訪れた世界での体験は二種類に分けることができます。一つは教育を目的としたもので、もう一つは純粋に娯楽を目的としたものです。教育的体験では、いずれ訪れる霊界生活で使用する霊的身体について教わります。娯楽を目的とした体験の場合は、例えば霊界で催されているいろいろな会場を訪れます。
いいですか、ルースちゃん、あなたは昨晩私の世界の庭園へ連れて行ってもらったのですよ。それからポール君は音楽を聴きに行ったのですよ」
 
ポールーー二人ともそのことを覚えていないなんて、つまんないですね。
「確かに、そう思うのも無理ないかも知れませんね。でも、それは肉体から離れている間の(異次元の)体験を肉体の脳で理解しようとするからなのです。ポットの水全部をグラスに入れようとしても入りませんね。それと同じです。でも、夢を注意して見ていると好いヒントになるものが見つかるはずですよ」
 
ルースーーわけの分からない夢はどう理解したらいいのですか。
「変てこな夢のことですか?あれは(異次元の)体験を脳で思い出そうとするからそうなるのです。脳は小さい袋のようなものです。霊体が肉体に戻ってきて、その間の体験を脳に詰め込もうとするのですが、小さな袋には全部が入り切れないのです。それをムリして押し込もうとするためにあのような変てこな形になるのです。夢というのは別世界での体験がそのまま現れるのではなく、その断片的な思い出にすぎません」
 
今回の睡眠中の内容は、知らない人のために記載してみたが、私自身も睡眠中に霊界へ行くというのは知っていたが、その体験の目的が二つあるとは知らなかった。教育と娯楽だと言われている。教育に関しては今覚えていなくてもいずれ霊界へ行けばわかるのだと思うが、だが娯楽と言っても私にとってはとても大事な音楽を聴きに行っているとしたら、今現在覚えていたいと強く思ってしまった。その音楽の音色や響きやハーモニーを覚えていることができれば、どれだけ心の救いになるかわからないからだ。私は魂を鼓舞される音楽には霊界を実感できると思っている。シルバー・バーチ霊も言われていたが、音楽もすべては霊界から発しているのだと。だとしたら、当然なのかも知れない。けれど、霊界にはこの世の音色にはない音色もあると言われており、私はそれが楽しみで仕方ない。聴いてみたくて仕方ないのだ。もし、睡眠中にそのような音楽を聴きに行っているのだとしたら、どうあっても覚えていたいものだと今回の内容で、さらに強く思ってしまった。だが、脳は小さい袋のようだと言われている。音楽のような膨大な量はとても小さい袋には入りきらないのだろう。残念だが、霊界への楽しみとしてとっておこうと思う。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。今日も別のご依頼者の方からのお祈りとヒーリングもさせて頂いた。今ニュースになっている北海道の観光船沈没事故でお亡くなりになった方のお知り合いだそうだ。その亡くなった方のお祈りとヒーリングを微力ながらさせて頂いた。今回は何と言っても人災である。だが、すべては偶然はなく必然だということに、なぜこのような事故に遭わなければならなかったのかと考えるとただただ切なくなるばかりである。霊的にこういったことの原因がハッキリとわかれば、どれだけ救われるだろうかとも思う。まだまだ霊的なことが浸透していない世の中なので無理なのだろうが、私は霊的に解明出来る日がくるのを一日千秋の思いで待っている。最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

803回目の瞑想

天使
 
ルースとポールに向かって、シルバー・バーチは次のような感動的な教訓を述べた。
「お二人のこれからの人生が日向ばかりだとは申し上げられません。曇りの日もあることでしょう。時には雨にうたれることもあるでしょう。困難なことがあるでしょう。試練に出会うこともあるでしょう。人生は一本調子のものではありません。色彩もあり変化もあります。障害に出会うことでしょう。何もかもうまく行く楽しい日々もあれば、すべてが絶望的に思える暗い日々もあることでしょう。そうしたさまざまな体験の中でこそ性格が培われるのです。人生を形づくっているさまざまな体験の中で培われるのです。
もしも人生が初めから終わりまでラクに行ったら、もしも乗り切るべき困難もなく耐え忍ぶべき試練もなく、克服すべき障害もないとしたら、そこには何の進歩も得られないことになります。レースは競い合うからこそ価値があるのです。賞はラクに貰えず一生懸命頑張ったあとにいただくから価値があるのです。そういう価値のある人間になるように努力なさい。この世に克服できない悩みはありません。ですから、悩んではいけないのです。征服できない困難はないのです。力の及ばないほど大きな出来事は何一つ起きないのです。
一つ一つの経験から教訓を学ぶことです。難しいと思ったときは、怯まず自分にムチ打つのです。そうすればそれだけ前より強い人間となります。自分が霊であること、それが肉体を通して表現しているのだということ、そして自分という永遠の霊に傷を負わせたり害を及ぼしたりするものは決して生じないということを忘れないことです。
世間でいう"成功者"になるかならないかはどうでもよいことです。この世的な成功によって手に入れたものは、そのうちあっさりと価値を失ってしまいます。大切なのは自分の霊性の最高のものに対して誠実であること、自分でこれこそ真実であると信じるものに目をつぶることなく、本当の自分自身に忠実であること、良心の命令に素直に従えることです。それさえできれば、世間がどう見ようと、自分は自分としての最善を尽くしたのだという信念が湧いてきます。そして、いよいよ地上生活に別れを告げる時が来たとき、死後に待ち受ける生活への備えが十分にできているという自信をもって、平然として死を迎えることができます。これが私からのアドバイスです」
 
今回の内容は私達人間みなに言われている教訓だと思う。若い人たちはこれから、いろいろな経験をして霊性を磨いて行かなければいけない。私のようにある程度の年になっている人は、それなりの経験はしてきている。だが、その経験を果たして生かしてきているのだろうか。経験に負けてはいないだろうかと振り返ってみることも大事なことと思う。もちろん、まだまだどんなことが待ち受けているかはわからない。けれど、シルバー・バーチ霊の霊訓を教訓にして、乗り越えて行かなければいけないのだ。そして、自分の霊性に誠実であること、また忠実であること、更に良心に素直に従うことを肝に銘じ、できる限りの努力を惜しみなくすることで、この地上に別れが来たときには、平静に死を受け入れることができると言われているのだ。そうなれるように、努力して行きたいと強く思った次第である。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。今日もご依頼の方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。今回はいろいろなことを感じたが、ここでは詳細には記せない。昔、タイタニック号の亡くなった方の通信内容が書かれた本を読んだことがある。昔なので鮮明ではないが「当時のその様子や思いは言いたくないし、思い出すこともしたくない、それほどすさまじいものだった」と書かれていたと記憶している。それほどやはり、海での事故の悲惨さは想像を絶するものなのだと思う。個々のヒーリングでは、プライベートなことに属することが多いので、すべてを記すことはできないのは残念だが致し方ない。最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

804回目の瞑想

天使
 
今更ながらだが、シルバー・バーチとは一体誰なのか、なぜ地上時代の本名を明かさないのか。アメリカン・インディアンの幽体を使用しているのはなぜなのか。このような質問は何度も繰り返されたようだが、二人の米国人が招待された時にまたその話題となり、シルバー・バーチ霊は改めてこう答えたそうだ。
「私は実はインディアンではありません。あるインディアンの幽体を使用しているだけです。それは、そのインディアンが地上時代に多彩な心霊能力をもっていたからで、私がこのたび使命に携わるように要請された際に、その道具として参加してもらったわけです。私自身の地上生活はこのインディアンより遙かに古い時代に遡ります。
このインディアンも、バーバネルが私の霊媒であるのと全く同じ意味において私の霊媒なのです。私のように何千年も前に地上を去り、ある一定の霊恪を具えるに至った者は、波長の全く異なる地上圏へ下りてそのレベルで交信することは不可能となります。そのため私は地上において変圧器のような役をしてくれる者、つまりその人を通して波長を上げたり下げたりして交信を可能にしてくれる人を必要としたのです。同時に私は、この私を背後から鼓舞し、伝えるべき知識がうまく伝えられるように配慮してくれている上層界の霊団と連絡を維持しなくてはなりません。ですから、私が民族の名、地名、あるいは時代のことをよく知っているからといって、それは何ら私のアイデンティティを確立することにはなりません。それくらいの情報はごく簡単に入手できるのです」
 
では、一体地上ではいかなる人物だったのか、またそれはいつの時代だったのか、という質問が相次いで出されたが、シルバー・バーチはその誘いに乗らずこう答えた。
「私は人物には関心がないのです。私がこの霊媒とは別個の存在であることが分かって頂ければ良いのでして、その証拠なら既に一度ならず確定的なものをお届けしております。
(訳者注ーー例えばある日の交霊会でバーバネルの奥さんのシルビアにエステル・ロバーツ女史の交霊会でかくかくしかじかのことを申し上げますと予告しておいて、その通りのことを述べたことがある。ロバーツ女史は全く知らないことなので、バーバネルを通じてしゃべったのと同じ霊がロバーツ女史を通じてしゃべったことになる。つまりシルバー・バーチはバーバネルの潜在意識ではないーー二重人格の一つではないことの証拠となる)
それさえ分かって頂ければ、私が地上で誰であったかはもはや申し上げる必要はないと思います。たとえ有名だった人物の名前を述べたところで、それを証明する手段は何一つ無いのですから、何の役にも立ちません。私はただひとえに私の申し上げることによって判断して頂きたいと望み、理性と知性と常識に訴えようと努力しております。もしもこうした方法で地上の方々の信頼を勝ち取ることができないとしたら、私の出る幕でなくなったということです。
仮に私が地上でファラオ(古代エジプトの王)だったと申し上げたところで、何にもならないでしょう。それは地上だけに通用して、霊の世界には通用しない地上的栄光を頂戴することにしかなりません。私たちの世界では地上でどんな肩書き、どんな財産を持っていたかは問題にされません。要はその人生で何を為したかです。
私たちは魂そのものを裁くのです。財産や地位ではありません。魂こそ大切なのです。地上では間違ったことが優先されております。あなた方のお国(アメリカ)では黄金の仔牛(旧約聖所に出て来る黄金の偶像で富の象徴)の崇拝の方が神への信仰心を凌いでおります。圧倒的多数の人間が神よりもマモン(富の神)を崇めております。それが今日のアメリカの数々の問題、困難、争い事の原因となっております。
私がもしもアリマタヤのヨセフ(※)だったとか、バプテスマのヨハネ(※※)だったとか申し上げたら、私の威信が少しでも増すのでしょうか。それともイロコワ族(※※※)の酋長だったとでも申し上げればご満足頂けるのでしょうか」
(※イエスの弟子。※※イエスに洗礼を施した人物。※※※北米インディアンの五つの部族で結成した政治同盟。イロコイ、イロカイオイともーー訳者)  
 
今回の内容は最初に記載すべきことなのかも知れない。シルバー・バーチ霊という偉大な霊が、この地上世界ではどんな人だったのかということは、大いに関心があることなのだと思う。この世の霊能者と偽って、大言壮語し、相談者を威圧する輩が多い中、シルバー・バーチ霊のお言葉は何と謙虚なのであろうかと思う。偉大なお方ほど、謙虚だということなのだ。"実るほど頭を垂れる稲穂かな"である。こういったことからもシルバー・バーチ霊が本物であることに得心できる。また、ある一定の霊恪を具えるに至った者は、波長の全く異なる地上圏へ下りてそのレベルで交信することは不可能だと言われている。それ故、シルバー・バーチ霊と人間であるバーバネル氏との間に更にインディアンの幽体を使われているのだ。そして、ただただシルバー・バーチ霊の言われている内容で判断して欲しいと言われている。それが本物の所以だからだ。
霊界では、この世の肩書きや名声などは問題にしていないと言われ、要はこの人生で何を為したか、それが一番大事だと言われているのだ。問題は魂なのである。前にも記載したが、 自家作用によって、自分で自分を裁くことになるのだ。その時の判決の基準は地上で何を考えたのかでもなく、何を信じたかでもない。世の中のためにどれだけ自分を役立てたかということ、それが一番大事だとシルバー・バーチ霊が常に説かれていることなのだ。これこそが、シルバー・バーチ霊が私達人間に理解して、実行して欲しいと思っておられることなのだと思う。
 
今日の瞑想でも、呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして今日もまたご依頼の方々のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。今日はやはり徐々に意識は薄れていき、ほとんどそのままの状態で終わってしまった。なので、そのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

779回目の瞑想

天使
 
ーーーあなたは先ほど他人の行為によって自分が災難に遭うこともあり得ることを認められましたが、他人の苦しみを知ることによって自分が苦しむという意味での苦しみもあるのではないでしょうか。それは無視してもよいのでしょうか。そしてそれは良いことなのでしょうか。
「少しずつ深みに入ってきましたね。でも思い切って足を踏み入れてみましょう。円熟した魂とは人生の有為転変のすべてを体験しつくした魂のことです。苦しみの淵を味わわずして魂の修練は得られません。底まで下りずして頂上へは上がれません。それ以外に霊的修練の道はないのです。あなた自ら苦しみ、あなた自ら艱難辛苦を味わい、人生の暗黒面に属することのすべてに通じてはじめて進化が得られるのです。進化とは低いものから高いものへの成長過程に他ならないからです。
さて、苦しみとは一体なんでしょうか。苦しみとは自分自身または他人が受けた打撃または邪悪なことが原因で精神または魂が苦痛を覚えた時の状態を言います。が、もしその人が宇宙の摂理に通じ、その摂理には神の絶対的な公正が宿っていることを理解していれば、少しも苦しみは覚えません。なぜなら各人が置かれる環境はその時点において関係している人々の進化の程度が生み出す結果であると得心しているからです。進化した魂は同情、思いやり、慈悲心、哀れみを覚えますが、苦痛は覚えません。
要するに理解が行き届かないから苦しい思いをするのです。十分な理解がいけば苦しい思いをしなくなります。すべきではありません」
 
今回の内容は前回の続きである。今までを通してシルバー・バーチ霊のお言葉を拝見してきているが、今回もまさにこの世の目的である、というか魂の目的とするべきことが記されている。すべてはこの世の体験はどんなものであろうと、それを克服していくことにあるということだ。苛酷な体験で苦しみを乗り越えて行くことで進化が得られると言われている。だが、その苦しみは神様の摂理を理解して信じていれば、少しも苦しまないと言われ、理解していないからこその苦しみだと言われているのだ。進化した魂は同情、思いやり、慈悲心、哀れみを覚えるとの箇所にイエス様のことが脳裏に浮かんだ。未だになぜイエス様ほどのお方が殺されなければならなかったのかは疑問であるが、だが、そのイエス様が磔をしている者に対して神様に赦しを請う。これこそ自分が今殺されるというのに、相手に対しての慈悲心を持たれることの凄さは言うに及ばない。これが進化した魂ということなのだ。それが今自分にできるかと問うてみても、答えはノーだ。でも、シルバー・バーチ霊はこのことを言われているのだと思う。各々の置かれる環境はその時点において関係している人々の進化の程度が生み出す結果を得心できているか否かで決まるようだ。それはもし仮に自宅に悪人が入って来て、自分が殺されそうになっている時に、その悪人が自分を殺すことで罪を犯すことに対しての慈悲の心を持てるかどうかということなのだ。やはりその状態になれば、殺されるという恐怖が先に立ってしまうと思う。パニックになって、逃げ惑うのではないかと想像する。けれど進化した魂は、恐怖も苦しみもなく、その場をやり過ごすことができるのだろう。それを思った時に、まだまだ精進が足りないと自覚した。上辺の理解ではなく、心からの理解でなくては意味がないのだ。そこまで神様を信じられるかどうかなのだ。それに加えてやはり真の霊的知識も理解できていなければいけないのだと思う。そのような心境になれるように更に努力していきたいと強く思った。
  
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に意識して、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。今日も意識が遠のきながらも、いろいろな体験をさせてもらっていたように思う。やはり残念ながら、思うとしか言えないのは、意識が戻った時にはおぼろげにしか覚えていないからなのだ。これがはっきりと記憶していられるようになれば、進化してきたということなのだと思う。ただそのような体験をさせて頂いていることは誠に有難いと思っている。そのまま 神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

780回目の瞑想

天使
 
ーーーバイブルにはイエスは我々のために苦しみを受けたとあります。
「バイブルには事実でないことが沢山述べられています。いかなる人間も自分以外の者のために代わって苦しみを受けることはできません。自分の成長を管理するのは自分一人しかないーー他人の成長は管理できないというのが摂理だからです。贖罪説は神学者が時代の要請に従ってでっち上げた教説の一つです。自分が過ちを犯したら、その荷は自分で背負ってそれ相当の苦しみを味わわなくてはなりません。そうやって教訓を学ぶのです。もしも誰か他の者が背負ってあげることができるとしたら、過ちを犯した本人は何の教訓も学べないことになります。
苦と楽、悲しみと喜び、平静と怒り、嵐と晴天、こうしたものがみな魂の成長の糧となるのです。そうしたものを体験し教訓を学んで初めて成長するのです。その時初めて宇宙が無限なる愛によって支配され、その愛から生み出された摂理に間違いないとの自覚を得ることができるのです。"まず神の国と義を求めよ。さらばそれらのものもすべて汝のものとならん"(マタイ6・33)というのは真実です。その心掛けになり切れば、つまり宇宙の摂理に不動の、そして全幅の信頼を置くことができるようになれば、なにごとも成就させずにはおかないからです。
その霊力を枯渇させマヒさせる最たるものは"心配"の念です。全幅の信頼心ーー盲目的な信仰ではなく、知識を土台とした完全なる信念は、人生のあらゆる体験に心配も迷いも不安もなく立ち向かわせます。神の子である以上は自分の魂にも至聖所があり、そこに憩うことを忘れない限り、自分を焼きつくす火も吹き倒す嵐も絶対にないとの確信があるからです」
 
ーーーすばらしいことです。
「本当にそうなのです。本当にそうなのです。物質に包まれた人間にはその理解はとても困難です。魂そのものは知っていても、その物質による束縛がどうしても押し破れないのです。しかし、それを押し破っていくところに進化があるのです。人生問題を霊の目で眺めれば、その一つ一つに落ち着くべき場がちゃんと用意されているのです。地上的な目で眺めるから混乱と困難と誤解が生じるのです。そこで私たちの出番が必要となります。すなわち霊的真理の光をお見せするのです。
ナザレのイエスが"神の御国は汝自身の中にある"と述べたのは寓話ではなく事実を述べたのです。神は全生命の中心です。宇宙は神が内在するがゆえに存在しているのです。地上のあらゆる存在物も神が内在するからこそ存在しているのです。あなた方もミニチュアの神なのです。あなた方の心掛け次第でその内部の力が成長し、発展し、開花するのです。その成長の度合いを決定づけるのはあなた方自身です。他の誰も代わってあげることはできません。それが地上生活の目的なのです。
自分も神であることを自覚なさることです。それは絶対に裏切ることがありません。無限の補給源である神の摂理に調和した生き方をしている限り、何一つ不自由な思いも空腹も渇きも感じなくなります。といって必要以上のものはいただけません。魂の成長の度合いにふさわしいだけものが与えられ、それより多くも、それより少なくも、それより程度の高いものも低いものも受けません。それ以外にありようがないのです」
 
今回の内容もやはり圧巻で感動しまくった。人間はいかなる場合であろうが、苦しみは自分自身のみが克服する以外ないと言われている。他人に代わってもらうことはできないし、自分が代わることもできない。だがその荷を背負ってその苦しみを体験するからこそ、教訓を学び成長するのだと言われているのだ。それによって、神様の摂理を理解し、信じることができるのだ。そしてその思いが揺るがず、全幅の信頼を置けるようになれば、何事も成就できるようになると言われている。私は心からそうなりたいと切望する。だがその上で霊力を枯渇させるものは心配の念だと言われている。どのような情況下にあろうが、心配や不安の念は霊力を弱めるということだ。全幅の信頼心、知識を土台とした完全なる信念は、人生のあらゆる体験に心配も迷いも不安もなく、進めることができるのだ。質問者の言われるように本当に素晴らしいと感動した。神の摂理に調和した生き方をしている限り、何一つ不自由な思いしない。但し、魂の成長の度合いにふさわしいだけものが与えられ、それより多くも、それより少なくも、それより程度の高いものも低いものも受けることはできないと言われる。それが公平であり、神様の摂理なのだ。これこそがこの世における目的なのだと痛感する。私自身、その想いを更に強固にして行こうと心に誓った。
 
今日の瞑想では、今回のシルバー・バーチ霊の内容を読んで、ふつふつと湧き上がる想いに心からの切望する気持ちでお願いさせて頂いた。「神様に対する全幅の信心を今まで以上に増すように、そして霊的知識の理解が更に深まるように」と。そのうちに意識が遠のき、映像が見えた。それは火事なのか、炎を見せて頂いたのか、ある建物に炎上するものすごい炎だったのだ。そこでまた夢占いを見てみた。巨大な炎、そして炎上する炎が大きな場合、自分の中の情熱や生命エネルギーが満ち溢れ、上昇しているという吉夢だと書かれていた。今回の私の並々ならぬ想いが、そのような映像を呼び寄せたのではないかと合点がいったのだ。まさに今情熱やエネルギーがみなぎっているという感触がある。だが、その状態を一時のことで終わらせないように持続させて行く事が最も大事なことなのだと気を引き締めた。最後に神様と霊界の方々にいつも通りお礼を申し上げて終了した。

781回目の瞑想

天使
 
今回から、若き軍人との質疑応答をしばらく記載しようと思う。
この若き軍人はシルバー・バーチ霊と語ることが永年の夢だったようだ。英国陸軍第八部隊所属の一軍人は、本来はフリート街の青年ジャーナリストなのだそうだ。
ーーー一人の人間のすることは多寡が知れているように思えるのです。軍隊にいるとただ語り合うことしかできません。
「そのたった一人の人間も、霊の力を背後にすれば大きな仕事ができるのです。私は決して自惚れてでかい口をきいているのではありません。私にも謙虚な精神と哀れみの情はあります。私もかつてはとても無理と思える仕事を仰せつかりました。地上の方にはまったく無名のこの私が、この声と素朴な訓え以外には何の資産もなしに、たった一人で地上へ赴き、自分で道具(霊媒)を見つけ、愛と理性のみで勝利してみよと言われたのです。
おっしゃる通り、たった一人のすることです。見た目にはたった一人です。が、その背後には自分を役立てたいとの願望を抱く者に必ず授けられる強大な霊力が控えております。
かつても、大きな仕事をたった一人で始めた人がいました。その名をナザレのイエスと言いました。そのたった一人の人間が愛を基本理念とした新しい宗教の規範を地上にもたらしました。
たった一人で大きな仕事を始めた人は他にもいます。その名をリンカーンと言いました。彼は奴隷を解放し、あの大きな大陸を一つにまとめました。
いかがです?たった一人でも大きな仕事ができることを示す例をもっと挙げて欲しいですか。真理普及というこの大きな戦いにおいて私たちの味方となった方には"敗北は"はありません。時として後退のやむなきに至ることはあるでしょう。が、知識が無知を追い払い、光が闇をかき消しながら、われわれは絶え間なく前進し続けております。私は古い霊です。(訳者注ーーoldオールドという用語を用いているが、時間のない霊界には古いとか新しいとか若いとか年老いたといった表現は存在しない。ただ紀元前一千年頃に地上生活を送ったことがあり、地上的年齢計算でいくと三千歳になるという意味でそう言ったわけである。霊界には魂の成熟度しかない)私くらいになると人間の可能性というものがわかります。その私からあなたに激励の言葉を述べさせていただきましょう。一切のあきらめの念を駆逐しなさい。そうです。私たちには為さねばならない仕事があるのです。偉大な仕事です。喜んでその手を、その心を、その精神を貸してくれる人の協力を必要とする大仕事があるのです。あなたもぜひ参加してください。あなた方自身が手にされた知識を寛容の精神で他人に披露して、その良さを知ってもらうための努力を忍耐強く続けてください。そのうちにきっと少しずつ変革が生じていることに気づかれます。
それしか方法がないのです。集団的暗示や熱狂的説教による陶酔ではいけません。理性と叡智と論理と常識、そして何よりも愛をもって、真実を特ことによって一人ひとり得心させて行かねばなりません。結局はそれしかないのです。そう思われませんか」
 
ーーーそう思います。しかしそれには気の遠くなるような時間が掛かります。
「ある人が言っていますよ。地球はあなたが生まれる前から存在し、あなたが去った後もずっと存在するであろう、と。その地上でのご自分の束の間の人生を、何とか価値のあるものにすることに(余計な心配せずに)専心なさることです。たった一個の魂のためにあなたを役立てることができれば、それだけであなたの人生は失敗でなかったことになります」
(明日に続く)
 
今回は冒頭で書いたようにシルバー・バーチ霊と若き軍人との質疑応答であるが、これは私にとっても、とても励みになるお言葉が散りばめられていた。私自身も初めて読ませてもらった章なのだ。一見すると軍人との対話なので一般人には関係ないように思われる。だが、決してそんなことはなかった。たった一人でもできる仕事があると言われ、喜んでその手を、その心を、その精神を貸してくれる人の協力が必要だと言われている。しかも霊的真理を知って理解した人ならば、資格など何も要らないのだ。ただ愛をもって、霊的真理に沿った真実を普及しようと思う心さえあれば、誰でも参加できるということだ。そして、何よりも心強いのは、真理普及という大きな仕事においてシルバー・バーチ霊を始めとする霊界の方々に対しての協力を惜しまない人々には敗北はないと断言されていることだ。もちろん、そこには並々ならぬ努力は必要だと思う。またイエス様やリンカーン大統領のような偉大で大きな仕事はできないにしても、一人でも多くの方々に霊的真理の普及をすることはできるのではないだろうか、と私は思う。今回の内容に私はとても励まされた思いだった。やる気もまたみなぎってきた。単純なのだ。笑
ぜひ、皆様にも、ご賛同頂ける方には霊的真理の普及をお願いしたいと思っている。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に意識していき、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。最初こそ意識ははっきりしていたが、その後はどんどんと遠のいていく。気がついた時には丁度曲が終わるところだった。そのまますぐに神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

782回目の瞑想 

天使
 
ーーーでも、生涯を何一つ他人のためになることをせずに終わる人が大勢います。
 「若者はとかくせっかちに考えがちなものです。が、世の中は急激な革命によってではなく、ゆっくりとした進化によって改められていくーーそれが摂理なのです。私は若者特有の熱誠や情熱に水を差すつもりは毛頭ありません。私がこれまでに見てきたままを申し上げているのです。ご自分の経験から得られる叡智を道しるべとするーーこれが一番です。人間を導く上で私たちはそれを一番の拠り所としています。だからこそ説得力があるのです。そうした方針でやってきて、結構私たちは、多くの方が気づいておられる以上に大きな進歩を遂げております。
失望なさってはいけません。私たちは決してあなた方を失望させるようなことはしません。自惚れているのではありません。霊的法則に関する知識を駆使して霊的資源を活用する用意があるからです。この資源は無尽蔵なのです。それを活用して、あなたがどんな境遇に置かれてもそれを克服できるように導き支援して、あなたの存在をできるだけ有効に生かす道を歩んでいただくように致します。
奉仕こそ霊の通貨コインなのです。宗教とは何かと問われれば私は躊躇なく申し上げますーーいつどこにいても人のために自分を役立てることです、と。神学などはどうでもよろしい。教義、儀式、祭礼、教典などは関係ありません。祭壇に何の意味がありましょう。尖塔に何の意味がありましょう。ステンドグラスの窓にしたからどうなるというのでしょう。法衣をまとったからといってどう違うというのでしょう。そうしたものに惑わされてはいけません。何の意味もないのです。
自分を人のために役立てること、それが宗教です。あなたの住むその世界のために役立てるのです。世の中を明るくするために役立てるのです。人の心を思いやり、優しくいたわり、気持ちを察してあげなさい。しかし同時に、邪悪なものに対しては敢然と闘ってください。
私がわざわざ地上へお伝えに戻ってきた真理とは、こうした何でもないことばかりなのです。しかし、こうした基本的な真理にしがみついていさえすれば、道を誤ることはありません。知識を広めることです。時には拒否され、時には嘲笑され、軽蔑され、愚弄されることもあるでしょう。しかし、気になさってはいけません。そんなことで傷つけられてはなりません。用意のできていない者は当然受け入れることはできません。でも、それであなたはあなたの為すべきことをなさったのです。
しかし一方には、それが干天の慈雨である人もいます。そういう人こそ大切なのです。その人達の役に立てば、それだけで少なくともあなたの人生は存在価値をもつことになります。
どうかわたしがこれまで述べてきた知識の中から物的生活の背後で働いている霊的活動、あなたの身の回りに、ほうはいとして存在する莫大な霊力、あなた方を善のために活用せんとして待ち構えている霊の存在を認識してください。あなた自身の中に潜在する可能性をしっかりと認識してください。それが自我の霊的本性をもつ莫大な兵器庫、魂の宝庫を開くカギとなるからです。神の叡智は無限であるということ、宇宙の宝物ほうもつは無尽蔵であるということの意味を、しっかりと理解してください。
私たちは金や銀の財宝をお持ちしてあげるわけにはまいりません。が、それより無限大に貴重な霊的真理という名の宝石をお持ちしております。これは色褪せる心配はありません。永遠に価値を発揮し続けます。これさえ携えていれば、人生を生き抜く上での光輝あふれる照明となってくれます」
 
   今回の内容も、若き軍人にだけ言えることではない。すべての人間に言えることなのだ。宗教とは、いつどこにいても人のために自分を役立てることなのだと言われている。だが、この世の宗教とは、自分を救ってもらえる場所と思っている。そこに心の隙があるのだ。だからこそ、騙されてしまう。自分を人のために役立てること、それが宗教だと言われ、私たちの住むその世界のために役立てなさいと言われている。世の中を明るくするために、人の心を思いやり、優しくいたわり、気持ちを察してあげる人になる。そしてそれと同時に、邪悪なものに対しては敢然と闘えといわれているのだ。ネットで調べている時に出逢ったブログの方が、そのようなことを為さっている。まさしくこの箇所を読んでいて、その方のことだと思ってしまった。ご自分の経営する会社を社員に任せて、現在はワクチン後遺症の方や、ワクチン接種で亡くなれた方のご遺族の方に寄り添い、コロナワクチン被害者駆け込み寺を設立されておられるのだ。そして今の実情をドキュメンタリー映画として、それを自費でいろいろな場所で上映され、講演されている。そしてその方々の訴訟費用にするべく、上映料金も500円と格安なのだ。また自主上映会の希望も募っておられる。それ以外にも被害者の方々と対面し、被害者の訴えを拡散されている。私もその方のブログの内容を別のブログで拡散させて頂いている。本当に頭が下がる行動をされておられるのだ。きっと背後には素晴らしい高級霊の方々が協力されておられるのだろう。これこそ本物の宗教をされているお人なのだと思う。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。今日はご依頼のあった方のお祈りとヒーリングをさせて頂いたので、自分の瞑想はしていない。最後に神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

783回目の瞑想

天使
 
ーーー善と悪は何を規準にして判断したらよいのでしょうか。人間一人ひとりの問題でしょうか、それとも霊的法則の中に細かく規定されているのでしょうか。
 「一人ひとりの問題です。一人ひとりの霊的自我の中に絶対に誤ることのない判定装置モニターが組み込まれているのです。これまでに何度となくこの問題を持ち出されましたが、私には一貫して主張している見解があり、それをみじんも変更する必要を認めません。これまでに獲得した霊的知識を総合的に検討した結果として私はこう申し上げております。すなわち、正常な人間である限り、言いかえれば精神的・知的に異常がまたは病的でない限り、自分の思考と行動を監視する、絶対に誤ることのない装置が内蔵されております。いわゆる道義心です。考えること、口にすること、行うことを正しく導く不変の指標です。それがいかなる問題、いかなる悩みに際しても、そのつど自動的に、直感的に、そして躊躇なく、あなたの判断が正しいか間違っているかを告げます。
それを人間は、時としてもみ消し、時として言い訳や屁理屈で片づけようとします。が、真の自我はちゃんと分かっているのです
(明日に続く)
 
今回の内容は前にも記載した善と悪についてである。この問題は人間一人ひとりの問題だと言われ、それは各々の霊的自我の中に絶対に誤ることのない判定装置が組み込まれているからだと言われているのだ。それがいわゆる、良心ということなのだろう。正常な人間には、自分の思考と行動を監視する、絶対に誤ることのない判定装置が内蔵されており、自分自身が考えること、口にすること、行うことを正しく導き、自動的に直感的に躊躇なく、自分の判断が正しいか間違っているかを告げられると言われる。だが人間はそれをもみ消したり、言い訳したり、屁理屈で誤魔化しているのだ。ただこの世はそれで通用するかも知れないが、真の自我はちゃんと分かって刻まれているので、霊界では通用しないということだ。自分の直感や良心に従うことが何よりも大事なことだという訓えなのだと思う。
 
今日の瞑想では、時間がなく、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。時間がないという概念はつくづく顕在意識なのだと思った。いつの間にか意識が遠のくと、そんな思いは吹っ飛び、ある程度の時間を要していた。気がつくと慌てて、神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了したのだった。

784回目の瞑想

天使
 
難解な哲学的思考スペキュレーションの域まで議論が発展し、シルバー・バーチは一応それに対応したあと、こう述べた。
「私は実用的志向のタイプです。今日こんにちの地上世界が置かれている窮状を救う上で何の役にも立たないと思われる方向へ議論が流れかけた時はいつもお断りしております。私は今地球が必要としているのは基本的な霊的知識であるとみています。人間社会の全組織を改め、そこに巣くっている汚毒、汚物、スラム、不平等、不正を一掃する上で役立つ知識です。そうした環境が人間の霊性の発現を妨げているからです。
地上世界を見回すと、すばらしい花園であるべきところに醜い雑草が生い茂り、花がその美しさを発揮する場所がなくなっています。そこで私はこう言うのですーーまずそうした基本的な問題と取り組みなさいーー戦場で戦ういかなる敵よりもはるかに強力なその敵に宣戦布告なさい、と。
人間の霊性を踏みにじっている敵と戦うのです。人間の霊性を抑圧し、魂を束縛する敵と戦うのです。霊的存在としての基本的権利ーー神の直射日光を浴び、自由の喜びを味わう権利を奪う、あらゆる的と戦うのです。
人間はまずそうした問題に関心を向けるべきです。そしてもしあなたとの縁によって霊的知識に何らかの価値を見出した人々がその普及に意欲を燃やしてくれた時は、その方達にこう忠告してあげてくださいーー基本的な目的は難解なスペキュレーションを満足させることにあるのではなく、この地上生活において霊的教訓を学べるような環境にすること、言いかえると、現在のように大勢の者が悲しむべき哀れな姿で霊界へ来るような事態を改めることにあるのです。と。(中略)
私はどうやら"人騒がせ者”のようです。キリスト教の教えを違うことばかり説いていると批難されております。しかし自分では、そう言って批難する人たちよりもキリスト教の本質についてより多くのことを知っていると思っております。あらゆる地上の問題を煮詰めれば、その原因はたった一つの事実を知らないことに帰着するのです。すなわち人間は本来が霊的存在であり、神からの遺産を受け継いでいるが故に、生まれながらにして幾つかの権利を有しているということです。
その権利は、次の生活の場に備えるために、地上生活においてその属性を十分に発揮させるためのものです。その妨げとなるものはいかなるものでも排除するーーそれだけのことです。
それをどう呼ばれようと構いません。私はラベルや党派には関心がありません。私が関心をもっているのは"真理"だけです。
もしもあなたが私と同じ立場に立って、毎日のように発育を阻害された者、挫折した者、精神を歪められた者、未発達者、何の用意もできていない者が続々と私たちの世界へやって来るのをご覧になれば、多分あなたも私と同じように、この繰り返しに終止符を打つために何とかして地上を改革しなければという気持ちを抱かれるはずです。
どうか、その若さで霊的知識を手にされたことを喜んでください。それを人生の冬(晩年)になってようやく手にして悔しがる人が多い中で、あなたは人生の春にそれを手にされました、しかし、あなたにはそれを成就すべき夏がこれから訪れます」
 
  今回の内容は当時と変わらず現在もなお、地球が必要としているのは基本的な霊的知識であることを教えて下さっていると思う。まず身の回りのそうした基本的な問題に取り組むべきだと言われている。霊的存在としての基本的権利に関心を向けることだと言われ、霊的知識を知ることで、何も知らずに霊界へ来るという事態を避けなければいけないと言われている。地上の問題を煮詰めればそこに帰着するとシルバー・バーチ霊は言われるのだ。霊的知識を知ることは、 人間は本来が霊的存在であり、神からの遺産を受け継いでおり、生まれながらにして幾つかの権利を有し、 その権利は、次の生活の場に備えるために、地上生活においてその属性を十分に発揮させるためのものであると説いている。その真理を一人でも多くの方に普及することが大事なのだ。この軍人のように若くして真理を手にできる人は幸運だ。けれど、せめて死ぬ前に真理を知ることができれば、私は少なくとも、霊界で迷うことはないと思っている。
 
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸に集中し、穏やかな気持ちで神様に簡単なお祈りをさせて頂く。最初は映像のようなものも見えていたようだったが、しばらくすると、意識が遠のいていく。そして気がつくと曲が終わるところだった。一息おいて 神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

785回目の瞑想 

天使
 
ヨーロッパの戦乱が終結して間もないある日の交霊会でのこと。
ーーー敗戦国の人々に対して霊的真理をどう説かれますか。
(訳者注ーー第二次大戦で枢軸国すうじくこくと呼ばれた日・独・伊三国のうち、まず独伊が降服し、それから二ヶ月後に日本が降服したので、この交霊会はその間のつまり1945年6月から8月の間に開かれた計算になる)
「真理は真理です。その本質は永遠に変わることはありませんが、そのバリエーション(質・程度・適用性などの変化・変異)は無限です。大衆に一度に理解してもらえるような真理を説くことはできません。一人ひとりが異なった進化の段階にあり、同じ真理に対して各人各様の反応を示すものだからです。
私は常々、神の計画は一度に大勢の人間を目覚めさせることにあるのではないことを説いてまいりました。そういうやり方では、永続性のある効果は期待できないからです。一時の間は魔法をかけられたようにその気になっても、やがて必ず反動が生じ、群衆心理から覚めて個人としての意識が戻ると、しばしば後悔の念とともに現実に目覚めるものです。
それではいけません。私たちの計画は個人を相手として、一人ひとりその霊的需要度に応じて真理を授けることにあります。大抵の場合、地上で最も縁の強かった人からのメッセージで確信を植えつけます。それによって確立された信念はいつまでも持続し、いかなる人生の嵐に遭っても、いかなる痛打を受けても挫けることはありません。ですから、大勢の人を一度に目覚めさせる方法はないのです。少なくとも満足すべき結果を残させる方法はありません。
忘れてならないのは、真理を理解するには前もって魂に受け入れ態勢ができあがっていなければならないということです。その態勢が整わない限り、それは岩石に針を突き刺そうとするようなもので、いくら努力しても無駄です。魂が苦しみや悲しみの体験を通じて耕されるにつれて岩石のような硬さが取れ、代わって受容性のある、求道心に富んだ従順な体質が出来上がります。
しかし、敗戦の苦しみの中に置かれた人々へのメッセージが一つだけあります。何事も自分の理性に訴え、自分の道義の鏡に照らして行動しなさいということです。動物時代の名残りを呼び覚まされて、目には目を歯には歯をの考えで臨んでもラチは明かないということです。
苦難の代償はそれによって自らを霊的に解放し、憎しみも怨念も敵意もない、協調的精神に富んだ"新しい世界"に適応し、然るべき役割を果たせる人材となることであらねばなりません」
 
今回の内容は敗戦国に対しての霊的真理の説き方の質疑応答だ。これは日本にも言えることで興味深い。だがシルバー・バーチ霊のお答えは、敗戦国のすべての人間に霊的真理を説くのは神様のご計画ではないと言われている。そのやり方では、永続性のある効果は期待できず、一時の間は魔法をかけられたようにその気になっても、やがて必ず反動が生じ、群衆心理から覚めて個人としての意識が戻ると、後悔の念とともに現実に目覚めるものだからと言われる。個人を相手として、一人ひとりその霊的需要度に応じて真理を授けることであると言われ、その方法は大抵の場合、地上で最も縁の強かった人からのメッセージで確信を植えつけられるのだそうだ。それによって確立された信念はいつまでも持続するとのこと。ただどんな場合でも忘れてならないのは、真理を理解するには前もって魂に受け入れ態勢ができあがっていなければならないということだ。その態勢が整わない限り、それは岩石に針を突き刺そうとするようなもので、いくら努力しても無駄だと断言されている。魂が苦しみや悲しみの体験を通じてこそ、その岩石のような硬さが取れ、受け入れる態勢が整う状態になるということなのだ。最後に敗戦の人々へのメッセージとして、何事も自分の理性に訴え、自分の道義の鏡に照らして行動することだと言われている。
そして最も大事なお言葉は次のお言葉だと思う。私達人間がこの世で果たさなければいけないことなのだ。
「苦難の代償はそれによって自らを霊的に解放し、憎しみも怨念も敵意もない、協調的精神に富んだ"新しい世界"に適応し、然るべき役割を果たせる人材となること」
  
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。その後息子との心の会話をしているようにいろいろな息子の言葉が浮かぶ。すると息子に対しての想いがこみあげてきた。昔の思い出の場面などが次から次へと浮かび、涙もこぼれてきたのだ。そんな想いで一杯になっていた。こんな想いは久々だった。だが、ある瞬間からなぜかすっきりとしてしまい、息子に対する想いが今まで通りになっていた。確かめる意味で、思い出のシーンなどを思い浮かべるが、先ほどのような想いにはみじんもならなかったのだ。ただただ不思議だった。顕在意識では吹っ切れていたはずだったが、潜在意識はまだ吹っ切れていなかったのであろうか。底の底にまだ溜まっていた想いだったかも知れない。その後薄い光りに包まれる感覚になり、我に戻ったのだ。(と言ってもその間も意識はあったと思っていたのだ。だが、戻ってみるとやはり感覚が違っていたようだ)そして少し早めだったが、神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

786回目の瞑想

天使
 
   
話題が"敗れた枢軸国を連合国はどう扱うべきか"という、当時もっとも関心の大きかった問題に発展し、かつてキリスト教の牧師だったメンバーが正直に述べた。
ーーー私はそれらの国の人間とは二度と握手する気にはなれません。
「迷える者に手を差しのべるということが真理を手にした者の義務です。戦乱の雰囲気に巻き込まれて、その背後の永遠の霊的実在まで見えなくなるようではいけません」
 
ーーーしかし生意気を言うようですが、どう間違っても私にはあれほどの残虐行為はできません。
「心配なさるに及びません。神の摂理は完全です。一人ひとりが過不足のない賞罰を受けます。無限の叡智をもってこの全大宇宙を計画し不変の法則によって支配している神は、そこに生活している者のすべてのために摂理を用意しており、誰一人としてその働きから遁のがれることはできません。懲罰と報復とを混同してはいけません。
私たちは同じ問題をあなた方とは別の視野で眺めております。復讐心と憎しみによって世の中を良くすることはできません。その邪心が判断力を曇らせ、決断を下すにも計画するにも不適格な状態になってしまいます」
 
ーーー報復も懲罰の一種ではないでしょうか。
「違います。報復は古いモーゼの律法であり、懲罰は神の摂理です。つまり一人ひとりがその功罪に応じて報いを受けるのです」
 
ーーー人間同士で一方が他方を罰することは許されないとおっしゃるのですか。
「私だったら、その相手を精神的に未熟な人間として扱います。つまり人生を正しい視野で眺められるように、矯正していくための処方を考えます。もし罰せざるを得ないとすればーー私はその必要があるとは思いませんがーー魂が真の自我に目覚めるような性質のものでなければなりません。憎しみを増幅させ、新たな戦争を生むような性質のものであってはなりません」
 
ーーーああいう国民を甘い処分で済ませておくと、二十年もしたらまた戦争になります。それで私は徹底的に打ちのめすべきだと言うのです。
「どうやって打ちのめすのですか」
 
ーーーこのたびの戦争でやったようにです。
「それで問題は解決されたでしょうか。肉体が機能しなくなったらその人の影響も存在しなくなるのでしょうか。お伺いしますが、憎悪を抱いたまま肉体から無理やりに離された幾百万とも知れない人間が、地上の人間のために働いてくれると思われますか」
 
ーーー一つの教訓を教えることにはなると思います。少しは変わってくれると思います。
「それは憎むことを教えることになるでしょう。憎しみは憎しみを呼び、愛は愛を呼ぶものです。物質の目で物事を判断してはなりません。これまで何度も繰り返されてきたことです。殺人犯を処刑しても問題を解決したことにはなりません。地上へ戻ってきて他の人間を殺人行為へそそのかします。
では一体どうすれば問題の解決になるのかということになりますが、処罰を矯正的な目的をもったものにすればいいのです。社会の一員として相応しい人間になってくれるように、言いかえれば神の公正の理念に基づいて然るべき更生の機会を与えてあげるように配慮すればよいのです。そういう人間は心が病んでいるのです。それを癒やしてあげないといけません。それが本来の方向なのです。それが本人のためになるのです。それが"人の為”の本来のあり方なのです。摂理に適い、それを活用した手段なのです」(明日に続く)
 
今回の内容は質問者の考え方が、私達人間の一般的な考え方のように思う。だからこそ、戦争はなくならないのだろう。シルバー・バーチ霊の言われるようなことができれば、戦争はなくなるだろうが、果たしてそれが私達人間にできることなのかどうかだ。歯には歯をこれがなくならない限り無理なような気もする。やられたらやり返すことが、胸がすく思いになるからだ。だが、そのようなことをいつまで繰り返せばいいのか、どこかで断ち切らなければ、戦争は終わらないのだ。もちろん、戦う相手に愛を持つことは至難の業である。シルバー・バーチ霊の言われるように愛は愛を呼ぶというのは頭ではわかるが、感情が許さない。けれど、愛と呼ぶほどの想いにはなれなくても、許す気持ちにはなれるのではないだろうか。それにはやはり霊的真理を理解すること以外ないように思う。シルバー・バーチ霊のように相手を精神的に未熟な人間と思えればいいのだろうが、そこまでの域に達していない場合は、そのような高みの見物のようにはいかないのが普通だ。だが、少なくとも霊的真理を知り、学んだ人は許せるように努力すべきことは明白である。私も常々、殺された側を考える。もしも身内が殺されたらと想像し、その犯人を許せるだろうかと。許す許せないは別しとしても、少なくとも死刑にして欲しいとは思わない、という気持ちだけはあるのは確かだ。シルバー・バーチ霊が再三言われているように、死刑にしたところで、問題解決にはなっていないからだ。やはり、一生をかけて、霊的な方向へ矯正してくことが神様の摂理に適った方法だと思うのだ。難しい問題ではあるが、神様の摂理に適った処し方を努力して行くべきだと心から思う。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に集中すると、すぐに意識が遠のく。曲の終わり間近に意識が戻り、あわてて、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。その後も意識があるものの、宙に浮いたような感覚だった。曲が終わると同時に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

787回目の瞑想

天使
 
ーーー戦争で敵・味方となって戦い合って死んだ二人に、あなたはそれぞれどう対処されますか。
「それはその二人の霊の状態次第です。条件つきの答えで申し訳ありませんが、そうした問題は規格品的回答で片づけられる性質のものではないのです。それぞれの霊的進歩の状態によって異なるのです。死んだ後も延々と戦い続けている者もいます。が、いつかは、地上で抱いた敵対心は肉体の死と共に消滅すべきものとの認識が芽生えてきます。
霊界の下層界では地上で起きていることのすべてが再現されております。地上での戦争や抗争がそのまま続けられております。が、霊的覚醒と共にその階層を離れて、地上で培われた偏見と敵意をきれいに棄て去ります。そうなると問題はひとりでに解決されてまいります。
霊的摂理の理解と共に、自分の為すべきことは霊的な身支度をすること、自分自身の霊性を磨くこと、自分自身の能力を開発することであることを自覚し、それは他人のために自分を役立てることによってのみ成就されるものであることを認識します。いずれにしても問題はあくまで過渡的なものです。霊的事実を知らずにいる者にいかにしてそれを認識させるかということです。そのためにあらゆる手段を講じるのです。
一番厄介なのは、自分がすでに地上を去った人間であることが納得できない人たちです。非常に頑固なのがいます。さほどでない者もいます。わりに素直な者もいます。このように、人類のすべてが同じ進化の階梯にいるわけではないのです。従って一人ひとりの霊への対処の仕方も、それぞれのその時点での必要性に応じたものでなければなりません」
 
今回の内容を読んで、霊媒の役目をしていた時のある霊のことが彷彿とさせられた。それは当時戦争で亡くなった霊が降りて来た時のことなのだ。やはり実際にまだ戦いが続いていると思っていたようだった。その霊は物陰に隠れていて、敵の様子を伺っていたのだ。母が話しかけると「静かにしてくれ。相手に見つかってしまうではないか」と言ったように記憶している。だが母は亡くなって肉体がないことを懇々と言って聞かせたのだ。最初はもちろん、聞く耳を持たない状態だったが、やはり何か違和感は持っていたようだった。それは敵である相手が全く現れないのを不思議に思っていたようだったのだ。シルバー・バーチ霊が言われる「わりに素直な人」だったのだと思う。そして最後に奥の手を使い、私の身体を触らせるのだ。すると、話は早い。それからは素直にまた熱心に母の言う事を聞き、それが霊的覚醒なのかどうかはわからないが、それまでの想いは消えて行くようだった。そんな体験をしていたので、今回の内容はあの時のことが真実だったのだと改めて確信させてもらえたようで有難かった。シルバー・バーチ霊の言われるように、一番大変で苦労させられるのは、自分がすでに地上を去った人間であることが納得できない人たちなのだ。これは戦争で亡くなった方だけではない。霊的なことを知らない人はみな死んでしまったことがわからないし、認めようとしないのだ。そうならない為にも霊的真理は必須なのだと思う。
 
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。するとやはり意識が朦朧としてくる。そして気がついた時に、朦朧としている間に見たある場面が思い出された。それはボートに二人で乗っている場面で、いろいろと相談していたようだった。(実際していたようにも感じるのだ)そしてボートを降りる時に相手の方(男性)に、深々と頭を下げてお礼の気持ちを表しているようだった。そして頭を上げるとそこには素晴らしい景色が現れ、その美しさに魅了されてしまったのだ。それはそれは美事な桜だった。今回のこの一連が映像だったのか、実際に体験していたのかはわからない。また相手の方のお顔もぼやけていてはっきりとはわからなかった。だが、とても信頼のおける方だということは、今も実感しているのだ。満ち足りた想いで、静かに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した

788回目の瞑想

天使
 
ーーーあなたの訓えの中には"恐怖"を捨てるように説いておられるものが多いですが、実際に爆弾が投下されているときにそれを要求するのは無理です。そういう状態では怖がって当然ではないでしょうか。
「おっしゃる通り当然でしょう。が、その状態こそ恐怖心を捨てる試金石でもあります。私たちが皆さんの前に掲げる理想が非常に到達困難なものが多いことは私も承知しております。私たちの要求することのすべてを実現するのは容易ではありません。が、最大の富は往々にして困難の末に得られるものです。
それには大変な奮闘努力が要求されます。が、それを私が敢えて要求するのはそれだけの価値があるからです。いつも申し上げておりますように、あなた方はそれぞれに無限の可能性を秘めた霊なのです。宇宙を創造した力と本質的に同じものが各自に宿っているのです。その潜在力を開発する方法を会得しさえすれば、内在する霊的な貯たくわ えを呼び覚ます方法を会得しさえすれば、霊力の貯水池から汲み上げることができるようになりさえすれば、恐怖の迫った状態でも泰然としていられるようになります。
人生の旅においてあなたを悩ますあらゆる問題を克服していく手段は全部揃っているのです。それがあなたの内部に宿っているのです。イエスはそれを"神の御国は汝の中にある"と言いました。神の御国とはその無限の霊的貯蔵庫のことです。自己開発によってそれを我がものとすることができると言っているのです。開発すればするほど、ますます多くの宝が永久に自分のものとなるのです。もしも私の説く訓えがラクなことばかりであれば、それは人生には発展と進化のチャンスがないことを意味しています。人生には無数の困難があります。だからこそ完全へ向けてのチャンスが無数にあることになるのです。生命は永遠です。終わりがないのです、完全へ向けての成長も永遠に続く過程なのです」
 
今回の内容の質問は最もなことだと思う。人間である以上、自分のそばで爆弾が投下されているのに、平然としていられる人はほとんどいないと思う。けれど、シルバー・バーチ霊のお言葉は、その上を行かれるのだ。私達人間には到底できそうもないことだが、それでもそれだけの価値あるからと奮闘努力をしろと言われる。確かにそうなのだ。それができれば何も怖いものなどなくなる。私達人間は宇宙を創造した力と本質的には同じ無限の可能性を秘めた霊であるから、その潜在力を開発する方法、内在する霊的な貯えを呼び覚ます方法を会得することができれば、霊力の貯水池から汲み上げることができるようになりさえすれば、恐怖の迫った状態でも泰然としていられるようになると言われる。本当にそうなりたいものである。だがその方法は簡単には会得できないのだ。けれど自己開発をすればするほど、神のその無限の霊的貯蔵庫から自分のものにすることができ、更には永久にその宝を自分のものにできると言われているのだ。何と素晴らしいことなのだろうと思う。そこに到達することができれば、人生を生きる本当の意義を会得できたということになるのだ。そんな日を私は待ち望んでいる。でも先は遠い。まだまだ克服しなければならないことがたくさんあるからだ。けれど、焦らず一歩一歩確実に歩んで行きたいとも思っている。いつかたどり着けることを夢見て、努力して行こうと思う。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。やはり意識が遠のき、その間何かを体験しているという感覚だけは感じるのだ。だが意識がはっきりするとぼんやりとしてしかわからない。言葉にしたくても何かを体験していたようだとしか言えないのだ。また意識が戻る頃には曲も終わる間近なことが多い。その間の音色も聴こえたり聴こえなかったり、また全く聴こえない時もある。今日は多少は聴こえていたようだった。しばらく余韻に浸り、静かに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

789回目の瞑想

天使
 
ーーー同じく参戦を拒否するにしても、恐怖心の一種である"臆病"からきている場合があります。人類がもっと臆病になれば戦争も少なくなるのではないかと思うのですが、この考え方を霊界からどうご覧になりますか。
「臆病も人間としての情の自然な発露です。私はいつも人生とは対照の中で営まれているーー愛の倒錯したのが憎しみであり、勇気が倒錯したのが臆病である、と申し上げております。いずれも本質において同じ棒の両端を表現したものです。また私は、低く沈むことができただけ、それだけ高く上昇することができるとも申し上げております。
臆病を勇気に、憎しみを愛に変えることができるということです。この考え方がとても受け入れ難い人がいることでしょう。が、これが私の考えです。人間の精神にはさまざまな複雑な感情や想念が渦巻いております。それをうまくコントロールするところにあなたの成長があり、進化があり、低いものが高いものに転換されていくのです」
(人類が臆病になれば戦争が少なくなるという問いに)
「みんな臆病にすることによって戦争が解決されるものでないことは言わずと知れたことです」
 
ーーー臆病であることは悪いことでしょうか。
「良いとか悪いとかの問題ではありません。一つの感情が発露したものであり、その人の個性の一部であるというまでのことです。例え表に出なくても内部にはあるわけです。怖いという気持ちにならない時でもどこかに潜んでいるわけです。私が言わんとしているのは、そうした感情がいかに陰性のものであっても、いかに好ましからぬものであっても、あなたにはそれをより高度なものに転換する力が具わっているということです。私はこの教えがもっとも大切であると思っています。臆病は本質において勇気と同じものなのです。ただ歪められているだけなのです。そしてそれはあなたに具わっている力を駆使することによって正しい方向へ転換することができるのです」
 
ーーー憎しみと同じく臆病心も人間の属性の一つだとおっしゃるのでしょうか。
「そうです。人間が具えている資源の一部だと言っているのです。精神にはありとあらゆる資源が具わっているのです」
  
今回の臆病に対しての質疑の内容はとても大切なことだと思った。シルバー・バーチ霊ご自身がいつも言っておられる人生は対照の中で営まれており、愛と憎しみ、善と悪、そして今回の臆病は勇気と同じ棒の両端なのだと。そして、その対照の感情をより高度なものに転換する力が私達人間には具わっていると言われているのだ。このお言葉に私は鳥肌が立つようだった。両端の陰性な思いはただ歪められているだけだと言われ、私達人間に具わっている力を駆使することによって正しい方向へと転換することができると言われている。本当に素晴らしい能力が人間にはあるのだと認識させられた。ただそれはどうやればそのようになるのかは、やはり苛酷な体験を乗り越えて行くこと以外ないように思う。だが、私達人間にはそのような能力が具わっているということを知ることが、とても大事なのだと思うのだ。私も今回のお言葉にとても力を勇気を与えられたような気がしている。必ずや自分に具わっている力を駆使して転換して行きたいと強く思った次第である。
 
今日の瞑想では、呼吸に集中し、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂く。すぐに意識が遠のいていた。何かを感じているような思いはあったがはっきりしない。そうしているうちに、また前にも記載した光りが何度も現れては消え、現れては消えを繰り返す。その光りのインパクトに心が照らされるようだった。消える時も少し余韻を残すような感じで消えて行く。だがすぐに次のインパクトのある光りが現れる。その間の時間は長いような短いような、でも長く続いて欲しいという思いだった。最後は消え入るようにして、画面は暗くなった。その余韻にしばしボーッとしていたが、有難い気持ちで神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

790回目の瞑想

天使
 
ーーーダンケルクでの英国軍の撤退作戦のとき海が穏やかで、シチリア島での作戦のときも天候が味方してくれたと聞いておりますが、これは神が味方してくれたのでしょうか。
「宇宙の大霊である神は如何なることにも干渉致しません。法則、大自然の摂理というものが存在し、これからも永遠に存在し続けます。摂理の働きを止めたり干渉したりする必要性が生じるような事態はかつて一度たりとも起きていませんし、これからも絶対に起きません。
世の中の出来事は自然の摂理によって支配されており、神による如何なること干渉も必要ありません。もし干渉があり得ることになったら神が神でなくなります。完全でなくなり、混乱が生じます」
 
ーーー今の質問は、最近多くの高名な方たちがラジオ放送で神が英国に味方してくれたかのように述べているのでお聞きしてみたのです。
「本当の高名は魂の偉大さが生むものです。それ以外に判断の基準はありません。何を根拠にしようと、神が自国に味方するかのように想像してはなりません。神とは法則なのです。
あなたが正しいことをすれば、自動的にあなたは自然法則と調和するのです。窮地に陥ったあなた一人のために、どこか偉そうな人間的な神様が総力をあげて救いに来てくれるような図を想像してはいけません。スピリチュアリストをもって自認する人たちの中にも未だにそういうふうに考えている人が大勢います」
 
今回の内容はみな経験があるのではないかと思う。今回のような戦争時のことではなく、大したことでなくても例えば旅行へ出かける日に快晴だったりすると、日頃の行いが良いから神様が見ていて下さって晴れにしてくれたなど、どこかで人間的な神様を思い浮かべている。だがこれは致し方ないようにも思う。神様が法則などということは全く知らなかったわけであるし、未だに知らない人は大勢いるのだから。スピリチュアリストの人でさえ、そのように思っている人がいるのだから、一般の人たちは当然と言えば当然なのだ。だが、今回のシルバー・バーチ霊のお言葉は心に響いた。「あなたが正しいことをすれば、自動的にあなたは自然法則と調和する」と言われている。これこそが真実なのだと得心できる。自然法則いわゆる神様の法則に調和すること、これが私達人間の使命なのだ。それには自分の良心に従うということなのだ。言い訳したり、誤魔化したりして、良心の真逆な行動をしていたら、神様の法則に調和することはない。神様の法則に調和できるように常に心に留めておくことがとても大切なことなのだと思う。
 
今日の瞑想でも、呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。すると青色の字や記号などが譜面上に重なり合って出現した。しかもその重なり合った字や記号などだけが、いろいろ違った字や記号に変わっては譜面上に現れる。何とも面白いものを見せていただいた。それが消えてしばらくすると、曲の音色の響きと共に一瞬だったが、頭上で「はは」という言葉がはっきりと聞こえて、鳥肌が立ってしまったのだ。その意味は何かわからないが、多分母なのだろうと思う。その母の意味は私の母なのか私が母としての何かなのか、その言葉だけではわからなかった。だが、自分の心に浮かぶのとは違って、はっきりと自分とは別のその言葉にとても感動していた。衝撃的でもあったそのことに思いを馳せているうちに終わりとなってしまったので、すぐに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

791回目の瞑想

天使
 
英国空軍に所属していた息子の戦死に心を痛めている夫婦が招待された。ご主人はある新聞社の編集を担当されている。何人かの霊媒を通じて息子との交信を求めて来たが、功を奏していないという。
ーーー他界した者との交信を求めてあの霊媒、この霊媒とまわり歩くのは良いことでしょうか。もし誰か他の人がうまく交信に成功した時に、交信のできない霊へのメッセージを託すことは可能でしょうか。
「私の目には人間の心と魂とが映ります。外部の身体は映りません。苦悩の淵に沈まれたあなたの心は私はよく分かります。ですから、あなたの心の奥底でうごめいているものを私が知らずにいると思ってはいけません。あなたはまさに哀しみのドン底を体験されました。そしてその哀しみを少しでも和らげてくれるものを求めておられます。しかし、こんなことを申し上げては非情に思われるかも知れませんが、あなたが求めておられるものを叶えられなくしているのは、知らず知らずとはいえ、実はあなたご自身であることを知ってください。
宇宙には科学の実験室における如何なる分析検査にも引っかからず、化学薬品によってもメスによっても分析できず、しかも、これまで大きさを測定し重量をはかり切開できた他のいかなるエネルギーをも超越する力が存在します。私が言っているのは愛の力のことです。その愛は全生命の根源であり、宇宙を創造した大霊すなわち神の属性であるが故に死滅することはありません。それはまさに生命の息吹きでありエッセンスなのです。この愛さえあれば、縁で結ばれた者同士はあらゆるハンディキャップ、あらゆる障害、あらゆる妨害を乗り越えて、いつかは必ずお互いを見出し合います。
息子さんのことはよく存じ上げております。聡明な、まばゆいばかりの青年でした。あなたは今その息子さんのことで心を痛めております。が、その息子さんは実は今もあなた方のお側にいるのです。死んでしまったのではありません。生命に満ち溢れた姿で生きておられます。いつかはその存在を証明することに成功するでしょう。そして傷ついた心を自ら癒やすことになるでしょう。どうか私の言うことを素直に信じてください。息子さんは(戦死によって)何の傷害も受けておられません。精神的能力も霊的能力もまったく健全です。そのうちきっと、未だにあなたを取り巻いている濃いモヤが取り除けるようになるでしょう。それをぜひとも突き破らねばなりません。しかし、それは大変努力のいることです。実に困難なことです。いかに困難なものか、例をあげてみましょうか。私はこうして地上との交信を可能にしてくれる通信網を操るための訓練に二十年以上も費やしてまいりましたが、今日の地上を取り巻く状況が(戦争のために)あまりに混沌とし、騒乱と険悪さに満ちているために、やむを得ずその繊細な通信網を最小限にしぼって、ようやくこの霊媒との連絡を確保しているのが実情なのです。
お子さんがあなた方を喜ばせてあげられないのはお子さんが悪いのではありません。地上に近い霊界の下層界における混乱状態のせいであり、それにもう一つ大切な原因として、無理もないこととはいえ、絶対的確証を得ないと気が済まない、あなたのその冷ややかな分析的精神構造があります。しかし私もお手伝いします。そのうちその悲しみの鈍痛を忘れかけている時があることに気づかれるようになることを、ここで断言しておきましょう。
胸も張り裂けんばかりの苦悩を味わうのも、愛することを知った者であればこそです」
『あなたもですよ』と言って奥さんの方を向き、さらに続ける。
「だからこそこうして私たちが戻ってくるのです。私がお届けする知識によって、大勢の人々の人生を台無しにしている無知を一掃しようというわけです。
地上の人々が霊的な摂理を理解し、内部に具わっている霊的資質が自然に発揮されるような自然な生活を送れば、二つの世界の間にかかっているベールが突き破られ、すべての障害が転居されることでしょう。その障害はことごとく人間の無知と迷信と偏見によってこしらえられたものばかりなのです。言うなれば闇の勢力です。ぜひとも打ち破って、愛と力と導きと光明がふんだんに地上へ届けられるようにしなければなりません。
私がいつも知識の普及を口にするのはそのためです。霊的知識こそが、自らを閉じ込めている牢獄から魂を解放する大きな力となるのです。自由という名の陽光の中で生きるべきでありながら暗い魂の牢獄の中で暮らしている人が多すぎます。
あなたもその仕事に参加できます。知識を伝達する機関(新聞社)にお勤めだからです。地上生活の総決算をする時がきたとき、つまり地上に別れを告げて霊の世界へと移られると、誰がするというのでもなく、自家作用によって、自分で自分を裁くことになります。その時の判決の基準は地上で何を考えたのかでもなく、何を信じたかでもありません。世の中のためにどれだけ自分を役立てたかということです。
私が説いているのは"人のために"という福音です。人のために惜しみなく自分を役立てなさいと言っているのです。そうするとあなたがこの世に存在したことによって世の中が豊かになるわけです。簡単なことなのです。改めて説くのもおかしいくらい当たり前のことなのです。ですが、やはり真実です。地上世界は単純さという本通りから外れて、ややこしい複雑な脇道に迷い込んでおります。あまりにも複雑なものに惑わされて単純な真理が受け入れられなくなっている精神構造の人が大勢います。でうが、単純な真理は単純であるが故にこそ強いのです」
(明日に続く)
 
今回の内容は大切な方を亡くした人にとって、大いに救いになるお言葉だと思う。実際に戦争で息子さんを亡くしたご夫婦に対してのお言葉なのだからだ。私自身もこのようなシルバー・バーチ霊のお言葉を自分に言われていると思って、息子の死を乗り越えることができたように思う。やはりシルバー・バーチ霊ほどの方でさえも、大切な人を亡くすということは、実に困難なことだと言われていることに励まされる。だがやはり慰めの言葉だけではない。「絶対的確証を得ないと気が済まない」冷ややかな分析的精神構造があると言われているが、ほとんどの人間は当てはまるのだと思う。やはり、霊界でどのようにしているのかを知りたいと思うのは当然の欲求ではないだろうか。そしてそれを知ることで悲しみが少しずつ癒えていくのだと思うのだ。私はそれを冷ややかだとは思えない。それは愛あればこその気持ちだと思うからだ。
ただその先のお言葉には感動しかなかった。魂が身震いするというのか、「地上に別れを告げて霊の世界へと移られると、誰がするというのでもなく、自家作用によって、自分で自分を裁くことになります。その時の判決の基準は地上で何を考えたのかでもなく、何を信じたかでもありません。世の中のためにどれだけ自分を役立てたかということ」と。シルバー・バーチ霊が唯一説かれていることなのだ。神様が罰するのではなく、もちろん閻魔様などもいない。自分自身が自分の この世でしてきたことを振り返り、判定するのだと言われる。そうなのだと私も思っていた。霊界へ行った時に、誇れる自分でいられるようになるためには、今この世で人のために役立つことをする以外ないのだという気持ちが更に強まったのだ。大きなことはできなくても、小さいことからコツコツと積み上げて行くしかないのだと思う。人が見ていようが見ていまいが、自分に恥じない行動をしようと思う。
 
今日の瞑想では、取り入れた瞑想をして呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。しばらくは自然に身を任せていると、徐々に意識は薄れていく。その際にはいろいろな映像のようなもの、頭に浮かんだものとこれと言って何と表現はできないが、感じていた。また誰かと対話しているような感じもあったのだ。そして神様に対して有難い思いもこみ上げてきた。最終的にはただただいろいろと感じただけだったが、心は至って穏やかだった。意識が戻ると共に曲も終わり、そのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

766回目の瞑想

天使
 
シルバー・バーチ霊に対して
ーーーあなたご自身にとって何か重大でしかも解答が得られずにいる難問はお持ちですか。
「解答が得られずにいる問題で重大なものといえるものはありません。ただ、私はよく進化は永遠に続くーーどこまで行ってもこれでお終いということはありません。と申し上げておりますが、なぜそういうお終いのない計画を神がお立てになったのかが分かりません。いろいろ私なりに考え、また助言も得ておりますが、正直言って、これまでに得た限りの解答には得心がいかずにおります」
 
ーーー神それ自体が完全でないということではないでしょうか。あなたはいつも神は完全ですとおっしゃってますが・・・・
「ずいぶん深い問題に入って来ましたね。かつて入ってみたことのない深みに入りつつあります。
私には地上の言語を使用せざるを得ない宿命があります。そこでどうしても神のことを私が抱いている概念とは懸け離れた男性神であるかのようないい方をしてしまいます。("大霊"the Great Spiritを使用しても"神"Godを使用しても二度目からは男性代名詞のHe,His,Himを使用していることを言っているーー訳者)私の抱いている神の概念は完璧な自然法則の背後に控える無限なる叡智です。その叡智が無限の現象として顕現しているのが宇宙です。が、私はまだその宇宙の最高の顕現を見たと宣言する勇気はありません。これまでに到達した限りの位置から見ると、まだまだその先に別の頂上が見えているからです。
私が私なりに見てきた宇宙に厳然とした目的があるということを輪郭だけは理解しております。私はまだその細部のすべてに通暁しているなどとはとても断言できません。だからこそ私は、私と同じように皆さんも、知識の及ばないところは信仰心でもって補いなさいと申し上げているのです。"神"と同じく"完全"というものの概念は、皆さんが不完全である限り完全に理解することはできません。現在の段階まで来てみてもなお私は、もし仮に完全を成就したらそれはそれにて休止することを意味し、それは進化の概念と矛盾するわけですから、完全というものは本質的に成就できないものであるのに、なぜ人類がその成就に向かって進化しなければならないのかが理解できないのです」
この後、シルバー・バーチ霊にも相談する場所があるかの問いに上層階へ行けばバー・バーチ霊よりもはるかに叡智を身につけられた方がおられると答えている。またシルバー・バーチ霊にも助言者や指導者がいるとのこと。プロセスとしては地上の入神と全く同じではないが、一種の霊媒現象で、こうしたことは宇宙のあらゆる階層において段階的に行われていると言われている。そして一番上の段と一番下の段は誰にも見えないとのこと。
 
シルバー・バーチ霊ほどの方でもまだ解答を得られずにいる問題があると言われている。ただその問題については私も兼々疑問を持っていた。進化は永遠に続き、なぜ達成されないのかと。そして今回のシルバー・バーチ霊の言葉の「もし仮に完全を成就したらそれはそれにて休止することを意味し、それは進化の概念と矛盾するわけ」だと言われている。けれど、神様は完全であると常々言われている。とすると神様は休止しているということになるのだろうか。そんなことはないはずである。常に神様はすべてを見守っておられるのだから。完全がイコール休止ではないと私は思う。進化した先に完全へ到達するというものがなければ、その完全の成就に向けての進化しなければならない意味が私も理解できない。本当に永遠に続くのだろうか。とは言え、私達人間にとってはもし仮に完全へ到達できるとしても、それこそ永遠と思われるくらいの時間が必要なのだとは思う。ただ、永遠にたどり着けないのであれば、何のための努力なのだろうか。そこに希望はあるのだろうか。とさえ思ってしまうのだ。だがこんなことはこの世で考えるべき事ではないということを、今回のシルバー・バーチ霊のお言葉でわかった次第である。この世で生きている私達人間が今考えるべき事は、霊的真理を知り、理解し、実践していくということ。これに尽きるのだ。まずは霊界での生活を充実させることが先決問題であるからだ。
  
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に意識していると、血流のような映像が現れた。とても早い流れだったが、滞っている箇所は見受けられなかった。誰の血流かはわからない。私自身のかも知れない。しばらくその映像に見入っていたが、スーッと消えてしまい、その後は何もなかった。そのまま神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。すると宙に浮いているような感覚になる。と言っても身体ごとではなく、身体の中からの何かが宙に浮くように感じたのだ。その間の身体には何も感じるものがなかったように後から思われた。そして意識が遠のき、気がつくとちょうど曲が終わるところだった。そのまま 神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

767回目の瞑想

天使
 
ーーー霊媒を通じて語りかけてくる霊はわれわれが受ける感じほどに実際に身近かな存在なのでしょうか。それとも霊媒の潜在意識も考慮にいれなければならないのでしょうか。そんなに簡単に話しかけられるものでしょうか。私の感じとしては、想像しているほど身近な存在ではないような気がしています。少し簡単すぎます。
「何が簡単すぎるのでしょうか」
 
ーーー思っているほどわれわれにとって身近な存在であるとは思えないのです。多くの霊媒の交霊会に出席すればするほど、しゃべっているのは霊本人ではないように思えてきます。時には全く本人ではないーー単にそれらしい印象を与えているだけと思われるのがあります。
「霊が実在するーーこのことを疑っておられるわけではないでしょうね?次に、われわれにも個性があるーーこのことにも疑問の余地はありませんね?ではわれわれはいったい誰かーーこの問題になると意見が分かれます。なぜかと言えば、そもそも同一性アイデンティティとは何を基準にするかという点で理解の仕方が異なるからです。私個人としては地上の両親が付けた名前は問題にしません。名前と当人との間にはある種の相違点があるからです。
では一体われわれは何者なのかという問題ですが、これまたアイデンティティを何を基準とするかによります。ご承知の通り私はインディアンの身体を使用していますが、インディアンではありません。こうするのが私自身を一番上手く表現できるからそうしているまでです。このように、背後霊の存在そのものには問題の余地はないにしても、物質への霊の働きかけの問題は実に複雑であり、通信に影響を及ぼし内容を変えてしまうほどの、さまざまな出来事が生じております。通信はどれだけ伝わるかーーその内容と分量は、そうしたさまざまな要素によって違ってきます。まして、普段の生活における"導き"の問題は簡単には片付けられません。なぜかというと、人間側はその時どきの自分の望みを叶えてくれるのが導きであると思いがちですが、実際には叶えてあげる必要がまったくないものがあるからです。いちばん良い導きは本人の望んでいる通りにしてあげることではなくて、それを無視して放っておくことである場合がしばしばあるのです。
この問題は要約して片付けられる性質のものではありません。これには意識の程度の問題、つまり本人の霊的進化の程度と悟りの問題が絡んでいるからです。大変な問題なのです。人間の祈りを聞くことがよくありますが、要望には応えてあげたい気持は山々でも、側に立って見ているしかないことがあります。時には私の方が耐え切れなくなって何とかしてあげようと行動に移りかけると"捨てておけ"という上の界からの声が聞こえることがあります。一つの計画のワクの中で行動する約束ができている以上、私の勝手は許されないのです。
この問題は容易ではないと申しましたが、それは困難なことばかりだという意味ではありません。時には容易なこともあり、時には困難なこともあります。ただ、理解しておいて頂きたいのは、人間にとって影(不幸)に思えることが私たちから見れば光(幸福)であることがあり、人間にとって光であるように思えることが私たちから見れば影であることがあるということです。人間にとって晴天のように思えることが私たちから見れば嵐の予兆であり、人間にとって静けさに思えることが私たちから見れば騒音であり、人間にとって騒音に思えることが私たちから見れば静けさであることがあるものです。
あなた方が実在と思っておられることは私たちにとって実在ではないのです。お互いに同じ宇宙の中に存在しながら、その住んでいる世界は同じではありません。あなた方の思想や視野全体が物的思考形態によって条件づけられ支配されております。霊の目で見ることができないために、つい、現状への不平や不満を口にされます。私はそれを咎める気にはなれません。視界が限られているのですから、やむを得ないと思うのです。あなた方には全視野を眼下におさめることはできないのです。
私たちスピリットと言えども完全から程遠いことは、誰よりもこの私がまっ先に認めます。やりたいことが何でもできるとは限らないことは否定しません。しかしそのことは、私たちがあなた方自身の心臓の鼓動と同じくらい身近な存在であるという事実とは全く別の問題です。私たちはあなた方が太陽の下を歩くと影が付き添うごとく、イヤそれ以上にあなた方の身近かな存在です。私の愛の活動範囲にある人は私たちの世界の霊と霊との関係と同じく親密なものです。それを物的な現象によってお見せできないわけではありませんが、いつでもというわけにはまいりません。霊的な理解(悟り)という形でもできます。が、これまた、人間としてやむを得ないことですが、そういう霊的高揚を体験するチャンスというのは、そう滅多にあるものではありません。そのことを咎めるつもりはありません。これから目指すべき進歩の指標がそこにあるということです。
あなたのご意見はちょっと聞くと正しいように思えますが、近視眼的であり、すべての事実に通暁しておられない方の意見です。とは言え、私たち霊界からの指導者は常に寛大な態度で臨まねばなりません。教師は生徒の述べることに一つ一つ耳を貸してあげないといけません。意見を述べるという行為そのものが、意見の正しい正しくないに関係なく、魂が生長しようとしていることの指標だからです。真面目な意見であれば私たちはどんなことにも腹は立てませんから、少しもご心配なさるには及びません。大いに歓迎します。どなたがどんなことをおっしゃろうと、またどんなことをなさろうと、皆さんに対する私の愛の心はいささかでも減る気遣いはいりません」
 
ーーー私たちもあなたに対して同じ気持ちを抱いております。要は求道心の問題に帰着するようです。
「いま私が申し上げたことに批判がましい気持ちは微塵も含まれておりません。われわれはみんな神であると同時に人間です。非常に込み入った存在ーー一見単純なようで奥の深い存在です。魂というものは開発されるほど単純さへ向かいますが、同時に奥行きを増します。単純さと深遠さは同じ棒の両端です。作用と反作用とは科学的に言っても正反対であると同時に同一物です。進歩は容易に得られるものではありません。もともと容易に得られるように意図されていないのです。われわれはお互いに生命の道の巡礼者であり、手にした霊的知識という杖が困難に際して支えになってくれます。その杖にすがることです。霊的知識という杖です。それを失っては進化の旅は続けられません」
 
今回の内容は霊能者を訪ねて行かれる方にとっても参考になるのではないかと思い長くはあるが記載した。ただ、本物でない霊能者はこの限りではないことは当然のことなので気をつけて欲しい。
この質問者と同じように私自身も近視眼的な物の見方なのだと思うが、霊的真理の普及が大事であり、それを広めるためには、霊的なことが確実に証明されることが最も必要なことなのではないかと思っているのだ。今回のシルバー・バーチ霊のお答えに、さまざまな複雑の要素があり、簡単にはいかないということも内容が変わってしまうのも仕方ないとは思ったものの、霊的なことに拒否している人間には、益々疑心暗鬼にさせてしまう要因になってしまうと思うのだ。そこを何とか霊界側でもっとちゃんとした証明をして頂けるようにはできないものかと常々思っている。
また地上の両親が付けた名前と当人との間にはある種の相違点があると言われている。どんな風に違うのだろう。とても興味深く、知りたくなった。また人間の祈りについての箇所も耳が痛い思いをしながら、納得できた。霊界側ではシルバー・バーチ霊と同じく要望には応えてあげたい気持でいてくれているのだろう。けれど側に立って見ているしかできないと。更に耐え切れなくなって何とかしようとすれば、上の界から"捨てておけ"という声がかかるのだと。一つの計画のワクの中で行動する約束ができている以上、勝手は許されないのだと。やはりそれだけ厳しいものだとういうことがわかる。けれど、霊界で見守って下さっている方々は私たちが太陽の下を歩くときの影が付き添うごとく、イヤそれ以上にあなた方の身近かな存在だと言われている。本当に有難いことだ。それを人間が感じることができればもっともっと感謝し、安心できるのだろうけれど・・・それには霊的知識を知る以外にないということを言われている。霊的知識という杖があれば、どんな困難でも立ち向かうことができるということなのだ。
 
今日の瞑想は、家庭の事情でちょっとトラブルがあり、時間内にはできなかった。そんな日も時にはあるのだろう。と気には留めないことにしている。一応、トラブルも解決したので、ホッとした。なので今回はシルバー・バーチ霊のお言葉を長く記載させてもらった。神様と霊界の方々にはいつも通りお礼を申し上げた。

768回目の瞑想

天使
 
ーーー私たちはあまりにも霊的知識に近すぎて、かえってその大切さを見失いがちであるように思います。
「私は常々二つの大切なことを申し上げております。一つは、知識の及ばない領域に踏み込む時は、その知識を基礎とした上での信仰心に頼りなさいということです。それからもう一つは、常に理性を忘れないようにということです。理性による合理的判断力は神からの授かりものです。あなたにとっての合理性の基準にそぐわないものは遠慮なく拒否なさることです。理性も各自に成長度があり、成長した分だけ判断の基準も高まるものです。一見矛盾しているかに思える言説がいろいろとありますが、この合理性もその一つであり、一種のパラドックス(逆説)を含んでおりますが、パラドックスは真理の象徴でもあるのです。(訳者注ーーこの場合のパラドックスとは"真理には無限の側面がある"と同じ意味に解釈すべきであろう)
理性が不満を覚えて質問なさるーーそれを私は少しも咎めません。私はむしろ結構な傾向としてうれしく思うくらいです。疑問を質そうとすることは魂が活動しているからこそであり、私にとってはそれが喜びの源泉だからです」
 
今回もシルバー・バーチ霊は二つの大切なことを教えて下さっている。霊界の霊的知識については及ばない事の方が多い。その際はそれまでの知識を基礎とした上で信仰心に頼れと言われている。確かに神様を信じる気持ちは何より大事なことだと思う。そして人間としての理性を忘れないようにということだ。理性による合理的判断力は神様からの授かりものだと言われている。そうなのかと得心する。そしてその理性をも各自に成長度があり、成長した分だけ判断基準が高まるということだ。やはりすべては各自の進化の程度なのだ。前向きに進化できるように霊的知識を身につけ、揺るがない信心を持つこと、これに優るものはないということだ。
疑問を質そうとすることは魂が活動しているからこそだと言われている。私にはいっぱい疑問はあるが、シルバー・バーチ霊のようにその答えを教えてくれる肝心なお方がおられない。ただ、言葉としての答えはなくとも、実際に護られ、導かれているという実感はあるので、そうやって見守っていて下さるのだろう。感謝感謝である。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に意識していき、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。その後はどんどん深く入って行くように感じ、意識も遠のいていた。気がつくと曲は終わった直後のようだった。そのまま神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

769回目の瞑想 

天使
 
ーーー憑依現象のことですが、憑依される人間はそれなりの弱点をもっているからではないかと思っています。つまり、土のないところにタネを蒔いても芽は出ないはずなのです。
 「そうです。それは言えます。もともとその人間に潜在的な弱点がある、つまり霊によって身体と精神と霊の関係が調和を欠いているのです。邪霊を引きつける何らかの条件があるということです。アルコールの摂り過ぎである場合もありましょう。薬物中毒である場合もありましょう。度を越した虚栄心、ないしは利己心が要因となることもあります。そうした要素が媒体となって、地上世界の欲望を今一度満たしたがっている霊を引きつけます。意識的に取り憑く霊もいますし、無意識のうちに憑かかっている場合もあります」
 
   今回は憑依現象についてだ。私も常々憑依に関しては、思っていることがある。それは除霊をしても無駄だということだ。今回の内容にもあるように、憑依される人間にも問題があるからこそ、憑依されるということなのだ。その要因はシルバー・バーチ霊が言われるようにいろいろだと思う。その要因を当人が直さない限り、除霊したとしてもまた他の霊、もしくは同じ霊が取り憑くことになる。すべてを霊のせいにするのではなく、自分自身の反省や直す努力をするべきなのである。また何もわからずに、偽霊能者のところへ行けば、除霊の料金は高額なのだ。そんな料金を払っても、無駄になるだけだ。今回のことを知っていれば、除霊自体意味がないことがわかる。偽霊能者に騙されることもない。本人が変わりさえすれば、憑いている霊は自然と離れて行くのだ。やはり類友の法則ということなのだと思う。正しい生き方をしていれば、憑依されることはないのだ。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。意識が朦朧とした状態の中、いつも聴いている曲なのだが、今回はその曲の波動に包まれているような感覚になる。すると身体中の細胞が活気づいているように感じた。そしてそのハーモニーの中の一部なり、いつまでもその心地良さを感じていたい衝動に駆られたのだ。涙もこぼれてきた。やはり至福の時というのはこういうことを言うのだろう。やがて時間が来るとその余韻に酔いしれながらも、神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した

770回目の瞑想

天使
 
ーーー死刑制度は正しいとお考えですか。
 「いえ、私は正しいとは思いません。これは"二つの悪いことの酷くない方”とは言えないからです。死刑制度は合法的殺人を許していることでしかありません。個人が人を殺せば罪になり、国が人を処刑するのは正当という理屈になりますが、これは不合理です」
 
ーーー反対なさる主たる理由は、生命を奪うことは許されないことだからでしょうか。それとも国が死刑執行人を雇うことになり、それは雇われた人にとって気の毒なことだからでしょうか。
「両方とも強調したいことですが、それにもう一つ強調しておきたいのは、いつまでも死刑制度を続けているということは、その社会がまだまだ進歩した社会とは言えないということです。なぜなら、死刑では問題の解決になっていないことを悟る段階に至っていないからです。それはもう一つの殺人を犯していることに他ならないのであり、これは社会全体の責任です。それは処罰にはなっておりません。ただ単に別の世界へ突き落としただけです」
 
ーーーそのうえ困ったことに、そういう形で強引にあの世へ追いやられた霊による憑依現象が多いことです。地上の波長に近いためすぐに戻ってきて誰かに憑依しようとします。
「それは確かに事実なのです。霊界の指導者が地上の死刑制度に反対する理由の一つにそれがあります。死刑では問題を解決したことになりません。さらに、犯罪を減らす方策ーーこれが方策と言えるかどうか疑問ですがーーとしても実にお粗末です。そのつもりで執行しながら、それが少しもその目的のために役立っておりません。残虐行為に対して残虐行為を、憎しみに対して憎しみをもって対処してはなりません。常に慈悲心と寛恕と援助の精神をもって対処すべきです。それが進化した魂、進化した社会であることの証明です」
 
ーーーそこまで至るのは大変です。
「そうです。大変なのです。しかし歴史のページを繙ひもとけば、それを成就した人の名が燦然たる輝きをもって記されております」
 
今回の内容は死刑制度についてだが、前回の憑依現象と多いに関連がある。死刑制度については、霊的な本にはほとんど廃止すべきこととして記載されている。シルバー・バーチ霊も反対されているお一人だ。霊的に見れば、それは至極当たり前のことと思う。だが、この世はその死刑者に殺され、残された被害者家族がいるのだ。今まで私がニュースとして見てきた被害者家族のほとんどの人達は極刑を望んでいた。今回の質疑にはその問題については取り上げられていないが、私は被害者家族の問題も大いにあると思っている。シルバー・バーチ霊のお言葉によれば、極刑を望むこと自体、やはり進化した魂ではないということなのだろう。殺される人と殺す人との関係は前世にまで及ぶことなのだと思う。だからと言って、もちろん殺された人の家族の心情を思うと、憎むなとは言えない。ただ霊的知識があれば、避けられる問題なのではないかと思うのだ。
日本の国も死刑制度はあり、まだまだ進化しているとは言えない。死刑制度という別の世界へ突き落とすだけのそんなやり方は無意味だということを理解できる人が多くなれば、いずれは廃止にもって行かれるのだと思うが、現状ではとても無理だ。だが、死刑を続行するということは、憑依現象がなくならないということでもある。もちろん、前回の憑依される人間にも憑依される原因があるからということもあるが。そういったいろいろな意味で、霊的真理の普及で霊的なことを広めることはもっとも肝要なことなのだと今更ながら痛感する。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に意識し、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。生きていればいろいろなことが次から次へと起きる。それをどう対処すればいいかを考えながらの瞑想になってしまった。けれどその間にも心が落ち着き、何も心配することはないという気持ちにもなる。本当に有難いことである。悩みは悩みとして淡々と対処し、心まで煩わせてはいけないということを教えて頂いたように感じた。最後に神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

771回目の瞑想

天使
 
ーーー神はすべての界層において平等に顕現しているのでしょうか。それとも地上の人間だけがそれを悟れないでいる、あるいは捉え損ねているのでしょうか。それとも人間が死後の界層を進化していくにつれて神の顕現の分量が増していくのでしょうか。
「それは要するに受容力の問題です。神は無限です。無限なるものには際限がありません。制限がありません。神の恵みは果てしなくて広がっています。知り尽くすということは絶対にできません。人間はいつまでも進化し続ける存在です。進化するにつれて受容力が増します。受容力が増すにつれて理解力が増し、かくしてその分だけ神を理解できることになります」
 
  今回の質問は私も知りたいと思っていたことだ。それに対してシルバー・バーチ霊は受容力の問題だと言われている。要するに受容力さえあれば、この世であろうが、霊界であろうが、神様の顕現を感じることができると言われているのだ。だが、受容力とは一体どういうものなのだろう。私などは受容する気持ちは目一杯ある。だが、なかなかというかほとんどというか神様の顕現を感じることはない。瞑想時やヒーリング時に温かいエネルギーを感じるくらいだ。でもこれが神様のエネルギーなのかどうかは断言できない。神様は信じている。神様のお力も信じている。だから、感じるエネルギーも信じているということなのだ。シルバー・バーチ霊が言われるような進化して受容力を増し、更に理解力も増し、そしてその分の神様を理解できるようになりたいものである。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に集中し、穏やかな気持ちで神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。しばらくすると、意識が遠のいていくような感じになり、自然の流れに任せていると、目の前下方全体にお光りが見えた。そしてその上方にはロウソクの灯りのように揺らめく灯りが見えたのだ。それを見ていると心が安らぐような、気持ちが澄んでいくようなそんな思いになる。
炎には不浄を燃やし、魔を除き、周囲を清める働きがあると言われているそうで、灯りは心の闇を明るく照らす象徴でもあるようだ。その思いのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した

772回目の瞑想 

天使
 
ーーーここに二人の人間がいて、一人は元気盛りでもう一人は死期を迎えて肉体との関係が稀薄になっているとします。この場合、後者の方が霊的な影響を受けやすいのでしょうか。
「必ずしもそうとは言い切れません。肉体から離れるということは必ずしも進化を決定づけるものではありません。私の世界にも地上の人間より進化の程度が低い霊がそれはそれは大勢います。確かに肉体はその本性そのもののために人間の精神の表現を制約しておりますが、人類全体として言えば、地上のいずれにおいても霊性の発達のための余地がふんだんに存在します」
 
ーーーその発達のために努力することが霊のためになるのだと思います。そうでなかったら地上に存在する意味がないことになるからです。肉体というハンディを背負いながら成長しようと刻苦することが魂にとって薬になるものだと思います。
「もちろんですとも。困難を克服しようと努力するとき、次々と降りかかる障害に必死に抵抗していくとき、不完全さを補い完全へ向けて努力するとき、そのときこそ神性が発揮されるのです。それが進化の諸相なのです」
 
ーーー地上というとこは魂の修行場としていろんな面で有利であるといった趣旨の話をよく耳にします。地上的闘争をくぐり抜けねばならないということそれ自体が地上の良さでもあると言えると思うのです。
「おっしゃる通りです。当然そうあらねばなりません。もしそうでなかったら地上へ生まれてくることもないでしょう。宇宙の生命の大機構の中にあって、この地球もそれなりの役割があります。地上は保育所です。訓練所です。いろんなことを学ぶ学校です。身支度をする場です。潜在している才能が最初に目を出す場であり、それを人生の荒波の中で試してみる所です。そうした奮闘の中で初めて真の個性が形成されるのです。闘争もなく、反抗もなく、困難もなく、難問もないようでは、霊は成長しません。進化しません。奮闘努力が最高の資質、最良の資質、最大の資質、最も深層にある資質を掘り起こすのです」
 
今回の内容も霊的真理の深い部分を教えて下さっていると思う。また今回は地上の人間よりも低い霊が向こうの世界にも大勢いるらしいということがわかった。要は霊的なことがわからなければ、この世で欲望のままに過ごしてあの世へ行けば、そのレベルに見合った界層に行くしかないのだ。だからこそ、霊的真理を知ることが大切なのだ 。更に霊的なことを理解し、そして困難などを克服し、完全へ向けて努力することで少しでも上の界層へ行けるように努力することがこの地上での責務なのだ。現在そのような努力をしている人は如何ばかりだろうか。シルバー・バーチ霊の最後のお言葉が魂に響く。「奮闘努力が最高の資質、最良の資質、最大の資質、最も深層にある資質を掘り起こすのです」
  
今日の瞑想では、すぐに呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。今日はほとんど意識が朦朧としていた。ハッキリしない映像も見えていたが、よくわからない。最後の神様と霊界の方々にお礼を申し上げている時にお光りが見えた。だがそのまま終了した。

773回目の瞑想

天使
 
   
ーーー若くして他界した場合はどうなるのでしょうか。
「そうくると思ってました」
 
ーーーこれには二つのケースがあると思うのです。一つは、もしそれがその人の寿命であれば、それまでに霊的にはすでに他界する準備ができていた場合、もう一つは死後その埋め合わせのために物質界との接触を通じて進化を得る場合です。
「あなたは親切な方ですね。質問をなさると同時に二つも答えを用意してくださいました。
ご質問に対する答えは、古くからある恐怖の輪廻転生思想と、私の説く再生説すなわち前回の地上生活での不足分を補うために地上のどこかに誕生するという、この二つの説のうちのどちらかをお選び下さい。あなたの気に入られた方をお取りになればよろしい。私の説はすでによくご存知でしょう。しかし、ここで強調しておきたいのは次の点です。
よく分からないことが沢山あります。私たちも所詮すべての知識は持ち合わせておりません。しかし同時に、矛盾を恐れずに申し上げれば、神は完全であるゆえに摂理も完全です。(訳者注ーーすべての知識は持ち合わせないと言いながら神は完全であると断定するのは明らかに矛盾しているが、過去三千年の体験からそう信じるに足るだけの証を手にしていると後の章で述べている)いかなる困難が生じても、そして、たとえそれに対して私たちがあなたに満足いく回答をお授けすることが出来なくても、それは神の計画に欠陥があるということではありません。絶対にそういうことはありません。"愛"が宇宙を支配しているのです。無限の範囲と適用性をもつ愛です。いったんその愛があなたを通じて働くようになれば、あなたは一変し、あなたに生を与えた霊力と一体になります」(さきに述べた矛盾を超越してなるほどと実感をもって得心できるーー訳者)
 
今回の内容は若くして他界した場合に対する質問だ。私自身はもっと多くの答えを期待していたのだが、シルバー・バーチ霊のお答えは「前回の地上生活での不足分を補うために地上のどこかに誕生する」という説を言われている。若くして他界するということは、前世での地上生活の不足分を補うことだけで現世での地上生活は十分ということのようだ。だが、私はそれだけではないようにも感じる。それはやはり残された人の霊的覚醒にも一役買っているということだ。生まれて間もなく亡くなるケースなどは、不足分を補うには余りにも短いのではないだろうか。こういう場合はむしろ残された人のためではないかと思ってしまう。
また強調したいと話されていることは、これまでも何度も言われていることだ。神様は絶対であるということ。シルバー・バーチ霊のような高級霊であっても、すべての知識は持ち合わせていないと言われ、時には満足のいく回答はできなくても、神様のご計画に狂いは絶対にないと、断言されている。それを信じて、いつか神様の愛を私たちが受け取ることができれば、私たちは一変し、神様の霊力と一体になると言われているのだ。
自分に起きるすべてのことは、必然なのだと信じることが重要なのだと思う。そしてポジティブに捉え、必ず乗り越えられない試練はないと前向きにプラス思考で、どんな困難をも試練をも乗り越えていく努力をする時、必ず神様は護って下さるのだと私は信じている。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。相変わらず今日も、意識が朦朧としていた。そんな中で何度か映像も出現していて、ちょっとしたドラマのようなものも見てはいたのだが、その直後にその映像が何だったのかを思い出そうとしても、何となくしか思い出せない。たった今見ていたのにだ。夢を見ていている時もそうなのだ。起きる直前に見ていてその内容もその時はわかっているはずなのだが、起きてすぐに思い出そうとすると、すればするほど、どんどんと記憶が薄れて行くのだ。結局、ぼんやりとしてしか思い出せず、そのうち全く思い出せなくなる。とても不思議なのだ。瞑想時の映像でもそういうことが起きる。しかもハッキリと覚えている時もあるのだ。この違いが何なのかは全くわからない。ただそんな時の心はなぜか満たされたような感覚にもなる。思い出せないというジレンマもあるのだが、その思いよりも満たされ感の方が勝つのだ。やはりその時は魂が幽界にでも行っているのかも知れない。最後に静かに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

774回目の瞑想

天使
 
ーーーこうした問題は限られた人間的理解力を超えているというのは本当でしょうか。私たちは宿命的に理解不能なのでしょうか。
「無限の顕現をもつ宇宙を理解しようとするとき人間の肉体的構造が一つの限界となることは、一般的に言って事実です。(霊覚者は別ということーー訳者)決して知識欲に水を差すつもりで申し上げるのではありません。が、私たちはあくまでも現実を見失ってはなりません。幾十億と知れぬ人間が生活する地上に目を向けてみましょう。その大半がここにいらっしゃる方が当たり前と思っている霊的真理にまったく無知なのです。その知識からあなた方が得ている喜びが彼らには保証されていないのです。その生活は悲劇と哀しみに満ちております。しかも、いずこに救いを求めるべきかを知らずにおります。ならば、私たちこそ、これまでに得た知識を少しでもそういう人たちに分けてあげることでお役に立つことができるのではないでしょうか。そうすることが知識を獲得した者が担う責任、つまりそれを更に他の人々にも分けてあげるという責任を遂行することになるのではないでしょうか」
 
今回の内容は前回に続いての質問だが、霊的な深遠については人間には理解出来ないのは仕方ないのではないかと思う。シルバー・バーチ霊の言われる肉体的構造が限界の一つであることは当然のことだと思う。またこれはこの世の人間だけに言えることではなく、霊恪の問題もあると思う。何と言ってもシルバー・バーチ霊のような高級霊であってもすべての知識は持ち合わせていないと言われているのだ。推して知るべしであろう。実際シルバー・バーチ霊が言われるこの世の大半の人達は霊的真理を知らないのだ。霊的な深遠を知るどころの話ではない。先ずは霊的真理を知らねば話にはならないのだ。そこで、やはり霊的真理の普及の話になる。大した知識ではないにしても、知る限りの霊的なことを広めていくお役目を果たして行きたいとは思っている。だが、それにも限界はあるように感じている。シルバー・バーチ霊のような方が霊的真理を説くのとは訳が違うからだ。私のような者がどれほど口酸っぱくして話したところで聞く耳を持つ人がどれほどいるだろうか、と。そんな思いがありながらも、それでも霊的真理の重要さを考えると言わずにはいられない気持ちになるのだ。一人でも多くの方が霊的真理を知るキッカケになってくれればと心から願っている。
 
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。相変わらず、意識が朦朧としている時間が長い。その間、やはり映像のようなものも出現しているのだが、はっきりと思い出すことはできないのだ。そうこうしているうちに曲は終わり直前になってしまい、静かに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
 
今朝起きがけにはっきりとした夢を見た。実は何度か夢に見ているのだが、あの有名な木村拓哉氏なのだ。今回は話した内容までも覚えている。私自身はキムタクのファンでも何でもない。よって、キムタクの出演しているドラマなどもほとんど見たことはないのだ。なのに、なぜ夢に出て来るのか不思議だ。また夢で会っていても芸能人として意識はしておらず、何ら態度は変わらず普通なのだ。今回の夢はキムタクと向かい合って対等に話している場面だった。しかもキムタクが自分の母親について話しているのを聞いている。その内容は母親は絶対だと絶対的存在だと力説していたのだ。そこで私は男性は母親に対してそんな思いを持つものだと言い、一緒に暮らしているのかと問うと、少し済まなそうな顔をして、実は一緒には暮らしていないと言ったのだ。そこで目が覚めた。書いてみると何てこともない内容だ。そこで夢占いを見てみた。
芸能人と引けを取らずに話をする夢=かなり吉夢です。あなたの才能が開花する前触れかも。運気も上昇中です。チャンスがやってきたら、確実に捉えられるよう、アンテナを張っておきましょう。
有名人と対等に話す夢=有名人と対等に話す夢は「突然運気が上昇する」ということを暗示しています。夢や目指していることで、突発的なチャンスがありそうですよ。等々
夢の内容は大したことがないが、なかなかいい夢ということのようだ。

775回目の瞑想

天使
 
ーーー夜空に見える星はただの物体でしょうか。それとも生命が存在するのでしょうか。
「どうやら少し深みに入ってきたようですね。地上世界の知識もまだまだ限界に到達しておりませんが、私たちの世界にいたっては遙かに限界から程遠い状態です。宇宙には最高界の天使的存在から、意識がようやく明滅する程度の最低の魂にいたるまでの、さまざまな意識的段階にある生命が無数に存在します。意識的生命が地球だけに限られていると思ってはなりません。地球は数限りなく存在する天体のうちの、たった一つにすぎません。無限なる叡智をもつ宇宙の大霊が、無限なる宇宙において無限なる意識的段階にある無数の生命に無限の生活の場を与えることが出来ないはずがありません。有機的生命の存在する天体は無数にあります。ただし、その生命は必ずしもあなた方が見慣れている形体をとるわけではありません。以上の説明が私としては精一杯です」
 
ーーーそれもやはり人間的存在なのでしょうか。
「いま私は、少し深みに入ってきたと申し上げました。ある種の形態、すなわち形と大きさと運動をもち、環境に働きかけることができる意識的存在という意味では人間と同じ組織的存在ですが、例外があるにしても、そのほとんどはあなた方が親しんでおられる形態の組織体と同じではありません。どうやらこれ以上の説明は無理のようです」
 
ーーーあなたはそうした存在をご覧になったり、話を交わしたことがおありですか。
「私の方からその天体にまで赴いて話をしたことはありませんが、あなた方の死に相当する過程を経たあと霊的形態に宿って話を交わしたことはあります。ですが、忘れないでいただきたいのは、あなた方が地上の生命と全く類似性のない生命に言及されると、それをなぞらえるべき手段を見出すのが困難なのです」
訳者注ーー地球人類が他の天体上の意識的生命を云々するとき、とかく人間的身体と同じ形態を具えたものを想像しがちであるが、各種の霊界通信から推察すると、むしろ地球人類の方が特殊な部類に属し、幾千億と知れぬ天体上には人間の想像を越える形態を具えた存在が躍如たる生命活動を営んでいるようである。シルバー・バーチが説明困難と言ったのは、なぞらえるべきものが見当たらないのも一つの理由であるが、うっかり説明し始めるとつい"深み"にはまり込んでしまって、にっちもさっちもいかなくなるという危惧があるようである。無論それ以前に、今の人類にそんなものは必要ないという配慮もあることであろう。
 
今回の内容は天体に関しての質疑であるが、これはやはり深みなことだそうだ。確かにシルバー・バーチ霊のお言葉でそれを実感する。意識的生命が地球だけと思うのは間違いだと指摘されている。しかも地球は数限りなく存在する天体のうちの、たった一つにすぎないと言われているのだ。宇宙人がいるとかいないとかでこの世は大騒ぎするが、そのような知識も人間は持ち合わせていないということになる。「無限なる叡智をもつ宇宙の大霊が、無限なる宇宙において無限なる意識的段階にある無数の生命に無限の生活の場を与えることが出来ないはずがない」とのこのお言葉に、私達人間には想像もできない遙か彼方の壮大な宇宙が存在しているということなのだと思う。そして、更にその無数の天体の生命は、私達人間のような形体を必ずしもとっているわけではないらしい。訳者の方は霊界通信からも推察できると言われているが、私達人間の方が特殊な部類に属するようだ。本当に知らないことだらけだと痛感する。ただ、シルバー・バーチ霊も、深みと言われ、それ以上の説明はされないようである。また訳者の方が言われるように確かに今の私達人間には興味はあっても、知る必要はないだろう。一応頭の片隅にでも留めておけばいいことなのだと思う。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。今日も言い知れぬ心地良さを感じていた。そして何かを感じさせてもらえるようなそんな感覚がずっと続いていたのだ。時折、意識が遠のいたりしていたが、ほとんどその感覚をつかもうとしていたように思う。だが、結局は何もつかめないまま終わってしまった。深追いするつもりは毛頭ないので、そのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

776回目の瞑想

天使
 
ーーー死後どれくらい経ってから地上へ戻ってくるのでしょうか。
「それは個々の事情によって異なります。こちらへ来て何世紀にもなるのに自分の身の上に何が起きたかが分からずにいる人もいます」
 
レギュラーメンバーの一人が「自分が死んだことに気がつかないのです」と口添えするとシルバー・バーチがーー
「一方にはちゃんとした霊的知識を携えた人もいます。そういう人は、適当な霊媒さえ見つかれば、死んですぐにでもメッセージを送ることができます。そのコツを心得ているのです。このように、この問題は霊的知識があるか否かといった条件によって答えが異なる問題であり、単純にこうですとはお答えできません。
私たちが手を焼くのは、多くの人が死後について誤った概念を抱いたままこちらへ来ることです。自分の想像していた世界だけが絶対と思い、それ以外では有り得ないと思い込んでいます。一心にそう思い込んでいますから、それが彼らにとって現実の世界となるのです。私たちの世界は精神と霊の世界であることを忘れないでください。思ったことがそのまま現実となるのです」
  
今回の質疑は初めて招待された方の内容だ。こういった疑問は大半の人の疑問だ。だが一概には言えないとシルバー・バーチ霊は言われる。そこにはやはり霊的知識が関係してくるのだ。霊的知識のある人は死んですぐに霊媒を通してメッセージを送ることができると言われている。ここを読んでドキッとした。息子も亡くなってすぐに私に降りてきてメッセージを送って来た。実は私が霊媒としてお役目を果たしている時に、何度か息子の目の前で霊が降りてきたこともあり、その状態を見ていたことが功を奏したとも思える。また、散々霊的な話は生前息子にしていた。そして(順番で言えば私の方が先だったはずなので)シルバー・バーチの霊訓をお母さんの遺言書だと思ってと言っていた。親の私が言うと親馬鹿以外にないが、息子は頭が良かった。飲み込みも早く、理解力に長けていた。一を聞いて十を知るタイプだったので、死後あれだけ早い形でメッセージをくれたのはやはり霊的知識の賜物であったと改めて得心させてもらえたのである。ただただ有難い思いだった。また最後のシルバー・バーチ霊が言われるように、死後について誤った概念を抱いている人は大勢いると思われる。私の知り合いもほとんど誤った概念しかないように思う。死んだらお墓に入る、これである。この概念は先祖代々からのものなので、なかなか打破できない。実際に私に降りてきた霊の中にも真っ暗なお墓の中で(お墓の中にいると信じている)迷われていて、そのお墓の概念を崩すのに時間がかかったことを記憶している。お墓というのは、物質であるお骨の単なる置き場であるのだ。そしてそのお骨はもうその人ではないということだ。その人の魂はお墓ではない、死後のそれぞれ霊恪に合った場所へと移動していかれるのだ。そうなるためにも、この世で霊的知識を知ることの重要性は霊媒からの体験からも言えるのである。一人でも多くの方に死後の誤った概念を持たぬよう、霊的知識の理解を深めて頂きたいと強く思う。
 
今日の瞑想では、呼吸に集中し、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂く。最初ははっきりと意識があったものの、そのうち意識があるようなないような中を漂っている感覚だった。その時に「魂で感じ、魂で物事を捉えよ」と。そのお言葉をより深く実感させるための映像を見せられたようだったが、今はその感覚しか残っていない。やはり夢と同じようなのだ。その時は確かに実際に見ているのだが、意識がはっきりするとその感覚のみしか残っていないのだ。それでもその感覚には何か心地良いものを感じるのだ。覚えていなくても、実際に体験はしていると感じさせてくれるのだ。その思いに有難くそのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

777回目の瞑想

天使
 
サークルの二人のメンバーが身内や知人の死に遭遇すると無常感を禁じ得ないことを口にすると、シルバー・バーチはこう述べた。
「霊に秘められた才覚の全てが開発されれば、そういう無常感は覚えなくなります。が、これは民族並びに個人の進化に関わる問題です。私にはそのすべての原理を明らかにすることはできません。私とて、すべてを知っているわけではないからです。あなた方より少しばかり多くのことを知っているだけです。そしてその少しばかりをお教えすることで満足しております。知識の総計と較べれば微々たるものです。が、私は神の摂理が地上とは別個の世界においてどう適用されているかをこの目で見てきております。数多くの、そしてさまざまな環境条件のもとでの神の摂理の働きを見ております。そして私がこれまで生きてきた三千年の間に知り得た限りにおいて言えば、神の摂理は知れば知るほどその完璧さに驚かされ、その摂理が完全なる愛から生まれ、完全なる愛によって管理され維持されていることを、ますます思い知らされるばかりです。
私も摂理の隅々まで見届けることはできません。まだまだすべてを理解できる段階まで進化していないからです。理解できるのはほんの僅かです。しかし、私に明かされたその僅かな一部だけでも、神の摂理が完全なる愛によって計画され運営されていることを得心するには十分です。私は自分にこう言い聞かせているのですーー今の自分に理解できない部分もきっと同じ完全なる愛によって管理されているに相違ない。もしそうでなかったら宇宙の存在は無意味となり不合理な存在となってしまう。もしこれまで自分が見てきたものが完全なる愛の証であるならば、もしこれまでに理解してきたものが完全なる愛の証であるならば、まだ見ていないもの、あるいはまだ理解できずにいるものも又、完全なる愛の証であるに違いない、と。ですから、もしも私の推理に何らかの間違いを見出されたならば、どうぞ遠慮なく指摘していただいて結構です。私は喜んでそれに耳を傾けるつもりです。私だっていつどこで間違いを犯しているか分からないという反省が常にあるのです。無限なる宇宙のほんの僅かな側面しか見ていないこの私に絶対的な断言がどうしてできましょう。ましてや地上の言語を超越した側面の説明は皆目できません。こればかりは克服しようにも克服できない、宿命的な障壁です。そこで私は、基本的な真理から出発してまずそれを土台とし、それでは手の届かないことに関しては、それまでに手にした確実な知識に基づいた信仰をおもちなさい、と申し上げるのです。
基本的真理にしがみつくのです。迷いの念の侵入を許してはなりません。これだけは間違いないと確信するものにしがみつき、謎だらけに思えてきた時は、ムキにならずに神の安らぎと力とが宿る魂の奥の間に引き籠もることです。そこに漂う静寂と沈黙の中にその時のあなたにとって必要なものを見出されることでしょう。
常に上を見上げるのです。うつむいてはなりません。うなだれる必要はどこにもありません。あなたの歩む道に生じることの一つ一つがあなたという存在を構成していくタテ糸でありヨコ糸なのです。これまでにあなたの本性の中に織り込まれたものはすべて神の用意された図案パターンに従って織られていることを確信なさることです」後略
訳者注ーー一見なんでもないことを述べているようで、その奥に宇宙の厳粛な相すがたを秘めたことを何の衒てらいもなく述べた、シルバー・バーチ霊言集の圧巻であるように思う。特に"私は自分にこう言い聞かせているのです"で始まる後半の部分は熟読玩味に値する名言で、その中にシルバー・バーチの霊恪の高さ、高級霊としての証が凝縮されているように思う。
霊恪の高さを知る手掛かりの一つは謙虚であるということである。宇宙の途方もない大きさと己れの小ささ、神の摂理の厳粛さと愛を真に悟った者は自ずと大きなことは言えなくなるはずである。反対に少しばかり囓かじった者ほど大言壮語する。奥深い厳粛なものに触れていないからこそ大きな口が利けるのであろう。それは今も昔も変わらぬ世の常であるが、霊的なことが当然のこととして受け入れるられるようになるこれからの世の中にあっては、人を迷わせる無責任極まる説が大手を振ってのさばることが予想される。そうしたものに惑わされないためにはどうするべきか。
それはシルバー・バーチが述べている通り、基本的真理にしがみつくことである。われわれ人間は今この時点においてすでに霊であること、地上生活は次の段階の生活に備えて霊的資質を身につけることに目的があること、人生体験には何一つ無駄なものはないこと、ただそれだけのことを念頭において地道に生きることである。訳しながら私はシルバー・バーチの霊訓の価値を改めて認識させられる思いがして嬉しかった。
   
今回の内容は訳者の方が言われるように、奥が深く、神様の摂理の働きを見ておられるシルバー・バーチ霊だからこそのお言葉なのだと感慨深い思いになった。死に対しての無常感に対しても霊に秘められた才覚の全てが開発されれば無常感は覚えなくなると言われているが、この世にいる限り、無理なことなのだと思う。またそれでいいのだとも思った。そして神様の摂理の働きを見ておられるシルバー・バーチ霊の言われることを信じて生きていきたいと強く思ったのだ。今まで私自身護られていることを実感している。そのことを確実なこととして、これから先も何があってもそこにしがみついて行こうと思った。シルバー・バーチ霊ほどのお方も、そのようにされているのだ。もちろん、実際に神様のお働きを実感されているその大きな違いはあれど、でもそれしかないのだと思うからだ。基本的真理を信じて、そこにしがみつくことがとても大切なことなのだと実感させられた。訳者の方も言われているように人間は霊であり、地上生活は死後の世界に備えて霊的資質を身につけることが目的であり、人生で体験するどんな体験も無駄なことは何一つないということを胸に神様の摂理に適う行き方をしていくことが何よりも大切なことなのだということだ。それさえ守って行けば、迷うことはないのだ。必ず道は開かれていくのだから。そして死後、霊界での充実した生活ができるのだと思う。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に集中する。神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。その後は意識がほとんどなかった。気がつくと曲が終わった直後だった。しばらくボーッとしていたが、間もなく神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

778回目の瞑想

天使
 
ーーー環境条件が自分の進化と無関係のものによってこしらえられることがありますか。
「それは一体どういう意味でしょうか」
 
ーーーもしかしたら、私は明日誰かの行為によって災難に遭うかも知れません。
「そうかも知れません。が、それによって苦しい思いをするか否かはあなたの進化の程度の問題です」
 
ーーーでも、その他人がそのような行為に出なかったら私は災難に遭わずに済みます。
「あなたは永遠の霊的規範を物的尺度で測り、魂の視点からでなく肉体の視点、言いかえれば今物質を通して顕現している精神だけの視点から眺めておられます」
 
ーーーそれを災難と受け取るのも進化のある一定段階までのことだとおっしゃるのでしょうか。
「そうです。それを災難と受け取る段階を超えて進化すれば苦しい思いをしなくなります。苦は進化と相関関係にあります。楽しみと苦しみは両極です。同じ棒の両端です。愛と憎しみも同じ力の二つの表現です。愛する力が憎しみとなり得ますし、その逆もあり得ます。同じく、苦しいと思わせる力が楽しいと思わせることもできます。あなたの体験の"質"を決定づけるのはあなたの進化の"程度"です。ある段階以上に進化すると憎しみを抱かなくなります。愛のみを抱くようになります。苦を感じず幸せばかりを感じるようになります。難しいことですが、しかし真実です。苦しみを何とも思わない段階まで到達すると、いかなる環境にも影響されなくなります」
 
今回の内容には唸るしかなかった。こんなことができるようになるのであろうかと、唸らずにはいられなかった。この世の災難を災難と思わないまで進化できたら、もうこの世にいることもないのではないだろうか。苦は進化と相関関係にあると言われる。そして苦しみは楽しみと同じ棒の両端だと。愛と憎しみが両端というのは理解できるが、苦しみと楽しみが同じ力の表現とはとても思えない。身内の死を楽しみとして捉えることなんてできるのだろうか。進化していればできると言われるが、霊界で生きていると信じていても、慣れ親しんだ顔や姿をもう二度と見れなくなるであるし、笑い合うことも語り合うこともできないのだ。それを楽しみとして考えることなど、やはりどうあっても今の私にはできそうもない。涙こそ出ても笑うことなんて無理だ。それは見ず知らずの人が死に別れて泣いているのを見ても、もらい泣きこそすれ、微笑むことなどできようはずもない。進化とはどうことなのだろう。苦を苦と思わないように努力はしていこうと思えるが、楽しみに変えるほどのことはどうあってもできそうもない。進化すればわかる時がくるのだろうか。今回はとても考えさせられた。私自身、意味をはき違えているのもかも知れないが・・・
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に意識していくと、意識が遠のきそうになったので、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。しばらくは自然に身を任せていた。すると心臓を中心として、身体全体が指の先までバイブレーションを感じたのだ。最初は地震かと思ったが、身体だけに感じていることはすぐにわかった。何とも不思議な感覚なのだ。そしてまたしばらくすると今度は宇宙空間に漂っているように感じると流れ星のような感じなのだが、下へ下へと流れるその光景に目を見張る。更に映像なのか、その場所へ行っていたのかわからないが、いろいろな体験をさせてもらっていたようだ。だが、意識が戻るとやはりその内容ははっきりしない。だが、その時に感じたものは残っているのだ。これとて不思議な感覚なのだ。具体的な形で記憶に残っていて欲しいが無理のようだ。意識が戻ると共に曲も終わり、そのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

753回目の瞑想

天使
 
英国のみならず広く海外でも活躍している古くからのスピリチュアリスト(※)が招待され、シルバー・バーチは「霊的知識に早くから馴染まれ、その道を一途に歩まれ、今や多くの啓示を授かる段階まで到達された人」として丁重にお迎えした。とあるが、この方の三つの質問とシルバー・バーチ霊のお答えとを記載しようと思う。今までよりも難しい内容になると思うが、私達人間にとって、重要な問題だと思うので今は理解できなくとも、頭の片隅にでも入れておければと思う。
(※名前は紹介されていない。推測する手掛かりも見当たらない。霊言集にはこのように名前を明かしても良さそうなのに、と思えるケースがよくあるが、多分、公表は控えてほしいとの本人の要望があるのであろう。これもシルバーバーチの影響かも知れないーー訳者)
 
その前にシルバー・バーチ霊のお言葉を抜粋した。
「私たちがいつも直面させられる問題が二つあります。一つは惰眠だみんをむさぼっている魂に目を覚まさせ、地上で為すべき仕事は地上で済ませるように指導すること。もう一つは、目覚めてくれたのはよいとして、まずは自分自身の修養を始めなければならないのに、それを忘れて心霊的な活動に夢中になる人間を抑えることです。神は決してお急ぎになりません。宇宙は決して消滅してしまうことはありません。法則も決して変わることはありません。じっくりと構え、これまでに啓示されたことは、これからも啓示されていくことがあることの証明として受け止め、自分を導いてくれている愛の力は自分が精一杯の努力を怠りさえしなければ、決して自分を見捨てることはないとの信念に燃えなくてはいけません」
 
シルバー・バーチ霊のお言葉の二つの問題とは、まさに私達人間の課題だ。まずは霊的真理を知り、魂を目覚めさせ、地上で果たすべきことを果たす。けれど目覚めたとは言え、まだまだ自分自身の修養をしなくてはいけないということを自覚して自分の果たすべきことに邁進する。それにはじっくりと今まで啓示されたことを真実と信じて、精一杯の努力をしていいき、導いてくれる愛の力は決して見捨てることはないとの信念を持ち続けることが重要だと教えて下さっている。魂が目覚めることはもちろんのことだが、その後の自分自身の修養が一番肝心なのだ。それを怠っては目覚めたとて意味がない。改めてその重要さを心に留めて頑張って行きたいと思う。
  
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸の意識し、そのまま神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ヒーリングもさせて頂いた。しばらくは曲の流れに身を任せるようにしていると、途中から何とも言えない感覚、言葉にならない感覚を身体中に感じていた。何と表現していいかわからないのだ。だが、その心地良さにずっとその感覚のままでいたい気持ちになる。そのまま自然の流れに任せているといつの間にか曲が終わる直前となり、ゆったりとした気持ちで、 神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

754回目の瞑想

天使
 
昨日お話ししたように、老スピリチュアリストは交霊会に備えて三つの質問を用意されていたようだ。その一門目の質疑応答を記載してみる。
 
ーーー私の信じるところによれば人間は宇宙の創造主である全能の神の最高傑作であり、形態並びに器官の組織において大宇宙マクロコズムのミクロ的表現であり、各個が完全な組織を具え、特殊な変異は生まれません。しかし一体その各個の明確な個性、顔つきの違い、表情の違い、性向の違い、その他、知性、身振り、声、態度、才能の差異も含めた一人一人の一見して区別できる個性を決定づける要因は何なのでしょうか。
「これは大変な問題ですね。まず物質と霊、物質と精神とを混同なさらないでください。人間は宇宙の自然法則に従って生きている三位一体の存在です。肉体は物的法則に従い、精神は精神的法則に従い、霊は霊的法則に従っており、この三者が互いに協調し合っております。かくして法則の内側に法則があることになり、時には、見た目に矛盾しているかに思えても、その謎を解くカギさえ手にすれば本質的には何の矛盾もないことが分かります。法則のウラ側に法則があると同時に、一個の人間のさまざまな側面が交錯し融合し合って、常に精神的・霊的・物的の三種のエネルギーの相互作用が営まれております。そこには三者の明確な区別はなくなっております。肉体は遺伝的な生理的法則に従っておりますし、精神は霊の表現ですが、肉体の脳と五官によって規制されております。つまり霊の物質界での表現は、それを表現する物質によって制約を受けるということです。かくしてそこに無数の変化と組み合わせが生じます。霊は肉体に影響を及ぼし、肉体もまた霊に影響を及ぼすからです。これでお分かりいただけるでしょうか」
ーーーだいぶ分かってきました。これからの勉強に大いに役立つことと思います。(二問目の質疑応答は明日記載する)
 
今回の内容は質問もさることながら、シルバー・バーチ霊のお答えに、人間一人ひとりの成り立ちの複雑さに恐れ入る思いだ。常日頃から言われている人間とは宇宙の自然法則に従って生きている三位一体の存在であり、肉体は物的法則に従い、精神は精神的法則に従い、霊は霊的法則に従ってこの三者が互いに協調し合っているとのこと。法則の内側に法則があると言われ、人間のさまざまな側面が交錯し融合して、常に精神的・霊的・物的の三種のエネルギーの相互作用が営まれていると言われている。更に肉体は遺伝的な生理的法則に従い、精神は肉体の脳と五官によって規制され、人間は霊ではあるが、物質界での表現は物質によって制約を受けてしまう。そういうことをすべて考え合わせると無数の変化と組み合わせができる。そうやって複雑に入り組んだ後に一人の人間が出来る上がるという精妙さなのだ。だからこそ一人ひとりみな区別することができる。凄いことだし素晴らしいことだと思う。そう思って自分自身を考えて見た時に、何やら有難い気持ちが溢れてきていた。
 
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ヒーリングもさせて頂いた。徐々に意識が朦朧としていきながらも、なくなるようなことはなかった。ただただ柔らかい空気の中で、穏やかな気持ちのまま宙に浮いているような感覚だった。曲も終わりに近づいたので、神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した

755回目の瞑想

天使
 
ーーーでは次の質問に移らせていただきます。人間はその始原、全生命の根元から生まれてくるのですが、その根元からどういう段階を経てこの最低次元の物資界へ下降し、物的身体から分離したあと(死後)今度はどういう段階を経て向上し、最後に"無限なる存在"と再融合するのか、その辺のところをお教えいただけませんか。
「これもまた大きな問題ですね。でも、これは説明が困難です。霊的生命の究極の問題を物的問題の理解のための言語で説明することはとてもできません。霊的生命の無辺性を完全に説き明かせる言語は存在しません。ただ単的に、人間は霊である、但し大霊は人間ではない、という表現しかできません。
大霊とは全存在の究極の始原です。万物の大原因であり、大建築家であり、王の中の王です。霊とは生命であり、生命とは霊です。霊として人間は始めも終わりもなく存在しています。それが個体としての存在を得るのは、地上に限って言えば、母体に宿った時です。物的身体は霊に個体としての存在を与えるための道具であり、地上生活の目的はその個性を発現させることにあります。
霊の世界への誕生である死は、その個性をもつ霊が巡礼の旅の第二段階を迎えるための門出です。つまり霊の内部に宿る全資質を発達、促進、開発させ、完成させ、全存在の始原により一層近づくということです。人間は霊である以上、潜在的には神と同じく完全です。しかし私は人間は神の生命の中に吸収されてしまうという意味での再融合の時期が到来するとは考えてません。神が無限であるごとく(生命の旅も)発達と完全へ向けての無限の過程があると主張する者です」
 
ーーーよく分かります。お礼申し上げます。
   
今回の二つ目の質問も常人では、なかなかできない内容であると思う。だがやはり、霊的生命の究極の問題を物的問題の理解のための言語で説明することはとてもできないと言われている。それでもその言語を使って教えて下さっている。霊とは生命であり、生命とは霊であり、霊として人間は始めも終わりもなく存在していると。そして、それが個体としての存在を得るのは、地上に限定すれば、母体に宿った時だと。更に物的身体は霊に個体としての存在を与えるための道具であり、地上生活の目的はその個性を発現させることであると言われているのだ。また死後の世界霊界では、霊の内部に宿る全資質を発達、促進、開発させ、完成させ、全存在の始原により一層近づくためのものであると言われている。けれど、シルバー・バーチ霊は、神様の中に融合することは永遠にないというお考えを持たれている。私たち霊は発達と完全に向けて無限の過程があると言われているのである。私個人の希望としては、いつか神様の中に融合される時が来て欲しいと思っているのだ。永遠に神様を追いかけるというのは目標を見失ってしまうのではないかと思ってしまうからだ。いつか神様の中に融合できる日が来ると思うだけで私は希望が湧いてくる。このことだけはシルバー・バーチ霊のお考えが間違っていて欲しいと思っている。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に意識していき、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ヒーリングもさせて頂いた。だが、その後はこの世の雑念ばかりが頭を占めてしまい、瞑想に集中することができなかった。何度瞑想に集中しようと思っても、いつの間にかこの世のことを考えてしまっていて、こんなことは今までほとんどなかった。残念だったが、とりあえず、神様と霊界の方々に謝り、お礼を申し上げて早めに終了した。
 
今朝また起きがけに見た夢なのだが、黒い背広を着たかなり大勢の方たちが何やら相談されていた。その瞬間弁護士と感じたのだが、自信はない。長い時間をかけて意見を言い合っていたようだった。そしてそれが終わるとそれぞれ各団体に分かれ、それぞれの場所に散らばって行ったのだ。かなり辛辣な意見が多かったようにも感じた。何を意味しているのかはわからない。この世に関係していることだったのだろうか。こんな夢は初めてであり、とても印象に残っていたので記載させて頂いた。

756回目の瞑想 

天使
 
ーーー次に三つ目の質問ですがーー今おっしゃられたことがある程度まで説明してくださっておりますがーー人間は個霊として機械的に無限に再生を繰り返す宿命にあると説く輪廻転生論者がいますが、これは事実でしょうか。もしそうでないとすれば、最低界である地上へ降りてくるまでに体験した地上以外での複数の前生で蓄積した個性や特質が、こんどは死後、向上進化していく過程を促進もし渋滞もさせるということになるのでしょうか。私の言わんとしていることがお分かりいただけますか。
 「こうした存在の深奥に触れた問題をわずかな言葉でお答えするのは容易なことではありませんが、まず、正直に申して、その輪廻転生論者がどういうことを主張しているのか私は知りません。が私個人として言わせていただけばーー絶対性を主張する資格はないからこういう言い方をするのですがーー再生というものが事実であることは私も認めます。それに反論する人たちと議論するつもりもありません。理屈ではなく、私は現実に再生してきた人物を大勢知っているのです。どうしてもそうしなければならない目的があって生まれ変わるのです。あずけた質を取り戻しに行くのです。
ただし、再生するのは同じ個体の別の側面です。同じ人物とは申しておりません。一個の人間は氷山のようなものだと思ってください。海面上に顔を出しているのは全体のほんの一部です。大部分は海中にあります。地上で意識的生活を送っているのはその海面上の部分だけです。死後再び生まれて来た時は別の部分が海面上に顔を出します。潜在的自我の別の側面です。二人の人物となりますが、実際は一つの個体の二つの側面ということです。霊界で向上進化を続けると、潜在的自我が常時発揮されるようになっています。再生問題を物質の目で理解しようとしたり、判断しようとなさってはいけません。霊的知識の理解から生まれる叡智の目で洞察してください。そうすれば得心がいきます」
 
   今回の最後の質問はとても興味深い。というか再生の問題はかなり理解に苦しむ内容だ。だからこそ知りたくもなる。シルバー・バーチ霊の再生に関しての説明にはダイヤモンドに例える場合もある。一つの個体がダイヤモンドとして、その側面が再生するのだと。だから、同じ人物ではなく、同じ個体の別の側面が再生すると説いている。今回は一個の人間を氷山と例えられている。そして海面上に顔を出している全体の一部が、地上で意識的生活を送っているのだと言われているのだ。大部分は海中にあると言われる。ということは、今現在この世で生活している私たちは一つの個体の一部だということなのだ。大部分は海中である霊界にいるということになる。そして来世で生まれるのは今生活している一部である私ではなく、海中である霊界の別の側面が再生されるということなのだ。やはり再生の問題は難しい。シルバー・バーチ霊が言われるように、物質の目で理解しようとしても無理がある。霊的知識の理解の上での叡智の目を早く持てるようになりたいものである。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。ほとんど意識が朦朧とした状態だったが、終わり近くに「鼻血が散りばめられる」という言葉が浮かぶ。(意味がよくわからなかったので、夢占いの鼻血で検索すると、鼻血には仕事運や金運そして健康運などの意味があるらしい。もちろん夢ではないので、同じような意味になるとは言えないが)そして、その意味を考えながらそのまま終了した。もちろん、神様と霊界の方々にお礼は申し上げた。
 
今朝もまた夢を見た。既に亡くなっている両親や妹(健在で息子の死はもちろん知っている。姉の姿 はなかった)に息子が亡くなったことを話しているシーンだった。また知り合いに息子が亡くなったことを手紙で知らせるようなシーンもあった。今更なぜ?という思いだった。どんな意味があるのだろうか。起きる直前だっただけにリアルで結構引きずってしまった。私自身は、もうそんなことは全く考えてもいなかったので、なぜ?という気持ちの方が強い。

757回目の瞑想

天使
 
今回からは、愛する人が突然亡くなって、残された方がどう生きて行けばよいかという問題を記してみようと思う。私達人間にとって、この問題は少なからず避けては通れない道だと思うからだ。今現在もいろいろな形で愛する家族や愛する人達が亡くなっている。残された者にとっては苛酷な体験だが、そこをどうやって乗り越えて行けばいいのかを少しでもお役に立つお手伝いができたらと思っている。
当時、映画女優であったマール・オペロンという方の悲劇の体験後、シルバー・バーチ霊との問答をしばらく記載したいと思う。
その悲劇の体験とは、オペロンには婚約者がいたのだが、その婚約者を空港で見送った数秒後に飛行機が爆発炎上したとのこと。事故の知らせを聞いたオペロンは当然のごとく、茫然自失の状態に陥った。だがその後まもなくして、シルバー・バーチの霊言を読んで心を動かされたオペロンは直接話を聞きたいと当時の主催者に伝え、それを聞いたシルバー・バーチ霊は快諾したということだ。そして、事故からまだ数日も経たないうちに交霊会に出席するチャンスを得たのだった。これも必然なのだろう。
主催者が交霊会の部屋(霊媒の書斎)へオペロンを案内し、シルバー・バーチ霊にこう紹介したようだ。
ーーーご承知と思いますが、この方は大変な悲劇を体験なさったばかりです。非凡な忍耐力をもって耐えていらっしゃいますが、本日はあなたのご指導を仰ぎに来られました。すると、シルバー・バーチ霊がオペロンに向かってこう語りかけた。
 「あなたは本当に勇気のある方ですね。でも勇気だけではだめです。知識が力となってくれることがあります。ぜひ理解していただきたいのは、大切な知識、偉大な悟りというものは悲しみと苦しみという魂の試練を通してはじめて得られるものだということです。人生というものはこの世だけではなく、あなた方があの世と呼んでおられる世界においても、一側面のみ、一色のみでは成り立たないということです。光と影の両面が無ければなりません。光の存在を知るのは闇があるからです。暗闇がなければ光もありません。光ばかりでは光でなくなり、闇ばかりでは闇でなくなります。同じように、困難と悲しみを通してはじめて魂は自我を見出していくのです。もちろんそれは容易なことではありません。とても辛いことです。でもそれが霊としての永遠の身支度をすることになるのです。なぜならば地上生活のそもそもの目的が、地上を去ったあとに待ち受ける次の段階の生活に備えて、それに必要な霊的成長と才能を身につけることにあるからです。
あなたがこれまでに辿られた道も決してラクな道ではありませんでした。山もあり谷もありました。そして結婚という最高の幸せを目前にしながら、それが無慈悲にも一気に押し流されてしまいました。あなたは何事も得心がいくまで承知しない方です。生命と愛は果たして死後にも続くものなのか、それとも死をもってすべてが終わりとなるか、それを一点の疑問の余地もないまで得心しないと気が済まないでしょう。そして今あなたは死がすべての終わりでないことを証明するに十分なものを手にされました。ですが、私の見るところでは、あなたはまだ本当に得心を与えてくれる事実のすべてを手にしたとは思っていらっしゃらない。そうでしょ?」
 
ーーーおっしゃる通りです。
(続きは明日)
 
今回からの内容は、私自身もとても関心がある。もちろん最愛の一人息子を亡くしたその当時の悲しみや苦しみはとても言葉で表せるものではない。けれど、同じような苛酷な体験をした人の気持ちは手に取るようにわかるようになってしまった。これは体験してはじめて本当の意味でわかることなのだ。苛酷な体験だということは頭では、もちろん理解できる。だがその時の感情は体験してわかることなのだ。要するに人ごとということになってしまう。私も以前はそうだった。ニュースなどで、お子さんを亡くされた親御さんを見れば、もらい泣きはしても、本当の意味でのその親御さんの気持ちはわかっていなかったのだ。
今回のこの内容も、女優のオペロンは最愛の婚約者を失って数日後のことなのだ。いくらシルバー・バーチ霊と言えども、このような霊的真理を話されても、すぐには納得もできないだろうし、最愛の人を失うくらいなら、偉大な悟りなどいらないと思ってしまうのは当然のことだと思う。そのような正論を受け入れられるほどの余裕などないのだ。けれど、私はオペロンが羨ましく思う。私も息子を亡くした時にシルバー・バーチ霊のような方にご指導を仰ぎたかったと強く思っていたからだ。すぐには得心できないにしても、シルバー・バーチ霊のような高級霊の方とお話しできれば必ず早くに得心できたと思うし、そういう高い霊の方と接点をもてることが何と言っても羨ましい。オペロン自身の霊恪がやはり高かったからなのだろう。これからどんな内容になっていくかのか楽しみで仕方ない。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に意識し、静かに吸い込む時間を長くした。穏やかな気持ちにどんどんとなっていく。神様に簡単なお祈りをさせて頂き、今度は別の方のヒーリングを時間いっぱいにさせて頂いた。なので自分の瞑想はなし。最後に神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

758回目の瞑想

天使
 
(昨日の続きで、 シルバー・バーチ霊からのお言葉)
「こういうふうに理解なさることですーーこれが私にできる最大のアドバイスですーーわれわれ生あるものすべては、まず第一に霊的存在であるということです。霊であるからこそ生きているのです。霊こそ存在の根元なのです。生きとし生けるものが呼吸し、動き、意識を働かせるのは霊だからこそです。その霊があなた方のいう神であり、私のいう大霊なのです。霊の一部、つまり神の一部が物質に宿り、次の段階の生活にふさわしい力を身につけるために体験を積みます。それはちょうど子供が学校へ行って卒業後の人生に備えるのと同じです。
さて、あなたも他のすべての人と同じく一個の霊的存在です。物的なものはそのうち色褪せ、朽ち果てますが、霊的なものは永遠であり、いつまでも残り続けます。物質の上に築かれたものは永続きしません。物質は殻であり、入れ物にすぎず、実質ではないからです。地上の人間の大半が幻を崇拝しています。キツネ火を追いかけているようなものです。真実を発見出来ずにいます。こうでもない、ああでもないの連続です。本来の自分を見出せずにいます。
神が愛と慈悲の心からこしらえた宇宙の目的、計画、機構の中の一時的な存在として人生を捉え、自分がその中で不可欠の一部であるとの理解がいけば、たとえ身に降りかかる体験の一つ一つの意義は分からなくても、究極においてすべてが永遠の機構の中に組み込まれているのだという確信は得られます。霊にかかわるものは決して失われません。死は消滅ではありません。霊が別の世界へ解き放たれるための手段にすぎません。誕生が地上生活へ入るための手段であれば、死は地上生活から出るための手段です。あなたはその肉体ではありません。その頭でも、目でも、鼻でも、手足でも、筋肉でもありません。つまりその生物的集合体ではないのです。それはあなたではありません。あなたという別個の霊的存在があなたを地上で表現していくための手段にすぎません。それが地上から消滅したあとも、あなたという霊は存在し続けます。死が訪れると霊はそれまでに身につけたものすべてーーあなたを他と異なる存在たらしめているところの個性的所有物のすべてをたずさえて霊界へ行きます。意識、能力、特質、習性、性癖、さらには愛する力、愛情と友情と同胞精神を発揮する力、こうしたものはすべて霊的属性であり、霊的であるからこそ存続するのです。真にあなたのものは失われません。真にあなたの属性となっているものは失われません。そのことをあなたが理解できるできないに関わらず、そしてまた確かにその真相のすべてを理解することは容易ではありませんが、あなたが愛する人、そしてあなたを愛する人は、今なお生き続けております。得心がいかれましたか?」
 
ーーーはい。
「物的なものはすべてお忘れになることです。実在ではないからです。実在は物的なものの中には存在しないのです」
(明日に続く)
 
  今回もシルバー・バーチ霊は霊的真理を説いてくださっている。けれど、オペロンの胸中は如何ばかりかと思ってしまう。愛する人の霊界での様子が知りたいと思っているのではないだろうか。この状態で霊的真理を説いて下さっても、頭には入って来ないような気がする。まあこれは私だったらそうだったと言うことだが。当時は息子の様子を知りたい気持ちでいっぱいだったので、まずは息子のことを教えて欲しいと思ってしまっていただろうと思う。そんなだから、高級霊の方との接点がもてなかったのだろうけれど・・・また私の場合は、魂が生き続けていることはわかっていたので、息子を亡くさなければいけなかった意味を教えて頂きたいと思ったことだろう。だがどちらにしても、本物の高級霊の方と交信を通じてお話しできるということは、それだけで幸せなことなのだ。私もいつかそうなれるように精進して行きたい。話がだいぶ逸れてしまったが、今回の内容で魂に響いたお言葉がある。それは「(肉体は)あなたという別個の霊的存在があなたを地上で表現していくための手段にすぎない」とのお言葉だ。今までも散々霊的存在だと言われていたが、こういう言い回しをして頂くと、なぜかストンと心に入ってくる。そういうことなのかと改めて得心できたのである。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に集中し、穏やかな気持ちで神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。だがしばらくすると、意識が遠のいていくような感じになりながらも、曲はかすかに聴こえている。安らかな心地よさに時が止まって欲しいと思いつつも、いつの間にか気がつくとやはり曲が終わる直前だった。そのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
昨晩の地震は大丈夫だったでしょうか。我が家は停電もなく、長くは感じましたが、揺れ自体は大したこともなく無事に終わりました。ただ、揺れに関しては、今までと違う妙な揺れのように感じたのですが、私だけでしょうか。

759回目の瞑想 

天使
 
ーーー私のフィアンセは今ここへ来ておりますでしょうか。
「来ておられます。先週も来られて霊媒を通じてあなたに話しかけようとなさったのですが、これはそう簡単にいくものではないのです。ちゃんと話せるようになるには大変な訓練がいるのです。でも、あきらめずに続けて出席なさっておれば、そのうち話せるようになるでしょう。ご想像がつくと思いますが、彼は今のところ非常に感情的になっておられます。まさかと思った最期でしたから感情的になるなという方が無理です。とても無理な話です」
 
ーーー今どうしているのでしょうか。どういうところにいるのでしょう。元気なのでしょうか。
この質問にシルバー・バーチは司会の主催者の方を向いてしみじみとした口調で 「この度の事故はそちらとこちらの二人の間にとって、よほどショックだったようですな。まだ今のところ霊的な調整ができておりません。あれだけの事故であれば無理もないでしょう」と述べてから、再びオペロンに向かって言った。
「私としては若いフィアンセがあなたの身近にいらっしゃることをお聞かせすることが、精一杯あなたの力になってあげることです。彼は今のところ何もなさっておりません。ただお側に立っておられるだけです。これから交信の要領を勉強しなくてはなりません。霊媒を通じてだけではありません。普段の生活において考えや欲求や望みをあなたに伝えることもそうです。それは大変な技術を要することです。それがマスターできるまでずっとお側から離れないでしょう。
あなたの方でも心を平静に保つ努力をしなくてはいけません。それができるようになれば、彼があなたに与えたいと望み、そしてあなたが彼から得たいと望まれる援助や指導が確かに届いていることを得心なさるでしょう。よく知っておいて頂きたいのは、そうした交信を伝える バイブレーションは極めて微妙なもので、感情によってすぐに乱されるということです。不安、ショック、悲しみといった念を出すと、たちまちあなたの周囲に重々しい雰囲気、交信を妨げとなる壁をこしらえます。心の静寂を得ることができれば、それが私たちの世界から必要なものをお授けする最高の条件を用意することになります。感情が錯乱している状態では、私たちは何の手出しもできません。受容性、受身の姿勢、これが私たちがあなたに近づくための必須の条件です」
 
今回はついに亡くなった人に対しての質問である。やはり飛行機の爆発炎上というすさまじい事故なので、すぐには残された方も、亡くなった方も立ち直ることが難しいのは手に取るようにわかる。それでもこのオペロンはシルバー・バーチ霊と直接お話しができたことに、どれだけ救われたのだろうかと思う。また、亡くなった人が交信できるようになるには、簡単ではなく、大変な訓練がいるのだと言われている。とても興味深い話だ。霊的な調整もできていないと言われているので、そういう方はまずはその調整をしていくことが大事なのだろう。突然にしかもこのような亡くなり方をする人は、すぐには何もできないと言われている。ただ側に立っているだけだと言われているのだ。それを聞く残された人が、かなりお辛いのは当然だ。けれど、シルバー・バーチ霊のような高級霊の方に指導されれば、きっと必ずいい方向へ向かうことは約束されていたのではないかと思う。だからこそ、お話しを伺う機会が設けられたのだと思うし、それは必然だったからだとしか思えない。今後の内容もとても楽しみである。
  
昨日は瞑想することができなかった。
実は昨日、夜中の2時頃にトイレに起きると動悸を感じたのだ。横になると、あまり気にならなかったので、取り敢えず、自分自身にヒーリングしながら、いつの間にか寝てしまっていた。けれど、朝になっても動悸は治まっておらず、それどころか今度は立っているだけで苦しくなり、横なっているとかなりラクだったので、ずっと横になっていた。その間、すべて主人がいろいろと面倒見てくれ、家のこと犬のことすべてやってくれたのだ。本当に感謝しかない。
食事もできずに夕方になり、明日もこのままの状態ではと思い、かかりつけ医(往診もしてくれる)に相談の電話をした。すると、心臓の専門病院を紹介して下さった。我が家からも近かったが、行けるかどうか自信はなかった。が、一応そこの病院に電話すると、「来て頂ければ検査はできますよ。何とか来れませんか」と初めてだっ たが、とても優しい看護師さんらしき方が応対して下さった。主人が車で送ってくれると言ってくれたこともあり、意を決して、起き上がると、今までの動悸が嘘のように止まっている感じだったのだ。そのギリギリまでは、横になっていても身体中が鼓動を打っている感じだったのに。なので、何とか普通に支度ができて、病院に行くことができた。主人は犬の夕飯があったので、そのままトンボ帰りで自宅に戻り、私の検査が終わる頃にまた来てくれると言ってくれていた。けれど、会計の時に看護師さんが「ご主人、とても心配されていましたよ。優しいご主人ですね。」と。私はびっくりして「主人、病院に来たのですか?」と聞くと「いらしてましたよ。でも、奥様が診察室に入られたということで、すぐに帰られたようでした。」と。
話は逸れたが、病院に着くと、すぐに「○○さんですよね。こちらへ」とベッドで横になれるお部屋に案内された。一応、動悸がなくなってしまったようだとも伝えた。そして、診察室へ。
お医者様もとても感じのいい方で「お電話でその時の様子は聞いておりますが、わかる範囲でいいので、もう一度順を追ってお話ししてもらえますか」と言われ、説明した。するとすぐに分かりましたと言われて、レントゲン、心電図の検査をして下さった。すぐに結果はわかり、診察室に戻ると、お医者様が「実は息苦しいという話もあったので、心筋炎か心筋梗塞などの疑いもありましたし、また心臓が拡大して肺に水が溜まって苦しい場合などもあるので、検査させて頂きましたが、心電図の検査の結果も波形は不整脈なども全くなく正常そのものでした。またレントゲンは(と言って画像を見せて下さり)肺は白い影など一切なく(肺炎などもなく)綺麗です。また水も溜まっていませんでしたし、心臓も正常な大きさでした。なので、全く問題ありませんでしたので、安心して下さいね、」と。
ただ、と言われて「不整脈の原因には原因があるものもありますが、ほとんどは原因はわかっておりません。また動悸がなくなっているとその原因は全くわからない状態となります。このまま10年間なにも起こらずに行くかも知れないし、明日や明後日また動悸あるかも知れませんが、出来ればその時に来て頂けるのが一番いいのです。ただ、動かさない方がいい場合もあるので、そこはケースバイケースになりますが。けれど、検査の結果として、今は心臓には何の問題もないと言えます。」と言って下さったのだ。
家に戻ると、もうほとんど普通の状態だった。(今朝は全く普通になっている)
初めての体験だったが、私には必要な体験だったのだと思っている。
動悸の苦しさをわかることができ、そういう方の気持ちがわかるようになった。
今回のことは、とても勉強になったと思っている。
また、このような体験はいつ起きるかわからないし、誰にでも起きる可能性はあるのではないかと思う。
頭の片隅にでも置いておかれて、その時に慌てなくてもいいようにと思い、少しでもお役に立てるならばと記載させて頂いた。
 
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸を整え、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして昨夜ご依頼のあった方のヒーリングを今朝の瞑想時にさせて頂いた。あっという間に時間が経ち、最後に神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

760回目の瞑想

天使
 
   
このあとフィアンセについて幾つかプライベートな質疑がなされたあと、シルバー・バーチはこう述べた。
「あなたにとって理解しがたいことは、多分、あなたのフィアンセが今はこちらの世界へ来られ、あなたはそちらの世界にいるのに、精神的には私よりもあなたの方が身近かな存在だということでしょう。理解できるでしょうか。彼にとっては霊的なことよりも地上のことの方が気がかりなのです。問題は彼がそのことについて何も知らずにこちらへ来たということです。一度も意識にのぼったことがなかったのです。でも今ではこうした形であなたが会いに来てくれることで、彼もあなたが想像なさる以上に助かっております。大半の人間が死を最期と考え、こちらへ来ても記憶の幻影の中でのみ暮らして実在を知りません。その点あなたのフィアンセはこうして最愛のあなたに近づくチャンスを与えられ、あなたも、まわりに悲しみの情の壁をこしらえずに済んでおられる。そのことを彼はとても感謝しておられますよ」
 
ーーー死ぬ時は苦しがったでしょうか。
「いえ、何も感じておられません。不意の出来事だったからです。事故のことはお聞きになられたのでしょう?」
 
ーーーはい。
「あっという間の出来事でした。それだけに永い休養期間が必要なのです」
 
ーーーどれくらい掛かるのでしょう?
「そういうご質問はお答えするのがとても難しいのです。と申しますのは私たちの世界では地上のように時間で計るということをしないのです。でも、どのみち普通一般の死に方をした人よりは永く掛かります。急激な死に方をした人はみなショックを伴います。いつまでも続くわけではありませんが、ショックはショックです。もともと霊は肉体からそういう離れ方をすべきものではないからです。そこで調整が必要となります」
 
今回の内容はとても重要な質疑だと思う。このような事故に遭われた人の死後、霊界での状態を知ることができるからだ。このフィアンセのように、霊的なことを何も知らずに亡くなることは、かなり苦労するように思う。ただ、私はこの質疑に際して二つの疑問を覚えた。一つはシルバー・バーチ霊は死ぬ時には何も感じていなかったと言われている。だが、急激な死に方をした人はみなショックを伴うと言われているのだ。何も感じなければショックもないのでは?と思うのだが、どうなのであろう。それともう一つはもともと霊は肉体からそういう離れ方をすべきでないと言われているが、ではなぜフィアンセはそのような離れ方をしなければいけなかったのかということだ。私だったら、そこをシルバー・バーチ霊に質問させてもらいたいところだ。それはやはりカルマなどの原因だったのであろうか。ただ、どのようなことが原因であっても、このような急激な死に方をした人には永い休養期間が必要のようだ。もし霊的な知識があったなら、どうだったのだろう。まずこう言う状態の死に方にはならなかったのか、それとも死後、早めに覚醒したのであろうか。想像することしかできないが、それだけに今この世にいる間に霊的知識を身につけることは、本当に大事で重要なことなのだと思わざるを得ないのである。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に集中していき、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。今日は温かい光りに抱かれて心安まる思い、心が解放されているような感覚を感じながらの時間を過ごさせて頂いた。何とも言えない心地良さに意識も遠くなり、気がつくと曲が終わるところだった。その後もその余韻でしばらくそのままの状態で身を任せていた。まだまだ余韻を感じていたかったが、そういうわけにも行かず、静かに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

761回目の瞑想

天使
 
ここでさらにプライベートな内容の質疑があったあとーー
ーーー彼は今幸せと言えるでしょうか。大丈夫でしょうか。
「幸せとは言えません。彼にとって霊界は精神的に居心地がよくないからです。地上に戻ってあなたと一緒になりたい気持ちの方が強いのです。それだけに、あなたの精神的援助が必要ですし、自身の方でも自覚が必要です。これは過渡的な状態であり、彼の場合は大丈夫です。霊的に危害が及ぶ心配がありませんし、そのうち調整がなされるでしょう。
宇宙を創造した大霊は愛に満ちた存在です。私たち一人一人を想像して下さったその愛の力を信頼し、すべてのことはなるべくしてそうなっているのだということを知らなくてはいけません。今は理解できないことも、そのうち明らかになる機会が訪れます。決して口先で適当なことを言っているのではありません。現実にそうだからそう申し上げているのです。あなたはまだ人生を物質の目でご覧になっていますが、永遠なるものは地上の尺度では正しい価値は分かりません。そのうち正しい視野をお持ちになられるでしょうが、本当に大事なものーー生命、愛、本当の自分、こうしたものはいつまでも存在し続けます。死は生命に対しても愛に対しても、まったく無力なのです」
(訳者注ーー不慮の事故死をテーマとしているが、普通一般の死後の問題についてもいろいろと示唆を与えるものを含んでいる。そのすべてをここで述べる余裕はないが、一つだけ後半のところで、"霊的に危害が及ぶ心配がありません"と述べている点について注釈しておきたい。
これは裏を返して言えば霊的に危害が及ぶケースがあるということであり、ではその危害とはどんなものかということになる。これを『ベールの彼方の生活』第4巻の中の実例によって紹介しておく。
通信霊のアーネルが霊界でいつもの仕事に携わっていたとき(霊界通信を送るようになる前)あるインスピレーション的衝動に駆られて地上へ来てみると、一人の若い女性が病床で今まさに肉体から離れようとしていた。ふとわきへ目をやると、そこに人相の悪い男の霊が待ち構えている。アーネルにはその男がこの女性の生涯をダメにした(たぶん麻薬か売春の道に誘い込んだ)因縁霊であると直感し、霊界でも自分たちの仲間に引きずり込もうと企んでいることを見て取った。そこで奪い合いとなったが、幸いアーネルが勝ってその身柄を引き取ることができ、その後順調に更生して、今では明るい世界へ向上しているという。そのインスピレーションを送ったのは守護霊で、波長が高すぎてかえって地上のことには無力なために、地上的波長への切り換えに慣れているアーネルに依頼したのだった。
この実例でお分かりのように、いかなる死に方にせよ、死後無事霊界の生活に正しく順応していくことは必ずしも容易ではないのである。そこには本人自身の迷いがあり、それにつけ込んでさまざまな誘惑があり、また強情を張ったり見栄を捨てきれなかったりして、いつまでも地上的名誉心や欲望の中で暮らしている人が実に多いのである。
では、そうならないためにはどういう心掛けが大切かーーこれは今更私から言うまでもなく、それを教えるのがそもそもシルバー・バーチ霊団が地上へ降りてきた目的なのである。具体的なことはこうして霊言集をお読み頂いている方には改めて申し上げるのは控えるが、ただ私から一つだけ付け加えたいことは、あちらへ行って目覚めた時に、必ず付き添ってくれる指導霊の言うことに素直に従うことが何よりも大切だということである)
  
今回の内容にはいろいろと勉強になることが多くある。霊的知識がない人が突然に亡くなると、やはり地上に戻りたい気持ちが強くなるようだ。地上の人間と一緒にいたいという未練な気持ちがそのまま残るからだろう。残された人がこのオペロンのように、霊的に対処できればいいが、ほとんどの人は亡くなった人だけでなく、残された人も霊的知識がない人の方が多い。そういう場合は更に時間がかかるということなのだろう。霊的知識の大切さが身に沁みる。更に シルバー・バーチ霊の神様を信頼し、すべてのことはなるべくしてそうなっているのだということを知らなければいけないとのお言葉は、肝に銘じるべきであろう。
また訳者の方の『ベールの彼方の生活』の実例は実に興味深い。こんなことは、普通の人にはわからないし、わかるはずもない。だが、この実例を通して死に際も含めて迷いなどある場合、見栄や利己主義を持ち続けている場合などは、そのような悪霊に狙われるということがあるのかも知れないということを知るべきなのだ。
そうならないためにどうすればいいかは、シルバー・バーチ霊が散々説いて下さっている。兎にも角にも霊的真理を知り、理解を深めることなのだ。そして訳者の方が言われている向こうの世界へ行った時には、必ず付き添って下さるご指導霊やご守護霊の言うことを素直に従うことが大事なのだろう。
 
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂くと、有難い気持ちがこみ上げてきた。温かいオーラに包まれているようで温泉にでも浸かっているような感覚になった。時間が過ぎてからもなかなか立ち上がる気にはなれなかった。そして言葉に言い尽くせぬ想いで、静かに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

762回目の瞑想

天使
 
ある日の交霊会でシルバー・バーチ霊は招待客がいないということで、普段持て余している疑問点を聞きましょうと言われ、易しい問題はお断りで、難問を所望しましょうと言われた。易しい真理を平易に説くをことをモットーとしているシルバーバーチ霊がこの日開会と同時にこのように切り出したとのこと。早速次々と質問が出されたようだが、興味深いものを紹介している。その中から更に抜粋してみた。
 
ーーー神が完全なる存在であるならば、なぜもっと良い通信手段を用意してくれないのでしょうか。
「本日は難しい質問をお受けしますと申し上げたら本当に難しい質問をして下さいましたね。結構です。さて、私たちが使用する用語にはそれをどう定義するかという問題があることをまず知って頂かねばなりません。
おっしゃる通り神は完全 です。ですがそれは神が完全な形で顕現されているという意味ではありません。神そのものは完全です。つまりあなたの内部に種子たねとして存在する神は完全性を具えているということです。ですが、それは必ずしも物質的形態を通して完全な形で表現されてはいません。だからこそ無限の時間をかけて絶え間ない進化の過程を経なければならないのです。進化とは内部に存在する完全性という黄金の輝きを発揮させるために不純物という不完全性を除去し磨いていくことです。その進化の過程においてあなたが手にされる霊的啓示は、あなたが到達した段階(霊恪)にふさわしいものでしかありません。万一あなたの霊恪よりずっと進んだものを先取りされても、それは所詮あなたの理解を超えたものですから、何の意味もないことになります」
 
ーーーでは人間がさらに進化すれば機械的な通信手段が発明されるかも知れないわけですか。
「その問題についての私の持論はすでにご存知のはずです。私は、いかなる器機が発明されても霊媒をヌキにしては完全とはなり得ないと申し上げております。そもそも何のためにこうして霊界から通信を送るのかという、その動機を理解して頂かねばなりません。それは何よりもまず"愛"に発しているのです。肉親、知人、友人といった曽て地上で知り合った人から送られてくるものであろうと、私のように人類のためを思う先輩霊からのものであろうと、霊的メッセージを送るという行為を動機づけているものは愛なのです。
愛こそすべてのカギです。たとえ完全でなくても、何らかの交信がある方が何もないよりは大切です。なぜなら、それが愛の発現の場を提供することになるからです。しかしそれを機械によって行うとなると、どう工夫したところで、その愛の要素が除去されることになります。生き生きとした愛の温もりのある通信は得られず、ただの電話のようなものになります」
 
ーーー電話でも温かみや愛が通じ合えるのではないでしょうか。
電話機を通して得られるかも知れませんが、電話機そのものに温かみはありません」
 
ーーー大切なのはそれを通して得られるものではないでしょうか。
「この場合は違います。大切なのは霊媒という"電話機"と、メッセージを受ける人間に及ぼす影響です。それに関わる人全部の霊性を鼓舞することに意図があります」
 
ーーー霊媒もですか。
「そうです。なぜなら最終的にはいつの日か地上の人類も霊と霊とが自然な形で直接交信できるまでに霊性が発達します。それを機械を使って代用させようとすることは進化の意図に反することです。進化はあくまで霊性の発達を通して為さねばなりません。霊恪を高めることによって神性を最高に発揮するのが目的です」
 
ーーーということは、最高の(死後存続の)証拠を得たいと思えば霊性の発達した霊媒を養成しなければならないということでしょうか。
「私はいま"証拠"の問題を念頭において話しているのではありません。人類の発達ということを念頭において話しているのです。人生は螺旋状のサイクルを描きながら発達するように計画されており、その中の一つの段階において次の段階のための霊性を身につけ、その積み重ねが延々と続けられるのです。お分かりでしょうか」
ーーーはい、分かります。
(長くなったので、続きは明日記載する)
 
今回の内容は最初の質問がある霊媒による交霊会が失敗した話を持ち出したことで、霊媒の力が十分でなかったことをシルバー・バーチ霊が指摘している。霊媒自身の潜在意識の影響は少なからず通信にはあると言われ、生身の人間を道具としている以上は仕方ないと言われている。そのことからもっと良い通信手段はないかとの質問になったようだ。だが、人間の究極な目的は霊的進化にあり、その中での霊界からの通信の動機は愛ゆえだと言われている。愛こそすべてのカギだと言われているのだ。だが、私はこの質問者と同じような疑問が湧いていた。電話機のように機械であっても、それを通して、愛が得られればいいのではないかと。けれど電話機の役割を持つ霊媒自身も霊性を鼓舞できるようにならなければいけないと。そして未来には地上の人類も霊と霊とが自然な形で直接交信できるまでに霊性が発達すると言われているのだ。何と素晴らしいことだろう。そんな日が来るのであれば、それこそ理想の交信の姿なのだと思う。また、この部分は心に響いたお言葉だ。「機械を使って代用させようとすることは進化の意図に反することです。進化はあくまで霊性の発達を通して為さねばなりません。霊恪を高めることによって神性を最高に発揮するのが目的です」とある。今回は質問者の方に感謝したい。そしてそのお答えをして下さったシルバー・バーチ霊に心から感謝の気持ちでいっぱいになったのだ。本当に有難い気持ちで心が晴れやかになっていた。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に意識し、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。大半はここ数日の感じと一緒で心地良い状態が続いていた。最後の最後で映像が出現し、天からたくさんの十字の光りが地上に舞い降りるという光景を見せて頂いた。素晴らしかった。これが実現される日が来るのであれば、きっとこの世は変わることになるのだと思う。早くそんな日が来ていほしいと切に願う思いだった。そんな気持ちも託しながら神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

763回目の瞑想

天使
 
「最高の成果を得るためには顕幽界の間にお互いに引き合うものがなければなりません。その最高のものが愛の力なのです。両界の間の障害が取り除かれていきつつある理由は、その愛と愛との呼びかけ合いがあるからです」
 
ーーー霊媒の仕事が金銭的になりすぎるとうまく行かないのはそのためでしょうか。
「その通りです。霊媒は止むに止まれぬ献身的精神 に燃えなければなりません。その願望そのものが霊恪を高めていくのです。それが何よりも大切です。なぜなら、人類が絶え間なく霊性を高めて行かなかったら、結果は恐ろしいことになるからです。霊がメッセージを携えて地上へ戻ってくるそもそもの目的は人間の霊性を鼓舞するためであり、潜在する霊的才能を開発して霊的存在としての目的を成就させるためです」
 
ーーー他界した肉親が地上へ戻ってくるーー例えば父親が息子の元へ戻って来る場合、その根本にあるのは戻りたいという一念でしょうか。それとも今おっしゃった目的で霊媒を通じてメッセージを送りたいからでしょうか。
「戻りたい一念からです。ですが一体なぜ戻りたいと思うのでしょう。その願望は愛に根ざしています。父親には息子への愛があり、息子には父親への愛があります。その愛があればこそ父親はあらゆる障害を克服して戻ってくるのです。困難を克服して愛の力を証明し、愛は死を超えて存続していることを示すことによって息子は、父親の他界という不幸を通じて魂が目を覚まし霊的自我を見出します。かくして、単なる慰めのつもりで始まったことが霊的発達のスタートという形で終わることになります」
 
ーーーなるほど、そういうことですか。言いかえれば神は進化の計画のためにありとあらゆる体験を活用するということですね?
「人生の究極の目的は、地上も死後も、霊性を開発することにあります。物質界に誕生するのもそのためです。その目的に適った地上生活を送れば霊は然るべき発達を遂げ、次の生活の場に正しく適応できる霊性を身につけた時点で死を迎えます。そのように計画されているのです。こちらへ来てからも同じ過程が続き、その都度古い身体から脱皮して霊妙さを増し、内部に宿る霊の潜在的な完全さに近づいてまいります」
 
ーーー人間の身体を見てもその人の送っている邪悪な生活が反映している人をよく見かけます。
「当然そうなります。心に思うままがその人となります。その人の為すことがその人の本性に反映します。死後のいかなる界層においても同じことです。身体は精神の召使いではなかったでしょうか。はじめは精神によってこしらえられたのではなかったでしょうか」
 
ーーー霊界の視点からすれば心で犯す罪は行為で犯す罪と同じでしょうか。
「それは一概にはお答えできません。霊界の視点から、とおっしゃるのは進化した霊の目から見てという意味でしょうか」
 
ーーーそうです。ある一つの考えを心に抱いた時、それは実行に移したのと同じ罪悪性をもつものでしょうか。
「とても難しい問題です。何か具体的な例を挙げて頂かないと、一般論としてお答えできる性質のものではありません」
(続きは明日記載する)
  
今回の質疑の内容もとても興味深い。このようなことを知っているのと知らないのでは雲泥の差があると思う。霊界もこの世も愛なくしては何も成し得ない。そのことはシルバー・バーチ霊が何度も説いて下さっている大事なことだ。また霊媒に関することは、本物の霊媒を知ることができれば騙されることはないのだ。金銭を多額に要求するような霊媒は、間違いなく本物ではないとシルバー・バーチ霊のお答えでわかる。止むに止まれぬ献身的精神、これがなければ霊媒としての資格はないということなのだと思う。ただやはり、騙す方についてはもってのほかだが、騙される方にも問題があると私は思っている。騙される前に自分でやはりいろいろと調べ、本物の霊能者とはどういう人なのかを知るべきなのである。
他界した肉親が戻ってくる例は我が家とは反対だが、全く同じことだ。息子があらゆる障害を克服して私達夫婦の元へ来て、メッセージを携えて来てくれたことに感謝しかない。そして私は魂の目を覚ましてもらえたと思っている。まだまだ精進が足りないとは思うが、今までの人生とは違った生き方をしているとの実感はある。すべては息子のおかげだと思っている。
シルバー・バーチ霊は最も肝心なことを教えて下さっている。人生の究極の目的は、地上も死後も、霊性を開発することにあると。そのための地上への誕生であり、体験なのだ。そしてその目的に適った地上生活を送くり、霊が然るべき発達を遂げて、次の生活(霊界)の場に正しく適応できる霊性を身につけた時点で死を迎えると言われている。それは霊界へいってからも同じことの繰り返しだと言われ、そのように計画されているのだと言われているのだ。この人生の究極の目的を知らずして、この世をどのように生きるというのだろう。知らなければ意味のない人生になってしまうのではないだろうか。だからこそ、多くの方に知って貰わなければいけないのだと思う。シルバー・バーチ霊の言われる霊的真理の普及の大切さを実感する。霊的真理を知ることができれば、邪悪な生活をする人もかなり減ることになるだろう。この質問者のように邪悪な生活をしている人は一見するだけでわかる。それまで正しいことをしていた人は人相まで変わってしまうのだ。その人の本性がそのまま出てしまっているからなのだ。次の質問は心で犯す罪と行為で犯す罪だ。これまた興味深い質問だと思う。具体的な例をあげた質疑はまた明日記載するつもりだ。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に集中していき、そのまま静かに神様に簡単なお祈りをさせて頂く。意識はあるようなないようなそんな感じの中で、慈悲の女神様にでもなったような心持ちになる。柔らかい表情を感じ、柔和な心、優しい心、そんなオーラで包まれてしまったようだった。瞑想時の短時間だがその醍醐味を毎日感じさせてもらえることにただただ有難い気持ちでいっぱいだった。そのまままた静かに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

764回目の瞑想

天使
 
ーーーたとえば誰かを殺してやりたいと思った場合です。
「それはその動機が問題です。いかなる問題を考察するに際しても、真っ先に考慮すべきことは、"それは霊にとっていかなる影響を持つか"ということです。ですから、この際も"殺したいという考えを抱くに至った動機ないしは魂胆は何か"ということです。
さて、この問題には当人の気質が大きく関わっております。と申しますのは、人をやっつけてやりたいとは思っても手を出すのは怖いという人がいます。本当に実行するまでに至らないーーいわば臆病なのです。心ではそう思っても実際の行為には至らないというタイプです。そこで、殺してやりたいと心で思ったら実際に殺したのと同じかという質問ですが、もちろんそれは違います。実際に殺せばその霊を肉体から離してしまうことになりますが、心に抱いただけではそういうことにならないからです。その視点からすれば、心に思うことと実際の行為とは罪悪性が異なります。
しかし、それを精神的次元で捉えた場合、嫉妬心、貪欲、恨み、憎しみといった邪念は身体的行為よりも大きな悪影響を及ぼします。思い切り人をぶん殴ることによって相手に与える身体的な痛みよりも、その行為に至らせた邪念が当人の霊と精神に及ぼす悪影響の方がはるかに強烈です。このように、この種の問題は事情によって答えが異なります」
 
ーーー誰かを殺してやりたいと思うだけなら、実際の殺人行為ほどの罪悪はないとおっしゃいました。でもその念を抱いた当人にとっては殺人行為以上に実害がある場合があり得ませんか。
「あり得ます。これもまた、場合によりけりです。その邪念の強さが問題になるからです。忘れないでいただきたいのは、根本において支配しているのは因果律だということです。地上における身体的行為が結果を生むのと同じように、精神的及び霊的次元においてそれなりの結果を生むように仕組まれた自然の摂理のことです。邪念を抱いた人が自分の精神または霊に及ぼしている影響は、あなた方には見えません」
 
ーーー誰かを、あるいは何かを憎むということは許されるのでしょうか。あなたは誰かを、あるいは何かを憎むということがありますか。
「後のご質問は答えが簡単です。私は誰も憎みません。憎むことができないのです。なぜなら私は神の子のすべてに神性を認めるからです。そしてその神性が全く発揮できずにいる人、あるいはほんのわずかしか発揮できずにいる人をみて、いつも気の毒に思うからです。ですが、許せない制度や強欲に対しては憎しみを抱くことはあります。残虐行為を見て怒りを覚えることはあります。強欲、悪意、権勢欲等が生み出すものに対して怒りを覚えます。それに伴って、さまざまな思いーーあまり褒められない想念を抱くことはあります。でも忘れないでください。私もまだ極めて人間味を具えた存在です。誰に対しても絶対に人間的感情を抱かないというところまでは進化しておりません」
 
ーーーいけないと知りつつも感情的になることがありますか。
「ありますとも」
(更に続く)
   
今回の質疑は具体的なだけにとてもわかりやすい。質問に対して、シルバー・バーチ霊は心に思うことと実際の行為とは罪悪性が異なると言われている。これは普通に推測できることだ。だが、精神的次元で捉えた場合、嫉妬心、貪欲、恨み、憎しみといった邪念は身体的行為よりも大きな悪影響を及ぼすと言われている。呪い殺すという場合もあるので、確かに邪念とは念だが恐ろしいものだ。また「邪念を抱いた人が自分の精神または霊に及ぼしている影響は、あなた方には見えません」とある。これもかなり怖いことではないかと思う。邪念を抱いただけでは何も起こらないと普通は思っているが、実は自分の精神や霊にも及ぼしている影響があるのに見えていないということは、霊界へ行ってから、そのことがわかって後悔することになるからだ。それがどれだけ辛くて苦しむことになるのかを考えたら、邪念を抱くことさえいけないことなのだとわかる。
亡くなった母も常々、相手を呪えば、回り回って自分に返ってくると言っていた。人を呪わば穴二つという諺通りだ。
ただ今回の救いは高級霊であるシルバー・バーチ霊でさえ、許せない制度や強欲に対しては憎しみを抱くことがあり、残虐行為を見て怒りを覚えることはあると言われていることだ。更に強欲、悪意、権勢欲等が生み出すものに対しての怒りも覚えると言われている。このお言葉に私達人間が怒りや憎しみの感情があるのは当然だと安堵した次第である。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に集中する。神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。その後は意識があるようなないようなだったが、いきなり画面の下方から突き上げてくるように、円形状した眩しいくらいの光りが出現し、消えてはすぐまた下から出て来る。何度も繰り返されて回を追う毎にその円の光りはどんどん大きくなっていき、眼前いっぱいにまでなっていた。しかもその光りの円の中に更に十字型の小さな光りがたくさん散りばめられているのだ。その素晴らしい光景はしばらく続いた。そして光りの出現前に戻り、一旦目の前は暗くなる。すると今度は真っ黒な背景にフワフワした綿菓子のような光りが雲のような感じで出ては消え、消えては出てを繰り返すのだ。しばらく見入っていたが、それは間もなく終わった。その直後に「感じられないことであっても、実際に起きていることはある」との言葉が浮かんだ。どういう意味かよく分からなかったが、私は霊界での出来事を感じることができなくても実際に起きている場合があるということのように思ったが、何が実際に起きているのか一番重要な手掛かりの言葉がない。いつか分かる日がくるのだろうか。(とりあえず記しておく)そして最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

765回目の瞑想

天使
 
別のメンバーが"憎むということは別の問題で、これは恐ろしい行為です"と言うと、さきのメンバーが"人を平気で不幸にする邪悪な人間がいますが、私はそういう人間にはどうしても憎しみを抱きます"と言う。するとシルバー・バーチがーー
「私は憎しみを抱くことはできません。摂理を知っているからです。神は絶対にごまかせないことを知っているからです。誰が何をしようと、その代償はそちらにいる間か、こちらへ来てから支払わされます。いかなる行為、いかなる言葉、いかなる思念も、それが生み出す結果に対してその人が責任を負うことになっており、絶対に免れることはできません。ですから、いかにみすぼらしくても、卑しくても、神の衣をまとっている同胞を憎むということは私にはできません。ですが、不正行為そのものは憎みます」
 
ーーーでも実業界には腹黒い人間が沢山います。
「でしたら、その人たちのことを哀れんであげることです」
 
ーーー私はそこまで立派にはなれません。私は憎みます。
 
別のメンバーが"私はそれほどの体験はないのですが、動物の虐待を見ると腹が立ちます"と言うとシルバー・バーチがーー
「そういう行為を平気でする人は自らの進化の低さの犠牲者であり、道を見失える哀れな盲目者なのです。悲しむべきことです」
 
さきのメンバーが"そういう連中の大半は高い知性と頭脳の持ち主です。才能のない人間を食いものにしています。それで私は憎むのです"と言う。(この人は"腹黒い"実業家を念頭において述べているーー訳者)
「そういう人は必ず罰を受けるのです。いつかは自分で自分を罰する時がくるのです。あなたと私の違いは、あなたは物質の目で眺め、私は霊の目で眺めている点です。私の目には、いずれ彼らが何世紀もの永い年月に渡って受ける苦しみが見えるのです。暗黒の中で悶え苦しむのです。その中で味わう悔恨の念そのものがその人の悪業にふさわしい罪なのです」
 
ーーーでも、いま現実に他人に大きな苦しみをもたらしております。
「では一体どうあってほしいとおっしゃるのでしょう。人間から自由意志を奪い去り、操り人形にしてしまえばよいのでしょうか。自由意志という有難いものがあればこそ、努力によって荘厳な世界へ向上することもできれば道を間違えて奈落の底に落ちることもあり得るのが道理です」
 
今回の内容にある憎しみについては、憎む本人もとても辛いのではないかと思う。私自身は人を憎んだことはない。シルバー・バーチ霊のように霊の目で見ているわけではなく、物質の目で見ているが憎まなければならないほどの相手には出会ったことがないということなのだろう。シルバー・バーチ霊のように、霊の目で見れたらとも思う。今回の質問の腹黒い人間は現在にも実業界だけでなく多くいると思う。けれどシルバー・バーチ霊は哀れんであげることだと言われている。なぜなら、いずれ彼らが何世紀もの永い年月に渡って受ける苦しみが見えるからで、暗黒の中で悶え苦しむのだそうだ。確かにそれが見えるならば哀れむ気持ちになるのかも知れない。だが、質問者のように、今現在のうのうと弱者を大きな苦しみに遭わせて平気でいる人を見れば、今この場で何とかできないものかと思ってしまうのも当然のように思う。それに対してのシルバー・バーチ霊のお答えは、人間には自由意志があり、操り人形ではないと言われる。その自由意志があるからこそ、上の世界にも行けると言われているのだ。間違ったことをした人は同じく下の世界へと落ちて行く。それが因果律であり、神様の摂理だと言われているのだ。要するに悪業のできる人間とは霊的なことを知らず、この世のみ欲望のままに生きればいいと思っているからできることなのだろう。やはり悲しむべき人ということなのだ。そのように思える人間になれるよう努力したいと思う。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に意識していくと、どんどんと深く入っていく。曲の音も聴こえず、気がつくと曲は終わっていた。あっという間に終わってしまったようにとても短い時間に感じた。ただ充足感だけはなぜかあった。知らぬ間に心を浄化して頂けたような思いになり、感謝の気持ちがこみ上げて来た。そのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

740回目の瞑想

天使
 
ここでメンバーの一人が、不治の病に苦しむ人がまわりの人たちへ迷惑かけたくないとの考えから自殺した例をあげた。するとシルバーバーチはーー
「そうです。愛する妻に自由を与えてやりたいと思ったのかも知れません。"自分がいなくなれば妻が昼も夜もない看病から解放されるだろう"ーーそう思ったかも知れません。その考えは間違いでした。真の愛はそれを重荷と思うようなものではないはずです。ですが、その動機は誠実です。心がひがんでいたのかも知れません。しかし、一生懸命彼なりに考えた挙げ句に、そうすることが妻への思いやりだと思って実行したことであって、けっして弱虫だったのではありません」
 
では最後に"戦うことは正しいことだと思いますか"という質問に対するシルバーバーチの答えを紹介しておこう。これは大戦が勃発する前のことであるが、その主張するところは勃発後と変わるところはない。これを"矛盾"と受けとめるかどうかーーそれは読者ご自身が全知識、全知性、全叡智を総動員して判断していただきたい。
「私は常々たった一つのことをお教えしております。動機は何かということが一番大切だということです。そうすることが誰かのためになるのであれば、いかなる分野であろうと、良心が正しいと命じるままに実行なさることです。私個人の気持ちとしては生命を奪い合う行為はあって欲しくないと思います。生命は神のものだからです。しかし同時に私は、強い意志をもった人間を弱虫にするようなこと、勇気ある人間を卑劣な人間にするようなことは申し上げたくありません。すべからく自分の魂の中の最高の声に従って行動なさればよいのです。ただし、殺し合うことが唯一の解決手段ではないことを忘れないでください」(最後にとあるが、もう一つ質疑応答がある。長いので明日記載する)
 
今回の 内容もやはり、動機が一番大切だということが書かれている。妻のために自殺した人のことも、その考えは間違っているとしつつも、容認されている。また看護について、真の愛は重荷に思うようなものではないはずだと言われている。そうなのだろうとは思うが、やはり実際に体験した人の苦労は並大抵なことではない。それがまた過酷な試練ということなのだとは思うが、乗り越えるのは至難の業だと思う。
戦うことの是非についてのシルバー・バーチ霊のお答えに矛盾は感じない。戦争自体に関しては、人間が犯した罪であり、責任は戦争を始めた人間にあるとしている。だが、戦いだけではなく、どんな分野においても良心が正しいと思ったら命じるままに実行すればよいと言われている。それが前にも述べられたように、国のため、人の為と真剣に思う心があればこそ、人を殺めたとしても霊界側では咎め立てする者はいないと言われていた。ということは行動そのものよりも、やはりその時の心のあり方ということになる。それがすべてを采配してしまうということなのだ。だからといって、上辺で人の為と偽ったとしたら、それは実は自分のための隠れ蓑だいうことが、その化けの皮は簡単に剥がれてしまう。霊界側はすべてお見通しなのだから。その心のあり方想いには真摯な内から溢れ出る想いでなければ意味がない、ということなのだ。自分自身を偽ることなく、内なる声に耳を澄ませて生きて行きたいと強く思った次第である。
  
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸を整え、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。しばらくは意識があり、映像のようなものも出ていたが、はっきりと何であるかはわからなかった。そうするうちに段々と意識が薄れ、また曲が終わった直後に意識が戻った。最近、意識が遠のくことが多い。何を意味しているのかはわからないが、自然の流れに任せて行くしかないと思っている。 そのまま神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

741回目の瞑想

天使
 
ーーー例えばもし暴漢が暴れ狂って手の施しようがない時は殺すという手段もやむを得ないのではないでしょうか。
「あなた方はよく、ある事態を仮定して、もしそうなった時はどうすべきかをお尋ねになります。それに対して私がいつもお答えしていることは、人間として為すべきことをちゃんと行っていれば、そういう事態は起きなかったはずだということです。人間が従うべき理念から外れたことをしながら、それをどう思うかと問われても困るのです。私たちにできることは、真理と叡智の原則をお教えし、それに私たち自身の体験から得た知識を加味して、その原則に従ってさえいれば地上に平和と協調が訪れますと説くことだけです。流血の手段によっても一時的な解決は得られますが、永続的な平和は得られません。
血に飢えて殺人を犯す人間がいます。一方、自由のための戦いで殺人行為をする人もいます。そういう人の動機に私は異議は唱えません。どうして非難できましょう。明日の子供のために戦っている今日の英雄ではありませんか。
私にできることは真理を述べることだけです。だからこそ政治的レッテルも宗教的ラベルも付けていないのです。だからこそどこの教会にも属さず、いわゆる流派にも属さないのです。
人間は自分の良心の命じる側に立って、それなりの役目を果たすべきです。どちらの側にもーー敵にも味方にもーー立派な魂をもった人がいるものです。ですから、動機とは何かーーそれが一番大切です。こうすることが人のためになるのだと信じて行なうのであれば、それがその人にとっての正しい行為なのです。知恵が足りないこともあるでしょう。しかし、動機さえ真剣であれば、その行為が咎められることはありません。なぜなら魂にはその一番奥にある願望が刻み込まれていくものだからです。
私は常にあなた方地上の人間とは異なる規律で判断していることを忘れないでください。私たちの規準は顕と幽のあらゆる生活の側面に適用できる永遠に不変の規準です。時には悪が善を征服したかに思えることがあっても、それは一時的なものであり、最後には神の意志がすべて規制し、真の公正が行き渡ります。
その日その日の気まぐれな規準で判断しているあなた方は、その時々の、自分が一番大事だと思うものを必要以上に意識するために、判断が歪められがちです。宇宙を大いなる霊が支配していることを忘れてはなりません。その法則がこの巨大な宇宙を支えているのです。大霊は王の中の王なのです。その王が生み神性を賦与した創造物が生みの親をどう理解しようと、いつかはその意志が成就されてまいります。
地上の無益な悲劇と絶望の有様を見て私たちが何の同情も感じていないと思っていただいては困ります。今日の地上の事態を見て心を動かされなかったら、私たちはよほど浅はかな存在といえるでしょう。しかし私たちはそうした地上の日常の変転極まりないパノラマの背後に、永遠不変の原理を見ているのです。
どうか事実から勇気を得てください。そこにインスピレーションと力とを見出し、幾世紀にもわたって善意の人々が夢見てきた真理の実現のために働き続けてください。その善意の人々は刻苦勉励してあなた方の世代へ自由の松明たいまつを手渡してくれたのです。今あなた方はその松明に新たな炎を灯さなくてはならないのです」
 
今回の内容はシルバー・バーチ霊が地球に来られて、霊媒を通して私達人間に教えて下さっていることは、あくまで霊的真理なのだ。その真理を信じて、正しく行えば無益な悲劇や絶望などは起こらないということを説いておられるのだ。当時も現在もあまり変わっていないように思えてしまうが、その有様を見て心を動かされ、行動して下さっている。本当に有難い限りである。また、動機さえ真剣であれば、その行為が咎められることはないと言われている。昨日も書いたことだが、行為そのものよりも、心のあり方、これが今私達人間に課せられている重要な課題なのだと確信する。霊的真理を知り、更に深く理解し、神様の御心を顕現できるように、実践できるように、覚醒した人から実行して行きながら、普及もしていくことが何より大事なことと説かれているのだ。私も出来る限り努力して行きたいと思っている。
 
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸に集中し、神様の御心の顕現や実践ができますようにという言葉を唱えた。徐々に意識が朦朧としていく中で、別空間にいる感覚があり、何やらしていたようなのだが、意識が戻るとぼんやりとしたことだけが残っているにすぎなかった。こういう時は思い出そうとすればするほど、どんどんと消えていってしまうのだ。曲も終わったので、終了した。
明け方に見た夢はかなりインパクトがあった。瞑想中に見るお光りを起きていてちゃんと見ているという夢だった。(その時は本当に起きていると思っていた)そしてその素晴らしいお光りを見ていると今度は、いきなり言葉では到底説明できないような印象的な空間の中に瞬時に移動していたのだ。あまりの奇抜なその空間に驚いていたことだけは今も鮮明に覚えているが、今ではその奇抜だったそのものをほとんど思い出すことができない。夢にしても瞑想中のことにしても肝心なことを鮮明に覚えていないということが、何とも残念で仕方ない。何とか記憶していたいのだが、どの様にすれば良いかも今のところはわからない。確か小さな袋に大きな物を入れようとすると歪んでしまうとシルバー・バーチ霊は例えで言われていた。小さな脳には入りきらないということなのだろう。

742回目の瞑想

天使
 
ーーーこれほど多数の戦死者が続出するのを見ていると霊的知識も無意味に思えてきます。(この頃第二次世界大戦が最悪の事態に至っていたーー編者)
「死んでいく人たちのために涙を流してはいけません。死に際のショック、その後の一時的な意識の混乱はあるにしても、死後の方がラクなのです。私は決して戦争悲劇、恐怖、苦痛を軽く見くびるつもりはありませんが、地上世界から解放された人々のために涙を流すことはおやめなさい」
 
ーーーでも戦死していく者は苦痛を味わうのではないでしょうか。
「苦しむ者もいれば苦しまない者もいます。一人ひとり違います。死んでいるのに戦い続けている人がいます。自分の身の上に何が起きたかが分からなくて迷う者もいます。が、いずれも長くは続きません。いずれ永遠への道に目覚めます。むろん寿命を全うして十分な備えをした上でこちらにへ来てくれるに越したことはありません。しかし、たとえそうでなくても、肉体という牢獄に別れを告げた者のために涙を流すことはおやめになることです。その涙はあとに残された人のために取っておかれるがよろしい。こう言うと冷ややかに聞こえるかも知れませんが、とにかく死は悲劇ではありません」
 
ーーーあとに残された者にとってのみ悲劇ということですね。
「解放の門をくぐり抜けた者にとっては悲劇ではありません。私は自分が知り得たあるがままの事実を曲げるわけにはまいりません。皆さんはなぜこうも物的観点から物ごとを判断なさるのでしょう。ぜひとも"生"のあるがままの姿を知って下さるよう願わずにはおれません。いま生活しておられる地上世界を無視しなさいと申し上げているのではありません。そこで生活している限りは大切にしなくてはいけません。しかしそれは、これから先に待ち受ける生活に比べれば、ほんのひとかけらにすぎません。あなた方は霊を携えた物的身体ではありません。物的身体を携えた霊的存在なのです。ほんのひとときだけ物的世界に顕現しているにすぎません」
   
今回の内容は最後の章の「質問に答える」の抜粋である。当時は第二次世界大戦の最中であったので、大半の人は霊的なことを考える余裕などなかったように思う。またシルバー・バーチ霊が言われる死んだ人に涙を流してはいけないと言われても、感情的には無理がある。霊的知識を知っていて死後の世界があり、そこではこちらの世界よりも自由になれるとわかっていても涙は自然に流れてきてしまう。確かに残された人にとっては、悲劇なのだ。そこをどう乗り越えるかが分かれ道となるだと思う。
死後の状態は一人ひとり違うと言われている。そして戦い続けている人がいるとの言葉に、私が霊媒をしていた時にもそんな人がいたことを思い出した。物陰に隠れていて、敵と戦っていると言っていた。母が亡くなったことを話しても最初はガンとして聞き入れなかった。けれど、前にも記載したことがあったが、女の私の身体を触らせるのだ。それが一番手っ取り早い。すぐにびっくりして、聞く耳を持ってくれるのだ。今まで全く忘れていたのだが、この言葉でその時のことを思い懐かしくなってしまった。死後は自分の死を認めることが最も重要なのだ。そこからが出発点になるからだ。認めないうちはずっとその状態を保ち続けて行くしかない。ほんのひとときだけ物的世界に顕現したその状態を早く打破できるように、霊的真理を知ることの重要性を痛感する。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に意識していき、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。しばらくすると、宇宙空間に360度包まれている状態を俯瞰していたのだ。またきらめく星の美しさにも魅了されていた。その状態がかなり長く感じた。気がつくとまた曲が終わる直前だった。その後神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。
今朝もまた起きる直前に見た夢(最後の部分だけ)を今回ははっきりと覚えていた。ただその前の部分も多分あったとは思うのだが、そちらは全くわからない。覚えている箇所だけ記載してみる。それは電車なのかバスなのかわからないが、乗り物に乗っていて窓の外にいる人たちが目に入った。かなりの人数の捕虜と思われる人たちがロープにつかまって走らされている。相当な距離を走らされていると直感していた。そして一番最後に少し離れてロープにしがみついていて今にも辛そうで倒れそうになっている人と目が合った。その目は限界を超えているという感じで助けを求めているようだった。そこで私は「がんばってください!」と大きな口を開けてゆっくりと言った。するとその人の顔が急に明るく希望ある顔に変わり、頷かれ「がんばる」と口の動きでわかったのだ。そこで目が覚めた。かなりリアルな夢だったが、相手の方はお顔もはっきりと見たのだが、この世での知り合いにはいないお顔だったのだ。何とも不思議な夢だった。

743回目の瞑想 

天使
 
ーーー霊界の指導者は地上の政治組織にどの程度まで関与しているのでしょうか。
 「ご承知と思いますが、私たちは人間がとかく付けたがるラベルにはこだわりません。政党というものにも関与しません。私たちが関心を向けるのは、どうすれば人類にとってためになるかということです。私たちの目に映る地上世界は悪習と不正と既成の権力とが氾濫し、それが神の豊かな恩恵が束縛なしに自由に行き渡るのを妨げております。そこで私たちはその元凶である利己主義の勢力に立ち向かっているのです。永遠の宣戦を布告しているのです。そのための道具となる人であれば、いかなる党派の人であっても、いかなる宗派の人であっても、いかなる信仰をもった人であっても、時と場所を選ばず働きかけて、改革なり改善なり改良なりーー一語にして言えば奉仕のために活用します」
 
ーーーそれには本人の自由意志はどの程度まで関わっているのでしょうか。
「自由意志の占める要素はきわめて重大です。ただ忘れてならないのは、自由意志という用語には一つの矛盾が含まれていることです。いかなる意志でも、自らの力ではいかんともし難い環境条件、どうしても従わざるを得ないものによって支配されています。物的要素があり、各国の法律があり、宇宙の自然法則があり、それに各自の霊的進化の程度の問題があります。そうした条件を考慮しつつ私たちは、人間の進歩に役立つことなら何にでも影響力を行使します。あなた方の自由意志に干渉することは許されませんが、人生においてより良い、そして理に叶った判断をするように指導することはできます。
お話ししたことがありますように、私たちが最も辛い思いをさせられるのは、時として、苦境にある人を目の前にしながら、その苦境を乗り切ることがその人の魂の成長にとって、個性の開発にとって、霊的強化にとって薬になるとの判断から、何の手出しもせずに傍観せざるを得ないことがあることです。各自に自由意志があります。が、それをいかに行使するかは各自の精神的視野、霊的進化の程度、成長の度合いが関わってきます。私たちはそれを許される範囲内でお手伝いするということです」
 
   今回の内容もとても興味深い。霊界では地上の政治などは無関心だということだ。そんなことよりも、人のためになることに関心があると言われている。尤もなことだと思う。そしてやはり霊界側から地上世界を見た時には、悪習と不正と既成の権力とが氾濫し、その元凶である利己主義の勢力に立ち向かっているとのことだ。そのための道具となる人であれば、いかなる人をも奉仕のために活用すると言われている。現在も行われているのだろう。更に自由意志についてだが、自由意志といってもいろいろな制約に縛られていて、思うような自由意志は行使できないようだ。その中でも霊的進化の発達程度が一番問題になるのではないかと私は思う。霊界の高級霊の方々と言えども、人間の自由意志に干渉することは許されないとのこと。けれど、指導はできるようだ。だが、個人の魂の成長にとって苦境を乗り切ることが必要であれば、何も手出しは出来ずに傍観しているより他ないとのこと。それが高級霊の方々にとっても最も辛い思いだと言われている。この箇所に昨日見た夢のことを思い出した。私も乗り物から励ます言葉しかかけられないことに歯がゆい想いをしていたからだ。その人のロープを切り離して助けてあげることが出来なかったことに、後味があまり良くなかった。だが、簡単に手出ししてはいけないということを教えて頂いたのかも知れない。自由意志は自由という言葉があるが、そこには選択次第で、自ずと道が別れていいくのだ。正しい道に向かえるような選択をしたいものである。それには高級霊の方々にご指導やお手伝いをしてもらえるような人間にならなくてはいけないのだと思う。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に意識していると、どんどん深く入っていく 。ほとんど意識が朦朧としていた状態だった。そして気がつくと曲は終わっていた。そのまま終了した。
 
今朝もまた夢を見た。かなりいっぱい見たようで、ちょっとずつ断片的にいろいろと思い出すのだが、全部は繋がらない。ただはっきりと覚えていた場面がある。それはワクチン接種を主人がされそうになったその腕に、私の腕を差し出し、ワクチン接種されたのだ。そして、神様にすべてお任せしているのだから、後はどうなろうと例え死ぬことになっても構わないと心で思っていた。そこで目が覚めた。なぜこんな夢を見たのだろうかと思ったが、ただ夢の中までも神様を信じてお任せするという気持ちをもてたことに、神様を信じる気持ちだけは絶対に揺るがないという強い自信を持たせてもらえるための夢だったように思う。とても有難い気持ちになっていた。

744回目の瞑想

天使
 
 ーーー各国の指導的立場にある人々の背後でも指導霊が働いているのでしょうか。
 「むろんです。常に働いております。またその関係にも親和力の法則が働いていることも事実です。なぜかと言えば、両者の間に霊的な親近関係があれば自然発生的に援助しようとする欲求が湧いてくるものだからです。たとえば地上である種の改革事業を推進してきた政治家がその半ばで他界したとします。するとその人は自分の改革事業を引き継いでくれそうな人物に働きかけるものです。その意味では死後にもある程度まで、つまり霊の方がその段階を卒業するまでは、国家的意識というものが存続すると言えます。同じ意味で、自分は大人物であると思い込んでいる人間、大酒呑み、麻薬中毒患者なとがこちらへ来ると、地上で似たような傾向をもつ人間を通じて満足感を味わおうとするものです」
 
ーーー指導者が霊の働きかけに反応しない場合はどうなりますか。
「別にどうということはありません。但し、忘れてはならないのは、無意識の反応ーー本人はそれと気付かなくても霊界からの思念を吸収していることがあるということです。インスピレーションは必ずしも意識的なものとは限りません。むしろ、大抵の場合は本人もなぜだか分からないうちに詩とか曲とか絵画とかドラマとかエッセーとかを思いついているものです。霊の世界からのものとは信じてくれないかも知れません。が、要するにそのアイディアが実現しさえすれば、それでよいのです」
 
今回の内容も各国の指導的立場の人の背後の指導霊についての質問だ。常に働いていると言われている。そして地上で進めていた改革事業を途中で他界した場合は、後に引き継いでくれる人物に働きかけるようだ。死後の世界にいってまで、地上のことを気にするということは、ある段階を卒業するまでは、国家的意識が存続するらしい。なので、アル中の人や麻薬中毒者なども、似た波動をもつ人間に取り憑き、満足感を得ようとするものなのだ。それは霊媒をしていた時に嫌という程、感じていたので納得である。次の指導者が霊の働きかけに反応しない場合についてのシルバー・バーチ霊のお答えには、いささか疑問を感じた。それはもし、無意識にでも反応するのであれば、政治家はみな、国民のことを考えて行動するのではないかと思うからだ。霊の働きかけに反応するということは無意識にしろ意識するにしろそういうことなのだと私は思っている。だが、各国の政治家はどうだろう。本当に国民の幸せを考えて行動している政治家はどれほどいるのだろうか。そう思うと、反応していない政治家の方が多いのではないかと思ってしまう。確かに詩であるとか曲であるとか、絵画などは無意識に反応した結果なのだと思う。だが、政治家の方々にはそれを感じることはできない。もちろん、中には素晴らしい方もいらっしゃるので、一括りにはできないが。そういう方々はきっと霊の働きかけをちゃんと受けておられるのだと思う。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に意識し、深く入って行く。しばらくすると、次のような言葉が浮かぶ。「この世で我が子の死ほど辛い体験はない。それを神を信じ、乗り越えたそなたは自分自身で決めて来た魂の成長のための体験を成就したということになる。"乗り越えられない試練は与えられない"とは、自分自身が決めて来た人生なのだから、当然なのである」と。ただただそのお言葉を噛みしめていた。有難くて涙がこぼれてきた。そのお言葉に全身が包まれるような感覚になり、温かい気持ちになっていた。こんな有難いお言葉を頂けるとは思ってもいなかったので、心に沁み渡るようだった。その思いのまま神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

745回目の瞑想

天使
 
 ーーー各国にその必要性に応じた霊的計画が用意されているのでしょうか。
「すべての国にそれなりの計画が用意されています。すべての生命に計画があるからです。地上で国家的な仕事に邁進してきた人は、あなた方が死と呼ぶ過程をへてもそれをやめてしまうわけではありません。そんなことで愛国心は消えるものではありません。なぜなら愛国心は純粋な愛の表現ですから、その人の力は引き続きかつての母国のために使用されます。さらに向上すれば国家的意識ないしは国境的概念が消えて、すべては神の子という共通の霊的認識が芽生えてきます。しかし、私どもはあらゆる形で愛を有効に活用します。少なくとも一個の国家でも愛し、それに身を捧げんとする人間の方が、愛の意識が芽生えず、役に立つことを何一つしない人間よりはましです」
 
ーーー人類の福祉の促進のために霊界の科学者が地上の科学者にインスピレーションを送ることはあるのでしょうか。
「あえて断言しますが、地上世界にとっての恵み、発明・発見の類のほとんど全部が霊界に発しております。人間の精神は霊界のより大きな精神が新な恵みをもたらすために使用する受け皿のようなものです。しかしその分量にも限度があることを忘れないでください。残念ながら人間の霊的成長と理解力の不足のために、せっかくのインスピレーションが悪用されているケースが多いのです。科学的技術が建設のためでなく破壊のために使用され、人類にとっての恩恵でなくなっているのです」
 
ーーーそちらからのインスピレーションの中には悪魔的発明もあるのでしょう?
「あります。霊界は善人ばかりの世界ではありません。きわめて地上とよく似た自然な世界です。地上世界から性質(たち)の悪い人間を送り込むことをやめてくれない限り、私たちはどうしようもありません。私たちが地上の諸悪を無くそうとするのはそのためです。こちらへ来た時にちゃんと備えができているように、待ち受ける仕事にすぐ対処できるように、地上生活で個性をしっかりと築いておく必要性を説くのはそのためです」
 
  今回もいろいろな質疑応答が繰り広げられている。最初は各国にも霊的計画が用意されているのかという質問だ。シルバー・バーチ霊のお答えはそれなりの計画はあると言われている。また地上で国家的な仕事をしてきた人は死後も続けるようだ。本物の愛国心であれば、引き続きそれが母国のために使用されると言われている。確かに国を思い、国民を思う気持ちが本物であれば、その方の霊恪は高いのだと思う。また次の質問の答えは地上世界の恵みはすべて霊界から発せられていると言われている。ただ私達人間の霊的成長と理解力が不足しているために、霊界からのインスピレーションが悪用されるケースが多いとのこと。科学的技術が有効に使われるのではなく、破壊のために使用されて、人間にとっての恩恵ではなくなっていると言われている。いろいろなことでそれは実感できる。そして最後の質問の答えは衝撃的である。悪魔的発明もあると言われているのだ。それは地上世界からの悪人が幽界に多く来るからとのこと。そうならないためにも、地上にいるときに霊的真理を知り、内なる魂の声に従ってしっかりとした基盤を作ることの必要性をシルバー・バーチ霊は説いて下さっているのだ。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸を整えていき、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。しばらくすると、意識が遠のいていく。いつの間にか気がつくとやはり曲が終わる直前だった。しばらくはボーッとして おり、すぐには覚醒できないような感じだった。意識が完全に戻ったところで神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

746回目の瞑想 

天使
 
熱心なスピリチュアリストである実業家がある交霊会で質問した。
ーーー背後霊や友人(の霊)に援助を要求するのはどの程度まで許されるのでしょうか。
「生身の人間である霊媒との接触によって仕事をしている私どもは、地上生活における必要性、習慣、欲求といったものを熟知していなければなりません。物的必要性について無頓着ではいられません。現実に地上に生きている人間を扱っているからです。結局のところ霊も肉体も神の僕です。霊の宿である肉体には一定の必需品があり、一定の手入れが必要であり、宇宙という機構の中での役割を果たすための一定の義務というものがあります。肉体には太陽光線が必要であり、空気が必要であり、着るものと食べるものが要ります。それを得るためには地上世界の通貨コイン(※)であるお金が必要です。そのことはよく承知しております。しかし次のことも承知しております。(※シルバーバーチは口癖のように"奉仕は霊のコインである"と言っている。それをなぞらえているーー訳者)
霊も肉体も神の僕と申し上げましたが、両者について言えば霊が主人であり肉体はその主人に仕える僕です。それを逆に考えることは大きな間違いです。あなた方は本質的に霊なのです。それが人間が潜在的に神性を宿していると言われる所以です。つまり宇宙の大霊をミニチュアの形で宿していることになります。宇宙という大生命体を機能させている偉大な創造原理があなた方一人ひとりにも宿っているのです。意識をもった存在としての生をうけたということが、神的属性のすべてが内部に宿っていることを意味します。全生命を創造し、宇宙のありとあらゆる活動を維持せしめている力があなた方にも宿っており、その無尽蔵の貯蔵庫から必要なものを引き出すことができるのです。
そのためには平静さが必要です。いかなる事態にあっても心を常に平静に保てるようになれば、その無尽蔵のエネルギーが湧き出てきます。それは霊的なものですから、あなたが直面するいかなる困難、いかなる問題をも克服することができます。それに加えて、背後霊の愛と導きがあります。困難が生じた時は平静な受け身の心になるよう努力なさることです。そうすればあなた自身の貯蔵庫からーーまだ十分には開発されていなくてもーー必要な回答が湧き出てきます。きっと得られます。我々はみな進化の過程にある存在である以上、その時のあなたの発達程度いかんによって十分なものが得られないことがあります。が、その場合もまた慌てずに援助を待つことです。今度は背後霊が何とかしてくれます。求めるものが正しいが間違っているかは、単なる人間的用語の問題にすぎません。私たちからみて大切なのは"動機"です。いかなる要求をするにせよ、いかなる祈りをするにせよ、私たちが第一に考慮するのはその動機なのです。動機さえ真摯であれば、つまりその要求が人のために役立つことであり、理想に燃え、自分への利益を忘れた無私の行為であれば、決して無視されることはありません。それはすなわち、その人がそれまでに成就した霊恪の表れですから、祈るという行為そのものがその祈りへの回答を生み出す原理を作用させております」
 
今回のテーマは「自分の責任・他人の責任」である。実業家の質問にシルバー・バーチ霊のお答えはとてもわかりやすく、そして人間の真髄に触れている。今までも何度も言われてきたことであるが、人間は霊であり、その霊が主人であり、肉体はその僕であるということだ。このことを知らなければ先には進めないのだ。霊であるということは、神様からの神性を宿しており、その神性は無尽蔵の貯蔵庫から必要なものを引き出せると言われる。だが、そのためにはいかなる事態になろうとも平静さを保たなければいけないのだ。これが至難の業であり、簡単にはできないので右往左往しているのだ。困難が生じた時には平静な受け身の心になるように努力しなさいと言われている。そうすれば、背後霊の愛と導きもあるということなのだ。そしてシルバー・バーチ霊がいつも言われている「人のために役立つこと、そして自分への利益は考えずに無私の行為であること」これが大前提なのだ。そのような真摯な動機がいかに大切かということだ。それができる人というのは、それまでに成就した霊格の表れだと言われ、祈る行為そのものが、すでにその祈りの回答を生み出す原理を作用させていると言われている。なんと素晴らしいことなのだろう。そうなれるように努力して行きたい、と強く思う。
  
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸を整えいき、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして知り合いの方のお祈りとヒーリングをさせて頂いた。状態があまり芳しくないようなので、今回はこの方のヒーリングのみ時間をかけた。最後に神様と霊界の方々にお礼を申し述べて終了した。

747回目の瞑想

天使
 
   
メンバーの一人が、学識もあり誠実そのものの人でも取越苦労をしていることを述べるとーー
「あなたは純粋に地上的な学識と霊的知識とを混同しておられるのではないでしょうか。霊的実在についての知識の持ち主であれば、何の心配の必要もないことを悟らねばなりません。人間としての義務を誠実に果たして、しかも何の取越苦労もしないで生きて行くことは可能です。義務に無頓着であってもよろしいと言っているのではありません。かりそめにも私にはそんな教えは説きません。むしろ私は、霊的真理を知るほど人間としての責務を意識するようになることを強調しております。しかし、心配する必要などどこにもありません。霊的成長を伴わない知的発達もあります」
 
ーーーあからさまに言えば、取越苦労性の人は霊的に未熟ということでしょうか。
「その通りです。真理を悟った人間はけっして取越苦労はしません。なぜなら人生には神の計画が行き渡っていることを知っているからです。まじめで、正直で、慈悲心に富み、とても無欲の人でありながら、人生の意義と目的を悟るほどの霊的資質を身につけていない人がいます。無用の心配するということそのことが霊的成長の欠如の示標といえます。たとえ僅かでも心配の念を抱くということは、まだ魂が本当の確信を持つに至っていないことを意味するからです。もし確信があれば心配する念は出てこないでしょう。偉大なる魂は泰然自若の態度で人生に臨みます。確信があるからです。その確信は何ものによっても動揺することはありません。このことだけは絶対に譲歩するわけにはいきません。なぜなら、それが私たちの霊訓の土台であらねばならないからです」
  
今回の内容は取越苦労についてである。学識があろうがなかろうが、取越苦労する人は霊的に未熟だと言われている。シルバー・バーチ霊は前から心配や不安こそが敵だと言われていた。霊的知識があり、真理を悟った人は決して取越苦労はしないと断言されているのだ。無用の心配をすることそのことが霊的成長の欠如だとも言われている。その通りなのだと思う。けれど、それだけの確信を持つことができる人はどれほどいるのであろうか。たとえ霊的真理を知ってはいても、確固たる確信を持つに至っている人はかなり少ないのではないかと思う。私自身も神様を信じているというその心が揺らぐことはないが、まだまだいろいろなことに多少なりとも不安に思うことはある。精進が足りないということなのだろう。今回のシルバー・バーチ霊のお言葉を励みに、取越苦労を一切しない人間になるように頑張りたいと思う。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に集中していき、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。また今日も引き続きお祈りとヒーリングを昨日の方にさせて頂いた。少しでも改善されることを願っている。最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

748回目の瞑想

天使
 
ーーーたとえば五十人の部下がいて、その部下たちが良からぬことをしたとします。その場合は気苦労のタネになってもやむを得ないように思いますが・・・
「責任は個々において背負うというのが摂理です。摂理のもとにおいては。あなたは他人の行為に責任を負うことはありません」
 
ーーー文明社会においては責任を負わざるを得ないことがあるでしょう?
「文明は必ずしも摂理に適ったものではありません。摂理は完全です。機能を中止することはありません。的確さを欠くこともありません。間違いを犯すこともありません。あなたには自分のすること、自分の言うこと、自分の考えることに責任があります。あなたの成長の示標が魂に刻まれているからです。従って他人の魂のすることに責任を負うことはできません。それが摂理です。もしそうでなかったら公正の神の絶対性を欠くことになります」
 
ーーーもし私がある人をそそのかし、その人が意志が弱くてそれを実行した場合、それでも私には責任はないでしょうか。
「その場合はあります。他人をそそのかして悪いことをさせた責任があります。それはあなたの責任です。一種の連鎖反応を起こさせたことになります。何ごとも動機が第一に考慮されます。私は決して自分以外のことに無頓着になれと言っているのではありません。やってしまったことはやってしまったことーー自分が責を負うしかないと深く認めるようになるものなのです。一旦その段階まで到達すれば、何ごとにつけ自分にできる範囲で最善を尽くし、これでよいという確信をもつようになります」
 
ーーー自分で理解している限りの摂理に従っておればのことですか。
「いいえ、(摂理をどう理解しているかに関係なく)原因と結果の法則は容赦なく展開していきます。その因果関係に干渉出来る人はいません。その絶対的法則と相容れないことが起きるかのように説く教説、教理、教訓は間違っております。原因と結果の間にはいかなる調停も許されません。あなた自身の責任を他人の肩に背負わせる手段はありませんし、他人の責任があなたの肩に背負わされることもあり得ません。各自が各自の人生の重荷を背負わねばなりません。そうあってはじめて正直であり、道徳的であり、倫理的であり、公正であると言えます。それ以外の説はすべて卑劣であり、臆病であり、非道徳的であり、不公平です。摂理は完璧なのです」
  
今回の内容は今まで行われてきた職域接種にも言えることだと思う。企業のトップが半強制的に接種させることは、そのトップにもやはり責任あるということ。動機が第一に考慮されると言われているが、部下を思ってのことであるかどうかだ。真剣に接種することで部下の身を守ると思ってのことならば、責任は問われないのかも知れないが、今となってはリスクしかない接種を半強制的にすることは、政府に忖度しているとしか思えなく、真剣に部下の身を守ろうとしているとは到底思えない。だが、個々において接種する場合は、その個々に責任がある。だが、今回の場合はどうだろう。政府も厚労省もメディアもこぞって推進しまくっている。TVや新聞しか見ない人にとっては、その報道を信じて接種しているということになるのだ。となると、政府や厚労省やメディアの責任が一番重く問われることになる。だが、接種して亡くなった方、そして重篤な後遺症を抱えてしまった方は否応なく、苦しい状態にある。亡くなることの方がまだいいと私は思う。だが、一生治らない後遺症を抱えて生きて行かなければならない人のことを思うと、心が痛い。シルバー・バーチ霊は摂理をどう理解しているかに関係なく、原因と結果の法則は容赦なく展開すると言われている。だからこそ、自分のすること、自分の言うこと、自分の考えることに責任をもって生きて行かなければいけないのだ。他人の意見に左右されることなく、自分が正しいと心から思えることを実行していくべきなのである。後で後悔しないためにも、とことん吟味して欲しい。
 
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸に集中し、神様に簡単なお祈りをさせて頂くと、感謝の想いで胸がいっぱいになり、こみ上げて来る感情を抑えることができないくらいだった。それは今朝見た夢にも関連していた。実はその夢とは、ある部屋の一部にすぐには手が届きそうもないが、全体を見渡せる空間があった。そしてそこにはいろいろなものが山積みされていたのだ。だがその瞬間にもうその場所にいて、山積みされているものを見てみると、過去に使ったものなど思い出の品々だったのだ。そして更に1枚の写真があり、そこには数人の人が映っていたのだが、はっきりと顔がわからないのに、誰だか夢の中ではわかっていた。そこには亡くなった人もいて、懐かしいような感謝の気持ちで胸がいっぱいになったのだ。そこで夢から覚めたのだが、瞑想しているときに、その写真のことが思い出されると、感謝の気持ちで心身共に膨らむような感覚になり、涙が止めどなくこぼれてきた。もう感謝の気持ちしかなかった。心も身体もすべてが感謝だったと感じ、過去にも現在にも有難い気持ちでいっぱいになっていた。そしてその時にその写真には霊界のご守護霊様やご指導霊の方々も映っておられたのではないかと思ったのだ。これだけの想いになることは初めての体験だった。そしてヒーリングをさせて頂く機会を設けて下さることにも感謝し、昨日の方にまたお祈りとヒーリングもさせて頂いた。その後、お言葉が浮かぶ。「感謝する心は大事ぞ。常に忘るべからず。胸いっぱいに感謝の心を持ち続けよ」と。言葉には言い尽くせない想いで、何度も神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

749回目の瞑想

天使
 
ーーー広い意味において人間は他のすべての人に対して責任があるのではないでしょうか。世の中を住み良くしようとするのはみんなの責任だからです。
「おっしゃる通りです。その意味においてはみんなに責任があります。同胞としてお互いがお互いの番人(創世記4・9)であると言えます。なぜなら人類全体は"霊の糸"によって繋がっており、それが一つに結びつけているからです。しかし責任とは本来、自分が得た知識の指し示すところに従って人のために援助し、自分を役立て、協力し合うということです。しかるに知識は一人ひとり異なります。従って他人が他人の知識に基づいて行ったことに自分は責任がないことになります。しかしこの世は自分一人ではありません。お互いが持ちつ持たれつの生活を営んでおります。すべての生命が混ざり合い、融合し合い、調和し合っております。そのすべてが一つの宇宙の中で生きている以上、お互いに影響を与え合っております。だからこそ知識に大きな責任が伴うのです。知っていながら罪を犯す人は、知らずに犯す人より重い責任が取らされます。その行為がいけないことであることを知っているということが罪を増幅するのです。霊的向上の道は容易ではありません。知識の受容力が増したことは、それだけ大きい責任を負う能力を身につけたことであらねばならないのです。幸と不幸、これはともに神の僕です。一方を得ずして他方を得ることはできません。高く登れば登るほど、それだけ低くまで落ちることもあるということであり、低く落ちれば落ちるほど、それだけ高く登る可能性があることを意味します。それは当然のことでしょう」
 
今回の内容は霊的真理の真髄と言われる部分ではないかと思われる。人類は霊の糸で繋がっており、それが一つに結びついていると言われ、お互いが持ちつ持たれつの生活を営み、この宇宙の中で生きている以上、お互いに影響を与え合っていると言われる。そしてそこには知識に対する大きな責任が伴うのだと、知っていて罪を犯す場合は、知らずに犯す場合とでは重い責任を取らなければいけないと言われている。知っているということで罪が増幅するのだそうだ。知識を知れば知るほど、それだけ重い責任を負うということなのだ。それをシルバー・バーチ霊は大きな責任を負う能力を身につけることになると言われている。そして、幸せも不幸せもどちらも神様の僕であると言われているのだ。その両方を体験することで、霊的真理を悟っていくということになるのだ。高く登るには、低く落ちることを経験しなければならないということであり、それは当然だと言われている。逆もまた真なりということなのだろう。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に意識していると、別空間にいるような感覚になり、深く入って行く。だが意識はあった。なので神様に簡単なお祈りをさせて頂く。またヒーリングもさせて頂いた。その間もずっと深く入っている感覚はあるのだが、曲も最後まで聴こえていた。何かを感じ取れそうで、なかなかはっきりとまではつかみ取れない。だが、日に日にその感覚は近づいているような気もしている。曲が終わったところで神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した

750回目の瞑想

天使
 
その日の交霊会には二人の息子を大戦で失った実業家夫妻が招待されていた。その二人にシルバーバーチは次のような慰めの言葉を述べた。
「霊の力に導かれた生活を送り、今こうして磁気的な通路(霊媒)によって私どもの世界とのつながりをもち、自分は常に愛によって包まれているのだという確信をもって人生を歩むことができる方をお招きすることは、私どもにとって大いに喜ばしいことです。お二人は神の恵みをふんだんに受けておられます。悲しみの中から叡智を見出されました。眠りのあとに大いになる覚醒を得られました。犠牲の炎によって鍛えられ清められて、今お二人の魂が本当に自我に目覚めておられます。
お二人は悲痛の淵まで下りられました。魂が謀反むほんさえ起こしかねない酷きびしい現実の中で人間として最大の悲しみと苦しみを味わわれました。しかし、その悲痛の淵まで下りられたからこそ喜びの絶頂まで登ることもできるのです。"ゲッセマネの園"と"変容の丘"は魂の体験という一本の棒の両端です。一方がなければ他方もあり得ません。苦難に耐える力は深遠な霊的真理を理解する力と同じものです。悲しみと喜び、闇と光、嵐と好天、こうしたものはすべて神の僕であり、その一つひとつが存在価値をもっているのです。魂が真の自我に目覚めるのは、存在の根源が束の間の存在である物的なものにあるのではなく永年に不変な霊的なものにあると悟った時です。地上的な財産にしがみつき、霊的な宝をないがしろにする者は、いずれ、この世的な財産は色褪せ錆つくものであることを思い知らされます。霊的成長による喜びこそ永遠に持続するものです。今こそあなた方お二人は真の自我に目覚められ、霊界の愛する人々とのつながりが一層緊密になっていく道にしっかりと足を踏まえられました。
ご子息が二人とも生気はつらつとして常にあなた方のお側にいることを私はから改めて断言致します。昼も夜も、一時としてお側を離れることがありません。自ら番兵のつもりでお二人を守り害が及ばないように見張っておられます。といってお二人のこれからの人生に何の困難も生じないという意味ではありません。そういうことは有り得ないことです。なぜなら人生とは絶え間ない闘争であり、障害の一つ一つを克服していく中に個性が伸び魂が進化するものだからです。いかなる困難も、いかなる苦難も、いかなる難問も、あなた方を包んでいる愛の力によって駆逐できないものはありません。それはみな影であり、それ以上のものでもその以下のものでもありません。訪れては去って行く影にすぎません。悲劇と悲しみをもたらしたのはすべて、あなたの元を通り過ぎていきました。前途に横たわっているのは豊かな霊的冒険です。あなた方の魂を豊かにし、いま学びつつある永遠の実在に一段と近づけてくれるところの、驚異に満ちた精神的探検です。
お二人がこれまで手を取り合って生きて来られたのも、一つの計画、悲しみが訪れてはじめて作動する計画を成就するためです。そうした営みの中でお二人は悲しみというものが仮面を被った霊的喜悦の使者であることを悟る計画があったのです。悲しみは仮面です。本当の中身は喜びです。仮面を外せば喜びが姿を見せます。どうかお二人の生活を美しさと知識、魂の豊かさで満たしてください。魂を本来の豊かさの存在する高所まで舞い上がらせてください。そこにおいて本来の温ぬくもりと美しさと光沢を発揮されることでしょう。魂が本来の自我を見出した時には、神の御心と一体であることをしみじみと味わい不動の確信に満たされるものです。
私たちの述べることの中にもしもあなた方の理性に反すること、叡智と相容れないように思えることがあれば、どうか受け取ることを拒否なさってください。良心の命令に背いてはいけません。自由意志を放棄なさってはいけません。私どもは何一つ押しつけるつもりはありません。強要するものは何一つありません。私たちが求めるものは協調です。ご自分で判断されて、こうすることが正しくかつ当然であるという認識のもとに、そちらから手を差しのべて協力して下さることを望みます。理性をお使いになったからといって少しも不快には思いません。私どもの述べたことに疑問をもたれたからといって、いささかも不愉快には思いません。その挙げ句に魂の属性である知性と理性とがどうしても納得しないということであれば、それは私たちはあなた方の指導霊としては不適格であるということです。
私は決して盲目の信仰、無言の服従は強要致しません。それが神が自分に要求しておられることであることを得心するがゆえに、必要とあらば喜んで身を捧げる用意のある、そういう協力者であってくれることを望みます。それを理想とする限り、私たちの仕事に挫折はありません。ともに神の使いとして手に手を取り合って進み、神の御心を日頃の生活の中で体現し、我々の援助を必要とする人、それを受け入れる用意のある人に手を差しのべることができるのです」
   
今回の内容は魂に響くようだった。正に私が体験したことそのことの答えのように感じた。またいろいろな気づきも与えて頂けたように思う。悲しみと喜びは魂の体験という一本の棒の両端で、一方がなければ他方もあり得ないことであり、苦難に耐える力は深遠な霊的真理を理解する力と同じものだということ。息子に守られているからといって、これからの人生に何の困難も生じないという意味ではないということ。なぜなら人生とは絶え間ない闘争であり、障害の一つ一つを克服していく中に個性が伸び魂が進化するものだからであり、いかなる困難も、いかなる苦難も、いかなる難問も、私たちを包んでいる愛の力によって駆逐できないものはないということ。しかもそれはみな影だと言われている。すべて有難いお言葉で心に響く。だがひとつだけまだ理解できないことは、最大な悲しみを体験することは、悲しみというものが仮面を被った霊的喜悦の使者であることを悟る計画であると言われ、悲しみは仮面であり、本当の中身は喜びだということを悟ることだと言われているのだ。そして仮面を外せば喜びが姿を見せると言われている。私にはまだまだ悲しみが仮面であり、本当の中身は喜びだということを悟るまでには至っていない。精進が足りないのだろう。ただ、悲痛の淵まで下りたからこそ喜びの絶頂まで登ることもできるという、そのお言葉には納得することができる。また昨日のお言葉にもあるように、高く登るには、低く落ちることを経験しなければならないということも然り。それと同じ意味ということなのだろうか。本当の意味でいつか悲しみの中身は喜びであるということを体感できる日が来ることを願っている。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に集中していくと、深く入って行くような感覚になる。すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして続けてヒーリングもさせて頂いた。その後はどんどんと意識が薄れ、やはりいつの間にか曲が終わる直前になっていた。曲の終わりと共に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

751回目の瞑想

天使
 
ーーー国家が、そして人類全体が原爆の恐怖に対処するにはどうすればよいでしょうか。
「問題のそもそもの根元は人間生活が霊的法則によって支配されずに、明日への不安と貪欲、妬ねたみと利己主義と権勢欲によって支配されていることにあります。残念ながらお互いに扶たすけ合い協調と平和の中に暮らしたいという願望は見られず、我が国家を他国より優位に立たせ、他の階層の者を犠牲にしてでも我が階層を豊かにしようとする願望が支配しております。すべての制度が相も変わらず唯物主義の哲学を土台としております。唯物主義という言葉は今日ではかなり影をひそめてきているかも知れませんが、実質的には同じです。誰が何と言おうとこの世はやはりカネと地位と人種が物を言うのだと考えています。そしてそれを土台としてすべての制度をこしらえようとします。永遠の実在が無視されております。人生のすべてを目で見、耳で聞き、手で触れ、舌で味わえる範囲の、つまりたった五つの感覚で得られるほんの僅かな体験でもって判断しようとしています。しかし生命は物質を超えたものであり、人間は土くれやチリだkで出来ているのではありません。化学、医学、原子、こうしたもので理解しようとしても無駄です。生命の謎は化学の実験室での中で解かれる性質のものではありません。魂をメスで切り裂いたり化学的手段で分析したりすることはできません。いかなる物的手段によって解明しようとしても、生命を捉えることはできません。なのに物資界の大半の人間は(生命を物質と思い込んで)霊的実在から完全に切り離された生活を営んでおります。最も大切な事実、全生命の存在を可能ならしめているところの根元qお無視してかかります。
地上の全生命は"霊"であるがゆえに存在しているのです。あなたという存在は霊に依存しているのです。実在は物質の中にあるのではありません。その物的身体の中には発見できません。存在のタネは身体器官の中を探しても見つかりません。あなた方は今の時点において立派に霊的存在なのです。死んでこちらへ来てから霊的なものを身につけるのではありません。母胎に宿って瞬間からすでに霊的存在であり、どうもがいてみても、あなたを生かしてめている霊的実在から離れることはできません。地上の全生命は霊のおかげで存在しているのです。霊なしには生命は存在しません。なぜなら生命とはすなわち霊であり、霊とはすなわち生命だからです。
死人が生き返ってもなお信じようとしない人は別として、その真理を人類に説き、聞く耳をもつ者に受け入れられるように何らかの証拠を提供することが私どもの使命の大切な一環なのです。人間が本来は霊的存在であるという事実の認識が人間生活において支配的要素とならない限り、不安のタネは尽きないでしょう。今日は原爆が不安のタネですが、明日はそれよりさらに恐ろしい途方もないものとなるでしょう。(水爆、さらにはレーザー兵器のことを言っているのであろうーー訳者)が、地上の永い歴史を見れば、力による圧政はいずれ挫折することは明らかです。独裁的政治は幾度か生まれ、猛威をふるい、そして消滅していきました。独裁者が永遠に王座に君臨することは有り得ないのです。霊は絶対であり天与のものである以上、はじめは抑圧されても、いつかはその生得権を主張するようになります。魂の自由性freedom(※)を永遠に束縛することはできないのです。魂の自在性liberty(※)を永遠に拘束し続けることもできません。自由性と自在性はともに魂が決して失ってはならない大切な条件です。人間はパンのみで生きているのではありません。物的存在以上のものなのです。精神と魂ともつ霊なのです。人間的知性ではその果てを測り知ることのできない巨大な宇宙の中での千変万化の生命現象の根元的要素である霊とまったく同じ不可欠な一部なのです。(※freedomとlibertyは英語においても共通性の多い単語で、日本語訳でもその違いが曖昧であるが、私はここではfreedomとは外部からの束縛がないという意味での自由性、libertyとは内部での囚われがないと意味での自在性と解釈してそう訳したーー訳者)
以上のような真理が正しく理解されれば、すべての恐怖と不安は消滅するはずです。来る日も来る日も煩悩と恐れを抱き、明日はどうなるのだろうと不安に思いながら歩むことがなくなるでしょう。霊的な生得権を主張するようになります。なぜなら霊は自由の陽光の中で生きるべく意図されているからです。内部の霊的属性を存分に発揮すべきです。永遠なる存在である霊が拘束され閉じ込められ制約され続けることは有り得ないのです。いつかは束縛を突き破り、暗闇の中で生きることを余儀なくさせている障害のすべてを排除していきます。正しい知識が王座に君臨し無知が逃走してしまえば、もはや恐怖心に駆られることもなくなるでしょう。ですからご質問に対する答えは、とにもかくにも霊的知識を広めることです。すべての者が霊的知識を手にすれば、きっとその中から、その知識がもたらす責務を買って出る者が出てくるとことでしょう。不安のタネの尽きない世界に平和を招来するためには霊的真理、視野の転換、霊的摂理の実践において他に手段はあり得ません」
   
今回の内容はかなり長いが、重要な問題なので、すべてを記載した。この内容にはただただ納得するより他にない。今この世の生きている人間の大半が霊的なことを信じていないことがそもそもの原因なのだ。ましてや国家を司る方々が、ただ単に自分の国の利益や地位や権力に固執している人達では、戦争はなくならない。シルバー・バーチ霊が言われるように、全ての人間が霊的真理を知り、理解する以外に平和は訪れないのだと思う。原爆を抱えて、威嚇し合ってもそれが何になるというのだろう。日本は原爆でどれだけ悲惨な目にあったかわからない。私は原爆だけは人間が扱っては絶対にいけないものだと思っている。またシルバー・バーチ霊が言われる人間が本来は霊的存在であるという事実の認識が人間生活において支配的要素にならない限り、不安のタネは尽きないとあるが、今の世の中はその真っ只中にあると思う。100年くらい前から言われているのに未だに霊的存在であるということを知る人間は少ないのだ。今はまさに霊的存在であるということを知る絶好の機会なのだではないだろうか。今回この内容を記載することになったのも、偶然ではなく必須なのだと思う。とにもかくにも霊的知識を広めることだと言われている。一人でも多くの方が、霊的真理を知って頂くためにも、今後もシルバーバーチ霊のお言葉を記載して行きたいと思う。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に集中する。徐々に深くはいっていく感じになり、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた。続けてヒーリングもさせて頂く。その後は意識があるようなないようなだが、その時はあると思っていた。いきなり、目の前に手紙のようなものが映し出されだ。だが、英語な上に筆記体だったのだ。内容は全くわからなかったが、だがその時にヘレン・ケラーとなぜだか思っていた。終わってからも考えたが、なぜそのようなことが起きたのかわからなかった。少なくとも内容がわかれば何を意図して出てきたものかがわかったのだが、残念である。曲が終わったので、神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

752回目の瞑想

天使
 
シルバー・バーチ霊のお言葉
真理普及は厳粛な仕事
「ストレスと難問の尽きない時代にあっては、正しい知識を手にした者は真理の使節としての自覚をもたねばなりません。残念ながら、豊かな知識を手にし悲しみの中で大いなる慰めを得た人が、その本当の意義を取り損ねていることがあります。霊媒能力は神聖なるものです。いい加減な気持ちで携わってはならない仕事なのです。ところが不幸にして大半といってよい霊媒が自分の能力を神聖なるものと自覚せずに、苦しむ者、弱き者、困窮せる者のために営利を度外視して我が身を犠牲にするというところまで行きません。また、真理の啓示を受けた者ーー永い間取り囲まれていた暗闇を突き破って目も眩まんばかりの真理の光に照らされて目覚めたはずの人間の中にさえ、往々にして我欲が先行し滅私の観念が忘れられていくものです。まだまだ浄化が 必要です。まだまだ精進が足りません。まだまだ霊的再生が必要です。真理普及の仕事を託された者に私が申し上げたいのは、現在の我が身を振り返ってみて、果たして自分は頭初のあの純粋無垢の輝きを失いかけていないか、今一度その時の真摯なビジョンにすべてを捧げる決意を新たにする必要はないか。時の流れとともに煤すすけてきた豊かな人生観を煤払いをする必要はないか。そう反省してみることです。霊力の地上への一層の顕現の道具として、己れの全生活を捧げたいという熱誠にもう一度燃えていただきたいのです」
 
今回の内容のシルバー・バーチ霊のお言葉には、耳が痛い人が多いと思う。私もその一人だ。また霊媒というのは霊能力者のことを言われているのだと思うが、確かに高額を設定していて、それを支払えない人は相談にもいけないのだ。自分の私腹を肥やしている宗教団体も多くある。霊的能力のある人こそ、神様の僕という自覚をもって対処しなければ何のための能力なのかと思ってしまう。今回のお言葉を肝に銘じる必要があると思う。また私自身もこのお言葉を心に持ち、常に自問自答しながら、霊的真理の普及をして行きたいと強く思った次第である。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に意識していくと、こみ上げて来るものがあり、涙がこぼれる。神様に簡単なお祈りをさせて頂き、ヒーリングもさせて頂いた。ただただ人の為に尽くせる魂になりたいとの想いが心身から湧き出るように感じる。そしていつも流れている曲の旋律に細胞が活性化されるような感覚になり、その中に溶けて入って行きたくなる衝動にも駆られる。このような時にも瞑想の醍醐味を感じられるのだ。本当に有難い限りである。その時に「一縷の望みも棄てずに達成されよ」というお言葉が浮かぶ。更に有難い気持ちになり、そのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した

727回目の瞑想

天使
 
牧師ーー記録に残っていない口伝のイエスの教えが書物にされようとしていますが、どう思われますか。
「イエスの関心は自分がどんなことを述べたかといったことではありません。地上のすべての人間が神の摂理を実行してくれることです。人間は教説のことで騒ぎ立て、行いの方は疎かにしています。”福音書”なるものを講義する場に集まるのは真理に飢えた人たちばかりです。イエスが何と言ったかはどうでもよいことです。大切なのは自分自身の人生で何を実践するかです。
地上世界は教説では教えません。いくら長い説教をしても、それだけでは救えません。神の子が神の御心を鎧として暗黒と弾圧の勢力、魂を束縛するものすべてに立ち向かうことによって初めて救われるのです。その方が記録に残っていないイエスの言葉より大切です」
 
牧師ーーこの世にはなぜ多くの苦しみがあるのでしょうか。
「神の真理を悟るには苦を体験するしかないからです。苦しい体験の試練を経てはじめて人間世界を支配している摂理が理解できるのです」
 
牧師ーー苦しみを知らずにいる人が大勢いるようですが・・・
「あなたは神に仕える身です。大切なのは”霊”に関わることであり、”肉体”に関わることでないことくらい理解できなくてはいけません。霊の苦しみの方が肉体の苦しみよりも大きいものです」
  
今回の 内容も一貫したことを述べておられる。もちろん、イエス様とて同じであるに決まっている。イエス様ご自身、言われたことよりも、人間であるイエス様のされたことを、少しでも努力して近づくことを望まれているのだ。人間は確かに実行をすることよりも、教説のことばかりを重んじるように思う。けれどそれではどれだけ長い説教をしたところで救われないと言われている。また神様の御心を鎧にしてというお言葉には本当に心に響いてしまった。最強の鎧であり、この鎧を突き通せるものはないのだ。神様の御心の鎧を身につけることができたらどんなにか幸せであろうかと思う。
また、苦しみに関してだが、人間である以上肉体の苦しみというものも相当な苦しみだと思うが、肉体の苦しみ以上に霊の苦しみは更に大きいようだ。確かにそうなのだと思う。今私自身が痛切に感じていることなので、尚更実感として納得できる。だが、霊の苦しみこそ乗り越えて行かなければいけないのだと頭ではわかっている。感情がなかなかついていけないが、努力する以外にはないのだと思う。
  
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸を整えて、すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂いたのだが、私自身のある苦しみのために、なかなか集中できないでいた。するとまた電話が入り、中断させられてしまった。その後も、瞑想に集中出来ずにいたので今回は中止した。今まで順調に来ていただけに、今回は本当に自分自身の未熟さ加減に情けない思いが膨らんでしまい、なかなかそこから抜け出せないでいる。だが、こういった時こそ、乗り越えなければいけないのだと思っている。感情を抑え込むのではなく、解き放ちたいと思っているのだ。その時間が短ければ短いほど早く前向きになれるのだから。このように書きながら、自分自身を励ましているようにも思う。早く気持ちを切り替えられるよう、頑張りたい 。そしていつか神様の御心の鎧を身につけたいものである。

728回目の瞑想

天使
 
メンバーの一人が「現行制度は不公平であるように思います」と言うと
「地上での出来事はいつの日か必ず埋め合わせがあります。いつかご自分の天秤を手にされてバランスを調整する日がまいります。自分で蒔いたものを刈り取るという自然法則から逃れることはできません。罪が軽くて済んでるものがいるようにお考えのようですが、そういうことはありません。あなたには魂の豊かさを見抜く力がないからそう思えるのです。
私がいつも念頭においているのは神の法則だけです。人間の法律は念頭においていません。人間のこしらえた法律は改めなければならなくなります。変えなければならなくなります。が、神の法則は決してその必要がありません。地上には苦難がなければ 人間は正していくべきものへ注意を向けることができません。痛みや苦しみや邪悪が存在するのは、神の分霊であるところのあなた方人間がそれを克服していく方法を学ぶためです。もしもあなたがそれを怠っているとしたら、あなたをこの世に遣わした神の意図を実践していないことになります。宇宙の始まりから終わりまでを法則によって支配し続けている神を、一体あなたは何の資格をもって裁かれるのでしょう」
 
今回の内容は牧師ではなく、メンバーのお一人の質問だ。私達人間は常にこの世は不公平だと感じている。それはお金持ちと貧乏、美しい人と不美人、幸福な人と不幸な人、病気な人と健康な人などと挙げたらキリがない。シルバー・バーチ霊は地上での出来事は必ず埋め合わせがあると言われているが、そもそも私達人間は自分たちがそれぞれに蒔いたものを刈り取るためにこの世に生まれて来ているのだから、不公平と思うこと自体霊的真理に理解がないということになる。現在置かれている状況や環境はすべて因果律により、決められていることなのだ。それを如何にして克服していくかを考えることが大事なことなのだと思う。またシルバー・バーチ霊は人間の法律は念頭になく、神様の法則だけが念頭にあると言われている。私もそうありたいと強く思う。だが、この世で生きている以上、人間の法律も念頭に置かなければいけないのだ。もちろん、神様の法則に従った生き方をしていれば、人間の法律など念頭におく必要はないのだと思うが、霊的真理を知らなければ困難や苦難に出会った時に、それに負けてしまう人もいるだろう。苦しさに負けて、邪悪な道に入ってしまう人もいる。そういう人たちにいくら神様の法則を説いたところですぐには理解はできないだろうから、やはり人間の作った法律に従う他ないのだ。それは私達人間をこの世に遣わして下さった神様の意図を実践していないということになる。というこのお言葉に衝撃を受けた。私達人間は神様の意図を実践するためにこの世に生まれてきたということに感銘を受けたのだ。忘れずに常に心に留めておきたいお言葉である。
 
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸に集中し、ただただ、神様の御心の顕現や実践ができますようにという言葉を唱え続けていた。シルバー・バーチ霊が主よ主よと口にすることが信仰ではないと言われていたので、できるだけ簡単な言葉を唱えることにし、後は普通に瞑想して終了することにした。出来れば実践を重んじて行きたいと思っている。最も大事なことは実践であるからだ。だからこそ、ヒーリングも続けさせて頂く。いろいろと生きていれば苦しいこと辛いことは起きるが、それは克服していく方法を学ぶためなのだと言われている。それを心して念頭におき、精進して行きたいと今は強く思っている。

729回目の瞑想

天使
 
ーーー地上の人間にとって完璧な生活を送ることは可能でしょうか。すべての人間を愛することは可能なのでしょうか。
「それは不可能なことです。が、そう努力することはできます。努力することそのことが性格の形成に役立つのです。怒ることもなく、辛く当たることもなく、腹を立てることもないようでは、もはや人間ではないことになります。人間は霊的に成長することを目的としてこの世に生まれてくるのです。成長また成長と、いつまでたっても成長の連続です。それはこちらへ来てからも同じです」
   
今回の内容には、とても安堵することができた。もちろん、完璧な生活は無理だとは思っているが、でも何か追い詰められるような思いは持っていたので、今回のシルバー・バーチ霊のお言葉には、本当に有難い思いだった。高い目標に向かって努力していく姿勢が一番重要なのだとわかって、ホッとした。日々の生活の中では、どうしても感情にブレーキがかからない場合があり、それ自体に落ち込むこともあった。だがそれでやる気が失せてしまっては元も子もない。ある程度自分自身を許しながら、けれど高い目標に向かっての努力は忘れることなく続けて行くということを今後の指針にして行きたい。私にとって本当に心底有難いお言葉だった。魂の成長は霊界へ行ってからもなお続くと言われている。本当に先は長いのだ。焦っても無意味だということだ。ゆっくりと気長にじっくりとマイペースで頑張って行くのが一番にいいのだろう。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に意識すると、すぐに「苦しい時は苦しみ抜くこと。そして光りを見出すこと」のお言葉が浮かんだ。更にしばらくすると「心は太陽。常にきらめいていること」とのお言葉が浮かぶ。そして終わり間近に突然短い単語のようだったが、実際の声として聞こえたのだ。母の声だったようにも思うがハッキリとはわからない。思い出そうとすればするほど、消えていってしまう。今ではその声も思い出すことができない。最後に神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

730回目の瞑想 

天使
 
ーーーイエスは"天の父の完全であるごとく汝らも完全であれ”と言っておりますが、これはどう解釈すべきでしょうか。
 「ですから、完全であるように努力しなさいと言っているのです。それが地上生活で目指すべき最高の理想なのです。すなわち、内部に宿る神性を開発することです」
 
    今回の内容は前回と似たような質問だが、完全についてこの先の問答にかなり重要なことが書かれているので、足がかりとなるこの質問も一応取り上げてみた。まさに私達人間がこの世で果たすべきこととして、努力して行かなければならないということを再度説かれている。内なる魂を目覚めさせる以外に目指すものはないということだ。ただ、この世でそれを成就するということはかなり難しいということもシルバー・バーチ霊はご承知だ。だからこそ、出来る限りの努力をすることが最高の理想と言われているのだと思う。とにかく精進していくより他に方法はないのだ。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に意識していると、どんどん深く入っていくように感じる。そして、美しいきらめきの中でしばし、その美しさを堪能させてもらった。一言で美しいきらめきと言っても、その表現では全く伝わらないように思う。その素晴らしさは表現できない。星のような形やハート型した形、更には豆粒のような光りが無数に美事にきらめいていたのだ。その美しさ足るやどのように表現してみたところで、実際のきらめきを伝えることには無理がある。無数というと、うざいようにも感じるかも知れないが、それはそれは計算されたような配列でそれぞれが役目を担っているという感じだったのだ。終わってからもその余韻に浸っているうちに、曲が終わる間近になると、自然と神様と霊界の方々にお礼を述べていた。そして曲が終わると同時に目が開き、終了したのだ。今もその余韻は少ないけれど残っている。このような瞑想の醍醐味を体験させてもらえることに有難い思いで一杯になる。
話は変わるが、夜中に目が覚めたのだが、なぜかとてつもない不安感に襲われてなかなか眠ることができなかった。しばらくして呼吸に集中し、息を吸う時に神様のエネルギーが入って来ていると意識して思うようにすると、徐々にス〜っと不安な思いが消えてなくなって行くような感じになり、いつの間にか寝いっていた。こんな体験は初めてだったが、実際に体験し、益々神様を信じる気持ちが強固になる。不安や恐怖など感じた時には、今回のようにしてみようと思う。

731回目の瞑想

天使
 
 牧師ーー私がさっき引用した言葉はマタイ伝第5章の終わりに出ているのですが、普遍的な愛について述べた後でそう言っております。また”ある者は隣人を愛し、ある者は友人を愛するが、汝らは完全であれ。”神の子なればなり”とも言っております。神は全人類を愛してくださる。だから我々もすべての人間を愛すべきであるということなのですが、イエスが人間に実行不可能なことを命じるとお思いですか。
この質問にシルバーバーチは呆れたような、あるいは感心したような口調でこう述べる。
 「あなたは全世界の人間をイエスのような人物になさろうとするんですね。お聞きしますが、イエス自身、完全な生活を送ったと思いますか」
 
  牧師ーーそう思います。完全な生活を送られたと思います。
「一度も腹を立てたことがなかったとお考えですか」
 
牧師ーー当時行われていたことを不快に思われたことはあると思います。
「腹を立てたことは一度もないとお考えですか」
 
牧師ーー腹を立てることはいけないことであると言われている。それと同じ意味で腹を立てられたことはないと思います。
「そんなことを聞いているのではありません。イエスは絶対に腹を立てなかったかと聞いているのです。イエスが腹を立てたことを正当化できるかどうかを聞いているのではありません。正当化することなら、あなた方は何でもなさるんですから・・・」ここでメンバーの一人が割って入って、イエスが両替商人を教会堂から追い出した時の話を持ち出した。
「私が言いたかったのはそのことです。あの時イエスは教会堂という神聖な場所を汚す者どもに腹を立てたのです。ムチをもって追い払ったのです。それは怒りそのものでした。それが良いとか悪いとかは別の問題です。イエスは怒ったのです。怒るということは人間的感情です。私が言いたいのは、イエスも人間的感情をそなえていたということです。イエスを人間の模範として仰ぐとき、イエスもまた一個の人間であったーーただ普通の人間より神の心をより多く体現した人だった、というふうに考えることが大切です。わかりましたか」
 
牧師ーーわかりました。
「私はあなたのためを思えばこそ、こんなことを申し上げるのです。誰の手も届かないところに祭りあげたらイエス様が喜ばれると思うのは大間違いです。イエスもやはり我々と同じ人の子だったと見る方がよほど喜ばれるはずです。自分だけ超然とした位置に留まることはイエスは喜ばれません。人類とともに喜び、ともに苦しむことを望まれます。一つの生き方の手本を示しておられるのです。イエスが行ったことは誰にでもできることばかりなのです。誰もついていけないような人物だったら、せっかく地上へ降りたことが無駄だったことになります」
 
今回の内容はイエス様が完全な生活をされていたと信じる牧師に対してのシルバーバーチ霊の衝撃的なお答えが圧巻であった。また私達人間はしてしまった行動に対して正当化しようとすることもご承知のようだ。ここを読んでいて、イエス様ほどの方でも、そこまでの怒りを示されたということにやはり衝撃だった。もちろん、神様に対して汚すという行いは最も罪深いことではある。けれどイエス様はそのような人間も許すのだとばかり思っていたからだ。けれどその人間的感情を出されたことを知って、逆に親近感を覚えてしまった。シルバー・バーチ霊の言われるように、イエス様は手の届かない存在だと思っていたし、イエス様が行ったことはイエス様にしかできないことだと思っていた。だが、一つの生き方のお手本として示されていると言われる。そして誰にでもできることなのだと言われているのだ。とは言え、誰にでもできるとはやはり思えない。けれど同じ人間のお手本として、神様の御心を出来る限り体現できるようにと努力することはできる。イエス様とてこの世では完全ではなかったのだ。私達人間が完全になるわけもない。だからこそシルバー・バーチ霊の言われる「完全であるように努力しなさい。それが地上生活で目指すべき最高の理想」というこのお言葉が、光るのだ。これこそが私達人間が目標にすべきことだということを魂として実感できたのである。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に意識し、深く入って行く。だが神様に簡単なお祈りをさせて頂いていると、今まで思ってもないようないろいろなことが浮かんでは消え、消えては浮かびを繰り返す。集中しているようないないような何とも不思議な状態で時間は過ぎていった。こんなことは今までの瞑想では初めてのことだったのだ。だがすべてはお任せしているので、そのまま無理はしなかった。そしていつの間にか曲は終わり、神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

732回目の瞑想

天使
 
  牧師ーー感心できないことをしがちな強い性癖を先天的にもっている人がいるとは思われませんか。善いことをしやすい人とそうでない人がいます。時として人間は抑えようのない衝動によってある種の行為に出ることがあるとは思われませんか。
「難しい問題です。と申しますのは、各自に自由意志があるからです。誰しも善くないことをすると、内心では善くないことであることに気付いているものです。その道義心をあくまでも無視するか否かは、それまでに身につけた性格によって違ってくることです。罪というものはそれが結果に及ぼす影響の度合いに応じて重くもなり軽くもなります」 これを聞いてすかさず反論した。
 
牧師ーーそれは罪が精神的なものであるという事実と矛盾しませんか。単に結果との関連においてのみ軽重が問われるとしたら、心の中の罪は問われないことになります。
「罪は罪です。身体が犯す罪、心で犯す罪、霊的に犯す罪、どれも罪は罪です。あなたはさっき衝動的に罪を犯すことがあるかと問われましたが、その衝動はどこからくると思いますか」
 
牧師ーー思念です。
「思念はどこから来ますか」
 
牧師ーー(少し躊躇してから)善なる思念は神から来ます。
「では悪の思念はどこから来ますか」
 
牧師ーーわかりません。(と答えているが実際は”悪魔から”と答えたいところであろう。シルバーバーチはそれを念頭において語気強くキリスト教の最大の矛盾をつくーー訳者)
「神はすべてに宿っております。間違ったことの中にも正しいことにも宿っています。日光の中にも嵐の中にも、美しいものの中にも醜いものの中にも宿っています。空にも海にも雷鳴にも稲妻にも神は宿っているのです。お分かりになりますか。”神とは”これとこれだけに存在します”というふうに一定の範囲内に限定できるものではないのです。全宇宙が神の創造物であり、その隅々まで神の霊が浸透しているのです。あるものを切り取って、これは神のものではない、などとは言えないのです。日光は神の恵みで、作物を台無しにする嵐は悪魔の仕業だなどとは言えないのです。神はすべてに宿ります。あなたという存在は思念を受けたり出したりする一個の器官です。が、どんな思念を受け、どんな思念を発するかは、あなたの性格と霊恪によって違ってきます。もしもあなたが、あなたのおっしゃる”完全な生活”を送れば、あなたの思念も完全なものばかりでしょう。が、あなたも人の子である以上、あらゆる煩悩をお持ちです。私の言っていることがお分かりですか」(これから先はまた明日記載する)
 
  今回も神様はすべてに宿っていることを説かれているが、やはり素晴らしい内容だと思う。牧師とのやり取りに少しずつそちらに誘導していく様はさすがだと思わずにはいられなかった。そして神様は全宇宙を創造し、隅々まで浸透していると説き、善にも悪にもすべてに宿られていると言われるのだ。更に私達人間は思念を受けたり出したりする器官であるが、それぞれの性格や霊恪によって、受け取り方も発し方も違って来ると言われる。各自の自由意志によってそれが罪を作ることにもなるのだ。ということで最も重要なことは各自の性格と霊恪ということになる。シルバー・バーチ霊曰く「人の子である以上、あらゆる煩悩をお持ちです」と。だからこそ苦悩があるのだ。だが、それを仕方ないと諦めている。だが、その煩悩を克服していく努力こそが、完全へ近づく努力と言われているように思えてならない。まだまだ問答は続くが、牧師との問答は人間にとって、とても大事なことがたくさん網羅されている。それを如何に自分のものにして行くかが、最も重要なことなのだと思わざるを得ない。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸を整えていくと、次第に深く入る。すぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂いてしばらくすると、何やら意味のわからない映像が次から次へと出現した。このような映像が時間いっぱいに流れていた。その間は心が空っぽ状態だったようにも感じた。そしてあっという間に曲が終わり間近になり、意識が完全に戻り、神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

733回目の瞑想 

天使
 
牧師ーーおっしゃる通りだと思います。では、そういう煩悩ばかりを抱いている人間が死に際になって自分の非を悟り"信ぜよ、さらば救われん"の一句で心に安らぎを覚えるという場合があるのをどう思われますか。キリスト教の"同心の教義"をどう思われますか。
「よくご存知のはずの文句をあなた方の本から引用しましょう。"たとえ全世界を得ようと己れの魂を失わば何の益かあらん"(マルコ8 ・36)"まず神の国とその義を求めよ。しからばこれらのものすべて汝らのものとならん"(マタイ6・33)この文句はあなた方はよくご存知ですが、果たして理解していらっしゃるでしょうか。それが真実であること、本当にそうなること、それが神の摂理であることを悟っていらっしゃいますか。” 神を侮るべからず。己れの蒔きしものは己れが刈り取るべし"(ガラテア6・7)これもよくご存知でしょう。
神の摂理は絶対にごまかせません。傍若無人の人生を送った人間が死に際の改心でいっぺんに立派な霊になれるとお思いですか。魂の奥深くまで染み込んだ汚れが、それくらいのことで一度に洗い落とせると思われますか。無欲と滅私の奉仕的生活を送ってきた人間と、わがままで心の修養を一切おろそかにしてきた人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。"すみませんでした"の一言ですべてが赦されるとしたら、果たして神は公正であると言えるでしょうか。いかがですか」
 
牧師ーー私は神はイエス・キリストに一つの心の避難所を設けられたのだと思うのです。イエスはこう言われ・・・
「お待ちなさい。私はあなたの率直な意見をお聞きしているのです。率直にお答えいただきたい。本に書いておる言葉を引用しないでいただきたい。イエスが何と言ったか私には分かっております。私はあなた自身はどう思うかと聞いているのです」
 
牧師ーー確かにそれでは公正とは言えないと思います。しかしそこにこそ神の偉大なる愛の入る余地があると思うのです。
「この通りを行かれると人間の法律を運営している建物があります。もしその法律によって生涯を善行に励んできた人間と罪ばかりを犯してきた人間とを平等に扱ったら、あなたはその法律を公正だと思われますか」
 
牧師ーー私は、生涯を真っ直ぐな道に歩み、だれをも愛し、正直に生き、死ぬまでキリストを信じた人が・・・私は・・・
ここでシルバーバーチが遮って言う。
「自分がタネを蒔き、蒔いたものは自分で刈り取る。この法則から逃れることはできません。神の法則をごまかすことはできないのです」(更に続きます)
 
今回の牧師とのやり取りの続きも見応えあるように感じる。牧師のお優しい気持ちは尊いと思うが、やはり罪を犯した人間にはそれなりの償いがなければ、その人間のためにはならないように思う。もちろん神様の法則は絶対なのであり、自分自身が犯した罪は自分自身で責任を負うしかないのだ。それをこの世の人はどれほどの人が知っているだろうか。人間が霊であり、死後も魂は生き続けるということを先ずは知らねばならない。このことを知らなければ、この世をどれだけ好き勝手生きようが、得を獲得したしたものが人生の勝者と考えてしまう。死後生き続けるということを知れば、悪いことをしようと思う人はほとんどいなくなると思う。一人でも多くの人が、霊的真理を知る機会を持って欲しいという気持ちが更に強まっていた。
  
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸を整えていくと、深く入っていく。そしてしばらくすると、息子のメッセージと思える言葉が浮かんだ。「こちらの世界では、心に想うことがすぐに現実化するんだ。そちらにいた時から、音色の研究をしていたのは知っているよね。その音色の研究を更に深くしているんだよ。それは創造することなんだ。自分でどういう音色にしたいかを想像してみる。そうすると、それが実際の音として奏でることができるんだよ。素晴らしくて、鳥肌が立つよ。創造することの素晴らしさは何物にも代えがたいんだよ。そちらの世界でも創造することはできるんだよ。こちらよりは時間がかかるかも知れないけれど、何か創造してみたらいいよ。それが叶った時の喜びは何よりも優るからね。創造する力を養うためにも練習しておいた方がいいと思うよ」と。ひとしきり浮かび終わると涙がこぼれてきていた。息子が霊界で一生懸命に頑張っている姿が垣間見えたようで、とても嬉しかった。これからももっともっと、メッセージを受け取れるように精進しようと強く思っていた。その想いを込めて神様と霊界の方々にお礼を申し述べて終了した。

734回目の瞑想

天使
 
   
牧師ーーでは悪の限りを尽くした人間がいま死にかかっているとしたら、その償いをすべきであることを私はどうその人間に説いてやればいいのでしょうか。
「シルバーバーチがこう言ってたとその人に伝えて下さい。もしもその人が真の人間、つまり幾ばくかでも神の心を宿していると自分で思うなら、それまでの過ちを正したいという気持ちになれるはずです。自分の犯した過ちの報いから逃れたいという気持ちがどこかにあるとしたら、その人はもはや人間ではない、ただの臆病者だと、そう伝えて下さい」
 
牧師ーーしかし、罪を告白するということは誰にでもはできない勇気ある行為だとは言えないでしょうか。
「それは正しい方向への第一歩でしかありません。告白したことで罪が拭われるものではありません。その人は善いことをする自由も悪いことをする自由もあったのを、敢えて悪い方を選んだ。自分で選んだのです。ならばその結果に対して責任を取らなくてはいけません。元に戻す努力をしなくてはいけません。紋切り型の祈りの言葉を述べて心が安まったとしても、それは自分をごまかしているにすぎません。蒔いたタネは自分で刈り取らねばならないのです。それが神の摂理です」
 
牧師ーーしかしイエスは言われました。"労する者、重荷を背負える者、すべて我に来たれ。汝らに安らぎを与えん"(マタイ11・28)
「"文は殺し霊は生かす"(コリント後3・6)というのをご存知でしょう。あなた方(聖職者)が聖書の言葉を引用して、これは文字通りに実行しなければならないのだと言ってみても無駄です。今日あなた方が実行していなことが聖書の中にいくらでもあるからです。私の言ってることがお分かりでしょう」(更に牧師の意見は続く)
     
今回の内容にはキリスト教の最も重要なことが説かれている。キリスト教を信じている人にとっては、罪を告白したことでその罪は赦されると信じている。だが、シルバー・バーチ霊は告白は正しい方向への第一歩でしかないと言われているのだ。人間には自由意志があり、その自由意志で善いことを選ぶことも、悪いことを選ぶこともできると言われ、敢えて悪い方を自分で選んだのだから、その結果に対しての責任をとらなければいけないと言われている。本当にその通りだと思う。十字を切りながら、お祈りしたとしても、それは自分をごまかしているにすぎないとして断罪している。神の摂理である因果律は絶対だということなのだ。けれど更に牧師はイエスのお言葉を引用し、反論している。それに対してのシルバー・バーチ霊のお答えにも牧師は怯まずに自分の考えを述べているのだが、それは明日また記載することにする。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸に集中していき、少しずつ深く入っていく。神様に簡単なお祈りをさせて頂いた後に、昨日の続きだと言う言葉が浮かび、どんどんと言葉が浮かぶ。「音色とは、神の愛ではないかと思うんだ。魂に響いた時に涙も出るし、癒やされもする。神の愛の表現なのだと思う。そしてこちらにはそちらにはない素晴らしい音色を創造できるんだ。魂が震えるんだよ。魂を鼓舞されるということが実感としてわかるんだ。演奏する自分にも、聴いてくれる相手にも魂の悦びを与えて頂けるんだよ。」と。やはり息子のメッセージの続きだったようだ。音色に関して息子はとても深く実感しているようだ。神様の愛であり、表現でないかとまで思っているようだ。私はそんなことを考えたこともなかったので、とても興味深かった。音楽をこよなく愛しているが、もし息子のメッセージ通りであれば、神様を信じている私にとっては最高に有難い言葉だった。今日も有難いメッセージを貰えて嬉しい想いのまま、神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

735回目の瞑想

天使
牧師ーーイエスは"善き羊飼いは羊のために命を捨つるものなり"(ヨハネ10・11)と言いました。私は常に"赦し"の教を説いています。キリストの赦しを受け入れ、キリストの心が自分を支配していることを暗黙のうちに認める者は、それだけでその人生が大きな愛の施しとなるという意味です。
 「神は人間に理性という神性の一部を植え付けられました。あなた方もぜひその理性を使用していただきたい。大きな過ちを犯し、それを神妙に告白するーーそれは心の安らぎにはなるかも知れませんが、罪を犯したという事実そのものはいささかも変わりません。神の理法に照らしてその歪みを正すまでは、罪は相変わらず罪として残っております。いいですか、それが神の摂理なのです。イエスが言ったとおっしゃる言葉を聖書からいくら引用しても、その摂理は絶対に変えることはできないのです。
前にも言ったことですが、聖書に書かれている言葉を全部イエスが実際に言ったとは限らないのです。そのうちの多くは後の人が書き加えたものなのです。イエスがこうおっしゃったとあなた方が言う時、それは"そう言ったと思う"という程度のものでしかありません。そんないい加減なことをするよりも、あの二千年前のイエスを導いてあれほど偉大な人物にしたのと同じ霊、同じインスピレーション、同じエネルギーが、二千年後の今の世にも働いていることを知ってほしいのです。
あなた自身も神の一部なのです。その神の温かき愛、深遠なる叡智、無限なる知識、崇高なる真理がいつもあなたを待ち受けている。なにも、神を求めて二千年前まで遡ることはないのです。今ここに在しますのです。二千年前とまったく同じ神が今ここに在しますのです。その神の真理とエネルギーの通路となるべき人物(霊媒・霊能者)は今も決して多くはありません。しかし何ゆえにあなた方キリスト者は二千年前のたった一人の霊能者にばかりすがろうとなさるのです。なぜそんな昔のインスピレーションだけを大切になさるのです。なぜイエス一人の言ったことに戻ろうとなさるのです」
 
牧師ーー私は私の心の中にキリストがいて業をなしていると説いています。インスピレーションを得ることは可能だと思います。
「何ゆえにあなた方は全智全能の神を一個の人間と一冊の書物に閉じ込めようとなさるのです。宇宙の大霊が一個の人間あるいは一冊の書物で全部表現できるとでもお考えですか。私はクリスチャンではありません。イエスよりずっと前に地上に生をうけました。すると神は私には神の恩恵に浴することは許して下さらなかったということですか。
神のすべてが一冊の書物の中のわずかなページで表現できるとお思いですか。その一冊が書き終えられた時を最後に神は、それ以上のインスピレーションを子等に授けることをストップされたとお考えですか。聖書の最後の1ページを読み終わった時、神の真理のすべてを読み終えたことのなるというのでしょうか」
 
牧師ーーそうであってほしくないと思っています。時折何かに鼓舞されるのを感じることがあります。
「あなたもいつの日か天に在します父のもとに帰り、今あなたが築きつつある真実のあなたに相応しい住処に住まわれます。神に仕える者としてのあなたに分かっていただきたいことは、神を一つのワクの中に閉じ込めることはできないということです。神はすべての存在に宿るのです。悪徳のかたまりのような人間も、神か仏かと仰がれるような人と同じように神とつながっているのです。あなた方一人ひとりに神が宿っているのです。あなたがその神の心を我が心とし、心を大きく開いて信者に接すれば、その心を通じて神の力と安らぎとが、あなたの教会を訪れる人々の心に伝わることでしょう」
  
今回の内容の質疑応答はキリスト教を信じている方々に読んで頂きたいと思う。この牧師はイエス様を信じ、聖書を信じ、その信じる気持ちがご自身を縛っているように感じる。シルバー・バーチ霊は、聖書に書いてあるイエス様のお言葉について正しいかどうかわからないことを信じるよりも、今なお厳然と神様のお力があることに目を向けなさいと言われている。しかもシルバー・バーチ霊はイエス様よりも前に地上に生を受けておられるとのこと。確かにイエス様よりも前に生まれた人たちは神様の恩恵に浴することができないということになる。イエス様は人間として、最も神様の御心を顕現をされたお方なのだ。もちろん見習うべきお方であることには間違いない。けれど、私達が本当に敬うべき対象は神様なのだ。牧師に言われている神様の御心を我が心として、というお言葉は私達人間みなに言えることだ。そうして生きることによって、神様のお力と安らぎを感じることができるということを説いて下さっているのだ。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をし、呼吸に集中すると次第に意識が遠のいていくが、神様に簡単なお祈りだけはさせて頂いた。その後はほとんど覚えていない。そしていつの間にか曲が終わる直前となり、そのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

736回目の瞑想

天使
 
牧師ーー今日まで残っている唯一のカレンダーがキリスト暦(西暦)であるという事実をどう思われますか。
「誰がそんなことを言ったのでしょうか。ユダヤ人が独自のカレンダーを使用していることをお聞きになったことはないでしょうか。多くの国が今なおその国の宗教の発生とともにできたカレンダーを使用しております。私は決してイエスを過小評価するつもりはありません。私は現在のイエスがなさっておられる仕事を知っておりますし、ご自身は神として崇められることを望んでいらっしゃらないこともよく知っております。イエスの生涯の価値は人間が模範とすべきその生き方にあります。イエスという一個の人間を崇拝することをやめない限り、キリスト教はインスピレーションにはあまり恵まれないでしょう」
 
牧師ーーキリストの誕生日を西洋暦のはじまりと決めたのがいつのことだかよく分かっていないのです。ご存知でしょうか。
「(そんなことよりも)私の話を聞いてください。数日前のことですが、このサークルのメンバーの一人が(イングランドの)北部の町へ行き、大勢の神の子とともに過ごしました。高い地位の人たちではありません。肉体労働で暮らしている人たちで、仕事が与えられるとーー大抵道路を掘り起こす仕事ですがーー一生懸命働き、終わるとわずかばかりの賃金を貰っている人たちです。その人たちが住んでいるのはいわゆる貧民収容施設です。これはキリスト教文明の恥辱ともいうべき産物です。ところが同じ町にあなた方"神の館"と呼ぶ大聖堂があります。高く聳(そび)えていますから太陽が照るとまわりの家はその蔭になります。そんなものが無かった時よりも暗くなっています。これでよいと思われますか」
 
牧師ーー私はそのダーラムにいたことがあります。
「知っております。だからこそこの話を出したのです」
 
牧師ーーあのような施設で暮らさねばならない人たちのことを気の毒に思います。
「あのようなことでイエスがお喜びになると思われますか。一方にあのような施設、あのような労働を強いられる人々、わずかな賃金しか貰えない人々が存在し、他方にはお金ことには無頓着でいられる人が存在していて、それでもイエスはカレンダーのことなどに関わっていられると思われますか。あのような生活を余儀なくさせられている人が大勢いるというのに、大聖堂のための資金のことやカレンダーのことや聖書のことなどにイエスが関わられると思いますか。イエスの名を使用し続け、キリスト教国と名告るこの国にそんな恥ずべき事態の発生を許しているキリスト教というものを、いったいあなた方は何と心得ていらっしゃるのですか。
あなたは教典のことで(改訳聖書と欽定訳聖書とどっちがいいかと)質問されましたが、宗教にはそんなことよりもっと大切な、そしてもっと大きな仕事があるはずです。神はその恩寵をすべての子に分け与えたいと望んでおられることが分かりませんか。飢え求めている人がいる生活物資を。世界のどこかでは捨て放題の暮らしをしている人たちがいます。他ならぬキリスト者が同じことをしていて、果たしてキリスト教を語る資格があるでしょうか。
私はあなたが想像なさる以上にイエスと親密な関係にあります。私は主の目に涙を見たことがあります。キリスト者をもって任ずる者が、聖職にある者の多くが、その教会の蔭で進行している恥ずべき事態に目を瞑っているのをご覧になるからです。その日の糧すら事欠く神の子が大勢いるというのに、神の館のつもりで建立した教会を宝石やステンドグラスで飾り、その大きさを誇っているのを見て一体誰が涼しい顔をしていられましょう。その人たちの多くは一日の糧も満足に買えないほどのわずかな賃金を得るために一日中働き続け、時には夜更かしまでして、しかも気の毒にその疲れた身体を横たえるまともな場所もない有様なのです。あなたを非難しているのではありません。私はあなたに大きな愛着を覚えております。お役に立つことならどんなことでもしてあげたいと思っております。が、私は霊界の人間です。そしてあなたのように、社会へ足を踏み入れて間違いを改めていくための一石を投じてくれるような人物とこうして語るチャンスが非常に少ないのです。
あなたに理解していただきたいことは、聖書のテキストのことを云々するよりも、もっと大切なことがあるということです。主よ、主よ、と叫ぶ者がみな敬虔なのではありません。神の意志を実践する者こそ敬虔なのです。それをイエスは二千年前に述べているのです。なのに今日なおあなた方は、それが一番大切であることをなぜ信者に説けないのでしょうか。戦争、不正行為、飢餓、貧困、失業、こうした現実に知らぬふりをしている限りキリスト教は失敗であり、イエスを模範としていないことになります。
あなたは(メソジスト教の)総会から抜け出て来られました。過去一年間、メソジスト教界の三派が合同して行事を進めてまいりましたが、せっかく合同しても、そうした神の摂理への汚辱を拭うために一致協力しない限り、それは無意味です。私は率直に申し上げておきます。誤解を受けては困るからです」(長くなったので続きは明日)
   
今回の牧師の質問はシルバー・バーチ霊はキリスト者にとって、枝葉的なことだと言われ、最も大切な根本の部分を説かれている。私達一般の人間にとっても耳が痛い。キリスト教を信じている人たちは、イエス様を崇拝するのではなく、イエス様の生涯の価値は人間が模範とすべきその生き方にあると言われている。確かにその通りなのだと思っているが、イエス様のなされたことを模範にするにはやはり同じようにはとてもできないとの思いに敬遠してしまうのだと思う。そして神のように崇拝してしまう。崇拝するのは実は簡単なことだ。イエス様と同じようなことを実践するには並大抵の努力ではできない。だが崇拝するのであればすぐにでもできる。結局人間は安易な方へと気持ちが向いてしまうのだ。頭では理解したつもりでも、実践となるとなかなか出来るものではない。それを実践されたイエス様はやはり、偉大な人物で手の届かない存在であるように思ってしまうのも致し方ないのではないか。ただ、そんなことばかり言っていては、同じことの繰り返しになってしまうのも事実だ。シルバー・バーチ霊も人間がみなイエス様のような行いができるとは思っていないだろうし、言ってはいない。一番肝心なのは、神様のように崇拝するのではなく、イエス様が人間として最高の行いをされたことに敬意を表し、少しでも近づく努力をして行くことが大切だということなのだ。神の意志を実践する者こそ敬虔と言われている。最も重要なことなのだと思う。キリスト教信者だけでなく、私達人間に言われていることなのだ。少しずつでも努力していく以外にないのだと思う。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして、呼吸を整え、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。最初は意識がちゃんとあったのだが、次第に薄れて行く。そしてまたいつの間にか曲が終わる直前であった。そのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
 
今朝起きる直前にかなりリアルな夢を見た。いろいろな建物の中を歩いている。だが、どの場所も覚えがなく、全く新しい場所だった。そしてその中の一室にある老人がいた。全く面識はない方だった。どうも権威ある教授のような博士のような方なのだが、重い病に罹っておられ、その病に一番効果があるという薬を私に見せてくれた。けれど、その薬の副作用で亡くなった人もいれば、更に重篤になった人もいると言われ、薬の処方を迷っておられた。すると私は「ヒーリングをご存知でしょうか。私はヒーリングをしておりますが、して差し上げましょうか。ヒーリングで病が治っている方もたくさんおられます。もちろん病によっては治らない場合もありますが。無料です。」と言うと、少しいぶかしげなお顔をされていたが、頷かれたところで目が覚めてしまった。この夢でとても印象深かったのはヒーリングの話をしている時の私はとても自信があるように感じていたのだ。それは神様からのエネルギーを頂いているという心の底から湧き出るような思いを感じていた。起きてすぐにその夢を思い出し、夢の中でそのように思えたことがとても有難く心が満たされていた。

737回目の瞑想

天使
 
牧師ーー数年前に私たちは派閥を越えて慈善事業を行い、その時の収益金を失業者のための救済資金として使用しました。大したことはできませんが、信者の数の割にはよくやっていると思われませんか。
「あなたが心掛けの立派な方であることは私も認めております。そうでなかったら二度もあなたと話をしに戻ってくるようなことはしません。あなたが役に立つ人材であることを見て取っております。あなたの教会へ足を運ぶ人の数は確かに知れています。しかしイエスは社会の隅々にまで足を運べと言っていないでしょうか。人が来るのを待っているようではいけません。あなたの方から足を運ばなければならないのです。
教会を光明の中心となし、飢えた魂だけでなく飢えた肉体にも糧を与えてあげないといけません。叡智の言葉だけでなくパンと日常の必需品を与えてあげられるようでないといけません。魂と肉体の両方を養ってあげないといけません。霊を救うと同時に、その霊が働くための身体も救ってあげないといけません。教会がこぞってそのことに努力しなければ、養うものを得られない身体は死んでしまいます」そう述べてから最後にその牧師のために祈りを捧げた。(お祈りは省略)
   
今回の内容のように聖職者に対する役目はかなり厳しいように思う。神に仕える身である聖職者の道は普通の人間よりも苦難続きの道なのだろう。飢えた魂には魂と肉体の両方を養ってあげないといけないと言われている。口で言うのは簡単だが、実際に実践するとなったら、やはり並大抵な心ではできないと思う。けれど、この牧師はシルバー・バーチ霊に認められているのだ。きっと素晴らしい牧師となって、人の為にご尽力されたことと思う。これにて一応牧師との質疑応答はこれで終わりとする。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に集中していくと、深く入って行くような感覚になるが、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。その後、三度ほどまばゆいばかりの光りに包まれたように眼前に強い光りが画面一杯に広がった。その光りの強さは、部屋が暗いにも関わらず感じたのだ。それとほぼ同時くらいに身体にバイブレーションも感じた。何とも言えない温かさ、心地良さに我を忘れるようであった。曲も聴こえていたようないないような感じだったが、三回目の光りが消えると共に曲も終わったのだ。そのことにもびっくりだった。そしてこの素晴らしい体験をさせて頂いた感謝の気持ちと共に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

738回目の瞑想

天使
 
奇しくも、ロシアがウクライナに攻撃をかけたとの状況と符合するかのように、次の章は「参戦拒否は是か非か」であった。今回のことがなければ記載しないつもりであったが、このような偶然はなかなかあるものではないので、記載しようと思う。関心がない人はスルーされて欲しい。
参戦拒否、徴兵忌避といった不戦主義はスピリチュアリズムにおいてだけでなく、すべての宗教においてその是非が問われ続けている問題である。
シルバーバーチは常に道義心ーー魂の奥の神の声ーーが各自の行為の唯一の審判官であると説き、従ってその結果に対しては各自が責任を取らねばならないと主張している。その論理から、母国を守るためには戦争も辞さず、必要とあらば敵を殺めることも一国民としての義務であると考える人をシルバーバーチは咎めない。これが"矛盾"と受け止められて批判的な意見が寄せられることがあるが、これに対してある日の交霊会でこう弁明でした。
「批判的な意見を寄せられる方は、私がこれまで戦争というものをいかなる形においても非難し、生命は神聖であり神のものであり、他人の物的生命を奪う権利は誰にもないという主張を掲げてきながら、こんどは"英国は今や正義の戦に巻き込まれた。これは聖なる戦である。聖戦である"と宣言する者に加担しているとおっしゃいます。
私は永年にわたってこの霊媒を通じて語ってまいりました。今これまでに私が述べたことを注意深く振り返ってみて、この地上へ私を派遣した霊団から指示されたワクに沿って私なりに謙虚に説いてきた素朴な真理と矛盾したことは何一つ述べていないと確信します。今も私は、これまで述べてきた通りに、人を殺すことは間違いである。生命は神のものである。地上で与えられた寿命を縮める権利は誰にもないと断言します。前にも述べたことですが、リンゴは熟せば自然に落ちます。もし熟さないうちにもぎ取れば、渋くて食べられません。霊的身体も同じです。熟さないうちに、つまり、より大きな活動の世界への十分な準備ができないうちに肉体から離されれば、たとえ神の慈悲によって定められた埋め合わせの原理が働くとはいえ、未熟のまま大きなハンディを背負ったまま新しい生活に入ることになります。
その観点から私は、これまで述べてきたことのすべてをここで改めて主張致します。これまでの教訓をいささかも変えるつもりはありません。繰り返し(毎週一回)記録されている私の言葉の一語一語を自信をもって支持致します。同時に私は、いかなる行為においてもその最後に考慮されるは"動機"であることも説いております。
まだこの英国が第二次世界大戦に巻き込まれる前、いわゆる"国民兵役"への準備に国を挙げて一生懸命になっておられた時分に"こうした活動に対してスピリチュアリストとしての態度はどうあるべきでしょうか"との質問に私は"そうした活動が同胞への奉仕だと信じる方は、それぞれの良心の命ずるがままの選択をなさることです"と申し上げました。いま英国はその大戦に巻き込まれております。過去にいかなる過ちを犯していても、あるいはいかに多くの憎しみの種子を蒔いていても、少なくともこの度の戦争は英国自ら仕掛けたものでないことは確かです。しかし、それでもやはり戦争をしているという咎めは受けなくてはなりません。後ればせながら英国もこの度は、いくぶん自衛の目的も兼ねて、弱小国を援助するという役目を自ら買って出ております。もしも兵役に喜んで参加し、必要とあらば相手を殺めることも辞さない人が、自分はそうすることによって世界のために貢献しているのだと確信しているのであれば、その人を咎める者は霊の世界には一人もいません。
動機が何であるかーーこれが最後の試練です。魂の中の静かな、そして小さな声が反撥するが故に戦争に参加することを拒否する人間と、これが国家への奉公なのだという考えから、つまり一種の奉仕的精神から敵を殺す覚悟と同時にいざとなれば我が身を犠牲にする覚悟をもって戦場へ赴く人間とは、私たちの世界から見て上下の差はありません。動機が最も優先的に考慮されるのです。
派閥間の論争も結構ですが、興奮と激情に巻き込まれてその単純な真理を忘れた無益な論争はおやめになることです。動機が理想的理念と奉仕の精神に根ざしたものであれば、私たちは決して咎めません」(長くなったので続きは明日)
   
今回の内容は過去に第二次世界大戦で闘った日本人にも言えることだと思う。しかもアメリカに先制攻撃かけたのは日本なのだ。霊的にみて、やはり間違っているとしか言いようがない。そして国に赤紙として徴兵された一般国民はほとんどの人は覚悟など持っていなかったと思う。命令に従っただけではないだろうかと思うのだ。私は旅行で14年ほど前に知覧へ行ったことがある。その時に特攻平和会館へ行くと、特攻隊員の遺書が展示してあり、その内容は辛く悲しいものだった。館内ではあちこちですすり泣いていた。私たち家族も涙を拭き拭き、読んだものだった。ただ中には覚悟の上で、家族を守るために当日は笑顔で飛び立ちますと書いてあった遺書もあり、更に涙はこぼれた。このような若い青年達はきっとシルバー・バーチ霊が言われるお咎めがない方たちなのだと思う。今回のロシアはどうなのだろうか。ロシア側から仕掛けたとニュースでは報じている。だが一方のSNSでは、ウクライナのトップはDSだと言っており、ロシアはプーチン大統領は正しいとの見方なのだ。私には真偽のほどはわからない。だがいずれ、真実は明るみになるだろうと思っている。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に集中する。神様に簡単なお祈りをさせて頂いた後は、なかなか集中が続かなかったので、曲の音色に聴き入る。すると全身が鳥肌が立つような感覚になり細胞が活気づいているような感覚になったのだ。これもなかなか言葉では説明し辛い。だが、やはり音楽の音の調和や音色には人間の魂を鼓舞する力があると実感する。瞑想の醍醐味を音楽にも感じることができ、心は平安そのものだった。その後、神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

739回目の瞑想

天使
 
ーーーそれでも、やはり人を殺すということがなぜ正当化されるのか、得心できません。
必要とあればーー地上的な言い方をすればーー相手を殺す覚悟の人は、自分が殺されるかも知れないという危険をおかすのではないでしょうか。どちらになるかは自分で選択できることではありません。相手を殺しても自分は絶対に殺されないと言える人はいないはずです。もしかしたら、自らの手で自らを殺さねばならない事態になるかも知れないのです」
 
更に別の質問を受けてシルバーバーチはその論拠を改めて次のように説明した。
「私たちは決して地上世界がやっていることをこれでよいと思っているわけではありません。もし満足しておれば、こうして戻ってきて、失われてしまった教えを改めて説くようなことはいたしません。私どもは地上人類は完全に道を間違えたという認識に立っております。そこで、何とかしてまともな道に引き戻そうと努力しているところです。しかし地上には幾十億と知れぬ人間がおり、みな成長段階も違えば進歩の速度も違い、進化の程度も違います。すべての者に一様に当てはめられる型にはまった法則、物的ものさし、といったものはありません。固定した尺度を用いれば、ある者には厳しすぎ、ある者には厳しさが足りないということになるからです。殺人者に適用すべき法律は、およそ犯罪と縁のない人間には何の係わりもありません。かくして人間それぞれに、それまでに到達した成長段階があるということを考慮すれば、それを無視して独断的に規準を設けることは許されないことになります。前にも述べたように、神は人間各自に決して誤ることのない判断の指標、すなわち道義心というものを与えています。その高さはそれまでに到達した成長の度合いによって定まります。あなた方が地上生活のいかなる段階にあろうと、いかなる事態に遭遇しようと、それがいかに複雑なものであろうと、各自の取るべき手段を判断する力ーーそれが自分にとって正しいか間違っているかを見分ける力は例外なく具わっております。あなたにとって正しいことも、他の人にとっては間違ったことであることがあります。なぜなら、あなたとその人とは霊的進化のレベルが違うからです。徴兵を拒否した人の方が軍人より進化の程度において高いこともありますし、低いこともあります。しかし、互いに正反対の考えをしながらも、両方ともそれなりに正しいということもあり得るのです。
個々の人間が自分の動機に従って決断すればそれでよいのです。すべての言い訳、すべての恐れや卑怯な考えを棄てて自分一人になりきり、それまでの自分の霊的進化によって培われた良心の声に耳を傾ければよいのです。その声は決して誤ることはありません。決してよろめくこともありません。瞬間的に回答を出します。(人間的煩悩によって)その声がかき消されることはあります。押し殺されることはあります。無視されることもあります。うまい理屈や弁解や言い訳でごまかされることもあります。しかし私は断言します。良心はいつも正しい判決を下しています。それは魂に宿る神の声であり、あなたの絶対に誤ることのない判断基準です。
私たちに反論する人たち、とくにローマ・カトリック教会の人たちは、私たちが自殺を容認しているーー臆病な自殺者を英雄または殉教者と同等に扱っていると非難します。が、それは見当違いというものです。私たちは変えようにも変えられない自然法則の存在を認めると同時に、同じ自殺行為でも進化の程度によってその意味が異なると観ているのです。確かに臆病であるがゆえに自殺という手段で責任を逃れようとする人が多くいます。しかし、そんなことで責任は逃れられるものではありません。死んでもなお、その逃れようとした責任に直面させられます。しかし同時に、一種の英雄的行為ともいうべき自殺ーー行為そのものは間違っていても、そうすることが愛する者にとって唯一の、そして最良の方法であると信じて自分を犠牲にする人もいます。そういう人を卑怯な臆病者と同じレベルで扱ってはなりません。大切なのは"動機"です」
   
今回の内容も圧巻である。特に神は人間各自に決して誤ることのない判断の指標、すなわち道義心というものを与えていると言われ、その高さはそれまでに到達した成長の度合いによって定まると言われている。この部分が人間にとって何よりも知らなければいけないことなのだと思う。それこそ世界には何十億という人間がいる。政府だから、国のトップだからといって、魂の成長の度合いが必ずしも高いわけではないのだ。個々の人間の魂の成長の度合いは違って当たり前なのだ。だからこそ一律に基準を決めることはできないと言われている。神様が与えて下さった誤ることのない道義心を忠実に実行することなのだ。それが動機につながるのだと思う。また自殺に関しては、英雄的行為ともいうべき自殺という言葉に私は阿南陸相その人を思う。阿南陸相は陸軍のトップだった。戦争を終結するということに反対な若い陸軍将校達はこぞって氾濫を起こし兼ねない。トップである自分が死ぬことによって、その未来ある若者のブレーキとなり、戦争を終結に持っていって下さったのだ。国を思い、未来ある若者を思い、また戦死した人たちを思っての自殺であったのだと思う。やはり動機ということが何よりも肝心だということを肝に銘じたい。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に意識し、どんどんと深く入って行きそうなので、すぐに神様に簡単なお祈りした。その後はほとんど意識は遠のいており、気がつくと曲は終わっていた。途中までは曲も聴こえていて、その心地良さを堪能させてもらっていた。なのであっという間だったように思う。その後神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

714回目の瞑想

天使
 
ーーーあなたは神はすべてに宿るーー全存在の根源であるから愛にも憎しみにも、叡智にも不徳にも神が宿るとおっしゃいます。そうなると、過ちを犯す者も正しいことをする人間と同じように神の法則の中で行っていることになります。愛と平和を説く者と同じく、憎悪と戦争を説く者も神の法則の中で行動していることになります。すべてが神の法則の一部である以上、その法則に違反する者もないことになってしまいますが、この矛盾をどう説明されますか。
「完全が存在する一方には不完全も存在します。が、その不完全も完全の種子を宿しております。完全も不完全から生まれるのです。完全は完全から生まれるのではありません。不完全から生まれるのです。
生きるということは進化することです。前に向かって進むことであり、上に向かって努力することであり、発達であり開発あであり発展であり進展です。あなた方のおっしゃる善も悪もその進化の行程における途中の階梯にすぎません。終わりではありません。あなた方は不完全な理解力でもって判断しておられます。その時点においては善であり、その時点では悪だと言っているにすぎません。それはあなただけに当てはまる考えです。あなたと何の係わりもなければ、また別の判断をなさいます。とにかく神は全存在に宿っております」
  
今回はその内容の素晴らしさに感動を禁じ得ない。素晴らしい内容だし、神様が善悪すべてに宿っておられるのだと頭では納得できる。またそうであるからこそ、悪に対して不安や心配をしなくてもいいのだ。だが、どうだろう。身近に犯罪を犯している人間がいたら、素直に今は進化の行程の途中なのだと考えることが出来るだろうか。これはやはりシルバー・バーチ霊が言われる不完全であるが故の理解力となるのだろうか。だが、そのまま犯罪を許していたら、この世界は悪で蔓延ってしまうのではないか。罪を憎んで人を憎まずという諺があるが、やはり罪を犯した人間はその罪の償いはしなくてはならない。それが因果律でもあるのだが、この世でもあの世でも罪の償いをする機会は設けられるということだ。だがその人間も進化の途中なのだ。償いをしたら、非難の目を向けることなく、その事を体験することで、更に進化していけるのだと思ってあげなくてはいけないのだろう。まだまだそこまでの境地には至れないが、少なくとも努力はして行きたいと思った次第である。
  
  今日で瞑想を始めてから丸2年になる。少しは進歩しているのだろうかと思うものの、大して変わっていないようにも感じる。まあたった2年ではそこまで変われるわけもない。これからも初心を忘れずに真摯に誠心誠意、心を込めて瞑想を続けて行きたいと思っている。
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸を整え、そしてすぐに神様に簡単なお祈りをさせて頂き、深い呼吸に集中する。そして神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるよう、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達を救済して頂けるようにとお願いし、またそれ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。意識はありながらも、やはり別空間にいるように感じて、穏やかな心持ちであった。最後に神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した
「亡き息子との交信記録」を更新したので、興味のある方はぜひご覧下さい。

715回目の瞑想

天使
 
ーーーでは神は地震にも責任を負うわけですか。
「神は法則です。万物を支配する法則です。法則が万物を支配しているのです。宇宙のどこにもその法則の支配を受けないものは存在しません。
地震、嵐、稲妻ーーこうしたものの存在が地上の人間の頭脳を悩ませていることは私も承知しております。しかしそれらもみな宇宙の現象の一部です。天体そのものも進化しているのです。この天体上で生を営んでいる生命が進化しているとの同じです。物質の世界は完全からはほど遠い存在です。そしてその完全はいつまでも達成されることはありません。より高く、あくまでも高く進化していくものだからです」
 
今回の内容も奥が深い。神様は法則であり、その法則は万物を支配しておられるのだ。そして宇宙すべてがその法則の支配を受けていると断言されている。地震や嵐、そして稲妻も宇宙の現象の一部だと言われている。それによって起こる自然災害も進化の現れということなのだろう 。生命が進化しているのと同じように進化していると言われているのだ。そして物質の世界のこの世は完全からはほど遠い存在だと言われている。そしてその完全はいつまでも達成されることはないと。進化しても進化してもその上があるということなのだろう。高い境地までに進化するためにはそれこそ気が遠くなるほどということなのだろう。私達人間には想像することもできないのだ。神様とはそれほど恐れ多い偉大な存在ということなのだ。だからこそ、神様の摂理に適う生き方をすることが人間の使命でもあり、目標なのだと思う。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸を整え、集中する。そして神様に簡単なお祈りをさせて頂き、神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるよう、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。またコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済と、それ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。意識が次第に遠のいていったが、微細なバイブレーションを身体にずっと感じていた。気がつくと曲が終わる直前だったので、神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

716回目の瞑想

天使
 
ーーーということは神も進化しているということでしょうか。
「そうではありません。神は法則であり、その法則は完璧です。しかし物質の世界に顕現している部分は、その顕現の仕方が進化の法則の支配を受けます。忘れてならないのは地球も進化しているということです。地震も雷も進化の印です。地球は火焰と嵐の中で誕生し、今なお完成へ向けて徐々に進化している最中です。
日没と日の出の美しさ、夜空のきらめく星座、楽しい小鳥のさえずりは神のもので、嵐や稲妻や雷鳴や大雨は神のものでないなどと言うことは許されません。すべては神の法則によって営まれていることです。それと同じ寸法であなた方は、神が存在するならばなぜ他人に害を及ぼすような邪悪な人間がいるのかとおっしゃいます。しかし人間各個に自由意志が与えられており、魂の進化とともにその活用方法を身につけてまいります。霊的に向上しただけ、それだけの多くの自由意志が行使できるようになります。あなたの現在の霊恪があなたの限界ということです。しかし、あなたも神の分霊である以上、人生のあらゆる困難、あらゆる障害を克服していくことができます。霊は物質に優ります。霊が王様で物質は召使いです。霊がすべてに君臨しております。全生命のエッセンスです。つまり霊は生命であり、生命は霊なのです」
   
神様についての内容は本当に奥が深いと思う。頭ではわかったつもりでいても、実感としてわかっているかというと自信はない。人間である以上仕方ないことなのだと思うが、シルバー・バーチ霊のお言葉で漠然とでも頭の中に入れておくことはとても大事なことなのだと思う。再三言われていることではあるが、この内容を常に心に留めて生活していかなければいけないのだと今回も思った次第である。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸を整え、いつものように神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして神様の愛のエネルギーで地球をお包み頂けるよう、すべての人間に愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達に救済のお願いした。そしてそれ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。意識はあるようなないような感じで、そして別空間にいるような感覚だった。また微細なバイブレーションも身体に感じていた。最後に神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

717回目の瞑想 

天使
 
ーー霊が意識をもつ個的存在となるためには物質の世界との接触が必要なのでしょうか。
 「そうです。意識を獲得するためには物的身体に宿って誕生し、物的体験を得なければなりません。物 matterから霊 spiritへと進化しているのです。つまり物的身体との結合によって、物的個性を通して自我を表現することが可能になります。霊は物に宿ることによって自我を意識するようになるのです」
(訳者注ーー質問者は地上の物質を念頭において the world of matterと言っているが、シルバーバーチは spiritとの対照における matterの観点から答えていることに注意する必要がある。死後の世界でまとう身体もその一種であり、その精妙化が進むにつれて霊性が発揮されやすくなる。それを進化というものであり、その究極がイムペレーターのいう”静の世界”、インド哲学でいうニルバーナ、いわゆる涅槃の境涯である。ただ従来はそれが飛躍的に、ないしは短絡的に捉えられており、悟りを開いた人は死後すぐその境涯へ行くかに考えられてきたが、イムペレーターによるとそこに至るのに何百億年かかるか想像もつかないと述べている。いずれにせよ、そこに至るまでは”物の世界”にいるのであり、地上と同じく主観と客観の世界にいるのである。その中でも地上の物資界がもっとも鈍重というまでのことである)
   
今回の内容は、かなり難しいように思う。霊が意識をもつには物的身体に宿ることで自我を意識するようになると言われている。けれど、確か死後の世界へ旅立っても個性はそのままだと言われていたはずだ。訳者の方の説明を読むと、悟りを開く境地に至るにはイムペレーターが言われるには何百億年もかかるとのことで、その境地に至るまでは物の世界にいるのだと言われている。地上世界がもっとも鈍重とのことだが、死後すぐの世界、いわゆる幽界は地上よりはまし程度のものということなのだろうか。幽界にももちろん段階はある。幽界の下の階はもっとも地上に近いと言われる。なので死んだことに気がつかないのだ。ということは段階の差はあれど幽界から霊界に赴くには更にそれなりの時間がかかるということを言われているのではないかとも思う。やはり行ってみないことにはわかるはずもない。漠然とだが頭に入れておくことにする。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸を整えていると、徐々に別空間にいるような感覚になる。しばらくその感覚に身を任せてから、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、そして神様の愛のエネルギーで地球をお包み頂けまようにと、すべての人間に愛のエネルギーが行き渡りますように、そしてその愛のエネルギーを一人でも多くの人が受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。この間も意識があるようなないようなそんな感じだった。更に続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済をお願いし、それ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。終わってから感じたことだが、最近は瞑想がより深くなっているように感じているのだ。最後に神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

718回目の瞑想

天使
 
 ーーーとなると神はわれわれを通じて体験を得ているということでしょうか。
 「そうではありません。あなたの進化がすでに完全であるものに影響を及ぼすことはありません」
 
  ーーーでもわれわれは神を構成する分子です。部分の進化は全体に影響を及ぼすのではないでしょうか。
「それはあなた方を通じて顕現されている部分に影響を及ぼすだけです。それ自体も本来は完全です。が、あなた方一人ひとりを通じての顕現の仕方が完全ではないということです。霊それ自体はもともと完全です。宇宙を構成している根源的素材です。生命の息吹きです。それがあなた方を通じて顕現しようとしているのですが、あなた方が不完全であるために顕現の仕方も不完全なのです。あなた方が進化するにつれて完全性がより多く顕現されてまいります。あなた方が霊という別個の存在を進化させているのではありません。あなた方自身であるところの霊が顕現する身体(※)を発達させているのです」
(※ bodiesと複数になっていることからも、先の訳者注で述べたこと、つまりシルバーバーチが”物”を地上だけに限って考えていないことが窺える。幽体も霊体もシルバーバーチに言わせると、”物的身体”なのであるーー訳者)
 
前回と今回の内容を読んでいて、自分の中では益々わからなくなってきている。私達人間は霊であるとシルバーバーチ霊は常々言われている。そして今回は霊それ自体はもともと完全であると言われているのだ。ということは私達人間は元を正せば完全だということになる。だが宇宙を構成している根源的素材である生命の息吹きを私達人間は顕現しようとしているとのことだが、私達人間が不完全であるために顕現の仕方も不完全だ言われている。そして私達人間が進化するにつれて完全性がより多く顕現されるとのことだが、それは霊の進化ではないと言われているのだ。霊である私達人間が顕現する身体、訳者の方は幽体も霊体も物的身体だと言われているが、その物的身体を発達させているにすぎないと言われているのだ。そこでわからないのは完全である霊は進化はないと言われているのに、では何のために顕現する身体を発達させなければいけないのかということだ。顕現する身体を発達させることで、光りとなれるということなのかも知れないが、もともと完全である霊は光りなのではないだろうか。と思ってしまう。まだまだ私には理解できないことがたくさんある。今回のことで端的にアドバイスを頂けるなら、どうかお願いしたい。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸を整えて、深く入って行く。そして神様に簡単なお祈りをさせて頂き、いつものように神様の愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようにお願いし、すべての人間に愛のエネルギーが行き渡りますように、そしてその愛のエネルギーを一人でも多くの人が受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。そしてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済、またそれ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。ほとんど意識は遠のいていた。曲が終わってからもしばらく、呆然としていたが、やっと我に返り神様と霊界の方々にお礼を申し上げて終了した。

719回目の瞑想

天使
 
  ーーー霊が自我を表現する身体にもさまざまな種類があるということでしょうか。
「そういうことです。法則は完全です。しかしあなたは不完全であり、従って完全な法則があなたを通して働けないから、あなたを通して顕現している法則が完全でないということになります。あなたが完全へ近づけば近づくほど、完全な法則がより多くあなたを通して顕現することになります。
こう考えてみてください。光りと鏡があって、鏡が光りを反射している。鏡がお粗末なものであれば光りのすべてを反射させることができない。その鏡を磨いてより立派なものにすれば、より多くの光を反射するようになります。要するに、すべての存在がより一層の顕現を求めて絶え間なく努力しているのです。前に私は原石を砕きながらコツコツと宝石を磨いているのが人生だと申し上げたつもりです。原石はいらない、宝石だけをくれ、というムシのいい話は許されません」
 
  今回も前回と同じような内容である。要は私達人間は不完全であり、完全へ近づく努力していき、完全な法則を多く顕現していかなければならないということなのだ。鏡の例えは、亡くなった母もよく話していた。鏡が曇っていたら、神様のお心をちゃんと映すことはできないと。鏡の曇りをとるためにも努力していき、そして曇りのない鏡に神様のお心を映すことが目標なのだと。頭ではわかっていても、それを実行するのはかなり難しい。けれどまた改めてシルバー・バーチ霊のお言葉として同じ話を聞かされたことで、やはり真実は一つなのだと実感した。簡単に成就できないからこそ、価値があるとも言われている。精進していく以外に道はないのだと改めて思わされた次第である。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸を整えて、神様に簡単なお祈りをさせて頂き、呼吸に集中する。神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるようお願いする。そしてすべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂いた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済、それ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。今回も意識は遠のき、終わる時間直前に戻ったので、神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した

720回目の瞑想 

天使
 
ーーー創造力をもつ存在は神と呼ぶ唯一の存在のみで、われわれには何一つ創造する力はないと考えてよいでしょうか。
「神は無窮の過去から存在し未来永劫に存在し続けます。全生命が神であり、神は全生命です。ならば、あなた方に何が創造し得ましょう。しかし魂が進化すれば進化するほど宇宙をより美しくし、完成させていくことができます。進化の程度が未熟であるほど宇宙における位置が低いということになります」
(訳者注ーー”宇宙をより美しく完成させていくことができる”ということは神の創造の大業に参加できるということである。『霊訓』にも『ベールの彼方の生活』にもその趣旨のことが述べられているが、マイヤースは『個人的存在の彼方』の中でこれを”創造されたものが創造する側にまわる。そこに生命と宿命の秘密が存在する”と表現している)
     
今回も神様の存在が如何に偉大かということが述べられている。けれど、私達人間の魂が進化していけば、宇宙をもだが地球をより美しく、完成させていくことができると言われているのだ。進化の程度が未熟ということは宇宙の中の位置が低いと言われているが、地球の現在は低い位置にあるのだろう。訳者の方は霊的な本を数多く訳されているので、シルバーバーチの霊訓以外にもこのような趣旨が述べられているとある。特にマイヤースの創造されたものいわゆる私達人間が、創造する側にまわるとはいわゆる神様の大業に参加できるということなのだ。もちろん、そのようになるためには並大抵の努力ではなれるわけもない。だが、目標として掲げ、努力を惜しまず、いつか達成出来る日が来ると信じれば、明日への希望がより強いものとなるように思う。素晴らしい内容であり、有難い内容であった。
  
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想で呼吸を整えていき、神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そして神様の偉大なる愛のエネルギーで地球を包んで頂けるよう、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることができますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂く。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済のお祈りをし、そしてそれ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングもさせて頂いた。続けて自分の瞑想をしていると「心の拠り所は神のみぞ」とのお言葉が浮かんだ。今回のシルバー・バーチ霊のお言葉を読んだ上で、浮かんだお言葉が更にしっくりときたのだ。常に神様を思う心でいなければと改めて強く心に誓った。その想いを込めて神様と霊界の方々にお礼を申し述べて終了した。

721回目の瞑想

天使
 
   
ーーー愛の神が人間の最低の感情の一つである憎しみの中にも存在するということが理解できないのですが・・・
「それは未だに神というのものを人間的存在と考える概念から抜け切っていないからです。神とは法則です。法則がすべてものを維持し保持し顕現させているのです。神は愛を通してのみ働くのではありません。憎しみを通しても働きます。晴天だけでなく嵐も法則の支配を受けます。健康だけでなく病気を通しても働きます。晴天の日だけ神に感謝し、雨の日は感謝しないものでしょうか。太古の人間は神というものを自分たちの考える善性の権化であらしめたいとの発想から(その反対である)悪魔の存在を想定しました。稲妻や雷鳴の中に自分たちの想像する神のせいにしたくないものを感じ取ったのと同じです。
神は法則なのです。全生命を支配する法則なのです。その法則を離れては何も存在できません。これは私が繰り返し説いていることです。あなた方が憎しみと呼んでいるものは未熟な魂の表現にすぎません。その魂も完全な法則の中に存在しておりますが、現段階においては判断が歪み、正しく使用すれば愛となるべき性質を最低の形で表現しているまでのことです。愛と憎しみは表裏一体です。愛という形で表現できる性質は憎しみを表現する時に使用する性質と同じものなのです。人生は常に比較対照の中で営まれています。
たとえば、もしも日向にばかりいたら日光の有難さは分からないでしょう。時には曇りの日があるから太陽の有難さが分かるのです。人生も同じです。苦しみを味わえばこそ幸せの味が分かるのです。病気になってみて初めて健康の有難さが分かるのです。病気にさせるものがあなたを健康にもさせるのです。愛させるものが憎ませもするのです。すべては神の法則の中で表現されていきます。それが人生のあらゆる側面を支配しているのです」
     
今回の内容もだが、何度も繰り返し神様は法則と説かれているので、私の中では神様は法則なのだと思えるようになってきている。けれどこの世の多くの人はやはり人間的存在である神様を想像しているのだと思う。私も最初はそうだった。けれど、神様がすべてを司っているということがわかって、逆に安心感が強くなったのだ。それは悪について恐怖や不安に思うことがなくなったからだ。すべては神様の法則の範囲内で起こっていることであるのだから、神様の摂理に適う生き方をしていれば、自分に害が及ぶことは絶対にないと信じられるようになったからだ。何も恐れることはないのだ。悪魔というのは人間が想像したにすぎないのだから。
愛と憎しみについてだが、やはり亡くなった母からは愛と憎しみについて一本の線の端と端だと聞かされて来た。要するに同じ線ということで、シルバー・バーチ霊の言われる表裏一体と同じことなのだ。憎しみは裏を返せば愛になるのだ。愛も憎しみも同じ性質であり、魂の進化の度合いで表現の仕方が変わってしまうだけということなのだ。人生は常に比較対照の中で営まれているという例えはとてもわかりやすい。更に晴天であろうが曇っていようが嵐であろうが、すべては有難い気づきの材料ということなのだ。それは苦しみも 病気も同じなのだ。その比較対照があるからこそ、人間は前向きに進んで行けるのだと思う。そして更に言えば魂を進化させることができるのだ。この世の事象や体験にはすべて感謝し、克服して行くことが大切なのだということを痛切に感じさせてもらえた。魂に響いたのである。本当に有難いお言葉だと心からお礼申し上げたい想いでいる。
 
今日の瞑想では、取り入れた瞑想で呼吸に集中していくと、どんどんと深く入っていき、神様に簡単なお祈りをさせて頂いた後は、全く意識が飛んでいた。遙か彼方にいるような感覚だった。その後のお祈りやヒーリングは全く出来ず終い。けれど、なぜか晴れやかで温かい気持ちに包まれていたのだ。しかもその時間はあっという間だったように感じた。けれど、曲は終わる直前だったのだ。今回はそのまま、神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

722回目の瞑想

天使
ここで別のメンバーが、たとえば悪を憎むためには当人が憎しみという要素を持っていることが必要となるのではないか、われわれは憎むということを学ぶべきだということにならないかといった主旨のことを述べた。するとーー
  「私はそのような考え方はしません。私は悪とは同じエネルギーの用途を誤っていることだから許すべきでなないという考え方をとります。あなたが悪い奴らと思っている人間は未熟な人間だということです。その人たちが表現しているエネルギーは成長と改善のためにも使用できるのです。
自分から”悪人になってやろう””利己主義者になってやろう”と思って悪人や利己主義者になる人間は滅多にいるものではありません。悪い人間というのは霊的成長における幼児なのです。聞き分けのない子供みたいなものです。目に見え手に触れるものだけがすべてだと考え、従って物的世界が提供するものすべて所有することによってしか自分の存在を主張できない人間なのです。利己主義とは、利他主義が方角を間違えたにすぎません。善なるもの、聖なるもの、美なるもの、愛、叡智、そのほか人生の明るい側面だけに神が宿っているかに考える旧式の思想は棄てなければいけません。
神の表現をそのように限定すれば、もはや絶対神が絶対でなくなります。それは条件つきの神、限定された霊となります。絶対神の本質は無限、全智、全能、不可変、不易であり、それが法則となって絶え間なく機能しているのです。
神を、右手にナザレのイエスを従えて玉座に坐している立派な王様のように想像するのはそろそろやめなければなりません。それはもはや過去の幼稚な概念です。宇宙全体ーー雄大な千変万化の諸相の一つひとつに至るまで絶対的な法則が支配しているのです。神とは法則のことです」
  
今回の内容も、悪や憎しみなどの悪感情は、善と同じエネルギーの用途を誤って表現しているにすぎないと言われている。そして悪人と思っている人は、霊的に未熟であり、霊的成長における幼児であり、聞き分けのない子供のようなものだと言われているのだ。そしてそういった人たちが表現しているエネルギーは成長と改善のためのエネルギーとして使用できるとも言われている。しかも利己主義は利他主義の方向を間違えたにすぎないとも言われ、要するに何事も表裏一体ということを言われているのだ。それはまさしく、神様が善悪を司っているということに他ならない。善という明るい側面だけに神様は宿っているのではなく、宇宙全体善悪ひっくるめてすべてに絶対的な神様の法則が行き渡っているということなのだ。神様についての誤った考えは棄てて、正しい神様の概念を持ち、心から信じることが不可欠なことなのだと強く強く思った次第である。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をし、呼吸に集中すると次第に意識が遠のいていく。かすかに残る意識で神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そしていつものように神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けるお願いや、またすべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングなどは時折、意識が遠のく深さによって中断したり、続けたりしていた。更にコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済と、それ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングなどもほとんど意識が朦朧とした中でさせて頂いていたのだ。いつの間にか曲が終わる直前となり、そのまま神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

723回目の瞑想

天使
 
前回の問答がサイキックニュース紙に掲載されるとすぐに反響があった。
(交霊会はいつも週末に催され、その記事はすぐに翌週に掲載されたーー訳者)
読者からの批判的な手紙が読み上げられるのを聞き終わったシルバーバーチはこう答えた。
 
「困りました。そうした方たちは永い間、神とは善なるものにのみ存在すると教え込まれてきているからです。神とは一個の人間、誇張された立派な人間であるかに想像し、人間から見て良くないもの、親切とは言えないもの、賢明でないものは所有して欲しくないと言うにすぎません。しかし神は人間的存在ではありません。法則なのです。それが全生命を支配しているのです。法則なくしては生命は存在しません。法則がすなわち霊であり、霊がすなわち法則なのです。それは変えようにも変えられません。そこのところが理解できない人にとってはいろいろと疑問が生じるでしょうけど、成長とともに理解力も芽生えてきます。神が善なるものを与え、悪魔が邪なるものを与えるという論法ではラチがあきません。ではその悪魔は誰がこしらえたのかという、古くからのジレンマにまたぞろ陥ってしまいます」
 
ーーー悪魔はキリスト教が生み出したのでしょう?
「そうです。自分たちから見て悪と思えるものを何とか片付けるためにそういうものを発明しなければならなかったのです。悪も進化の過程の一翼を担っております。改善と成長ーー絶え間なく向上せんとする過程の一つなのです。人間にとって悪に思え、苦痛に思えるものも進化の計画に組み込まれた要素なのです。痛みがなければ健康に注意させる警告がないことになります。暗闇がなければ光りもありません。悪がなければ善もありません。地上にもし悪が存在しなければ、何を基準に善を判断するのでしょうか。改めるべき間違い、闘うべき不正が存在しなければ、人間の霊はどうやって成長するのでしょう」
  
今回も前回に続き同じ内容である。同じではあるがとても重要なことだと思う。神様の存在を人間はどうしても人間的存在だと思ってしまう。ゆえに良いことだけに、神様は司っていると考えてしまうのだ。だからこそ、人間が最も知るべき内容だと思うのだ。これは霊的なことを信じていても、ここまでのことを知っている人は少ないのではないだろうか。それは悪も進化の過程の一翼を担っているということをだ。人間にとって悪や苦しみといったものも進化の計画に組み込まれた要素だということを知るべきなのだ。ということは今のこの世の出来事コロナ禍についても言えるのではないだろうか。これは世界中の人間の進化を計画されたことなのかも知れないのだ。すべては神様の法則として信じることが出来れば、不安に思うことも心配に思うこともないということだ。信じて乗り越えることで必ず道は開かれる。私はシルバー・バーチ霊の神様についてのお言葉を読むにつけ、それを強く感じるようになっている。この世の過去から現在を思った時に、すべては符合しているように思えるのだ。そして私達はそのことをも理解してこの世に出て来ているのである。それはすべてを克服してまた霊界に戻ることが、更に霊恪向上のために役立つことを知っているからなのだ。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして、呼吸を整えてしばらくすると、また意識が遠のき深く深く入って行くような感覚になる。どうにか神様に簡単なお祈りをさせて頂く。そしてその後のお祈りとヒーリングははっきりと認識しては出来ていないと思う。おぼろげな状態の中でのものだった。毎回ほとんどそうなのだが、意識が遠のいている時は曲は聴こえてはいないのだが、曲が終わる頃に我に返ることが多い。今回もまさしく終わる直前で気がついた時に曲は終わったのだ。しばらくは呆然としていたが、その後神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

724回目の瞑想

天使
 
ーーーいつの世にもその時点での人類の進化の段階からみて不正と思えるものが存在するということでしょうか。
「そういうことです。進化の階段を登れば登るほど、改めるべきものを意識するようになるものだからです。私が進化は永遠ですと言い、宇宙には始まりも終わりもありませんと申し上げるのはそのためです。向上の道に終点はありません。無限に続くのです。それぞれの段階がそれまでの低い段階への勝利の指標にすぎません。が、低いものがなければ高いものもあり得ないことになります。人生は一本調子(モノトーン)ではありません。光と蔭、晴天と嵐、喜びと悲しみ、愛と憎しみ、美と醜、善と悪の双方が揃わなくてはなりません。人生はそうした比較対照を通じてのみ理解できるものだからです。闘争を通して、奮闘を通して、逆境の克服を通してはじめて、神性を宿した人間の霊が芽を出し、潜在するさまざまな可能性が発揮されるのです。そういう摂理になっているのです。私がそう定めたのではありません。私はただそれを自ら身に修める努力をしてきて、今それを皆さんに教えているだけです。
人間的存在としての神は人間がこしらえた概念以外には存在しません。人間的存在としての悪魔も人間が発明した概念以外には存在しません。黄金色に輝く天国も火焰もうもうたる地獄も存在しません。そうしたものはすべて視野を限られた人間の想像的産物にすぎません。神は法則なのです。それさえ理解すれば、人生の最大の秘密を学んだことになります。なぜならば、世の中が不変にして不可変、全智全能の法則によって治められていることを知れば、絶対的公正が間違いなく存在し、宇宙の創造活動の大機構の中にあって一人として忘れ去られることがないことを知ることになるからです。
だからこそ全てが知れるのです。だからこそ何一つ手落ちというものがないのです。だからこそ人生のあらゆる側面が宇宙の大機構の中にあって然るべき位置を占めているのです。だからこそ何一つ見逃されることがないのです。いかに些細なことでも、いかに巨大なことでも。すべてが法則のワク内に収められているからです。すべてが法則だからです。存在を可能ならしめている法則なくしては何一つ存在できないのが道理です。法則が絶対的に支配しているのです。人間に与えられている自由意志が混乱を引き起こし、法則の働きを正しく見えなくすることはあっても、法則は厳然と存在しますし、また機能してもらわなくては困ります。私はキリスト教の神学は人類にとって大きな呪いであったと思っています。しかし、その呪われた時代も事実上終わりました」
   
今回の内容は圧巻であった。質問のいつの時代もその時点での人類の進化の段階での不正はあると肯定されている。なぜなら、この世は光と蔭、晴天と嵐、喜びと悲しみ、愛と憎しみ、美と醜、善と悪のように比較対照を通じてのみ理解できると言われているからだ。そのような逆境を克服することで、内なる魂が目を覚まし、霊的な可能性を発揮できることになるのだ。それはシルバー・バーチ霊ご自身が体験されてきたからこそ、言えることなのだと思う。人間的存在としての神は人間がこしらえた概念だと言われ、天国や地獄などというものは、人間の想像的産物だと言われている。そして最も大事なこととして、神様は法則だということを理解できれば、人生最大の秘密を学んだことになると言われているのだ。神様は法則だからこそ、すべてが知れると言われている。この法則の枠内に些細なことであろうが巨大であろうが、すべて網羅されているのだ。この法則である神様を信じないで何を信じることがあろうか。私の神様への信心が益々強固になる内容であった。神様の摂理に適った生き方こそ、人間の為すべきことこれ以外にはないと心から思った次第である。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に集中していくと、また意識が遠のき深く入って行くような感覚になる。一応神様に簡単なお祈りをさせて頂くこともでき、朦朧としながらも神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けますようにお願いし、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りもできたように思う。だがコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済やそれ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングはほとんど記憶にない。したのかしてないのかさえわからない。しかも気がついたのは曲が終わった一分後だった。ただ爽やかな感じだけはあった。その思いに神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

725回目の瞑想

天使
 
ある一人の青年牧師とシルバー・バーチ霊との質疑応答の抜粋をしてみようと思う。牧師なのでキリスト教についてが主だが、その真実がわかるのではないかと思う。
牧師ーー死後の世界とはどういう世界ですか。
「あなた方の世界と実によく似ております。但し、こちらは結果の世界であり、そちらは原因の世界です」
(訳者注ーースピリチュアリズムでは霊界が原因の世界で地上は結果の世界であるといっているが、それは宇宙の創造過程から述べたことで、ここではシルバーバーチは因果律の観点から述べ、地上で蒔いたタネを霊界で刈り取るという意味で述べている)
 
牧師ーー地上での最大の罪は何でしょうか。
「罪にもいろいろあります。が、最大の罪は神への反逆でしょう」ここでメンバーの一人が「その点を具体的に述べてあげてください」と言うと
「神の存在を知りつつなおそれを無視した生き方をしている人々。そういう人々が犯す罪が一番大きいでしょう」
別のメンバーが「キリスト教ではそれを”聖霊の罪”と呼んでおります」と言うと
「あの本(聖書)ではそう呼んでいますが、要するに霊に対する罪です」
   
今回の内容は日本人にとっては、縁が薄いようにも感じるが、キリスト教を信じている人がいることは事実なので、キリスト教の真実を知るとうことで取り上げてみた。最初は死後の世界についてだったり、地上での罪などの質問である。やはり人間にとっての一番の関心事は死後や罪についてだろう。罪については利己主義などを挙げられて来ていたが、今回は神様への反逆、神様の存在を知っていながら無視した生き方をしている人々と言われている。しかもそれを犯す罪が一番大きいと言われているのだ。とても得心できた。私自身の大きな励みになる。これからも神様の摂理に適う生き方を出来る限り努力して行きたいと強く強く思った次第である。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸に集中すると、また深く入って行くような感覚になったが、とりあえず一通りの神様に簡単なお祈りをさせて頂き、いつものように神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けますようにお願いし、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りとヒーリングをさせて頂くことができた。続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済もお祈りし、またそれ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングをさせて頂くこともできた。その後、映像というよりも、実際にリアルに感じたのだが、海の中にある橋をどんどんと歩いているのだ。その先に何かあるということだけは薄らと感じたのだが、結局曲が終わる直前に気がつき、歩いた感覚だけは残ったものの、その先についてはまったくわからなかった。残念だった。だが気を取り直して、神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。

726回目の瞑想

天使
 
牧師ーーキリストへの信仰をどう思われますか。神はそれを嘉納されるのでしょうか。キリストへの信仰はキリストの行いに倣(なら)うことになると思うのですが。
「主よ、主よ、と何かというと主を口にすることが信仰ではありません。大切なのは主の心に叶った行いです。それがすべてです。口にする言葉や心に信じることではありません。頭で考えることでもありません。実際の行為です。何一つ信仰というものを持っていなくても、落ち込んでいる人の心を元気づけ、飢える人にパンを与え、暗闇にいる人の心に光を灯してあへる行為をすれば、その人こそ神の心に叶った人です」
ここで列席者の一人がイエスは神の分霊なのかと問うとーー
「イエスは地上に降りた偉大なる霊覚者だったということです。当時の民衆はイエスを理解せず、ついに十字架にかけました。いや、今なお十字架にかけ続けております。イエスだけでなく、すべての人間に神の分霊が宿っております。ただその分量が多いか少ないかの違いがあるだけです」
 
牧師ーー『神は地球人類を愛するがゆえに唯一の息子を授けられたのです』と述べて、イエスが神の子であるとのキリスト教の教義を弁護しようとする。
「イエスはそんなことは言っておりません。イエスは死後何年も経ってから例のニケーア会議でそんなことが聖書に書き加えられたのです」
 
牧師ーーニケーア会議?
「西暦325年に開かれております」
 
牧師ーーでも私がいま引用した言葉はそれ以前からあるヨハネ福音書に出ていました。
「どうしてそれが分かります?」
 
牧師ーーいや、歴史にそう書いてあります。
「どの歴史ですか」
 
牧師ーーどれだか知りません。
「ご存知のはずがありません。いったい聖書が書かれる、そのもとになった書物はどこにあるとお考えですか」
 
牧師ーーヨハネ福音書はそれ自体が原典です。
「いえ、それよりももっと前の話です」
 
牧師ーー聖書は西暦90年に完成しました。
「その原典になったものは今どこにあると思いますか」
 
牧師ーーいろんな文書があります。例えば・・・と言って一つだけ挙げた。
「それは原典の写しです。原典はどこにありますか」牧師がこれに答えきれずにいるとーー
「聖書の原典はご存知のあのバチカン宮殿に仕舞い込まれて以来一度も外に出されたことがないのです。あなた方がバイブルと呼んでいるものは、その原典の写しの写しの、そのまた写しなのです。おまけに原典にないものまでいろいろと書き加えられております。初期のキリスト教徒はイエスが遠からず再臨するものと信じて、イエスの地上生活のことは細かく記録しなかったのです。ところが、いつになっても再臨しないので、ついにあきらめて記憶を辿りながら書きました。イエス曰くーーと書いてあっても、実際にそう言ったかどうかは書いた本人も確かでなかったのです」
   
今回の内容はキリスト教の真実を教えて頂いていると思える。キリスト教を信じている人にとっては衝撃的な内容なのではないだろうか。また信仰は口にすることや心の思うことではなく、頭で考えることでもないと言われている。実際に奉仕を実践した人こそが、神の心に叶った人だと断言されているのだ。まさにその通りなのだと思う。それだけに奉仕の難しさはあり、なかなか実践できないのが事実だ。口では簡単に実践することだと言えるが、実際の実践となると相当な努力がいるのではないかと思う。ただあまり気負ってもいけない。自分のできる小さいことから始めればいいのだ。それをいつも念頭に入れて行きたいと思う。
牧師との問答は圧巻であるように思う。シルバー・バーチ霊の聖書の原典についてのお答えに、とても得心できた。バイブルである聖書は原典の写しの写しのそのまたの写しであるということも、イエス様の言われたこと以外に書き加えられたということも納得できる。きっと人間にとってというか司祭にとって有利なように書き加えられていたのではないかと思える。けれど、この事は世間一般に知られることはないのだ。シルバー・バーチ霊が教えて下さるからこそ、真実が明るみに出るのだと思う。
 
今日の瞑想でも、取り入れた瞑想をして呼吸を意識すると、次第にまた深く入って行く。だがそこで電話が入ってしまい、一時中断する。その後一通り神様に簡単なお祈りと、神様の偉大なる愛のエネルギーで地球をお包み頂けますようにお願いし、すべての人間に偉大なる愛のエネルギーが行き渡りますように、一人でも多くの人がその愛のエネルギーを受け取ることが出来ますようにとのお祈りをし、続いてコロナワクチン接種の後遺症に苦しんでいる方達の救済をお祈りし、それ以外の方とご依頼の方のお祈りとヒーリングは簡単に終わらせた。やはり、途中電話が入ったことで、集中力に欠けて、その後は深くは入れずにただただ時間が経過して行く状態だった。まだまだ修行が足りないと痛感した。そのことをお詫びしながら、神様と霊界の方々にお礼を述べて終了した。
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